第三百三話
ぶすっとしながら私は帰り支度をしていました。
カナタったら、ちっともわかってない。何か覚悟決まった顔してさ? 冬休みになるからどうしよっかってわくわくする私に言ったの。
「クリスマスまで会えない」
って。結構がんばったからわくわくしてたのに。
なんで? って聞いたらね?
「修行する」
その一点張り。せめて理由とか、気持ちの一つも話してくれたらいいのに。
男の子にはあるのかな。やる気になったら突っ走っちゃうヒーロースイッチみたいなもの。
だとしたら全力でオフにしたい。連打したい。秒間三十二連射したい。
修行に行く前に一度でいいからさ。
ちょっとの間だけでもオフにして、気持ちを話して欲しい。
それくらいしてくれても、別にいいと思うんだけどな。
なんで教えてくれないんだろ。
『男児たるもの、女を断って道を極める時間も必要な時がある』
えー。十兵衞、カナタ側につくの? 男子にしかわかりあえない感覚なの?
だからって説明くらいしてくれてもよさそうなものだけど。
『甘えたくないのだろう。お前に』
……むー。むしろ甘えて欲しいのに。弱さも二人で乗り越えてこそなのでは?
ねえ、タマちゃんはどう思う?
『どうでもいい!』
えええっ。
『それよりハル、お主にも力が備わってきておるじゃろ。妾と同じ、神通力ともいうべきものがの! ならばほれ、はようせい!』
しょうがないなあ。
懐から出した葉っぱに念じて、御霊を注ぐ。
カナタが私から引き出す感覚を覚えているから、いつでも再現できる。
すぐにタマちゃんと十兵衞が出てきたよ。
仰々しい着物姿のタマちゃんはどこへ行くんだって格好だし、十兵衞も十兵衞で昔の人感が半端じゃない。
尻尾はふり返って確認したけど九本のままだ。これくらいの化け術だったらそんなに疲れずに済むみたい。
「ハル。妾からそなたに修行内容を告げるのじゃ。冬休みは妾たちを出し続けてみせよ」
「ええ……休みなのに修行するの?」
「黒い御珠との対決で未熟を思い知ったじゃろ?」
「ぐ、ぬう」
それを言われると弱いです!
「お主の思い人からの依頼じゃからな。励んでみせよ」
「むっ。いつの間に?」
「くふふ。さて、妾は服を探すぞう!」
私の箪笥をしっちゃかめっちゃかにし始めるタマちゃんを横目に、十兵衞を見た。
改めて見ると大柄。
史実の十兵衞の身長通りかどうかはわからないけど、でも私の夢見る十兵衞らしく威風堂々たる立ち姿です。
腰に刀がないと据わりが悪く見え……たりしない。
眼帯をつけている。十兵衞の片目が潰れているのは後世の創作だという説もある。肖像画は両目が描かれているけれど、これは確たる証拠にはならないみたいだよ。なにせ同じ隻眼の人でも、親からもらった身体を欠けた状態で描いてくれるなと、両目で描いてもらった人もいるらしいので。
私の十兵衞は眼帯をつけて尚、不自由を感じさせたことがない。なら眼帯の下に目が合ってくれた方がいいな。目に見えて痛いのはちょっと申し訳ない。たとえ隻眼だとしても、創作の十兵衞のように最高に強いけどさ。
……待って。
なんでかな。
無手でも強そう。
眼帯をしているのに、ハンデ感まるでなさそう。
お母さんが大好きな小説だと、仕込み杖に三池典太を忍ばせてるんだよね。でも道を教えてもみんな言うとおりにできないからって呆れちゃったり、諸国を漫遊したりしてる印象があります。
女遊びとかもしたっていう記述を見たけど、私の十兵衞にはそんな素振りがない。それこそ、タマちゃんなんか十兵衞くらいの大人の男性からみてやばいくらい魅力的だと思うんだけどな。
