第三百七十四話
私の意図なんてわかりきっているのだろう。
カナタは立ち上がってそばの壁に立てかけてある刀を二振り掴んで立ち上がった。
「やるか」
笑って頷いてくれたよ。
すごくほっとしたの。断られたらどうしようって思っていたから。
カナタも身体を動かさずにはいられないのかな。
「いこう……隔離世へ」
迷わず言ってくれたの。
すぐに捕まえにくるか、それとも……十分の制限時間を何もせずにいるつもりなのか。
表情に後ろ向きな気配は感じないから、私も迷わず頷いた。
「うん」
隔離世へ移動する。
当然のようにあちこちから邪がしみ出て私に近づいてきていた。
構わず照らして消したけど……漆黒に包まれた時、少しだけ思ったの。
山ほどの熱や欲望にさらされても、ツバキちゃん一人の熱には敵わないんだって。
顔が熱くなった。
どうしても忘れられない。輪郭と衝動を。
――……いやじゃない。応えたい。でも、私は既に契約を果たしている。私の願いはもう、果たされている。
胸が痛む。ざわつく。どう応えるべきか、迷っているの。
私なりに見つけたい。
まずはカナタに対して抱く心から。私にとってはきっと、そこが軸足だから。
グラウンドに出て、私はタマちゃんを。カナタはお姉ちゃんを掲げて重ねた。
「それじゃあ――……逃げるよ?」
「いつでも。十秒後に追いかける」
「ん!」
刀を鞘へと戻して、空に向かって駆けていく。
隔離世だろうと、ブラウスとスカートだけじゃ寒い。だからってコートを羽織る気もなかった。
厳しい寒さに身を置きたかったからだ。
引き締まる。気持ちも、心も、身体も。すべて。
冷え切っていく身体が求める熱の持ち主は、だれ? どういう熱なら、私は受け入れるの? どういう形なら、私は応えるの?
雲に近づいて、眼下を見下ろす。
暗闇の中を駆け上がってくるカナタの姿が見える。
私を捕まえる気なんだ。
その下に見える。街の灯り。きらきらの――……人の営みの印。
胸一杯、息を吸いこむ。肺の中まで冷え切って、いま心の中には――……カナタだけ。
「いくよ」
もしかしたら怒られるかもしれないって思う。
けど、心に浮かぶのはカナタだけだった。だから覚悟を決めた。
宙を蹴って、金色を散らしながら流れて落ちる。
虚空を蹴り続けて、それでも足りずに四肢で駆けだして、ぐんぐん速度を増す私。落下の果てには死しかない。
もちろん回避の方法なんて心得ている。だから私は加速をやめない。
空へ駆け上がってくるカナタが私を見上げて、顔を歪めてその手を掲げた。
噴き出たのは、白銀の霊子。丸く弾けて内側から、白金の光が放出される。それは私に当たって速度がぐっと落ちたの。
死ぬための全力疾走だと思ったからなのか。私を引き留めるように力を使ったんだ。
そしてまるで当たり前のように、私はカナタの腕の中におさまった。
「本当は……ただ俺に受け止めてもらいたかった、とかいうんじゃないだろうな?」
すぐには答えない。ただ、カナタの出方を窺ったのは事実だった。
「……だめ?」
「お前にしては珍しく素直じゃない」
「カナタには甘えてばかりだけどね」
「俺が何もしなかったら?」
「逃げ切るつもりだったし、お願い事も決めてあったよ?」
「なんだ?」
露骨に怒った顔をして、けど私を抱き直して言うから素直に言うの。
「わがまま言って欲しかった……素直な気持ちを教えて欲しかったの」
「俺が勝っても、心を繋ぐ時点で胸の内は明かされたも同然。つまり勝っても負けても目的は達成できるわけか……考えたな」
微笑むけれど、こめかみのひくつきはごまかせない。だからって、怯む気もないけどね。
「だってカナタと今よりもっと、どんどん深く付き合っていきたいのに……カナタは私に隠し事をするもん」
「……妬けるって言ったぞ?」
「もっといろいろ抱えているでしょ? 昨日、私を守ってくれた時みたいに」
私のツッコミが図星をついたのか、カナタは深呼吸をした。もう苛々していたりしない。
