第二百九十三話
ぺりぺり封を開けて中身を確かめる。
時節の挨拶とか読み飛ばして、本文を見た。
『先日の提案ですが、こちらでも沢城ギンの調査をした結果』
ど、どきどき。就活で噂のお祈りとかきませんように……!
『我々にできる限りの形でお応えすることにいたしました』
お? おお? おおお?
『詳細につきましてはご本人にご確認ください』
おおおおおおおお! え、と……じゃあ、つまり?
「顔で訴えかけるな……沢城本人から聞いたよ」
「ギンはなんて!?」
飛びつく私をカナタはそっと受け止めて笑うの。
「先生方や住良木からの助言でな。沢城はどうやら、学生ローンの支払いを在学中は利息だけにするそうだ。これで少なくとも学生の頃の負担は減る」
……えっと?
「それから、住良木と密に働いている小さな企業に佳村と二人でアルバイト契約をさせ、そこで邪討伐をしつつ住良木に協力する」
「そ、その企業って、もしかしてメイ先輩たちの……ううん、違うか。小さな企業ってことは、じゃあ?」
シンさんとミケさん、アカネさんの会社かな?
「ああ、ハルが警察の特別訓練でお世話になった三人がいる会社だろう」
「やっぱりそうなんだ」
「給料は沢城が夜間にバイトするよりもいいらしい」
「おお……」
すごい! ギンの実力なら全然問題なさそう!
「じゃ、じゃあ……完全に解決?」
「そのようだな。北斗の生徒を一人で止めた彼と、あとはあのとんでもない変形した城を作ってみせた佳村の手腕を認めてのことだ」
ギンだけじゃない。ノンちゃんまで認めてもらえたんだ! すごい……よかった。
マドカが提案した作戦の肝なんだよ、実は。
お城マシンロボにはどうしたって刀鍛冶の力が必要。
逆に言えばお城マシンロボ並みの、私たちらしくてどこかまぬけなアイディアは二年も三年も、他校の刀鍛冶も出すまい。
だから絶対に、士道誠心の刀鍛冶が目立つはず。
もっといえば一年生で一番長く刀鍛冶でいて実力のあるノンちゃんが目立つはず。
それはきっとギンへのフォローになるはず。
ばかみたいに見えて、考え抜かれたアイディアなのでした。
まあ裏目に出てノンちゃんだけが引き抜かれていたらしょんぼりだったのですが……でも御霊の相性を越えて北斗をたった一人で倒してみせたんだから、ギンが認めてもらえたのは当然といえば当然だね。
それでも……結果を聞いてだいぶほっとしました。何度でも思わずにはいられない。本当によかったあ……。
「二人の解析は大いに役立つ、と……そう判断してのことだろう」
「うん……」
次に気になるのはユウヤ先輩たち、三年生の会社だけど……どうだろう。
そんな私の考えなんて、カナタはお見通しのようだ。
「どうも最近、侍の格好をした邪が都内を中心に出現しているらしい」
「侍の、邪?」
「ああ、剣術を使う侍だ。警察だけじゃ手が足りないのが実情でな。三年生は住良木の研究目的という形で、警察の許諾を受けて定期的な邪討伐を実施して、研究協力費という名目でお金を稼ぐ」
「……どういうこと?」
「つまり、仕事の道筋ができそうなんだ」
「じゃあ……そっちも問題なし?」
「ああ。一般的な社会人ほど、いきなり稼げはしないだろうが……ひとまず、心配することはない」
「そっか」
呟きながら、だけど……考えないようにしてきた名前を思い浮かべちゃったから、気にせずにはいられなかった。
もやもやが引き連れてくるのかな。
ユウヤ先輩にベッドに押し倒された、あの瞬間が浮かんでくる。
ずっと……考えないようにしてた。本当は。カナタに甘えて忘れられるのなら、それでいいとさえ思った。
「……ん」
ちょっとだけでも歯車がずれていたら、ユウヤ先輩に襲われてたのかな。
考えなさすぎて、ユウヤ先輩を惑わせちゃって。
そして……そしたら、ユウヤ先輩も、カナタも、私も傷つくことになってた。
もちろん、とうぜん、拒絶するけど。
そうしたら致命的なボタンの掛け違いは、ちょっとした恋愛騒動になっていたはずで。
意図せず深く傷つけちゃったに違いない。みんなを。
私は迂闊で、踏み込みすぎるのかもしれない。
わかろうとすること、出来る限りのことをしたいということは……相手に期待させちゃうことで。おまけにきっと、私は隙だらけだから手を伸ばしやすいのかもしれない。
誰よりカナタに悪いし、ユウヤ先輩を傷つけたことにしかならない……よね。やっぱり。
『大勢に気を持たれるのも悪くはないがのう』
タマちゃんほど優雅に振る舞えないよ。私には……無理。
『さや当てと駆け引きはモテる女の必須術じゃぞう』
今年は……確かに思いを向けてもらえることが、これまでの人生に比べてやまほどあったよ?
