第三百四十二話
絶叫するマドカの声、もちろん気づいていたよ。
あまあまどころじゃない。
気になったよ? だけどその時には疲れすぎててまともに動けなくて……その間にカナタがいろいろ聞いて回ってきてくれた。
だいたいの事情を聞いたよ。少し横になって回復した体力でマドカのお部屋に行ったら、先生達が集まってた。狛火野くんが寄り添うマドカは眠っているみたいだった。けれどその身体に、死にかけた私と同じような黒い染みが広がっていたの。それに……鞘から出された刀は粉々に砕けていた。
ノンちゃんや超強いミツハ先輩が刀のメンテをしているけど、すぐにくっつく感じじゃない。
ほっぺたが真っ赤なルルコ先輩がメイ先輩と駆け込んできた。
「マドカちゃんは!?」
「だいじょうぶなんですか!?」
二人の声に先生たちは頷けずにいた。
コナちゃん先輩がマドカにずっと触れていた。保健室の先生も。
「……隔離世よりも遠くに行っちまってる」
「霊力がどんどん弱まっているの」
そんな、と呟いた。
誰かが襲ってきた。私が感じた悪寒はそいつのもののような気がする。女の勘。だってあの瞬間の悪意、いま思い返してみれば覚えがある。
私を追い詰めた……脅迫した、あの金髪男。あいつの気配を確かに感じるの。
考えすぎかもしれない。だからいまはいい。
気のせいにしちゃった自分を怒鳴りつけたいけど、今はそれどころじゃない。自分をしかりつけるのなんて後でいくらでもできる。
今すぐやらなきゃいけないのは、マドカの救出だ。
「姫は寝ているが、もし隔離世の先があるのなら……俺が門を開けるかもしれない」
カナタが言うの。覚悟を決めた顔をして。
「緋迎。人の身に過ぎた技は代償を欲する。青澄がいい証拠だ」
ライオン先生の言葉に、カナタは頭を振った。
「だめなんです。境界線を越えなければ助けられない。なら、先生……やらせてください」
「……む」
カナタの覚悟を見てライオン先生は納得しちゃった。
けど他の先生たちはいやいや、という顔をする。
「待って。みんな今日はいろいろありすぎて疲れているはずよ。これ以上の無茶は――」
国語を教えてくれる飯屋先生が待ったを掛ける。
けど、だからこそ私はめいっぱいの気持ちを込めて言うの。
「カナタ一人でだめなら、私もやります。マドカのことだもん、私たちがお助けするんです!」
出遅れたとしても、まだチャンスはあるのなら掴み取る。
「カナタがお姉ちゃんの……閻魔姫の力を使うつもりなら、その御霊と繋がる私にもできることがあるはず!」
カナタと目配せした。だから、
「「 お願いします! 」」
声が揃うのも、気持ちが重なるのも必然だった。
生徒がどんどん集まってくる。くたびれた顔をして、それでも立ち上がれる強さのある生徒だけだけど。
一人じゃない。
みんなじゃないけど、たくさんいる。
「ミツハ。みんなで二人に力を貸したら、目算はどれくらい?」
「メイの振りが止まらないな……まあ、ゼロじゃないと信じる奴らが多けりゃ多いほど、可能性はあがるよ」
ミツハ先輩の言い方は随分やさしかった。
思っているんだ。きっとゼロにほとんど近いって。
それでも、やるならみんなでやろうと促している。
「余計な茶々が入って、仲間が弱っている。だからなに? 当然たすける」
メイ先輩の断言に先生たちが諦めた顔をする。ライオン先生くらいだ。笑っているのは。
「準備して」
我らの太陽の号令でただちに準備がはじめられる中、ルルコ先輩が駆け寄ってきた。
抱き締められる。はじめてルルコ先輩のぽかぽか体温を感じた。すっごく身体があついの。どうしたんだろう。メイ先輩と同じ匂いがする。何かあったのかな? そんな事を考える私にルルコ先輩は言うの。
「いい? ひょっとしたら全員で助けに行けるかどうかもわからない状況だから言うね?」
耳元で告げられるの。
「お助け部に入ったのなら、まずは――」
ルルコ先輩が一言一句、聞き間違いのないようにはっきりと教えてくれた言葉を心に刻み込む。
「いい? ちゃんと伝えてね?」
私は涙が浮かびそうだったけど、それをなんとか堪えて思い切り頷いたの。
マドカに会う理由が増えた。待っててね!
