第二千八百九十九話
不幸中のなか、立沢理華にとっては救いもあった。
たとえば暴言を吐いたプロデューサーがだれかわかったこと。暴言を吐いた場面を遠巻きに撮影していた女性がいたこと。彼女がプロデューサーにひどい嫌がらせを受けていて、証拠集めに奔走していたこと。立ち去る自分を追いかけて、明坂の控え室まで訪ねてきてくれたこと。そして、我らが”お姉さま”こと明坂ミコが直ちに事務所として対応し、局も動いたこと。弁護士を交えた動きがあっただけではなく、局内での被害者があまりにも多すぎたこと。
言いだすときりがないが、下手人はやりすぎたのである。
名前を内富カズヒト。なんと妻帯者で娘もいる。つるんでいる芸人などに局の女性を合意もないままアテンドしたり、芸人が女性を大勢で襲う現場で楽しげに加わったりしていたそうだ。撮影したデータを保存していた、なんて話もあり、いよいよもって警察が動く運びになりそうだ。
これまでにも被害者たちは働きかけてきた。なのに、なかなか警察が動きださなかったのはなぜか。民事不介入だから? 民事の問題だと見なされてきたから? わからない。とりあえず彼には現職議員の兄がいた。内富聡。議員に連なる問題か、そうでないのか。なんであれ、警察はこの件に及び腰でいたが、それもおしまいだ。内富聡といえば死体となって見つかったという。それも内富カズヒトの命運が尽きるきっかけだったのかもしれない。他にも国末良、原沢太一、猪爪功一郎などの議員が遺体となって発見されていた。
明坂の先輩たちに付き添われてタクシーへ。手配された車の運転手も女性。帰り道の最中に春灯ちゃんからメッセージあり。確認すると、地下鉄で移動する際に妙な場所に迷い込んだという。
「ふう」
溜め息も出る。
彼女がなにかに巻き込まれだしたというのなら、それはもう、明らかに何らかの兆候だろう。だとしたら内富カズヒトの予告も、案外、馬鹿にしたものではないのかもしれない。
ただ、メッセージで報告されている”ねずみ”と”ひげ”が内富と繋がるのかどうかはわからない。ましてや製造開発者たちと繋がるかどうかも。
一方で春灯ちゃんに八尾を注いだ”お姉さまもどき”や平塚さんたちと繋がる存在とも思えない。製造開発者たちの被害者とも思えない。内富カズヒトがあまりに露悪的な人物だったから。
あいつの証言のとおり、関東事変に関与したというのなら、それはどの立場における、どのような関与なのか。まさか関東中に仕掛けを施したとでも? あり得ない。少なくとも、あの口の軽さと悪さで、それほどの大仕掛けができるタイプじゃないだろう。すぐにでも身近なだれかに秘密を打ち明けそうだ。言いたくてたまらないことは我慢ならないタイプだろう。あれは。
『食わせ者かもしれんぞ?』
彼が局内の女性だけに加害をしていたとは思えない。
たしかに指輪の示唆するように、大勢を傷つけながらも隠していた疑いがある。芋づる式にいろいろと明らかになることが期待できる、ということは転じて、それだけ多くのことに関与して、隠していた疑いもある。
もっとも、それがすべて彼に制御できていたことかといえば、疑問。なにせ口は軽く、おまけに悪い。これはと思った相手にはなにかを言わずには気が済まない。ほとんど本能のように、当たり前にせずにはいられないことのように思える。
『そういう者が隠しごとをしていたとしたら、それはいったい、どういうことか。興味がないか?』
探るのなら、ここで議論するよりも本人の前に言って愚か者の振りをしたほうが早い。あいつはなにかを言わずにはいられない性分だろうから。
けれど、私にそれをするつもりはない。覚えたばかりの魔法をいくらでもぶつけて傷つけて、二度と立ち上がれないようにしたうえで、洗いざらいすべての罪を暴き、二度と外に出てこられないくらいの刑罰をあきらかにしたうえで裁判を経て刑務所に送り届けたい。そうせずにはいられない。
”お姉さま”にも情報を伝えて、あとを委ねた。必要なら彼女がなんとかしてくれるのではないか。どうだろう。そこまで期待するべきではないのか。
『すまない。無理を言ったな。いまは休め』
目を伏せる。
