第二千九百七十七話
合流した博士さんは私の見た春灯ちゃんの奇行が大いに気に入ったようだった。
念のため同行者に瑠衣、美華、聖歌、スバルについてきてもらっている。ワトソンくんたちや姫ちゃんたちには先輩たちと一緒に行動してもらうことにした。あんまりこちらに人数を割いても仕方がないので最初は瑠衣だけのつもりが、あれよあれよのうちに増えてしまった。シャルの面倒を見切れる人は私かワトソンくんの二択になる。春灯ちゃんはシャルとふたりで熱唱中だったので、先輩たちに状況を伝えてあとを託す。
博士さんとの合流は比較的容易だった。居場所を伝えると、タクシーに乗ってきてくれたのだ。問題はその先の移動の足。指輪の術で転移するか。それともタクシーを引き続き使うのか。電車はまだ復旧していない。道路もまた、いつまともに走れなくなるのかがわからない。やはり転移が一番無難だ。
問題はなんのためにどこで行くかだ。
「いったん、うちに寄ってもいい?」
彼女の提案を断る理由もない。
小さな女の子を伴う彼女はボディガードに美華と聖歌を指名。私には「不思議な力で先に行っていて」と注文をつけてきた。人選も、転移についてバレているのも解せないが、いまは唯々諾々と従うほかにない。
彼女の家にたどりついて、瑠衣とスバルを伴い店内へ。四名ほど、意外にも二十代半ばくらいの女性客がパフェやコーヒーを楽しんでいた。カウンターの内側でずんぐりむっくりした男性が義手を掲げて「らっしゃい、奥で待ってて」と気さくに話しかけてきた。
色艶のある美しい木目のテーブル、レトロな金細工が目立つクッションつき座椅子。店内の天井近くから外周をたどるように設置された、素人目にも高そうだとわかる線路と列車が走っている。各所にぬいぐるみや星のオブジェなどが飾られていて、電車が通ると照明の色が変わったり、音楽が流れる仕組みがあったりする。随所にホームがあり、線路はなんとカウンターテーブル上を走ってもいた。
前より線路のコースが長くなっているような気がする。
「へえ」
「なんか、変な店だな」
「こら」
スバルの失言を肘打ちで黙らせる。
「ああ、それね。よく言われるの。おぼっちゃんたちは連れ添いかい? だったらここで、なにか飲んで待っていなよ」
「や、俺らも中に」
「十代の女性が住む家にあがりこもうって? だめだめ。彼女の許可が出ない」
「「 はあ 」」
ふたりして店員さんに言いくるめられそうになり、助けを求めるように私を見つめてくる。
だが、残念だった。私にふたりを助けるつもりはなかった。
博士さんこと花泉真衣の私生活が気になって気になってしょうがない。
政治家と伝手があり、頼られるような女子高生。品川のお嬢様学校に通う人、のはずなんだけど、平日の日中でも割といつものたまり場に顔を出していたり、いつも一緒の小さな女の子と出歩いていたりと、真面目に通っているそぶりがない。
あの小さな女の子は私にいちいち突っかかってきた大泉議員と仲がよさそうだった。ただ、花泉さん自身は、あんまり親しげに振る舞う様子がなかった。もっとも一瞥で黙らせたり、なにかとアイコンタクトを取っていたような気もするが。
『目元は足れた大きな瞳はあの男に、全体の顔の作りは花泉にとてもよく似ていたな』
「はあ!?」
「え、な、なに、どうかした?」
義足をつけた足でなんとか立って、車いすに座ろうとしていたなじみの店員さんがぎょっとした顔で私を見ている。お客さんたちも、瑠衣たちもだ。
「すみません。ちょっと、宿題を忘れていたことを急に思い出しちゃって」
「え? なんかあったか?」
「宿題なら、いつでもなにかあるだろうよ。宿題なら、な」
スバルが疑いの万座氏を向けてくるが素知らぬ顔で謝り倒しておく。
そんなことよりも、なによりも、なに。は?
