第二千九百二十六話
学校に到着するまでの間に思いついたことがあり、休み時間を待って教室へ。ノンちゃんに声をかけて、関東事変の際に校庭に降り注いだ霊子を保管している空き教室に案内してもらう。
仮に目的があるとき、別に手段がある。両方が連動しているとはかぎらない。目的を抱き、手段を用いるところに人の意思と選択がある。けれど、直結しているとはかぎらない。表現がシンプルとはかぎらない。ねじれていることもある。
仲良くなりたい。だから優しくしたり、気に入られようとする。それは、わかる。ストレートだ。だけど、仲良くなりたいからいじめる、暴力を振るうのはねじれてる。手段を間違えている。
加害者臨床の書籍に触れるとき、ストレスの解消や発散、低減・緩和のために犯罪に及ぶ事例をいくつか紹介している。もちろん、すべての事例がストレス発散のためではないけどね。犯罪の一部に、それが動機になっているものがあるっていう話。
ストレス解消のために犯罪を。あまりにもハイリスクだし、他者の尊厳を侵害している。選ぶべきじゃないし、選択肢に入るものじゃない。
おなかが空くたびにだれかを殴ったら、どう? その人は生涯を通して牢屋に入ることになりかねないし、入らないと周囲にとってあまりにも危険すぎる。おなかが空いたら、ごはんを食べるんだよ。そうでしょ?
人間を理解しよう、人間を表現しようとするから途方に暮れる。
スモールステップが大事。作る機能は小さく。表現するものも具体的かつ限定的に。
慣れてからだ。壮大なものに挑むのは。
「それで、どうするんです?」
「先生たちを連れてきたよー」
ノノカが化学の高橋先生たちを連れてきてくれた。そして先生たちの顔には漏れなく「一度ならず二度までも」「またなにかする気か、青澄」と警戒していた。みんなしわくちゃな顔して私を見ている。
わかるぅ! でも、明日なにかが起きるのかもしれないのだから、できることはしておきたいじゃない?
「持ってきたぞぉ」
丈くんが麗ちゃんたちと、カートにペットボトルを乗せて運んできた。
「お前たち」
「休み時間、すぐ終わるんだぞ?」
「「「 まあまあまあ 」」」
「次はホームルームなんで」
「「「 そうそうそう 」」」
ノンちゃんが言うと、みんなで全力で乗っかっていく。言い出したのが私とかカゲくんとかミナトくんだったら疑われていたにちがいない。だけど超がつくまじめで優等生のノンちゃんの発言となると、先生たちも「そうか?」みたいな空気になる。
九クラスもあると、さすがにカリキュラムが頭に入らないのか。それとも心配で気が気じゃないのか。
でもさ。どこかのクラスがホームルームだったら、同じ学年のほかのクラスもホームルームじゃない?
ま、いっか。
「水の霊子に混ぜてしまえば保管もたやすい、というわけで、どれも神水です」
「ただの水道水に霊子を混ぜただけな」
「飲んでもなにもないよ」
ノンちゃんの説明に丈くんとノノカがのってくる。注釈がいるよねえ。お水で妙な詐欺商売してる人たちがずっといるんだもの。蛇口をひねれば同じお水ですよって言っとかないとね。
「グラス、出したよ」
「で、今度はなにする気?」
当然のようについてきたマドカがグラスを出して、さっそく丈くんがペットボトルの水を注ぐ。
その合間にキラリが後ろから抱き着いてきて、二本の尻尾を私の尻尾の付け根に巻きつけた。さらに、ぎゅううっと絞ってくる。「なにしてんの?」「休めって言ったよね?」「また妙なことして」という言外のお叱りを浴びている気分。地味に痛い。
「事象を再現して、そこから目的や手段を聞いてみようと思って」
「「「 え 」」」
「「「 できるの? 」」」
「「「 てか、順序おかしくね? 」」」
「「「 普通、最初にそこから試さねえ? 」」」
「お、おぅ」
みんなすごい圧かけてくるじゃん!
すごくハモるじゃん? 仲良しさんか? このこの!
「「「 青澄さああ! 」」」
「「「 いや、でも、これが青澄かあ 」」」
「「「 はあああ 」」」
「おぅ」
なんかごめんね!
私なりの理屈や論理があって、それをいろいろ見直したうえで、いまに至るんだ。
ドヤれねえ! 開き直りでしかない!
「ごめんね。怖くてしょうがなかったんだ。私の術が命を生み出すこともあったしさ。悪党でも人だから、悪意をもろに知るのが、ちょっと、ね」
今度はみんなして静まり返る。
みなまで言うな。急に重たいこと言われても困るってやつでしょ?