けど、そういう駆け引きはできる気がしないし……する気も起きないよ。
私は……たいしたことないもん。
『妾を手にした頃よりも磨かれておるというに、どうも自信がないのう』
なかなか難しいや。自信つく時もあるけど、私一人だけだとなかなかね……難しい。
『それでも覚えておけ。傷つけたくないなら、大事じゃぞ?』
……ん。がんばる。
変に意識高めに遠ざけるのも、私がやると「なにお高くとまってんの」感しかでなさそうだけど。
そこは学んでいこう。ちゃんとね。
難しいなあ……ほんとうに難しいや。
でもね。思うの。
私と違って、ユウヤ先輩はきっと大丈夫だって。
結局最後は好きな人の福になるよう行動できるユウヤ先輩なら、きっと。
それをするのは……私じゃない。けど。
あんなにきりきり働いて全力でみんなの幸せに繋がる交渉ができちゃう人が、幸せにならないはずがないと思うんだ。
ああ、でも。あの時のこと、ぜんぶカナタに話しちゃったんだっけ。それもいま思えば無神経だったかも。
はあ。失点だらけだ。ギンとノンちゃんは未来を掴んだけど、私は全然です。
自信なくなるばかりだよ。
「……ねえ、カナタ」
「なんだ?」
「……ユウヤ先輩のこと、考えてたの。私、うかつすぎ?」
「いまさら気づいたのか?」
え。
「ハルはそのあたり、器用に振る舞える方じゃないから……心配はしているよ。ずっと」
「す、すみません」
痛い! カナタの冷静な現状分析に対して私かんがえたらなすぎて!
「え。え。えと、そ、そそ、その、今後は気をつけようと」
「動揺しすぎだ、落ち着け……無理だと思うし」
無理なの? ねえ、無理なの?
「い……いやじゃない?」
「お前がどう断ったのか知っているからな。俺を想って、相手を思って一線を越えなかった。だからこれからも、それでいい。お前なりにちゃんとがんばった。わかってるよ」
そう言いながらもカナタは私のそばにきて、後ろからそっと抱き締めてきた。
安心しちゃうし、許されちゃうから……どこまでも緩んじゃう。
だから、きっとそのせいだ。
カナタの匂いを強く吸いこんじゃう。
頭がくらくらする。
男の子の匂い、整髪料とかシャンプーとか、衣服の柔軟剤の匂い。すべてがあわさって、カナタの匂いになる。
だめだ。きつねうどんでごまかしきれない。衝動がむくむくと湧き上がってくる。
もうむり! がまんできないよ!
