第二千九百四話
ガンプラにはたくさんの種類があることを知った。グレードがあるんだね? お手軽なものから、お高いものまで。頭身が高いものと、二頭身に近いもの。いわゆるSDと呼ばれるもの。いろいろなガンダムや他のロボットを見ていた。
なんか流されるままに。ちなみに私のことは歌手として普通に知ってただけだった。なんだよぉ! 焦ったよぉ!?
お姉さんいわく「ケモミミ尻尾歌手とか!」「士道誠心っていろんなオカルト事象が起きるんだ!」と燃えたのもあって、印象深いのだそう。でも「推しじゃないですね」とのこと。なんだよぉ! お仕事がんばるよぉ!
「SDといえば、こんなSDもあるんですよ?」
お姉さんに連れられて展示スペースに移動する。
ガラス越しに見る棚に飾られているのは、精巧な人形だ。これまで見たフィギュアやプラモデルとはまた異なるもの。フランス人形みたい。現実のアパレルみたいな縫製の服を着ている。ドレス姿の子もいればブラウスとロングスカートの子や、ワンピース姿の子も。それぞれ布地選びから裁断、仕立てたところまで、普通に私たちが着れそうなデザインだ。男の子もいるけど、女の子が目立つ。瞳が印象的で、お店やケース内の照明に照らされて煌めいていた。
「スーパードルフィー。ドルフィードリームっていうのもありまして、アニメやゲームのキャラクターを再現したモデルもあるんですよ」
値札が置いてない。そこが気になりつつも、お姉さんが指し示すほうへ目を向けると、棚にいる。あるんじゃない。いると表現したほうがいい。衣服が布地で再現されているからだろうか。妙に生々しく感じるのは。
さっきフィギュアで見た黒衣の騎士王がサンタ服で白いプレゼント袋を抱えて立っている。
「かっっっっ」
心の脆いところが盛大に疼いた。
これは! いい!
「ちなみにだいたい五、六万円はします」
「すぅ」
無理だー。
ないない。そこまでの余裕がない。
でも記憶しておけば、こっそり金色化け術で再現できるかもしれない!
「一から組み立てる用のパーツもありまして」
ここまでで一番の反応を見せてしまった私に商機ありと見るや、お姉さんが再び強引な案内を開始。連れられていって、見るわ見るわ。いろんなパーツの数々。人形だとわかっていても素体と呼ばれる身体のパーツを見るのは、なんかこう、絶妙な気まずさがあるね!?
なんなら下着も普通に売っている。ちょっとどぎまぎするまである。
「なんか、こう、倒錯的な感じがしません?」
「軽い気持ちじゃお世話できないんですよー。ボディ、髪の毛をはじめ、お手入れがとてもとても大事なので。愛情ありきの世界です」
「おおぅ」
買うのではなく、お迎えすると言うらしい。手放すときも、メーカーさんにお渡しするような感覚なのだそう。すごい。世界観があるんだ。
ファッションアイテムはいくつかあるけど、実際はコミティアなどの即売会で愛好家が販売していることがあり、そういうのを頼るのも大事だそう。そして、ゆくゆくは自分で自作するようになったら? ずぶずぶにハマったご主人さまのできあがり。
ふわふわと市松人形やフランス人形、クマのぬいぐるみ、もっとずんぐりむっくりな球体関節人形などを思い浮かべる。私たちはドールを愛する。その不思議。
すこしずれていくと「ここからはガレージキットですね」として、いろいろなモチーフの人形が飾られていた。戦闘機や戦車なんかもある。
言っちゃなんだけど、かっこいいよね。
「なんか奥歯に物が挟まるような顔してますね?」
「あ、え、と」
「お忍びでやってこられて」
「や! あの、お忍びってほどの認知度じゃないんで。ぜんぜん」
「それはないでしょ。ニュースでさんざんこすられてるくせにぃ。救世主って」