「まあ……否定できないな」
「悩みは言語化した方がいいなって、今日のツバキちゃんを見て思ったの」
四月から何度も会ってきた。こっちから行ったし、向こうから来てくれた。
だけど知らなかった。気づけなかった。
その切実さに。願いの本質なんて、今もまだわからない。
力になりたいと言ってくれた。それが夢であるように、必死になって……伝えてくれた。
私は知りたい。
そういう気持ちを、もっとちゃんと知って……できることがあるのなら、なんだってしてあげたいの。
ツバキちゃんに対しても、マドカに対しても――……誰より、カナタに対しては特に。
「私はドームで悩んでる。けどそれはなんとかなりそう。ツバキちゃんが力を貸してくれるからっていうだけじゃない。大勢で立ち向かっていくんだって、実感してきたから」
ひとりじゃないっていう、たったそれだけの事実がくれる勇気の強さを思い知るばかりだから。
「でもカナタはほら。ひとりで頑張っちゃおうとするからさ。私の知らないところで無茶をしそうだし、くたびれちゃいそうだなって思ったの」
深呼吸をした。そばにいて抱きかかえてもらっているけれど、自分から下りて抱き締める。
「教えてよ。カナタのこと……もっと知りたい」
抱き締め返してくれる腕の力強さと輪郭は何かが決定的に、ツバキちゃんやマドカと違う。
そこにもしかしたら答えがあるのかもしれない。
「……知りたいの。私もちょっと悩んでるから。切実に求められた時に、自分に何ができるのか探したくて……カナタのことが今よりもっとわかったら、知ることができる気がするの」
「わかった――……いったん下へ戻ろう」
そう囁いて、私を抱き締めてカナタが落ちていく。
縋る熱とは違う。包み込んでくれる熱。
黒い炎は私を焦がしたりしない。お姉ちゃんの御霊やどす刀の生み出す熱は、私とカナタを凍えさせたりしない。
霊子を操り地面に下りて、カナタは現世に戻してくれた。
ベッドに横になって、一緒に枕に頭を預けて見つめ合う。
手を繋いで、指先を絡み合わせた。
「……少し嫉妬したんだ」
「え……」
「心が狭いと思われるのが癪で言わなかったけどな」
ため息を吐いて、抱き寄せられる。胸の内にすっぽりとおさまる。
カナタは大きくて、私は小さいから。
「たとえツバキでも……お前に触れるんだと思うと、気が気じゃない。邪に包み込まれるのを見ると、不安でたまらなくなる」
「カナタ……」
「わかっているんだ。ツバキとの関係性とか、お前にとってどういう存在か――……それ以前に、春灯の愛は真中先輩みたいに途方もないから、救いのためならなんだってするだろうってことくらい」
胸が痛んだ。冷たい霊子が流れ込んでくる。切実な熱情と嫉妬の激情が一緒に――……私に染み込んでくる。いままでカナタと触れ合った時よりも色濃く欲望がにじんでいた。
「――……」
落ち着かなかった。
それは明らかに、ツバキちゃんだけじゃなく、マドカやギンが私に求めた感情と同じだったから。名前を求める私にカナタが囁くの。
「孤独を癒やすのは……他人の存在なんだ」
「じゃあ……」
「他の誰でもなく、お前にいやしてもらいたいと……願う存在がいるんだよ。山吹や、ツバキに――」
「カナタも?」
「今日はじめて知った、みたいな顔をするんだな」
「実際、そうだもん」
「なら……今日は不幸にもはじめての日だな」
手を一度離して、苦笑いを浮かべるカナタを抱き締めた。
けどそれくらいじゃ消えないんだ。当たり前なんだけど。触れたくらいじゃ消えない。なのに――……
「触れずにはいられないんだね」
「満たされないんだ。自分に満たす気がないから」
「……乾いて、飢えて、だから余計に求めて……求めるばかりで、満たせない」
「春灯を狙ったあのアメリカ人がいい例だな」
「――……そっか」
しゅんとする私にカナタがすぐに言うの。
