第三百五十七話
ぬくもりに包まれながら目覚める。だいたいカナタに抱き締められたまま、眠りに落ちて目覚めても状態は変わらなくて。この人は本当に私を求めてくれているんだなあって実感する。
寝相がよくて感謝だ。
ベッドを抜け出そうと布団を動かしてすぐ、鼻に感じる二人の名残の匂いに苦笑い。
お洗濯の時期がそろそろきているのかもしれない。私もカナタも、二人でやろうっていう方針なので……次の休みには洗濯タイムを作りたいけれど。週末は歌のお仕事が入っているから、どうなることやらって感じです。
ベッドのすぐそばに置いてあるカバンから日記帳を取り出してみる。留め具になっているペンを取って広げてみた。高城さんが埋めたスケジュールびっしり。学業の邪魔にならないよう気をつけつつ、それでもたくさんお仕事はいってる。ありがたいことだけど、でも不安。
誘われるままに始めて、求められるままに従って、気がついたらとんでもないところに辿り着きそうで。スケジュールを見ているとなんだかどんどん怖くなってくる。
あわてて閉じてカバンに戻して、カナタに抱きつく。
寒いなあ。寒い。すっごく寒い。一月の冷気はとても厳しくて、カナタの素肌に触れていないと凍えてしまいそうだった。縋るとぎゅってしてくれるのに甘えずにはいられない。
たとえばこれがたくさんいるアイドルグループとか、バラエティタレントさんとか、役者さんや芸人さんなら、学校なんて通っている暇なんかなくなっちゃうのかな。
高校に行かずに働いている人は、高校に行っていたら会うことはそんなにないけれど。でも世の中には確かにいるはずで、私もそちら側に踏み込みかけているのかもしれない。
このまま流れに身を任せていたら――……。
「~~っ」
尻尾が窄まる。怖い。怖い。せっかく手に入った居場所から遠ざけられるなんて、恐怖しかない。高城さんと一度、ちゃんとお話した方がいいかもしれない。
身を任せるんじゃなくて流されているだけじゃ、この気持ちはどうにもなりそうにないや。
今日ちゃんと話そう。
そのためにも……負けたくない。暗い気持ちで相談したら、歌の道も諦めたくなっちゃいそうだから。勝ち取りたい。笑顔を。
二人とも、起きてる?
『ふあああ――……妾は確かに起きてるぞ』
『うむ』
力を貸してくれる?
『今まで通り、当然じゃな』
『――……今日の戦いを俺に委ねたいか?』
十兵衞の切り返しはあまりに鋭くて唸る。
いざとなったら、それも考えてるけど。だけどね?
あくまで、戦うのは私。私だからさ。そこは間違えないつもり。
『ならばよし』
十兵衞の返しに笑って、深呼吸をしたの。
それから――……ねぼすけさんにキスをして起きることにしました。
さあ、気張っていこう!
◆
ユウ、と呼ばれて顔をあげる。
暖房の効いた彼女の部屋で、着替え中の彼女が――……山吹マドカが声を掛けてきていた。
赤裸々な光景に慣れることはないと思う。意識せずにはいられない。
煩悩は打ち払うべし、と幼い頃から教わってきた。剣の道に邁進してきたから……あまり性に触れることはないまま育った。
リハビリだと笑って、彼女は俺に自分の部屋で寝泊まりする機会を増やしてほしいと言ってきたけれど、彼女のベッドで寝ることはできずにいる。
彼女は無防備だ。出会った頃は丸みを帯びた女性らしいシルエットは、剣道部での活動を経てスマートに変わってきたけれど――……それでも曲線を描いた部分の悩ましさは増すだけ。
下着を見るのも、慣れそうにない。
戸惑っていたら、ブラウスを身に付けた彼女が自分の鼻を指先で摘まんできた。
「まだ見慣れない?」
「……落ち着かなくなる」
「これじゃ裸なんて見た日には鼻血だすかもね」
「……まだ、そんな気にならないな」
「見たくないって言われているみたいで傷つく」
「……そういうわけじゃないんだけど」
刀に縋るように手を伸ばして、マドカにすぐ見とがめられた。
その手を取られて、胸元に当てられる。
途方もない軟らかさは慈悲の象徴めいている。
「触れて感じることもあるはずだよ?」
「マドカは急いでいるように見える」
「まあ……ユウが夢中にさせてくれたら、ふらふらしないで済むからね」
