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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第二十五章 東京黄泉事変

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第三百二話

 



 泥に触れたらどうなるかわからない。

 ちぎれたマシンロボの中で母さんとコバトを助けるのに必死だった。

 なんとか空間を作って霊子を注いで皮膜を作る。

 けれど周囲からの圧迫は強まるばかり。

 こちらの霊子を吸ってどんどん圧力を増してくるんだ。

 苦しい。このままではもつまい。ユリアほどの霊力があるなら。無い物ねだりをしても仕方ない。

 絶望はしていなかった。

 自分の愛する少女の霊子を感じるから。

 誰より彼女の契約者である自分は折れるわけにはいかなかった。


「おにいちゃん……」

「カナタ、もう……無理はしないで」

「何を弱気になってるんだ、二人とも」


 家族の弱気を笑い飛ばしてみせる。

 刀鍛冶の力を手にしてよかった。

 感じる。地上にどんどん力が満ちていく。

 ハルの力だ。劣勢であろうといずれ覆るだろう。

 そんな状況下になれば……誰よりも、あの二人が放っておくはずがない。

 ほら。


「無垢な霊子よ、邪へと転じて吹き飛べ!」


 兄さんの声がして、すぐに圧迫が弱まった。

 直後、一気に圧力が抜ける。頭上を見上げると、泥が粉みじんに切り裂かれて、刀に吸われて消えていった。

 開いた穴から父さんと兄さんの顔が見える。二人が来てくれたんだ。


「遅くなってすまない」

「コバト、無事かい?」


 兄さんにコバトを渡す。父さんが母さんを連れ出す。


「よく持たせたな……成長した」


 父さんに褒められるけど、頭を振る。


「父さん、褒めるのはまだ早い」


 遠目に見るハルと目が合った。

 すぐに笑い合う。

 わかっているさ。

 母さんを助けろというのだろう?


「コバト……母さんの肉体は?」

「あっち!」


 コバトが指差す方に確かに結晶があった。


「道を作る! シュウ、飲み込んでいけ」


 父さんの号令に兄さんが頷いた。


「了解した!」

「カナタ、やる気なんだろう? ならば、あの氷はお前の刀でどうにかしてみせろ!」

「父さん……いいんだね?」


 母さんを救う役目をもらっても。


「お前の恋人が望んでいる。それに……母さんに成長を見せるいい機会だ。俺たちの子供なら、やってみせろ!」

「……ああ!」


 譲ってくれたんだ。なら、やってみせるさ!

 父さんが刀を振るう。泥が一斉に切り裂かれて、結晶までの間に道ができた。

 兄さんが刀を掲げる。禍津日神が悲鳴をあげる泥をただの邪へと変えて飲み込んでいく。

 コバトを抱えて走る兄さんと、母さんを抱いて走る父さんの前を行く。

 刀を手にした。

 大事な人を助けるために抜いた刀だ。ハルを助けるために抜いた。コバトを救うために求めた。そして今、母さんを助ける絶好の機会だ。

 大典田光世……準備はいいか?


