第三百九十五話
翌日の夜、テレビ局にお邪魔した。
芸能会社の社長と二人で、城戸さんに会うために。
「マドカちゃん。私にしてくれたプレゼン通りにやって」
厳しい声だった。
「無理いって時間つくってもらったの。御願いね」
「……はい」
ハルがいない。キラリもいないし、先輩たちもいない。
手の中にあるのは企画書だけ。
並木先輩たちが大丈夫だと背中を押してくれた企画書だけ。
「いくよ」
社長がノックをする。そして中へ入る。
城戸さんがいた。社長が無理を言って作ってもらった時間帯に、けれどいたのは城戸さんだけじゃなかった。
私たちの番組に挑み、先輩たちの番組に挑んでくれる人たちがいた。
そして……もっと偉そうな、とびきり高そうなスーツを来た老人たちも。
社長がすかさずお辞儀をする。
「これは……田所局長。驚きました。ずいぶん手厚いご歓迎ですね」
あわてて続く。
「ああ、いいですよ。どうぞ、お座りになってください」
中でも渋いヒゲのおじさんが立ち上がり、私たちに着席を促してきた。
社長に目配せされて、椅子に戻る。
「先日の……邪、討伐でしたか。映像を見せていただきました。城戸が興奮して、乗り込んできましてね」
田所局長と呼ばれたヒゲのおじさんは、ゆっくりと腰掛けてから私を見つめてきた。
「いいじゃないですか。特殊効果いらず、スタントいらず。なのにどんなアクション映画よりも迫力のある……実にばかばかしくて面白い絵が撮れる」
まるで達観した目をしていた。霞でも食べていそうな、徳の高そうな人だ。
「なかなかない。それで? 今日は……無理をせずに使えるお話のようですが」
牽制球は、けれど鋭い。
しかも見つめられている時点で気づく。すべて見抜かれているような錯覚すら抱く。
迷っている暇はないし、隙を見せるべきでもない。
今日は、営業をしにきたのだから。
「山吹マドカと申します。今日はみなさんに、今度こそ使える映像を提供するべく企画をお持ちいたしました」
立ち上がって、企画書を手に取る。
まるで心得ているかのように、壁に展開されていたホワイトスクリーンに映し出された。
「名付けて、士道誠心演舞会。侍候補生と刀鍛冶による、普通の人間にはできないパフォーマンスのお披露目をします」
御願いしますというと、映像が切り替わる。
シオリ先輩に手伝ってもらって、いくつか映像をおさえておいた。
昨日の刀鍛冶の特訓や、キラリや春灯と戦った時の映像だ。
スタッフさんたちの目の色がいきなり本職のそれに変わる。
特にミツハ先輩の弓矢花火とキラリの星に変える技はわかりやすく目を引いていた。
「現象を具体的に説明しなければわからない、という懸念はあるかと存じますが……それよりもっと、今ご覧になっていただいたように見た目に派手なパフォーマンスをお見せすることを約束します」
パソコンを操作している人に目配せして、ページを切りかえてもらう。
「概要は簡単に申しますと、明坂29のライブに合わせて、その背後に迫る巨大な闇を士道誠心のお祭り騒ぎではね除ける……というものです。明坂側の許諾は既にいただいています」
根回しは十分済んでいる。
シオリ先輩を通じてコンタクトを取り、許諾は得ていた。
だからこそ、攻める。
「準備はしています。手抜かりなく……窮地の演出もできますし、それこそ一時間から二時間程度の催しによるドラマチックな物語も提供できるかと思います」
少しリズムを変えたくて、息を吸いこんで、吐き出した。
「すべては使えないかもしれません。けれど、編集すれば……欲を言えば一時間、少なくとも三十分は使える映像をご提供できるかと存じます。それでも足りなければ」
握り拳を作り、太ももをノックする。
「シナリオを作れる方と協議しながら、練り上げていくことも視野に入れてできれば幸いです。きっと……いえ、間違いなく、三つの番組を打ち出すための起爆剤になる映像が撮れるはずです」
田所局長に視線を向けた。
「きっと先日、城戸さんたちが目にした映像よりもインパクトの強い映像になります。どうか……お力添えをいただけないでしょうか」
