第三百九十七話
アリスの刀は消え失せていて、十組の仲間といるとその話題で持ちきりだった。
隔離世、夜。春灯が帰ってくるというので戦闘準備を整えていた時のことだ。
「つうかまじで……変な道を使うわ、空間移動余裕だわ。あっさり御珠のないところで刀を抜くわ。なんなの、おまえ」
「幼女には無限の可能性が眠っている……どやあ!」
「……あのなあ」
「ロリコン野郎が気になるのも無理はない」
「だから違うって!」
「具体的な性癖としていうと?」
「俺はこう膨らみかけくらいの乳とか金髪の美少女が好きでだな……待て。待ってくれ。ユニス。そんな本気で引いてる顔しないでくれ。コマチも! 胸をおさえてぎょっとするな! ちげえから! クラスの女子相手にそういうのは!」
馬鹿丸出しである。まあ、それはミナトの専売特許みたいなところがあるから、いまさら誰も混ざらないけど。
並木先輩の指示で一緒に交じっているマドカは、普段のマシンガンっぷりはどこへやら。大人しく私の横にいるだけ。
「ミナト……言えば言うほど損するよ」
「リョータはちっとは混ざれよ!」
「いやだよ! 明らかに損するってわかりきっているもん!」
「くそー。トラジはもはやだんまり決め込んで、しかもさりげにコマチの前に立ちはだかって。違うから! ほんとに!」
「いやあ、たいへんですねえ」
「アリス、だいたいお前のせいだろ!」
「どや?」
「くっ……可愛いから腹たつ!」
賑やかだな、ほんと。
纏いを終えて刀を握りしめる。
正面玄関に車が来た。ぼんやりと光る霊子体が出てきた。そして霊子体めざして小さな邪が空から飛んでくる。
日に日にその量が増している。
「ほら、そろそろ戦闘準備」
「いくぞ、おまえら」
私の指示にトラジが声を張り上げる。
それぞれが刀を抜いて、歩き出す私に続いてくる。
「キラリ、あの……」
「まあ、待て。マドカ、アンタの出番はまだだから」
ついてくるマドカを指先で制して、視線をユニスに向けた。
「ユニス」
「了解。まず確認するわね」
ユニスが魔道書を開きながら声を張る。
「倒してもきりがなく、青澄春灯が己の霊子の形に変換しても、この現象はおさまらない」
わりと絶望的な現状だ。
「挙げ句、青澄春灯に対処させると彼女には命の危険があるという」
「もはや積んでいるよな」
ミナトの言葉にユニスは頷いた。
「並木先輩たちの指示とはいえ……霊子を変換する技を使ってなお、無事でいるキラリなら、或いは可能性があるという。その場合」
「倒すんじゃなくて、星に変えろっていうんだろ? わかってるよ……マドカ、あんたの出番は、邪をどうにかしてからだ」
「う、うん」
人見知りでもするのか? 妙に大人しいな。まあいい。
ユニスの話の結論を自分で口にして、胸一杯に息を吸いこむ。
小さすぎる鳥のような邪に星は見えない。
何かが足りないんだ。何かが。
まずは寮に入る春灯の霊子体を追いかける邪めがけて星を打ち出してみる。
変化なし。弾かれるより、うねりをもって飲み込んでしまう。群体の脅威なんて……そうお目にかかれるものじゃないはずなのに、ここ数日の春灯防衛シフトですっかり見慣れた。
「やっぱりだめか」
呟く私にユニスとコマチが提案してきた。
「凍らせてみる?」
「……桜、だす?」
二人の言葉に頭を横に振った。
「固定できないか試してみたいな……」
邪のうねりは寮の中になんとかして入ろうと広がっていく。
暗闇に包まれていく寮を見ていると、正直気分が悪くなるな……。
「正気度チェックでもするか?」
「ごめん、ミナト。ちょっと意味がわからない」
「テーブルトークしようぜーもっとー」
「後にしろ……コマチ、鮫で追い立ててみて。ユニス、風でもなんでもだして寮から引きはがす。飛び散って逃げそうなのは男子、邪魔してね」
「「「 了解! 」」」
「よし、いくぞ!」
私が叫ぶと、それぞれが散開する。
コマチが刀を地面に突き刺して、手を重ね合わせた。
周囲の空間に突如水しぶきが現われて、その内側から鮫が飛び出てきたのだ。
とびきり巨大なジンベエがゆらゆらと泳ぎ、寮の周囲を外遊する。
口に邪を吸いこんでは、吐き出して。その勢いに邪の群れが呼応して散開し始める。
トラジとミナト、そしてリョータが迷わず飛んで、刀を振り逃げ場所を誘導していく。
「おらおらおら! 焼かれたくなけりゃ、とっとと逃げろや!」
刀を振るうたびに炎をまき散らせるトラジに習って、リョータも鬼トラジモードとやらを発動して同じようにする。そこへいくと剣を振るう圧力だけで追い立てるミナトもかなりのもの。