手を出す素振りすらないよね。私の寝ている時にいろいろしてたとか? ないない。さすがに起きると思うもん。
ううん。やっぱり十兵衞のこと、よくわからないなあ。
「どうした」
「……ううん、なんでもない。それより、十兵衞もカナタから修行メニューを言い渡されてるの?」
「言付かっている。それよりも……今はまず、お主の実家に帰ろう」
「ん」
荷物を作って、それだけじゃ気になるからカナタの箪笥を漁る。
さすがに着流しで街中歩いたら、私とタマちゃんでただでさえ注目を集めるだろうに。すごいことになりそうです。それはさすがにね。気まずいよね。
十兵衞の服……なにがいいかな。んー。んー。ワイシャツとスラックス? コートもいいよね。カナタもおっきいから、多分ちょうどいいはず。
十兵衞に渡して着方を説明したの。私たちに背中を向けて男らしく脱ぐからあわてて視線を外しました。なんだか恥ずかしいな。ずっと心の中にいて、何から何まで見られてるのに。いまさら恥ずかしい。
着替えを澄ませた十兵衞は、ワイシャツが入りきらないのかボタンがだいぶ空いてて痩せた筋肉の胸元がセクシーすぎる。
「いい男っぷりじゃのう」
「さてな」
十兵衞の腕に抱きつくタマちゃんは冬なのに股下三センチもなさそうなミニ過ぎるスカートから私のブラウス着たりしてて、落ち着かない。丈! 丈もっと下ろして!
それに動じない十兵衞……もしかして、私が思っているよりずっとタマちゃんみたいな女子の扱いに慣れてるのかな。
ちなみに露出度高めのタマちゃんは私の言うことなんてもちろん聞いてくれるわけもなく、私は二人と一緒に電車に乗って家に帰りました。
すごく注目されたのは、言うまでもありません。とほほ。
◆
実家に帰る前に事情を説明しておいたんだけど。それにしたって、
「おお……おおおお!」
お父さん、十兵衞を見てテンションあがりすぎだし、
「……やばい」
トウヤはタマちゃんを見て鼻の下を伸ばしすぎだし、
「……どんな晩ご飯つくればいいのかしらね」
お母さんの悩みは切実すぎた。
とりあえず荷物を部屋に運び込む。十兵衞には和室を使ってもらうことにして、タマちゃんには私の部屋に泊まってもらうことにしたんだけどね。
「寝処はいただきじゃ! ここは妾の場所じゃぞう!」
ベッドにダイブして大の字になるタマちゃんからベッドを奪える日は来そうにありません。
まあいいですけどね!
あとで布団もってこよう。
それはそれとして、
「タマちゃん、どうする? どこか行きたい場所はある?」
「ふらふらしておる。お主の神通力がどこまで届くかは把握しておるからの。遊んでくるわ」
「遊ぶって……悪さしないでよ?」
「くふふ」
嫌な予感がするけど、タマちゃんの遊びは私に制御できた試しないしなあ。
「あんまり変なことしたら、修行とか引っ込めて葉っぱにしちゃうからね」
「わかっておる、わかっておる」
「ほんとかなあ」
でも一応、釘を刺したからよしとしておこう。
部屋を出て一階に降りる。コートを脱いで着流しに戻った十兵衞が、お父さんとお茶を飲んでいた。なんだかすっごい変な光景で、ついつい笑っちゃう。
「十兵衞、お茶おいしい?」
「……うむ」
ふっと笑ってお茶を啜ると、十兵衞は私のお父さんを見たの。
「父君。碁か将棋はあるか」
「お、やりますか?」
「花札もいい」
……渋い! 遊びが渋い!
「近所で、丁半やってる酔狂なじいさんがいますが。そういうのは?」
あれ? そういうのって法律的にまずかったのでは?
