第三百九十三話
ラビの背中に抱きついて、高速道路を移動しながら考える。
いったいどれほどの猶予があるのか、まず調べるべきだ。
ビルを出てすぐ情報共有を行なってみると、あのアメリカ人が災害を起こす気配が濃厚じゃないか。
「因果は巡るね、カナタ!」
どうやって兎の耳をしまっているのか、ラビがヘルメット越しに叫んでくる。
巡るというのなら、できれば良縁だけにしたいものだが……厄介な片思いだ。
「ふぅうううう!」
加速する。いやに上機嫌だ。
「ラビ! 安全運転で!」
「世界を殺す悪意が敵! いやあ、楽しくなってきたね! たんなる邪よりよっぽど胸が熱くなる!」
「わかった! わかったから!」
併走してくるユリアの単車に視線を向けた。髪をアップにしてヘルメットをかぶっているユリアの格好良さは尋常じゃない。不謹慎なことを言うのなら、彼女のタンデムには夢がありそうだ。とはいえ、
「はやいはやいはやいはやい! ちょっと!!」
ユリアに抱きついている並木さんの心境は察して余りある。
運転手は慣れているのかもしれないが、同乗者は怖くてたまらないわけで。
「兄さん! シュウに知らせる!?」
「止めないってことは、お好きにどうぞってことだ!」
「わかった!」
大声で話し合う二人に並木さんが叫ぶ。
「せめて止まっている間にして!」
……同感だ。
◆
いいなあ、あれ、とリョータが呟いて、視線を前に向けた。
助手席の後ろから前を見ると、ラビ先輩とユリア先輩が運転する大型二輪が車線を隔てて併走していたのだ。
「バイク、かっこいいなあ」
「そういやリョータは日曜朝の特撮が好きだったっけな」
ミナトが気のない声を出す中、後ろにいるトラジは前のめりだ。
「たまらねえよなあ……」
「……こわ、そう」
「お前をケツに乗せて怖い思いなんかさせるかよ」
コマチに甘いことを言うトラジにミナトとリョータがはやしたてる。
やれやれ……そんなことよりも。
「ユニス……連中のところに行って、事態の把握をした方がいいんじゃないか? 暗闇とかってのが来るんなら、それがいつか調べた方がいい」
「わかってる。寮に戻ったら行動する」
「……みんな、いっしょ」
「……そうしてもらえると助かるわ」
馴染む私たちに運転していた爽やかなお兄さんが笑った。
「あははは……一年十組、いいね。僕らの昔を思い出す。卒業するのが寂しくなるなあ」
「あの……?」
「ジロウだ。響ジロウ。刀鍛冶の三年生」
フロントミラー越しに視線を向けられた。
激しかったり強い男子が比較的多い士道誠心の中でもとびきり優しい目をしていた。
「今の生徒会がいて、メイたちがいて……君たちがいるなら、乗り越えられるよ。きっと」
目だけじゃない。声がすごく甘い。
ユニスの身体の緊張が少し和らいだ。ジロウ先輩にはなんか徳の高いオーラのようなものがあるのかもしれない。私たちの気持ちはつられて緩むのかもしれない。
「だいじょ、ぶ」
コマチの声にユニスが頷いた。
膝の上にある本を撫でている。表紙に一瞬だけ文字が光を帯びて浮かび上がったような気がした。
「まずは敵を知ることからね。待っている時間が惜しい。十組、隔離世へ移動後、アリスを回収して直ちに調査にいくわよ」
魔法使いの囁きに笑う。
私たちをめちゃくちゃにした、あの男が敵だろうと構うものか。
どれほど強大になろうと、私たちは乗り越えてきた。
今度も同じだ。
さあ、ゴングが鳴るまでいったいどれほどの時間がある――……?
◆
学生寮の食堂でみんなのくれるご飯を食べていたの。
なんとなんと、超特級きつねうどん!
タツくんが打ったうどん麺、お揚げさんの出汁は最高、おつゆも文句なし!
至福の顔で食べる私の横で、九組のみんなやうどん作りに関わったみんながうどんをじゅるじゅる啜っていた時でした。
「邪魔するぞ!」
そう叫んで、カナタたちが戻ってきたの。
キラリたちを抱きかかえて、椅子に座らせる。
十組のメンバーはみんな眠っているみたい。
メイ先輩とコナちゃん先輩が緊張した顔で向かい合わせに座るし、ユウヤ先輩がテーブルに大きな白紙を手際よく並べていく。
なんだろう。何が始まるんだろう。
「食べてる場合じゃなさそうだね」
マドカが呟いて、一気にうどんを書き込んだ。火傷しちゃうよ!