「――……」


 心の中が澄んでいく。

 見えてくる。結晶の切れ目。

 手を伸ばした。霊子の糸で掴む。その構造、ありようを探る。

 流れ込んでくる情報すべてを受け止める気はない。

 膨大なそれに構わず、断ち切る線をより如実に掴み取る。


「さあ――……長い眠りの時は終わりだ!」


 切り裂いた。邪なる力だけを祓う、清廉なる一振り。

 氷は瞬時に溶けていく。

 霊子体がぼやけて見える。普段目にするそれと遜色ない。

 父さんが母さんを抱き締め、そっと離した。


「――……いくわね」

「あ……」


 すべてを飲み込んで達観した笑顔を見て、コバトが手を伸ばした。

 けれど……兄さんが囁いたんだ。


「大丈夫」


 母さんが霊子体に触れ、重なる。

 光が瞬いて、その内側から桜の花びらが吹き荒れた。

 内側から出てきたよ。

 コバトが飛びついたその人が刀を掲げた。


「それじゃあ戻ってきたばかりでなんだけど、一家で飛ばしていこう! 緋迎家、燃えていくわよー!」


 母さんの号令に、一家総出で応えてみせたさ。


 ◆


 遠くに桜の花びらが舞い上がる。

 その瞬間に、身体中の力が満ちあふれていく。

 サクラさんに捧げた力が戻ってくるんだ。

 やっぱりカナタだ。

 シュウさんとソウイチさんがいて、その上で……カナタがやってみせてくれた。

 あとはもう、黒い御珠を片付けるだけ――


「あぶねえ!」


 振り下ろされたがしゃどくろの拳。見上げた時点で手遅れ。その状況下でトラジくんが割って入った。

 ビルほど巨大ながしゃどくろの拳を刀一振りで受け止めてみせたの。

 圧倒的な力。


「無事か!?」

「うん!」


 はじき飛ばして私に笑いかけてみせた彼の額から角が生えていた。茨ちゃんや岡島くんと同じ角が。なら、じゃあ鬼なのか。トラジくんの御霊は。

 でもきっとただの鬼じゃない。それこそ地獄で働く最強で噂の鬼のお兄さんに通じるような、鬼の神さまに違いない。

 みれば霊子を取り戻したみんなが活躍している。トモとシロくんさえもだ。それくらいの回復力があるんだ。私の歌には……ちゃんと意味があった。誰かの元気に届く歌なら余計に、いくらでも歌う。歌わずにはいられないよ。


「輝いて……暗闇に陥れる穴があるのなら」


 手を伸ばす。


「それを塞いでみせて……私たちの願いの結晶で」


 見つめる先に、いたの。

 メイ先輩が手のひらを掲げていた。

 刀鍛冶の強いお姉さんがメイ先輩に寄り添っている。

 それだけじゃない。刀鍛冶の生徒みんなが手をかざしている。

 大神狐モード状態で見てみればわかる。

 メイ先輩の霊力は異常に強い。

 けれど強すぎるが故に扱いが難しすぎる。

 一人で練るのは時間がかかる。

 だからこそ、刀鍛冶のみんなが力を貸しているんだ。

 それゆえに……今まで見た時よりも巨大な太陽ができていた。

 ぞっとするくらいの輝き。

 メイ先輩の思いは、夢はきっと、呆れるくらいに大きいんだ。


「サユ!」


 メイ先輩の呼びかけに北野先輩が刀を振るう。

 御霊の周囲にいた邪たちが一斉に切り裂かれた。それだけじゃない。竜巻が起きて黒い御珠を浮かび上がらせる。泥から離すほどの勢いで。

 そして。


「ルルコ!」


 ルルコ先輩がその風ごと一瞬で凍り付かせた。

 周囲を氷の大地へと変えるだけじゃない。空まで氷の触手が伸びていく。大輪の華が咲いて、砕けて散ってきらきらと煌めくの。

 巨大な柱の中にある黒い御珠はもう、歌うことさえできない。


「ああ……」


 ――……あれを壊すことしかできないのがきっと、今の私の未熟。

 あの黒い御珠とさえ友達になれたらなんて。

 そんなの途方もない夢すぎるかな?

