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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千九百十三話

 



 発想を変えよう。

 世の中にはわからないままのことがある。未知と無知だけじゃない。あることまでは認識しているけど、それをどう言葉にすればいいのかがわからない。そういうことがある。

 答えがわからないこと。解決できないこと。そういうのもあるしさ?

 意味とか定義とか、どうにもつけられないこともある。

 それならそれで、よくないか?

 ひとまず形にしてみませんか?


「そうはいってもなあ」


 とりあえず金色をめいっぱい出す。ぎゅっと凝縮して、金色粘土に化かす。

 やなことを思い浮かべながら、なにかに変わるよう求めてみたら? 黒ずんで、どろどろしたものになった。す、スライムかな? うごめいている。うごめいているんだけど、なんていえばいいんだろう。

 なんだこれ。


「棚にしまっておこう感はある、かな?」


 お屋敷のお庭でやってよかった。畳の上でやったら、このどろどろがなにをするのかわかったものじゃない。指先でつついてみても、反応しない。

 ほんとになんだこれ。


「な、なにかお題がいるのでは?」


 わからないなりのお題が。迷走するにしたって、お題が!


「わっ、わんちゃんになれ! あ、柴犬で!」


 軽率にお題を与えてみたら、黒いどろどろがうごめきながら形状を変えていく。

 十数秒をかけ、ゆっくりと変わった結果は? 楕円に丸めた粘土をつまんで、申し訳程度にできた四本足。すこしとがらせる程度の耳としっぽ。どこに目があって、口があるのかわからない。酔っぱらっているときのお父さんに、無理に粘土をやらせた結果できあがった、やる気のない産物に見える。なんなら足の位置が非対称だ。


「しば要素とは?」


 疑問を呈するも、答えはわからず。

 いやたしかにわからないことを前提にしようって決めたけどさ。待ってよ。こういう感じ?

 なにこれ!

 いぬもどき真っ黒どろどろとしか呼べないなにかが、手足をぱたぱた動かしている。しっぽや耳もだ。

 なんでだろう。人造生物が「して」「ろ、して」って訴えているような、そんな光景に見えるのは。


「もっ、もとにもどろっか! いったんね!? いったん!」


 黒いどろどろに戻ってもらう。意外と素直!

 うごめくスライムを眺めながら腕を組む。

 お題が悪いのかもしれない。あるいはいっそ、こういうものなのかもしれない。


「歌ってみてくれない?」


 思いつきからお願いすると、どろどろの中心に小指の爪ほどの小さな穴が開いて、そこから音がした。どん、どん、と低い音が。そして、がむしゃらにすたたたた、と軽い音がする。バスドラとスネアドラムの音が、もっとも近い。バスはリズムが取れてないし、スネアはとにかく乱打。

 意味がよくわからない! いや、うん! そういう要求したけれどもね!?

 土台になっているやなことが抽象的だからかな?

 ふと脳裏を教授の顔がよぎった。その瞬間にどろどろから鋭く刃先が伸びてきた。思わず真横に頭をずらす。ちょうど頭ひとつぶん。それでよかった。先ほどまで頭があった箇所に刀身があった。


「やめよ! もとにもどろ!」


 心臓の鼓動を感じる。汗ばむ身体で、急いで願う。それだけで、どろどろは刀身を真っ黒どろどろに戻して吸収していく。

 うるさいくらい、呼吸が荒れる。胸を押さえて、深呼吸に努める。遅れて汗が冷えてくる。

 あんまり怖くて驚いて、尻尾が爆発しちゃうくらい毛が膨らんでしまった。すぼまるよりも、どきどきが勝っている。

 明確な反応を示した。露骨なくらい、わかりやすく。帯刀男子さまの反応のそれだ。

 受け入れがたいこと。いやなことじゃあ形容しきれないくらい、いまも痛くて苦しいもの。だけど、その痛さや苦しさを言葉にできないし、したくもないもの。それは刀となる。それだけじゃない。刀があれば振るいたい、使ってみたい。男の子みたいな衝動に早変わりだ。狙いは自分自身。

 あるいは答えや解決を求める人の衝動かな。倒せば済む、殺せば終わりと信じる人の敵意だろうか。

 やなことはなくしたい。

 まさにそんな衝動だ。

 でも、じゃあ、その衝動を形にって願うと? どろどろのまま。いろいろと呼び掛けてみたけど、特に変化が起きない。

 犬の次に猫を希望したり、樹や葉っぱになってもらったりもするんだけどね? 造詣がいまいちだ。


「もしかして私が粘土をこねるの下手だから?」


 あり得る!

 やなことを引っ込めるよう意識してみた。黒が戻らない。金色に戻るまで鼻歌を口ずさんで待ってみたら、すこしずつ色が薄くなってきた。ぷちたちにするように、どろどろをとんとん叩く。鼻歌の合間に「だいじょぶ、だいじょぶ」と伝えていたら、いつの間にか色が戻っていた。

 よし。


「犬からやってみよ」


 さすがに、さっきのよりはうまくこねられるはず!

 思い立ったが吉日。せっせと金色粘土をこねてみる。だいたい、一時間ほど粘ってみたのだが。


「あれ?」


 さっきのと出来が変わらない!

 なんだと?


「いや、あれ? おっかしいなあ」


 手のひらで撫でて楕円に戻してから、再び時間をかけて成型してみる。

 私なりにがんばってみたのだけど、だめだ。どうあがいても、さっきのと出来が変わらない。

 なんでだ!?


