第二百九十五話
尻尾が九本ある狐ってなあに? 妖狐タマちゃん……なんだよね。私っていうよりは。あくまでタマちゃんが入っている私って感じです。
そんなことをユニットバスでシャワーを浴びながら考える。
タマちゃんを引き抜いてなかったら私はたんなる狸顔の女子でしかなかっただろう(ただしたまに付け歯とマントをつけます)。
二の腕も細くなったし、中学時代は常に悩みの種だった腰回りも引き締まってすっきりくびれてる。
筋肉細マッチョ化してる侍候補生女子も結構いるのに、私の手足、腹筋は筋肉むきむきな感じがしない。
タマちゃんの力によるものなのか、なんなのか。
バストアップは確実に、ヒップラインは悩ましくなるばかり。かといってトウヤが大好きな男の子向け漫画のお姉さんたちみたいにぼん!!! きゅ、ぼん!!! ってわけじゃない。まああれは意図的にデフォルメされてるんだと思うのですが。
とにかく、十六歳体型としてこれはありなのでしょうか。
『あほな自問はやめんか』
はーい。
シャワーの栓を捻って止めて、タオルで身体を拭く。
そっと浴槽から出て目にした鏡に映る自分とにらめっこ。
「言うほど狸顔かなあ……丸顔なのは認めるけど」
どんどん丸っこくなってる気がする。目は垂れてるし。
日に日に童顔になっていってる気がして、悩むなあ。
キラリみたいに綺麗で、すっとしてて大人びた顔つきとか。
マドカみたいに可愛い顔なのに、物静かな時はクールで、弾けた時には情熱の炎が燃える主張のあるあの目つきとか……そういうのに憧れる。
どうせ童顔ならいっそノンちゃんみたいに背もぐっと低い方が可愛いと思うんだけど。
キラリみたいにすらっとした体付きと高い身長なら決まってるって感じになるしなあ。キラリってカリスマJK感ある。
そこへいくとマドカは情熱と才能の申し子。最近は髪をふわふわさせてるよ。ルルコ先輩オススメの美容室に行ってセットしてもらってるみたいだ。パーマあてていて、すごく似合ってるの。髪を伸ばしていて、手入れにも余念がない。
なんだかみんな自力で綺麗に手を伸ばしていて、羨ましいことばかりです。
常に不満があるかもしれません。
それでも……タマちゃんの、いわば神さまが全力で自分を美しく磨いてみました! みたいな容姿に、ゆるやかにゆるやかに近づいているのはありがたいなあ。
私一人だけだったら無理だったに違いない。
『ほれ、また不信の種を埋めておる。よせ、そういうのは。妾を抜いたそなたを信じよ』
は、はい。
『おぬしだって美容に努めておる! 自らの積み重ねを裏切ることほど、もったいないことはないぞ? 自分を裏切るつもりか?』
う、うん。そうだよね。いけない、いけない。
またみんなに「こいつまた自信なくしてる」って思われてがっかりさせちゃうのやだし、気をつけなきゃ。
「ねえ、十兵衞。綺麗になってるかな?」
何気なく問い掛けてみたら、十兵衞の咳払いが聞こえた。しかもすっごく気まずそうなの。
なんでかなあって思っていたら、タマちゃんが訴えてきた。
『ハル。いつまで裸でおるつもりじゃ?』
おっと、そうだった。学校へ行く準備しなきゃ。
あとは今週控えてる邪討伐をやって、冬休みだ。
それだけじゃない。ユウヤ先輩から音源を作るからレコーディングがうんたらって言われてた。
青澄春灯、ちょっと忙しくなってきたんだ。
ギンも放課後から夜まで問題ない範囲で、ノンちゃんと二人で働き始めてる。
ルルコ先輩たちは頻繁に邪討伐にいってお金を稼ぎ始めてる。
師走、まだまだ残ってる。
気持ちを切り替えていこう。
星蘭と北斗の生徒はもう帰っちゃった。
ユウジンくんから、
『なんかあったら呼んでよ』
なんていう意味ありげなメールが送られてきてて、どういうことか尋ねたんだけど教えてもらえませんでした。まあユウジンくんが謎めいているのはいつものことなので、気にしないでおこう。朝に悩む時間なしです。
むしろユイちゃんに「北海道にも遊びに来てね」って言われたのが気になってる。キラリと二人で遊びに行けたらいいなあ。
「さて……よし!」
持ち込んだ下着と制服を着て外に出る。
カナタはもういない。私も急がなきゃ!