撮影データは共有してもらい、”お姉さま”だけではなく春灯ちゃんたちにも伝えた。できればいまは振り返りたくない。どんなみっともない男の無茶な暴言であろうと、受け流してみせようと、傷つき摩耗することを避けられない。アドレナリンで痛みを後回しにできるような状態であるなら、いざ知らず。いまはちがう。
これまでだって、何度かあった。そのたびに傷ついて、悔いてきた。
中学時代の教師の淫行予告だの。のしかかられたときの恐怖だの。いやらしい動画の撮影だなんだに巻き込まれそうになるわ、暴行を加えられたりするわ。他にもまだまだある。
他者に関われば関わるほど、その困りごとを掘り下げれば掘り下げるほど、根幹にある加害や、過程にある加害に触れることになる。それを、悔いることなくいられるのか。いられるはずもない。
聖歌伝いに聞く春灯ちゃんの話や考えだと、加害者や被害者の体験した加害の先には、さらなる膨大が加害が潜んでいる。それらの膨大が加害は、いまの選択・行動の正当化・責任転嫁・免罪をしない。
あらゆる物語でも、日常ではそうでなくてもSNSではしばしば、正当化・責任転嫁・免罪をしたがるよりも、そうしたがる人がいるのだと糾弾する向きがある。あいつは言い訳にしている、とか。それでなんでもしていいと思うんじゃない、とか。そういう言説のほうが、よく目にする。
実際、議論の主題はそこにない。
多くの加害をいかになくすか、既にあった加害をいかに対処するか、そこでの傷つきにどのように対応していくのかの話こそ、主題だ。
加害者の人生に多くの被害があったなら、加害者の加害はもちろんのこと、加害者が受けてきた多くの加害においても同様に、これに対処していく。これから、なくしていく。傷に対応していく。いまからできるのは、それ。残念ながら、それ以外にできることが、あまりにもない。理想とか目標とかの話ではなく、現実的に行えることが存在しないことが多すぎる。
存在している膨大な加害に、どれだけアプローチできるのか。まず、むずかしい。
正当化・責任転嫁・免罪だ? それどころではないくらい、多すぎる。加害も、対応できないことも。
火災が広がっている現場で「この火は俺がつけたんじゃない」「あいつのせいだ」と揉めたり、その議論についてあれこれ言ったりするよりも、「まず火を消せ」となる。それくらい、的外れ。
内富カズヒトによる加害も多い。私は火を浴びせられた。被害者は私だけではない。多くの人が苦しめられている。暴言ひとつとっても余罪は膨大。それが強姦や暴行にまで至ると、より被害者が増える。ひとりがそれだけ加害を行ったということだし? 協働して加害していた者が大勢いる見込みである。
うんざりする。
表面上は、そんなものなどないかのように世界はある。
だけど、そこにいる人が、そう見せていないし、だれかの語りを黙らせたり、聞き流したりしているだけで、実際には火に焼かれた人が大勢いる。
きちんと真に受け、これを直視するのかどうかが問われている。
その答えが絶望的であるからこそ、今日まで内富カズヒトは難を逃れてきた。今日までに、どれだけの人が火に焼かれてきたのか。
いっそ、本当に燃やしてしまおうか。
『休め』
深呼吸をする。運転手が「到着したらお声がけしますよ」と一声かけてくれた。けれど、指輪の力でいっそ、部屋に飛んでしまえばよかったと私はただただ悔いていた。
◆
理華ちゃんに送ったメッセージに既読がつくも、返事がない。
共有された動画を見たけど、聞くに堪えない暴言を浴びせられていた。心底から参っているのかもしれない。
私は私でようやくたどり着いた事務所で高城さんと確認事項のすり合わせの打ち合わせをして疲労困憊だった。いろいろあったのに、まだ、仕事はあるみたい。ありがたいことだ。高城さんいわく、関東事変に立ち向かって救った英雄みたいな印象が広まり、それが復帰の後押しになったという。
そうはいっても私はまだ本調子になっていないので、復帰に向けた綿密な調整をしていくことに決まったそうだ。
いいニュースだけど、疲れることになるという予告でもある。