「じゃあ、やるよ。卵を再生させる。このグラスの中に収まるサイズになると思う。卵が孵ると、小鬼が出てきた。そこまで再現できても、サイズ感は卵より小さいままだと思う」
「あの肉の卵か」
「エイリアンシリーズで、フェイスハガーが出てきそうなやつだね」
キラリが呟くから、私がより具体的にイメージできそうな事例を挙げるんだけど、先生たちしかピンと来ていない。映画ぁ! 名作ぅ! ドラマシリーズもやるよ! いまからだいぶ未来だけど! プロメテウスとかで終わらないよ!
「と、とにかく、やるね?」
金色をグラスの中に注ぐ。それからグラスを持って、くるくると底を回してから置いた。
胸に手を当てて、姫ちゃんの鍵を取り出そうとするが、やめた。いちいち時間を巻き戻して、なにかを再現する必要はない。私はもう、対象となる霊子の形を知っている。
必要なのは、関わる勇気。
「あなたたちの姿を見せて」
そう願い、呼びかける。ほどなくグラスの中、水の中に漂う金色に変化が生じた。グラス沿いに集まり、小さなピンク色の塊になっていくのだ。高橋先生が急いでスマホを向けて、撮影をセット。先生のひとりが「ジャンボタニシの卵みたいだな」とつぶやいた。
「タニシとジャンボタニシってちがうんですか?」
「その質問って、いまじゃなくね?」
「気になるじゃん」
「タニシはそのものずばり、タニシ科の生物だ。ジャンボタニシは和名をスクミリンゴガイと言う、南米あたりが原産の外来種だ。リンゴに似ている形が名前の由来だというな」
「ちなみにタニシは稚貝を生むが、スクミリンゴガイは卵を産む。ちょうどいま見てるような、ピンク色の塊のやつだ。触るな、舐めるな、ぜったい食べるな。毒がある。それから寄生虫がついていることがある」
「広東住血線虫ですね。人体に感染すると発熱、頭痛、嘔吐などの諸症状が出るのと、ことによっては脳に移動して死者が出るケースもあるそうです」
「「「 こわっ 」」」
マドカが検索した画面を見せてくれた。濃淡あれどピンク色をした小さな粒が密集したものだ。パック入りで混ぜる前の納豆とか、あるいはイクラにする前の生すじこみたいな集まり方をしている。
「なんか、前に見たときと形がちがうぞ?」
「でも、霊子のなりたいようになってもらった結果だし」
タツくんのツッコミにかろうじて返事をするのだが、私もどうしてこうなるのかわからず困る。眉間にしわが寄ってしまいそうになる。いけない。くっきりと残ってしまったら困る。
「黒いダイヤと同じかもしれん」
高橋先生がぼそっと呟いた。
「これが実際に、校庭をはじめ各所に出てきた卵の霊子をそのまま形にしたというのなら、もともとはジャンボタニシの卵なのかもしれんぞ」
「先生、それって春灯は加工前の霊子を再現したってことですか?」
「ああ」
そういうことなのかな?
「だとしたら、足りないものがありますよね?」
「加工したぶんの霊子が足りないね」
「青澄、なんとかなんねえの?」
「えぇ?」
グラスの変化はジャンボタニシの卵を増やすばかりで、それ以外の変化が起きない。どんどんピンクの塊まみれになっていくグラスの中を覗く。
「金色を足して、もう一押しする?」
「待て、青澄。ダイヤの時と同じで、変化させる術に必要な霊子がわずかかもしれん。下手に刺激するのは得策ではない」
高橋先生の待ったに、ゆっくりグラスから離れて、背後に下がる。危ないところだった。うかつになにかするところだった。みんなに怖いと伝えたほどには、理解できてないぞ? これは危険物なんだってこと。
「ほぉぅ」
「春灯、前にダイヤを忍びの人が解除してくれたって言ってなかったか?」
「あ! そうそう。そうだよ。時雨さんが、ダイヤをもとの姿にしてくれたの」
「ダイヤを戻せたなら、ダイヤにするものにアプローチすることもできるんじゃないか?」
「かも、だね」
連絡してみるとみんなに伝えて、スマホを出す。メッセージをせっせとしたためて送る裏で、みんなが「しっかし増えるね」「増殖が止まらねえな」とにぎわう。
「材料をいちいち調達するよりも、加工できるなら、いくらでも手に入る材料を加工したほうが手間がかからないわけだな」
「だとしても、ガチでジャンボタニシの卵だったら、そこら中にどうやって隠すんです?」
「たしかに!」
「隠す術をさらに上掛けしてた?」
「あらわにして、動かす術をかけた?」
「なんか現実味なくね?」
「「「 うううん 」」」
時雨さんの反応がない。忍びをやっているっていったって、日ごろは高校生活を送っているはず。いまは授業中なのかもしれない。そう思っていたら、ぱっと「既読」がついた。
『授業中』
『あとで行く』
『連絡する』
『待ってて』
後ろからぴったりくっついているキラリに見せて、みんなに「あとで連絡くれるって」と伝えた。そこで先生たちが「いくらホームルームだからって、ずっとここにいるな」「戻った戻った」と解散を促す。渋々退散していくみんなを「あとは任せて」と伝えて残るのがキラリとマドカだ。
先生たちがにらみを利かせるが、ふたりは「見てないと心配でしょ?」「私たちがそばにいるんで」と素知らぬ振り。まるで私が勝手に動いて騒ぎを大きくしているみたいじゃないか。
してるな! 覚えがあったよ!
