第三百二十七話
真中愛生、とうとうその日が来たか――……。
なんてね。年明けに先輩に呼び出されて割と期待した。
先輩と初詣。きっと楽しいことが待っているに違いない。
だって先輩との初詣だよ? 元旦から一緒だよ? こんなにいい日が来るなんて。
どんな風に過ごせるだろう。福引きはどうなるかな。二人で一緒の運勢とかだったら?
いやあ。やばいね。やばい。
我ながらハイテンションで着物姿で浅草寺へ。
そして合流場所についてすぐにテンションが平常時に戻る。
「ほほう。お姉さん……着物。かなりのハイテンションぶり。これは兄の期待の持たせ方に妹として同情を禁じ得ない……しかし、ふふ。奢られる予定ですよ」
いたのだ。アリスが。先輩と二人でいたならぞんざいにツッコミを入れるところなのだが。
「どうもー」
「はじめまして」
後ろにいる大人二人にいつものテンションがよそ行きのテンションに切り替わる。
聞いてない。聞いてない! 家族連れで来るとか聞いてない!
「は、はじめまして、どうも。真中愛生です」
「ごめん。なんか……ついてくるって聞かなくて」
先輩が苦笑いを浮かべている。わざわざ来るのなんで。先輩の家族連れなんで。
「い、いえ……お会いできて嬉しいです」
なんとかそう言えた自分を褒めたい。褒め称えたい。そして抱き締めて頭を撫でてから背中を叩いて言ってやりたい。さあ、戦いだぞ! と。これは試練に違いないぞ! と。
「ふふー。お姉さんの手は私のもの。さあさあ、奢られる旅にいきますよ」
「いや、高校生の財布なめんな」
「士道誠心は毎月お金がもらえる……三年生最強のお姉さんの財布も最強に違いない」
どや顔をみせるかつての自称九歳児。本当は十六歳児だ。高校一年生。ハルちゃんたちと同じである。
兎模様の着物姿でハイテンションに歩き出すアリスに連れられていく。
先輩たちが後から追い掛けてくる格好だ。
「かわいいお嬢さんだね」
「あら。あれで強いらしいわ。うちの息子にぴったり」
思わず耳を傾けざるを得ない。なんですか。やっぱりこれは試練なんですか。家族的に息子の恋人ありや、なしや? という試練なんですか。
「二人ともやめて。気が早い」
「そんなことないわよー。付き合っている内からしっかり目標をもってがっつり進める意思が結婚に結びつき、引いては孤独死を避けるの!」
「ま、まあ……家庭円満を怠ると熟年離婚とかになるけどね」
先輩、お母さん、お父さん。三人の会話が気になりすぎる。
けれどアリスはそんな私が気に入らないのか、ぐいぐい手を引いてくるのだ。
「お姉さん……気になる家族会議よりも、未来の妹へのご奉仕を」
「あのな」
一人っ子だけどわかるぞ。ろくでもないぞ、財布の中身にだけ用がある妹は。
「楽しみにしてたんです」
「奢りを?」
「それは半分です」
おいこら。
「お姉さんとご飯を食べるの楽しい」
「……どういう感想なんだ、それは」
しかし悔しいけど可愛い。それに見た目は間違いなく九歳児で通るレベルだからな。
そのうえ可愛い。くそ。ルルコといいアリスといい、私は案外面食いなのか? 男子のそれにはあんまり頓着しないのだが。だめだ。変な趣味に目覚めそうだからよそう。
「なに食べたいの」
「チョコバナナとかフランクフルトを食べて、ロリコン野郎を探します」
「よしなさい」
どういう教育を受けたらこうなるんだ? エッジが効き過ぎて戸惑うぞ。
「じゃあじゃあ、リンゴ飴を舐めながら上目遣いでお姉さんを悩殺します」
「されないから」
「そんな……アリスの上目遣いの威力は桁違いなのに!」