企画に関わるいろんな人を交えた会議は、私に配慮して、かなり内容がまとめられたものだった。それでも最低、二時間は拘束される。内容がまとめられているぶん、みっちりした二時間は、病み上がりの身体にはかなり堪えた。
金色雲でひとり帰る元気もなく、高城さんの車で学校まで送ってもらうことに。それじゃ遠いし面倒だろうから、自宅でいいとお願いする。それでもまあまあ時間がかかるんだけどね。
道中にそれとなく局の暴言問題に触れたら、ミコさんの事務所と提携したからか、高城さんの耳にも理華ちゃんの件が入っていたそうだ。詳細じゃなく、簡単に。でも、暴言を吐いている内富カズヒトについてははっきり知っていた。
「かなりの評判でね。人間扱いしない、されない立場が現存する業界じゃあ、それにつけ込む人間が自然に出てくるものだ。局だけの話じゃない」
専門職、たとえばカメラマンからはじまり、監督業とか、広告業とか、スポンサーとか、もうきりがないくらいの実例を高城さんは見聞きしてきたという。全員じゃない。だけど確実に、いる。
権力勾配の劣位に対する扱いがどのようなものか。
平易な表現をするなら「店員への態度はどう?」かな。
もうさ。横柄なのは、あり得ないじゃん。
だけど、じゃあ、それを権力勾配の劣位に向けて取っていたら? アウトなんだよね。
さりとて「おまえは叱るのか、あり得ない」と相手を劣位に置いて、ひどい扱いをするなら、それはそれでこじれていくばかりだ。
お互いに尊重と配慮を。それがどうにも、実現しがたい。コミュニケーションの初歩なのに。
「もの扱いや数字扱い、機械や道具のように扱うみたいなのも、当たり前になっちゃってる厄介者がけっこういるんだよ」
「だから見守りについてくれてるの?」
「その義務があるだろう?」
「さながらボディガードだね」
そんないいものじゃないよと高城さんは力なく笑う。
うまくいかなかったこと、傷つけられてしまった人を思いだしているのかもしれないし? 高城さん自身の傷をなだめているのかもしれない。
「三谷幸喜監督作品に、有頂天ホテルっていうのがあってね。十年くらいは前の映画かな」
「知ってる。役所広司さん主演のやつですよね?」
いわゆるグランドホテル形式と呼ばれる作品群の一作で、ひとつの場所を舞台に、そこにいる人物たちの人生を描いていくもの。群像劇だ。時間軸の流れに並行して、様々な人物のシーンを繋いで、巨大な事件などを表現していく。加えて、事件によってそれぞれの人生がいかに変化していくのかも描かれていく。
有頂天ホテルだと、役所広司さんが演じる副支配人がみんなに頼りにされるんだけど冴えなくて元気もなくて疲れ果てているし、歌手に憧れたホテルマンは大御所歌手に振り回されて才能ないねと言われちゃうし、もうすさまじかった。目まぐるしいんだよね。そこもグランドホテル形式の作品の、むしろ面白いところ。次から次へといろんな人の人生が作用・反作用しながら、刺激と反応を生じて変化しつづけていく。万華鏡のような楽しみが醍醐味。
人生の悩み、葛藤を良くも悪くも刺激しあう人がいなきゃ始まらない。肯定だけがあるんじゃなくて、否定があるのも大事。綺麗事があるんじゃなくて、生々しさも必要。戦いだってする。罵倒も暴力も生じることがある。
有頂天ホテルだと、明らかに売れてなくて、売り出し中にしたって「い、いまからっすか?」と言いたくなるような女性シンガーとマネージャーが出てくる。で、マネージャーに無理強いされる形で「枕、やれ。抱かれろ」って言われて、抗えずに女性シンガーはホテルの一室へ。でもいや! 無理! 帰る! って抵抗して逃げていくんだけど、転じて「枕を強要される女性」がいることをがっつり描いている。
「桜チェリーさんの話です?」
たしかYOUさんが演じていた人だ。パーマをあててるんだけど、むしろ、濡れたワカメみたいに悲惨な状態になってる、みたいな感じだった気がする。すっごく薄幸そうで、おまけに「だ、だめそう!」と思わせるビジュアルで出てくるあたりは、さすがコメディな映画!
「芸能プロの社長を唐沢寿明さんが演じていて、売り出すために枕を強要ってね」
あ。マネージャーじゃない。社長か。
よりきついな! 社長に言われたら拒絶するのがより厳しい!