「そろ、そろ!」
コマチが叫び、ユニスが魔道書を開く。
「――……範囲限定、収束……圧力解放! 貫け、風の槍!」
指先で複雑な紋様を宙に描き、指を鳴らした瞬間、勢いよく邪が私たちの前に押し出されてきた。すべてではない。膨大な量の邪がいるのだから。けれど、それでも五割くらいにはのぼる邪を前に、ユニスが指を再度鳴らした。
「氷縛!」
耳に甲高い音がした直後、邪の塊が氷に包まれる。
すぐそばに歩み寄る。耳を澄ませた。けれど何も聞こえない。
御霊の声を聞く才能は、春灯と違って私にはない。
それでも邪の声は結構聞こえるものだ。しかしこいつらはあまりに小さく、ささやかな存在すぎて何もわからない。
どれほど時間を掛けても無駄。そして……そばに近づいても、星は見えない。
「だめそうね」
「まあ……どうにかなりそうな連中なら、先輩たちに指示されるまでもなく対処してたさ。マドカ」
名前を呼ばれて、マドカが歩み寄ってきた。
「こいつらが何をしたいか……わかったりしないか? そういう力があるみたいだし」
吸血鬼の言葉を信じるのなら。
そして、あのアメリカ野郎の気持ちを見抜いたこいつの力なら、あるいは。
そう期待しての、並木先輩の配置。吉と出るか、凶と出るか。
緊張する私たちの横で、マドカが氷の塊に手を触れる。
「――……教えて。あなたたちの願い」
マドカが瞼を伏せて、祈るように囁く。
けれどアメリカ野郎の時と違って、その顔はどんどん曇っていく。
だめか、とみんなでため息を吐き出そうとした、まさにその時だった。
「まあまあ、落ち着いて」
アリスがマドカのそばに立って、ぶらりと下がっているマドカの手をその胸に当てさせた。
「聞こう聞こうとするより、しゃべらせてあげて」
「――……」
「といつめるより、やさしく見つめてあげるんですよ」
アリスの言葉に導かれるように、マドカが跪く。
耳元に唇を寄せて、アリスが囁きはじめた。
すると、どうしたことか。マドカの身体がぼんやりと光り輝き始める。
「――……」
「――……」
アリスの囁きにマドカの唇が開いて、同じように囁き始めた。
けれどあまりにも微かな声量すぎて、聞こえない。
ただ。不意にマドカは瞼を開いて、立ち上がる。
「……ん。だいたい、わかった」
思わずそばにいたユニスと顔を見合わせた。
こいつは尋常ならざる天才か、それとも途方もないバカみたいな器の持ち主なんじゃなかろうか。
「そんな顔しないでよ」
「……ごめん」
一言いわれてしまった。
「ユニスさん、氷を溶かしてもらえる?」
「え? ええ……それはかまわないけれど。どうする気?」
「これは繋がりを求める……世界中の孤独な声の群れ。春灯を知って、金色が引き寄せる世界中の微かな願いの結晶……欲望の現われ」
マドカが刀を引き抜いた。
身体は光り輝いたまま、それ以上に眩く煌めく刀でいったいなにをしようというのか。
「あまりにもささやかすぎるから……一つに結ぶ。その姿を、固着する」
「ま、マドカ?」
「今夜は……ユリア先輩のそれに習う! ユニスさん!」
「え、ええ! 散開!」
ユニスが指を鳴らした瞬間に氷が弾けて散らばった。
すかさず刀の根本を手で掴み、強く握りしめて、刃先に滑らせた。
斬れるはずだ。血に濡れるはずだ。けれどそうはならなかった。
マドカは叫ぶ。
「おねがい――……禍津日神のように! その姿を変えてみせろ! 擬態・八岐大蛇!」
その刀を邪の群れの中に突き込んだ。
直後、邪が一斉に膨らみ、収縮して、蠢き始めた。
すべての邪が集まっていく。
「おー。でっかい蛇の予感」
「いやいやいや! おいこらちょっと! 星に変えてどうこうって話だろ!? 雑魚をひとつずつ変えた方が楽だったんじゃねえの!?」
ミナトが悲鳴をあげる先で、寮全体を包み込めるほど膨大な数の邪が一つに集まり、姿を変えていく。ぬめりを帯びた巨大な蛇。その頭、八つ。
春灯が四月に挑み、マドカたちが二学期の鬼ごっこで目にした……圧倒的な暴力に姿を変えた。その目は血走り、ユリア先輩の制御など関係のない怪異は叫び声をあげる。
身体中がびりびりと痺れた。
けれど、どうだ。
『ああ……ああ……恋しい……愛しい……』
『きっと青澄春灯なら……あの金色なら……救ってくれる……』
『ボクを……』『私を……』
『一人にしないはず……』
寮に至るほどの巨体なればこそ、その声もはっきりと聞こえる!