お母さんと私のジト目にお父さんが「酒の肴をかけてるだけだって。現金はかけないよ」と慌てて言い返す。
「で、どうですか?」
「……さて。負けたことがないな」
「おお、こりゃ頼もしい! 酒はいける口ですか?」
「できれば一献」
「おお! おお! こりゃあいいな!」
お父さん、めっちゃはしゃいでる……。
それに十兵衞、私といるときよりよっぽど話してる。不思議。
「……春灯!」
お母さんに呼ばれて台所に行ったの。
「ねえ、お母さん。お父さんも十兵衞も楽しそうなんだけど。私……あんな楽しそうな二人、見たことない」
私の腑に落ちない顔を見て笑うとね、お母さんは囁くようにして教えてくれた。
「あれくらいの年頃の男性は、あなたくらいの女の子の扱いに戸惑っちゃうものよ。男同士の方が気楽なんじゃないかしら」
「……十兵衞があんまり喋ってくれないのって、私が年下の女子だから?」
「あなたの心の中にいて生活を共にしても……むしろ困っちゃうでしょうね。むしろ雄弁な中年ほど気をつけた方がいいものはないわよ」
「おう」
人生深い発言……! それはさすがに私の知らない境地です!
でもなあ。
「なんだか嫉妬しちゃうなあ」
「なら攻めてみなきゃ。はいこれ、お父さんの秘蔵のお酒。ついでに酒の肴をたくさん作るから、持っていってお酌してあげなさい」
「はあい」
普段なら面倒だし嫌がるところだけど、今日は進んでやる。
お父さんと楽しそうにはしゃぐ十兵衞をもっと見てみたい。
「それゆけ、トウヤ! 妾を男児のもとへ案内せよ!」
「おー!」
……廊下から聞こえてきた二人の声に不安がないわけじゃないけど。
今日は十兵衞なの。
◆
お父さんはすぐに酔いがまわってへべれけになって潰れちゃったけど、十兵衞は全然だ。酔う気配がない。ただ上機嫌に笑っているだけ。
眼帯を外しているけれど、私がさっき願ったからなのか、どうなのか……とにかく隻眼じゃない。
今はちゃんと両目で世界を見つめている。
おちょこがあいたらそっと注ぐんだけど、十兵衞は何も言わないの。
「……おいしい?」
「うむ」
それだけ。私といる時の十兵衞だ。
ううん。私じゃだめなのかなあ。それとも質問の仕方がだめなのかな?
「十兵衞……お酒すき?」
「……ああ」
やっぱり返事が一言だ。
途方に暮れていたら、何度目かの往復になるのに疲れた顔一つみせずにお母さんがお魚を焼いて持ってきたの。
思えば出されたお通しはぜんぶ食べてる。
十兵衞は思ったよりも食いしん坊だ。
「どうぞ……アジです。こんなもので申し訳ありませんが」
「いえ……母君。馳走になっています」
「すみませんね、相手役が酒に弱くて。代わりにいただいても?」
「申し訳ない。付き合っていただけると助かります」
「では失礼して――……ありがとうございます」
十兵衞がそっとお酒を取ってお母さんのおちょこに注ぐ。
それを飲むお母さんの仕草が妙に色っぽくて、どきっとした。
考えてみたら、お母さんがお酒を呑むところなんて初めて見たかも。
「はあ……おいし。仲間はずれで春灯には悪いけど」
「いい飲みっぷりで。どうぞ」
「あらあら、ごめんなさいね」
決して羽目を外しすぎず、しとやかに笑う。
お母さんだから複雑。綺麗で色気を感じても、お母さんだから……どう見ればいいかわからない。間違いなく親の知らない一面だった。
「……いい奥方を持った。素敵な母君だな、ハル」
「十兵衞?」
目を伏せて笑う十兵衞も、お母さんも……ついでに酔いつぶれたお父さんも。
なんだか大人の世界だ。私の知らない世界。
いつかサクラさんに案内されて見た、お盆の飲み会とも違う。
しっとりとした時間。
「うちの娘がお世話になっております」
「いえ……性根が真っ直ぐで、頼もしい。力強くお育てになりましたね」
「いえいえ。勝手に強くなるような、親不孝者ですよ」
「空の青のように抜けた色の人の良さは父君の、懐の広い優しさはあなた譲りか」
「もう、お上手ですね」
笑い合う。
う、うう。入っていけない。むしろどう入っていったらいいのか、まるでわからない。
逆もまた然りってことなのかな。お母さんの視線に俯く。
そりゃあ十兵衞も寡黙になるわけだね。世界が違うんだもの。
悔しいけど、私は子供。
二人の会話に入ることができない時点でお察しだよ……!