そう思った時、甲高い声が出ちゃった。
「きゃっきゃっ」
その瞬間、思考回路がすべて吹き飛んだ。
「カナタ……はむっ!」
「いや、いい話している空気だったんだと思うが、なぜ肩口に噛み付いてくる」
「首はチョーカーあるし……はむはむ!」
「よせ。くすぐったい。わざわざシャツを脱がして……やめ、やめろ! こら!」
「はむーっ! 血を吸わせろ! 契約者の特権だよ!」
「くっ! 予想外の抵抗! ど、どうした、急に――……待て、尻尾が一本だと? もしや」
「がぷっ!」
「……発情期か。それでどうして、噛み付きに繋がる。って、おい! 痛いぞ! 歯が食い込んでる!」
「あててんの!」
「嬉しくない。いや待て、よせ、やめろ! 首と同じ大惨事が待っている気がする! 動脈とかあると思うし、つまりだな、と、とにかく全力で噛むのはよせ! いたたたた! まっ、あー!」
お部屋にカナタの悲鳴がこだましたのでした。
◆
どこかで悲鳴が聞こえた気がしますが、きっと気のせいでしょう。
ノンは外出準備をするギンの手伝いをしていました。
「なにも今夜いきなり、働かせてくれたバイト先に挨拶に行かなくてもいいのに」
「世話になったからな」
背伸びをして、ギンのネクタイをそっと締める。いつもはしないけど、なにもせずにはいられなくて。暇を見てこっそり練習していたから、思った以上に綺麗に締められた。
「どうです?」
「さんきゅ」
嬉しそうに笑ってくれる表情がご褒美だ。
「飛び込んでいって働くから金をくれっつって、無茶を言った俺を受け入れてくれた。深夜になる前に挨拶に行きてえんだ」
「もう……休日改めてじゃ、だめなんですか?」
「だめだ。正直……もう農作業はこりごりだ。腰がやべえ。休みが欲しい」
「昔の侍っぽくていいと思いますけど。戦わないときはクワを握るの」
「鬼かよ……とにかく行ってくる。会社の連中に挨拶もしてえし」
「夜遅くになっちゃいません?」
「会ってくれるって言うからよ」
「……なら、ノンも行きますよ?」
制服を着込んだギンに寄り添う。頭をそっと撫でてから、ギンは首を横に振りました。
「だめだ。今日のお前は無茶をした。だから寝てろ」
「……ギンだって、たった一人で女の子たち相手に、ハチマキだけを斬る神業を」
「あんなん楽勝だ」
そう言ってくれるのは心の底から頼もしいけど、背伸びだったらいやだ。
「……どうして、そこまで頑張れるんです?」
思わず尋ねたあたしの問い掛けに、ギンは笑って言ってくれました。
「てめえのそばに帰るためだよ、ノン……行ってくる」
そっと抱き締めて額に口づけてすぐ、ギンは行ってしまいました。
追い掛けようと足を前に出そうとするけれど、同時に身体の倦怠感に気づく。
ああ、本当にくたびれてます。
マドカさんは頭いい人だと思ってたんですが、よりにもよってマシンロボとか。
なにかんがえてるんですかね? ほんと……ハルさんが伝染したみたいです。
ツンツンクールな十組の天使さんは美人すぎてノンのクラスの男子にもたいそう人気が出てますが、ハルさんのそばにいるとあの人もあまあまになってますし。
……変なことばかりやらされてるのに、どうしてあたしはこんなに満ち足りているんだろう。
今回ばかりは答えは簡単。ギンを助けられたからです。
それしかない?
ううん、違います。
目覚めて程なく訪ねてくれたミツハ先輩と並木先輩が二人して褒めてくれました。あんなとんでもな霊子の操り方、初めて見た。自分たちの可能性が広がって嬉しいって。
ノンだけじゃできませんでした。
マドカさんだけでもきっと……思いつかなかったと思うんです。
ハルさんがいて、みんながいて。いろんなことが積み重なった結果。だから……みんなの成果です。
もたもた歩いて食堂に行きました。ご飯たべなきゃ死んじゃうのですが、ヘビーなのは食べられる気がしなくておそばを頼みました。
緋迎先輩がいっつも食べてます。
どれだけおいしいんだろうって思ったけど、思った以上に予想通りの味でした。
学生食堂の味。だから、それを好んで食べる緋迎先輩は本当におそばが好きなのでしょう。
つるつる食べれるのがいいところです。おつゆも地味においしいですし。
「いやー。士道誠心なめてたわ。なにあれ。お城マシンロボ。超たぎるわ」「せやな~」「うちらもやろうやないか、あれ」
ふと顔を上げました。星蘭のジャージ姿の人たちが楽しそうに話していたんです。
それだけじゃありません。
「……ああいう子供丸だしな発想、うちだとレンしかできそうにないね」「私おもう。正直……あれはうちの校風的に無理」「ねー、レン。なんとかしてよー」
