第二千九百十話
もしも私がドラちゃんだったら、金色は未来の不思議な道具になる。それくらいのポテンシャルはある。自画自賛だけど! でも、もしも私がメレブだったら、金色は微妙な呪文に早変わりである。はなぶー、ちょいキルト。あれやこれや。
去年に比べて慎重かつ臆病になったのは、ぷちたちが生きものになったから。いまだって「ママ、なんで帰ってくるのが遅いの!?」と玄関を開けるなり、飛びつかれて涙と鼻水まみれの顔をこすりつけられている。
大いなる力には責任が伴う。やったことの責任は生じる。逃れきることはできない。絶対に。
そりゃあ、怯む。うかつなことをしてごらんよ。大変なことになるよ?
ささやかな決定による選択と実行が致命的な結果をもたらす。それに参ってしまっていたら、先読みなんかできないくらい、いままさにある選択で頭がいっぱいになってしまう。
わかることしか触れない。わからないことはもう考えない。勉強なんかごめんだし、調べるのもいや。考えるなんて、絶対したくない。意味がないんでしょ? どうにもならないんでしょ? だったら無駄じゃん。無駄なことはしない。やなことも、やばいことも絶対むり。
そんな感じになっていく。
本当はちがう。
だって、そんなことするときって、映画で例えたらパニック映画やモンスター映画で「ここにいたら死ぬ!」っていう場所に残って「なにもしない! なにも考えない! どこにも行かない!」って金切り声をあげて叫んでいたり、ぶるぶる震えていたりするのと変わらない。たとえ生活できていても。仕事できていても。稼げていたとしても。なにも変わらない。
でも、ううん。だからこそ、変わらなくていい。生活できていて、仕事できていて、稼げているなら? よほど、そのままのほうがいいように思える。そして実際、多くの人が変わらないことを選ぶだろう。
残酷なことに虐待を受けていたり、加害のさなかにあっても、同じことを選ぶ傾向がある。なにせ、いまより悪くなるかもしれないから。行動した結果、より深刻な加害を受けたから。衣食住に明らかなダメージを負うから。だからこそ、変わらなくていい。
そんな感じになっていく。
そんな状態でも「なんとかしなきゃ」と焦るほどドラちゃん、それも映画版で大活躍しているときのドラちゃんにならなきゃって焦る。でも、私はたぶん、メレブにもなれてない。メレブはすごいよ。少なくとも見てる人たちを笑顔にしてるもの。どれだけ笑わせてもらったかわからないくらいだよ。
実際はどう? 私ときたら、ぷちたちを泣かせているよ。
「ごめんねえ」
「いっつもそればっかり! わたしのことはどうでもいいっていうの!?」
「早く帰ってきてって言ってるでしょ!」
「なんで同じこと何回も言わせるの!」
ぜんぶに濁点がつく勢いで怒鳴られて「ああああ」と虚無になる。晴れときどきメンタルぐらぐら。
ひとり、またひとり増えていくなみだっしゅからの頭突きを受け止めながら謝っていく。だいぶ痛い。みんな容赦がない。あと、力加減をなかなか学ばない。あんまり痛いときは言うようにしてるんだけど、間に合わないことが多い。それにぐらぐらメンタルのときに伝えてどうにかなるものでもない。
怒涛の勢いであれこれするぷちたちと過ごしていたら、あっという間に真夜中。よだれと鼻水の乾いたあとが無残な制服のブラウスとスカートを乾燥機付き洗濯機へ投入。ぷちたちのも加わるから、毎日、洗濯物が多すぎる。
「多すぎるぅ!」
その場に崩れ落ちる。
なんもできてない! 手の模型で術の練習? むりむり! ぷちたちをなだめて、食事を作って、晩御飯を食べたら散らかり放題のリビングを片付けたうえで、大量の洗い物をして、その間に起きる大喧嘩の仲裁に入り、あれしてこれしてああだこうだに絡んで、お風呂の準備。みんなをお風呂に入れて、きれいに洗ってからお着換え。だれひとり湯冷めしないように気をつけながら、寝室に連れていく。すこしでも気を抜くとリビングや和室のゲーム機や、お父さんやお母さんの部屋の本棚にある漫画を探しに行く子が出てくる。ほかにもお庭で術のけいこをしはじめようとする子がいるし、現世のおうちの隔離世で作ったレース会場の改良をしたがる子、ブロックおもちゃでなにかの設計をし始める子が出てくる。どんなにみんなを捕まえたつもりでも、十人以上もいたら無理! それでも、なんとしてでも、寝室に連れていく。
日に日に寝かしつけるのが大変になる。毎晩の物語づくりも、あの子たちは幼稚園で学んでくる術を使って、ああしたいこうしたいってアピールしてくる。壁や天井を走る子、おならで宙に浮かぶ子もいれば、私のように金色を出すんだけど、それが必ず折り紙になる子もいる。ひとつやふたつじゃなく、いろいろ学んできた子もいれば、絶対これしかないっていうくらいひとつの術に集中してる子もいる。
幼稚園から届けられるお知らせを読むかぎりじゃあ、こどもによって、なにをどう学ぶか興味もちがえばペースもちがうから、焦らずに見守っていてほしいと言われた。みんな、それぞれの術を大事にしている。
大事にしているのはいいんだけど、物語づくりでひとりひとりに活躍の場をって言われると、けっこうきついものがあるよ!
