第三十話
『子をなせ――余の子を。そなたにこそ相応しい』
熱が「私」を包み込む。身体を穿つ熱は固く、大きく。全身が多幸感に包まれる。
「あいして」
口から出たのは「妾」の声で。
『ああ……ああ……そなたのせいで、余は』
多幸感が一転、身体を切り裂く怨嗟に変わる。
『そなたがいかに美女になりかわろうと、所詮畜生』
『世のためだ……許せ』
二人の男性の声が身体を包んでいく。
「ゆるさぬ。ゆるさぬ……恨むぞ、人を。破滅させてやる……妾は決して許さぬ……」
それは泣き言でしかなく。
『……いかに障害があろうと、次の王を産み、導くはお前の役目』
「あいして」
だから癒やしは心を繋ぎ。中を満たしていく熱に極まる歓喜は。
『こやつに皇の寵愛は相応しくない。畜生ゆえに』
『偽り――……ならば、いらぬ』
切り裂かれ、心が三つに裂かれてしまう。
「あいされたい、ただ……あいが、ほしいだけなのに――……」
幻のように霞む男の人たちは――……いつしか沢城くんの顔になって。
「だれでもいい……妾に、あいを、どうか」
手が彼の――に触れて。とろけた私で迎え入れようとして――……目を開けた彼が言う。
「だれだ、おまえ」
◆
「――はっ」
飛び起きた。
全力疾走した後のような疲労感と息。
ベッドに寝転がっているのは私だけで……私、だけで。
沢城くんはいない。
指先で触れるベッドに熱の名残もなかった。
彼にとってはただの遊びか、移り気の一つなのかもしれない。
だから気になるのは、むしろ……。
「え……夢?」
呟く声は掠れていた。
……なにが、あったんだろう。
何が夢で、どこまでが夢なのか。
けだるくて、もやもやして……落ち着かない。
何かが欠けている。
窓から吹いてくる風に撫でられて、どれだけ身体がほてっているかに気づいた。
「うわ、なんで」
顔が熱い。変な夢を見たせいだ。
そりゃあ、そういう夢を見た経験はゼロじゃない、けど……でも。
そもそもの経験もなく、知識もネットで自然に入ってくる程度でしかない。
保体の授業は頭が理解拒否って感じで入ってこないし。
だからいつもぼやけた、よくわからない程度でしかない夢なのに。
なのに、今日の夢は……すごく、生々しかった。
快楽も、怨嗟も、苦しみも、喜びさえも。
すべてが生々しかった。まるで本当に体験しているみたいに。
殺意を浴びた時の恐怖と悲哀さえ、自分のもののように感じた。
真っ先に浮かんだのは……夢の声の主。
「ね、ねえ……タマちゃん?」
呼びかけても返事はなかった。
身体の中には確かに感じるのに。
「じゅ、十兵衛!」
『……なんだ』
答えてくれたことにほっとして、それから思い切って尋ねる。
「何か……あった?」
『さて。おぬしとともに目覚めたゆえ、わからん』
「……そう」
結局……タマちゃんは起きてくれなかった。悪い夢の中にいるのかもしれない。
◆
「ハル、大丈夫?」
教室に行く別れ際、トモに肩を揺さぶられてはっとする。
「なんか……変な表現かもしれないけど。欲求不満? それか、ぼんやりしてる感じ」
「え」
我に返ってトモを見た。
心配そうな顔で真っ直ぐ見つめる友達の顔には、心配しかない。
「男の子ばっかり見てる。うまくいえないんだけど、ハルらしくない……感じ」
「そ、そう?」
トモに言われるまで気づかなかった。
そんなにぼうっとしてたのか。
「つらかったら保健室いきなね? 休み時間も様子見にくるから」
「し、心配しすぎだよ。ありがと……だいじょぶだから」
あわてて笑ってトモを送り出した。
それから教室に入る……んだけど。
「んっ……」
入った途端に感じるのは、匂い。
ちょっとの汗、それからミントやシトラスの香料の香り。
なんてことないはず。なのに、よくわからない。
なんでこんなに、どきどきするんだろう。
「――すみ、青澄さん?」
「……え」
瞬きして気づく。
すぐそばにシロくんがいて、これまでは何も感じなかったはずの距離感が急に落ち着かない。
呼び方がさんづけになったことよりも、むしろ今かんじるどきどきが気になる。
「どうした。顔が凄く赤いぞ」
「え、あ、え」
なんで。なんでこんなにてんぱってるんだろう。
「熱か?」
おでこに触れられただけで、胸の奥がきゅうと締め付けられた。
それだけじゃないの。
なんで。なんで――あふれてくるの?