◆
獣が次々に増えてくる。
出血する勢いが増しているんだ。炎は降りしきる雨のおかげでどうにかマドカを焼かずにいるけれど、何の慰めにもならない。
無数の刀がマドカを苦しめている。
だいたい光る女の子に対して暗闇に浸るアイツはいったい何を考えているんだ。
「獣がどんどん強くなってんぞ!」
「量もやばいよ――」
「くそが!」
男子たちが悲鳴をあげる。
アリスを狙う獣をコマチが切り裂き、ユニスが焼き払う。
近づけない。獣に。途中で聞こえた声が告げていた。殺せ、と願っていた。
何があいつをそこまで苦しめる?
自分の刀で自分を貫いて、いったい何がしたい?
わからない。わからないんだ。
「マシンガン女! いつもの調子はどこへいった! 答えろ!」
必死に呼びかける。星を駆けてアイツに近づこうとするけれど、近づけば近づくほど獣の抵抗が増していく。拒絶。明らかに拒まれている。その証拠に、
「う、ううっ、くっ、ぁああああ!」
悲鳴をあげる。
「だめ! その子の力、たぶん強すぎるのよ! 引いた御霊も、その縁も深すぎる! 霊界と現世の繋がり、己の願望に振り回されて死にかけている!」
ユニスが叫んだ。答えられない。どうしたらいいのかわからないからだ。
男子が苦しみ、ユニスとコマチも新たな手を打てない。そんな状況下で、
「なんで自分をそんなに傷つけたいんです?」
アリスが言うのだ。不思議なことを。
「お姉さん……どうしてそんなに、自分が嫌いなんですか?」
迫り来る獣を切り払うのに必死で口を挟めない。
なにをいってるんだ、と言いたかった。
私の目に映る山吹マドカは、いつだって自信に満ちているように見えていた。
そりゃそうだ。
光り輝く刀を持って、お助け部で活躍していて、一年の中で参謀役におさまって。それ以上なにを望む? そう思っていた。けれど、
「――……どうしたら、ゆるされるの」
アイツは答えた。アリスの言葉に、アイツは答えたんだ。
優しく赤子に問い掛けるように、アリスが返事をする。
「どうかしましたか? おこられるようなこと、しちゃいましたか?」
「わたし、いつも……だれかにめいわくかけて、とうとう敵に狙われて……」
「んん。困りましたねえ」
アリスとだと、なぜか会話が成立している。なぜか? いいや、考えるまでもないだろ。アリスの言葉が当たっているから、山吹マドカは答えているんだ。
「なにをねがっているのか……ハル、ハルはどこ……光はどこにいるの……ユウ、ユウ」
夢うつつに名前を呼ぶ。真っ先に出るのが春灯か。光ってのは誰だ? いや、どう考えてもマドカを抱いてる光った女の子のことだろ。ユウってのは、確か零組の男子だ。マシンガン女の彼氏だったはず。
最後にくるのが彼氏とか、どんだけ頼るの下手なんだ。真っ先に頼っていい相手じゃないのか。そもそも春灯に愚痴を言ってるなんて、聞いたこともなければ見たこともない。そういうタイプにも見えない。
抱え込んでいるのか。アイツは。普段はあんなにマシンガンなのに、肝心なことは言ってないのか。
「迷惑かけて……また、逃げ出して……その方が、楽で……」
「ちがう、ちがうよマドカ。暗闇にとらわれないで。欲望に呑まれないで」
光であろう女の子が訴える。けれど、マドカには聞こえていない。
「いたい……いたいよ……わたしのけものがわたしをころす……すべてを斬って、壊したがるの」
その瞬間、この場に集まる獣たちが一斉に動きを止めて吠えた。
ぞっとした。そのあまりの大音量に。びりびりと身体にくる響きに。