「それよりも、そろそろ卵の増殖、止まりましたかね」
「ああ。孵る見込みも当分ないな」
「そうなると俄然、不思議なのは術の数ですよね。卵の変換、隠ぺい、作動あたり?」
「関東中に卵が広がっていくあたり、不思議ですよね。拡散するための術って、なんなんでしょうかね」
「どう拡散したかも謎ですよね」
先生たちにマドカが混じって謎について語る。
そんななか、くっついたままのキラリにぼそっと伝えてみる。
「時雨さんも、あの卵を調査してるかもだよね?」
「ああ。答え合わせができるかもな?」
「ね!」
時雨さんがあの卵を調べていたなら、ダイヤのときのように素材がなにかわかっているかも。
仮に時間的に余裕がなかったとか、他の任務があったとかで調べられてなかったら、いまから来てもらって手を借してもらえれば、なにかがわかるかもしれない。
抱えてちゃだめだ。だけど、たぶん共有するだけでも足りないんだな。段取りを組んで、円滑に動けるようにするマネジメントがいるんだ。そう考えると、学校の文化祭とか体育祭とか、理にかなってるんだなあ。それが学生レベルだとしても。
仕事でも、私はマネジメントの必要性やありがたさをひしひしと感じている。番組にお世話になるときだってそうだ。だれがなにをすればいいか、それをどうすればいいか共有できるだけでも、かなりありがたいよね。
とっちらかっていると、それどころじゃないのだな。
みんながやらなきゃだめ、みたいな強制にしちゃうとアウト。行事に張り切って支配的になって、いらいらぷんぷん怒って泣いちゃう感じになってしまう。動きやすいように渡せる状態で依頼するのが、よし! 救え、じゃない。助けてもらえますか、だ。
「これって、ペットボトル一本が卵一個分です?」
「そのはずだ。保存管理に手間取ったから、よく覚えている」
高橋先生が明言してくれた。なら、だいじょうぶだろう。
「これ、ペットボトルの中身ぜんぶを出して、同じ術をかけたら、ジャンボタニシの卵だらけになるんですかね?」
「やってみるか」
「高橋先生、うちにそんな大きなガラスの器がありましたっけ?」
「ないなら作ればいい」
寡黙で生真面目で遊びのあの字もないような高橋先生が言うから、私たちみんなで固まる。
そんなのお構いなしに高橋先生はいくつものフラスコを出して、机の上に並べていった。先生がフラスコの瓶の口を撫でていくと、それぞれに溶けて液体になり、ひとつの塊に。両手で液体に触れて、すっと持ち上げると、なんということでしょう! 直径の大きなビーカーに早変わり。
さあどうぞと言わんばかりに高橋先生が私を睨んでくる。口数が多いほうじゃない。目つきは正直、先生たちのなかでもきついほう。だから睨まれているような気がしてしまう。
「春灯、元の奴はどうする?」
「術をいったん解いてから、もっかい注ぐ」
グラスの中を埋め尽くさんばかりのジャンボタニシの卵たちに右手を向けて念じる。戻れ。
それだけで金色に散っていく卵たち。ばらばらになってくれて助かった。戻らなかったらどうしようかと思ったところだ。ああ、よかった。いや、ちがう。考え方を変えよう。私の術で形にできて、しかも戻せた。これは本当に、ジャンボタニシの卵が、あの肉の卵の原型なのかもしれない。
でもって、ジャンボタニシの卵以外のものがなきゃ、あの肉の卵にはならないのだ。そしておそらく、ペットボトルに貯めた水の中に、肉の卵にした霊子が潜んでいるはず。それだけじゃない。突然、ふって湧いて出てきた術だなんだが潜んでいるはずなんだ。
マドカがペットボトルの中身を巨大ビーカーに注ぐ。私もグラスを手に取り、ビーカーの中へ。一滴もこぼさないように、静かに注ぐ。
「仮にこの中に肉の卵にする術、潜む術、なんらかの起動装置になる術が潜んでいるならば、なにか形になるはず」
「逆に、この中に存在しないものがあるのなら、それはどこかに、なんらかの形で潜んでいることになるな」
私の仮定に高橋先生が捕捉をしてくれた。
たしかに先生の言うとおりだ。肉の卵を構成するのは、ジャンボタニシの卵の霊子と、なんだろうか。他にいったい、なにがあるだろうか。
みんなの話していたとおりだ。そのほかにあるものが、術を構成した。それはいったいなんだろう。肉の卵ひとつひとつにあるのだろうか。私たちに見えない、数多くのジャンボタニシがいるんだろうか。肉の卵をあちこちに振りまく見えないジャンボタニシが。
それは、やだなあ。ぞっとしないね?