朝の時か、それ以上に、渇望せずにはいられない。
愛して、と――……心の中から叫び声が聞こえてくる。
「あ、わ、わわ」
おかしい。おかしいよ。
私は私が――……よくわからない。
ただ、ここにはいられない。
なぜか――……今日は、どうしても、無理だ。
「ご、ごめん!」
あわてて引き返す。
シロくんが呼び止める声が聞こえたけど、答えられなかった。
よろめき、ふらつきながら、
「どうした――」
「すみません! 保健室、いってます……!」
すれ違うライオン先生に謝って、保健室に駆け込む。
おじいさん先生と二人で話していたニナ先生が、扉を開けて入ってきた私を見てすぐ駆け寄ってきた。
「――……」
何かを言われているのはわかるのに、言葉が頭に入ってこない。
気づいたら抱きかかえられて、ベッドに寝かされて。
渡された薬を飲み込み、水を飲んで――……身体中を苛む熱に追い立てられて、私は意識を手放した。
◆
『……手放すなら、今じゃぞ』
見たこともない綺麗なお姉さんが私の顔を見下ろしていた。
どこまでも白い空。果てしなく黒い大地。
その狭間に私たちはいた。
これが夢なら、私に膝枕をしてタマちゃんの声で語るお姉さんこそ、タマちゃんに違いなくて。
お尻から生えた豊かな九つの尾と獣耳は息を呑むほど美しい金色だった。
『妾はそなたに害をなす。ここ数日は楽しかったが、これからはそれだけでは済まん』
身体を起こそうとしたけど、自由が利かなかった。
『妾の本性はこれ、今朝の夢の通りじゃ。見たじゃろう? あれは……妾の昔話じゃよ』
「……そう、なんだ」
全部、本当のことなんだ。
そう思ったらたまらなくなった。
『妾の歪みはそなたが嫌うように、男を求める。求めずにはおれんのじゃ』
「それは……愛して欲しいから?」
『おぬしとは一心同体じゃからのう。残念ながら……おぬしの愛では足りん。おぬしもまた、そうじゃろう』
「――……え」
『愛が欲しいのじゃ。妾も――……お主も』
笑顔にこめられた意味はきっと一つではなくて、だから理解できないことが悲しい。
『しくじれば呪い、内にある渇望を害悪へと変えて罪をまき散らす。そういう獣じゃ。所詮……妾は畜生じゃからな』
涙が落ちてきた。
雨のように、とめどなく。
『昨日の負けで……男に寄り添われる程度で溢れるくらい、自制心のない愚か者じゃよ』
そうであることに疲れ果てている、ということだけしかわからなかった。
そして、それだけわかればきっと……十分だった。
「今朝の夢がタマちゃんの経験なら」
自然に浮かぶのは、微笑みでしかありえない。
「愛して欲しいって、誰でも思えることで……理解できることだと思う。だから手放す理由にならないよ。タマちゃんの言うとおり、私にもわかる」
ツバキちゃんが気持ちを寄せてくれて、嬉しかった。
だから……わかるよ。
『そなた……』
「私がタマちゃんを選んだ理由はきっとある。だから、タマちゃんと私が満足するまで、絶対に離してあげない」
頭を撫でてくれる手を、気づいたら握りしめていた。
「付き合うよ。世界中の人に後ろ指をさされて、バカにされて、非難されても」
『苦労するぞ?』
「今日さっそくしてるけど、いいよ」
笑って、身体を起こす。
動かなかったはずの身体は今やもう軽いだけ。
『なぜ? ……もっと、万人に愛される力も、そなたなら選べるじゃろう』
「それなんだけどさ」
向かい合って見てわかる。
私が知る限りもっとも綺麗な存在こそタマちゃんだった。