「――……かふっ!」
無茶をしたのだろう。マドカが血を吐いて膝を屈する。
けど笑って私を見上げてくる。
「いける、よね?」
「任せろ。あんたの無茶には応えてやるさ。いいから寝てろ。できれば安全なところで」
「ん……」
よろめきながら、後退っていく。
軽くステップを踏むように何度か飛んだ。
「さて……やっとあたしたち十組らしい敵になってくれたじゃないか」
「まさか……こういうのが恒例になるわけ?」
「何を言っているんだ、ユニス。思い返せばクラス結成の頃から、ずっとこんなんだったろ?」
「まあ……それは否定しないけれど」
顔を引きつらせる魔女に笑いかける。
「大きな魔法を使い放題だぞ? それに、日本神話の化け物相手に魔女が戦いを挑むなんて、あんたの彼氏が好きそうだ」
「なっ」
「確かに俺は好きだな!」
「みっ、ミナトは黙ってなさいよ!」
「へえい」
にやにやする私たちを見て、ユニスがあわてて魔道書をめくる。
「い、いつでもいけるわよ!」
「よし……アリス。戦う気は?」
「んー。寮をめちゃめちゃにしそう。がんばれ十組」
「……あんたはほんとによくわからん幼女だな」
「それがわたしのあいでんてぃてぃー」
まったく。
「歌うな。トラジとコマチはのっけから本気で頼む」
「「 了解! 」」
「リョータとミナトはそれぞれに蛇の頭を落とせ」
「わ、わかった!」
「つうか天使。あれが神話の再現なら、ただの剣じゃだめだぞ?」
「擬態ならいくらでもいけるだろ」
「……まあ、じゃあそういう体でいくよ」
「頼んだ」
息を吸いこんで刀に思いを注ぐ。
「いつものことだけど、少し時間がかかる。弱らせて」
「ようし、いくぜ! てめえら!」
「「「「 がってん! 」」」」
トラジが吠えて、みんなが戦いに挑んでいく。
巨体を揺らして私たちを押しつぶそうとするその身体から幾つもの根が生えて、地面に繋ぎ止めた。コマチだ。容易に引きちぎれる拘束じゃない。命を奪い、吸い取って花へと変えるコマチの力は異常に強い。
それでも擬態とはいえ八岐大蛇の底力は並みじゃない。
暴れ回ろうと頭を私たちに伸ばす。ひゅん、と槍のように。しかし。
「させねえよ!」「止まれ!」
女子を食らおうとする頭を男子が的確に止めた。トラジに至っては黙って拳で殴りつけている。止めてから叫ぶのだ。
「ユニス!」
「わかってます!」
手のひらに光の球を浮かべて、それを思い切りオロチの上に投げ放つ。
「弾けて降り注げ!」
指を鳴らした直後、花火のように弾けて光が降り注いでいく。小さな矢となってオロチの身体に突き刺さるのだ。悲鳴をあげるオロチの声が大きく届く。
『もう、もう……ひとりはいやだ』
笑っちゃうくらい、痛かった。
八つの頭が叫んでいるけれど。結局どれも……同じ気持ちを叫んでいる。
抗い、それだけでなく仲間たちを食らおうとする。
その攻撃性の内側にあるのは……私もかつて抱いた気持ち。
春灯に抱き、ユイも……春灯も抱いた気持ちに他ならない。
手の中に感じる熱が増した。わかっている。
「みんな、いくぞ!」
その声にそれぞれが頷いてきた。
リョータが吠える。
「あいつの星はどこに!?」
「腹だ!」
「てめえら、頭を止めるぞ!」
私が答え、トラジが指示を出す。
挑んでいく。頭をはじき飛ばしてくれるんだ。
だからこそ、見えてくる頭の付け根に刀を突きつけた。
『たすけて――……たすけて……』
悲痛な声。春灯に救いを求めて、でもそれは……決して春灯を救いはしない。
そりゃあそうだ。全力で向き合っていたら、いくら春灯だってもたない。
大勢の重さなんて、一人で受け止めきれるものじゃない。
だからこそ、自立って言葉があるんだ。
けど……その寂しさも否定しない。
「見えてるよ――……」
囁いて、刀を振り下ろす。
一瞬で星の道が噴き出た。
駆ける。一瞬で流星のように流れて落ちて、オロチの懐へ。
突き刺した。刀を星へと変えて、注ぎ込む。
