第三十八話
シロくんのワイシャツを脱いで綺麗に畳む。
洗濯してお返しするのが礼儀だよ……ね?
少しとはいえ着せてもらったし……それでも柔軟剤の香りに混じっているシロくんの匂いのするワイシャツを持っていると、ドキドキしつつも悩んでしまう。
自意識過剰に考えすぎているだけだ。
男の子のすぐそばにいて、どう付き合えばいいのかわからない。
シロくんの葛藤とか、沢城くんの接近とか。彼らの匂いの魅力とか。
考えても考えても、答えが見つからなくてつい呟いちゃう。
「わ、わかんないよ……」
ずっとぼっちだったんだ。話す人はいても、知人は増えても、仲間になってくれると言ってくれた人がどれだけいても。中学時代、私はぼっちだった。
男の子と自然に交流するのなんて、高校になってはじめてちゃんとやってる。
弟と話すのとはやっぱりちょっと違う。違うようにしているからわからないだけなのかな。
ううん。困ったなあ。
可愛いからいやじゃと渋るタマちゃんを「キャミのびるのやだ」と説得して、トモがくれたパーカーを羽織って洗濯場へ。
自分の服を入れて洗濯機を回す。
さすがに一緒に洗ったら申し訳ないからやめておこう。
ぐるんぐるん回転し始める洗濯機の中を見つめながらため息を吐く。
「はあ」
沢城くんの話をしただけで、シロくんが反応してた。
もしかして、あれかな。
二人の対抗意識に油を注いじゃったのかな。
シロくんからこれまでの二人の話を聞いている手前、足りてなかったかも。反省だ。
『男同士の問題じゃから難しいのう』
『決着をつけることが出来るのは、あの二人だけだろうよ』
十兵衞もタマちゃんも悩ましいことを伝えてくる。
「はあああ……」
「一夜で妖しく綺麗になって……随分と悩ましげだね」
「ふぇ?」
最近油断しすぎているのかなあ。
変な声ばかり出るよ。
ふり返ると、ベンチにラビ先輩が腰掛けていた。
手に持っている文庫本、足下にはおっきな紙袋。
先輩もお洗濯かな?
「何か考え事かな」
「あ、え、っと」
どうしよう、と思ったけど……にこにこ笑顔の先輩に手招きされて、なんとなく従ってしまう。全部を包み込んでくれるような何かが先輩の笑顔にはあったから。
「……友達二人のことで、悩みというか」
「ふむ」
文庫本を閉じて私に身体を向けてくれる。
「二人ともお互いのこと、すごく意識して、て」
沢城くんは言うに及ばず、あのシロくんもそう。
「険悪ってとこまでいかない、けど……」
だから悪口を言ったり、相手を否定するような言葉は二人とも言ってない。
「特に一人は、コンプレックス……あるのかな、と」
シロくんのことだ。
『だめだ。僕は、あいつに勝てたことがないんだ』
『アイツは天性のいじめっ子で、僕は根っからのいじめられっ子で』
『勉強して百点を取っても、あいつのおもしろ回答だらけの零点がもてはやされるし! 運動絡みじゃアイツはいつだって注目の的だし! 調理実習ですっごく美味しいカレーを作ったのに、アイツがまな板切っちゃったことでまったく目立たなかった!』
ぜんぶぜんぶ、入学式の日にシロくんから教えてもらった話。
やんわりとラビ先輩に伝えたの。
「彼、すごく気にしてるんです……だから約束したんです」
『せめて、隣で見ててよ。君は僕のクラスメイトなんだから』
「なのに私は彼がコンプレックスもってる人と一緒にいて……それを間接的に伝えちゃった」
「そう」
「きっと……傷つけちゃいました」
だからシロくんの手は何も掴めずに落ちてしまったんだ。
心の奥から身体の端まで軋むように広がっていく痛み。
そうだ、私は……シロくんを傷つけちゃったんだ。
「謝らなきゃ」
「そうだね」
「……許してもらえるかな」
「オロチになった妹を助けられる君だ。大丈夫、気持ちは届くよ」
私の不安に応えるように、ラビ先輩は子供をあやすように頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「がんばっておいで」
「ラビ先輩……はいっ、ありがとうございます!」
意気込む私は駆け出そうとして、あわてて足を止めました。
洗濯中でしたね。
さすがにこれはばかりは誰にも頼めないよ!