自分勝手にそう思ってるの、と囁いて彼女は頬に口づけてきた。
すぐに離れてスカートを履く。パジャマのズボンを脱いで靴下を履いて――……だけど無防備すぎて落ち着かない。
彼女の懐にいるという事実を認識させられる。それだけじゃない。女性という存在を強く意識してしまう。
「ハルに勝てそう?」
「……遊ばなければ」
「断言する内容のわりには情けないなあ。遊びたいの?」
「やりがいのある相手と戦うと、夢中になるところはある」
「ハルが好き?」
急に切り替えされた問いかけに戸惑う。
「……昔の話だよ」
「生身の女子を――……感情を知るのは、そんなに怖い?」
着替えを済ませたマドカがためらいもせず、膝をつく俺のすぐ前に腰を下ろしてきた。
抱き締められるようにはなった。それでもどきどきしてしまう。女の子の存在というのはどうにも不思議で、受け止めきれるか自信がない。
「……怖いよ」
「壊しちゃいそうだから?」
マドカに導かれるように両手で彼女の腹部を抱き締める。
鼻先がぶつかりあうような顔と顔の位置。胸の内がざわつく。
「それとも――……食らいたくなるから?」
優しい声なのに……どうして艶めかしいのか。
「……遅れる」
逃げようとする俺の腕の中で彼女は身を翻して押し倒してきた。
「沢城くんなら迷わず食らいたいというだろうし、仲間さんなら迷わず勝ちたいというだろうけど。ユウの中に眠っている獣は――……なんて言うのか、わからないの」
求められている。救いを求めるように。俺が見せる顔の内側に眠る心を、貪欲に。
「その獣は……抜かずに眠ったままなの?」
「邪悪を切り裂くためのものなんだ。それを解き放ったら、俺は俺のままではいられない。きっと……ギンよりもっと手のつけられない人斬りになる」
「見たいと言ったら?」
「――……マドカ、頼むよ」
彼女の上半身ごと身体を起こす。腰にまたがる彼女との体勢があまりに露骨で、なのに彼女は離さないとばかりに抱きついてきていて。
ただただ、困る。持て余すから。欲がないわけではないのだから。
「みんなが本気なのに、あなたは本気にならないの?」
「マド――……」
名前を呼ぼうとした唇が塞がれる。
必死だった。夢中だった。マドカは訴えている。欲がなければ壊れてしまうと。俺と彼女の関係とか、そういう問題じゃなく。士道誠心における俺という存在が――……壊れてしまうと。
唇が離れたけれど、彼女は頬に、耳朶に――……首筋に何度も口づけてきた。
「マドカ……」
「お願い……ユウがそのままでいたら、悲しいの」
鼓動は高鳴るばかりだった。こうも露骨に求めてこられたのは初めてで、けれど彼女の声は泣き出す寸前のもので。拒めはしなかった。
「学校に遅れるよ」
「――……もう、黙って」
手のひらで口元を覆われて、激しさのままに首元に噛みつかれる。
痛みは一瞬。すぐに熱が広がる。
沢城ギンなら。月見島タツキなら。住良木レオなら。
それぞれに、それぞれが愛する少女を抱き締めることにためらいはないだろう。
羨ましいと思う。どこか受け身でいる自分をいやでも自覚する。
すすり泣くようなマドカの息づかいが聞こえて、認識する。
求めないでいることは、それだけで傷つける。
精神的な繋がりがあればいい、という人もいる。
けれど俺たちには確かに生身の身体があって、触れてしまえば熱を知り、熱を知ったら無視はできない。
どう付き合うべきか――……生物であるなら、答えは明白すぎる。
「マドカ」
「――……っ」
びく、と震えた彼女の髪をそっと撫でて囁く。
「せっかく着たばかりの制服だけど……脱がせるよ?」
その言葉にマドカは顔を上げた。
壊れかけの表情だった。仲間トモに敗れ、山ほど大変なできごとがあって……それでも背伸びして耐えてきた彼女の、救いを求める顔を見たら。
「――……待たせてごめん」
そう囁かずにはいられなかったし。
愛さずにはいられなかったのだ――……。
◆
朝の学食で十組一同で集まって飯を食べて、それぞれに学校に向かおうとした時だった。
「トラ、くん」
ジャケットの裾をくいくいと引っ張るコマチに気づいて足を止める。