そういうの、ぜんぶ終わって洗濯機の前につく頃には、もうしおしおだよ。なにも残ってないよ? なのに、まだ家事が残ってるよ! 洗濯して、脱水して乾燥機でほかほかにしたら、しわが残らないように干しとかないと。
こんなの毎日できないよ。ほんとに。
トウヤたちが手伝ってくれても足りない足りない。ぜんっぜん! 足りない!
それでも、うちの子たちが幼稚園に行く前よりはマシ! 幼稚園に行くようになって、めいっぱい動く子が増えた。緊張したり、どきどきしたりして、疲れて帰ってくる。おかげで、これでも前よりずっと早く眠るようになった。
でも足りなぁい!
ぜんっぜん! 足りなぁい!
「ただいまぁ。お、どした?」
ゆるく帰ってきたカナタが脱衣所に顔を覗かせる。
「どした? じゃないが。いまじゃないか、じゃないよ! いまのいままで、休む暇がなかったよ! どうしてそばにいてくれなかったの!?」
私がメンタルぐらぐらになっとる!
「あ、ああああ」
「結局さあ。カナタもあれだよ。育児しない系男子なんだよ」
「ご、ごめんて。な? あと全部やるから」
「女児の下着を干したいなんて、変態か?」
「この場合、遅すぎたのが俺の敗因なんでしょうね」
ふふっとさみしそうに笑う。笑っている場合ではない。なにが? わかんない。
もうなにもわかんない!
なんてメンタルぐらぐらを楽しんでいる場合ではない。
「いい。だいじょぶ。私の下着もあるし。術でだいぶ楽できるし」
「じゃあ、ケーキかなにか用意しておくか?」
「ん-。はちみつ入りの紅茶があれば」
「わかった」
そう言ってカナタが襟元に手を伸ばしたところで、ふたりして「あ」とつぶやく。
まだ洗濯物あるじゃん。ねええええええ。
カナタのぶんはカナタが洗うという、ある意味じゃ当たり前でありきたりなことになっているのに、なんか家庭ではぶられていじめられてるお父さんみたいになってるが? しょうがねえ!
しょうがねえ! だからカナタが二度目の洗濯機を回している間に、手の模型をテーブルにのせて術の開拓に挑む。
糸さんがくれた様々なメッセージにはみっつの段階が記されていた。
『模型に霊子を注いで同化させよう』
『自分の思うように動かしてみよう』
『ここまでできたら糸さんに報告だ!』
しれっとえぐい工程を書いている。
いまの私なら、やり方がわかる。だけど学校で教わる内容じゃフォローされない内容だ。
注ぐまではできても、同化がまずわからない。同調するにしたって、まず、むずかしい。
それなに? どういうこと? どうやるの? だらけである。
いま私ができているのだって、具体的かつ理論だてて説明できるかっていうと、無理。割とニュアンスやノリでやってる。なので、いまの私ではまだ、だれにも教えられない。
「ううん」
「お。もう模型が動いてるな」
「まあ、これくらいはね」
金色を模型に注いで霊子に合わせる。あとは思うとおりに動くよう念じるだけ。
あまりにもフィーリングが過ぎる。ぐっとやって、ばーん! くらいのノリだ。わかんないよ!
模型だって、そうだそうだと訴えるように前後に指先を振っている。
「で。これが人形使いになる練習方法なのか?」
「まあ、フィギュアを動かすくらいならできそうだけどね」
ついでにお風呂を済ませてきたカナタさんに答える。シャンプー類は獣憑きになって以来、あまり匂いがしないものに変えたはずなのに、また新しいものにしたみたいだ。はちみつの香りがする。どうしたんだろう。プーさんでも誘っているんだろうか。
「手で精いっぱいかなあ」
お父さんのガラス棚にあるプラモデルたちを、ぜんぶ一度に動かすほどのことはできそうにない。
それに、さすがに糸さんみたいに、もうひとりの人形を用意して憑依する、みたいなことだって無理。ノリやフィーリングでも、さっぱりわからない。どうして自分の身体を置いておけるんだろうか。
「それに、じゃんけんもだめ」
せえの、と呼び掛けてから手を出す。
グー、チョキ、パー。どれもあいこになる。パー、チョキ、パー、グー、グーと適当に出してみても、やっぱりあいこ。自分の手と模型がまるで同じに動いてしまう。
糸さんは一度に十数名の人形を別々に動かしていた。部屋にいたよりも大勢の糸さんが、別にいたみたいだしさ? そうなると、もっと大勢の糸さんが別々に、いろんな仕事をしていたということに。
無理だ。無理だって。
どうやって実現するんだ。そんなこと。
ある程度、機械的に動かしているのかな? それとも条件を網羅して対応するような形で対処しているのかな? なぞでは?
