第二千九百七十一話
小さくなった般若が両手を掲げた。直後、頭の中に嫌な音がした。甲高く何度も短く残響する、固い石を削るような音。工事現場で、あるいは歯医者さんで聞くような、掘削音。あいつのどこに、そんな音が鳴る要素が?
いぶかしむ私のすぐ横を、いつか見た地下鉄の列車によく似た車両が通り過ぎる。飛び上がるほど驚いたし、恐れおののいた! けど、同時に疑問に思う。なんでぶつからなかったんだ。
四車両とも、まっすぐ般若の胸に突っ込んでいく。直撃コースなのは間違いない。ロボットは両手を前に突き出して、親指と残りの指を合わせてハートを作った。指先で作るやつじゃない! 手だ! 手でハートを!?
電車がハートの中に突っ込んでいく。気になって高度を稼ぎ、ハートの先を見た。両手のハートを境目にして、電車が細々としたものに化けている。ただし、般若が吐き出した血でも臓物でもない。骨や仏壇、衣服などに見える。数がやたらに多い。それらが般若の胸を中心にぶつかる、いや、飲みこまれていく。
みるみるうちに般若の身体が巨大化していく。まるで仏さんの怨念でも吸い込んでいるようだ。
くそ。合体するんじゃないのか! この調子じゃ、飛行機も燃料替わりか? お父さんがいたら怒っていたはずだ。肩透かしもいいところである。
だけど再びのスカイツリーレベルの巨大化だ。いったいなんなんだ、こいつは!
怯んでいたとき、ポケットに入れといたスマホが震える。出たいけど出られない。巨大狐の中に収まっている私は身動きが取れない。それならとキューブスーツを展開して、ヘルメットの通信機能を当てにしたら、すぐに音声が繋がる音がぶつ、ぶつぶつと聞こえた。
『春灯!』
『青澄ひとつ言わせろ、チェキになんねえ!? 待ってられねえよ!』
『それより氷! 壁がなくなってる件が先!』
氷? 言われて気づく。
そういわれてみると、たしかに氷がない。
首都圏は線路だけじゃなくて、道路も氷の壁で封鎖されているっていう話だったはずだ。
なのに首都高は車が走っていた。一般道もそうだ。
あとごめん、カゲくんの要求にはすぐに応じられそうにない。
『二時間ほど前、都心のごく一部で壁が蒸発し始めたの。といっても都心の高速道路と太めの国道だけ。線路は未だに凍結中。だから交通量が増えてる』
マドカが急ぎ説明してくれた。
消えたのでも、溶けたのでもなく、蒸発した。
それがなぜかはわからない。わからないけど、覚えておかなきゃ。
『いま、そっちに急いで向かってる』
早口でまくしたてたマドカが、そこで息を吸った。
入れ替わるように「続きまして」とルミナが割って入る。
『都内各地で蒸発現象が見られたのち、いま対峙している空飛ぶ列車、飛行機、そして巨大般若ロボが多数出現』
た、多数!?
こんなのが他にも出てんの!?
『侍隊が未だに動けない。自衛隊も出てきてるけど、避難がぜんぜんできてないからか、攻撃の気配はゼロ』
少なくとも街中で大砲をどかんどかんとぶちかますようなことはしない、と。
般若に有効かどうかがわからないし、有効でも深刻な被害を都心にもたらす。
だけど、なにもしないでただいるだけの自衛隊や、その車両だなんだを見ている人たちはどう思うんだろう。結果、どんなことになってしまうのだろう。
ビルの連続爆破事件から続く関東事変の数々。極右を軸に過激な世論が形成されつつある。一時、よくわかんないコメンテーターが私を叩いていたけれど、要は「得体のしれない化け物みたいな学生に頼るな」「軍備を増強」という話に徹底していた。ダシにされてた。
粗忽者。
でも、そういう粗忽者はまあまあいる。
理華ちゃんに難癖をつけた男のように。
あんまり示唆的なので、ちょろく乗らないよう自制する。
集中を。
巨大化する般若は、その変化に対応しきれないのか、身体を丸めていた。
『三年生たちだけじゃなくて真中先輩たちも出ていて、なんとか討伐を進めてる』
進めてる。進めてるの!?