「玉藻の前……話には聞いたことがあります。彼女が恋愛と色事に興味津々で承認欲求強めの春灯に宿ったのはわかるけれど」
お母さん、容赦ないよ! ぐうの音も出ないけど!
「……あなたはどうしてきてくださったの?」
お母さんの質問に私は獣耳をぴんと立てた。
すごく気になる。私は最強を夢見た。どんな荒波に揉まれても折れない強さはきっと最強だと信じて。それに応えてくれたのが十兵衞だと思ってる。
けど、十兵衞はどう思って来てくれたんだろう?
どきどきする私を見て、十兵衞は大きな手のひらで頭を撫でてくれた。
深い笑顔で言ったよ。
「なに。父親の手ほどきを受けた頃の心持ちを少し思い出して。求めたものですよ……風に吹かれては折れず、波に揉まれては削られず……生きるための一寸を見抜く」
「……私の知る限り、お酒にお強く女性と遊ぶのもまたお好きだと伺っております。けれどあなたはもう、煩悩をお捨てになったように見える」
「さて。これしきの酒では酔えんのかもしれません。奥方が独り身なら、わかりませんが。ハルの美しさはあなた譲りのようだ」
「あら」
お母さんが嬉しそうに笑う。私たちの年代でやったらさや当てになるだろうけど、十兵衞やお母さんたちの年代だとたんなる冗談でしかないのかも。
アダルトな空気だ。
どんなに身体がタマちゃんに近づいても、心はタマちゃんに及ばず、だから十兵衞の懐に入ることもできないのかな。
もしかしたら……ううん、もしかしなくても、十兵衞が寡黙な原因は私にあるのかもしれない。
だってお母さんには上機嫌に話すんだから。
私が子供だからだめなのか。
……ずうん。
「とてもお強いのね」
「さて。奥方の好みは弱い方と見受けるが」
「強い人と付き合っていると、過ちを犯すのよね。酔いつぶれるまで飲んじゃうから」
「違いない。あなたもお強いようだ」
二人して楽しそうに笑ってる。
お酒かな。お酒飲めるようになったら並べるのかな。
「う、んん……は!?」
顔を起こしたお父さんに、お母さんがそっと水を渡していた。
ごくごく飲んだお父さんが上機嫌で十兵衞に言うの。
「みんなに紹介したいです! ぜひ、ぜひいきましょう!」
もう説明が雑すぎるよ、お父さん。すっかりお酒が回っちゃってるんだから。
でもこういう時のお父さんはすごく頑固だし、それは大人の社会じゃ自然の光景の一つなのかも。お母さんはたしなめるけど、十兵衞は嫌がりもせずにお父さんについて行っちゃう。
あーあ。お父さんに十兵衞取られちゃったよ、もう。
私の修行は? って思ったけど。
でも楽しそうに笑っていたから、いいや。
タマちゃんはいつも羽目を外しているけど、十兵衞はまったくだもんね。笛を吹くくらいだもん。それじゃピューと吹く人ほど気楽そうには見えないよ。
もっと普段から気晴らししてもらいたい。
それにしてもなあ。
弾むような足取りで片付けをするお母さんに思わず唸る。
「お母さん。褒められて、やんわり口説かれたからって……上機嫌すぎない?」
「あんなの口説かれたうちに入らないわよ」
ふふーと上機嫌に笑いながら言うの。
嬉しさごまかせてない時点でどうかと思うし、悔しいけど褒められて調子に乗っちゃうところはほんと私の親だなあって思っちゃうのでした。
やれやれ。
タマちゃんはどこへいったやら。
カナタは……どうしているのかな?
