第二千九百二十三話
思い立ってキラリから教えてもらった豚骨ラーメン屋さんに寄る。
恵比寿にあるお店はお昼時を過ぎて、すぐに入店できた。けど店内は混雑気味だ。すごい。
木目が落ち着く店内のインテリアを眺めながら迷わず注文。替え玉を頼みたかったので、ごはん類はなし。本当なら明太子ごはんはつけたいところだけどね。太る! 今日はノーチートデイ!
やってきたラーメンをもそもそ食べる。食べながら、麺をしきりに観察する。小麦粉、お水、お店によってはかん水を使用する。あとは卵もかな。小麦粉だけかどうかも含め、お店によるけどね。小麦粉に含まれるグルテンとお水のかかわりが大事。これによって麺の噛み応えなどが変わってくる。グルテンに求める反応には温度管理も関わってくる。お店によっては加水率が高いか少ないかが売り文句になっていることも。
なので「粉ならなんでもいいじゃん」とはいかない。
麺を連想したけど、必要となる素材と加工の手間を考えると、けっこうむずかしそうだ。
替え玉を頼む気もなくなったし、そもそもよく噛んでたらおなかがいっぱいになってきた。おいしいのもずるい。気がついたら完食してたよ。
元気な店員さんたちの間を抜けて、お会計を済ませて店の外へ。食後のお散歩ついでに歩いて回る。いつかのように、渋谷を目指してみる。その途中に街路樹を見かけた。根元に雑草類。
植物を目指すのがいい気がする。糸さんが教えてくれたように、わらから編む時代があったんだから。
木火土金水。種に霊子を注ぐ術も練習したのだ。種があれば、芽吹かせて伸びた茎を使えるかもしれない。
種さえ金色で作ればいいのだし、悩むことはない。すくすく育つ気持ちを栄養として注いで、おっきくなってもらえばいい。
「んーっ」
宝島ほどじゃないけど、じゅうぶん寒い!
ただ歩いていると、あまり気にならなくなってくる。
画面をじっくり眺めていると、世界のすべてのように思えてくるのに、外に出てしまえば幻想だったと気づく。トモたちといるとき、キラリとマドカと三人で仕事に向かうときや、カナタとふたりでいるとき、ぷちたちと過ごしているとき。その外に出てしまえば、それまでいた関係性の当たり前が、途端に霧散するみたいに。
それはまあまあの幸せだ。
絶対なものがずっと続くことはない。だけど、おかげで絶対な地獄だけで塗りつぶされることもない。
しみじみしていたら、車のクラクションが鳴り響いた。猛烈な速度で自転車が割り込み、信号無視をして先に進んでいく。割り込まれた車の運転手さんが鳴らしたんだろう。
「わっ」
びっくりした。
私の送り迎えをしてくれている高城さんはいつも安全運転だし、その移動中に接近する車の運転手さんたちもぼちぼちだ。全員が全員、安全運転っていうわけでなし。みんなの安全基準も、免許取得のために勉強した内容からずれていっている。それぞれに。
でも高城さんいわく「自分の運転だけしか見えなくなっちゃう」という。他の車の動きを見ていると、それはよくわかる。カナタのバイクのサイドカーに乗って箱根に旅行に行ったときも感じた。番組で原付に乗ってあちこち行ったときはもっと強く感じた。
たぶんだけど、車体が小さくなるほど、それが遅いほど、その周囲の車の「こういう運転がしたい」という表現が露骨に出やすくなる。
原付やバイクが相手でもマナーのいい運転手さんもいるし、むしろどんどんマナーの悪さが露骨になる運転手さんもいる。相手が無差別でマナーがすっごい悪い人も、もちろんいる。
そんなもんだよねー。だけど、それだけじゃないもんだよねー。
「歩く」
とことこ歩く。
私の選択と行動なんかお構いなしに世界はあって、私に与えられる影響は常にささやか。だけど、ゼロでもない。妙に速度の出る自転車のように、私が獣憑きモードになってダッシュで大通りに飛び出したら? いい迷惑である。事故が起きるかもしれない。
ろくなもんじゃねえ!