「ま、まあ、まあ、おちつこ?」


 自分に落ち着くように言い聞かせながら、ほかにも粘土を出して、いろいろこねてみる。

 すると、どういうことでしょう! 想定、酔っぱらったお父さんレベルの残念な仕上がりだらけに!


「シンプルに、私がへたくそだった!」


 猫と犬の区別が自分でもつかないレベルだ。鳥とか、樹とか、ほかにもいろいろ作ったんだけどね? どれも原型がなにか、さっぱりわからない仕上がりである。


「おたまさま、珍しいですね。縁側で。なにをして――うお!?」

「な、なんですかその、呪われそうな像は」


 傷つくぅ! でも言い返せない!

 中学時代を振り返る。いやでも、中学時代の美術の思い出といってもなあ。結ちゃんに絡まれていたこと、ひたすらしゃべりかけられていたこととか、あれこれ作品に手を出してきたこととかばかり思い出す。

 思いどおりにならなくてストレスだったけど、同じくらい、学校でだれにもほっとかれずに接してもらうことが初めて尽くしだったから、なんだかんだ楽しかったっけ。

 じゃあ、その出来はどうかって?

 おぼえてない! 結ちゃんの反応は? 鼻水だして爆笑してた。

 割と傷ついた。

 下手って言われたことは一度もなかった。

 小学校時代は? 八尾の魂たちと溶け合ってふらふらしてたし、ともだちもいなかったから、覚えてない。明確に思い出せることが、そもそも少ない。とりわけ授業のことは。印象に残ってない。

 でも、そうか。下手かあ。

 下手だったのか、私。

 でも、絵心はないな。それははっきり意識してる。中学生時代に痛いくらい身に染みている。なにより悪いのが、「なくても描くもんね」という意欲と行動がない! 練習してないんだから、うまくなるわけもなし。自分の描きたいものを描きまくって、これが私のやりたい表現なのでは? とあたりをつけるような、そんなのもない。だから、個性を探求したことさえない。だから、いまの私に絵心はない。

 粘土くらいいけるでしょ、という謎の侮りがあったけど、侮りでしかなく、通用しない。だからもちろん粘土もうまくない!

 当たり前だけど、練習しなきゃ、上達しようがない。自分の下手や、うまくなさ、思い通りにならないことと付き合わなきゃあ、先はない。

 だからみんな、途方もない時間をかけて練習しているし?

 まさにその練習部分をクラックしたい人なら大勢いる。それができるのが才能だと信じている人もいそうなくらい、面倒さは嫌われる。その面倒さと付き合えるかどうか、どう付き合うか、そこでどう工夫するかどうかなど、もうありとあらゆることとやっていけるか、できないこともあるけどやっていくかどうかが結局「向いてるかどうか」につながるみたいな価値観もある。

 どれにも手を出してないんだから、そりゃあ、ね?

 うまいわけがない。


「えっとね」


 植物たちのお世話をしてきた神使のおイヌさまたちに現世での術の練習をしてると事情を伝える。

 みんな、あとは汗を流してごはん待ちだというので、お風呂待機するおイヌさまたちに粘土遊びの腕前をお披露目してもらった。金色粘土が様々な成形されていく。薄く伸ばしたうえでつまようじを使って、一枚の葉っぱを、皺からなにから再現したおイヌさまがいた。粘土をいくつもちぎっては、一枚の大皿に飾り付けられたお刺身の盛り合わせを再現したおイヌさまもいた。

 お風呂あがりのおイヌさまたちが代わりばんこに交代して、様々な絶技をお披露目してくれた。みんな、あまりにも手先が器用すぎる! 丁寧に形作られる動物や、天国の不思議な生き物たち。ジオラマにしたり、料理を再現してみせたり、かと思えばお庭の四季を抽象的に再現してみせたり、いろいろだ。

 みんな遊び心があふれている。

 わんちゃんハンドで器用に細かく作り上げていくのが、実にうまい。

 どれくらいやってるのか尋ねてみると、みんな、小さいころからよく遊んだそうだ。霊子を注いで神通力の遊びに利用することさえあるという。それこそ糸さんが教えてくれたように、霊子で動かしてみたりしてね。あるいは、ジオラマを動かしてみせたりしてさ? 鍛錬にもなるという。

 料理番のおばちゃんおイヌさまが来て「おたまさま、この子たちはいっとう真面目で、いっとう努力家なんだから、みんながこの子たちくらいすごいと思っちゃわないようにね」と教えてくれた。みんなもそれに反論がないみたい。

 私くらいのもいるの? って尋ねると、おばちゃんはにこって笑ってなにも言わずに行っちゃった。

 くっ!


「みんなの作ってくれたのを使わせてもらってもいい?」


 私の問いに、みんなは顔を見合わせる。

 それから、だれもが気まずそうな顔をした。


「こういうのは、自分で作ったものがいいのです」

「自作して、自分で動かす。これが大事ですよ?」

「だいじょうぶ。鍛錬法なら心得ておりますから! お教えします!」

「それに、必ずしも写実的である必要も、模倣性が高い必要もありません。理想主義的であってもなくてもいいのです」


 やばい。

 いまさら気づいた。おばちゃんの言うとおりだった。

 ここにいるおイヌさまたちは、勉強熱心でまじめな努力家たちである。

 遊びのない小楠ちゃん先輩の集まりだと捉えなおしてみたら、どう?

 そりゃあもう!

 ちゃんと自分で練習しましょうねって言われるに決まってるよ!

 がっでむ!




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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