◆
あちこちにいる人に声を掛けて教えてもらって、やっと辿り着いたシロくんのお部屋は扉越しでもすごく賑やかなのが伝わってきた。
こんこん、とノックをしたら出てきたのはカゲくん。
タンクトップとジャージのラフな格好で、それは部屋の中にいるみんなも同じだった。
「おう、ハル……って、おま、え? ええ?」
目をまん丸く見開いて、それからちょっとほっぺた赤くして私をじっと見る。
なんだ、どうしたと口々にみんなが来て……同じような反応に。
落ち着かないことこの上なし。
「あ、あのう。シロくん、いる?」
「あいつ、なら……なんか、風にあたってくる、とか、なあ?」
あ、ああ、とうなずき合うみんなに「ありがと」とお礼を伝えて歩き出した。
「お、おい、ハル! だ、だいじょうぶか?」
「だいじょぶ。後でこれたら顔だすね」
ひらひらと手を振ってカゲくんの心配に笑顔で応える。
返答はもっとちゃんとするべきだったかもしれないけど……なによりみんなに申し訳ないけど、でも今はそれどころじゃない。
ただただシロくんを探して……中庭のベンチでやっと見つけた。
横になって……ふて寝してる。
「ねえ、シロくん」
恐る恐る声を掛けたんだけど。
「青澄さん……なんだい?」
ぶすっとした声でした。
拗ねてる。沢城くんもそうだけど、シロくんもわかりやすい。
似ているけど……違う。
お互いがお互いを意識し合う……特別な幼なじみの二人組。
「ごめん……私、沢城くんの話をしちゃった」
「……別に、それはいいんだ」
身体を起こしてくれはするけれど、私を見ようとはしない。
「あいつについて話さないで、なんて……頼んでない。それ自体おこがましいことだし、君に怒るのは筋違いだ。わかってる」
じゃあ……なんで私を見てくれないんだろう。
話しているときは見て欲しいなんて、私のわがままなのかな。
「ごめん」
「え……」
なんで謝るの……?
「いつも、沢城と……ギンと何かを取り合ってきた。僕が欲しい物はあいつも欲しがったし、あいつが手に入れたいものは僕も手に入れたいもので」
背けているからかろうじて見えるほっぺたは……赤い。
「好きになるものも、大事にしたいものも一緒なんだ。だから……またか、って。途方に暮れていただけなんだ」
「……シロ、くん?」
「あいつとちゃんと向き合えなきゃ、僕には何もできないに違いないのに」
俯いてため息を吐く。
シロくんの身体が小さくなってしまう。
「なにも、できないから……負けてばかりだから、不安なんだ」
「だいじょうぶだよ……だいじょうぶ」
勝手に口から出た言葉に気持ちがすぐに追いつく。
袋から乾燥機でちゃんと乾かしたワイシャツを出して、シロくんに羽織ってもらう。
あったかい布に包まれて……少しでも元気が出るように願うの。
「シロくんは優しくて、気が利いて……オロチの時のように知恵も回って。それは沢城くんとは違う、シロくんだけの素敵なところだと思うの」
顔を上げて私を見るシロくんに、笑顔を向ける。
「なにもできないことない。あったかかったよ、ワイシャツ。胴着のたたみ方も教えてくれたのすごく助かったし、うっかりしているといつだってシロくんが気づいて助けてくれるもん」
だから、絶対。
「なにもできないことない。みんながシロくんの部屋に集まるのがいい証拠だよ」
届いて欲しい。
「シロくんは優しくて、それは誰かの力になる素敵なところだと思う。だから、だいじょうぶだよ。シロくんらしさ、すごいんだから」
胸を張るだけの魅力があるんだよって気持ち、全部。
元気だしてほしくて、いてもたってもいられない。
けれど何をすればいいのかわからない。
それがよくなかったのかな。ますます俯かれちゃった。
顔がよくみえない。
「……君は、ずるい」
「え――」
だからその呟きがどんな意味を持つのか、よくわからなかった。
そして、気づいた時には髪に触れていた手を引っ張られていた。
……シロくんに、抱き締められていたの。
「ど、どうしたの?」
「……ずっと、誰かに言って欲しかった」
「え……」
「それに、甘えてるだけだとしても。今だけは、ごめん」
こんなの、予想してなかったから……どうしよう。
すごくドキドキするよ。
私の鼓動に重なるくらい高鳴る鼓動が伝わってくる。
シロくんもドキドキしてるんだ。
「あ……あの」
「動かないで……頼む。ちょっとだけ、こうさせて」
「え、えと……う、うん。いいけど」
縋るような抱き締め方は一緒。
くすぐったくって、恥ずかしい。
けど、そこから何に繋がるのか、みえない。わからない。
沢城くんと一緒だ。ぬくもりを――……自分の求めるものをがむしゃらに求める、そんな繋がり。
「し、シロ、くん?」
「……変なことして、ごめん」
顔を真っ赤にして、シロくんが私を離したの。
「あ、ありがとうってことだ! じゃ、じゃあ!」
手足を揃えてすたすたと立ち去っていくシロくんは、間違いなくてんぱっていて。
頭が真っ白になっている私もまた、てんぱっていた。
『……若さかのう』
タマちゃんの感慨深い声にまともに返事も出来なかった。
沢城くんも、シロくんも、男の子で。
だけど異性とかそういう前にもっと、根源的に求める何かがある。
弟が抱きついてきたり甘えてくるのと、どう違うのか。同じなのかさえ、見えずにいる。
混乱してるのかも。
だって……ずっとずっと、じんじんと熱を帯びている。
二人がそういうつもりで抱き締めてきたかどうか。本当のところはわからない。
受け止められないよ。
今の状態でもう、キャパを越えてるの。
なんで、二人はこんなことをしたの? 私は……いやじゃないし。二人が求めてくれても、二人の心の奥深くにある何かを癒やせずにいる。
一時的に熱は交わせても、その先にたどり着けていない。
『――……それがわかるのならば、いいじゃろ』
タマちゃん……二人は私を通して何を見ているの?