はらはらする私のまわりでごはんを食べている人みんなが続く。
大勢の生徒たちがばたばたと学食に集まってきた。
まるで生徒全員が集められているかのよう。
その中心に立って、メイ先輩がきょろきょろ見渡して、私の姿を見つけた。
「ハルちゃん! うどん、早く食べてこっちへ!」
「う゛ぁい!」
あわてて返事をして、残ったおうどんを食べる。あつい! げきあつだ! 火傷しちゃう!
……って、やっている場合じゃないね。
いそいそと近づく。
見渡してみると、そうそうたる顔振りだった。
生徒会メンバーが右手にいて、メイ先輩たち三年生の重鎮メンバーが左手にいる。
周囲には私たち一年生はもちろん、二年生も三年生も大勢いた。
「緊急招集に応じてくれてありがとう」
舵を最初に握ったのはメイ先輩だった。
「実は来週、明坂29っていうアイドルがライブをやるの。ハルちゃんが歌を提供して、それはもう盛り上がるみたい。キラリちゃんとマドカちゃんも何かやらされるんだって?」
「あ、え、えと。後ろで雑用か、それともーみたいな話はざっくりと」
マドカが慌てて答えると、メイ先輩は微笑んだ。
「ハルちゃんが有名になるに連れて、ハルちゃんを狙う邪が増えている。アイドルのイベントに出ようものなら、邪はさらに増殖しそう」
え。そうなの?
「おまけにハルちゃんを狙って、災害レベルの化け物が襲ってくるんだそうです。まあ……ね。わかる。なにいきなり怪物がくる流れが来てるんだ、と。こちとら学生生活だけじゃなく、なにやら芸能生活まではじまりそうだ、と。忙しいんじゃ、われ、と。そういう気持ちになっても無理はない」
……あ、あの。もしかして、もしかしなくても。
「私が概ね悪いのでは?」
「ハルちゃん、なにをいっているの?」
ルルコ先輩の笑顔の圧! 思わず怯んで黙る私にルルコ先輩は仰いました。
「悪いことする奴が全面的に悪い! 今回においては化け物が悪い! 以上、終わり!」
「そ、そんなんでいいんです?」
「じゃないと邪の相手なんていちいちしてられないでしょ」
も、元も子もないような!
「暗闇はただ立ち向かうだけじゃだめみたい。けど……災厄を知る吸血鬼は言った。私たちならどうにかできるかもしれないと」
考えてみましょう。そう言ってから、メイ先輩は私を見つめた。
「いつまでも春灯防衛シフトを敷いているのも、ハルちゃんにとっても、守っているみんなにとっても大変だし。これを機に、ぶっ飛ばしてみせようじゃない」
眩しい笑顔に感じ入っていると、コナちゃん先輩が咳払いをした。
「こちらにはもう……手札が揃っている。そういうニュアンスで話をされたのだけど。山吹、天使……青澄。三名が鍵みたい」
名前を呼ばれてびっくりするよね。マドカも目を見開いているよ。
「いずれにせよ、脅威が見えてこないと行動に移しようがない。そういうわけで、一年十組に偵察してもらってきているのだけど……そうなんですよね? ジロウ先輩」
「ああ」
コナちゃん先輩の呼びかけに三年生の優しそうなお兄さんが頷いたの。
「それじゃあ……キラリたちが戻ってきたら?」
私の問いかけに、コナちゃん先輩がハリセンを掲げた。
「ええ。久々にでかい戦、その準備に入るわよ」
勝つ気満々の笑みを浮かべた我らが生徒会長の武器が燦然と輝くのだった。
◆
ユニスの箒を追いかけて、星を出して駆けていく。私の星に乗っかって、十組一同がついてくる。しかしその旅もそろそろ終わりのようだ。ユニスが急制動をかけた。
眼下を見下ろす。暗闇の日本海。遠くには朝鮮半島があるはず。
どれだけ力を振り絞っても、海を越えるほどの速度は出ない。いま力尽きたらどうなるか考えると、割と本気でぞっとする。
「夜の海ってのは、不気味なもんだな」
隣に立って、ミナトが周囲を見渡した。
「飛行機が突っ込んできて衝突死、なんていうのはごめんだな」
「トラジ……それを言っちゃうと」
コマチとアリスを肩に担いだトラジが渋い顔で愚痴るから、リョータも顔が引きつっている。
やれやれ……。
「ユニス! 何か見つかったのか!」
大声で呼びかけると、箒に跨がった魔女が近づいてきた。
「確かに何かを感じるのだけど、暗すぎるわね……」
でた。でたでた。
「安定のぽんこつ魔女」
「見るんじゃない、感じるんだ」
「勢いに任せて出てきたはいいけど確認方法はずさんとか」
「俺たち最近、こんなんばっかりじゃねえ?」
みんなの不満にユニスが慌て始めたときだった。