でも、やりようがあるんだよね。きっと。
そのやりようがわかれば、手の模型とじゃんけんだってできるはず。
「ううん?」
「どうした」
洗濯とお風呂前にカナタが用意してくれていた紅茶を一口飲んだ。すこしぬるくなっている。でもまだ残ってる。あんまり楽しめてない。せっかく用意してもらえたのに。
「糸さんの力がクローンに活用されているのでは疑惑。もし仮に活用されているのなら、クローンはどう動いていたのかな? って。ううん。糸さんの力の活用ありなしにかかわらず、そもそもクローンってどう動くものなのかなってさ」
「コバトとトウヤが仲良くしている狼少女のふたりは、人にしか見えないよな」
「社長たちだってそうだった。でもさ? 千葉の住宅街の人たちも? みんなそれぞれに、どれくらいの意識があったのかな。それとも製造開発者たちの指示通り?」
「う、ううん」
急に言われてもわからないといわんばかりに、カナタが眉間にしわを寄せる。
そうだよね。急だよね。私もたまに自分で言ってて「私なに言ってんだろ」ってなるもんね。
あれ? それはもはや私が抜けているだけなのでは?
あり得る!
それは置いといて。
「糸さんみたいに、身体を奪われたうえで、クローンを動かすコントローラーみたいにされてるってことはないかな?」
「うん?」
「完全に自律行動が可能なクローンの量産は、まだできてない。だから、人形使いの力を流用して、誘拐した人に動かさせていた、とかさ。ないかな? って。だって、黒輪廻がいなくなったのは今年。連中が大仰なことをするだけの霊子を集められたとは思えないんだ」
「なるほど」
テーブルに掌を当てて、人差し指でとんとんとたたき始める。
「完全に自律行動をさせるよりも、操作させるほうが負荷が少ないと考えたわけか」
「あり得ると思う?」
「どうだろうな。でも、社長たちみたいに自分の魂みたいなものがないクローン体を動かすとなれば、内燃機関みたいなものが必要なのかもな。それこそ”模造品の心臓は動かない”んだ。霊子をこねくりまわして作った人形は、人じゃないから。霊子が人為を否定する」
逆にいえば、社長たちはちがう、ということになる。
では、どうちがうのか。私にはまだ、想像するだけのネタがない。
もっとちゃんと学べば、もっとなにかわかるかもしれない。
そして、やみくもに考えなしに反復するより、ちゃんと目標を定めて挑みたい。
ただ動かすだけじゃない。
それこそ最低限、私の意図とは関係なくじゃんけんが成立するための方法を考え出そう。
「それがどうか調べるためにも、術がいる」
「それで、じゃんけん?」
「うん」
どうやろう。
じゃんけんの成立。
私の手の動きに呼応して、みっつの動きをランダムに取ればいい?
ぐー、ちょき、ぱーで。
でもなあ。それって表面上の成立であって、自律思考的なものじゃない。
どんなに新技術としてAIみたいなものができてきても、まだ「人間が与えたデータ」のなかから「精度の高いもの」を抽出するので精いっぱいだろう。そして「精度の高い」の内訳が重要だ。「当たり」や「正解」、「正しさ」じゃない。「データの中にある、マッチするもの」だ。
だからね?
おばかが百人集まった会話を、ふたりの学者の専門的な会話に混ぜたデータを与えたら? 途端におばか百人分のデータのぶんだけ「精度が増す」。もっといえば「おばか精度が増す」のだ。
逆にいえば、医療の現場で扱うなら「医師たちによる専門的な情報」を「人間が与えたデータ」に限定しておくかぎり、ずっとマシになる。患者の情報、改められていく知見、研究内容などに「入力データ」を限定するなら「精度が増す」。
そこまでいっても、ハルシネーションをゼロにはできないだろう。でも、専門的な知識を得ている人が見るかぎりにおいては、それがハルシネーションかどうかが判断できる。
逆にいえば、そこまでやってもハルシネーションをゼロにはできない。
もっともらしく聞こえる、まったく正しくない不正確な情報。
この場合、AIはうそをついているのではない。
うそかどうかを”判断することさえできない”。
私の想定だとね。
ドラちゃんやタチコマくらいの精度を得るなら、もっとずっと精緻な仕組みがいる。
そのレベルで考えると?
手の模型を、手の自律的思考でじゃんけんさせるのは無理だ。不可能である。
「ううん」
もっと飛躍がいる。あるいはアプローチを変える必要がある。
それっていったい、なんじゃろな?
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。