天使とユニスが揃って興味津々といった顔をして、リョータとミナトが気を利かせて二人の背中を押す。暁は気にせずマイペースに突き進んでいくが、まあ助かった。
「どうした?」
「……つぎ、たたかい……なにか、できないかな、って」
「ああ……」
コマチの言葉に苦笑いを浮かべた。
今日の空気はどうもおかしい。三年はいつも通りなんだが、二年も一年もお互いのパートナーと妙にくっついている。
特に実力者っぽい連中がそうだ。トーナメントもいよいよ厳しい第三回戦が始まるからか。
そしてコマチは気にしてくれたわけだ。俺のために。
「仲間、さん、つよそう」
「……まあ、そうだな」
山吹と戦ったときの試合を見ていた。
雷神モードとか言っていたな。雷の化身になるだけじゃない。まだ何かが隠れていやがる。
その証拠に山吹を倒した瞬間、角が生えているようにも見えた。
だから調べたよ。雷切丸の持ち主……立花道雪の異名を。
雷神、鬼道雪。由来はぜひとも各自で調べてくれって感じだが……仲間トモはそれを体現する解釈を、己の技へと変えてきやがったんだ。
ただの鬼ってだけじゃ、正直立ち向かえないほどの脅威。
それを感じ取って、心配してくれたんだとして……。
「無茶はしねえよ」
「でも……十組、もう、トラくん、だけ」
「……まあな」
キラリが打ち出した目立つべきだという作戦の成就には、俺が勝つしかないわけで。
「おまもり……あげ、たい」
「おまもりって……まあ、ありゃ心強いが」
一途な瞳で俺を見上げてくるコマチは、入学当初のやばさがそのまままるごと愛らしさにシフトチェンジしていて可愛いにも程があるのだが。
耳のように整えられた髪といい、妙に動物めいていて困る。撫でたくなる。
「お部屋、いっても……いい?」
「――……」
言葉が出てこなかった。
ユニスの入れ知恵か? いや、それならあいつはもっと意地の悪い顔をしただろう。
なら天使やミナトか? 同上って感じだな。それに天使は下ネタとか、男女の交流に厳しいからないな……ミナトはあやしいが、コマチに入れ知恵する内容にしてはきわどい。
部屋に行っておまじないってなんだ。
身構える俺に意を決したコマチは、俺の手を取って歩き出す。
引っ張られるようにして歩く。
こうと決めたら一直線、どこまでもばく進する。出会った時から変わらない。放っておけなくて構っていたら、目が離せなくなって……気がついたら誰よりそばにいる女の子になった。
お互いの深い部分に歩み寄りながら、けれど具体的に言葉や形にしない曖昧な関係。だからこそ胸を張って言える。恋をしているんだと。
扉の前について、鍵を開けて中に入る。
何か決定的な一歩を踏み出すのなら、それはあまりにも急すぎて。それでも中瀬古コマチらしくて、思考が追いつかない。
「トラくん……あの、ね?」
ふり返ったコマチに鍵をかけて、と言われて素直に従う。
すると、俺のすぐそばに近づいて、俺の手を両手で包み込んだ。その手に額を重ねて祈る。
「――……がん、ばって」
顔が強ばる。こいつ、ほんとにわかっていてやってんのか。
「まけ、ないで……」
祈る声は健気なくらい震えていて。
「なに、より、きず、つかないで……もどって、きて」
まるで俺が死地に向かう侍のような、そんな願い。
微笑まずにはいられなかったし、抱き締めずにはいられなかった。
「あ――……」
「わりい。けど……こうでもしないと、抑えきれなかった」
「トラ、くん」
「ちゃんと名前で呼んでくれよ……呼び捨てでいい」
「虎次……くん」
「小町」
囁きあって、額を重ねる。間近にある大きな瞳には、十組が取り戻した輝きがある。
天使とユニスに可愛がられて磨かれていく容姿は日ごとに可憐に育つばかりで――……不安になる。桜を散らす刀を手にした少女の行く末に、鬼の自分は寄り添うことができるだろうかと。
「俺で、いいか?」
問いかける。
「――……お前が好きだよ、小町。だから教えてくれ。俺でもいいか?」
頬に手を当てても、小町は嫌がらなかった。嬉しそうに瞼を伏せて、微笑む。
「――……うん」
目尻から流れ落ちる涙を見たら、もう耐えることさえできなかった。
「「 ――…… 」」