「待て、比較されると癪だな。あれは悪い例だ」
「ん!」
すぐに頷いたよ。私もあの人とカナタやツバキちゃん、マドカやギンたちを重ねるのはいやだもん。
「まあでも……さみしいから繋がりたいし、感じたいと思うんだ。真中先輩は太陽だから……三年生と二年生は求めずにはいられないし」
「その理屈でいくなら、メイ先輩の太陽を受け継ぐ私も求められちゃうね」
「どや顔で言うところか?」
半目で睨まないでくだしい。
「孤独を癒やすためには……ひとりで立てないとな」
「縋っちゃ、だめ?」
「だめじゃないけどな。甘えても甘えても、納得しなきゃ終わらないだろ?」
「まあ……そうだけど」
「ツバキは頑張っているんだな。心をつないだから見えてくる……沢城にしても、佳村との絆ができて納得したし、山吹もいろんな事件を経て狛火野の手を取り、なんとか生きようと心がけているんだろうな」
「わかるの?」
思わずカナタを見た。マドカの決断の意味さえ、想像ついちゃうのかなって思って。
「想像だが。今に納得して、それからお前への気持ちを固めようとしているんじゃないか」
「じゃあ……メイ先輩を求めるルルコ先輩みたいに、私にいつか文化祭で熱烈キスあり舞台をしかけてきたり?」
「楽しい文化祭になりそうだな」
「もう! ちゃかして!」
「変わろうとしているんだ。みんな……なのに」
「カナタは私と抱き合って孤独を感じてる」
「まさに大問題だ」
しみじみ言うからむすっとして、カナタを下にして上にまたがるの。
どや顔で見下ろす私にカナタが半目になる。
「なんのつもりだ?」
「んー。たとえばほら。私がいやっていうくらい精気を搾り取って、カナタが泣いて叫んでもういやだってなったら、嫌でも孤独を忘れるかなあって」
「迷惑な方法だな。他にはないのか?」
「んー……あまあまじゃだめなんでしょ?」
「お前はもう少し慎みを覚えた方がいい」
「……きらい?」
「大好きだから困るんだ」
「お~ぅ。ふうっ! いいねえ。そうですか。大好きですか! そっかあ!」
「にやにやしながら言うな。まったく……ここへきてリアクション増やすな」
照れてる……。
「そんな微笑ましい目で見るな。とにかく別のにしてくれ」
「リードするのカナタだもんね」
「赤裸々に出していくな? そっちがそうくるなら切り返すぞ?」
「私はだって別に変なことしてないもん」
「はっ」
鼻で笑われた!?
「え。え。なにかやらかした?」
「いいや。ただ……まあ強いて言えば」
「……強いて言えば?」
「お互い初めて同士で、それ以外に経験がないのを前提にして言うけどな。女子高生のレベルじゃないと思うぞ」
「そ、それは……ほら。タマちゃんの知恵をお借りしてがんばっているからで。よ、よろこんでもらおうと」
「まあ、がんばってくれるところはもちろん大好きなんだけどな」
「……うう」
一気に逆転されました……。
「でもたとえば、こないだのヒラメとか……家で振る舞ってくれた料理はすごいと思っている。母さんが呆れて送り返さなかったら、うちはずっと春灯の料理に依存していた気がするよ」
「……う、うん」
やだなあ、もう。いきなりなんだよう。照れくさいじゃないか! もう! 大好き!
「洗濯も自分から率先して、俺の洗い物まで持っていくよな。畳むのもやって……嫌じゃないか? 自分でできるんだが」
「一緒にやった方が手っ取り早いし……やだって言われたことないから。え、だ、だめだった?」
「いや、してくれるなら助かるからいいんだ。あとは……」
ま、まだあるの? なんか褒め殺しのターンきてない? 大丈夫?
「掃除もわりと気にするよな。だめ出ししないで空き時間に動く。土日は必ずやってないか?」
「そ、そんなことないって。カナタの方がきれい好きだから嫌われたくなくてがんばってるだけで」
「苦手なのにやれているなら十分すごいじゃないか」
あ、あれ? このノリでいくの? このノリでいっちゃうの?