よろしく御願いします、と頭を下げる。
――……やりきった。あとはもう、相手の判断だ。
「なるほど。城戸ちゃん……きみの意見は?」
恐る恐る顔を上げると、いつもぎらぎらしている城戸さんは姿勢を正し、けれどかなり前のめりになって田所局長を見つめていた。
「私の気持ちは既に局長もご存じかと」
「……若者を素材にするのは、どうもね」
「むしろ、現代の若者を呼び込む起爆剤になるかもしれません」
「……責任だよ?」
「わかっています。こちらの企画に合わせて……実はもう一本、考えてあるんです」
え。なにそれ。聞いてない。
あわてる私の背を社長が叩いた。落ち着け、と目が訴えてくる。
「異常事態とも言うべき勢いで、青澄春灯に注目が集まっています。八十年代の黄金期のような過熱ぶりです」
生まれてないからわからないぞ。その年代。
「彼女の士道誠心に入ってからの軌跡をドラマにしてみたいと考えています」
聞いてないぞ! きっとハルも知らないはずだ。
「……ドラマを体現する少女と、彼女のいる学校の関係者による番組展開。露出が一気に増えるっていうことは、それだけ一気に浸透するっていうことだよ?」
「士道誠心をブランド化する、という事務所の意向に添い、帝都でも本気で推していきます」
「社長がいる前で言うのもなんだけど、あんまり密にやると叩かれちゃうよ。右から習えだ、とか。権力がどうこうとか。他社さんとの関係もあるんだからさ」
「もちろん拘束はしません。妙な契約も交わしません。ですが……言い方はなんですが、最初に地上波の局で目を付けた我々だからこそ、逃すべきではないと考えます」
「ふむ……」
深呼吸をする局長。悩むはずだ。かなり大勢の人生を左右する決断だから。
慎重でいてくれる方がむしろ安心する。
「山吹さん。君はどう思う? 青澄春灯主演のドラマ」
「え、と」
てんぱる。頭なんて真っ白だ。だけど、城戸さんから伝わってくる。なんとかしてくれ、という無茶だけど切実な願い。
「青澄の人生は……特に、士道誠心学院高等部に入ってからは、激動の連続でした。それはきっと、普通の学生では過ごせない日常に違いなく、映像化してみるのも一つの手かもしれません」
「……なるほど。わかりました」
局長は微笑み、城戸さんを見た。
「城戸ちゃん。急な横やりは困るなあ」
「だめですか?」
「――……まあ。前に見せてもらったプロフィールは、結構きにいってるよ」
「では?」
「ドラマについては青澄っていう子と直接あっておきたいな。そのうえで……すべてを決めよう」
「ですが局長、明坂のライブは今週ですよ」
「明日、青澄さんは捕まらないかな」
社長がすかさず答えた。
「うちの青澄なら、いつでもいけます」
「それはなにより。じゃあ……城戸ちゃん。いつでも動ける体で、出来る限りのことをしてちょうだい」
「かしこまりました」
「最終的な判断は明日ということで、今日は終わりにしよう」
……保留か。まあ、仕方ない。すぐ即決されるよりは、本腰を入れて悩んで、そのうえで決めて欲しいから仕方ない。
「山吹さん。面白い話だった。きみには……いい力があるのかもしれない。城戸ちゃん、面倒みてやってよ」
「はい」
「それでは失礼します」
立ち上がる局長にすかさず社長が立ち上がって頭を下げた。
社長がお礼を言うのを皮切りに、みなさんが社長に挨拶をして出て行く。
最後、城戸さんが私の肩を叩いた。
「頼りになる。君はむしろ、こっち側の人間かもね」
「え……」
「じゃあ」
立ち去っていく背中を見送って、ぼうっと突っ立っていたら社長に顔の前で手を振られた。
はっとする私に社長が微笑む。
「がんばったね」
「……私、うまくやれましたか?」
「アピールできた。相手の印象と繋げて、こちらの要望を伝えられた。上々だね。特に……高校一年生としては、望外の結果だ。誇っていい」
全力で褒められるなんて思わなかった。
「タクシーを捕まえよう。寮までそれで帰りなさい」
社長もまた、私の肩を叩いて笑いながら歩き始める。
その背中を追いかけながら、遅れて私の心が高揚していく。
ドラマだって。ドラマだって!