このこの、と肘でぐりぐりお腹を押すようなジェスチャーをされても答えようがない。
「まあ、あれですよね。いまのご時世、テレビじゃ言えないですよねえ。不謹慎の固まりみたいなものですからね。でもね?」
そう言ってお姉さんがいろいろと教えてくれた。
戦闘機は美しく見えること。それがたとえば、攻撃されている地域に住む人から見てもなお、だ。もちろん、みんながみんなそう思うわけじゃないけど、でも、美しいと感じる人もいるという。ドローンはまた別かもしれないけどね。それが自分たちを殺すものだと結びついたら話が変わる人もいるだろうけど。
ガレージキットには女の子の商品もいっぱいあって、完成して販売されているフィギュアとはまた異なる。大まかなパーツが入っていて、その裁断から、塗装からなにから、ぜんぶ、自分でなんとかするらしい。だから作り手によって出来映えも異なるという。圧倒されるような作品もいっぱいあるし、えっちなのもそれなりにあるそうだ。
原型を作って販売する人のフェチズムが凝縮されていて、そこも見所なんだって。
「なにせ、つま先から頭の天辺、髪の毛先まで、ぜんぶ立体的に起こすんですから。腕の肉付きから、お腹の起伏まで、こだわるときりがないでしょう? 肌の色も、ただの肌色一色じゃ人形っぽさ丸出しです。人間の肌に近づけるなら、そこも半端な先入観じゃぽくならないわけで」
「お、おぉ」
「女児ならどうか。十代少女なら? 女性なら。マッチョな男性の筋肉の盛りあがりは? その探求はさながら、現代の彫刻アートのよう!」
「おおぉ」
「まあ、そうはいってもつるぺた幼女の恥丘の盛りあがりはどれくらいがいいのか、みたいな下世話な探究心も含まれますし、中学生や高校生の胸からおまたまでのラインはどれが理想なのかみたいなものもありますけどね」
「おぅ」
ま、まあ。古代ギリシアでは、おちんちんのやっばい神さまの像を造っていて、いかに滑稽にするべきかーとか、美の神の裸体はどうあるのがいいかで盛りあがっていたそうだし。多少は? 多少は、なのかなあ。
わっかんね。
「いかんせん水着や、ほとんど素肌と変わらないぴったり服が多いですから。身体のラインは重要なわけです」
そけい部とかたまりませんよねえ! などと目を輝かせて言っているお姉さんは、見ているだけの人なのだろうか。そうじゃないのでは? この人、作るのもやっているのでは? だんだん、そう思えてきたよ?
あと私、お姉さんの趣味トークに一方的に巻き込まれているだけなのでは?
ちょっと楽しいから、いまのところはいいか。
「それってマジョリティ? ちがいますよね。むしろ身体のラインを気にして、他者をじろじろ見だしたら? もうかなり危ないわけで。人前でぱんつぱんつ言ったり、覗くのもあり得ませんし。ラッキースケベも基本、痴漢となんにも変わりませんからね」
「お、おぅ」
つ、強いよ! 言葉選びの鋭さがましましだよ!
「人をオナホだなんだ言ったりしますし。そのへんバグっておかしくなっちゃってる人、けっこういますし? これは正直、二次元の偏りの弊害とも思います。ただただ、差別や犯罪の偏りは二次元に限らないだけで」
そこは触れなきゃだめですよね、と。二次元だけじゃないぞ? と。でも、二次元もばっちり入ってんぞ? と。それがお姉さんのスタンスのようだ。
「奥がいいんだろーとか。伸びた爪ほったらかしでガシガシやるやつとか。どこそこがいいんだろぉ、みたいなのとか。さんざんいましたよ、ええ」
「なんの話かな?」
これまで付き合ってきた人との営みの話をしてる?
やめて? まだお昼だし。私とお姉さん以外にいるの、男性客くらいだし。
すっごく気まずそうに距離を取られてるし。
やめて?