私と同い年か、ひとつ上の世代の春灯ちゃんと同い年の博士さんが? 経産婦!? 小学一年生くらいになりそうな女の子の!? 逆算して6、7年前に妊娠出産って、小学生時代にってことになる。明らかに犯罪だ。花泉さんへの心身へのダメージは深刻になるはずだし、むしろ無事に出産できたことが奇跡なのではないか。
仮に父親が議員のあの野郎だとしたら、なぜ捕まっていないんだ。
『なんにでも抜け穴はあるさ』
あっちゃだめな抜け穴なんだよ。それは。
頭痛がする。
前に伺ったときにもお会いした店員のおじさんにコーヒーを煎れてもらう。四肢のすべてが義手義足ながら、スチームパンクなアニメ映画の登場人物のように、金色のフレームが露出した多関節の腕が金属音を立てながら豆や機材の用意をして、ポットを温め、ゆっくりとお湯を注ぐ。
銅製のカップに注がれたコーヒーをちびちびと飲みながら待っていたら、ほどなく家主が帰ってきた。
博士さんは女の子のコートを脱がしてから、自分のコートを脱いで、片腕に抱えて奥に入ろうとする。それから思い出したように、私を手招きした。お迎えされるのは私だけらしい。美華と聖歌に道中はどうだったか尋ねる暇もない。視線を送るが、ふたりとも困ったような顔をするだけ。美華に至っては肩をすくめた。なにそれ。
暖色系の照明と年を重ねた深い木目調のインテリアに包まれたカフェのカウンターそばの扉を抜けた先は艶のある木の床の通路。土壁に木の柱、天井から吊るされた裸電球。いかにも古びた民家だ。
障子や引き戸など和で統一された空間。戸のガラスから覗く広々とした庭園は苔と清らかな池があり、模様鮮やかな錦鯉が泳いでいた。季節の花が飾られていて、鹿威しさえ見える。水の流れる音が耳に心地よい。
いったいどれだけお金のかかった邸宅なのか。
面食らいながらも彼女の後をついていく。
いくつかの部屋を横切ってから、通路を曲がり、すぐの戸を彼女が開けた。女の子が急いで中に入っていく。遅れて入る博士さんについて部屋を覗くと、桐ダンスや座椅子、低い机など、レトロな匂いに圧倒された。しっかりと畳だ。女の子はワンピース姿で寝転がり、携帯ゲーム機を持って電源をつけている。
「緋迎さんとは仲がいいの?」
しまった。機先を制されてしまった。
「学校の先輩の交際相手が、緋迎さんの弟で。学院の伝手もあって、なにかと関わることがありまして」
「そう。それならよかった。前に警察官に強姦された少女の依頼を受けたことがある。警察の裏金の追及ができないか相談を受けたこともあったかな」
まるで冷蔵庫の中身と献立を想像するような情緒の薄い調子で語るものだから、一瞬、理解が遅れた。
「え、と。そんなことが、あるんですか? ニュースになりそうですけど」
「警察に詰める記者クラブの人たちがどんな風にしつけられるか、ご存じ?」
フォロー外の知識を問われて固まる。
「新聞社は新入社員たちにあいさつ回りさせる。警察の広報部は手厚く、大学を卒業したばかりの大人になりたての彼らを迎える。仕事の仕方からなにから手ほどきを受けて、仕事に必要な情報までくれる。まるで優しい教育係のように」
「それが、躾?」
「親身に手ほどきしてくれて、仕事の成果までくれる相手を邪険にはできない。それが人情でしょう? けれど新聞社などに勤めたら、欲しくなるのが先取り。スクープ。そんなとき、広報の人たちは個別に、こっそりと、先取り情報を自分だけに教えてくれるの」
なぜ、それも躾になるのか。
「それは警察にとって、いまやもう、痛くも痒くもない情報。だけど、それだけで会社からは褒められる。よくやったと言われる。覚えもよくなる。それでいいの」
「それ、ずいぶん狡猾ですね」
「新聞社だけが相手じゃない。テレビメディア、雑誌。敵にするより抱き込んでしまえばいい。反発するなら、情報共有に入れてやらないと脅せば済む。規模のでかい企業ほど、警察に協力を依頼するイベントごとをしたり、協力会社を含めて不祥事を起こしかねない。そんなとき、便宜を図ってもらいたいのも、人情」