 ……ううん。

 夢はでっかいくらいでちょうどいい。

 きっと今は、まだできない。

 やっとタマちゃんと姿が重なった。けれどまだ及ばない。重なっただけじゃ足りない。

 十兵衞の最強に寄りかかることしかできない私には、まだできないことがたくさんある。

 自分がどんな女の子でありたいか。

 どんな力を求めるのか……私らしさが何か。

 その答えにやっと気づいた私にはまだ、十兵衞の強さが足りないし、タマちゃんの心の美しさも足りない。

 二人の信念や思いを自分のものにできたら、もしかしたら祓えたかもしれないのに。


「ごめんね……」


 囁く。あなたを傷つけることしか今はできなくて……ごめん。

 ユイちゃんがいなきゃキラリと再会できなかった。

 タマちゃんと十兵衞がいなかったら、私なんて日常にとっくに埋もれて消えていた。

 ツバキちゃんがいなきゃ……私らしさに気づかず、金色を失っていた。

 みんなのいる意味をやっとほんの少しだけ力に変えたばかり。

 ちゃんと強くなるから。美しく、強くなるから。

 折れずに立ち向かえるようになるから。

 だから……今は、ごめん。


「……いつかアイツの星も見つけよう」


 キラリが囁いた。


「そして、真っ黒を……まばゆい光に変えてみよう。学校の御珠みたいに」


 マドカが決意する。


「キラリ、マドカ……うん」


 風に熔ける私の言葉を聞いて、答えてくれたのはそばにいたキラリとマドカだけ。

 ……それでいいの。

 今日の結末を心に刻もう。

 いつか願いを手にするその時のために。


「燃やし尽くせ! 冥府への門よ!」


 メイ先輩が放つ。夢の塊玉……大きな太陽が黒い御珠を飲み込んだ。

 通り抜けて弾けたらもう、黒い御珠は跡形もなく消え去っていた。

 泥がとろとろと熔けて消えていく。

 邪侍たちも、がしゃどくろたちさえも……役目を終えたように、なくなるの。


「ようがんばったのう」

「……己を知り、世界を知る。ハル……ゆっくりと進もう」

「……うん! 二人とも、これからもよろしくね」


 笑って頷いてくれるタマちゃんと十兵衞。

 そっと歩み寄ってきて、刀を渡してくれた。

 受け取って、受け入れる。

 二人は葉っぱへと姿を変えて……私の中に帰ってくる。

 気が緩んだ瞬間に尻尾が九本生えて……力が抜けて、妖狐に逆戻り。

 だけどいいや。

 まだ……大神狐モードにいつもいるには早い。足りないものばかりだ。

 私の金色が黒い御珠を救えるようになるまで、お預け。

 タマちゃんの気高さ、十兵衞の強さを手にした時、きっと初めて胸を張って常に大神狐モードでいられるんだと思う。

 それでいいの。背伸びをしてやっと九尾だった私が、力を抜いてタマちゃんと離れて、それでも九尾でいられるようになったんだから。

 今は……それで十分だ。ゆっくりと二人に近づいていくよ。だからこれからもよろしくね。


 ◆


 現世に戻ったら雪が降ってきていた。

 バスの中で寝そべっていた私たちはみんな疲れ果てていたけれど、サクラさんが無事に生き返り、新宿地下から出てきたという報告があがって疲れも吹き飛んだよ。

 引率をしてくれているライオン先生たちが警察の人たちと話し合っている間に、バスから出て空を見上げた。

 もう一番星は見えない。雲に隠れちゃって……降ってくる雪を手のひらで受け止める。

 すぐに熔けちゃう儚さに白い息を吐き出す。

 本当に冬なんだなあ。

 寂しくなっちゃう時期。人肌を求めずにはいられない季節。

 見ればタツくんがユリカちゃんを腕に抱いているし、トモもシロくんとひっついて楽しそうに笑ってる。

 かと思えば茨ちゃんと岡島くんがトラジくんに構っていたりするし。


「……コード確認。報告するわね。こちらは、いま――」


 通信機を手に誰かに話しかけているユニスさんとかもいた。

 他にもみんな思い思いに過ごしていた。

 いいなあって思った時だった。背中から抱きついてきたの。


「ハール!」「なにたそがれてんの」


 マドカとキラリだ。


「んー。なんだか寂しいなあって」

「私たちがいてもだめ?」

「彼氏じゃなきゃだめなんじゃないの?」


 マドカの問い掛けにキラリがふっと笑う。


「ううん……二年生のバスは別の場所にいるし、今は二人と一緒がいいな」


 私からも抱き締め返して笑う。

 すると二人は珍しく顔を見合わせて不思議そうにするの。


「なんか……どうしたの?」

「変だな。春灯、歌で頭がぶっ飛んだ?」


 キラリの言葉に頭を振って、マドカとキラリの匂いを嗅ぐ。

 人の状態でいるよりよっぽど強く感じ取る。

 終わってふと考えてみても、不思議だなあ。

 タマちゃんと十兵衞なしでも夢の姿に重なった。

 その証拠に、犬歯は今も伸びたまま。さすがに今は制服姿だけど。

 前より力をうまく使えそうな気がする。

 だけど飲まれる気もしない。見えたもん。みんなの笑顔に繋がる、元気が出る歌を歌いたいって。必要なら戦うし、磨きもする。強さを手にしたまま、磨き続けながら……それでも私は歌う。それでいいんだ。