「……うん。うん。なるほどねえ。あれは黄泉から来たものなんですねえ」
「アリス?」
「それじゃあアリスががんばらないと、しょうがないから。お披露目といきましょうかね」
トラジの肩からぴょんと飛び降りていく。
私の星すら飛び越えて、ぐんぐん落ちていった。
「ちょ!」
「あのばか!」
あわてて後を追いかけようとした、まさにその時だった。
「黄泉路の奥底より――」
アリスが何かを叫んでいる。
「兄であり夫に逃げられ――」
小さな身体がぼんやりと赤く煌めきだす。
「けれど死を司り、生を促す我が名は――」
くるくる回転して、己の胸から引き抜いた。見たこともない刀を。
「イザナミ! 死を誘うその姿を我が前に現せ!」
振り下ろす。赤い軌跡が宵闇の底にある海へと伸びて――……不意に弾けた。
浮かび上がってくる。赤く燃えながら、視界いっぱいに広がっていくのだ。
なんとか追いついてアリスを抱き留めて急制動を駆ける。そして全力で元の高さに逃げ延びる。
本能的な恐怖を抱いた。
見下ろす限り、海が広がっていて、それは遠く離れた大地に届くまで続いているはずだった。
なのにどうだ。見渡す限り、赤く燃える土が広がっている。
大陸のような生き物。脈動して、あちこちに穴を開けては、そこから小さな小さな……春灯に群がるあの邪を吐き出していく。
私たちに構いもしない。ただただ一途に目指している。日本の大地、東京都……春灯の元へ。
進みは鈍い。けれど明らかに近づいている。それだけじゃない。感覚が鈍いのか、それでも己を包む炎が煩わしいのか、大きく震え上がって加速していく。
「おー。危ないですねえ」
「あのな……いや、いい。なにしれっと刀を抜いているんだ、とか思っているけど、いいさ」
アリスを両腕に抱いて、顔が引きつる。
「な、なあ……ユニス。あんなの、どうするんだ?」
「わ、私に聞かないでよ……」
ユニスもぱっと答えが出ないようだ。
「……たんなる邪って時限を遥かに超えてんなあ」
「トラジ……同感だわ。つうか、おい。アリスがつけた火が消えてくぞ」
ミナトに言われて周囲を見渡した。
海の音が一層強くなって、眼下の炎が消えていく。潜っているのだろうか。
「斬るとか……焼く、とか。したら、だめかな」
「コマチ、そうはいうけどよ。この手の怪異は根本を断つか、全部を焼き払う攻撃を放つかしか手はねえだろ」
ミナトの言葉にぴんときた。
「なあユニス。あのアメリカ人は? あいつどうにかしたら、この泥は消せるんじゃないか?」
「――……あっ」
ユニスがあわてて本を開き、空に手をかざす。
星空を背にした暗闇に映像が浮かび上がってきた。
こないだみたあの牢獄の中。相変わらず黒人の青年が座禅を組んでいる。
けど、向かい側は――……魔女達が集まっていた。
いるはずだった。鎖に繋がれて、いつもみたいに笑って……大勢を困らせるあの男が。
「――……なに、これ」
けど……鎖に繋がれているのは、もはや人とは呼べない何かだった。
枯れ木のようにやせ細り、肌が不気味に変色している。
「……でがらし?」
言い得て妙だった。
「自分に過ぎた満たされない願いを吐き出しすぎて……心が死んでいく」
アリスの言葉にぞっとする。どんなに気持ちを傾けても願わない時、人の心はどうなるのだろうか。その結論の一つが、ユニスが映し出すこの映像なのかもしれない……。
「現世の彼も絶望的ね……さあ、どうする?」
魔女が強ばった声で己の剣士に尋ねた。
「核は失われた。なのに……暗闇は確かに近づいてくる。そう長くはもたないわよ」
アリスを抱き締めながら、胸一杯に吸いこむ。
夜空には驚くほどの星が瞬いているのに、見下ろす泥に星は一つも見えなかった――……。
◆
現世に戻ってきたキラリたちが事情を伝えてくれた。
ユニスさんが見せてくれた暗闇や、あの男の映像はあまりに痛かったよ。
メイ先輩たちが集まって、ああでもないこうでもないと話をしている。
星蘭のみんなに力を借りなきゃ始まらないって話になったし、警察と連携しないと始まらないってことにもなった。
泥が津波のように押し寄せてくる。怪異というより、もはや災害だ。
「――霊子体を飲み込んでいく。中国とか韓国とか、西の方で異常は起きていないのか?」
「原因不明ながら意識を失うこともあるという調査結果が――」
カナタとシオリ先輩が話しているのを横目に、私はユニスさんが見せてくれた映像をずっと見つめていた。
大勢を飲み込んで、そんなに私を求めて……いったい何がしたかったの?