頭の中で脳内キラリが「やべえやつに絡まれたら、なにも言わずに逃げろ。あんたは付き合いがいいからそういうの下手だろ」って言っている。逃げるべきなのかもしれない。
「別に男性エロに限った話じゃないですけど。これがいいっていうネタを作ったら、それを現実で試すヤツが百パー出てきますからね。なんならAVとか輸入してますし」
「フィギュアの話に戻りません?」
「でも、そういう妄想や衝動の行き場が欲しいわけですよ。私たちは!」
「ええぇ」
「きっもちわっるいものをだれもが抱えて生きてるわけじゃないですか。そこは外しちゃだめだと思うんですよねえ。みんなどこかしら、なにか持ってるわけですよ。エロやグロに限らず。なにかをすごく愛でるのも、恋愛として重ねてみても、それが友愛であっても、過ぎれば気持ち悪いわけですよ。推し文化も必ずそうなります! 他人から見てね! でもね? そういう気持ちの安全基地がいるんです!」
「は、はぁ」
「ただし安全基地から出て人様に迷惑かけるヤツは処す!」
「お姉さん? いまあの、大きな声を出して迷惑を掛けてますよ?」
「そんなわけで、こういう同好の士が集まるショップでくらいは、素直になっても罰は当たらないと思います。マナーはありますけど」
マナー違反だと思うんだけどなあ。大きな声での熱意トークは。
「分かち合えるものしか許されないっていうなら、駆逐されるぅ! そんな文化、ごまんとあって。アキバに残る二次元文化のショップはかなり攻撃されちゃうんじゃないですかね。その土俵って、いろんな論理のぶつかり合いになるんでしょうけど、本質的にはマジョリティVSマイノリティになりがちですし」
迷惑軸にすべてだめって押し切られると、それこそ正当性に満ちあふれたマジョリティパンチによるマジョリティクラッシュになる。おまけに迷惑が軸になったうえでの正しさは、反論の余地がない。
たとえ論理が飛躍していたり、議論のすり替えが行われていたとしても、これに対抗するのは並大抵のことじゃない。
実際、気持ち悪さがあって、エロやグロへの欲求や願望があるのなら、それを認めたうえでの前提で始めないと、どうにもなんないし? その前提でマジョリティクラッシュを防ぐには、もう、みんなで世の中すこしでもマシにしていくほかない。犯罪はNO! 断固NO! そう唱えて、実際に犯罪が起きないよう呼びかけたり働きかけたりしていくほかない。
お姉さんがもう口にしちゃったから単語を使っちゃうけど、他人をオナホだーなんて言う表現物、どう足掻いても擁護できないもの。擁護しようがないよ。えっちな漫画で、ポルノでって言っても、ねえ?
現実に言ったりやったりしたら、ドン引きどころじゃないじゃん。
それはもう。間違いなく。
世の中のいろんな社会問題がそうであるように「こういう条文があるから」「人間はこうあるべきだから」なんてのを言い訳にしたら、なにしてもいいのかっていったら、そうはいかなくて。起きてる問題についてどう考えてんの? あなたはどうすんの? と問われることから逃れる術はない。だれもがね。
そうなったら「こいつはポルノ。理解できない人には気持ち悪くてすまん!」だし「それはそれとして真似するヤツはだめ! けしからん!」だし。やらかす個人に責任を押しつけても、やらかす個人が出てくる構造自体はなんにも変わらないのだし? ポルノが、あるいはポルノだけが要因でないなら、今度はもう、社会として、集団として、あらゆる要因にアプローチするしかないし? ポルノは守る! っていうなら、ポルノ以外の要因をどうにかするほかになくない?