ハル。どこまで進んでいくね。私たちの人生は……どこまでも、進んでいくに違いないよ。
光。私の胸の内から見ていてよ。きっと、並みじゃない高校生活をもっともっと進んでいくからさ!
◆
ミコさんが見に来たの。明坂の子たちを連れて。
スタジオで、私はマイクを前に歌っていた。
ミコさんや明坂に捧げる歌を。
最後のフレーズを歌いきって、演奏が終わる。
生音じゃない。トシさんたちも、ツバキちゃんもみんな、ブースの外にいて、明坂の人たちを見つめている。
どきどきしながらヘッドフォンに耳を澄ませた。
『明坂さん、いかがですか? 必要であれば、何度でも歌わせますが』
ナチュさん! 何度でもって!
『――……お姉さま? お姉さま……はあ。えと。じゃあまず出てきていただいて、』
『いえ。もう一度。もう一度聞きたい。ううん、むしろ何度でも聞いていたい』
『あの。彼女もプロの歌手なので。お姉さま、そういうのはちょっと……』
『でも何度も聞いていたいの!』
『わがままを仰らないでください。あ、結構ですから出てきてもらってください』
『ミユ~!』
賑やかだなあ。
『春灯、でてこい』
「はあい」
ヘッドフォンを外して置いて、そっと扉を開くとミコさんが飛びついてきた。
「春灯! 正直まじで惚れた! 最初に聞いたときは正直ないわあって頭抱えていたけど」
「きついね」
ナチュさんの呟きなんて関係なく、ミコさんがまくし立てる。
「トシさんたちの才能に押されているだけじゃない! 歌詞もメロディーもこりゃあいけるわ! こんなんもらっちゃっていいのかってレベル! むしろ春灯ごともらいたい!」
「ちょっと、お姉さま。問題発言は勘弁してください。離れて……離れて!」
あわてて受け止めるし、ミユさんが鬼の形相でミコさんを引きはがす。
「お姉さま、テンションあげあげだなあ」
「曲いいんだから、早く練習したいっすわー」
「……明日の予定もあるし。ダンス頭から抜けるのまじ勘弁……はよう」
にやにやしながら見ている人もいれば、興味なさそうにスマホを弄っている人もいる。
明坂、いろんな人たちがいるなあ。二十九人もいれば当然か。
「いかがですか? 調整が必要であれば仰ってください」
ナチュさんの笑顔に浮かぶクマと「けど文句いったら殺す」という迫力といったらない。
対してミコさんが蕩け顔で私にエアキス何度もしながら、ミユさんの腕の中でばたばた暴れる。
「はるひー。はるひー!」
「じゃあ、もう、これでいいんで。グループの歌詞振りとか少し詰めたいんですが――」
「はるひいいいいい!」
「ちょっと。誰か、お姉さまを外へ」
猛烈なアピールをするミコさんにうんざりするナンバーツー。対して、
「いやーむりむり。怪力だし」
「めんどいんでやだなあ」
「……ダンス以外に身体つかいたくない」
みなさん結構つめたい!
