第三十七話
頭を撫でられている感触がして……すごく気持ちよかった。
思い出すのは、小学校の頃のこと。
あの頃は今に比べればまだちゃんと勉強が出来たから、テストをお父さんやお母さんに見せてたくさん頭を撫でてもらってた。
その時の感触に似ている。さすがに高校生ともなるとおねだりも出来ない。
だから……とても懐かしくて、もっとしてほしいと甘えずにはいられない。
矛盾してるね。おねだりできないのに、もっとだなんて。
撫でてくれる指先が獣耳の付け根を擽ってきて、それが無性にこそばゆくて思わず目を開けると――
「変なやつだな」
穏やかな顔をした沢城くんが目の前にいた。
ぼやけている思考回路で、それはなんでなんだろうって考える。
わからない……えっと……昨夜、たしか。一緒に、寝て。
待って。
一緒に、寝て?
「はっ!?」
あわてて飛び起きた。
だけどすぐそばにいるから香るの。
頭の奥からお腹の底まで痺れるとうな、甘い香りがする。
危険。危険だ。
ニナ先生の言葉を頼りにするなら、霊子の匂い。霊力が強いから魅力的に感じる匂いなんだ。
一気に鼓動が跳ね上がるの。
けど彼は構わず身体を起こして、私の髪を撫でるの。
「……不思議な髪してんな、お前」
「ぶぇっ?」
急に褒められたから変な声でちゃったよ!
「撫でれば撫でるほど、炭が落ちるみたいに……金色になってく。これで……最後だ」
「え」
上目で見上げたら、視界に入った髪の毛の色は見慣れない金色だった。
まるでタマちゃんの尻尾みたいに。
「な、な、な」
『ふぁ……んん。妾の力の影響じゃろうなあ』
タマちゃんんんんん!
「顔も……ちょっと変わったか」
「えっ」
「そこいらの連中が好きそうな顔だ」
そ、それってどういう?
「ちっ……」
舌打ちをすると、沢城くんは両目を細めて私を睨む。
目が……ギラギラしている。シロくんを襲う時に似て、けれど違う。
危うい光。
気づいたら上に覆いかぶさっている。
ベッドに……押し倒されている。
肌に感じる熱と高鳴りが教えてくれる。
昨夜のそれとはちがう。
これは――……私を狙うもの。
「噛んでいいか」
「え――……」
「傷つけて……俺の証を刻みたい」
頭の中が真っ白になった。
こんな風に言われるの、初めて。
でも困る。困るよ。
こんな経験はじめてだから、それがいいのかどうかもわからない。
そもそも好きかどうかもわからない。
――……それに、心の中から訴えてくる。タマちゃんが教えてくれる。
これはたんなる欲でしかない。夢見る何かじゃないよって。
「ど、どうして――」
かろうじて口から出たのはそんな問い掛けだった。
「わからねえのか」
頷くのが精一杯でした。
ただ……怖かったの。
『……かわるかの?』
タマちゃんの声にどう応えればいいのかすらわからなかった。
「わりい……出直すわ」
深呼吸したかと思うと沢城くんは離れていってしまった。
取り返しのつかないことをしてしまった気がして起き上がったけど。
「あ――……」
「じゃあな」
止める間もなくベランダから飛び降りて……彼は行ってしまったの。
『ハル……大丈夫か?』
「う、うう……」
一緒に朝を過ごして、刺激的だったけど。
どんどんわからなくなっていくよ。
心は求めずにはいられないのに、私はまだ恋愛の意味さえわからずにいる。
友情ですらない……この関係を、どうしたらいいのか。
まだ、わからないの。
◆
何度も深呼吸して、顔を扇いで扇いで……お腹が凄い音を立てた頃になって、やっと起き上がることにした。
全身鏡で確かめてみたら、私の髪は確かに金色に染まっていた。
尻尾と同じ……美しい白金。
眉も、体毛も。
日本人顔にそれは似合うの? と思いきや……顔つきも体付きも変わってるの。
ベースは間違いなく私なのにパーツがみんな可愛く綺麗になってる。
腰もすごくきゅっとしているし、胸も……少しおっきくて形がよくなってる。お尻も我ながら昨日よりずっと悩ましげ。
何を言っているのかわからないと思うけど、私もよくわからない。
『まあ、後一本も尻尾が増えれば完璧かのう』
タマちゃん……の、しわざ?
『まあの。嫌なら戻してやらんでもないが……自力でここまで鍛えてもらわんと困る、とも言っておこう』
鍛えないと、どうなるの?
『祟るの』
なにそれこわい。
い……今のままでいいです。
『それはなによりじゃ』
楽しげな声だなあ。
……世の中のがんばってる人、ごめんなさい。
祟られたくないので許してつかあさい。がんばるので、なにとぞ。
『まあ気楽に考えるがよい。維持のためにはどうせ苦労するんじゃから』
えっ。
『美は一日にしてならず。ゆえにたゆまぬ努力が必要じゃ。なに、手ほどきはしてやると約束したからのう、励むがよいぞ』
で、ですよねえ。
っていうかずるいよ?