 気づかせてくれたのは二人。


「……だいすき」

「……私も。キラリは?」

「名前呼び捨てか……まあいいや。疲れてるから素直に言うよ……大好きだ、当然だろ……マドカ」

「わ。初めて名前で呼ばれた? じゃあもう友達?」

「同じ部活仲間になったし……いいよ、うざかったらやめるけど」

「ひどい」


 おどけたマドカの顔があんまり面白かったから、三人で笑い合うの。

 きっとなんでもできる。今はできないことがあったとしても。それでも……諦めなければきっと届く。犬歯がその印だ。

 ツバキちゃんに喜んでもらえるネタができた。

 ……ああでも、カナタに首噛み警戒されちゃうんだろうなあ。

 だって刺さるもんね。間違いなく。

 おいしい血が吸えそうですけどね!

 もう冗談でもきゃっきゃできなくなっちゃったな。次は真面目に怒られる気がします。

 かみかみするの好きなんだけどな。


「はあ……」


 やっぱり、今すぐ会いたいな。

 きっといまは……家族水入らずなんだろうけどね。

 いつか会うまで取っておこう。

 またね、サクラさん。


 ◆


 ビルの上は寒いなんてものじゃなかった。


「ではマーリン、次の連絡を待て……さて、ジョーカー」

「エンジェル……なに?」


 通信機を手に誰かと話し終えた黒人の相棒に呼ばれて、ピエロだった少年は答える。

 誰も自分たちのことなど知らず、知っていても忘れているに違いないだろう存在感。それでいい。極秘に活動している身分だ。

 いつか緋迎シュウを襲った騒動のように、衆目を浴びて暴れるほどの無茶はもうできない。許されない。命を奪われても文句が言えない立場だ。

 殺しが許されるナンバーでも与えられたら話は別なのだが、残念ながらそんな立場にはない。


「マーリンから報告を受けた。事態は終了、撤収だ」

「……ふん」


 イギリスで手にした……隔離世にて武器となる己のカードを見つめながら呟く。


「青澄春灯……彼女の弱点は見えた」


 二つの可能性を手に入れた者にありがちな、一つに傾倒して忘れる初歩的なミス。

 青澄春灯は妖狐の力をとうとう自分のものにした。けれど剣豪の力はまだ欠片も掴めちゃいないようだ。掴んでいたなら戦っていたはず。歌っていた時点で、だいぶ怪しいというものだ。

 もっとも彼女がいつまで弱点を放置しているかはわからない。

 最悪、次に目にした時には手の付けようがない怪物に育っている可能性すらある。

 倒すなら今が絶好のタイミングだ。気が抜けて、力を出し切った彼女は油断している。

 命を奪うのも、力を奪うのも、今しかない。


「日本を落とすなら今しかないと思うんだ、エンジェル」


 それとなくけしかけてみるのだが。


「それは必要ないと前に言ったろ? 彼女のことはもう忘れろよ、ジョーカー」


 相棒はつれない。

 あの……人生は輝くのが当たり前だと信じた平和面した少女を暗闇に染めるのは自分の使命だとすら思うのだが。

 少年の気持ちを、もう一人の少年は笑い飛ばす。


「執着したら歪み、歪みはいずれ自分を殺す。忘れるんだ……いいかい?」

「……努力はするさ」


 しかし、確約はしない。そんな少年に、相棒は諦めたように頭を振る。


「まったく……それよりも気づかれる前に退散するよ。屋内に入ったら、いつもの転移を頼む」

「しょうがないな」


 相棒の言葉に少年は肩を竦めた。


「それにしてもずいぶん遠回しなことをするな。作戦概要、なんだっけ?」

「日本にオーブ……日本人が言うところの御珠が新たに出現した反応あり。悲願である浄化の方法を探り、もし日本がそれを可能にしたならば、ただちに新たなオーブを回収して逃げる」