「考えてみたらユニットバスも常に綺麗だしな……」
「そ、そりゃあ……髪の毛が散らかってたりしたらやじゃん」
トイレについては言わずもがな。神さまがいるっていうし。ぼかすけど。
「待てよ。そう考えると春灯はなんでもできるんじゃないか?」
「……そ、そんなことないよう」
でれでれしながら、でも事実を言う。
うちではお母さんに怒られることの方が多い。
「カナタのおうちで家事をして、それでお勉強しなきゃって思っただけだもん」
「……良妻か」
「そ、それは嬉しいけど私の属性的にアウトな予感!」
私べつにみこーんと鳴いたりしないからね!
「考えてみたら……そういう瞬間にならない限り、春灯のあらわな姿を見たことがないな」
「そ、それは……ほら。タマちゃんが言うんだよ。肌を見せるときは必殺を狙うべし。それに十兵衞も頷いてたの。切りかえる瞬間に決まり事があって煽られる方が楽しいって」
「……まあ、趣味だとは思うが。しかし俺もその意見には大いに賛成だな」
「ち……ちなみにもっと気軽に見れた方がうれしかったり?」
「ある程度の緊張感があった方が楽しいとは思うし、それを一生つづけるのは無理だろうとは思うよ」
「さじ加減むずかしい」
「春灯なら見飽きることはないけどな」
……もう。カナタが孤独を忘れるよう何かしなきゃって思ったのに、攻守が逆転してない?
「じゃあ……最近の私服や下着コレクションについて何かコメントは?」
「むしろ春灯の意見を知りたいな。俺は春灯の興味にこたえられているか?」
「そ、それは」
やっぱり逆転してる!
「……いつも、大満足っていうか。かっこいいし、優しいし、強いし……」
「小学生か?」
「わ、わかってるよ! むつかしい振りだよ? むしろカナタはよく具体的に褒められるよね。そういうところも大好きなんだけど」
カナタ相手にのろけてどうするんだ。落ち着け!
「ええ? えっと……ええええ?」
咄嗟に出てこないの。
思い浮かべるのはね?
「……朝おきてキスしても口くさくない」
「まあ、気をつけてるからな」
「あとは……クラスで実感するんだけど、男の子って汗臭いけど、カナタはいっつもいい匂いする。レオくんとはまた違うけど、いつも香水つかってそう。現場を目撃したこと一度もないですけども……」
「まあ、生徒会の女子面子が厳しいからな」
「――……ああ」
すごい納得しちゃった。
「コナちゃん先輩だ」
「体育の後だと特に怒られるからな。彼女と同じクラスになった男子はみんな気を遣うようになった。最初は揉めたけど、概ね女子に好意的に受け取られているってわかってからは、意識している。ていうかめちゃめちゃ褒められて、気がついたらそうなっていた。調教されてるな」
「さすがだ……」
しみじみこぼす。
「あとは……兄さんがあれで結構気を遣っているから」
「シュウさんならむしろ納得だけどなあ」
「……それだ。その手の反応が悔しいんだ。あの緋迎シュウの弟の、とつくんだぞ? そして言われるんだ。弟はたいしたことがない、と」
「あー」
出会った頃のカナタはシュウさんを特に強く意識してたもんね。ますます納得。
「みっともないのは嫌だから気をつけるようにした。春灯に喜んでもらえているなら、なによりだ」
嬉しそうに笑ってくれると私も気分が弾むから、もっと他にもいろいろ言いたくなってくるよ!