そういう結論になる。
私はね。
お姉さんもそうみたい。
だけど、もちろん、耳まで真っ赤にして怒る人や、心からの拒絶反応を示す人もいるだろう。表現の自由を連呼して、それだけで話を終わりにする人もいるだろうし? 逆に「気持ち悪いだけじゃなくて実害がある」と訴える人もいるだろう。
お姉さんはエキサイトした自分をなだめるべく「ちょっと熱弁振るっちゃいました」と言う。ひと目もあり、私は愛想笑いが精いっぱい。ただ、私にはまだ論理があってさ? ポルノ以外の要因には、人権教育や性教育の不足が明らかにあるよなあって考えてる。ポルノをセックスに持ち込みすぎ問題は、別に私の世代に始まったことじゃない。それどころか、お父さんとお母さんの世代よりも、ずっと前から存在していたっぽいものだ。
インドならカーマ・スートラがあるけど、その手の「性はかくあるべし」みたいなものがあって、それを真似したがったり、持ち込みたがったりするのが人の性なのでは?
で、原典ないし、みんなのわいわいする文化を残すんなら、それはあくまでフィクションで、現実に他人にやっちゃいけないっていう学習を増やすのが手っ取り早くない? って思うわけ。
教育だけじゃ足りないだろうけど。そもそも日本は教育さえびっくりするほど足りてないんだから。
ミニスカートの女の子が階段やエスカレーターをのぼっていて、パンツが見えそうなとき、それはエッチな瞬間なのではなくて、そもそも「覗かない」だよね。見ず知らずの他人のパンツは「エッチなもの」? 見ず知らずの女の子のパンツが見えたら「うれしい」のが、本当に当たり前? そのラッキースケベは、ほんとに「いいこと」なの? なんで?
好きな人の着ているもので喜ぶ、それが下着なら興奮する。それは、なんで?
一方的に見ていいもの? 合意があって初めてよしとなるもの? どっち?
いろんな問いが立つ。
表向き、それは忌避されることじゃん。
だけど、そういうのを明らかに喜ぶ人がいて、そればかりか盗撮したり、覗きこもうとする人さえ出てきているわけじゃん? 漫画だけじゃなくて。実際にいるわけじゃん。
去年の夏のコミケ、ルルコ先輩たちのコスプレに付き合って広場を見たけど、すっごい接写してるおじさんたちがいた。明らかに股間を狙っている人も多かった。
あれはありなの?
だいじょうぶな光景には思えなかったけど、じゃあ、それが成立するようにするためには、いったいどういうことが必要そう?
考えちゃう。
小学校では遠巻きに見ていて、中学では結ちゃんに振り回されていた私からすると、この手の思考を具体的に干渉にまで持ち込むのって、行事ですっごく張り切って空回っている学級委員長みたいな感じ。
でも、疑問は抱くよね。
みんながみんなそうじゃない。私たちはそれぞれに気持ち悪さを持つ。それをどういう形で表現するか。そこには残酷なくらいのマジョリティ・マイノリティが存在する。
なんで気持ち悪さになるのかって、「理解」の範疇の外にいるからじゃないかな。したくないし、する気もないし、しない。そういうところにいるから、生理的にうわってなる。この「うわっ」を気持ち悪さと称している。
フィギュアで思いだした。漫画「その着せ替え人形は恋をする」のアニメをお屋敷で見た。作者さんの前の作品をお父さんの本棚でちまちま読んでてけっこう好きだった。女の子がめちゃくちゃにかわいくて。下ネタは多めだった気がするけど。
着せ替え人形の部分、ビスクドールって読むんだよね。
主人公の五条くんは雛人形店で暮らしていて、雛人形がずっと好きなんだ。で、そんな五条くんがひょんなことから読者モデルもやってる喜多川海夢ちゃんに人形を見られて、気づけば彼女のコスプレ挑戦に付き合うことになる。
五条くんは男の子”なのに”人形が好きっていうので、みんなに揶揄されてひどく傷ついた過去があってさ。