◆
放課後のお助け部は少しだけ忙しい。
今日の依頼はね?
高二のクリスマスが控えているから、幼なじみと恋人になりたい! というもの。
好きな人がいるから告白の手伝いを、という……ありがちな依頼だけど、やりがいがあったの。
リサーチしたら二人揃って好き合っていて、お互いに意識してて。だけど告白のタイミングを探っている状態でね? しかも! 二人揃って、別々に同じ依頼をしてきたんだよ?
これはもうやるっきゃないよ! ってなったの!
マドカと一緒になって、がんばった。
二年生の幼なじみの二人の恋の成就を見届けて至福気分で部室に戻ると、
「……やっぱりきな臭いな。いつも悪いな、尾張……助かるよ」
「毎度あり」
シオリ先輩がユウヤ先輩を見送るところだった。珍しいツーショットだ。
ちょっといろいろあったけど、だからこそ無視してユウヤ先輩に駆け寄る。
「先輩、どうしたんですか?」
「おう」
ユウヤ先輩も心得たもので、いつもの斜に構えためんどくさそうな……世の中舐めてますが何か問題でも? っていうニヒルな笑顔で答えてくれる。
わかりやすいポーズみせて、気を遣わなくてもいいよって知らせてくれるところは……素直に好きだ。この人は粗野に振る舞ってみせて案外、心の中で気遣うタイプだと思うの。
私がにこにこしてたら、ユウヤ先輩は呆れたように肩を竦めてから説明してくれた。
「ちっと仕事っつか……邪討伐をした先で会った警察の侍から変な噂きいてな。尾張と付き合いがあるから、情報収集をしてもらったってとこだ」
「……けいさつ? って、じゃあ……お仕事絡みです? 大丈夫です?」
「心配すんな。一年にもお前にも力を借りるほどじゃねえ……今はまだな。尾張、他言無用で」
「了解です」
「じゃあな、青澄」
手にしたレポート用紙を丸めて私のおでこをこつんとやって、ユウヤ先輩は歩き去った。
「はー。お茶のも、お茶」
マドカに身体を押されて部室に入る。
シオリ先輩がストーブであたためてくれてたおかげで、外より居心地がいい。
ぶあついクッションを置いた椅子に座って、高そうなヘッドフォンつけてどてらを着てパソコンを弄るシオリ先輩まるまるしてる。
分厚い眼鏡といい、なんかこう……マスコット感つよい。あのヘッドフォン、イヤー部分に耳をつけたらあれだね。具体的に何とは言わないけど、宇宙人になりそうだね。
『なんのことじゃ』
ご、ごめんね、なんでもない。
考え込んでいたら、お茶を煎れて椅子に腰掛けたマドカが口を開いた。
「思うんだけど……先輩たちが仕事はじめたから、余計に手が足りなくない?」
山吹マドカ、突然の疑問。
おろおろしながらシオリ先輩を見たけど、シオリ先輩はパソコンを弄るのに忙しい。
ラビ先輩がいてくれたら……いや、一緒になってかき回すに違いない。あの人はそういうところがある……。
しょうがない。私が付き合うしかないっぽい。
大人しく自分のお茶を用意しながら返事をする。
「部員たくさんいてもしょうがない部活というか……そもそも、依頼に応えられる人じゃなきゃだめだけど。あてはあるの?」
「天使さん!」
「……おう」
そうきたか。マドカの提案に唸る。キラリが入るのは悪くない。それどころか、かなりいい。隔離世の戦い方を見れば頼もしいことはわかると思うし。
でもどうかな。キラリは中学時代の一件があるから、私と同じで自信ない方だと思う。それにしては十組を覗くといっつも誰かの世話を焼いているから、適任だとも思うんだけど。
そんなことを考えている間にマドカは話を続けるの。
「トラジくんもいいなあ。あんまり活躍頻度ないけど、八葉くんとか、あと岡島&茨ペア! あのへんも面白いよねえ」
そろそろ止めないと、際限なくみんなの名前を挙げちゃいそうだ。
「いやいや。どんどん増えてるから」
「少数精鋭じゃなきゃいけない縛りもないでしょ?」
「えっと、それは……どうなんでしょうね、シオリ先輩」
マドカの根本的なツッコミの答えがわからないからそのまま尋ねてみる。
じっと見つめていたら、ヘッドフォンを外して首に引っかけた先輩が教えてくれた。