んー。そうだなあ。刀の手入れまわりの話をしても当たり前すぎるもんなあ。
私しか知らない感じのこと言いたいなあ。
「困った時にはいつだって気づいてくれるよね。私のことでカナタが見逃すことってないなあって思う。単純にそばにいるから気づけるっていうだけじゃない。顔を見るだけで、或いは空気で感じ取っちゃうんだよね。なんかそれって素敵だけど、話さないといけないことは私のタイミングを待ってくれるのも余裕があっていいよね」
考えながらとりあえず並べていく。けどだらだらしゃべってもしょうがないよなあ。
うーん。そうだなあ。
「でも……私がピンチになると無茶しちゃうところが好き」
「……まあ、春灯を守りたいと思っているからな」
「だからって一人で立ち向かっちゃうんだもん。危ないよ……でも、乗り越えちゃうくらい、カナタは強いんだよね」
「ミツヨだけじゃなく、姫もいるからな」
「……お姉ちゃんのことお姫さま扱いするのは、ちょっとやだなあ」
「嫉妬か?」
「そりゃあね。だって……私はカナタの心の中に入れるわけじゃないもん」
「溶け合って境界が消えるから、孤独がなくなるわけじゃない。境界があるから手を繋いで、他人を感じ取れる。春灯が心の外にいるから、知りたいと思うし繋がりたいと思うんだ」
「……心だけ?」
「身体だけでもな」
「じゃあ……両方は?」
「名案だ」
私の腰にカナタが手を置いたの。
ゆっくりと上にあがってくる。吸い寄せられるように、顔を近づける。
時間を忘れるくらいのキスをした。
カナタの指が一つ一つ丁寧にボタンを外していく。
そっと手の甲に自分の手を重ねる。
カナタが唇を離して囁くの。
「――……暖房、つけるか?」
「お布団の中に入る流れかな」
「それなら孤独を忘れられそうだ」
「もう感じてないくせに」
「ばれたか」
額を重ねて笑い合う。
どんな大変なことだって乗り切っていける確信しかないの――……。
◆
たっぷりの汗を掻いて、二人で裸で抱き締め合う。
こういう瞬間に、カナタはよく髪を撫でてくれるの。
それがすごく心地よくて、尻尾の手入れ並みの超絶テクなので、いつだって私は眠たくなっちゃうんだけど。
冬に汗だく、ベッドの中。間違いなく汗が冷えたら風邪を引く。
冬をなめちゃいけないのですよ。
なので二人でユニットバスに入って汗を流しながらいちゃつくの。
そういう時の話題に決まり事はない。強いて言えば日常話が多いかな。今だってそう。カナタが言うの。
「ラビが今日の休み時間に言うんだ。男子たる者……わい談の一つもできなきゃ仕方ないと」
「珍しいね……コナちゃん先輩がいる前で?」
「二人でトイレに行った時だ」
「……カナタってラビ先輩とほんと仲いいよね」
男子も二人でトイレ行くんだ。意外……クラスで見たこと一度もない。
私の知らないところで何か特別な関係になってたりしないよね……?
疑いの視線をじっと送っていたら、どうかしたか? なんてきょとんとするの。
脳内の要注意案件ボックスに入れつつ、質問する。
「で? ラビ先輩のわい談って?」
いやあの、珍しいからこそ気になるわけでして。
「女子のうなじと耳はどちらが色っぽいか、という話になった」
「ううん……うなじかな」
どちらかといえば。
「俺もだ。しかし、そこで揉めた。気がついたら二人で討論をしながら教室に戻っていて」
コナちゃん先輩に見つかって怒られたのかな。
「クラスを巻き込んでうなじ派か耳派か二つに分かれて、ユリアを題材に討論会に」
……もしかしなくても二年生、残念なのでは?
「ユリア先輩、いやがらなかったの?」
「シオリがスナックという名のワイロを渡して事なきを得た」
納得!
「コナちゃん先輩は?」
「うなじ派だった。まさかの同志だった」
あー……そういえばコナちゃん先輩がポニテにしてるとこ、見たことあったっけ?
まあ自分と他人って人によっては別だったりしますけども。
ユリア先輩は超絶美人だけど、コナちゃん先輩もすっごく美人だ。そのうなじを私はまだ見たことない気がする。
体育祭の時はポニテだった気がするんだけど、どうだっけ。もう半年近く前なんだなあ……まあいいや。
「それで、どうなったの?」
「クラス全員でスナックを本当に幸せそうに食べるユリアを愛でて終わった」
「ほんと……楽しそうだね」
半目になる私の人の耳元にカナタが触れる。
「次の休み時間でジュースを買いに行った時にラビが言っていたんだ。耳を責めると楽しいかもしれない、と。アイツはまだ試せていないそうなんだが」
「まさかの決着後のわい談が本命パターン」
「だめな人もいれば、そうでない人もいるそうで。攻め方にもコツがあるんだとか、ないとか」
そこまで言われてやっとぴんときたよね。
「だから今日、耳いじってきたの?」
「思ったより反応がよくて理解してしまった自分が憎い」
獣耳は敏感で、人間の耳は獣耳ほどじゃないにしても……じゅうぶん弱いって実感しましたよね。自爆案件なのは明白なので、多くは語りませんけど!