◆
くしゃみをしたら、兄さんに聞かれたよ。
「カナタ、大丈夫か?」
「……ああ」
退院した母さん、それにコバトと父さんに見送られて、山梨の宿から兄さんに連れられて樹海へと赴いていた。
兄さんの同行により許可を得て刀を持ちだした状態だ。
警告と自殺を思いとどまらせる看板の迫力に怯みそうになる。
刀じゃどうにもできない事象だ。
強いて言うなら入るな、という一点に尽きる。
そんな場所に入るのか。何が待っているのやら。
考え込む俺に兄さんは明るい声で話しかけてくる。
「彼女には、なにも言わずに出てきたんだろう。虫の知らせかもしれないよ」
「……高校時代、兄さんは当時つきあってた子に知らせてここへきた?」
「まさか。引かれるか心配されるのがオチだ。旅行に行ったと告げたさ」
「そ――」
「まあ……別れたけどね」
「――……うん」
それと同じさ、と。どや顔で言おうと思ったんだが、言いそびれた。
別れるのは嫌だ。困る。
実際、冬休みにうきうきしていたあいつに少しの間会えないと言っただけで、ケンカになったんだから。
よくやる些細なケンカだが、それでも和解せずにここへ来た手前、据わりが悪い。
だからって兄さんは意地悪だ。俺に対してはいつも。
思わず牽制してしまう。
「やめてくれよ? 高校時代の恋人とは別れるもんだ、それが現実だ、とか言うの」
「言わないさ。昨日、友人カップルが結婚した式に行ってきたばかりだからね」
……地雷原?
「に、兄さんは彼女つくらないのか?」
「……仕事先で気にしてくれる子はいるけど。同業者って難しいよね」
やはり、地雷原?
「そ、そうなの?」
「上司と部下だとなかなかね。力関係があるからさ。別れて揉めたら大変だ。昔思い知った」
うむ、地雷原。
「……お、俺にはよくわからないな」
「大人になればいやでもわかる。だから今、無理してわかろうとしなくていい」
ふっと笑いながら言うその台詞、地雷発言の前に聞きたかった。
「疑問なんだけど。ルックスも収入も申し分なくて、兄さんってなんでモテないんだ?」
「……あとはもう、性格かな」
どう足掻いても地雷原。
「冗談だ」
「そう聞こえなかったんだけど」
冗談であってくれとは思う。
しかし兄さんの地雷は何発も爆発した後だった。手遅れだったのだ。
「なかなか運命の人とは巡り会えないものだ。会えた人とどんな運命を作るか、それが大事だと気づいた時にはもう、なかなか……学生時代ほど、出会いがなくなっている」
兄さんの地雷原はどこまで続いているんだ……!
「さて、カナタ。愛しの彼女に電話するなら今だけど、どうする?」
完璧すぎる流れか。よしてくれ。心臓に悪いから!
「くそ……兄さんには勝てないのか」
「別れて独り身を長年経験しないと無理かな」
「……勝てないままでいいです」
渋々呟きながらスマホを出す。樹海の入り口はすぐそこ。電波が悪くなっている。通じなくなる場所もあるというから、確かに電話をするなら今だった。
ハルに通話を飛ばす。予想外にすぐに繋がった。
『……もしもし』
不機嫌な声が聞こえる。まだ怒ってるんですよアピールのつもりなのだろう。
まあ……兄さんの話を聞いた今となっては、それでもありがたみのある反応だが。
心が離れる前にちゃんと話をしないとな。
「ハル。今、山梨にいる……すまなかった。事情を話すから、聞いてくれないか?」
『……ふうん?』
聞こうじゃないか、という響きに一度呼吸してから説明する。
「修行しに来た。兄さんと父さんが強い力を手にした穴がある。一族に伝わる大事な場所だ。俺はそこへ入って、強くなって戻ってくる」
『……なんで?』
返事が一言しかない状況が続いている。これは危険信号だ。
なかなか許してくれないな。
よほど邪討伐の後のごほうびを楽しみにしていたのか。