あなたの気持ちが一つもわからない。わからないよ。
「――……話してみなきゃ、わからないよ」
呟いてみたら、はっとしちゃった。
そうだ。
話してみなきゃ、わからないんだ。
嫌がってた。遠ざけていた。ずっと理解できないって……それを考えるのも嫌で、みんなに御願いして、それで終わりにしていた。
だけど……そうだよね。
「話してみなきゃ、わからないよね……」
ちりん、と鈴が鳴ったような気がして顔をあげると、あのちっちゃな子がこちらを見ていた。
アリスちゃんだ。一年十組の不思議な不思議な女の子。
微笑んでいる。手招きをしてくる。
立ち上がって近づくと、くりくりした目で見上げられた。
「おねえさん。もう逃げるのはやめますか?」
「――……うん」
キラリから聞いていた通り、不思議な子だ。
頷く私の手を取って、アリスちゃんが歩き出す。
「いきましょうか」
刀を抜いたという彼女にいま、刀はない。レプリカさえない。けれど。
「会いに行きましょう。ごうごう、れっつごう!」
ぐんぐん進む幼女に迷いはないのか。
学食を抜けていく。そんな私に気づいて、二人の女の子が駆け寄ってきた。
「どこいくの? まだまだ話し合いは終わってないけど」
「アリス。なにする気だ」
マドカとキラリだ。
なのに極めてマイペースにアリスちゃんは歩いて行くの。
「ふふー、トイレを済ませた幼女に限界なし! 夜を廻りて我は行く。夢に満ちた道は兎が駆けて、不思議の世界へごあんなーい」
とてとて進んで廊下に出た瞬間、見慣れない光景が広がっていた。
暗闇に包まれた通路に果てはない。窓が両脇に山ほどあって、途中途中に消火栓の赤い光が灯っている。
「いやあ。おっかない化け物がくるかもしれません。いそげいそげ」
「ちょっ、ちょおっ」
私の手をぐいっと引っ張って、アリスちゃんが駆けていく。
「待てって!」
「嫌な予感がしてわくわくするね!」
マドカはいっつもちょっと変。私の横に並んで走ってくれる。その前にキラリが出た。けどアリスちゃんはむしろぐんぐん走る速度を増していく。
「きいいいいいん!」
えらくなつかしい! お父さんが持っているコミックスで一番色褪せている奴だよ! そして一番手垢がついている漫画でもある。大好きなんだよねえ、お父さん。
まあでも、本気で走られちゃうとね。手を引かれる私は大変なわけで。
どこまで走っても果てがないと思っていたら、
「すべりだいー」
アリスちゃんが歌ってすぐに、足下の床が角度を変えた。
滑り台のように落ちていく。
「ちょっちょっちょ!」
「あははははは! アトラクションみたい!」
「いったいなにがどうなって――ひゃああ?!」
角度がどんどん急になって、最終的には真下に落ちていく。
窓が光り輝いていくの。落ちていく私たちを映す。
キラリがアリスちゃんを掴んで、次にマドカを掴んだ。
ぐいっと引っ張って、私ごと抱きかかえる。
「止まれ――ッ!」
星を放とうとしたに違いない。けれど、なにも起こらなかった。
「なっ」
「落ちるところまで落ちちゃいましょう」
のほほんと笑うアリスちゃんの言葉にみんなで叫んだよね。
「「「 それはなんか響き的にいやだ! 」」」
……まあ、途中で止まる手段がない限り、落ちるしかないんだけどね。
◆
床がゆっくりと角度を変えて、私たちを転がした。
不意に巨大な壁を突き破って、ごろごろ転がった私たちが思い切り床に伸びる。
「いたたたた……」
思い切り顔面からいっちゃった。びたん! って音がしてもおかしくないレベル。
顔をおさえながら身体を起こすと、どうだ。
ぼんやりと緑色の光が満ちたドーム型の牢獄。
左にいるのは、黒い肌の少年だった。まるで十兵衞もかくやと言わんばかりの見事な座禅を組んでいるの。その向かい側の牢獄を見て顔が強ばった。ローブ姿の英国の魔女たちが私たちを見つめるその奥に、いたの。