「あ、じゃあ……私が出てましょうか?」
「……いえ。あなたがいてくれないと、歌の調整で困るので。仕方ない。少々お時間をください。すぐにもどってきますから」
「はぁるひぃ!」
ぐいぐいミコさんを引っ張って、ミユさんが出て行く。
扉が閉じて、だいたい三分もしない頃に戻ってきた。
吸血鬼の顔色が露骨に悪くなって、その眷属の顔がつやつやになっている。
いったい何をしたんだろう。
きっとトシさんたちもみんなそう思ったに違いなく、しかし口に出せる猛者はいなかった。
明坂のみなさんにとっても見慣れた光景なのか、誰も疑問を口にしない。
「じゃあ、仕事の話をしましょうか」
にっこり笑顔のミユさんの腕の中で、どんよりしているミコさん。
だ、だいじょうぶなのかなあ。
「振り分けは済んでいるので、仮歌をお渡ししてあとは練習していただく形で……まずは聞いていただいた方がよろしいですよね」
カックンさんがそう切り出すと、髪をかき上げてミユさんが微笑んだ。
「いえ。時間が惜しいのでマイクのセットをしていただけますか?」
「は……?」
「耳はいいので。みんな、お姉さまの名前を汚したりしないわよね?」
うーい、とやる気のない女子アイドルの声が重なる。
「じゃ、じゃあ……まあ、すぐに用意します」
エンジニアたちがぞろぞろと中に入って準備をして、明坂の人たちが入っていく。
四つの部隊に分かれての入場。
それぞれがそれぞれのパートを歌うのだけど――……
「嘘だろ……」
カックンさんがうちひしがれた声を出した。
私も正直、身震いがしたの。
四つともに、音程はぞっとするほど正確で、なのに機械的じゃなくて私が歌ったニュアンスを完全に再現して、そのうえでナチュさんに指導されて尚だせなかった域まで歌いきっていたの。
上手いなんてものじゃない。
「噂には聞いていたけど、こりゃあ痺れるなあ。ね、トシさん」
「ナチュ、俺に振るなよ……けどまあ。普段はおさえてんのがようくわかるな」
渋い声を出してブースの中を見つめる。
最初に入って歌い終えたミコさんが笑った。
「あんまりうまくすると……かわいげがなくて愛せないでしょう?」
「その発言ながしたら、それこそファンが減るんじゃねえのか?」
「あなたたちはプロ。それも……他人を蹴落とすタイプじゃない。そんな暇があったら、自分の道を邁進するタイプ。春灯のアルバムを聞いて、それがようくわかった」
ミコさんの言葉にトシさんが舌打ちをして、ナチュさんは笑いながら黙った。
「要求があるなら容赦なくちょうだい。これは……明坂にとって大事な曲になる。明坂が歌ってこそ、意味のある曲になる……だからこそ、春灯に出せないノリを山ほどいれたんでしょ?」
ナチュさんとカックンさんが肩を揺らした。
口元が笑っているけど、目は笑っていない。
「じゃあ……」
「まあ……」
あ、火が付いた。
歌が終わる。中に入った明坂の四つ目のグループがこちらを見つめてきた。
ナチュさんがマイクのスイッチを入れる。
笑みを深めてドSがアイドルに指示を出し始める――……。
◆
寮のお部屋のベッドに前のめりに倒れた私の背中を、カナタがそっと揉みほぐす。
「それで? 明坂の実力は?」
「完敗でした……実力って、他人の要求に応えて初めて証明されるのですね……」
「妙に具体的に落ち込んでいるな」
「いたたたたた」
腰のツボをぐいっと押されて悲鳴をあげる私です。
「だってさー。ナチュさんやカックンさん、おまけにトシさんだけじゃなくツバキちゃんまであれこれいったけど、全部期待を越えてくるんだよ? ……あんなの、化け物だよ」