だとしたら……悪いことをした。
「三年生がいなくなったら、後輩を守るのは俺たちの仕事だ。今月の討伐で痛感したんだ。俺たち二年生はまだまだだって」
『……わかった。じゃあなんでそれを今説明したの? なんで、休みに入る前に話してくれなかったの?』
声に怒気が含まれる。
怒り。学校の他の誰にもなかなか言わない、見せない……アイツの素直な感情表現の一つ。
俺には素直に見せてくれるものの一つだ。
とはいえ喜ぶべきところじゃない。怒らせてしまったんだからな。
その原因を思うと……やはり、よくない。
「それは……」
口籠もるのはまずい。ハルとケンカをしたことは何度かあるが、こういう時に口籠もるのはまずい。
『何か後ろめたいことがあったからでしょ?』
ほらな。きた。やはり突っ込んできた。
「ハルに話したら一緒にいたいと言って甘えてしまう。弱さを――」
『理屈とか、聞きたくない』
頭痛がする。アイツが怒っている時によく言う台詞の一つだ。
諭そうとすると、アイツは敏感に察して反撃してくる。
知りたいのは素直な気持ちだけ。アイツが求めているのは、理屈じゃない。俺の気持ち。それだけだった。
深呼吸をしてから、素直に弱さを呟く。
「……情けない姿を見せたくなかった」
『そういうところも……カナタのだめなところも好きなのに。隠し事……やだな。それなら、一緒にいたかったよ』
拗ねるような声に変わって、内心で息を吐く思いだった。
実際にやったら機嫌を損ねるのは経験上わかっているから堪える。
踏んでも得をしない地雷は踏まないに限る。今回は考えるまでもなく、俺も……誰よりハルも得をしない。
「すまない」
『……もういいけどさ。修行メニュー考えてくれてたみたいだし。十兵衞のことをわかる切っ掛けにもなったから。もういいけど』
こういう時のもういいは、絶対によくない。
心の中で身構える。
すぐに本命が聞こえてくるぞ。
『今度したら、首筋かむから。全力で』
ほら、きた。それは困る。
死ぬ。間違いなく死ぬ。
あいつの犬歯はいま肉食獣のそれに近いくらい鋭く尖っているのだ。
「わかった」
強ばる俺の顔を見て兄さんが声を潜めて笑う。
くそ。自業自得とはいえ、嫌なフラグを立ててしまった。
『じゃあ……修行、がんばってね? 無茶をしないでね? 傷つかないで……元気に戻ってきてよ?』
まあ……素直に心配してくれるくらいには持ち直したからな。
それでよしとしよう。
「ああ。必ず戻る」
『連絡できるなら、いつでもしてね? 待ってるから』
「……わかった。できる限りするが、連絡がなくても心配しないでくれ。クリスマス前には戻るから」
『ん……またね?』
心細そうな声になんとか応えたい一心で呟く。
「クリスマス、大増量で……よろしくな」
『わかった! 楽しみに待ってる!』
弾む返事に笑って通話を切る。
「いいね。初々しいじゃないか」
「よしてくれ」
からかう体勢の兄さんに言い返してスマホをポケットにしまった。
歩き出す兄さんに続いて道なき道を進む。
兄さんにはゴールが見えているのか、歩みに迷いがない。
整備されてない林道なんてろくでもない。
夏じゃないからまだ虫が飛び交っていない分、まだマシなのか。
考え込んでいたら、不意に兄さんから声を掛けられた。
「ケンカ、よくするのかい?」
「……まあ、些細なことで言い合ったりはするよ。こないだは、そばにかける七味の適正量で揉めた」
「仲いいね」
「……ケンカしない方が仲が良いんじゃないの?」
「適度なケンカはむしろした方がいいよ」
おっと。地雷の予感がする。けどもはや踏んだ後だった。
「本音も言えなくなったら、あとはもう……付き合う必然がなくなるかどうかでしかないから」