でも、私の行動が世界に影響を与えることを誇張して描く作品群が昔、大いに流行ったそう。私からしてみれば、付き合う人によって自分の生活や人生の彩りや輝きに直結するみたいな文脈を、お母さんの本棚の少女漫画からめいっぱい摂取してるからさ。その手の作品群は、むしろ「世界の命運」に紐づけるかどうかという表現のバリエーションの違いとしか思えないのだけど。
暮らしが、生きる時間が、環境や関係性によって大きく変化するのは間違いない。社会や世界を切り離して生きていくことなど、私たちにはできない。
ただ。
幸いにして、あるいは、ときに不幸すぎるくらい、社会や世界にとっては、私たちはすべてじゃない。私たちもまた、社会や世界のすべてたり得ない。どんなに背伸びをしても、どれほど偉くなっても、ちょこっとだけ範囲が広まる程度だ。
それでいいんだよね。だけど、それじゃ足りないこともたくさんあるんだよね。
「ううん」
関東事変が起きたのは間違いなくて、たまに折れた街路樹や、割れた窓をシートで覆っているビルがある。道路工事をしている場所もちらほら見かける。名残はある。だけど、この街は当たり前に昨日からの日々を明日につないでいく。
「この世界の片隅に」では第二次大戦の戦時中の呉を描いていた。朝ドラでもしばしば戦時中の街を描く。「火垂るの墓」でもそうだ。いきなり悲惨になっていくんじゃない。すこしずつ壊れていく。物価が上がり、手に入るものがみすぼらしくなっていくんだ。そして社会はすこしずつ機能しなくなっていく。新聞はこぞって政治と軍事を賞賛し、高揚する記事しか取り扱わなくなる。現代風にいえば「わんちゃんやねこちゃんしか見たくない」「いいニュースしか見たくない」かな。坂口安吾の「白痴」のように人間関係のどろどろだって起きる。ろくでもないことも、いくらでも。
だけどそれさえ、私たちの日常の延長線上のことでありながら、それがすべてじゃない。
世界の命運なんてものに繋がれたら? 私たちの日常は、その一挙手一投足の責任が重たくなりすぎるし、世界の浸食を免れない。
しんどい!
ジブリ版の「耳をすませば」で雫ちゃんのお父さんが言ってたけど、「普通じゃない生き方は本当にたいへん」だ。社会は基本、あらゆるマジョリティ向けにできてる。自由業だとクレジットカードさえ作れないまである。食べていくだけで精いっぱい、さえ実現できなくなる。
私なんてどうよ。
漫画にしてみたら数十巻レベルで「ううん」ってあれこれ悩んでるだけで終わるよ? 一話で打ち切り大確定だよ。
じゃなくて、学校に通って、大学まで行って、就職して、荒波にもまれながらもぼちぼちやる。それがもう超絶むずかしいくせに、超絶安定する道なんだよね。展開からの展開、また展開! 展開ありきの人生がぶっちゃけいまのマジョリティなわけじゃん。ね?
自分に合わせたマニュアル作りと改定、実行と修正しての「すすめぇ!」が強いわけじゃん。実際。
そのうえで「普通」という、からっぽなものじゃなくて、いわゆる多数派の流れに乗ったうえで「さあ自分をどうぞ」のほうが安定するわけじゃん? でもさ。
「ううん」
外れちゃったから、戻れないわけじゃん。
「平日、昼過ぎ」
そんな時間に学校から「休んでて」って言われて渋谷区を歩く高校生、そうそういないよ。
なりたくないよ? そんなのに。
歩行者信号が赤になって止まる。後ろから足音が続いて、横に並ぶ。キャップをかぶった小さな女の子だ。白い髪を後ろで束ねている。カジュアルなジャケットとジーンズにスニーカー。まぎれそうな格好だったけど、白髪が気になって顔を見たら、あいつだった。私に八尾を注いだやつが、しれっと隣に立っていた。
「なにをしているんだ。こんなところで」
「こ、こっちのセリフ」
「学生なら学生らしく学校にいたらどうなんだ」
「だから、こっちのセリフだって」
「どうせ進展もなにもないだろうに。おとなしく引きこもっていればいい」
「だから。こっちの。セリフ」
「どうも動きがなさすぎる」
「それには同意」
青になったから歩き出してみると、当たり前についてきた。
言っちゃうと私も彼女もたいして身長は高くない。それでもまだ、若干の歩幅の余裕が私にはあった。それを察してのんびりゆっくり歩いてみるのだが、彼女はせわしなく歩く。歩幅が小さい。緊張しているのか、それともなにかを警戒しているのだろうか。
