第三百十二話
一瞬、戸惑った。
そしてすぐにユニスと顔を合わせた。
「「 警察呼ぶ!? 」」
「いや、さっきお前ら二人で言ってただろ。まだ何もしてねえなら呼んでも微妙だ」
ミナトの冷静なツッコミに歯がみする。
トラジは顔面蒼白のコマチをそっと抱き上げて尋ねた。
「コマチ。あいつはお前のお袋さんに手を出すと思うか?」
「……っ!」
コマチは声が出ないようだ。
恐怖がどんどん膨れ上がって身体の震えは尋常じゃない。
それでも必死にトラジのコートを掴んで頷いている。
「全員でぞろぞろ後を追ってもしょうがねえな。俺はコマチと裏道を抜けて家の裏手に行く。ユニス、天使。お前たちも見た目が華やかだから覚えられている可能性が高い。俺についてこい」
「え、ええ」
「わ、わかったけど」
こういう状況に、どうやらトラジは強いみたいだった。
「リョータ、ミナト。二人はそれとなく後を追いかけろ。家に着いたらそばで待機。大きな音がしたら即通報、即救出だ」
「しゃあねえな。それしかないか」
「止めた方がよくない?」
リョータの問い掛けにミナトとトラジは頭を振る。
「いいや。何もしない段階で止めても繰り返すだけだ。決定的な状況になるのを待って、被害が最小限になるように対処する。姉貴なら……初手で無理矢理引っ張るだろうが、今の俺らにできんのはそこまでだ」
「……くそっ」
ミナトが「行くぞ」と声を掛けて、リョータは早歩きで後を追いかけていった。
二人がいなくなって、私たちはトラジの先導で歩き出す。
大股でぐいぐい進んでいくトラジにコマチはしがみつくだけ。
よほど怖い目に遭ってきたのかもしれない。あの大声で脅迫するようなことを言っていた男に……そう思うと許せない気持ちが膨らんでくる。
だからかな。
「コマチ……前にも同じようなことはなかったか?」
冷静なトラジの声に少しだけ熱が冷めた。
気になったんだ、純粋に。
今日、突然くるような父親……乱暴を働く人なら、今日来るのが初めて?
いや、何度も来て酷いことをしたんじゃないかって思わずにはいられなかった。
その方が……自然だと思ってしまうんだ。どんなにひどい現実だとしても。
「あった……侍、たすけて、くれた」
絞り出すように言うんだ。コマチが。
「でも、いつも、いる、わけ、じゃ……ない……お母さん、見た目、ひどく、して、乱暴、されないようにって……いつも、いつも!」
まとまりのない文章を誰より最初にかみ砕いたのはユニスだった。
「歪な欲望が強すぎるのかもしれない。邪が巨大に育ちすぎて、本人をさらに凶暴にしている可能性が高い。その都度、この地区で働く侍が倒していたのかもしれない」
「なるほどな。コマチ、オヤジさん、警察の世話になったことは?」
「なん、ども……でも、お母さん、仕事、ある、から……おおごと、したく、なくて」
「……そこにつけいっての、ゆすりか」
「……きっと、私、たち、外、だしたの、お父さん、くるから」
喘ぐようにコマチが懸命に訴えてくる。
「お母さん、助けなきゃ!」
過呼吸になりながら、それでも助けてとは言わず、助けなきゃと言えるコマチの思いに触れて、たまらなくなった。