「おかしいなあ。お姉さん……怒ってる声が聞こえますよ。でも恥ずかしくて悔しくて、泣けてしょうがないみたいな……そんな感じ」
「アリス、糸口が見えたのか!」
「んん」
苦しむようにアリスが顔を歪める。
「わかりません。二人の少女を繋いだ御霊が欲望に呑まれて促す自殺の止め方なんて」
◆
隔離世へ行く。マドカの霊子体はところどころが裂けて出血していた。黒い血を周囲に広げている。奈落の底に繋がっているかのように、血だまりが黒。
カナタが刀を抜く。私はカナタの手に自分の手を重ねた。ミツハ先輩が私たちの背中に手を当てて霊子を注いでくれる。後ろにいるのは士道誠心の夜更かしさんでありお節介さんたち。ノンちゃんが経路を作って、みんなの霊子を私たちに注いでくれているの。まるでヤシマ作戦。
そばに狛火野くんが控えている。門を開いて、最低でも狛火野くんを送り込む。もちろん私もなんとか飛び込む予定だよ!
「さあ、いくぞ――……」
カナタの身体から噴き出てくるの。お姉ちゃんと同じ膨大な霊力が。正直、カナタにそんな力があるなんて思ってないレベルだった。頼もしくて仕方なかったよ!
私の大神狐モードでも敵うかどうかわからないくらいの熱が刀に宿る。瞬間、黒焔が刀を包み込む。
けれどすぐに消えそうになるの。消費が激しすぎるせいだ。
「ハル!」
「わかってるよ!」
九つ弾け、転じて大神狐! さあいけ! 私の中に宿ったお姉ちゃんの黒焔よ!
「「 開け! 異界への門! 」」
思い切り振りかぶって切り裂いた。軋んで裂ける割れ目に迷わず狛火野くんが飛び込む。すぐに裂け目が閉じていく。
「いけえええ!」「ハルちゃあああん!」
メイ先輩とルルコ先輩が叫ぶ。
背中を押されるように、無我夢中で飛んだ。見る見るうちに窄まる穴の内側に飛び込めたのは、私だけだった。
落ちていく。狛火野くんが下にいる。さらにその下に――……教会が見えるの。
『な、なんじゃあ!? ごっそり力が減ったぞ!』『なかなかきつい気付けだ……!』
二人の御霊が悲鳴をあげる。ごめん! でも今はそれどころじゃないの!
空を蹴って頭を下へ。
狛火野くんを途中で拾って全力で落ちる。
教会に開いた穴から飛び込むのだ。
地面に激突する寸前に霊子を放って無理矢理、急制動をかける。
そこは修羅場のまっただ中。マドカが光る女の子に抱かれてその身体を貫かれている。マドカの刀だけじゃない。マドカが振るう無銘たちが、マドカを貫いているの。
なぜかそこにはキラリたち十組がいた。みんな戦いのまっただ中だった。
空から降る黒い雨を見た狛火野くんが叫ぶ。
「マドカ! 助けに来た!」
「――ッ」
マドカの顔が苦しみに歪む。そしてどんどん身体全体が暗くなっていく。流れていく血の赤だけが鮮烈だった。
「だめ……切り払うのは、妄執だけ!」
ちっちゃな女の子が叫ぶ。それだけで狛火野くんには伝わったみたい。
迷わず抜刀した。剣筋が見えなかった。けれど玉散る水滴が黒い獣たちをすべて貫くの。
そして彼は掲げた。刀を天高く。黒い雨に透明な雨が混じっていく。その雨はマドカの刀に宿る赤い炎を消していく。
「そう……それでいい。でも……これは自殺。欲望に呑まれ、飲み込んだ邪に心を乗っ取られた侍の末路」
ちっちゃな女の子の言葉に喘ぐ。そんなのってない。
身体の一点を穿たれた獣たちが次々に消えていく……最後に残った一匹の黒い影が晴れていく。見えたのは……金色の狐。尻尾は一尾。だけど、それはまるで私みたいだった。或いは……誰かが夢見た私の似姿か。
「もしかして獣の中身ぜんいん狐か? どれだけ春灯が好きなんだ……ああもう! いろいろ屈折した女だな!」