ジェンダーにまつわるイメージとの齟齬は、まさしく「うわっ」に繋がりやすいもの。黒人やアジア人が白雪姫やリトルマーメイド、ラプンツェルなんか主演でやったのをアメリカで流してみたら、どう? 大バッシング間違いなしじゃないかな。アナ雪のエルサが黒人で、アナがアジア人だったら? クソポリコレが、みたいになるんじゃないかな? なので、人種もまさに「うわっ」の宝庫。ハワイルーツのモアナを真珠湾爆撃をした日本人がやるとなったら、すっごい騒動になりそうだし? ゴッド・ファーザーをイタリア系の役者ではなくするだけでも議論になりそうだ。
私たちの社会には、いろんな「うわっ」がある。それこそ五条くんが男の子なのに人形が好き、くらいで、心ない言葉が出てくるくらいには、様々な形で存在している。
「うわっ」を浴びせられたら、私たちはそれに従わなきゃいけないんだろうか。
もしそうなら、人種問題はいまでさえマシとは言えないのに、もっとずっと後退していたろう。性差別の問題だって、まともに声をあげられずにいた。
でもじゃあ、「うわっ」の矛先に、「うわっ」と思われるとわかっていても、それを大事にしたかったり、やめられなかったりする立場にいたなら? 私たちはいったい、どうすればいいんだろう。
私は恋愛けっこう大事にしてるつもりでいる。けど、愛が恋愛ばかりじゃないのもわかってる。世の中には恋愛に「うわっ」となる人もけっこういる。
こんな具合に、だれかにとっての「うわっ」、気持ち悪さのなにかを私も抱えて生きている。
映画になってた「ちょっと今から仕事やめてくる」とかさ。半沢直樹とかさ。「うわっ」を直接的にぶつけたり、標的にならないように他者を差し出したり、もう無法がやまほど起きている。学校や職場の虐待の標的になったとき、ナチがユダヤ人を標的にしたとき、どちらも激烈な「うわっ」からくる行動を正当化・責任転嫁・免罪して、ひたすらに攻撃してくる。
そういう攻撃が、そこかしこで起きている。実際に被害を背景にしたものも増えてきていて、その増加速度がすんごくて、対応はほんとうにむずかしい。そもそもまともに対応してきた社会じゃないから、その刺激に激烈な反応を示すことも少なからず起きている。
五条くんたちはふたりが恐れる「うわっ」を、ふたりの関係と活動を通じてケアしあいながら生きていく。そういう風に私たちもやれたらいいんだけど、実際は、むずかしい。
ハリウッド映画のなんちゃってアジア、なんちゃって日本表現はあふれていて、あれは露骨に人種や国の問題に関わるものだけど、尊重される見込みはない。オリジナル日本になっちゃうだけで、もうずっとがっかりしてしまう。選ばれる役者さんも、西洋文化におけるアジア人っぽい容姿の役者さんばかり、わざと選んでいそうな印象さえある。これは私の偏見。
パシフィック・リムは一作目がよかったぶん、二作目のオリジナル日本にはけっこうがっかりした。バイオハザードは渋谷のスクランブル交差点を出してたのになー。富士山、桜をだしときゃ日本ぽくなる、みたいなの本当に多い。だから、お屋敷で見た将軍はすごかった。これぞポリコレの真骨頂だ。政治的正しさ、政治的妥当性。人種やジェンダー、体型や信条などへの偏見や差別を含まないようにするもの。
厄介な面もある。中立性と捉える向きもあるけど、じゃあ、だれがその中立性を判断するのか。公平かつ公正に、平等に行えるのか。どれも私たちが満足に達成できちゃいないのに?
マジョリティとマイノリティの代理戦争みたいな側面もある。マジョリティの反発が猛烈すぎることもある。これまでの社会的優位に立っていた側が、今度は標的になった、と見なす向きもある。分化的な衝突の根拠になってしまうことさえある。
なにせまだ全体の理解として幼く未熟で、あっちこっち失敗したり攻撃したり責め合ったりしながら推移している。この点も、あることを前提にしておかないとわけがわからなくなる。
たとえば「差別はだめ」「みんなが不快になるならいけない」としたとき、それを判断するのはだれ? なにをどう処理する? 過去の作品の辛辣な表現まで「なかったことにする」の? それって、当時はそういう時代だったという政治的正しさ、妥当性を攻撃してない?