「曲を聴きなよ。テレビを見ればいい。その時浮かべた笑顔が、あったかくてささやかな気持ちが……あんたの力になるよ」
でも……春灯にのしかかるのは、違う。
そのぶんだけ、しゃんとして。自分で立つんだ。
「誰もみんな一人だ。でも……だからこそ、手を繋ぐんだ。探しなよ。繋げる誰かを……遠い誰かにのしかかるより。がんばれ……がんばれ」
痛みが伝わってくる。それができないから、いまの自分になっているという……切実な痛み。
だけどさ。
「つらくてもがんばって……広い世界のどこかに居場所を探すんだ。地元でだめなら、その外へ。そこでもだめなら、それこそ国の外へ行くんだ。探せばきっと……見つかるよ。冒険するんだ」
歩き出せばみつかる。私のような奴にだって、みつかったんだ。だいじょうぶ。
私の弱さと強さを全部注ぎ込んでいくと、痛みは悲しみへ、悲しみは不安へ。
そして――……ささやかな希望へと変わっていく。
春灯じゃ無理だ。マドカにも……きっとできない。
誰かを傷つけて……ひとりぼっちになってしまった、私にしか、できないことに違いない。
「世界の果てまでいって、それでも一人なら……あたしに文句を言いにこい。待ってるからさ……それまでは、がんばれ。春灯の歌がそばにいるから……じゃあな」
刀を引き抜いた。
指を鳴らす。オロチの身体を構成する霊子がすべて、邪から星へと転じて流れていく。
「ひとりぼっちでも……いつか一緒に星を見られる人が見つかるよ。そうじゃなきゃ、悲しすぎるだろ?」
囁いて、夜空を見上げた。
流星が一つ、落ちていった――……。
◆
学食に集まるのも恒例になってきた。
首筋に張らざるを得なかった絆創膏を、佳村が凝視してくる。
「並木先輩……首筋、大惨事ですけど。どうかしたんですか」
「聞かないで。御願い、佳村……なにも聞かないで」
「はあ……」
ラビとシオリのせいなんだけど。
普段は断固として困る位置になんかつけさせないのに、二人で襲うというシチュエーションがそうさせたのか、あの二人は妙にハイテンションで止められなかったのだ。
それ以上は言わない。屈辱だ……。
「それよりも。山吹と天使の報告を聞いた――ユリア、警察からは?」
「連絡きてる……泥が吐き出す邪の量に減少の傾向あり」
「そう。泥の規模は?」
「依然、変化なし」
「……ちっ。さすがに邪を星に変えても、母体には影響なしか」
少しは弱ってくれたらよかったのだけど。
「でもでも。泥が吐き出す邪に効果があったのなら、光明は見えたんじゃないです?」
「そうね」
佳村の言葉に頷く。
「天使の力は、それを飲み込んで返還するあの子よりもストレートに効果が出そうね。だいたい、災害として飲み込んでくる泥を飲み込んだら……なるほど。人身御供よろしく、いくらあの子でも死ぬでしょう」
断言する。
「天使の技を使う。それに吸血鬼の言うとおり、山吹の補佐がいる。そして……泥はあの子を目指してくるのなら」
「ハルさんとお二人が……作戦の鍵となる」
「三人だけでどうにかなるとも思えないけれどね。横幅だけで六キロにもなるなら、ユリアのオロチよりもでかい」
もぐもぐと学食のご飯を食べ続けるユリアは大して気にしていない様子だ。
「要は中身の質の問題……もぐもぐ」
横目で見て、ため息を吐く。
「そうね。天使と山吹の報告を聞くに……暗闇は寂しさと孤独の塊だという」
「お祭り作戦、効果ありますかね?」
「孤独が癒えるくらい盛り上がれば、泥も動きを止めるでしょ」
「……力業ですかね」
「いいの。みんなで盛り上げている間に、天使と山吹に急所を探らせる。あの子には惹きつけ役になってもらうわ」
「ハルさんにはどういう役割を?」
「そりゃあ、決まっているじゃない?」
佳村の問いかけに笑ってみせる。
「歌うのよ。あの子は歌手になったんだから、当然でしょ?」
◆
泥が迫ってきている中、漫然と過ごしているわけではなかった。
折を見て引っ張られては特訓、そして……現世に戻るその繰り返し。