苛立たしげに言うと、キラリは叫ぶ。
「アンタのマシンガン、頭の回転が速いだけじゃない! 怖いんだろ! 他人にあれこれ言われるのが!」
「――ッ」
マドカの身体から血しぶきが飛んだ。そうして一本だけ、刀が自然に抜け落ちた。
「でもな! こじらせてるのはなんとなくわかってたし! それを承知で友達になったから言わせてもらうぞ!」
キラリが一瞬、私を強く睨んでから言うの。
「頼れ! 悩みがあるなら吐き出せ! そんなんなる前に、愚痴りにこい! ほら彼氏! あんた彼氏だろ! だったら言ってやれ!」
「え、ええ?」
狛火野くんがあまりの剣幕に動揺してる。そうだよねえ……女子、苦手だったもんねえ。キラリ強すぎてびびっちゃうのわかる。
「そ、そうだな……マドカ。俺の気持ちはもう伝えたよね。でも気づくべきだった。練習を一緒にしてくれる時に、手合わせすればよかったんだ」
思わずこけそうになったの、私だけじゃない。
ほんと、狛火野くんは剣道バカなんだから! そういうところ大好きだけども!
「ほら、マドカ……もう、やめよう?」
声を聞いて確信した。光ちゃんだ。マドカを優しくさとすけれど、届いてないようだ。マドカは声を発しない。
だから私は前に出て訴える。
「マドカが何を抱えているのか。どうしたいのか。私にはわからない。話してくれなきゃ、わからないよ……刀の声は聞こえても、私べつにエスパーとかじゃない」
胸にめいっぱい息を吸いこむ。
「でもマドカをお助けしたい! それ以上に言いたい! ルルコ先輩からの伝言だよ! いい?! 耳をかっぽじってようく聞いてよ!?」
狐を抱き上げて、足下に駆け寄って叫ぶ。
「お助け部はね! まず自分をお助けするの!」
大神狐でいられず噴き出た九つの尻尾すべてが興奮で膨らむ。だって、言わずにはいられないよ。己の積み重ねと夢の結晶で自分自身を傷つけるマドカには、言わずにはいられない!
「マドカは自分を傷つけるのに必死すぎるよ! マドカはもっと自分をお助けしていいんだよ!?」
無銘で自分を貫いたのはなぜ? 積み重ねが信じられなくて、そんなの無駄だったって自分を責めているからだ。
やっと手にした可能性、大好きな子の絆で自分を貫いたのはなぜ? そもそも彼女が死んだのは自分のせいだってまた自分を責めているからだ。
獣を出したのは……その内側に私がいたのはなぜ? わからない。でもきっと、私に言いたいことがあるはずで。お願いしたいことがあるはずだから。
「私はマドカをお助けしたいよ! 光ちゃんも輝いているけど、マドカにだって輝いてほしいよ! マドカはどうなの!?」
「わたし、は――……」
マドカが瞼を開ける。私を見つめる。
「お助け、したい。輝きたいよ……」
涙ながらにマドカがそう呟いた瞬間、無銘がひとりでに抜けていった。すべて。すべてだ。
暗闇色のマドカが元々あるべき色を取り戻す。
残されたのは、マドカの刀だけ。
「なら――っ!」
胸に刺さった刀に手を掛けたその時だった。
『許さん。許さん。怒りは消えぬ! 千年だろうと万にいたろうとも、未来永劫まで呪い続ける!』
噴き出てきた。刀から溢れる妄執が。強すぎる衝動が――……刀の奥に眠っている。
おかしい。
光ちゃんをマドカに会わせてくれる優しい御霊が宿っているはずなのに。
手がバチンと弾かれた。刀に拒絶されたんだ。
『厄介な御仁じゃのう! ハル、よくない刺激を受けてあらぶっておる! これは浄化せんと手が出せんぞ!』
む、むうう! この期に及んで邪魔をするとか!