癒着構造にある、と。花泉真衣ははっきりそう言っている。
「なんがつなんにちに、交番勤務の巡査が女性に声をかけ、交番内にて不適切な行為をしました。一口ニュースでさらりと言って、おしまい。そもそも市民対応に問題があるのではないか、どのような教育をしているのか、同様案件はないかなどの追及は一切なされない」
「警察を捜査する警察がいないから?」
「身内に甘く、偉い者にほど甘いのが、日本の組織というものだからだよ」
コートを片付けて、ブラウスのボタンを外して着替えにかかる。気まずくて背中を向けた。なにか他に見られるものはないかと思って目についたのが本棚だった。
「組織ぐるみの裏金作り、政治的癒着や腐敗。別に珍しい話じゃない。放っておけば、どんな組織でも起きる。大事なのは、そうしたことが起きないようにする内省的・批判的な機関であり、対応。社内・社外で嫌われ役になれる、権限のある組織。けれど」
「組織である以上は政治的関与の影響を受けざるを得ない、ですか」
「そう。権限がある、相手は自分を害することができないと思えば人はいくらでも居丈高に、残酷に振る舞える。交番勤務の若手警官さえ、必要と思えば、やりたいと思えば、市民が相手なら暴言も恫喝もする」
「そんな」
渋谷を中心に、あらゆるフィールドワークで繋いできた人の絆の輪。
そこではさんざん、ろくでもない人間の話を聞いてきた。
でも警官の暴行や暴言などはなかった。
ただ博士さんの言うように性善説で捉えられるものではないことを承知してはいる。たしかに片づけられがちな報道ではあるものの、警官や刑事などが犯罪や不祥事を起こして伝えられることがある。
職業が人を正しいように振る舞わせるのではない。
人が自分でどのように振る舞うかでしかなく、職業や立場は手段として利用されるだけだ。
「緋迎さんも疑っているんですか?」
「私は警察を信用していないだけ」
にべもない。
本棚には古びたぶ厚い表紙の辞書がずらりと並ぶ。六法全書などもあるし、児童向けの百科事典などもたくさんある。本棚には人柄がにじみ出る。あるいは、どう見せたいかが演出されている。
花泉真衣の本棚は年を重ねた紙の匂いがぷんと香るような本ばかりが並んでいた。
文庫本としてあるのは岩波のものだけ。
「たとえ彼に高潔な理想があっても、現状の仕事で十分、変化を望まない警察全体から五割の相手が阻むなら? どうにもならない。記者やテレビマンたちは現状で満足していて、批判性がない。戦前とたいして変わらない体制へと回帰しつつある。この国はね? いつ先祖がえりを起こしても不思議じゃないの」
彼女はいったい、なにを危惧しているのだろう。
「たやすく戻られても困るから、できるかぎりをしないとね」
衣擦れの音が続く。それから、ゲーム機の音も。
「仕事として成立するなら、みんな無茶はしないものでしょ? 現状を守ることをこそ優先して、むしろ同調圧力を増す側に加わる」
「輪を乱すな。和を以て貴しとなす。その和が不平や不正のためのものでも、ですか」
「万国共通なんだよ。完全なるものはない。これをもって十分というものはない。足りる、満たすということはないの。とりわけ、警察には経緯からして問題を抱えている面がある。なぜ聴取を取る際に加害や拷問まがいの方法を取るの? なぜそれを何年も何十年も止められないの?」
止める必要性がないからか。止めたくないからか。
「特高警察の血は途絶えていない。その血を濃く受け継ぐ者ほど、国民は下なの」
「とりわけ容疑のある者は、疑いであっても最も劣位に置かれると」
「そんな偏った人たちが、どうして事態を冷静に分析できるというの? 自分を批判的に捉えながら、多くの視点から情報を観測できるというの?」
鋭い指摘に思えた。私には。
「もっとも、私の師匠はまさに、その警察にいた人なんだけど」
お待たせと言って彼女が横を通り過ぎていく。
黒い紬だ。白く鮮やかな雪輪の文様がある。帯は白い無地のもの。髪もアップにして結わえていた。