これが過ぎると戦争映画で血が流れなくなり、大砲が炸裂したのに身体はちぎれなくなるくらい、かえって「いまある差別」や「起きうる現実的事象」が歪められてしまうのでは? という懸念さえある。
ままならないのである。
ままならないのに、私たちは真似したがるので「ポリコレ憎し」になる人もたくさん増えていくし、「いやいや必要なポリコレもあるんだよ」と冷静に言う人もちょこっとずつ増えていく。前者のほうが声が大きく広まりやすそうな印象があるけどね。
でもって、その対象には「パンツが見えること」「ラッキースケベあり」「アニメで女の子の着替えや入浴シーンは絶対いる」みたいなのも含まれていくわけで。
たとえばバラエティで毎回だれかにビンタされる人とか、身体の特徴をいちいち罵倒される人とかもいるけど、そういうのも「なし」になっていくわけで。
まさに激動なのだ。激動による刺激は、激しい反応を引きよせるから、ますますままならない。
「ううん」
お姉さんの言うとおり、分かち合えるものしか許されないっていうなら、駆逐される文化がごまんとあるよね。実際さ。別にいまあるものに限らず、過去をさかのぼってもそう。
でもって、その対象さえ極めて不均衡に、不平等に、不公平に、不公正に選ばれる。
そんなの別に、いつだって起きている。発表される様々な作品が好まれる? んなわきゃない。学校、会社でだれもが報われる? 学びが得られる? 満足に過ごせる? んなわきゃない。
いじめの標的になることもある。それ、自分で選んでるわけないじゃん?
そういう気まずさや息苦しさが広まっているという見方をするなら? 私たちは、決して気やすく歓迎できない。いつ標的にされるか、わかったものではないから。
「まあ、あらゆる趣味において、あらゆる居場所が様々にあるもんですし? 考えようですよ」
そう言ってお姉さんがいろんな趣味と居場所を並べていく。コミティア、コミケだけじゃない。ワンフェスとか、いろんなイベントだけでもない。アーティストのライブだけでもないし、芸事の鑑賞だけでもない。
えっちな目的で集まる場所だの、大人が出会いを求める社交場の具体的な例だのも含まれていく。
「まず私たちの気持ち悪さがあって、それを解放できる場所ができたり、表現した創作物ができたりしていくんですよね。それが広がっていくし、こうして商品にもなり、流通していく。その速度と広がり、浸透具合に付随する倫理は、少年漫画のヒーローたちの台詞だけじゃ補えないだけ」
弱きを助け、強きを挫き、みんなの声をよく聞いて、みんなのぶんまで声をあげていく。
そういう戦いをするヒーロー像は、別に途絶えたわけじゃない。
そのわりには、だ。でも、当たり前だよなあ。なんで漫画やアニメだけに頼るのか。転じて、なんで漫画やアニメだけのせいになっちゃうのか。
勉強だけでも足りないし、その勉強、つまるところ人権教育や性教育が、そもそもないのだし。
頼りはあればあるだけいいのに。
その不公平感は、正直、ある。
でも、同じくらい加害が生じている問題もやまほどあるよね。
要素がいっぱいあるのが、ままならなさを助長している。
「でもね? だれかにとっては気持ち悪さでも、自分にとっては好きだったり、大事だったりするんですよ。それを私たちは、形にせずにはいられないし、できればだれかと分かち合いたいんです」
いくらか感じるところがある内容だった。
だから、私たちは真似をするのかもしれない。
だれかのなにかに触れて、それを分かち合いたくて。
どうだろね?