目頭が熱くなるなあ、もう。やめてくれ。そういうのに弱いんだ。一途な気持ちの強さには。
背負っているものの一部しか見えてないけど、それでも……コマチのために力を貸したい。
「ユニス。倒そう、邪を」
「あなたならそう言うと思ったけどね……倒しても、ミナトが好きなゲームみたいに改心したりはしないのよ?」
「どうして!?」
「冷静になりなさい。いいこと? 欲望を消しても、その人の歪みが消えるわけじゃない。性格が変わるわけじゃないの」
欲望が生み出した怪物、邪。欲望は一度は消えるかもしれない。けれど。
「倒してもまた同じような欲望が生まれてくる……そうして繰り返す。それが人間ってものでしょう? 実際、プロの侍が倒しても尚、来訪を繰り返しているのが証拠になる」
そんなのってない。
「解決したいなら改心させなきゃだめ。本人の性根が変わるような何かをしなきゃ、だめなのよ」
悔しい。そんなの、ちらっと見ただけの私たちにはできないことだ。
人の心の仕組みは……そう簡単にいくものじゃないのかもしれないけど。
「でも、なんとかしなきゃ!」
「わかってる……トラジ、あなたには考えがあるのではなくて?」
「ふん……まあ、あるにはある」
家の裏手にある道に辿り着くなり、トラジはユニスを見た。
「ユニス。強制的にでもいい。コマチの親父さんを隔離世に連れ込めないか?」
「……才能がなきゃ行けないのがあちらの世界なのだけど。正直、今の彼にあるとは思えないわね」
「だとしたら……天使、コマチを守ってくれ」
「え?」
ユニスの否定に怯みもせず、さも当然のようにトラジは私に振ってきた。予想外すぎて戸惑うだろ。やめてくれ。どういうことなのか説明してくれ。そんな私の願いも届かず、二人は話を続ける。
「それがいいわね……トラジ、隔離世の邪はどう対処するの?」
「警察の侍に連絡しつつ、俺とお前でなんとかする。刀がなくても無茶がきくほど暴れられるのは俺だけだし、本を持って頼れるのはお前だけだからな」
耐えきれなくて声を上げる。
「ま、待て。私にだって!」
トラジの家の時のように、刀がなくてもやってみせる!
そんな私の気持ちは言わなくてもトラジには通じていたみたいだ。
歩幅を緩めて立ち止まり、私へとふり返って頭を振る。
「だめだ……見せたくねえんだ。プロのユニスはいざしらず、今度の敵はちょっと……思うところがあってな」
痛みを堪えるような顔に怯む。
トラジが私を気遣ってくれているんだとわかるから、子供みたいに喚くことができなかった。
「正直、トラジに賛成ね。キラリ、あなたはコマチを保護しなさい」
「ユニスまで……」
「いいから。それよりトラジ、リョータとミナトには?」
「作戦続行だな」
すらすらと作戦を立てていく二人。
もう私の役目は決定事項のようだ。
それほど次の邪は歪だと二人は感じているのか。
悔しいけど、二人ほど私にはまだ事態が掴めていない。
……コマチのことも気になる。
悔しいし気になるけど、ここは従うしかないみたいだ。
考え方を変えよう。
一人一人が能動的に行動して、事態を解決する。そんなチームのあり方もあるのかも。
コマチはどうしたいんだろう?