兄さん、いったいどんな恋愛をしてきたんだ……。
「ご、合コンとかしないの?」
「刀鍛冶の女性陣との飲み会は定期的にするけどね。彼女たちも慣れたもので、飲み代を踏み倒して暴れるだけ暴れて帰るだけだ」
「……ううん」
「ほら。結構……強いだろ? 刀鍛冶の子って」
「まあ、確かに」
ぱっと思いついたのは並木さん、ミツハ先輩、佳村の三人だ。
みんな自分の思いに素直だし、一途だ。それに武力という意味ではミツハ先輩も強いしな。並木さんもその正当な後継者に育っていくばかりだ。あのハリセン技は特に冴え渡っている。俺の知る限り、もっともあの技を食らっている回数が多いのはハルなのだが。
彼女たちが大人になると、より手強くなるのか。そうか……。
「大人の恋愛はどう現実と付き合うかだよ……」
「兄さん、闇落ちしてないか」
「気のせいだ。現実に夢見るほど子供でもないからな……さて、ついた」
兄さんが足を止めた場所に、小さな井戸がある。
林に包まれながらも少しだけ開けた場所だ。
落ち葉がたまっている地面を足を払って、荷物を下ろした。
慣れた手つきでテントを用意する兄さんを手伝う。
寝場所の確保はいいんだが。
「どこに穴があるんだ?」
「そこに井戸があるじゃないか」
「……いや、井戸だろ?」
「隔離世にいけばわかる。現世の身体の面倒は私が見るから……カナタは穴に入って戻っておいで」
「……それだけ? 兄さんと父さんが入って強くなった穴だろ? それだけでいいのか?」
俺の質問に、兄さんは楽しそうに笑った。
「私も昔、父さんにそう言った。しかし、すぐに後悔した。理由はすぐにわかるさ」
「教えてくれないの?」
「盟約に従って……言えない。まあ後の楽しみにしておきなさい。さて……いっておいで」
寝場所の準備を終えるなり、兄さんは俺を問答無用で隔離世へと飛ばした。
レプリカを見る隙さえなかった。
意地悪だな。そういうところが嫌で、小さいときは本当によくケンカをした。一方的にふっかけて相手にされなかった、というのが実情なのが悔しいところだ。
「まったく……」
まばたきをして、よろめいて……そしてそばにある井戸を見た。
石造りの井戸。両手を広げた幅だから、大きいと言えば大きい。屋根もなければ桶もない。けれどどうしたことか。空から黒いモヤが流れ込んできて、井戸の中へと入っていくではないか。
恐る恐る井戸を覗き込む。
底が見えない。
強いて言うなら井戸の奥底を、穴と言うのだろう。
ここへ入って戻ってこい、と。楽勝じゃないのか?
手から霊子の糸を伸ばして井戸に階段を作る。足を掛けて下りていく。
するとどうだ。
下へ下りれば下りるほどに、穴は広がっていくぞ。
底が見えない。
地獄にでも続いているんじゃないか。
「……笑えないな」
黒い御珠は何と繋がっていたのか、今なおはっきりとした答えはわからない。
OBの暁先輩は根の国だという。けれどその真偽はわからないままなのだ。
とはいえ、天界から母さんが帰ってきて今は蘇った。
地獄があっても、なんら不思議はない。
「……ここで引き返したら、戻ってきたことになるんじゃないか?」
それをしても何の力も得ることなく終わってしまうのは目に見えている。
とはいえ不安だ。
ハルを呼ばなくてよかった。きっとアイツがここにいたら、ぐんぐん進んでいってしまうだろう。置いていかれるのが嫌で追い掛けて、というのはあまりに情けない。
俺はもう、そういうのはごめんだと思っている。
とはいえ……弱腰になりそうだ。
「出てこい」
御霊を出して己の霊子と混ぜて肩に乗せた。
『ずいぶんと頼りない主だな』
「そう言うな」
『まあ……そういう弱さと対峙し、強くなるための修行の道だ。相棒ゆえ、手は貸してやる』
「……頼むよ」