お姉さんは考えこむ私に構わず、かわいいっしょ、と。笑顔でディスプレイを示す。
ドールたちの棚の下段に、ジオラマセットが設置されていた。煉瓦造の壁、艶と光沢のある木製カウンターテーブルの喫茶店。オレンジ発色のランタン照明が吊るされていて、座ったら足が届きそうにない座椅子位置の高い椅子に、銀色の髪をした少女が腰掛けている。黒いクラシカルなワンピースに身を包んでいた。布地が非常に柔らかく、濡れているかのように少女の素体に張りついているように見える。白いタイツに包まれた足首と真っ赤なハイヒールが目立つ。
「やってみません? 将来への投資だ! 私がおごっちゃう!」
「いっ、いえいえ。どんな店員さんですか。押し売りにしたって、普通は買わせるでしょ」
「ええ? でも、手ぶらで帰したくないなあ。お子さんもいましたよね? たっくさん」
「うっ」
ぷちたちのことまでご存じとは!
「ハマると思うんだよなあ。ほら。リカちゃん人形とかの延長線上で」
「え、と?」
「えぇっ!? リカちゃん人形をご存じでない!? 最近ってそうなのぉ!?」
「いやあの」
知ってるし、わりといいお値段なのも心得ている。
ぷちたちを連れて行きたくない、だけど、ぷちたちは行きたがる場所はどこ?
おもちゃ屋さん! 意外とね。ただ、親戚のお姉ちゃんのこどもみたいに、いまの子たちがそうかは知らない!
「ああでも、誤飲が怖いか!」
ひとりで暴走して完結しないでほしい。
この疲労感。結ちゃんを彷彿とさせる暴走ガールぶり。
あと誤飲は本当に怖い。窒息して死んでしまう事件が起きている。だから、こども向けのおもちゃは誤飲防止の手段があれこれ講じられているし、対策が常に練られているという。すごい。ほんとにすごい。
表現って、そこまでの配慮ができるだろうか。
大人ならこれくらいは大丈夫だろうラインって、あるんだろうか。あるのなら、それはどう変動するのだろうか。どんな限界があるんだろうか。
「いいですいいです。悪いですから」
そう辞退しながらも、脳内で高城さんの言葉がよぎる。
いつどこで、どんな言動をしたかが地味に痛手になるから、いつでも気をつけてね。
そんな無茶なー! なにが正解なんだ!? この場合はーっ!
もらうのは正解じゃないだろー!
「ええ? でも必要だと思うんですよね。あなたには、人形が。特に、妙なことに巻き込まれやすい人にはね」
お姉さんは困った顔で人差し指をアゴに当てて、天井を見上げる。
どうしたらいいかなーと悩ましげだ。けど、私はそれどころじゃなかった。
「な、なんて?」
「いろんな異変に対応しているでしょ? いろんな調べ物を抱えているはず。だったら、人形の使い方くらいは心得ておいたほうがいいと思うんですよね。個人的に」
ただの店員さんじゃない。
いや。ここまで絡まれておいて、ただの店員さん扱いはもう絶対無理だけど。
やっぱりこの人、なにか怪しい。
そう思ってから、いまさらのように気づく。
私、獣憑き状態じゃないのに正体がばれたのって、この人が獣憑き状態を特殊メイクかなにかだと勘違いしたからなのでは? そのうえで、顔の作りとかで見抜かれたのでは? なんて、雑に済ませようとしていた。でも、ちがうのかも。
もっとしっかり、私を私と捉えるだけの情報を持っているのかも。
「せっかくこうして会えたのに。まあ、ずっと前から網は張っていたんですけどね」
周囲には、まだ、お客さんがいる。
そもそも店の周囲の通路を普通に人が歩いている。
こんな場所で、なんて迂闊。
いやもう迂闊を言いだしたら、絡まれた時点で相当迂闊だぞ? 私よ。
突っ込んでいる場合ではない。
「話だけでも聞いていきません?」
いや、突っ込んでいく場合だろう。
「ずっと聞いてますけども!」
「そりゃそうだ」
アゴに人差し指を当てていた手を開いて、自分のおでこをぱちんと叩く。
あちゃーと笑ってみせるお姉さんに敵意はなさそうだが、いったい何者?
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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