「刀を浄化する!」
「どうやって!?」
私が叫んだ瞬間、悲鳴が返ってくる。
「えっと、えっと!」
こんな窮地でいきなり頭なんてまわらないよ!
シロくんがいてくれたら! カナタがそばにいてくれたら、なんとかなったかもしれないのに、弱い部分は他力本願な私じゃあ――!
だからこそ。誰もが何もできないこの瞬間だからこそ、
「――……だいたい、わかった。そっか。心の弱みがいけなかったんだ。四月の、ユリア先輩の事件と……同じだね。そりゃあ……私が、私をお助けしなきゃだめなわけだ」
マドカが力なく微笑む。そして覚悟を決めた顔を見せるの。
「私を助けるのは……私自身。でもごめん、これからもっと迷惑かける」
「いいよ」「いいから言え! なにをすればいい!」
泣きそうな顔をする私とキラリの叫びにマドカは頭を振ってから、キラリを見た。十組を見たの。
「十組……その力を集約して、キラリに。キラリ、あなたの星を私に注いでくれる……?」
「アンタ……」
「私の願いはね……私らしく輝くこと。それを許されること。光は許してくれてる……」
そばにいる女の子を見て、それからマドカはキラリに希う視線を送る。
「だから……私は私を許したい。ハルみたいに……私らしく、輝いてみたい。それが願い」
「――……見えたよ」
キラリが刀をマドカに向けた。
「ユニス! なんとかできる!?」
「ああもう! 都合のいいときだけ頼って! この借りは返してよ!?」
「当然!」
「期待してるから! じゃあみんな、私の背中に手を当てて!」
その場にいるキラリ以外の十組がユニスさんの背中に手を当てた。ユニスさんは本を開く。
「回路形成だのまとめて全部ぶっとばして省略! 省略! 開け絆の道!」
ユニスさんが叫んだ瞬間、キラリの身体が光り輝く。そしてパジャマをふわふわバトルドレスに変えちゃうの。
「よしきた力が満ちてきた! いくぞ、マドカ! 事情を聞かない今でもはっきり言ってやる! 世界があんたを憎もうが、あんたがあんたを殺したくなろうが知ったことか!」
きらきらの星の道を駆け抜けて、キラリがマドカの刀のすぐ横、心臓を貫いた。
違う。星を注いでいるんだ。刀を願いへと変えて。
「アタシがアンタを許す! 友達だからな! 借りは注ぐ熱量だけで勘弁してやる!」
「あつい、ね」
「いけえええええええええええ!」
「く、ううう――……ッ!」
マドカが声にならない叫び声をあげる間に、光ちゃんがマドカの中に吸いこまれるの。
出血は止まり、傷は塞がる。
けど刀から炎が噴き出たの。キラリを拒絶するかのように。たまらず、
「――……くそっ!」
刀を引き抜いて飛び退き、キラリが悔しそうに叫ぶ。
マドカが自分の刀に手を掛けた。けど、抜けない。抜けないんだ。足りない。
刀の炎を消そうと狛火野くんが刀を重ねた。降りしきる雨はもう、清らかなもの。しかし均衡は崩れない。このままじゃ、だめなんだ。
「私は、これで、済んだ! けど刀が! ユウ、折って!」
「けどその刀は君の――」
「折って!」
「くっ!」
狛火野くんがためらう。しょうがないよ。あれはマドカの友達……ううん、大事な人の御霊が宿った刀身なのだから。
いま思えば、ユリア先輩のオロチやシュウさんの禍津日神を折ることしかできなかったことが悔しいくらい……他に選択肢が欲しかった。
そう――……破壊するより先へ行く力が欲しい。
壊すんじゃだめ。それじゃあ……悪意の持ち主と同じだ。マドカを怖そうとした奴と変わらない。そんなのはいやだ。
壊す以外の道は? なにか。なにかないのか!