「……マーリンとかいう奴よりも、青澄春灯にやらせればいいだろ。あいつの力はきっとそういうのに向いてるよ」

「彼女はまだそれができるほど、力を自分のものにはしていないみたいだ。今回はお預けだね」


 少年にとっては少し意外だった。相棒もまた、青澄春灯の弱点に気づいているようだ。

 そのうえで放置を決め込むとは……むしろ青澄春灯に期待しているのかもしれない。

 だとしたら、余計に思う。


「……見守るのが仕事だっていうなら、イギリスでまずい飯食べてたかったよ」

「うちだけじゃない。他の国の連中もきっと今夜の一件をどこかで見てただろう……放置はできなかった」

「そうかよ。ヘイ、ご機嫌だな? 秘密裏に侵入して事態の推移を眺めたプロが山ほどいたってか。そして日本のお家芸、ロボット格闘を見守って拍手喝采か? こいつは傑作だな!」


 笑わずにはいられなかった。

 少年も相棒も力を手にしている。きっと相棒の言う他の国の連中とやらも同じだろう。

 なのに雁首揃えて見守っていたなんて、笑えるにもほどがある。

 誰もあの黒いオーブをどうにかできる力を持っていないという証明だ。

 むしろ……やはり期待しているのだろう。

 日本人に。もっと言えば……青澄春灯に。

 ばかばかしい。自分の歯車を狂わせた少女が世界の命運を握っているような扱いを受けている。事実、オーブ、あるいは御珠と呼ばれるオーパーツの数は限りがある。たまに現われる暗闇に染まったそれをもし、普通のオーブに変えることができたら? 可能性はどこまでも広がり、なんなら隔離世における勢力を伸ばせるに違いない。