「一応は次の生徒会長を育てる名目があるからね。資質がなきゃ誘わないし、入れない。それがこの部の伝統だ」
「伝統は破るためにある!」
「いやいや」
燃え上がる勢いのままに立ち上がったマドカの制服の裾をくいくい引っ張って、椅子に座ってもらう。
「カゲくんに先導力あるのはわかるし、岡島くんと茨ちゃんが実力者なのもわかる。三人とも同じクラスだもん。トラジくんも頼りがいあるし」
でもなあ。なんかぴんとこない。
そりゃあみんなが入ったら部活自体は楽しくなりそうだけど、楽しむための部活じゃなくて誰かをお助けするための部活だしなあ。
そもそもみんなが入ってくれるかどうかは別問題だ。
とはいえマドカが徐に提案しちゃうくらい手が足りなくなってるのも事実。
ラビ先輩とメイ先輩が私を指名して、ルルコ先輩がマドカを指名した。ある意味ベストメンバーだけど、そういえば……。
シオリ先輩を見つめたら、めんどくさそうな顔された。
「なに。やな予感がするんだけど」
「あのう……シオリ先輩って、まだ誰も勧誘してませんよね」
「な……こほん。なんのことかな」
「あ、ぎくってした! ぜったいいま、ぎくってした!」
「ボクはその手の業務に関係ないの」
「とか言ってますけど、実は指名するのめんどくさいだけなんじゃあ?」
「めんどくさくてなにがだめなの」
ぷいっと顔を背けられました。かわいい。けど思わず言っちゃったよ。
「うわ! 認めた!」
「シオリ先輩、意外とそういうとこありますよね! 普段の趣味の方がよっぽどめんどくさそうなのに!」
「確かに! ……――あれ?」
わあわあマドカと盛り上がった、と思ったら返事がないぞ。
「マドカ? どうしたの、急に黙り込んじゃって」
「……シオリ先輩が選ぶなら、誰なのかなって」
「ああ……確かに」
気になると言えば気になる。
ルルコ先輩がマドカを選んだのは心の底から納得してるんだけど。
「ボクは……こほん。私はそういうの興味ないから」
うわ。久々にシオリ先輩のよそいき一人称聞いた気がする。
けどシオリ先輩は干渉を遮るように、ヘッドフォンをつけちゃった。
そしてパソコン弄りに戻るの。
なんだろう。さっきから夢中といえば夢中だ。
マドカと視線を交わす。
二人でそーっと後ろに回り込んで、パソコンの画面を覗いてみたよ。
「「 あ 」」
日曜朝でおなじみの女の子アニメのコスプレ衣装の画像のウィンドウと、体育館でキラリが似たような格好をしている画像のウィンドウ。他にも監視カメラが捉えたであろう画像がたくさん出てる。
狐耳でようく聞くまでもなく、ヘッドフォンから漏れてるのはアニメのエンディングテーマだし、ブラウザに表示されたメールの送り主はルルコ先輩。
『この子おもしろいから、どう?』
という内容だ。
マドカが目をつけるように、ルルコ先輩も気づいてたんだ。キラリのこと。
ルルコ先輩に促されたからって、黙々とキラリの情報を探っちゃうくらいには……シオリ先輩も気になってるんだなあ。
マドカと笑い合って、そっと離れる。
シオリ先輩、さっきと違って集中してるのかこっちに構ってくれる気配がないし。
「私なりに噂を確かめてみたけど、十組って面白い子が多いよ」
「んー。それは確かに」
そり込み入った、がたいのいいトラジくん。巨漢で頑丈な井之頭くんとケンカしても負けない人。
ユニス・スチュワートさん。イギリスのプロの魔法使い。外国の関係者だけあって世界観が違う感じするけど、逆に言えば世界の隔離世事情にも気になる不思議が満ちていることを知らせてくれる人。
他にも男の子が二人いるし……なにより、抜いたばかりの刀で暴走しちゃう女の子、中瀬古コマチちゃん。あの子の素質は一年生でもピカイチな予感がします。
願望が強いほど刀が強くなる印象があるからね。
コマチちゃんは強い願いを持っているに違いない。
「……そういえば。各クラスの特色とかあるのかな」
迂闊にそんなことを呟いたのがいけなかった。
「それなんだけど! 一組は仲間さん率いる女子つええクラスなんだよ! 女子の発言力も強くて、ついたあだ名がなんと!」
マドカのスイッチが入っちゃった!