『さてな。あの二人の場合は――なんというか』
曖昧に濁そうとするタマちゃんに対して、十兵衞は違った。
『幼い頃より深く付き合ってきた二人ならばこそ、自分の存在をどう証明するかで戸惑うのだ』
自分の存在を、どう証明するか……。
シロくんは自分の良さを探していて、沢城くんは……自分の居場所を探している。
私には何ができるのかな。
そう思った時、ちくりと胸が痛くなった。
なにを残念がってるんだろう。
シロくんには抱き締められたし、沢城くんは一緒に寝ちゃったりして。
意識せずにはいられなかった。
だけど……私なんかと、まさか。そんな……ね。
『むう。こやつは基本、自分を知らず自信がないのじゃからのう』
あ、あはは。ごめん。お察し人生だったので、つい。
『ハル、よいか? おぬしの美の延長線上に今の姿があるのは間違いないのじゃ。それにおぬし本来の魅力があの二人を近づけさせておる。落ち込む必要なしじゃ!』
……でも。
『誰がなんといおうと、そなたを妾が認めてやる! 誰かを認められるおぬしにはちゃんと魅力があるのじゃ! 胸を張れ! いろいろと台無しじゃぞ? なにより、その顔の熱は嘘か?』
た、確かに。
タマちゃんの言うとおりだ。
顔の熱は一向に引いてくれないよ。
『腕に抱かれてドキドキしたじゃろ?』
……うん。
『嫌じゃったか?』
そんなこと、ない。
『ならよいのじゃ!』
そう、なの?
『おうとも。そういう体験がまた美に繋がるのじゃ。身体からそういう力が出るのじゃよ。そなたの知識でいう……あれじゃ! 女性ホルモンじゃの!』
そ、そっか……そうなのか。
『嫌なドキドキではなかったのじゃろ?』
ううん。ちがう。びっくりが強いだけ。
『ならもっと喜べ! 冷静な視点ももちろん大事じゃ、けど同じくらい心も大事なのじゃ。なにより……二人とも、適当な男でもあるまい。そなただからこそ、じゃ』
うん……なんだかちょっと元気が出てきた。
タマちゃん、ありがと。
『うむ! ……これ、十兵衞。そなたは黙ったままか?』
『まあ……綺麗になった。先ほど男に掛けた言葉もよかった。おぬしの心の魅力あればこそ、なのだろうよ。伸ばすならばそこだと、俺は思う』
十兵衞……。
そんな風に言ってくれるんだ、嬉しいよ。
『いや……つたなくてすまんが』
ううん。そんなことないよ。むしろ力になったの。
しっかりしよう。浮かれすぎちゃだめ。
でも……ちゃんと浮かれてもいいんだ、とも思った。
矛盾しているよね。困ったなあ。
でもそんなものかもしれない。
心と体。理想と現実。
なにせ高校の初休日にまさかの初体験だったもん。
顔中で済まないの。
身体中がじんと熱をもっている。
恐る恐るふり返ると……
「ああもう」
八つの尻尾はどれもが膨れ上がっていました。
やだな……興奮してる。隠しきれないくらいに。
『尻尾の声に従うのも手じゃぞ?』
確かにそうかも。
尻尾はもっと素直に、感じるままに心を表現している。
膨らみ具合はかつてないくらいだった。
両手で触れたほっぺたはすっごくあつい。
どれだけ扇いでも冷めそうにない。
尻尾だって……どんなに待っても戻る気配ないし。
うん、じゃあ……しょうがないからどっちも喜んじゃおう!
あとはもっとちゃんと、二人と向き合ってみよう。
それで今回の一件はおわりにするよ!
「それにしても」
困ったなあ……どうしよう。
みんなのところになんて、こんな状態で行けるわけないよ。
「こんな……顔、真っ赤でさ」
参ったなあ。
つづく。