 真実握っているのだ。青澄春灯は、命運を。

 対する自分は表に出ない組織の使いぱしり。

 少年は小声で毒づいた。


「そうかよ。まあ……中国人にかすめとられたら、笑えるけどな」


 それを無視する相棒じゃない。


「ジョーカー。あんまり斜に構えるもんじゃない。ひねくれていると、いずれ力を失うよ?」

「……わかったよ。そいつを言われたら降参するしかないな」


 スコープを片付け、リュックを背負ってビルの中に入る相棒の後を追う。


「マーリンってのは、味方なのか?」

「こちらの正体さえ知らない、ただの……最強クラスの素質を持った魔女さ」


 ユニス・スチュワートの名前を相棒は敢えて意図的にごまかした。

 相棒と少年では組織における立場が違う。それゆえに、知り得る情報のレベルもまた違う。

 とはいえマーリンが誰かくらい喋ってもよさそうなものだが。

 情報は軽々しく喋るものではないと、相棒は知っていた。少年は知らない。今は、まだ。それゆえにのんきに尋ねてくる。


「大丈夫なのか? だましが通じる相手とは思えないけどな、その称号は」

「こちらはイギリス本国の魔術師協会から来た担当者と説明してある。実際、協会とは協力関係にあるから問題ないさ」

「それにしたって、気づかないわけ?」

「彼女はちょっと抜けてるからね。正規ルートの通信、協会のコードを使っているから大丈夫じゃないかな」


 少年も少年で気づいていた。相棒が意図的に情報を話していることに。

 けれどどうする気も起きない。今の少年は生殺与奪を組織に握られている身だから、まだ無茶ができないのだ。


「ふうん……要するに、そいつも僕たちと同じ使いぱしりか」


 冷めた口調に相棒が笑う。


「マーリンは真っ当な学生で、僕たちは表社会に生きられない日陰者だけどね」

「最悪だな」

「でも生きられる」


 その答えにいつまでも満足しているつもりはない。

 少年は思い浮かべた。


『ううううう。ううううう! ううううう――!』


 いつか公園で目にした青澄春灯の怒りに歪んだ顔を。

 浮かび上がる狐火は彼女の激情。

 彼女は気づかなかっただろうが、その目は蘭々と赤く輝き、まさに伝承にうたわれた妖狐そのものになっていた。

 人を食い殺し、呪い殺した化け物に近づいていたのだ。

 きっとゆるい学校生活では彼女が露わにすることがないだろう……本能、強さ、野性。

 ぞくぞくする。

 自分しか見たことがないだろう。彼女の凶暴なあの一面は。

 汚れさえ知らず、知ろうとせず……人生を謳歌する輝く少女のみせた、人間としてありふれた本性。

 どれほど無残に犯されようと、どれほどの恥辱にまみれようと……彼女は穢れないに違いない。そういう意味では彼女は聖人のように、当たり前に恋と青春を生きるだろう。

 世界で彼女を人間に引きずり下ろすことができるのは……あの一面を引き出せるのは真実、自分しかいないに違いない。

 世界の命運を握る少女の運命を踏みにじり、汚す――……たまらなく、滾る。

 隔離世には夢がある、か。

 ならば他人を汚したいという夢は、どう叶うのかな。

 お前はどう答える? なあ、青澄春灯。

 僕は君のヴィランになりたい――……。


「よせ、ジョーカー。それ以上先へ進むなら、僕はキミを止めなきゃいけない」


 少年がふと気づいた時にはもう、こめかみに拳銃を突きつけられていた。

 相棒の笑顔はコードネームのように天使のようだ。

 けれど片手に握るそれは、死へ至る切符切り。引き金を引けば世界から断絶されてしまう。

 日本で死ねば仏になるという。或いは天国と地獄に分かたれ、生前の行いの報いを受ける。

 けれど自分は違う。日本人じゃない。生き汚くも足掻き続けているこの時間が無駄にされるなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 相棒に向けて、少年は笑ってみせた。


「なんのことかな?」

「考えているんだろ、彼女のことを。悪い顔をしているよ。けどね、ジョーカー。キミじゃダークナイトには勝てないんだぜ?」


 映画を例えに出すなんて相棒は自分のことをわかってきたなと思い、少年はさらに深く笑った。


「あの役者は最高だったな」

「ゴールドサムライには勝てないだろ?」

「おい、よせ。その呼び方、ばかみたいだぞ」

「いいから聞け……今の彼女ならいざ知らず。次に見る彼女にはもうキミじゃ勝てない。だから馬鹿な夢を見るのはよせ」

「馬鹿な夢、ね」

「君はもうダークナイトになるしかないんだ。諦めろ」

「ふん」


 相棒の言葉に肩を竦める。

 思考を投げ出すポーズを見て相棒は拳銃を持つ手を下ろした。


「……イギリスに帰るぞ。じゃあな、日本」


 鼻息をもらして、カードを空中へと放つ。

 弧を描いて手元に戻ってきたカードが破裂した。

 その瞬間、彼らはビルの中から忽然と姿を消した。

 誰も彼らの登場に気づくことなく……新宿の夜は更けていく。


 ◆


 刀を抱いて降ってくる雪を手にした。

 今は病院の外、兄さんが父さんと二人で真剣な顔をして話し合っている。


「……視線を感じるな」

「既に動いているよ……僕の権限を越えたところでね。きっと成果はないだろうけど」

「面倒ばかり増えていくな」

「……黒にまつわる真実を思えば仕方ありません。彼らに話せないのが心苦しいのですが」

「住良木は?」

「気づいていませんよ。それでも――」


 大人の話なのだろう。声を潜めて、離れていく。

 母さんは憔悴しきっていて、ベッドで寝ていた。

 一度は失った命、けれど黄泉から帰ってきた。時が止まったまま……針が動き出しても、いきなり老いるようなこともない。文字通り、凍りついていたのだろう。時が流れても、変わらないほどの氷獄に。