シュウさんだって苦しんだ末に禍津日神と和解して、真打ちを手にしたんだ。そうしたらもう……あの頃の闇落ち加減は一切なくて。ない、なら……なら!?
真打ちだ! 抜くしかない。マドカの本当の夢の結晶を、掴むなら今しかない!
「マドカ……あなたの力は」
「ハル、折らないと!」
「あなたの力は、積み重ね。それは表面的なもの」
浮かんでくる衝動そのままに呟く。たりない。たりない。頭の回転がたりない。私はばかだから。たりなすぎる。これじゃだめ。タマちゃんでも十兵衞でもない。私自身が足りなすぎる。
早くしろ。回せ。頭を回せ。なんでもいい。思い出して、思い浮かべて、無茶苦茶になってマドカを求めるんだ。マドカの未来を。
頭があつくなる。ぼーっとする。
必死に思い浮かべる。マドカのこと。私の知るマドカのすべて。
お助け部でルルコ先輩を助け、刀を抜くための鬼ごっこでみんなを送り出すためにギンに立ち向かった。自分のためもあるだろうけど、それ以上に誰かのため。
自分を一番危険なところに投げ出すことさえいとわない。誰かのためなら。それは、つまりどういうこと?
「たすけてた……みんなのために、がんばれるひと」
「は、る……」
鼻から何かが垂れた。みんなが私を見つめてくる。視線を感じる。それすらうるさい。
震える手で刀に触れた。拒絶する力を中和してくれるのが、マドカの手。重ねる。
足りない。規定する。マドカの願い。夢。刀。そのありよう。なぜ。それは、なに。いつかみた。それはいつ。みた。みた。わたしはみてない。けどみんなみた。
ギンに立ち向かうマドカが手にした山ほどの無銘を。
マドカは言った。許されたいと。そのためになら自分を乗り越えることを許す。
誰かの力を借りて使えるマドカは――……許してる。誰かの力が自分より素晴らしいという可能性を。
そしてそれを振るう自分を許せずにいるけれど――……刀は訴えている。既にもう、力を与えている。明白だ。光ちゃんの願い、マドカが光ちゃんに求めた輝きなんて、一つしかない!
それは、それは――ッ!
「たすける、ために、なんでも、できるひと」
ぼたぼたなにかがたれている。頭がくらくらしてしょうがない。
構うものか。
「優しさ。許す力――誰かの力を認める力! 山吹マドカ! その刀は!」
思い切り、
「誰かを許すためにあるんだよ!」
引き抜いた。光が弾ける。刀が姿を変えていく。
まるで真打ち。
「光ちゃんはマドカを許していた! マドカは許されたいんだ! 許しの力がマドカの力なんだよ!」
いいや、紛れもなく真打ち。
胸にぽっかりと開いた穴が塞がっていく。まるで怒りはもう晴れたかのように。
「マドカの御霊――光ちゃんを導いてくれた人の本質は優しさ! 私はそう信じる!」
「ハル――……ハル!」
「だからもう……怒りを下ろして。哀しみを下ろして。自分を傷つける……刀を、下ろして」
自分をお助けしちゃおうよ、と囁く私は崩れ落ちた。
急いでマドカが刀を下ろして私を抱き締める。
けどマドカもマドカで体力の限界だったの。くらりと力が抜けて二人揃って崩れ落ちそうになる。狛火野くんが抱き締めてくれた。キラリたちが支えてくれた。
俯いて気づいたよ。すっごい鼻血でてる。止まらない。それに頭がすごく熱い。
駆け寄ってきたみんなから裸を隠すように、狛火野くんがジャケットをマドカに羽織らせる。その間も鼻血は止まらない。
すぐにユニスさんが私の頭に手を置いて囁いた。かぁっと熱くなっている頭がゆっくりと冷えてくる。同時に頭痛を引き連れてくるけど。