シガラキにはかなりいいようにやられる。長寿の鬼の底力はただの人間が軽く乗り越えられるものじゃない。
おかげでずたぼろなんだが……とはいえ手応えは掴めた。
瞼を開く――……春灯の顔がすぐそばにあった。
「んちゅー……」
一瞬、よぎった。どうしよう、と。寝ているからって、いくらなんでもそれは、お前。いろいろと丸出しすぎなのではあるまいか。
目を伏せて、キス顔を向けて……だからって、普段はしないほど唇を突きだして。
危機感しか抱かないのだが。
「あのな」
「はっ!?」
飛び退いて、耳まで真っ赤になる彼女を見ていると思う。
恥ずかしがるならしなければいいのに。
「ちょ、いや、あの、これは。決して寝ているから襲おうとしたのではなく! 帰ってきたら気持ちよさそうに寝ていて、寝ている王子さまを起こすお姫さまのキスってどんなの? ありや、なしや? と思いまして」
「……キスする前に起きたな」
「……非常に残念であります」
しょんぼり落ち込む彼女を見ていたら、吹き出さずにはいられなかった。
笑っていると、照れ隠しにばしばしと叩いてくる。
「もう! もう!」
「わるかった」
そっと引き寄せて頬に口づけると、上目遣いに照れくさそうに呟く。
「くちびるは?」
「――……これでまんぞくか?」
「……ん」
腰砕けにすとんと床に座って、ずいぶんと大人しくなったな。
頭を軽く撫でて、霊子を繋ぎ変化がないか探りつつ告げる。
「風呂に入ってくる。今夜は天使たちがお前の防衛に回ったと言うが、身体の調子は?」
「文句なし! 明日はリハ、明後日は……本番。どんとこいだよ!」
「よし。春灯も風呂に入ってこい」
「はあい!」
幸せそうに微笑む顔を見て、心底ほっとするし……守りたいと強く願う。
霊子をそっと離して、着替えとタオルを手に部屋を出た。
大浴場へと向かう。
制服を脱いで扉を開く。定期的に「サウナが欲しい」という無茶な要望があがり、学校側は「高校生の学生寮にサウナはねえよ」と言い返すというやりとりを繰り返してた。
しかし……とうとう、住良木が工事に踏み切るらしいという情報を耳にした。
とはいえ、今はまだない。なので愚連隊が妙に熱い湯船を用意して、集まっている。
綺羅先輩たちは顔を真っ赤にして座り込んでいた。
二つ隣の湯船にラビがタオルを頭にのせて入っている。身体をさっと流して同じ湯船に浸かった。
「やあ、お疲れ様」
「……愚連隊はよくやるな」
「よくみなよ。一年生が何人かいるよ」
「ん?」
言われてみると、確かにいた。沢城と月見島、それに……相馬だったか。
我慢比べにしか見えず、実際その通りなんだろう。二年生や三年生が次々と脱落していく中、連中は笑いながらにらみ合っていた。
「脱水症状おこすなよ、トラジー」
「がんばれー」
気のない声援を送る他の一年十組男子たち。
見渡してみると、一年の狛火野が水風呂に入って正座をしている。
修行のつもりなのだろうか。風邪、ひかないでくれよ。
「カナタ、修行は順調かい?」
「まあな……お前は?」
「切り札は用意しているよ」
「……ラビの切り札ね」
「含みがあるな。結構いけてると思うよ?」
「また振り回される予感がするんだが」
「今回に限ってはないかな」
「……つまり次回以降はあるわけか」
「いつものことじゃないか」
「ひっつくな、暑苦しい」
笑いながら肩を叩くラビにお湯をかけて追い払い、思い切り伸びをする。
「ふう……明後日はお祭り騒ぎか。こんな調子で乗り切れるのか?」
「まあ、正直今回ばかりはね。黒い御珠を越える厄災ともなると、どうなるかわからないけど」
「ちっとも不安はなさそうだな」
「コナちゃんがいて、メイがいて。ハルちゃんたちがいて……みんながいる。これでだめなら死ぬしかない」
「……そういう開き直り方はどうなんだ」
「まあまあ。ケセラセラ。なるようになれ、さ」
「……お前はいつ見ても気楽そうだな」