いや、さっき言ってただろ。お母さんを助けたいって。
「じゃあ私とコマチで中に入る」
「「 え 」」
二人が戸惑っていようが、続ける。
「リョータとミナトにもついてきてもらう……私はやっぱり、コマチのお母さんを危険な目に遭わせたくない。トラジにもユニスにも考えはあるだろうけど、お願い」
「けどな……」
私を見て、それから私の表情を見て何かを悟ったようにトラジはため息を吐く。
「わかったよ。コマチ、いけるか?」
「……んっ!」
頷くコマチを見て、トラジが少しだけ考えてから彼女をそっと地面に下ろした。
足が一瞬曲がって転びそうになる。
それでもコマチは支えようとする私たちに触れられる前に、自分の足で立ったのだ。
「いく!」
「……覚悟きまってんなら、なんも言わねえよ。コマチが天使たちと中に入っていけば、案外すんなり帰るかもしれない。それならそれでよしとしよう。ユニス、迅速に倒すぞ」
「了解。コマチ、庭に寝られる場所はあって?」
「ん!」
コマチが説明を始める間に私はリョータに連絡を取った。
「もしもし?」
『今、家の前。声すこし聞こえたけど、もうすぐそばにいる?』
「いるよ。そっちは? お父さん、中に入った?」
『ああ。けど揉める気配ない。お母さん、招き入れてた』
『かなり顔こわばってたな』
『身体も堅くなってた……気になってしょうがない』
「すぐそっちに行くから待ってて」
電話を切る。
トラジとユニスは急いで家の垣根を越えていった。
荷物を預けて、コマチと急いで家の正面へ移動する。その間も家の中から特におかしな音は聞こえてこなかった。
不気味だ。コマチを歪めた象徴がいるのに、何も聞こえないなんて。嵐の前の静けさなのか。
「い、くよ!」
私の手をぎゅっと握ったコマチの指先はすごく冷たくなっていた。
それでも縋るようにこめられた力は強く、私を連れて行く足取りもまた、強い。
乗り越えるための覚悟を必死に固めているんだ。
なら……今すぐ私も覚悟を決めていこう。
◆
玄関の扉を開けて家に入るなり、すぐに聞こえてきた。
「だから、もうお金は渡せません。離婚を承諾してください……弁護士を通してと、何度もお願いしました。本来、ここへは来れないはずです」
「けど……とうとうお前は一度も通報しなかった。なあ。忘れられないんだろう? 俺のこと」
「やめて。あなたがいつまで経ってもそんなだから……!」
熱に浮かされた男性の声に潜む欲望の気持ち悪さが露骨すぎて嫌悪感が先に来る。
「うるせえなあ」
「……これ以上、あなたを追い詰めさせないでよ」
「うるさいっていってるだろ!」
大人の本気の怒声に顔が強ばる。
「……コマチもなあ。どこにいるんだ?」
「やめて。帰って」
「お前に似て美人に育ってるのかなあ……なあ!」
強く叩きつけるような音がした。
びくっと強ばるコマチを思わず抱き締める。
「お願い、やめて……お酒、飲んでないのに、こんな」
「関係ねえよ!」
けたたましい音が聞こえた。ミナトが即座にスマホを操作する。
「お前もコマチもなあ! 一生俺のものなの! 離婚なんかしない! 食いつぶされる運命なんだよ、二人とも! 俺はここの一家の主だぞ! ――……そんな目で見るな!」
駆け寄っていったミナトが何かを動画に撮り、叫ぶ。
「リョータ!」
「わかってる!」
駆け込んでいったリョータがお父さんに後ろから飛びついた。
「うおっ、なんだ!? 誰だお前たち!」
リビングで暴れ回るお父さんの膝裏に一撃をいれて、リョータはその場に跪かせた。
ミナトはスマホをしまってみせる。
「お母さん!」
私の腕からコマチが飛び出していった。
床に倒れ伏しているお母さんの頬が赤く腫れている。
「……ぁ? コマチか? はは……はははは!」
この状況で笑える神経が、理解できない。
「美人になったなあ。え? ……本当に、お母さんと俺の娘らしく、綺麗に……なって」
じろじろ見る視線の色を私は知っている。ようく、知っている。
だからこそ、鳥肌が立つ。
自分の娘をそういう目で見てしまうこの人が理解できない。
邪が育って異常な行動を取らせるのだとしても。
これは明らかに、やばいしおかしい。
これをさせる邪って、どんなに醜悪なのだろう。考えるだけでぞっとする。
トラジとユニスの気遣いが身に染みた。戦えていたかどうかもわからない。
「もうやめて!」