「急に無理矢理頭を使った代償ね。霊界と隔離世の狭間で願うままに己の身体さえ無理矢理使役するなんて、呆れた。そこまで必死になれるものなのね」
「お助け部だからな」
キラリが呆れた顔で相づちを打つ。
「お礼を言ったり、いろいろしたいのは山々なんだけど。ここから早く戻らないと……ごほっ」
マドカが咳き込んだ。血を吐き出している。無茶苦茶に傷ついていたから心配でしょうがない。それでも、遠くから崩落の音がし始める教会の中でマドカは言うの。
「心配とか後回し。誰か、手段はある?」
「泣き声もやんだので……ここで今日一番のどや顔をさらす私。できる見た目九歳児。ふふ」
ちっちゃい子がどや顔で手を挙げる。
「はいはい。兎さんの声が聞こえます。あの台座の裏にみんなで、せーのでタッチすればいける。そんな予感」
「予感かよ。雑だなおい」
「ティッシュの用途について説明してもよければ」
「嘘ですすみません。っていうか女子なんだから言及しないでもらえます!?」
私とキラリとマドカがきょとんとする中、ユニスさんが凄い目つきで発言者を見てた。ま、まあいい。
狛火野くんがマドカを、私はキラリに肩を貸してもらって急いで移動。ちっちゃい子の言うとおりにした。瞬時に眩暈を覚えてまばたきをする。
するとどうだ。マドカの部屋にいるじゃないか。キラリたちはいない。っていうか隔離世を飛び越して現世に戻ってきちゃったみたい。
視界にカナタの顔が入ってくる。
「無事か?」
「マドカは……?」
「いま起きた。先生たちが見てくれている。刀は元通り、だが本人の霊子体の傷は深い。心の休養が必要だ」
なんとか身体を起こす。ぼたぼたと鼻血が出てきた。あわててカナタがティッシュをくれるから、それを詰めてマドカを見る。
狛火野くんと手を繋いで、満ち足りた顔で寝ているの。傷口は塞いだ。あとはゆっくり癒やしていくだけ。マドカともっとたくさん話したい。キラリもきっと同じ気持ちだと思う。
ほっと息を吐いたらずきりと頭が痛んだ。
「いたた……」
「頭が妙に熱くなった瞬間があった。途中で不意に冷え始めたから何事かと思ったぞ」
「ユニスさんのおかげ……十組は?」
「彼らがどうかしたのか? ――……ああ、噂をすれば」
キラリが飛び込んできた。他にも十組のみんなの顔が見える。無事だったんだ。
とんだオールナイトになっちゃったけど。
これで……どこからか来た悪意の魔の手ははね除けた。
マドカが自分に自信がもてるようになれたらいいなあ。私に言いたいこととか、思っていることも聞きたい。けどそれは私のペースでじゃない。マドカのペースでいいの。立ち止まるようなら促して。進むなら任せる感じで。
きっと大丈夫だと思うんだ。
今日、やっと……本当の意味で、マドカは自分をお助けし始めたから。
もしマドカが刀を真打ちに変えるやり方を見つけ出したら、強力なライバルが誕生した感じだけど。
でもね。どんとこいだ。
ルルコ先輩は言っていた。
「お助け部に入ったのなら、まずは自分をお助けするの」
私はなんだかすごく素敵な言葉だと思ったの。誰かを傷つける以上に、自分を傷つけるのはたやすい。
「そう伝えてあげて? 自分を優しく厳しく認める力が、未来へ近づけてくれる……ルルコに似てるけどしっかりしてるから、きっとルルコより早く幸せになれるよ」
優しい顔で、言ってたの。
「だから伝えてあげて。お助け部は、まず自分をお助けするんだよって。いい? ちゃんと伝えてね?」
ルルコ先輩の願いはちゃんと届いてるはずだよ。マドカの心にね。
だって確かに、マドカの刀がより一層強く光り輝いたのだから――……。
つづく!