「さて、なにが出るのかな」
金色を巨大ビーカーに注ぐ。
さっき先生が並べたビーカーは五百ミリリットル容器、数えて十二個ほど。注いだ水は二リットルのペットボトル、まるまる一本分。ぜんぶを受け止めて、まだたっぷり余裕のある容量の、ガラスの器。
薄く張った水を金色で満たしてから、願う。
宿した霊子の姿を現せ。
「おいで」
そう伝えると、すぐに金色を吸い込みながらピンク色の卵が再び姿を現す。ひとつ、またひとつ。さっきよりもすごい速度で卵が出てくる。
「す、すごいな」
キラリが引いてる。密集具合がすさまじい。隙間がないくらい、卵が出てくる。お母さんたちが酒盛りでお酒に割るために使う強炭酸水の泡よりも、激しくふつふつと卵が湧いてくる。止まらない。ビーカーを隙間なく埋める勢いだ。
高橋先生が大きめのビーカーを用意してくれて助かった。なんなら、もっと縁の高さをあげてもいいくらいだ。
「なんだか、こう、見た目にきついものがありますね」
「こいつらが稲について食害を起こすと考えると、ばかにできないな」
「対策って、農水省はどう発表してましたっけ?」
「灰を撒く、冬のうちに土を起こして地中から出す。一定の水深を必要とするから、水の高さは気をつける。水の入り口出口の管理を徹底する。このあたりかな」
「稲に薬剤を散布することもあるそうですよ? してかなきゃ追いつかないこともあるんでしょうね」
「あああ。すごい手間をかけてるって言いますよね。実際にやるとなると、想像するだけで圧倒されますよね」
すべての田畑が自分の管理している場所じゃない。お隣が雑なら? 入り込んでくる。水の管理だって、どこかがおざなりなら、その影響を受ける。だから実は揉めるところはとことん揉めるという。農家さんが連帯するところは連帯しているのは、そうした厄介ごとを避けるための大事な処世術でもあるからなのかもしれない。
だけど境界線が非常にあいまいになる、なりやすい場所でもある。
だってそうでしょ? 私の田んぼは私の田んぼ、で終わらない。どんなに気を付けていても、まわりの田んぼがそこかしこで害虫だなんだ、雑草まみれだなんだになっていたら? 気を付けている田んぼに囲まれているときとは比べ物にならないほど、大変だ。
かといって「じゃあもう、私が手伝いますから! ちゃんとやりましょ!」とはいかないし? それやりだしたら、きりがないよね。私の田んぼじゃないのにさ。
どんなにうんざりしても、自分の田んぼをお世話するほかにない。
「卵だらけだな」
「ですねえ」
「臭いな」
「あ、あんまり、いい匂いじゃないですよね」
ぷんと、生き物が腐ったようなにおいが漂っている。ビーカーに近づきたくなくなるような、そんなにおいがする。そもそも卵の見た目からして警戒を促す色をしているし、匂いもひどいんじゃあね? こりゃあろくでもないよ? そういう防衛策なんだろうね。
鳥の卵が狙われて、食べられてしまう動物番組の映像なんてやまほど見た。栄養があって、好みになると狙われる。だから、まずくする。植物の選択だ。あるいは、そういう特性が残ってきた。じゃなきゃ、動物たちは好んで植物を食い尽くすだろう。
だれも食べられないものが増えていく。ひとつ、ふたつ、みっつ。そこからけだものが増えていく。
奇妙なことに、増えるのは卵だけ。他になにも出てこない。ただ、卵だけ。
見た目が同じなだけの、別物なのだろうか。
それとも、卵に擬態したなにかがここに潜んでいるのだろうか。
わからない。
思ったよりも厄介だぞ?
「卵しか、出てこないな?」
「だけど、これが全部同じ卵とは限らないよね」
マドカの言うとおりだ。
目に見える形で出てくるとは限らない。
ジャンボタニシの卵に擬態しているものもあるのかもしれない。
つづく!
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