あんまり弱点を晒してカナタの闘志がそのつど燃えるようになったら私の身体がもたないと思うので、そっと話題を逸らす。
「うなじはロングな方が萌えません? 私の髪、鎖骨くらいだからそんなに好評価じゃないと思うんだけど」
「そんなことないぞ?」
喜んでいいのか、わかりませんよ!
「話題を逸らしても、耳が弱いっていうのはわかったしな」
うっぷす!
「春灯の身体で好きなところは、まずは――……」
カナタが素肌に口づけてくる。
こ、これは――……おかわりの予感です!
◆
朝の寒々しい光に目を開けた。
そばにある顔に口づけて、それから鼻を使う。
やっぱり……やな匂いはしない。お母さんと二人でよくみたドラマだと、イケメンの脳外科医の口はくさかった。でも私の彼氏はだいじょうぶ。
スマホを手に取る。六時過ぎだ。学生の早起きというには微妙。朝練組ならとっくに起きていて不思議はない時間帯。まだまだ学校に行くまでたっぷりの時間はある。けど身ぎれいにするなら起きて準備を始めてもいい時間帯。
悩んだけどカナタにひっついて、垂れた腕の中にすっぽりおさまってアプリを起動する。
連絡アプリにツバキちゃんからメッセージがきてた。
『今日、直してもらう』
『できたら、みてね』
『どきどき』
『おやすみなさい』
頼もしいメッセージ。時間帯は日付をまたぐ頃。それからもう寝ちゃったのなら、いい。これが早朝とかだったら大丈夫? って送るところだったけど……私が気遣うよりよっぽど、ツバキちゃんは自己管理をしているみたいだ。
よしよし。やっぱり……強い子。けど後輩には違いなくて、その強さはまだまだ危うい。
支えられる限り、支えたい。ツバキちゃんもきっとそう思っているんだ。
がんばらないとね。
だけどそれは……二度寝をした後でも遅くない。
胸一杯に朝の空気を吸いこもうとした。
「……やっぱり、いい匂い」
カナタの匂いの方が強かったよ。
◆
たっぷりまどろんでから起きたカナタに揺さぶられて、ベッドを出る。着替えをバスタオルにくるんでユニットバスに移動した。
お仕事の前は学校。社長が許してくれたおかげで日々のサイクルは変わらずに済んでいる。
パジャマを脱いで制服に着替えながら思いを馳せた。
シングル用の曲と歌詞はまだこれから。
それに……それだけじゃ全然、ドームをおさえても曲が足りないよ。プログラムが足りないの。これが普通のライブハウスならまだしも、ドームだよ? ドーム! 一時間分のアルバム、演奏にトークいれて引き延ばしても、ドームはもたないでしょ! 場所的にもったいなさすぎるよ!
先を見通すことにかけてはどうやら神がかっている社長に、そんなことわからないはずがない。じゃあ何か用意しているのかな?
たとえば……不況の時代だと言われる中、お父さんとお母さんの青春時代に活躍したバンドのように毎月シングル発売して、四ヶ月後にアルバムもう一枚出して、そのあとに公演とか? それにしたってもっといろんな手段がありそうなものだけど。
どちらにせよ――……忙しくなる。
歌手になるだけでいろんなことが起きた。こんなのは序の口に過ぎないに違いない。
シャワーのお湯を出そうとしたら、スマホが鳴った。
「もしもし?」
『春灯。社長から無茶ぶりがきたぞ。いま大丈夫か?』
……ほらね?
高城さんの緊迫した声を聞いて、鏡に映る私は笑っていた。冬の室温を吹き飛ばすような熱いシャワーの湯気で曇っていく鏡から、私は視線を外して答えたよ。
「どうぞ」
お湯に手を伸ばす。
熱い未来のためなら――……どんな機会だって掴んでやるんだ。ただ、
「あっつい!」
まあ、火傷しないようにしたいなあと思いますけどね!
つづく!