口づけて、求める。どこまでも。彼女が背伸びしながら返してくれる愛情が何よりの加護になると違いない。きっと二人とも、それをわかっていたから――……。
◆
教室に登校してみると、空気は二分されていた。
敗北して観戦モードか、午後に待ち受ける戦いに緊張して高まっているか。
仲間トモとしては、シードにしたって後回しにされている沢城ギンほど飢えてもいなければ、油断する気もない。
それでもね。
「トモ、彼氏きたよ」
クラスメイトに呼ばれて教室の入り口を見て、結城シロの姿を目にした時には気が緩んでしまった。
自覚する。あたしはまだまだだ。
席から立ち上がって歩み寄ると、シロは首裏に手を当てて照れくさそうに言うの。
「十組の戦力分析をしてたんだ。相馬トラジ……きみと戦う鬼の底力を探っていた」
「……甘い言葉を期待してたんだけど?」
「えっ」
ほんと、残念な彼氏だ。笑っちゃうし、まあ……そういうところも好きなんだけどね。
「あたしのために頑張ってくれたんだ?」
「ま、まあな」
「それで? 落ち込んでないっていうところをみると、いい知らせが聞けるの?」
「ああ。相馬トラジ……調べてみたら、前に彼の姉が入学していたことがわかった」
思わず半目になる。
「図書館こもってそんなこと調べたの?」
「まあな。相馬という名字に覚えがあったから。十組で家族が入学していたのは、あとは今年の転入生の暁と、十組の委員長ポジの天使だな。鷲頭と虹野、スチュワートは別だ」
「……ふうん」
親が侍の天使か。暁の兄が去年の卒業生ってのは、ハルの話で聞いた気がする。
まあそれはいいか。いま気になるのは別のことだ。
「相馬くんのお姉さんってどうなの?」
「前にひどい邪災害に一人で立ち向かってひどい傷を負ったようだが……当時の士道誠心における真中先輩のようだったみたいだ。委員会発効の新聞の記述にあった」
ほんと。よく調べたな。
「そんなものまで調べたの?」
「トモのためになるなら、なんでもしたいからな」
さらりと言って眼鏡のつるを指であげる彼氏は、やっぱりちゃんと輝いていた。
山吹マドカの登場で霞みつつあるが、それでも彼は紛れもなく一年生の参謀におさまる人間だ。再確認する。
「諦めない心の強さと、勝利のために己の特性を活かす知恵が、幾度となく勝利を呼び込む……そんなスタイルだったようだ」
「一番手強いタイプだ、それ」
「生きる意思の強さが彼女の生を支えた、と……邪事件後の侍の季刊紙インタビューにあった」
「そんなものまで」
正直、シロの調査力を侮っていた。
「弟のトラジは恐らく姉の影響を受けてこの学校に入ったんじゃないかと僕は分析している」
「……お姉さんばりに手強いとみろ、か」
「或いは岡島や茨並みの鬼に育つ可能性がある」
「そいつは手強そうだね」
笑って受け入れた。戦力分析は大事だし、シロのおかげでかなり上方修正しなきゃまずいとわかった。それでもいいさ。
「あたしが本気を出すに相応しい」
「……他に僕にできることはないか?」
シロの囁くような声に思わず吹き出しかけた。
今日の学校の雰囲気はどこか全体的に華やいでいて、そわそわしている。
恋人たちは愛をかわして戦に備えている。その空気に当てられたのかもしれない。
切っ掛けは切っ掛けに過ぎない。それを活かすも活かさないも、その人次第。
あたしの場合は――……そうだね。
「勝ったらごほうび。負けたら慰めて?」
「……わかった」
微笑むシロに握り拳を向ける。迷わず握り拳を重ねてきたシロと別れた。
胸の内に宿る炎は燃え上がるばかりで、その勢いのままシロに許されたら……シロを傷つけてしまうに違いない。それこそ、ハルが彼氏の首をめちゃめちゃにするほど噛んだ時のように。
心に獣が宿っている。そいつは吠えて、飢えを叫んでいる。
満たす方法はただ一つ。
食らいたい。戦いの中で浴びる気を。相手を切りつけた時に湧き上がる衝動を。切りつけられた時に感じる焦燥を。
授業なんて身が入らない。頭の中にあるのは、ただ一つ。
今日は全力で戦う。相手を倒すため。己を満たすため。そして――……更なる高みへの階段を見つけ出すために。
つづく!