 とはいえ体力は尽きかけていた。

 死ぬようなことはないが、ゆっくりとした休息による体力の回復が必要だと医者は診断した。

 今はコバトが寄り添っている。

 やっと、家族があるべき姿に戻った。


「……ハル」


 名前を呼ぶ。あいつと出会って、止まっていた季節が進み出した。

 今はもう、雪が降りしきる季節だ。ニュースになるくらいの記録的な降雪を見上げながら、呟く。


「どうして、こんなに寂しい気持ちになるんだろうな」


 溶けていく。水滴になってこぼれ落ちていく、雫。


「カナタ……お母さんの具合は……その後、どうだい?」


 呼びかけられて顔をあげた。

 ラビがいる。並木さんがいて、シオリとユリアもいた。

 その後ろに二年生の仲間たちがいる。ハルにとっての九組や零組、十組や友達たちのように……俺にも大事な名前がたくさんある。

 みんなが心配してくれていた。


「母は無事だ……今は寝ている。起きたらご飯が食べたいと騒ぎ始めるに違いないさ。だから……ありがとう」


 笑ってみせた。

 俺の反応にみんなが表情を和らげた。

 見つかった、無事だった、それだけで安心しないのが俺の仲間たちだった。暁先輩の件があるから、どうしても身構えてしまうのかもしれない。

 それでも……たとえば病院に航空機でも突っ込まない限り、母は無事だ。誰かが命を狙おうと父さんがいる。兄さんも。

 だから大丈夫だ。いま気になるのは……もう、一つだけ。


「あの黒い御珠はどうして現われた?」


 俺の呟きにラビが肩を掴んできた。思ったよりもずっと強い力で。


「探ってみるよ」

「……ラビ?」

「ことによっては、また……僕らは関わることになるかもしれない」

「運命というのなら、大仰だな」

「君の彼女が中心にいる。どうやらね」

「……ああ」


 わかっているよ。

 そう答えるつもりで頷いた。

 濡れた手を握りしめる。

 悲しくて寂しくなるわけだ。

 厳しい季節が訪れる。寒さが堪える季節が。

 そして――……


「次は僕たちがメイたちの立場に立たなきゃいけない」

「……四月にはもう、三年生だからな」


 別れの季節が近づいてくる。

 頼もしさの象徴たる三年生が卒業したら、今度こそ俺たちで後輩たちを守らなければならない。

 今日ほどの動乱が起きた時、俺たちは守り抜けるだろうか。

 厳しくも強く立派な三年生のように。

 ……代わりにはなれない。

 真中メイの代わりに太陽になれる人はいない。

 楠ミツハの代わりに矢面に立てる刀鍛冶もまた、いない。

 二年生の未熟を証明するような夜だった。

 俺たちはなるべく迅速に、俺たちらしく強くならなければならない。


「間に合うか、三年生の卒業前に……三年生のいる位置に立てるのか」

「間に合わせるのさ」


 微笑むラビが離れ、並木さんが手を挙げる。

 みんなが視線を向けた。それを待ち構えていた彼女が口を開く。


「今日の戦いの意味を……きっと、一年生は知らない。けれど先輩たちは把握している。私たちもね」


 涼しい顔をして、みんなの不安と希望を吸いこむ。

 真中メイや楠ミツハの代わりにはなれない。誰も。

 だからこそ……彼女は彼女らしく強くあろうとしている。

 生徒たちの象徴として。


「あと三ヵ月で……先輩たちは卒業する。どうかしら、私たちは先輩たちの後を引き継げる?」


 みんなの顔が曇る。

 尋常ならざる力を発揮して事態をおさめた真中先輩の火力も、それを支え戦場を一瞬で止める手を発揮する南先輩の特殊な力も、二人ほど目立たないところで確実な決定力を放つ北野先輩のぶれない強さも。