「だからアイドル、の」
「いたたた」
「第一線で」
「いたい!」
「活躍してるんじゃあないのか……よし!」
「はふう」
指の力が弱まって、身体中に血が廻ってくるような気がしてくる。
冷え気味な身体に熱を感じてほっとする。
「私がメロディーラインとか歌詞を作ったのに、もう明坂の歌になっちゃったあ……」
「そのための歌だったんだろう?」
カナタの指が首筋のツボに当たる。
ぐいいっと力が入って、目元に痛みを感じた。きく……。
「んー。まあねえ。ミコさんが特に気に入ってくれたみたいでさ。権利関係きつくしないで、うちで出してもいいって言ってくれたんだけど」
「不満なのか?」
「今だしても……明坂の下になるクオリティーにしか仕上がらないのが目に見えてるの。トシさんやナチュさんが、やめとけって。私もそれが無難だなあって思うし」
「……やっぱり不満なんだな」
「そりゃあね。カックンさんとツバキちゃんが特に言うの。私にしか出せない味があるはずだって」
カナタの指の力が弱まったから、ため息を吐いて寝返りを打った。
腰元に手を伸ばして、ワイシャツの裾を摘まむ。
「どうした?」
「……トシさんに言われたの。自分の味が見つからない内は、ごねても意味がないって」
「それで反論できないのが悔しかったのか」
「……だってさ。そうそう自分の味なんてわからないよ」
ため息さいきん多いよね。
堪えて、だけど引っ張る。カナタがそっと私に覆い被さる。
「あまあまに浸っても……わからないんじゃないか?」
「甘やかして欲しいときくらい、誰にだってありますー」
「でも……自分の足で立たなきゃいけない時だって、誰にでもあるだろう?」
「むう。厳しい」
「……割と疑問だった」
「ん?」
私の腰の裏に手を入れて隣に寝そべると、カナタは口ずさんだ。
私の歌のフレーズだ。
日に日にいろんな情報が入ってくるから、どの曲がより人気を集めているのかもわかる。
渋谷でお披露目した最初のゲリラライブの曲が一番いい。
アルバムの楽曲も評判はいいけれど、やっぱり一番最初の曲が一番受けている。
カナタが口ずさんでいるのも、まさにそれ。
曲名はレゾンデートル。日本語にするか横文字にするかさんざん話し合って、フランス語に落ち着いた。存在意義。トシさんがつけた英語の歌詞は過激。
えっちなこともするし、相手と触れ合いながら自分のことを探っていくという、そんな歌詞。
ひとりぼっちじゃわからない。だから身体を打ってでも知りたい。自分のこと。運命。世界。すべて。
教えて。そのためならなんでもする。魂だって売り払う。生きる方法を教えて。なんだってベットする。私が欲しいなら、あなたのすべてを捧げて教えて。
さあ。さあ。
そう求める歌詞だ。
カナタの鼻歌を聴きながら、肩口に頭をのせて深呼吸する。
トシさんの歌詞は最高だと思う。つけてくれた曲も大好きだ。けど……この歌詞を私が歌う意味を、私はまだ見いだせていない。きっとそれがトシさんには不満だし、ナチュさんは合格ラインにたどり着けていない理由だと思っているに違いない。
ぼんやり考えていたら、鼻歌はいつしか終わっていた。
「この歌詞、戦う春灯みたいだな」
「……まあ。切り刻むようなギターとか、鼓動を殴りつけるようなベースとか。騒がずにはいられないドラムとか……歌詞と一緒で攻めてるからね」
「いや……春灯の歌い方がさ」
どうかなあ、と呟く。
口ずさんでみた。英語の歌詞はいつも舌が滑りそうになる。
トシさんには聞かせられないなあって思いながら、ずっと考えていた歌詞に変えちゃう。