「……やだ。後追いとかださくて無理。ユイもそう思うでしょ?」
「あ、あはは……でも強いて言えばあれもアニメとかの後追いだと思うし。私たちもやってみれば、討伐が楽しいかなあ……なんて思ったり」
北斗の一団も話し合ってます。お嬢さま学校と名高い北斗は食事を取る時も背筋が整っていて、テーブルマナーもしっかりしてそうです。食べてるのは親子丼とか普通の食事ですけどね。
のんびりおそばを啜っていたら、青ざめた顔をした緋迎先輩が駆け込んできました。
私を見るなりそばにくるんです。なぜか肩をおさえて。
「佳村、すまない。頼みがあるんだ」
直感しました。面倒ごとの気配がするって。
「いやです」
「そ、そう言うな。佳村がだめとなると、次は並木さんに頼むしかなくて」
「もう……なんです? 一応聞きますけど」
「……実は、ハルが発情期なんだ」
声を潜めて告げられた事実に思わずちょっぴりのけぞっちゃいました。
「すみません。先輩と友達のそういう話はちょっと。セクハラです?」
「ち、ちがう。と、とにかく……血を吸いにくるんだ」
「……えと?」
発情期と血を吸うことになんの因果関係が?
「お前の疑問はもっともだが、想像してみてくれ! ハルが我を忘れて、あの身体能力と十兵衞の技をもって、無我夢中で噛み付いてくる光景を」
「わりと地獄な気がします」
「そ、そこまで言わなくても……と、とにかくまさにそれが今! 俺の部屋で行なわれてるんだ!」
みんなの前では一人称僕で通してる先輩が俺って言うなんて、よっぽど心が乱れているのでしょう。のんきに考えるノンに緋迎先輩が青ざめた顔で言うんです。
「とにかく……男じゃあれはおさえられない。頼む! 俺たちを助けると思って、あいつの霊子を増やしてやってくれないか?」
「まったく気が進みませんけど、ちなみにその方法は?」
「精気を吸われる」
「……先輩、落ち着いて考えてみて下さいよ。自分が誰かにそんな頼みをされたら、どうします?」
「断る」
「……ね?」
「そ、そこをなんとか頼む! 今夜ばかりは俺も明日の朝を迎えられる気がしないんだ!」
「……ええ? そう言われましても、ノンも今日はわりと限界なので。頼むならミツハ先輩に――」
「だめだ。あの人にばれたら俺が折檻を――」
二人でいいあっていたら、緋迎先輩の後ろに見慣れた人が歩み寄ってきた。
「誰が折檻するって?」
「だからミツハ先輩が――……おっと」
噂のミツハ先輩が並木先輩と二人で立っていました。
顔が強ばる緋迎先輩。いつもクールで知的でかっこいい先輩は特にハルさんが伝染しているに違いありません。ファンクラブも解散しちゃいますよ、その様子だと。
「……緋迎、ずいぶん愉快な目にあってるね。さすが青澄春灯の玉藻の前。私が忠告した通り、来たわけだ。発情期」
「え、ええ。まあ」
眼鏡の位置を必死に直すけど、もうどう足掻いてもごまかせないって気づいているんだろうなあ。震えてる。
でもしょうがない。刀鍛冶最強は揺るぎなくミツハ先輩だし、私たち誰もミツハ先輩に勝てたことないですし。
士道誠心の侍候補生三人娘である真中先輩たちだって、ミツハ先輩には勝てないし、頭があがらない時点でお察しです。
「それで対策は? もちろん練ったよね、私が忠告して、考えるって言ったんだから」
「……し、尻尾が一本じゃなければ、或いは女性相手ならば大丈夫だと、お、思います」
「思います? ……ふうん、ずいぶん雑だね」
ぞくっとした。そばで見てた並木先輩が片手で顔を覆ってるし、緋迎先輩もびくっとしてた。
しょうがない。ミツハ先輩の目が、獲物を見つけたように細められた。
よくない兆候だ。
具体的にはしばかれる寸前ですよ、これ。
「私は悲しいよ、緋迎。かの緋迎ソウイチの息子で、刀鍛冶の力を手に入れたいと教えを請うてきたから全部を教えた。だけどお前は兄のように刀も求め、そして手に入れて……すべてが中途半端だ」
「うっ……」
「佳村。刀鍛冶の心得。その一」
鋭い声にあわてて答える。
「みっ、自らの抱える侍を愛し、守り抜くことです!」
「よろしい。並木、刀鍛冶の心得その二」
「故に刀は命のように扱え」
「ならば、緋迎。その三は?」
「……中途半端は侍を殺す。決して手を抜くことなかれ」
「しかるに緋迎、お前の侍に対する答えは?」
ああ。笑顔。すごい笑顔。だけど殴られる三秒前だ。
「すみません!」
「わかってるならなんとかしろ!」
「ふぐっ――……」
わあ、飛んだ。
やっぱり鉄拳制裁です!