枯れ木のように姿を変えた、無残な姿のあの人が。
どうして、どうやって。ここはイギリスのはずで。隔離世? 現世? 何もかもわからない。ただ、気がついたら駆けだしていた。
魔女達が杖を手に構える。
「Stop――……」
叫ばれる、けれど黙ってなんていられなかった。
「どうして」
魔女達に囲まれて、押しとどめられて。それでも私だって叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
「どうして!」
手を伸ばした。
もうミイラにしか見えない男へと金色を注ぐ。
ゆるやかに、けれど確実に肌に活力が戻っていく。
「ちょ、春灯! わざわざそいつを蘇らせることなんて!」
飛びついてきたキラリが私の手を止めようとする、けれど。
キラリを抱き締めて、私から引き離したのはマドカだった。
「やっちゃえ、春灯! それが必要なことなら!」
胸一杯息を吸いこんで、拳を握りしめた。
遠い。届かない。けど構わず殴りつけるように、注ぎ込む。
「教えて! どうして私をそこまで求めるの!」
注いで、注ぎ続けて、魔女達がぎょっと身体を強ばらせた。
「――……どうせ、殺されるんなら、自分で死んだ方が百倍ましだった。本当にむかつく女だ……あんたは」
目を見開いて、元の姿を取り戻したあの男が笑う。
「カードがないんじゃ……逃げようがないなあ。よう、エンジェル。ずっと見守っていた気分はどうだ?」
「――……」
「つれないなあ。相棒は……いや、もう相棒ですらないか。あははは……はは」
狂気? ううん。この人はずっと正気だ。
魔女たちが恐れて身構える中、彼女たちの拘束を解いて近づく。
「おいおい、そんなに寄るなよ。きゃっきゃと鳴いて発情するぞ?」
「――……私は、あなたが、きらい」
「別に好きになってくれなんて言ってないだろう? 自意識過剰はよくないなあ」
爆笑された。耳障りな音量と馬鹿笑い。ついで、たっぷり笑った男は長いため息を吐いた。
「はあ……で? なんだ。お涙頂戴の後ははぐして終わり。はっぴーになって終わりか? そんな展開を求めて俺に会いに来てくれたのか? お狐ちゃん」
「……違う。知りたいだけ。どうしてあなたは私を求めたの?」
「どうして答えなきゃならない。俺の股間にキスでもしてくれたら考えるけどな」
「――……ほんと、きらい」
睨まずにはいられなかったし、こんなこと言いたくない。
「ああ、ああ。いいこちゃんにはきついよなあ。俺みたいなゲス野郎の相手は」
歪む顔にビンタが炸裂した。キラリだ。誰より気が強いキラリだからこその一撃だった。
「おう! ……痛いじゃないか。俺を仕留めた星の女。アンタみたいな女を見ると、頭の中でしばらく退屈せずに済む。いいオカズになるなあ、ほんと」
「最低」
「なんだ、知らなかったのか?」
「……私はあんたに救いはいらないと思う」
「同感だよ。はっはぁ! なあ、青澄春灯。本題にうつれよ。じゃないと気持ちよくなっちまう」
鎖が悲鳴をあげる。
拳が震える。けど、望んで得た機会には違いないから、睨みつけた。
「あなたの狙いはなに?」
「お前やそこにいる星の女をものにして、好き放題するのがいいなあ。あとは――」
今まで何度も見てきた、大嫌いな笑みを浮かべるあの男のそばにいるキラリを下がらせて、マドカが微笑んだ。
「そう。なるほどね。混ざりたいんだ。楽しい学校生活に。だけどやり方がわからないんだね」
「――……あ?」
マドカの指摘に男の顔が歪んだ。
「去年の流行にそって言うなら、あなたは不器用なフレンズなんだね」
「……なにをいっているんだ? この女は。おい、誰か早く黙らせろよ」
マシンガンは止まらない。
「聞こえてくる。あなたの願い。あなたの声。私を襲った時には見えなかったけれど……春灯を前にすると、あなたは自分の思いに正直にならざるを得ないみたい。だから聞こえてくる――」
「黙れ」