「どうにかなってんの!?」
思わず聞いちゃった。
『伊達に最強じゃないってことだよ。通信繋ぐね』
『ハルちゃん!? 聞こえてるぅ!?』
ヘルメット中に響き渡るような大声に思わず顔をしかめた。
久々の愛生先輩の声よりも、先輩の通信越しに聞こえる風切り音のけたたましさに怯む。
『力自慢たちの物理は通用しない! でも御霊の刀なら刃が通る! 術も効く! クローンも、卵もだ!』
後ろからルルコ先輩の「やっちゃえ!」という掛け声に続く、大勢の「うおおおお!」という怒鳴り声がした。鬨を上げているのだ。
『まず、ぶったおす! 被害を押さえるのが先!』
「う、ん」
『迷うんだね? 悩んでるんだね?』
「う、んん」
ビルを踏みつぶした。あいつは。
一瞬で大勢を踏みつぶした。霊子の塊だからといっても、助けられるとは限らない。
関東事変と同じか、それ以上の犠牲者が出る。もうすでに、出ている。
戦いは罪を罪じゃなくする。本質的な行動の意味はなにも変わらない。結果の意味も。ただ、格闘技の試合や練習における暴力を、その枠内で問題がないこととして扱うだけ。格闘技は人が致命的なことにならないよう制御する。だけど戦いはちがう。
もう、いやだ。無理だ。無理だよ。
無理なのに、そんなこと言ってる場合じゃ、なくて。
『素直であれ!』
思考を、苦悩を、明るく照らすような強い声が聞こえた。
『私たちも、マドカちゃんたちも、挑んでる! ほっとかないよ! ハルちゃんはひとりじゃない! だから素直であれ! 悩みや苦しみは、こういうときほどためらわずぶつけていいよ!』
明朗闊達。
『ハルちゃん! 青澄春灯!』
迷う私を見透かした先輩が、強く名を呼ぶ。
『どうしたいのか、わからないのか、ぜんぶぶつけていい! 専守防衛に徹しながらでいい!』
「は、はい!」
『よろしい! こっちは鉄火場! キミの同級生たちに譲る! 通信終わり!』
ぷつ、と。音がした。
『こちらマドカ。春灯、いま全速で向かってるよ。結城くんが、戦力を連れていってるの。待てる?』
「うん」
マドカの問いに答えながらも、まだ、もやもやは残る。
『おう。その増援だけどよ。ひとつ聞きてえんだ。なあ、ハル』
ギンの声が割って入る。愛生先輩ほどじゃないけど、風切り音がする。走っているのか、足音と息遣いも聞こえる。
『俺らの手なら汚れていいのか』
心臓にぎゅっと痛みを感じた。
『そんな風にお前は自分を責めるんだろうが、言っとくよ。俺のことだ、俺が選ぶ。いやならやらねえ!』
『僕らみんながそうだ!』
シロくんの声だ。
『もし、お前にもやもやする気持ちがあって決めきれねえっていうんなら、お前には見つけたい答えがあるはずなんだ』
『どうしたいんだ、青澄さん!』
問われる。
『ただぶっ倒すんでも、防戦一方でもない、大事ななにかがあるんじゃないか?』
『手ぇ貸してやるっつってんだ。遠慮することはねえ! てめえが望み、てめえに足りねえものを俺らが持っていく!』
斬るよりもちがう、なにか。
ほんとにしたいことは、なにか。
戦うのは、たいへん。
防戦は、もっとたいへん。
そのうえさらに求めるなら、もっともっとたいへん。
いやだから選ぶんでも、受け身として仕方なくやるんでもない。
いまこの瞬間に、私が主体的に望み、叶えたいことはなんだ。
知りたい。
この暗中模索の状況で、私と術者の現状を知りたい。
いいや。ちがう。それさえまだ、具体的じゃない。ぜんぜん足りない。
私はだれかの手段が知りたいのでも、その対応に追われたいのでもない。
だれかの意図だけでも足りない。
生の人間が、どんな状態で、どんな顔で、どんな思いで、こういうことをしているのかを知りたい。
なにをもってどう感じ、どう考えたのか。
どれだけの積み重ねをもって、これだけのことをしようとしているのか。
それが知りたい。
急いで。整理して。まとめて。
私の願いはなに?
素直であれ。
「私、私は」
『『 教えてくれ! 言ってくれよ、さあ! 』』
私が望むことはなんだ。
こんなにめちゃくちゃなことをされて。
いままでひどい代償を支払ってでもなんとか対応してきたけど、それだってしなくて済んだはずのことで。
負荷が増すばかりで、いやでいやでたまらないことばかりだ。
理不尽だらけ。責任も負担を背負わされる。
できることは責任の領域と通じている。だけど、責任の領域はできることより、いつだってちょっとずつ広くて深くて高いんだ。だから自分だけじゃ足りなくなるので、みんなの助けが必要になる。社会は依存の回りもの。
今日一日の食事さえ、私たちは多くの依存によって、なんとかなっている。だれもひとりで生きていないし、だれもひとりじゃ大きくなれない。
だから望むほど、私たちは可視化した責任領域に必要な助けを求め、協力しあってる。
共同体はみんなのためにある。あんまりちがいすぎて、できることもできないことも、その度合いもまるでちがいすぎるみんなのためにある。
ひとりも取りこぼさない。苦しい人ほど、その恩恵があるべき。理念としては立派でも、実現するのは本当にたいへんだし、世の中の理不尽は見つかるばかりで対応が困難だし、そもそも貧していくばかりだから鈍している最中だ。ぜんぜん足りない。
現状に悲鳴をあげる人が大勢いる。
たぶん、今回の騒動の術者ないし術者たちもそうだ。
それはこんな大それた破壊行為だの暴力だので示されるべきことじゃない。
そうは言ったって、既に相手は選んでいるから止めなきゃだし? 止めるだけじゃ足りない。
私はわがままなんだ。
ポラロイドにしたのだって、じっくり捉えたかったからだ。でも状況によって需要は変わる。チェキが求められる、いまのように。
応対しながらも、本命を狙い続けるのは容易じゃない。
「付き合ってくれる?」
『酔狂なやつが集まってんだ。さすがにみんなじゃねえけどな』
『真中先輩たちなんか、まっすぐ打倒に動いてるからね。でも僕たちなら、とりあえずは対応できるはずだよ』
『おい、シロ。そこはもっと張り切って言えよ』
『なんでもって言ったら噓になるだろ?』
『しけてんな』
ふたりがあんまりいつもの調子で笑えた。
久しぶりにずいぶん気が楽になったよ。
「カメラを改良する。術者を見つけたい。このロボの正体も知りたい。被害は出したくないし、これ以上の無茶はさせたくない!」
『よし! そうこなくちゃ!』
『ハル、遠慮すんなよ? なんかあったら、すぐに言え? 俺らはダチだ! そうだろ!?』
「っ」
やめて。
ヘルメットをかぶってるときに、泣かせないでほしい。
つづく!
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