九つの尾も、金色に見える毛のすべても――その神々しさも。
溢れ出る力とまがまがしさ、そのすべてがいつか夢見た十四の幻そのものだった。
「恥ずかしかったり世間体があったりで否定してきたけど、タマちゃんの言うこと全部……ある意味、真理だと思うし」
ハッキリ言っちゃえば。
「好きなの。綺麗で強くてしたたか……なのに私くらいちょろくて、残念なタマちゃんが」
『ぬ、ぬう!』
「だから、タマちゃんがいい。十兵衞と一緒に……タマちゃんにいて欲しい」
『酷い目に遭うぞ? 男にも弱いし』
「素直になれなくて悪ぶってただけで、実は……本気で愛し愛されたいだけ」
そんなの。
「わかるよ」
嫌われるのが怖くて、世間体とかあって……恥ずかしくて。
なかなか人には言えないけど。
家族でも、友達でも、仲間でも……恋人でも。
そういう関係をたくさん作っていきたいと思うの。
きっとそれが輝くような青春に繋がっていると思うから。
『おぬし……』
「だからまず、私はタマちゃんを本気で愛するところからはじめます。もちろん十兵衛も!」
『……ずるい、やつじゃ。認めるのか、妾を』
「当然だよ。いつか見つけるから。タマちゃんに似合う姿をね!」
『ほんにずるい。そういうところが、おぬしの――』
呟いてから、何かを吹っ切るように首を振る。
次に私を見た時にはもうすっかりいつもの調子に戻ったように、明るい笑顔を向けてくれる。
『後悔しても遅いからの?』
「どんとこいだよ」
『下着姿で出歩きもした……怒らんのか?』
不安そうに聞くなあ。
怒るのは簡単だし、拒絶するのも楽ちんだ。
でも実は、そういうの……好きじゃない。
だってとっくに私はタマちゃんのことが好きになっているから。
受け入れる以外にあり得ない。だから言うよ。
「いいの。身体が男の子に弱くなっちゃったっぽいのは困るけど、それもタマちゃんらしさなら受け入れるよ」
『それだけ、か?』
「強いて言えば……そういう大事な節目は私の起きている時にしてよ、とは思うかな?」
でも……朝の夢を思い返したら、難しい。
クラスで嗅いだみんなの匂いとか、シロくんにおでこに触れられるだけでたまらなくなっちゃうのが、もしタマちゃんらしさなら……。
沢城くんに抱き締められて寝たら我慢が出来なくなっちゃうのも、たまらなくてつらくて、縋りたくなっちゃうのも想像ついちゃったから。
「だから次からは事前に教えて欲しいです。できるなら、タマちゃんがしたいことも相談もしてほしいかな。それくらいだよ!」
『まったく……ほんに、変なヤツじゃ』
「なんでかな。昔っからよく言われるの」
やれやれ、と呟いてからタマちゃんにおでこを叩かれた。
『そら、もう目覚めよ……ハル』
名前を呼ばれた瞬間に衝撃を感じて――
◆
瞬きしたら、保健室の天井が見えた。
「――え?」
お尻の落ちつかなさに身体を起こして、ふり返って目を見開く。
「なんと」
尻尾が二本に増えてました。
……あれかな。
絆が増したから、力が解放された的な?
その代償は、男の子の匂いとか熱に弱くなること。
ともすればそれは、男の子に依存したくなっちゃう弱さに違いない。
問題と言えば問題だ。
誰もが理解して受け入れられるものでもないとは思う。
ましてや男の子と……キスさえしたこともなければ、そもそも付き合ったこともない今の私には高すぎるハードルだ。
けど。
それはきっと寂しがり屋で愛情不足なタマちゃんの傷口でしかないと思うから。
ゆっくりしっかり癒やしていきたいとしか、思えなかったの。
つづく。