前に見たときもそうだったけど、家では和装なんだ。博士さんって。
「ついてきて」
「は、はい」
思わず動揺してしまった。
彼女の後をついていくが、女の子は出てくる気配がない。
「あ、あのう」
「ああ。気にしないで」
彼女がそういう間に、女の子は寝返りをころころと打って小さな机のそばに転がっていき、机のうえに置いてあるリモコンを取ってボタンを押した。電子音声が「暖房を起動します」と、温度設定つきで話す。ちなみに二十四度。冬なら十分あたたかいだろうが、いいんだろうか。
当人たちがいいなら、いいのか。
私が部屋を出るなり、博士さんが戸を占める。
彼女は黙って歩き出すので、ついていく。頭の中で建物の構造を思い描くかぎり、表にある喫茶店部分は大きな居間を改造したようなもの。その先にある通路は口の字型になっていて井戸のある庭を囲っている。
階段は見当たらない。庭に続く戸のガラスはひざ下にしかなくて、建物を見上げることができない。
二つ隣の戸を開けると、六畳間ほどの薄暗い和室の壁際に、博士さんの部屋にあったのと同じ小さな机と座布団が置いてあった。机の上にはデスクトップパソコンがあり、カメラやマイクも置いてある。右手の壁にはグリーンバックのシートまで。
「一日一時間と決めているんだけどね」
面倒そうに言うわりに、彼女は慣れた手つきで端末の電源をつける。
即座に操作できるようになる。彼女は座布団に正座して、マウスを手に取った。メッセージアプリを立ち上げて通話を飛ばす。三秒ほどの呼び出し音の後に、
『もしもし?』
男性の声がした。
「用件だけ手短に。仕事内容の共有をしていただけます?」
『先方に許可をもらうのに苦労したけど、メールで送ってある』
「いい加減、ワークスペースアプリを入れませんか?」
『高校生が学校をさぼって仕事ばかりするからダメだ。俺を師匠と呼ぶなら、弟子はまだ仕事をするな』
「もう遅い。私の取引件数をお伝えしましょうか? 何度やるんです、このやりとりを」
『姉に預かった大事な娘さんが学校に行くまでだ』
「単位は取っています」
『だが高校生らしい体験をしていない。政治家連中との付き合いを増やしている。あのろくでなしとの縁も切ってない』
「私には私の計画があるんです」
ふたりは長く揉めていた。
博士さんの、いや。花泉真衣の個人情報を知っている人物が相手のようだった。
あえていえば保護者だろうか。彼女のお母さんの弟、つまりは叔父だ。
ろくでなしというのは、察するに、あの憎たらしい若手議員だろうか。
「古巣からの指示は受け入れるのに、愛くるしい姪のお願いは無視ですか?」
『警察に睨まれたら仕事するどころじゃないからな。関わらずに済むなら、それが一番だ。国家権力なんかとつるむな、距離を取れ。あんなもんは毒だ、毒。薬にならん』
「私はその毒から生まれて、毒に浸され犯されて、毒を食らって今日まで生きてきたんです」
『真衣』
「叔父さんは引き続き、調査相手と男の関与を調べてください」
『真衣さん? 聞いてる?』
「私も今回の件は手伝わせてもらいます。ひとまず渋谷のコンビニ爆破の一件で消えた男の行方を探します」
『どうしても学校いかない? 一日だけでもいいからさ』
「言い方に中年の気持ち悪さが出ているので却下します。では」
博士さんは一方的に通話を切ってしまった。
いいのか。これで。
「すみません。居心地の悪い話をして」
「い、いえいえ! 内心、師匠と思っていた博士さんのことがわかってうれしかったです」
いけない。失言だ。
「おや、まあ」
博士さんの目がすぅっと細くなる。
さながら遊び相手を見つけた猛獣のように、唇の端を引いた。
なんだろう。嗜虐的に笑う場面だっただろうか。
「じゃあ、遠慮せずに使わせてもらいますね」
よくない兆候に思えたが、気づくには、たぶん遅すぎた。
つづく!
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