カナタ先輩が吹き飛んじゃいましたね。
星蘭の人たちが嬉しそうに「ケンカか!?」と視線を向けてきますが、これはそういうんじゃないです。
超絶体育会系なんですよね……ミツハ先輩。ミツハ先輩を心から慕う人にしか決して手は出しませんけど。
ちなみに不思議と痛くはないんです。ただ心にずしんとくるんです、あの鉄拳は。
並木先輩のハリセン並みに不思議な攻撃。
普通の人は真似しちゃいけませんよ? ただの暴力になっちゃいますからね。暴力沙汰はいけません。傷ついちゃいますし、ニュースになっちゃいます。
「わかったら急いで部屋へ戻れ、緋迎」
「は、はい……くそ、また避けられなかった」
「侍であろうとする限り無理だから諦めて。それより並木、手伝ってあげて」
「……そうくると思ってました。行ってきます」
走り去る緋迎先輩を並木先輩が追い掛けていく。
霊子刀剣部にとってはこれが日常です。
「騒がせたな、佳村。じゃあ行くよ……自分のメンテも忘れるなよ?」
「はいです」
立ち去るミツハ先輩は刀鍛冶モードの時はたまに男っぽい口調なんですよねえ。
見た目は可愛い女子なのに。
それにしても……緋迎先輩も大変ですが、ハルさんは本当に穏やかではいられないみたいです。
発情期とか。
それじゃあ、あれですかね。
動物にまつわる御霊を引いた侍はみんな悩まされてるんでしょうか。
たとえば……ニナ先生とか?
あ、よそう。えっちな話になる気がします。いけません、いけません。
「はふ……」
ああでも、ほっとしました。
日常が戻ってきた気がして……本当にほっとしました。
ギン、早く帰ってこないかなあ。
◆
久々にカナタの拘束術を使われたの。
壁材が伸びて私の手足を完全に飲み込んでます。
がんじがらめに縛られちゃった私、青澄春灯です。
このままだと変な趣味に目覚めちゃう。助けて。
『ほんに……おぬしは自信はないわ本能に抗えないわ、未熟じゃのう』
あきれてないで、助けてよ! タマちゃん!
カナタの匂いを意識すると血が吸いたくてしょうがないよ!
それに頭が桃色で満たされて何も考えられなくなっちゃうよ……沸騰しそうになるよ?
『やかましい。それよりもハル。精気を吸う、そのイメージが吸血に結びついているのはなぜじゃ?』
えっと、それは強いて言えば私がこじらせ女子で昔そういうのに憧れてて。
血を吸うわよ! なんて、ついつい言いたくなっちゃうといいますか。
銀髪ツインテとかいいですよね、的な。
『意味わからんぞ』
と、とにかく! ちゅうちゅう吸いたい! 血を! がぶがぶ吸いたい! 精気もたくさんあるだろうし!
『吸血鬼じゃあるまいし……』
……だめ?