なに基準なんだ。どんな桁とどう違うんだ。
「たこ焼きとかにしなさい」
「おう……青のり事件を思い出す」
「奢るのやめようかなあ」
「うそですうそ。アリスはただ飯のためなら嘘だってつける悪い女子」
まったく……。
ため息を吐きたい気持ちでいっぱいだ。後ろから笑い声が聞こえるの。
「ほんと、仲がいいわねえ。歴代でも最強っていうくらいアリスがなついてる」
「……お兄ちゃん子なのにねえ」
先輩の両親の言葉が意味深すぎてつらい。
恨みがましい気持ちを込めてふり返る。先輩が申し訳なさそうに頭を下げていた。
……まあ、いいですけど。受けてるなら、それで。
「あ、お姉さん。射的がありました。ゲーム落として、ゲーム。落としてくれたらアリスなんでも言うこときく」
「あのな。絶対落ちないから。賭けてもいい。ゲーセンの激ゆるクレーン並みに落ちないから」
「だめ……?」
「……まあ桁違いなのはわかったけど。上目遣いしてもだめ」
「む……手強い……人がたくさんお金を使うところが見たいのに」
「よしなさい、そんな悪い趣味は」
何度でも言いたくなるな、まったく! って。
「じゃあじゃあお姉さんの食べさせたいものをアリスにください」
とろとろの声で甘えてきやがって。男子にしなさい。そういうのは。
いや待て。よせ。耐性のない男子がころころ転がされる光景しか浮かばない。
「だめ?」
「……わかったから変に媚びるな。アンタは素のままで可愛いんだから」
「おう……どきどきです」
「……なにが?」
「わかってないようす……これはお兄ちゃん並みの何かを感じる……」
変なこと言ってる。なんなんだかなあ、もう。やれやれだ。
結局めぼしい食べものを奢らされて、持ち出してきた財布の小遣いがすっからかんに。
シェアして食べる感じでいけたから予想より被害は少なかった、というか最後まで奢りきれたけど。おかげでおみくじのお金を先輩に出してもらう羽目になったぞ。
ちなみに大吉だった。まあ、ね。待ち人はすぐそばにいるし。家族には受けてるし。学業も順調、仕事も上向きだ。先輩も大吉。それしか引いたことがないとか言うから恐ろしい。
問題はアリスだ。
「おう……末小吉って出ました」
「……また微妙なとこ引くな。どんな内容?」
見せてもらったら、病のところが少し不安な内容だった。ててて、と小走りに駆けていって結ぶなり戻ってきて、先輩に手を差し出す。アリスの無言のお強請りに先輩も慣れたようにお金を渡すのだ。そうして再びおみくじを引く。
「課金ガチャだね」
「……運勢まで賭けて、大変ですね」
何とも言えない気持ちで見守る。結局その後五回目にしてやっと、アリスは大吉を引くことができたのでした。
◆
それから電車で移動して緋迎ソウイチの喫茶店へ。
部活に入りたてのキラリちゃんが働いている。愛想のない顔で、だけど意外に丁寧に接客をしてくれるのが好印象だった。
マスターをやっている緋迎ソウイチの奥さんがやってきた人たちにお雑煮を振る舞っている。それがまたえらくうまい。お餅の軟らかさといい、かみ応えといい……お出汁の染みる感じといい。顔が蕩けてしまう。
「うう……食べ過ぎたことを後悔するお味。来年はリベンジ。それはそれとしておかわり」
「よせ。お腹壊しても知らないぞ」
「だいじょうぶ……お兄ちゃんちのトイレが開かずの間になるだけ」
ちっとも大丈夫じゃない。だけど先輩は笑って見守るだけだった。
腹ぺこ食いしん坊なアリスを見るのが嬉しくて仕方ないという顔だ。
もしかしなくてもアリスのこと好きすぎるのでは?