「同じ三谷作品のラヂオの時間でも、けっこう切ないことがあったけど。人生から、ろくでもないことをなくすことはできない」
それも知ってる。お母さんとみたんだったかな。もっとずっと前の映画だ。
ラジオでドラマシナリオを募集。採用された主婦が感激しながら立ち会うんだけど、もうね。いろんなことが起きて、どんどんシナリオが改変されていくんだよね。こんなの聞いてない、おかしいって思った主婦に、ディレクターが言うわけ。
だれもいいもの作りたいって思ってない、みたいなことを。
これって「カメラを止めるな」でもあったね。「そこそこでいい」、「できればいい」。「名作を作ってもらいたいんじゃない」。「失敗するな」。「無難でいい」。ここでいう「無難」は「揉めるな」「みんながそこそこやれればいい」のであって、脚本を大事にするとか、それぞれのモチベを大事にするとかじゃない。尊重・配慮なんて、だれにもなににも欠片もない。
あるのは「ひとまず終わること」。「トラブルが起きない」、「起きても自分が責任を取らないで済む」ことだけ。だから「いいもの」なんて、どうでもいい。求めてない。
「世の中はそんなもんでいい、そんなもんさえままならないんだから、ですかね」
「そういう過ごし方ができる人も必要だ。けど、それがすべてでもないよね」
「たしかに」
うなずいてから、ちょっとだけ胃のあたりがぐるぐるする。
後悔でも気にしているのだろうか。
「高城さんは、世の中のやなことの意味って、あると思います? 後悔とか、後悔するような選択や行動とか」
「それこそ春灯が引用するようになった夜と霧でいったら、なぜあるのか、意味があるから存在するとか、そういう話じゃないんじゃない?」
「おぅ」
思わぬ返し。
「高城さんも読んだの? 夜と霧」
「奥さんの親戚が岩手で被災して、それで読むようになったって。聞いてはいたんだけどね。正直、最近かな」
いろいろ包み隠さないなあ。
そっか。岩手で被災といえば、それがなんのことかはあえて確認するまでもない。
「SNSは運用を事務所に任せてって言ってるのはさ。みんな、あることの是非や、いかになくすかで衝突しては、刺激的な言葉を発信しているように感じるからっていうのもあって」
都内を安全運転で走りながら、高城さんは穏やかな声で続ける。なんでか、ハンドルを握る左手の薬指にあるダイヤが自慢げに輝いて見えた。
「まず、あって。どう生きたいのか問われているとしたとき、どうしたいか、なんじゃない?」
歌も映画も、ドラマにしても、ラジオでさえも、ある程度の意図や恣意が拭えない。となれば、製作の現場においても、それが商業活動であるという前提においても、より恣意的になる。
その結果、内富カズヒトのような人が、あらゆる恣意に先鋭化した形で現れる。
「自分の思う真っ白な人生なんて、だれも生きることができない。自分もみんなも世の中も、多彩な色でできてるんだ。色だけじゃないしさ? みんな、どうしたいか選び、行う。悩んで苦しんでたり、立ち上がれなかったりする人もたくさんいる」
だから夢みたいな歌や、お腹を抱えて笑える映画があるし、それだけじゃなくて、つらくてたまらない人生に勇気が奮い立つ歌もあれば? 泣かずにはいられない、こんなことってって頭を抱えるようなドラマや映画もある。
多彩さを捉えきることなんか、人にはできない。人の作ったものでもそう。
知ったことか、と。
ならいっぱい作ればいいやんけ、と。
そんな開き直りをしたっていい。
じゃなくて、できるかぎり、こんな色をと選んで作ってもいい。
どれが正しいかとか、これは間違っているから省くべきとか、そういう話じゃない。
どうすんの? どうしたいの?
そういう話だ。
正しさのためにとか、合理や効率のためとか、別にそれもいい。そうしたいんなら。
でもなあ。その結果が内富カズヒトのような加害になるなら? 私たちは「そんなのごめんだ」から、止めるし、なんとかできる社会を望む。そういう司法などを望むよね。
虎に翼の尊属殺人のモチーフになったっぽい栃木で起きたもの。1968年のこと。属に栃木実父殺し事件や栃木実父殺害事件と呼ばれるもの。娘が十四才の折から強姦、性的虐待をした実父を、娘が殺害した事件である。
娘が殺人を行う前に、実父による数えきれない性的虐待、強姦という加害があった。
加害の前には、膨大な加害があった。なのに娘の殺人だけが裁かれるのか。娘の咎のみが問題なのか。その殺人に弁護の余地がないって、それでいいのか。
そもそも警察が、周囲が、実父による度重なる犯罪行為を止められない現状でいいのか? いいはずがないじゃないか。
正当化・責任転嫁・免罪される? そんなの、ごめんだね。
止めなきゃだめだ。守らなきゃだめだ。助けなきゃだめだ。身を守るためにはもう殺すしかないなんて、そんなに追い込まれるくらい傷つけられる人がいる状態なんか、ほったらかしにする世の中じゃあだめなんだ。当たり前だろ!