『媚びを売る相手を間違えておる』
う……確かに。
一人で唸っていたら扉が開きました。
コナちゃん先輩を連れてカナタが戻ってきたの。
むわっと感じる匂いはますます強烈になって尻尾がぶわっと膨らんだ。
涎まで出てきた。おっとやばい。どれだけ飲みたいんだ、私。
そんな私を見て、コナちゃん先輩が呆れたようにため息を吐いた。
「なるほど……これはかなり重傷ね」
「そうだろう?」
「あなたもよ。自分の恋人を拘束って……やりすぎよ? 全力出しすぎじゃないかしら」
「……すまない。反省はしてるんだが、本気で噛み付いてくるから、命の危険を感じて」
コナちゃん先輩にはさすがのカナタもたじたじだ。
ためらうカナタから香る匂いを感じた瞬間、思考回路が弾けた。
「きゃっきゃっ!」
笑う私にカナタが怯える。
やだなあ! ちょっと血を吸いたいだけなのに!
「正気に戻りなさい!」
「あうち!」
瞬間、すごい衝撃で頭がはたかれた。
「どうしたら出所が見えるんだ……コナちゃん先輩のハリセ……ん?」
きょろきょろと見渡す。私はいったいなにを……。
「……ん? んぁ……カナタのにおい……はすはす。きゃっきゃっ!」
「落ち着け!」
「あうち!」
ぶわっと広がる尻尾を見たコナちゃん先輩がべしべしとハリセンを振るう。痛くはないけど衝撃がすごい。
そのたびに正気に戻るんだけど、これじゃエンドレス。
それに私を確実に落ち着かせるためになのか、ハリセンの狙いがほっぺたになってる。
おかげで、このままでは私のほっぺがたいへんなことになってしまいます!
「仕方ない……いくわよ。緋迎くん、この子は一日借りるから」
「あ、ああ」
拘束している壁をハリセンで溶かして私を解放すると、首根っこを掴んでコナちゃん先輩が部屋から引っ張り出すの。
「あ。あ。私の血!」
「やめなさい……まったく」
ずりずり引きずられて、私はシオリ先輩のお部屋に引っ張り込まれました。その途中も男子が通りすがるたびにむらむらがわき起こるんですが、コナちゃん先輩のハリセンに敵はいないのでした。そして私のほっぺたがさらに腫れたのでした。ひどい。
「さて……精気をあげれば尻尾が増えるんだって言っていたから、そうね。シオリ、きつねうどん三杯買ってきて」
「えええ? ユリアじゃあるまいし、ボクそんな大食いキャラみたいな買い物するの気が進まないんだけど」
「いいから。なんならユリアに声かけてきて」
「……しょうがないな。ハルちゃんのためだと思って我慢する」
コナちゃん先輩に睨まれて、すごすごとシオリ先輩が出て行った。
ベッドに座らされた私はほっぺたをすりすり撫でながらコナちゃん先輩を見ます。
ふんわり漂ってくる甘い香り、コナちゃん先輩の香り――……
「きゃっきゃっ!」
「え」
「コナちゃん先輩の首筋……綺麗ですよね! 綺麗な血がたくさん流れてそう! おいしそう!」
「このおばか!」
「あうち!」
「男女見境なしとは……やるわね」
「う、うう……我には返りましたが、この勢いだと明日になったら私の丸顔が膨れ上がってそうです」
ハリセン攻撃をくらった箇所をさする。痛くはないけどびりびりする。
でも不思議。
いつもはいい香りだなあくらいの感覚なのに、今日はずいぶんむらむらします。
「緋迎くんの時と比べると、女子の場合は即効性が薄いみたい。となると男のそばにおいてはおけないわね。かといって、そばにおいても私たちの安全が脅かされる」
「わ、私は兵器かなにかです?」
「とにかく……鼻を摘まんでなさい」
「ふがふが」
きゅっと指先でお鼻を摘ままれたから、素直に自分でお鼻を閉じることにした。
それでもコナちゃん先輩の首筋とか、素肌を目で追い掛けちゃう。
「……目も覆ってなさい」
「ふあい」
見ていたらまたいてもたってもいられなるだろうし、そしたら無我夢中で飛びついてハリセンを食らうのは目に見えている。素直に従う私ですよ。
「どうしてかしらね……」