「それだけ、仲間に恵まれていると思っているだけさ」
「それについては同意見だ……先に上がるぞ」
「もう? 早くないかい?」
「我慢比べはあんまり好みじゃないからな。倒れないうちに止めてやれよ、副会長どの」
「はいはい。じゃあね、また明日」
「ああ」
さっと身体を洗って済ませる。
ドライヤーで髪を乾かしながら鏡を見た。
兄さんによく似て、若い頃の父さんによく似ている、と言われるたびに昔はよく憂鬱になったものだった。
けど母さんに似ているところを見つけたり、成長していくに連れて見慣れて、今では嫌な気持ちになることもないし、兄さんに対して思うところもない。
強いて言うならば、春灯のような……目に宿る特殊な力があれば、もう少し侍として戦いやすくなるんじゃないかというところだが。
まあ……今は手持ちの戦力で立ち向かうしかないからな。無い物ねだりはしないさ。
バスタオルを首に引っかけて出ようとしたら、大勢が湯船からばたばたと出てきた。真っ赤になって目を回している連中を手で扇いでいる。やれやれ……。
◆
お風呂から出て、マドカとトモに尻尾を乾かしてもらって、キラリに髪の毛を乾かしてもらう。
これを贅沢と呼ばずしてなんとよぼう。
「私、いままさにお姫さまなのでは」
「あほなこと言うな」
「いたたたたた! キラリ、握力! 握力が! 頭がわれちゃう!」
「たまに面倒みてやってるだけだ。調子にのるな」
「うう、すみません」
「……まあ、見かけたらこれくらいするけど」
キラリがぼそっというと、マドカとトモが笑うの。
「ほんと……つんだよね」
「尻尾の通り、猫そのまんま」
「あ?」
「「 こわいこわい 」」
仲良さそうにはしゃいでいる。
そのただ中にいて、私はただただ気持ちいいばかり。
「ふわ……天国」
「明後日はあんたにかかってるからな。風邪をひかれたら困る」
「はあい」
キラリの言葉に頷いて、何気なく鏡を見た。
金髪になって、丸顔は相変わらず。
あんまり好きじゃなかった。自分の顔。自信なんて、当然もてるはずもなくて。
キラリを見た。すっとしていて、目鼻だちもすっきりしていて、パーツのすべてが嫌味じゃなく、ただただ整っていて綺麗で完璧。
マドカだってそう。特にいつも笑っていそうな口元が素敵。トモだって、気の強く勝ち気に見える瞳の強さが素敵。
みんなみたいになりたい。けど……なれるわけがない。
私は私のまま、頑張るしかない。
化粧を少しずつ覚えて、知っていく。ちょっとくらい、かわいいを作れる。
自分の見せ方を試して、時にやり過ぎたりして。
好きな人ができて、その人が喜ぶ方向性を探ってみたりして。
だから好きな人が違う誰かを見たら、そしてその誰かが私には届かない何かを持っていたら、それだけで不安になるし絶望するし。
カナタはそういうつもりで見ていなくても、私は気が気じゃない瞬間がある。いつも聞いちゃう。そしてカナタはちっとも嫌に思わず、笑いながら教えてくれる。私がちっともいやじゃない理由を。
いつだって不安。自信なんてもてない。そんな私でも……人に見られる仕事をして。
左目に宿りかけている力はまだ、種でしかない。
この場にいるみんなに通用するものじゃないし、カナタにいつもきくわけじゃない。仕事先で出会う人に発動できず、右目ほどちっとも万能じゃない。それはきっと、自信を持てずにいるせい。
「みんな、自分の顔……好き?」
私の問いかけに、三人は顔を見合わせて、それから笑った。
「なかなかむつかしいよね」
「ないものねだりはしちゃうし」
「でもまあ……してもしょうがないし」
好きになるだけだ、と結論づける三人が好き。
私も……そういう風に生きていこうと思った。
鏡にうつる私たちは明後日、暗闇と戦う。
その孤独を癒やすために……出来る限りのことをする。
もしかしたら、この戦いは……自分を好きになる道を見つけるための戦いなのかもしれない。
ふと、私はそう思ったのだ――……。
つづく!