そうするの。そうしたいの。
そういう話だ。
それは、問いになる。だから作品にて扱うことがある。
銃乱射事件の加害者側、被害者側の遺族が対話する映画でも。貧困家庭で妹が売られた少年が親を訴える映画でも。戦争を扱い、飢餓と苦しみを描いた野火でもそう。
どうすんの。どうしたいの?
いろんな問いがある。そして、問いとともに行動がある。表現がある。
問うだけでいられることはない。問いかけるという行動と、それをどこでどのようにしているかという行動とがあるし? だれかに問いかけをぶつけて責めるだけで自分は安穏と生活してるだけ、みたいな超くそださな行動もある。
私に行える余地があるかぎり、それは、私に問うだけのことを許さない。
どうするの? どうしたいの?
その具体的な答えを、具体的な行動によって表現していく余地があるかぎりはね。
「まず、ある。さあ、どうする? 春灯はどうしたい?」
話はいつだって、そこから始まる。
ううん。ちがう。それだけじゃ足りない。
いつだって、どんなときだって、だれだって、そこから始めていい。仕切り直していいんだ。
「人生から、ろくでもないことをなくすことはできない。でも、いつだって、それで終わりにしなくていいんだ」
だからこそ、だれもが、それで終わりにしなくていいように、どんなに傷ついていても、力がなくなってしまっても、まともに歩けなくなったりしても、どんな病になったとしても、どれほど貧しくなったとしても、生きやすくなれる世の中がいいよ。
だれもが望めばまた、どうするのか、どうしたいのか、その方向へと向かっていける世の中がいいよ?
学んだり、働いたりしやすいほうがいいし? こどもがいるひとり親だとしても、十分に生活ができるくらい安定して稼げるほうがいいし? 無茶な働きや待遇を強要されたり、安く買いたたかれたりするのはごめんだよ。
みんなが元気になりやすくて、みんなが安心して休みやすくて、のんびりしたいときにはのんびりしていられる、そういうほうがずっといいよ。
休めるから、なにかに挑めるんだ。元気が出るから、挑みやすくなるんだ。なにより、どうしたいか、どうするのか、意欲を持ちやすくなるんだ。
悔いを悔いで終わらせずに、どうするか、どうしたいのかに繋げるには、必要なものがたくさんある。
だれもが自分でいられるよう、自分を生きれるようにするには、必要なものが数えきれないくらい、たくさん。
それって数えあげるときりがなくて、夢見すぎとか、理想すぎとか言われるかもしれない。
うっせ!
私がそれが、欲しいんじゃ!
それを望むんじゃ! 欲するんじゃ!
綺麗にやるとか、なんかそれこそ「真っ白なまま」を目指してたけど、ずれてたずれてた!
私はアホな夢を見てる。
でっかい夢がいるんだ。そうでもなきゃ、私を閉じ込めたがる私を打ち払えない。押し潰されてしまう。閉じこもりたがってしまう。
怖くてつらくてたまらない世界に挑む、でっかい夢がいる。
やまほど厄介な人たちや、うんざりするような傷とか、老いだのなんだのを浴びせられる人生で、それでも私を張れる、でっかい夢がいる。
そして、もう、それはあるんだ。
産まれて、生きているように。もうそれは、ある。
ライブの歓声を思いだしても、まだ信じられない? カナタとじっくり過ごしてみせたり、トモやキラリたちと遊んだり、いろんな挑戦をマドカたちに支えてもらったりしても、まだわからない?
ぷちたちが全力でぶつけてくれているのに、それでも感じとれない?
とっくのとうに、私の夢は、ある。
愛したいし、愛されてるよ。
そうしていいんだ。いつだって。私にだって。そうしていいんだ。
なら?
あとはもう、これからはめいっぱい表現していくターンじゃない?
ずっと! 私のターンじゃない?
とっくの昔に、みんなに伝える私のターンになってんじゃん。ね!
あのねずみおじさんやヒゲおじさんが相手でさえ、変わらないんだ。
私は私を選んでいいんだ。これまでも、これからも。
あなたも、みんなも、そう。
そのうえで、ふたり以上をコミュニケーションで探っていくところになるんじゃんか。
「元気でてきた」
頼れるマネージャー、高城さんに心からの感謝を!
私の霊力の形が見えた。前よりもっと。
終わりじゃないや。これから、もっと!
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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