私たちのマシンガンが、この程度で止まるわけがない。
「ずっと普通に生きたくて、みんなと一緒に楽しみたかった。けどどうもあなたの満たされる手段っていうのは、人と違うみたい。生き方に迷って、救いを求めているんだ」
「黙れよ」
鎖に繋がれていようと、どれほど心を守ろうと暴き出す。
「春灯の金色に。自分を包み込んでくれる優しい熱に、救いを求めているんだ。私や大勢の人たちと一緒で!」
「うるさい!」
穿ち、風穴を開けて。
「ただ抱き締めてもらいたいだけの子供なんだ!」
「黙れ! 強姦女! 黙らないとお前から真っ先に食うぞ!」
奥底にある気持ちを露わにする。
鎖が今まで以上に悲鳴をあげる。
「でも……金色をどれほど浴びても、満たされることはない。だって癒やされても、あなたは求めている。ハルに……親のように抱き締められる瞬間を」
「――……」
男が動きを止めて、今までにない殺意を込めた視線をマドカに送る。
けれどマドカは怯まなかった。一度は自分を襲い、狂わせた男に胸を張って言うの。
「歪んでいると自覚しているなら、心安らかに。相棒といったあの人のように、せめて大人しくしたら? あなたの運命はもう……あなたが選んだ結末に向かって進んでいるのだから」
「――……山吹マドカ」
「覚えなくていいよ。頭の中でいいようされる趣味はないから」
「――……」
マドカを強く睨み、次に私を睨んでくる。
「……消えろ。もう話はない」
キラリが舌打ちをして、マドカが離れていく。魔女たちにマドカが事情を説明する中で、私は動けず、アリスちゃんが歩いてくるの。
「素直にいえばいいんじゃないかなあ。マザコンは女子に嫌われる理由トップ3に入るけど。親に恵まれなかった人が親を求めるのは、自然なことなのでは?」
「――さっさといけ、チビ」
「幼女です。ではー」
とててて、と軽快に走ってマドカたちの後を追いかけていくアリスちゃんを見送って、深呼吸をした。
「ねえ」
「……話はないぞ、もう二度とな。お前に会うのもこれが最後だ」
「最後だから……言うの。私はあなたがきらい。正直、親の役目を求められてもこたえられない。私はあなたのママじゃない。だけど」
鎖越しに触れる。
「もっといい形で出会って……ラビ先輩のように私たちを振り回して、楽しませてくれていたら。一緒に楽しむ未来もあったはず」
「……でも、そうはならなかった」
「そう。そうはならなかった……」
思いのままに金色を注ぐ。
「生まれは選べない。運命だって」
お姉ちゃんのように。
「だけど……抗い方も、生き方も……思うように選べる」
地獄に行こうと、姫としてその生き方を獲得したお姉ちゃんのように。
或いは……厳しい環境に生まれて鍛えられて、けれど今は学生としてひたむきに生きているラビ先輩やユリア先輩のように。
「あなたは、傷つける道を選んだ。その結果が、これ……私だけなら、或いは手を伸ばせた。けど……あなたは大勢を選んだ」
彼は目を伏せた。
「愛したかったよ。さようなら」
彼から離れる。振り返りはしない。
呼び止められもしなかった。
アリスちゃんに手を引かれて、マドカとキラリと四人で離れる。
来たときのような不思議な道を進みながら、キラリが呟いた。
「もういいのか?」
「……まあ、ね。マドカが見つけてくれた。あの人の根っこの気持ちが核に違いないから」
息を吸いこんで、複雑な気持ちごと言葉に変える。
「あの人自体はどうにもならなくても、せめてあの人の願いくらいは救いたい」
どれほどの暗闇が襲いかかるんだとしても。
「準備しよう。みんなの力を借りて……乗り越えよう。敵は」
見据える。
「さみしさ。孤独。願いが叶わなかった人の、愚痴のようなもの」
刀の柄を握りしめる。
「五月の病の時のように、乗り越える」
道の先にある壁を切り裂くのは、神の剣。剣豪の御霊、心に宿して挑むのみ――……。
つづく!