まあ、九歳児みたいな見た目をした十六歳児だからなあ。手が掛かるし心配だし、その分ついつい可愛がっちゃうから私もわかる。
「いやあ、賑やかだねえ」
「常連さんだけしかいないみたいだけどね。それでも店はぎゅうぎゅう詰めだ」
先輩の言葉に周囲を見渡してみた。
マスターとその奥さん、そして可愛いけど愛想のないバイトの接客に混ざるように、アリス顔負けのちびっちゃい女の子が歩き回っている。
その子がアリスのおかわりを運んできた。そして二人して見つめ合う。
「そうだ。アリス……マスターの娘さんのコバトちゃんだ。挨拶して」
「むむ……ぴんときた。あなた、兎が見える人です?」
「うさぎさん? ……んと」
コバトちゃんという子はおろおろしてマスターを見て、それから隣にいる奥さんを見た。
笑顔で頷かれて、アリスを見るなり微笑む。
「うん。時計を持ったうさぎさんは、まだ見たことないけど」
「おう。凄い返し。実はアリスも探しているんです……仲間」
どやるアリスが手を差し伸べる。そうして二人が握手する光景を見ていたら、眩暈がした。
コバトちゃんはもう見るからに小学生だ。
対するアリスは高校生なのに、同い年にしか見えない。
どうしてだろう。何度だって気になる。アリスの見た目はどうしてこうなのだろう。特異な病気とも思えない。先輩から聞いた話だけでは理解が及ばない。
十二歳児にしか見えないお母さん。刀の影響による見た目だという。ならアリスは?
この子も士道誠心に入るのだ。今月から。
「転入したら大騒ぎを巻き起こす予定です。コバトは?」
「……わたし、も。小学校、普通の教室、いくようになるよ」
「おおお。お互いどきどきですね。この胸の鼓動は恋ですね」
「恋かなあ」
「恋ですよう。ああ……こうして私たちは幼女から乙女になるのです」
なんの話だ。なんの。
「あ、おぞうにさめちゃう……たべてってください」
「おう、そうでした。食べなければ……またねです」
「またね」
手を振り合う子供たち。可愛すぎか。気づけば私だけじゃない、そこらにいる誰もがアリスとコバトちゃんのやりとりを見ていた。その中にキラリちゃんを見つけたから手招きをする。
「……ども。先輩と、あと真中先輩。あけおめです。あれ、言いましたっけ?」
「あけおめでいいんじゃないかな。それよりキラリちゃん。そこの子、先輩の妹のアリスちゃん。今月から入学するって」
「小学生が?」
「いや、そう見えて十六歳だから。一年のどこかのクラスに配属になるはず」
「いやいや。冗談でしょ。どう見たって……」
そこまで言いかけて、キラリちゃんは口を止めた。先輩たちの家族を見渡したのだ。そうすると当然、女児にしか見えない若すぎる先輩のお母さんにも気づく。
「……もうなんでもこいだな、士道誠心。わかりました」
咳払いをしてから、アリスが食べ終わるのを待って手を差し伸べる。
「天使キラリ。よろしく」
「……むむ。キラリさんの姿にキュアなプリが重なって見える。どのシリーズが好きですか」
なにを聞いているんだ、なにを。
「意味わかんないな」
「はよう」
「……また独特の奴が出てきたな。ええ? そうだな……名前がこうだから、プリンセスには憧れたよ」
「おおお……納得。エンディングで踊ってる口とみた」
「うるさいだまれ。いいから食ってけ、お餅がとける」
それじゃあ、と急いで離れていった。忙しく働いて回ってみているみたいだけど、彼女のしゃべりは普段学校で聞くそれよりも素直なように感じる。
その方がいいな。らしさが見えてきて。まあお客さんに対する口調としては結構尖ってるけどね。この喫茶店の雰囲気がそれを許容しているように思える。
来ているお客さんも大人ばかりだ。刀を差している人が目立つ。そうでない人が多いから、余計に。私もちゃんと所持許可証もらわないとな。在学中にもらおうと思っていたんだけど、いろいろてんぱることが多い一年で結局後ろ倒しになっちゃった。
「ところで、他の三年生たちとは遊ばないの?」
先輩の不意の問い掛けに唸る。
「んー。ルルコはメールの返信滞ってますね。なんかあったんだと思うんですが。サユは連絡とれないので相変わらず。ミツハと、っていうよりはジロちゃんとユウヤが集めてます。明日も外出です」
「なるほど……ルルコ、心配だね」