「きらいきらい。なんにもわからない。愛してくれとはいわないけれど、私に真実を教えてよ」
身体を起こして、カナタの腰の上に跨がる。
「すきだすきだというけれど、あなたのきもちがみえないの」
ネクタイに指を這わせて。
「キスをして。抱き締めて。貫いてみせて。私の殻は、あなたには壊せない」
ぎゅっと握りしめる。
「思い出すのはいつでも退屈な今。塗りかえたいの。救いをいつでも求めてる」
引っ張りたい。
「言わせて」
囁いてから。
「嫌いよ嫌い、あなた大嫌い。つらいことばかり求めるすべてが大嫌い」
歌うのは。
「知りたいのはただ、どう生きるか。あなたのしたいことで、私のすべてを照らしてよ」
自分勝手だけど素直な気持ち。
「嫌いよ嫌い、みんな大嫌い。だから教えてよ。すべてあげる。だからあなたもすべてちょうだい」
顔を近づける。カナタを見ていると、左目が疼くの。
「つらくてたまらないの。さあ――……私を奪ってよ」
ずきり、と疼いて震えた時だった。カナタが私を強く抱き締めたの。
そして寝返りを打って私を押し倒した。
「か、カナタ……?」
「すまん、お前の左目――……だめだ」
「え――……」
「我慢できそうにない――……」
気がついたら唇を奪われていた。
今までにないほど情熱的に、伸びてきた粘膜と触れ合う。
手が伸びて、それは切実に私を抱き締めるものだった。
な、なに? なにが起きたの?
嫌って言うほど左目が疼く。そして、視線があうたびにカナタの熱が増していくの。
『老婆心ながら……誰が老婆じゃ!』
た、タマちゃん?
『とにかく忠告じゃ。十兵衞と共に野暮はせん。野暮はせんから、左目は閉じておけ』
なんで?
『ようやっと……己の歌を切っ掛けに妾の力を引き出しよった。十兵衞だけでなく……魅了の魔眼じゃな。人をかどわかす。気をつけて使え』
そ、そんな、急に言われても!
『じゃあ、よい夜を。あとは避妊しておけよ?』
わ、わかってるってば! もう、タマちゃんまでお母さんみたいなこと言わないでよ!
「ハル――……ハル!」
猛烈に求められる。
けれどカナタは私を強く抱き締めて、何度も深呼吸をするの。
「カナ……タ?」
「――……衝動、任せ、なんていうのは……あんまり、好きじゃ、ない」
思わず目を見開いた。
「……お前を、抱くのは」
耳元で囁く声におかしな熱情はなく。
「愛情で。それが俺の願いだ」
いつもの優しくて穏やかな声に戻っていくの。
「……お前を傷つけたら、冬音が怒るしな」
「む。お姉ちゃん切っ掛け?」
「あくまで理由の一つだ。それはそれとして」
そばにあるカナタの目を見つめる。唇の先が擦れ合う距離感で、カナタが甘く口づけてくれた。
「……たまには俺からしても?」
「むしろ望むところですよ?」
「一度とまると、進み方に困るな」
「……えと。電気、消す?」
「……むしろシャワー入ってくるか?」
「え。私におう?」
「むしろお互い、帰ってきてお風呂もまだなわけで」
「おう……」
我に返った。けどそれで日常に戻っちゃうのも寂しい。
「ユニットバス、あってよかったね」
「……また洗い合いか? 好きだな、それ」
「カナタの身体さわるの好きだよ?」
「俺は戸惑う。さわっていいのか」
「……その戸惑いが実にいい感じなので」
「頬を染めて微妙な発言をするな」
渋い顔をされちゃいました。しょんぼり。
「まあ、俺も……好きだけどな」
「……あのう。一緒に尻尾の手入れをするのは、今日はちょっと控えていただいて」
「今日くらいはな。たまには俺も……その」
お。お?