気になりながらも、地下鉄で見聞きしたことなどを改めて伝えて、今日か明日になにかが起きるかもしれないことを告げる。ミコさんに伝えたうえで、彼女に資する展望にいまのところ進展がないことも。
だけど彼女は上の空だ。肌荒れは相変わらずひどいし、唇はかさかさだし、クマもひどい。
「ごはん、食べれてる? ちゃんと眠れてる?」
「はっ」
鼻で笑われた時点で察した。
ろくに休んでない。
休めるわけもないだろうけど、それじゃあ自分の世界しか見えなくなってしまう。
私みたいに頭の中が大騒ぎなのかもしれない。情緒的・身体的反応が大騒ぎなのかも。どっちもだったら目も当てられない。
「一緒に来ない? あなたには休みが必要だよ」
「なんの冗談だ? 私を憎み恨む道理しか、お前にはないというのに」
こういうのをこじらせているっていうのか。
あるいは、世界中どころか自分さえ敵になってるみたいな状態かな。
あらゆる情報が、敵となる。そして、そんな敵に頭も体も心も穏やかでいられるように、答えや解決を必死に探す。
それが困難になるようなこと、あるよね。私はあなたに八尾を注がれた結果、まああ、大変だった。性別、人種、年齢、だれもがこのみっつの影響から逃れられない。社会や世界からの影響も。
それが人生のすべてを決するわけじゃない。だけど、影響と付き合っていくことが楽になるわけでも、簡単になるわけでもない。
付き合っていくしかないなんて、そんなのうんちの役にさえ立たない。
なんていうのは!
私!
あなたじゃない。
「私がどうするかは私が決めるの。あなたは疲れている。私はあなたを誘う。ついてくるなら、学校の保健室なり、寮の部屋なりで休んでもらうし、私の仲間に助けを求めることもできる。こないなら? これまでと一緒。あとはあなたが決めて?」
以上!
「いく」
素直じゃん。かわいいかよ。
一緒にビルに向かうと「なんで電車じゃないんだ」と文句を言われた。いたく不満げである。
「幽霊が見えるの。飛び込みの瞬間とかね」
「なに?」
「見たくないでしょ。対応もできないのに」
「あ、ああ」
反応に困っている。なにか特別な知恵とか体験とかが出てくるのかと思いきや、ないらしい。
私と一緒に紳士服売り場の女子トイレに入り、壁を化かして金色雲で渋谷上空に抜け出る。壁を戻してから、ふわふわ漂い学校を目指す。ふたりが並んで座れるくらいの大きさにしてあるけど、彼女はなるべく私から距離を置いて、眼下をにらみつけていた。
「地上から攻撃なんてされないよ」
「だれが見ているかもわからないだろ」
「だいじょぶだって。SNSで金色に光る雲が空を飛んでた、なんて見たことないし」
「いままでなかったからといって、それが今後の保証になるわけあるまい」
「見られたからといって、別にだいじょうぶじゃない?」
「敵から襲われないかを気にしとるんだ」
「ふむ」
しばらく黙ってみる。
それなりに速度を出していて、まあまあ寒いのだが、ひとまず攻撃される気配がない。
「だいじょぶなんじゃない?」
「はあ!?」
気を張り詰めつづけている彼女にとっては信じがたいようだ。
それもしょうがないけど「なにかあったら対処するからだいじょうぶ」と請け合っておく。
しばらく問答があったけど、だんだん静かになってきた。隣を見たら、身体を抱いて震えていた。
見ていられなくて金色を彼女に向けていくつか飛ばして、フリース生地の毛布に化かす。
「ほら。寒いんなら言って?」
お礼も文句もなにもなし。代わりに毛布をぎゅっと握って体を丸めていく。
こどもか!
彼女もそれなりに生きているはず、なのだけど。実態はこどもと変わらないのかな。
ミコさんの長命の仕組みにも関わりそうで、いろいろと気になることはあるんだけどな。
「ん、んん」
あくびを必死にかみ殺して、落ちてくる瞼と格闘し始めた。
「寝てていいよ」
なんだかほっとけなくて、そう伝える。
いやだと言わんばかりに頭を左右に振るのだが、眠りに落ちるまで一分もかからなかった。
起きている間には気兼ねしたけれど、寝息が聞こえてきたし、もういいかな。そう思って、肩を抱く。
脳内でシャーロックやマーベルシリーズに出演しているマーティン・フリーマンの周囲に押されてしまって「ああもう、しょうがないな」って受け入れるときの、諦念と受託の笑顔や首振りが鮮明に浮かぶ。私はいま、まさにそんな気分。
つづく!
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