うろうろ歩くコナちゃん先輩の声、吐息、微かな衣擦れの音。
獣耳がよすぎてイメージしちゃうし、してたらもやもやしてきた。
そっと片腕で獣耳をぱたんと閉じる。
「発情期っていうのはつまり、子供を産もうとする本能みたいなもので。狐のそれは誰彼かまわずっていうより、選別の上で身を委ねる印象なのだけど」
「く、詳しいですね」
「緋迎くんと調べたからね」
「おう……す、すみません」
なんかいろんな人に迷惑かけてる……。
「気にしなくていいのよ。そういうのも込みでメンテをするのが刀鍛冶の仕事。とはいえ……今日ばかりは緋迎くんじゃ無理そうね」
「えっ」
「あなたの能力って下手に高すぎるから、緋迎くんを殺しかねないもの」
「そ、そんなに血を吸ったりしませんよ?」
「でもあなたは正直、一年生指折りの手練れだし、夢中で精気を吸うんでしょ? きっと無意識に吸い尽くして……とても危険だわ。もう少し、自分の能力を把握しなきゃだめ」
おでこを指先でつんとやられちゃいました。反省です……。
「私たちも嫌だし。出血多量になって冷たくなるか、精気を吸われ尽くして抜け殻になった彼を見るのはね」
「わ、私だっていやです」
「じゃあ我慢できる?」
「……そ、それがちっとも。気がついたら暴走して、止まらないんです」
「まあ強すぎる本能みたいなものだから、しょうがないか」
人の耳で聞いている分にはそれほどむらむらしないけど、それでもこの状態はちょっと息苦しい。
「尻尾が二本以上になったら解消されるのかしらね」
「さあ……」
タマちゃん、どうなの?
『狐の領域でいる限りは……無理じゃろうなあ』
えっ。
『妖狐であろうとなあ。まだ狐であるしの。きっと取り殺すぞう』
いやいやいや! 楽しそうに言うところじゃないよ!? どうしたらいいの!?
『大神狐モードになるか……その手前の天孤ないし仙狐あたりになれるようにならんと。きっとお主なら事件を起こすじゃろうなあ』
そんなあ! なんでタマちゃんは楽しそうなの!?
『妾のことじゃないし。他人の不幸って楽しいものじゃろ』
ひどい! 鬼! 悪魔!
『冗談じゃ。それよりも乗り越えたいと言うならば、まず意地でも尻尾を九つに戻せ』
うう……。
ひ、ひどいことにならない?
『ならないためにも手を貸せ。尻尾が増えたら本能的な要求は強くなる一方じゃが、安倍にいてもらえればなんとかなるじゃろ』
ん? なんでそこでユウジンくんが出てくるの? だいたいユウジンくん、男子だし。私きっと発情モードになって危険なのでは?
『奴もあれで一応、狐憑きじゃからな。なのに暴れる素振りはないじゃろ?』
……確かに。今回に至っては大人しすぎるくらいかも。
『本能を制御できる術を知っておるのじゃ。ほれ、カナタとユウジンに連絡し、手配せよ。そうせんと』
そうしないと、どうなるの?
『目の前の女子の精気を食らうぞ。むらむらして』
そ、それは……ラビ先輩とシオリ先輩に睨まれる気がしますし、そもそもコナちゃん先輩に怒られるかすごいことになっちゃう気がします!
「ちょっと、黙り込んで……どうしたの?」
そばで聞こえた声にむらっときました。あわわ。あわわわわ!
「ちょ、ちょっと! 離れてくだしい!」
「……そうね。身の危険を感じるし」
「その通りなんだけど複雑すぎます……」
声が遠のいてしょぼくれつつも、ちょっとほっとする。
コナちゃん先輩に背中を向けて、タマちゃんから聞いた話をしながらスマホをいじって二人にメールを送ったよ。
特別体育館に集まることになった。カナタはかなりびくびくしてました。無我夢中に求めちゃう発情モードの私はそうとう怖かったのかもしれません。
ほっとした時でした。シオリ先輩が戻ってきたのは。
「ただいま。どうしても顔が見たいってユリアだけじゃなくラビまでついてきてさ――」
「あ、だめ――」
「きゃっきゃっ!」
まあ、ちょっとした騒動になったのはさておこう。
お願いします。許してくだしい……。
つづく。