咄嗟にお母さんがコマチの頭を抱き締めて隠そうとした。
けれどもう、きっと、遅かった。
「はははははは! ああ……いい日だ。おい、離せ。何もせずに帰るよ。どうせコマチの友達とかいうんだろう? でもいい……今日はもう、満足した。金はもらっていくけどな」
自己完結している。まるでリョータが離すのが当たり前だと思っているような、歪。
「離せ」
ぞっとするような声だった。
「……なあ、おっさん。コマチに手ぇ出す気か?」
「なんで言わなきゃならないんだ? うんざりするなあ、子供ってのは……聞けば答えてもらえると思って」
「……コマチ。こいつに乱暴されたことはあるか?」
「やめて!」
ミナトの問い掛けにお母さんが悲鳴を上げる。けれど、
「あ、る! ……なぐって、けられて、ひどい、こと、たくさん、した! お酒、のんで、前は……前は優しかったのに!」
「……おっさん。娘はこう言ってるけど」
「はっ……子供の言うことなんか、誰が信じる」
「てめえが手ぇあげてんのはわかってんだ! ネタはあがってんだよ! とっとと答えやがれ!」
ミナトから一度だって感じたことのない気迫が炸裂した。
ドスがきいていて、身体が竦むような怒鳴り声だった。
「ははは!」
だからこそ不思議すぎて、怖かった。
なんで。なんで笑えるんだ。
「……いいから離せよ! 何が悪い。俺の娘に俺が何をしたって、俺の自由だろ! いいか、俺はなァ――」
家中に響き渡るような絶叫だった。父親だぞ、という……絶叫。
涙を浮かべて必死に耐えようとしているお母さんと、その腕の中で震えているコマチ。
――……歪すぎて、眩暈がしてた。
幸せな家族だけじゃないなんて現実、知ってるよ。
それでも、これは……あんまりにも、ひどすぎて。
泣きそうだった。
それでも睨まずにはいられなかった。
そうしていると、見えてくる。
コマチのお父さんの胸に星が、見えてくるんだ。
黒く淀んだ……暗闇星。欠けている。あちこちに見える星はどれもコマチのお父さんの身体を欠けさせている。
歩み寄って、触れた瞬間。
『――……ああ、最高の女だ』『お前がいなきゃ』『金がなきゃ』『お前はもう全部俺のものなんだ』『どうしてそれをわかってくれない』『わからせてやる』『コマチも』『認めろ』『認めて』『俺を――……受け入れろ。そのためなら、なんだってする』『殴って蹴るのが……抱くのが一番、手っ取り早い』
流れ込んでくる。ドロドロの欲望が。
気持ちの悪い……粘着質な、願望。
邪に染まってしまった、邪悪を生み出す暗闇星の醜悪。
トラジとユニスが気遣ってくれたことを、改めて理解せざるを得なかった。
生理的な嫌悪感が酷い。こんな大人がいることが、信じられない。
世間のニュースを目にする機会くらい山ほどあるんだ。
いてもおかしくないって。そんなの当たり前だってわかっているはずなのに。
それでも怯んでしまう。
怖くて。理解できなくて。気持ちが悪くて。
そんな私を勇気づけるように、目にする星の暗闇が一つずつ、ゆっくりと淡すぎる微かな光に変わっていく。
一つ、また一つ。
隔離世でトラジとユニスが邪を退治しているのかもしれない。
急に暗闇が消える速度が増した。プロの侍が駆けつけてくれたのかな。
だから最後で最初の星の囁きは。
『幸せになりたい』
という単純な願いだった。
それなら理解できる。その願いなら……悲しいけれど、呟かずにはいられなかった。
「きっと……もう縋っても幸せにはなれないですよ」
「はァ? なんだ、お嬢さん……」
ギラギラした目で睨まれる。
注ぎ方はわかっていたけれど、それを言うのはあまりに慈悲がなくて。
それが私の未熟だと思い知らされる。
マスターなら。先輩なら。春灯なら……きっと救ってみせるだろうに。
私には……まだ。そこまでたどり着けない。
それでも、言わずにはいられなかった。
「わかっているんでしょ? もうなにをしても……どうにもならないって。本当は、わかっているから……必死になっているんですよね?」
呟きながら思いを注ぐ。
「……二人の顔を見て、それでも無茶を通したいですか?」
コマチとお母さんの顔の恐怖と悲しみに歪んだ顔に、
「結果は変わらないですよ。今のやり方じゃだめで、ここまでこじれちゃったのなら……もう」
彼はやっと気づいたようだった。
「――……」
歪な男の人の顔に懊悩が浮かび、項垂れた時だった。