だめだ! きっと覚えられないやつだ! 一組で既に頭が真っ白だ! 十クラス分なんて覚えきれないのが目に見えてるよ!
「ま、まあまあ! それよりさ、シオリ先輩がキラリのこと調べてるなら、それはお任せするとして……次の邪討伐、マシンロボやる?」
「え? ……ううん」
よし! 話題逸らし成功!
強引すぎたけど、マドカは怒るそぶりなく腕を組んで考える。
私が言うのもなんだけど、マドカは切り替えが早すぎる。
何に関してもそうだ。
時々ついていけなくなるくらい突っ走るの。
爆発力もすごいけど、どんな思考回路しているのか謎。少なくとも私より頭よさそうです。シロくんと並んで一年の参謀役におさまってるもんね。
「やってはみたけど、あれって歩くので精一杯だったんだよね」
「放つ霊子に対して、私たち操縦者の霊力が足りないのかな」
「佳村さんを中心にした一年生刀鍛冶の見解ではね。揺れもひどかった……」
「ま、まあたしかに。バトルロイヤルじゃ、ずっとすり足移動だったんだっけ?」
「結局ね。アニメみたいにはいかないよ」
「……やっぱり巨大ロボットは旧世代のロマンなのかなあ」
「それが……ふっふっふ」
「ま、まさか? もしかして?」
「その通り! 昔の夢とも言い切れないんだなぁ!」
マドカがすっごく楽しそうな顔してる。なんだろう!
「重力がどうの、自重で潰れるどうの……全部、解決できる方法が一つだけあるの。隔離世限定でね」
「そ、それはなあに?」
「みんなが夢見て信じること。自分たちなら大丈夫、このロボならいけるって。信じる心が力になる世界だから、この理屈で通せる」
「……おお」
「へりくつだけどね」
「無理も通せば道理が引っ込む?」
「そんなとこ」
おおお! お父さんに教えたら泣いて喜びそうだ。
「でもねー。そもそも私たち、ロボの操縦士とかじゃなくて侍候補生と刀鍛冶だからさ。その訓練どうするのって話でもあるんだよ」
「んー。マシンロボは霊力を鍛えて霊子を操る術を鍛える練習にはなるんじゃない? 刀鍛冶と侍候補生の連携も強まるし、一石二鳥だと思うんだけど」
思ったことを素直に言っただけなんだけど、マドカからの返事がなかった。
横目で見たら、じーっと私を見つめているの。
「ど、どしたの?」
「……ハルってたまに本質をぴんと捉えるよね」
「えっ」
「それいただき。先生と話してくる!」
「ちょっ……と、待ってって言う前に行っちゃった」
扉が閉まる。マドカの足音が遠のいていく。
思いついたら一直線。
後を追うようにしてついていこうとすると大変だってことは、だいたい察しがつくと思う。
だから私はシオリ先輩がパソコンを弄る音を聞きながら、のんきにお茶を啜った。
「冷めてる……」
熱いの入れ直そう。
◆
新宿、地下――……刀を振り上げて、凶刃をはじき飛ばした。
「メイ!」
「だいじょう――ぶっ!」
返す刀で邪を切り裂く。そしてすぐに構えた。
背中を預けるルルコとサユの息づかいが聞こえる。
少し離れたところで、先輩が踊るように刀を振るって敵を倒し続けている。
――……敵。邪。
侍の姿をし、剣術を振るう亡霊めいた猛者たち。
『――……い、てけ』
顔が強ばる。
『おい、てけ』『おいて、け』『おいてけ』
唱和するように声が広がる。
壊れた音源のように、大音量で繰り返される同じフレーズにぞっとしないといったら嘘になる。
けど。
「いくよ! 二人ともいける!?」「メイの勝利のそばにいつもルルコはいるよ」「そこはさておいて……当然でしょ」
伊達に士道誠心の現最強を背負わされてるんじゃないからな!