一度でもこんなパーボデにされたら頑張っちゃわずにはいられないよ。
思わず服を脱いで確かめてみる。
「うわ……すご。腰すご。これが人の乳なの? それに産毛まで金なんですけど」
下着姿であちこち確かめていた時だった。
ノックがしたからあわてて扉を開いたの。
「おい、青す、み……」
シロくんだった。
目を見開いて、耳まで急速に真っ赤になっていきます。
「ふ、ふくを!」
「えっ……あ」
見下ろしたらまあ……下着姿でしたよね。
「ごごごごごご、ごめん!」
そうでした。
テンションあがりすぎ&そのへんの防御力が如何せんお察し人生だったゆえ!
ないよね。このあたりの世渡り能力の高さとか。
入学当初はがんばって気をつけてたのに。
「お、お見苦しいものを」
ほんとごめんと謝りつつ扉を閉めて、急いで服を着ようとする……んだけど。
「せっかく本来の美に近づいたのじゃから、これと、これ」
ねえ、タマちゃん。ナチュラルに身体の自由を奪うのやめてもらえます?
気づいたら中二の頃に買ったキャミを着ていたよ。
今の乳だとサイズ違うから胸元の破壊力が我ながら……って、そうじゃない。
「下はのう……尻尾用の穴があるのはまだ制服しかないのがつらいのう」
た、タマちゃん! もうちょっと防御力のある服を! 見えすぎ!
「見せてなんぼじゃろうが」
ちょっ! こまる!
ステップでも踏むような勢いで扉に向かい、すぐに開く。
「お待たせ。なあに? どんなご用?」
あああああああああああ!
艶やかににこって笑ってる! なぜかほっぺたあつい! きっと赤くなっているに違いないよ! そんなところまで操作できちゃうの? タマちゃん、恐ろしい子……!
「い、いや、その」
シロくんは私を一瞥するなり顔中真っ赤にして、あらぬ方を向いた。
「かっ、カゲが、その、集まるから呼ぶように、と……ええい!」
あわててワイシャツを脱いで私に羽織らせてくる。
「そ、そういう服装は! 若い女子がするものじゃない! 目に毒だ!」
「……だめ?」
タマちゃんんんんん!
「だ、だめではない! 故に困るのだ!」
「……なんで、こまるの?」
攻めすぎですからああああ!
「だ、だから……それは!」
私の顔を見て歯がゆそうに口をぱくぱくさせるけど……言葉が出てこないみたい。
『ぬし。女の武器を使っても?』
これ以上の武器があるの?
『身を……こう、ぴとりとつける。乳を押しつけるのじゃ』
きゃっ、却下します! 却下! 私の経験値的に無理です!
ちい、と残念がるタマちゃん。
気をつけないとどこまでも突っ走っちゃいそうだよ。
「……白状すると、君が変わったから戸惑っている。その、前の君もいいが」
えっ……。
「今の君は、刺激的過ぎるから……困る。僕も、きっとみんなもだ」
「沢城くんの言った通りなんだ。みんな、好き……なるほど」
『分析が捗るのう』
というタマちゃんの声が心に響いてすぐ我に返った。
あ、あれ!?
タマちゃん、いつの間に私に身体の自由を返してくれたの?
タイミングがまずいよ! 思わず口から出ちゃったよ!
違うの。違うんだよ? やった! とか思ってないから! ちょっとしか!
深い意味はないの。ないよ。ないってば。
『ほれ、自信ついたじゃろ』
ううん。ど、どうかなあ!
『ほれ、十兵衞もなにか言ってやれ』
『……さて』
ちょっと、起きてたなら十兵衞も何かリアクションしてよ!
そう思っていた時だった。
「待て……今の、どういう?」
「えっ、あっ、えっと」
いや、ちがうんだよ? としどろもどろになって。
「沢城くんがさっきまで部屋にいたこと?」
多分きっと、余計なことを言っちゃった。
それがよくなかったんだと思う。
「また……なのか」
本当に狂おしげな表情を浮かべたの。
「シロ、くん?」
「……アイツがいたってことは」
深く息を吸いこんで、けれど全ては吐き出さない。
その代わりに呟くの。
「君をす……気に入ったって証だ」
拳を握りしめて振り上げようとして、けれど開いて。
それから私に伸ばそうとして、首を振った。
落ちる……手。
何を、求めようとしたの。
何を……与えようとしたの。
……どう、触れようと、したんだろう。
「出直すよ」
「え――……」
じゃあ、と。
本来の用件も忘れてシロくんは立ち去っていってしまった。
『妾の力なくとも、いずれはこうなっておったかもの……』
タマちゃん?
『いや……妾を手にするそなただからこそ、なのかもしれんな』
どういうことなの、と聞くことは簡単に違いない。
けれど……そうしてはいけない、と。
なぜか強くそう思ったの。
つづく。