上から目線か、とかそういうツッコミは飲み込んだ。
ここへきて心に宿った御霊の機嫌まで損ねてしまうようでは、情けないにも程がある。
堪える俺を見て微笑むなり、小さな御霊が囁いた。
『ささやかながら、よい覚悟だ。それよりも……嫌な匂いがする。穢れの匂いだ』
「……そうだな」
大典田光世。長髪の美しき少女の姿もデフォルメされると愛らしく見える。
淡く光る彼女と壁、己の作る階段を頼りに進む。
するとどうだ。底がぼんやり赤く発光し始めた。
『……待て。いや、走れ!』
彼女の言葉に是非を問うより先に走った。
その頃にはこれまで作ってきた階段が上から降ってきた。
なぜ。崩れる道理もあるまい。
けれど事実、階段は落ちてきた。崩壊の音がどんどん上から近づいてくる。
「くそ!」
『飛ぶしかない!』
正気か、と叫ぶこともできなかった。
追い掛けてきた崩壊に踏むべき階段が崩れて、そのまま落ちたのだ。
途方もない距離を落下した。
床があるのなら、着地と同時に潰れて死ぬか。
そんなことを思考する時間すらあった。
不意に衝撃を感じて、沈み込む。
冷たい感触、口中に入り込んでくる液体に、水に落ちたと気づかされた。
必死で水面を目指して泳ぐ。
夢中で泳いで岸にあがる。遠くがぼんやり赤く輝いていた。
明かりを頼りに歩いて行って目にしたのは――……
「なんだ、ここは」
灼熱に輝く山と、腹の膨れた小鬼どもの群れ。それに、
「嗚呼? 何だ、テメエは」
「……生者だ。生者の匂いがするぞ」
牛と馬の頭をした五メートルはありそうな化け物だった。
巨大な鉄の棍棒を持っている。
「食うか。潰すか。どうする、牛の字」
「さて、どうするか……鬼のぼんに報告か?」
にらみを利かせてくるそいつらが、友好的なようには見えない。
『逃げろ!』
言われるまでもない。
全力で走ってその場から逃れる。
そうして気づく。
あちこちに築かれているのは、ドクロの山。
小鬼たちは縄で繋がれ、岩を運んでいた。彼らは涎を垂らしている。別の場所を見れば、拘束されて空から落ちてくるどろりとした液体食をひたすらに食わされていた。それが水になったり、灼熱の液体になったりしている。
地獄のような光景の中で、ドクロの山の中に飛び込んで隠れた。
「どこ行った」「さて。どこへ」
巨大な足音が近づいてきて、すぐに遠のいていく。
『……地獄か』
そうやすやすと、世界の垣根を越えられるわけもあるまい。
それともそれほど特異な穴だとでも言う気か?
まあ……天界から来た母さんをハルは迎えてみせた。
繰り返しで申し訳ないが、地獄があっても不思議はない。
それにしたって、ここから抜け出せとは。
兄さんも父さんも無茶を言いすぎではないか。
「蜘蛛の糸でも垂らしてくれなきゃな」
天井を見上げたつもりで見たのは、灼熱の空。
とても穴蔵の中にいるとは思えない光景だ。
「――……匂う」「男の匂い」「若い男の匂い」「まぐわう」「まぐわう!」
年老いた女性の声をあげて、小鬼たちが周囲をきょろきょろと見渡し始めた。
「待て、女の匂いもする」「おかす」「おかしてくらう」
次いでしわがれた男の声もした。
腰回りを覆う布きれだけの小鬼は、もしここが地獄だというのなら……餓鬼だとでもいうのか。それほど知識はないぞ。あれは斬っていいものか?
『それこそ敵は山ほどいる。普通に戦っても、いずれ力尽きるぞ』
小声で訴えられて唸る。
紛れもなく、窮地。
助けてくれる人はいない。いるはずがない。
ここが地獄なら、なおさらいない。
なるほどな。
ここから抜け出すことができたなら、確かに強くなるだろう。
とはいえ……
「兄さんも父さんも、意地が悪い!」
どくろの山から抜け出して走りだした。
ひとまずは落ち着ける場所を探す! 話はそれからだ!
つづく!