三人それぞれに散らばって戦闘を継続する。
だいたい感覚的に三十分ほどした頃合いになって、
「地上から通信! 警察が来る! 撤退だ!」
先輩が号令を発した。
即座に私たちの逃げ道になるように、地面がひとりでに動いて道を作る。邪たちが入り込めないような壁まで形勢する手際の良さはミツハとジロちゃんによるものだ。
入れ替わりで警察の侍隊が入ってくる。
「協力を感謝する!」
声に気づいてすれ違いざまに見たのは、緋迎シュウ。
彼が出てくるってどういうことだ? そばにいるのは警察に所属する侍の中でも特別な、あの零番隊か?
「メイ!」
「わかってます!」
先輩と四人で外へ出た。地上はあらかた倒されていたが、しかし地下は侍の邪がうじゃうじゃ湧いてくる。倒しても倒してもきりがない。
幸いにして負傷者は出なかった。
住良木の研究者チームへの報告を済ませて、ミツハのレプリカで現世に戻る。
すぐに住良木のチームは車に乗って走り去ってしまった。
仕事を始めてからずっとこうだ。
侍の邪退治、住良木は話を聞くだけ聞いて一目散に会社へ帰り、私たちは置き去り。
「学校のバスが恋しいなあ」
ルルコが早速ぼやいている。
電車移動で現場へ移動して行なう邪退治は正直しんどい。帰りがあるからな。
「備品として、当直部隊全員が乗れるバスくらいは必要かも……ユウヤに相談しよ」
うんざりしながらスマホを打ってる。
いつもは自由を気取るサユが珍しくミツハやジロちゃんと話し込んでいた。
ぼんやり見ている私に先輩が歩み寄ってくる。
「メイ……住良木に違和感は?」
「まあ、露骨ですよね。何か焦ってるみたい。彼らが頼れる討伐戦力は現状、沢城が所属した警察OBによる会社と私たちだけ。縋られてるわりには扱いが適当。気もそぞろなんですよね」
なにより。
「警察が緋迎シュウを動かしてる。新宿で何が起きてるんでしょうか」
「……根の国か、はたまた黄泉の国への穴でもできたか」
「先輩?」
どちらも正直、馴染みのない単語だ。
フィクションじゃ聞くが、今時じゃないよね。
それでも神話に類する刀を手にしている以上、無視もできなかった。
「死者の世界に繋がった、ということですか?」
「考えすぎならいいが……地下で大規模な工事をしたという話も聞かない……とはいえ調べておかないと」
「それならユウヤが動いてます」
「さすがはメイ。手配してくれたのかな」
「先輩がいた頃ならいざしらず……今は彼が自主的に動いてるんです。褒めるならユウヤを褒めてください。成長してるんですよ、みんな」
「そうだね……でもユウヤは、俺が褒めたらきっと嫌がるだろうな」
「そうでしょうね」
笑いながら言う先輩に同意する。私から言ってもね、まだちょっとぎくしゃくするよ。
「――……それにしても」
革手袋を嵌めた手で顎を掴んで先輩が思案げに呟く。
「住良木の隔離世開発技術のブレイクスルーの理由が気になる。或いは穴よりもっと致命的な何かかもしれない……最近の邪は、どうも気になる」
「倒しきれるでしょうか……」
思わず不安をこぼしてしまった私の頭に手のひらを置いて、先輩は断言した。
「大丈夫」
瞳に宿る強い意志はかつて憧れた時のまま、すぐそばにある。
だから信じる。けれど言わずにはいられなかった。
「……いよいよ、京都に負けず劣らず魔の都じみてきましたね」
「むしろ遅すぎたくらいさ」
先輩は摩天楼を見つめる目を細めて、囁いた。
「……ああ、そうだな」
ぴんときた。刀と話しているんだ。
イザナギ。私の前の最強。侍という点において、私にとっては……まだ遠い背中。