「言質は取った……そろそろ、時間だ」
ミナトがそう言った時だった。パトカーのサイレンの音が聞こえてきたのは。
すぐに家の前に停まって、人が駆け込んでくる。
みんな、警察官だ。
まるで事情のすべてを把握しているかのように……リョータが取り押さえているコマチのお父さんを逮捕した。
一人のコート姿のおじさん警官がミナトとうなずき合って、去って行く。
警察官がコマチのお母さんに歩み寄る。
今この状況であんまりつらい話はしちゃだめだって思ったら。
「いずれ事情を伺いに参ります」
そう言うんだ。写真を何枚か撮って、調べるべきことを調べた上で去って行く。
みんなミナトを一瞥していった。
意味ありげに。その意味を問い掛けることはできなかった。
「……お母さん……お母さん」
「――……ああ。もう……終わったのね」
泣きじゃくって自分のお母さんに抱きつくコマチの声もそうだけど。
放心したようなお母さんの声が悲痛すぎて。
私たちは一言も喋れなかったんだ。
◆
二人きりにはさせられないけれど、コマチのお母さんの心情を思ったら、私たちはそこにはいるべきじゃなかったのかもしれない。
立ち去って素直にホテルへ行くのが筋だ。
それでも。
「すみません、後片付けだけさせてください……お節介ばかり、本当にすみません」
深々と頭を下げて喋るミナトの誠意を、コマチのお母さんはただ一言、
「お願い」
そう答えて出ていってしまった。
後を追いかけるコマチをそのままにして、ミナトが後片付けを始めるから手伝う。転んだ椅子を立てて、叩かれた壁をユニスが魔法で直す。
暴れた形跡は少ない。
私たちがきたところで修羅場になったんだ。
間に合ってよかったと思う。
間に合わなかった、とも思う。
結局、コマチのお母さんは頬を張られてしまった。
ああいう暴力の衝撃は……簡単には癒やせない。
気が滅入るなあ。
こんな結末しかなかったんだろうか? そんな思いに答えるように、ミナトが呟いた。
「……現状ではこれが一番マシな着地点だと思うぜ」
「ミナト……」
「まあ、傍から見たら、だな。本人たちにとってどうかは……本人たちが答えを出すしかない」
……それもそうかもしれない。
現状がどうかなんて、本当なら周囲から押しつけられるようなことじゃない。
苦しんでいるから巻き込みたくなくて、コマチのお母さんは私たちを含めてコマチを外に出した。
とはいえ。
苦しみが離れたらすぐに幸せになれるほど、人生は単純じゃないんだろう。
付き合って、結婚して……子供を産んで。
不幸ばかりじゃなかったはずだから……単純じゃない。
コマチは言っていた。
『前は……前は優しかったのに!』
良いときだってあったはずなんだ。
それでも罪を重ねてしまった時点で、いずれ限界は来るんだと思う。
最初に見たコマチの見た目のすごさにも納得。
暴走して溢れた欲望の矛先になりかけていた。守るための手段だったんだ。
納得してしまうと……今回の結末はやっぱり納得だけど悲しい。
きっと分岐点はずっと前にいくつもあって、けれどこうなってしまった現実が悲しいんだ。
コマチのお父さんがああなってしまったことも含めて、悲しい。
「……あ、の」
申し訳なさそうな声に視線を向けると、コマチが俯いて扉のそばに立っていた。
「コマチ、どうしたの?」
「お母さん、泊まって、いってもいい、って……伝えて、って」
「……そっか」
みんなと顔を見合わせる。
今日は一人になりたいだろう。私ならそうだ。
だからコマチのお母さんをそっとしておくべきだと思う。
「……気を遣わせるべきじゃないよね」
「まあ、な」
「ここまでやっちゃうと……さすがにね」
ミナトもリョータも素直に頷くのだが。
「勝手に巻き込まれにきて事態を大きくするだけして、肝心なときにいなくなるってどうなの?」
「う……」
ユニスは意見を別にした。しかも手痛いところを突いてくるんだ、こいつは。
「いいって言ってんなら、いようぜ。とはいえ……静かにした方がいいんだろうが」
トラジの提案に答えられずに落ち込む私たちを見て、コマチは困った顔をした。
「あ、あの、ね?」
言いにくそうにもじもじするコマチが呟いた言葉に心底驚いたよ。
「気晴らし、の、スイーツ、つくってる、から……たべて、って……言ってた」
「「「「「 えっ 」」」」」
どういうこと?