「まー会社作って動き出してますからね。ハルちゃん絡みで契約回りだなんだと仕事が忙しいみたいで。そっちはまあ、大人と一緒に動いているんで、いろいろ経験中ってところです」
グラスの水を飲んで、長い息を吐く。
「心配ですけど、ルルコが選んだ道なので。これまで通り、助けていきますよ」
「そっか。でも、それじゃあ……そろそろ泣きついてくる頃じゃないかな? 愛生成分が足りないとかいって」
「それなんですけど。彼氏で補充するようにしないと、ほんとの意味で恋愛できないんじゃないかって不安で――……おっと」
ほんとに掛かってきた。
スマホを操作して耳に当てる。
喫茶店の中で電話で話すのもなんだし、先輩たちに断って外に出ながらだ。
「もしもし?」
『ううう。愛生、今夜うちにきてくれない?』
「どうした急に」
『さみしい。羽村くん、実家の旅行で海外いっちゃったし。お兄ちゃんは同人誌買いにアキバいっちゃうし。ルルコは燃え尽き症候群で死にかけてるし』
最後に自分を回すの受けるからやめて。
「いいけど。サユとかミツハは?」
『ミツハに電話したら、襲ってもいいならいくっていってきた。今度ばかりは貞操が怖いのでいやです』
「まったく」
弱ったルルコに唸る。ミツハはたまに尖りまくった冗談を言うからよくわからない。
だいたいなんだ、今度ばかりはって。これまで何かあったのか。詳しく。って聞いてももやるだけだな。ミツハは私の胸に顔を埋めて充電とかいっちゃう奴だからな……。
「それで? サユは?」
『捕まるはずないよー。サユが捕まるって、虹の付け根に辿り着くくらいの奇跡だからね』
「ずいぶんな言われようだな」
まあ私もそう思うけど。
「ジロちゃんとかユウヤは?」
『ジロちゃんはだめ。精神的に浮気しそうになる。あの途方もない優しさの前にどこまでもだらしなくなる自分がいるの……』
……ちょっとわかる。ジロちゃん、包容力の塊みたいな人間だからなあ。
なんでも打ち明けて弱みをさらけ出しそうになるんだよなあ。そんなジロちゃんが自分の刀鍛冶になったら? 怖い。ジロちゃんに自発的に落とされていこうとしそうで怖い。ひょっとしてミツハとは違う最強なのでは?
「っていうかユウヤは」
『んー。なんか最近避けられてる』
「……え? なんで?」
『んー。考えすぎかもだから、メイには詳しく言えないかな』
「なんだそれ」
『まあまあ。それより明日、先輩は誘うの?』
「……あーそれなんだけど」
先輩、家族が来てるんだよなあ。どう考えてもアリスは入学まで先輩の家に滞在するだろうし。そうなるとアリスを私たち三年生と先輩の遊びに付き合わせることになる。
気を遣わせちゃうのが目に見えてるなあ。図太いように見えるけど、それでもあの小さな身体は心配になるから。
「家族水入らずが一番かな。先輩、復帰してまだ一年経ってないわけだし」
『お、待つ女の真骨頂?』
「やめて。それに待つっていう意味なら、ルルコも一緒でしょ」
『まさかのブーメラン。ううう。メイ……早く成分を補給させてください……』
どれだけ弱ってるんだ。まったく。また後で、と言って電話を切った。
店に戻ろうとした時、ちょうどアリスが出てきたのだ。
そしてきょろきょろ周囲を見渡して首を傾げる。
「お姉さん、このへん……なんだか前に来たときより随分静かになりましたね」
「……まあ」
わかるのか、と聞くのを敢えてやめた。
以前アリスが来た時、ちょうど東京で異変が起きている真っ最中だったのだ。
黒い御珠による騒乱。今思えば、邪に飲まれた男と先輩が出くわしたのも巡り合わせだった。
あの時から始まっていたのだ。今はもう、あの時の黒い御珠は倒して済んだ話。
「終わった話。変な歌を歌う悪いのがいたんだけど、もういないから大丈夫」
そう言って戻ろうとしたんだけど。
「え? 変な歌なら東京来てからたまに聞こえてきますよ?」
本当に不思議そうに言うアリスに冷や汗が出た。
「……え?」
「ういみたま、とか。どこから聞こえてくるんですかねえ? 前より静かになったから、囁くようなそれが目立つのですが」
ぞっとした。何気なく言うアリスの言葉に嘘はなさそうで。
そうなると、あの異変がまた起きるのだと確定しているかのようで。
「それ、ちょっと……中で詳しく話せる?」
「おう……アリス求められてわくわくする」
アリスの手を引いて店の中へと戻る。
年が明けても、私たちはひと息つけそうにないようだ。どうやらね。
つづく!