ただ強いだけじゃない。絶妙な相性なのだと思う。
先輩は刀の声が聞こえる人だから、きっと話し合っている。
在学中もよくあった。私たちじゃない誰かと話すのに夢中になる瞬間が。
ハルちゃんもたまにこうなるから、わかる。
「……きっと俺たちが気づくよりずっと前から始まっていた。気づくのが遅すぎたんだ。住良木が隔離世を見る技術を発表した時にはもう、戦の狼煙はあがっていた」
「先輩……」
「さて、どうする? ……倒すんじゃきっと、間に合わないぞ」
呼びかけても届かない。
きっと私たちの誰にも見えない何かを見据えている。
けれどそれがなんなのか……今も、私にはわからない。それが悔しくて仕方ない。
ねえ、アマテラス。
あなたの声が聞こえたなら、侍としての私も先輩の隣に立てるのかな。
『――……』
手のひらに感じる熱が一瞬だけど、確かに強まった。
けれどその声は聞こえないままだ。
「自分の刀の声ならきっと、いずれわかるようになる。メイならね」
「え……」
「その日が来るのが待ち遠しいって言ってるよ」
「……子供扱い」
「違うよ、年下のかわいい恋人扱い」
先輩に頭を撫でられて、俯く。
悔しいなあ、ほんとうに。
敢えて言葉にされて喜んじゃってさ?
どんなにがんばっても、彼女になれても……それでも私はこの人の後輩で、年下なんだ。
まあ、いつまでもこのままでいるつもりもないけれどさ。
それにしても。
「何かよくないことの前触れでしょうか」
違うと否定してもらえたらよかったけど、さすがに無理だった。
「そうならないといいけど、対応策を考えないと……邪に侍の称号を奪われかねない。そんなのは?」
茶目っ気たっぷりに振られたから、私は断言してみせた。
「もちろん、ごめんです!」
もし邪が私たちにケンカを売ってくるのなら?
ルルコの会社の垣根を越えて……今、私が関わる戦力をもって、乗り越えてやる。
当然だ。私は侍になるのだから。
この手に刀ある限り、生き様を貫いてやる。
◆
士道誠心の授業についていくためには、こつこつトレーニングを重ねるしかない。
それが十組の共通認識になるのに、時間は掛からなかった。
コマチとユニスと三人で私の部屋で柔軟をしていたら、扉を叩く音がした。
「キラリ、出たら?」
「うるっさい……」
リョータが名前を呼び捨てにしてから、言い方を真似してくるユニスがうっとうしい。
けどまあこんなのはいつものじゃれ合いになってるから、コマチも目くじらを立てたりしない。
ノックの音に駆け寄って、
「はーい。どちらさまです……か?」
扉を開けて目にしたのはコマチばりに小さな女の子だった。
妙に分厚いレンズの眼鏡を掛けている。
「……誰?」
「尾張シオリ。生徒会の関係者、というかアドバイザー。そっちは天使キラリだよね? いい、答えなくてもわかってる」
「はあ」
……変な奴。
さすが春灯の学校。
こいつの言うことが本当なら、生徒会ってのも変な奴が多そうだ。
けど、尾張シオリという名前は聞いたことがある。
パソコンオタクの情報通、シオリ先輩。
そうか、こいつがそうなのか。
「で? 何の用ですか」
「天使に決闘を申し込む」
胸に押しつけられた封筒を受け取った。
ご丁寧に果たし状と書いてある。
中身はなかった。あっても困る。
「……どう反応すれば?」
「ボクとニチアサの知識について、勝負だ!」
春灯に負けないくらいのどや顔で言われてしまった。
「……マジ?」
私の問い掛けに、ちびっこ先輩は何も答えちゃくれなかった。
つづく。