「カナタも前のめり?」
「ムードがないぞ、それだと」
「うっぷす」
呟いて、それから笑う。
「じゃあ……あまあまだ! いこういこう」
「すっかり元気が出たようだな?」
「うん! ……うん」
頷いて、思い返してみたら……浮かんできた。
「それは後回し。いこ?」
カナタと一緒にユニットバスに移動する。
その間に二人で服を脱がしあっていく。
たっぷり過ごすんだ。いま思いついたことは後にするの。
大好きな人との時間を満喫しないと――……乗り越えられる気がしないんだ。
ユウジンくんが身体を張ってくれた。
士道誠心のみんなが頑張っている。
やらなきゃ。気ばかり急く。そんな瞬間ほど、まずは立ち止まって我に返りたい。
ユニットバスに入って自分を見た。左目にちらついてみえる。淡い光。
いろんな力を手に入れていく。けど、それらすべて……答えをくれるわけじゃない。
自分で出すものだ。
カナタに引き寄せられる私の横顔は、我ながらとても幸せそうなものだった。
◆
ベッドに一緒に寝転がって、カナタはすやすや寝ちゃっている。
お姉ちゃんの御霊を宿してからのカナタは、そりゃあもう……その。すごいんですよ。
具体的には言えないんですけど。体力なしみたいに言われた時代はもう過去のものですよ。
えへー。
タマちゃんのツッコミないと、ただただ緩むばかりですね。いけないいけない。
スマホを出して音楽配信アプリを立ち上げる。
アルバムを表示してみれば、やっぱりゲリラライブの曲が一番売れている。
感想なんかものっているんだ。
いろんなサイトの感想を眺めた。エゴサーチだってしてみる。
前はつらくてしんどくて、無視を心がけていた。
けど……素直に見てみる。
心が痛む悪口はスルーして。素直な感想を拾っていく。
だけどそういう感想より、ゲリラライブの記事とか、そういうサイトに寄せられるコメントなんかよりもずっと、呟きアプリで私のことをたくさん呟いてくれている子たちの方が何気なくて素直だった。
あの……生放送音楽番組に私に会いに来てくれた子のアカウントを見つけたの。
呟いていたよ。
『いきてると、嫌いなことが多い。やなことばっかりだし。親も、友達未満のクラスメイトも……みんな嫌い』
『そう思っちゃう自分が一番嫌い』
『だから……それを言ってくれる春灯ちゃんが、好き』
『私でも、生きていていいんだなって……思うの』
フォローしている人も、フォロワーさんも少ない。
写真に写る女の子の顔は可愛くて、私の音楽番組の後の自撮りとか……私のアルバムを買ってくれた時の写真とか。
『歌声が強いの、いいなあって……聞くたび元気をもらえる』
『強いなあ。強いなあ。こんな風になりたいなあ』
ツバキちゃんとはまた違う……ファン。
どれほど惹きつけられるか、好きでいてもらえるか……わからないし、この子の自由。
だけどね。私を見てくれる限り、精一杯照らすからね。
輝き照らす。そうして……私なりに世界と戦うためにある。
ひとりじゃないよ。
どんどん私の金色を奪っていって。そして私に教えて。あなたたちの世界を。すべてを。
もっともっと輝くから。照らしてみせるから。
「――春灯」
囁いて、カナタの手が私の素肌を撫でる。
「ん?」
スマホの画面をロックして、ベッドの上に戻して寝返りを打った。
「今は俺だけのもの」
「……珍しく嫉妬してるの?」
「歌手、青澄春灯も好きだけど。俺の腕の中にいるときは、侍の青澄春灯であり……人間の青澄春灯だ」
「……どの私も私だし、カナタが誰より特別だよ?」
「……ああ」
私を抱き締めて、カナタが囁いた。
「守るからな」
「――……カナタ」
「絶対に守るから。当日は胸を張って仕事をしてくれ」
「……ん」
お互いにキスをした。
まだまだ夜は続いていく。
決戦に向かって、どんどん近づいていく。
けれど、どれほど強大な敵が来ようと私たちは乗り越えていくんだ。当たり前に。
あとは――……さあ、どうやって乗り越える?
つづく!