 世界を塗りかえ、霊子を屈服させて従わせる刀鍛冶最強のミツハ先輩のような才能も。

 俺たちにはない。

 まだ、ない。

 一年生よりは積み重ねてきた。

 けれど……まだ、ないんだ。


「そうね、不安よね。一年生が爆発的な勢いで追い上げてくる。先輩たちは暴走特急並みの勢いで私たちを置いていく」


 曇る顔を、曲がりそうな背中を思い切り叩くように彼女は笑った。


「でも、それがなに? 知ってる? 三年生になるまでの日数……まだ三ヵ月もあるの」


 自信に満ちあふれた声に思わず顔があがる。


「真中先輩が三年生の良さを一人ずつ言えるように、私にだってみんなの長所くらい言える。でも……言わない」


 握りしめられた拳。


「真中先輩が言わないように、私も言わないの。だって、みんな知ってるはずだから」


 胸にとんと当てて、強い視線で俺たちを睨む。


「私はただ訴える。三年生のようにはなれない……でも私たちらしくあろうとすることはできるはず」


 振り上げられる。

 いそいそとシオリとユリアがちょうどいい板を持ってきた。

 彼女が振り下ろす。

 見事な音を立てて割れる板。

 みんな慣れているから突っ込まない。並木さんの……コナ劇場ではよくあることだ。

 二人が後片付けをする中、並木さんは訴える。


「年が明けたら全校生徒のトーナメント戦をやる」


 もう、十二月も中盤。

 冬休みは目前に迫っている。

 だから来年の話をせざるを得ない。


「三年生は去年、上級生を倒してみせた。次は……私たちの番」


 ラビが笑い、ユリアが目を伏せる。シオリは空から落ちてくる結晶を集めていた。

 誰もが決意している。とっくに。生徒会メンバーだけじゃない。


「みんなが不安な顔してちゃ、三年生は気持ちよく卒業できない。一年生は不安になる。そんな情けない真似……誰より私が許さないから。そんなの、言われるまでもないでしょ?」

「あったりまえだろ!」「当然!」「むしろ三年生を追い抜いてやる!」


 みんなが口々に声を上げる。


「よかった。みんな、気持ちを持ってくれていて……それじゃあ、ここからは私からのお願い」


 微笑む彼女に気持ちが寄せられる。


「みんな……休み明け、強くなって再会しましょう。二年生だけの話……頼めるかしら?」

「「「 応! 」」」


 こういう時に真っ先に声を上げるのが愚連隊の血筋なのかもしれないな。


「やったろうじゃねえか!」「何が来てもぶっ飛ばすくらい強くなってやるさ!」「私も!」


 そうしてみんなに伝播していく。気持ちが、やる気が……闘志が。


「ありがとう。休みは大事に過ごしてね? ……ちゃんと心から遊んで、羽を伸ばして安らいで、そして強くなってきて」


 無茶ぶりだ。ただ修行するだけじゃ足りないと言うその心が。

 けれど、そうでもしなきゃ三年生には追いつけない。

 バカみたいに遊ぶときは遊び、緩む時はとことん緩み、けれど団結するときは気持ちを一つにして突っ走る三年生には。

 去年の三年生に……まだ、追いつけないんだ。

 とはいえ、置いてけぼりにされたままでいるつもりもない。

 来年の四月にはもう、俺たちが先陣を切る位置にいるのだから。

 白い息を長く吐き出す。


「――……本当に、厳しい季節だ」


 ここを乗り切れるかどうか。

 やっと……真価が試されようとしている。

 俺たちの、真価が。

 二年生の顔に浮かぶ笑顔は……挑戦者としてのものだ。

 まだ挑戦者で許されている。三年生がいる限りは。

 けれど三年生が手にしている勝者の座を掴み取らなければならない。

 来年、俺たちが三年生になるのだから。

 ハル……お前は自分らしさを掴んでみせた。そしてきっと、これから玉藻の前と十兵衞の強さを真の意味で掴み取っていくのだろう。

 俺も掴んでみせる。

 俺らしい……強さを。そのためにも、家族へと声を掛ける。


「父さん、兄さん……頼みがあるんだ」


 二人がこちらを見た。

 きょとんとする顔に、告げる。


「俺も、父さんたちのように強くなりたい」


 力を手に入れるために、この身を捧げる覚悟を決める。

 俺にだって……自負はある。

 胸を張ってハルの隣にいるために、俺には足りないものが山ほどある。


「……二人に並ぶくらい、強くなりたいんだ。だから……何か方法があるなら、教えて。なんでもやるから」

「……なんでもかい?」


 兄さんの念押しに頷く。


「ああ」

「わかった。私が昔、父さんに鍛えてもらい、昔の父さんも利用した……うちの一族に伝わる穴がある。いわゆる虎の穴だ。入る覚悟はあるかな?」

「もちろんある。強くなるためなら」

「いいだろう。カナタが冬休みに入ったら、さっそく行こうじゃないか」


 微笑む兄さんの横で、父さんは感慨深い顔をして俺を見た。

 けれど止めはしなかった。来るべき時が来たのだ、という表情へと変わる。

 きっと可能性のある場所が待っている。

 求めて歩みを進め……己の輝きを掴み取ってみせる。

 自分らしくあるために。




 つづく。

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