◆
戻ってきたコマチのお母さんが押していたのは配膳用のカートだった。
その上に乗っかっていたよ。巨大なパフェが七人分。
果物とアイスとクッキーで飾られたジャンボフルーツパフェ。
さすがに面食らう私たちを見て、冷めた顔でコマチのお母さんは仰った。張られた頬に張られた冷却シートが痛々しい。
「落ち込んでいたら、これまでが……悲しいから。こういう時は糖分を取りましょう」
「え、えと……怒っていらっしゃったりは?」
ミナトが恐る恐る尋ねた。
いいぞ、よくぞ聞いた。そこが気になってしょうがなかったぞ。
「どうして? 長いこと抱えていた厄介事が……やっと晴れたのよ? まあ……期待していた形ではなかったけれど。こうなるしかなかったのかもしれない。私も、あの人もね」
涼しい口調で言われて、必死に頭を働かせる。
もしかして、コマチのお母さんってかなりその、感情表現がおとなしめ?
「よ、喜んでいらっしゃる?」
「もちろん。さすがに警察に捕まったら、少しはあの人の性根も直るでしょ」
私の問い掛けに深く頷かれました。なんと。
「……離婚して、それで縁を切って。それでもだめなら接近禁止命令をお願いしようと思っていたところなの。もう、本当に……お互いに限界だったから。私たちの存在が、あの人にとって毒なのは、もう……見たから、わかったでしょう?」
接近禁止命令ってなんだっけ。確か裁判所が出す保護のための命令だっけ?
違反すると警察に捕まって懲役か罰金になっちゃうとかいう。
「みなさんが来る日が近づいてきた今日この日に電話で来るって言ってくるとは思わなくて、本当に迷惑を掛けてしまったのだけど」
「いえ! それはもう! むしろ、おおごとにしてごめんなさいっていうか!」
「……その。ほんと、お節介ですみません」
「いいのよ」
私とミナトがもやもやしているのを見て、初めてコマチのお母さんは笑ってくれたの。
きっと張られた頬が痛いに違いないのに。
「いいの。これも……或いは一つの結末だから。私が求めるよりも早く結果が出た。それをありがたいと思うばかり。迷惑になんて思わない……私では、今回の結果よりまともな結果にはならなかったでしょうから」
そばに座っているコマチの髪に手を当てる。
「うちの娘がこんなに綺麗になって帰ってきた。いつもは私の言うことしか聞かないこの子が……立ち向かいに戻ってきた。強くなっているのね」
深呼吸をして、私たち全員を見渡して頭を下げたの。
「ありがとう。コマチのお友達でいてくれて。今日、駆けつけたこの子のそばにいてくれて……本当に、ありがとうございます」
染み入るような感謝の言葉に泣きそうになった。
私だけじゃない。
ユニスも、トラジも、リョータも、ミナトも。
なによりコマチも――……目に涙を浮かべて、今を受け入れた。
コマチのお母さんの許しの言葉が今日の成果に違いなかったんだ。
ああ……ほんと。糖分が染みるよ。五臓六腑に染みて、しょうがないんだ。
甘いものを食べて泣いたのはきっと、今日が初めてだった。
つづく。




