第二千八百九十八話
お地蔵さんを踏みつけにする、なんてこともなく、電車内の床に着地する。程なく車両がトンネルに入った。車両を中心に挟むように、左右の壁に定期的に照明が設置されていた。おまけに車内の天井に二列の棒形照明があり、明かりに困ることはなさそうだ。停電しないかぎりは。
いや、だって。ほら。こういうのって、時折さ? 明滅しがちじゃない? ぱちぱち、ぱん、て。
でも明るいからこそ困ることもある。
座席のクッションシートからお地蔵さんが無数に生えていた。竹みたいに、にょきにょきと。車外から見たときよりも圧迫感がある。シートだけじゃなくて、シートの前にもお地蔵さんが設置されているためだ。大小様々、みっちりと。人がやっと通れる細いスペースをわずかに残すだけ。
我ながらよく、罰当たりな着地をせずに済んだものだと驚く。
けど気やすくしゃべれるような雰囲気ではない。
お地蔵さん、つまり地蔵菩薩なのだから、基本的に造形はモチーフが同じだ。とはいえ、彫り師によっては風合いが変わるのが世の常で、頭の丸み具合や面長かどうかという頭部の形状、耳たぶの度合い、法衣や錫杖の有無、手の表情などにかなりちがいがある。
昭和落語心中をきっかけにいろいろ落語を見てみると、同じ噺でも落語家さんが違うと、まるで表情のちがう内容になるのだと驚かされることに気づく。それと同じ。
どれもみなお地蔵さんであることにおいて、共通している。だけど共通項はもうひとつある。お地蔵さんの手にかぶせるように、写真が貼りつけてある。セロハンテープで。家を背景に映る家族や、アパートやマンションの扉の前に立つ男、女、カップルが。老いた人も幼い子もいる。住まいの扉を背にして。
「なにぃ?」
私の手のひらサイズの小さなお地蔵さんさえ貼りつけてある。写真じゃなくて、ゲームセンターで撮れてシールにできるやつが。お母さんが手帳に残してるやつだ。保管に気をつけないと色褪せてしまうのだそう。写真は保管がたいへんそう。
「ちょいちょいちょい」
小指サイズのお地蔵さんさえ写真が貼りつけてある。どれもこれも、みんなだ。だけど考えに浮かんだ色褪せたものが、実際にあることに気づく。よくよく屈んで一枚ずつ眺めてみると、古いものには年月日が刻印されていることに気づいた。年は二桁表示。二桁目はゼロでもイチでもなく、九。
なんと二十年も昔の写真さえあるみたい。探せば八十年代、いやもっと昔のものも見つかるかも。
「なに、これ」
「見てのとおり、お地蔵さんさ」
予期していない男の声に尻尾が爆発しそうなくらい身体が強ばった。
電車が線路を走る轟音にまぎれて気づかなかったのか。うるさいところじゃ獣耳での物音の聞き方がわからなくなる。くそ。
声のするほうに顔を向けると、作務衣に素足の男が隣の車両にいた。片手にノミ、片手に槌を持っている。ろくに切っていないのだろう髪の毛が頬や首を埋めつくさんばかりに伸びていて、おまけに櫛なんかまるで通してないんだろうからボリューム感がすごい。料理に使うおたまくらいあって、顔の輪郭がどんなかわからなくなる。ヒゲも伸び放題だ。
頭だけ妙に前に垂れていて、肩が首に寄っている。奇妙な姿勢である。
「ねずみの野郎め。狐もどきを入れやがって」
あの男のことだ。もどきとはご挨拶なのでは? いや、もどきか。
「あなたも後悔の話をしてくるタイプ?」
「いやぁ。招いた覚えのない者にべらべらしゃべるほど暇じゃないねぇ。供養にお地蔵さんをこさえるのに忙しくてさ。帰ってほしいんだわ」
「こっちは入ってきたくて、ここまできたわけじゃないんですけど」
「は?」
ヒゲおじさんの顔が強ばる。槌を持つ手が強く握り締められて、腕の筋肉が張っていく。
「ち、地下鉄に乗ろうと思って階段をおりたら、それで迷い込んだだけなんですけど?」
怯みながらも言葉を足す。
おじさんの眉間に露骨に皺が寄る。それから槌を持った手を不意に掲げた。
思わず身構えるが、彼は気にせずに後頭部を槌の先で掻きだす。
「どいつがやったんだか知らねえが、そりゃあこっちの手違いだ。それか、ねずみが招き寄せちまうくらい、あんたが後悔を抱えてんのか」
ねずみのおじさんが招き寄せる? あのおじさんにとって、後悔って、そんなに重要な要素なの?
「なんでもいい。出ていけ」
ヒゲおじさんがノミを私に向けて、槌でこんと打った。
別に大きく振ったわけでも、強く打ち据えたのでもない。なにげなく動いただけ。
なのにお腹のあたりに衝撃を感じて、ヒゲおじさんとお地蔵さんの群れが一気に遠のく。なにかに引っ張られているのか。ちがう。吹き飛ばされている。視界が急速に眩くなって、ぱっと明かりが消えた。
直後、臀部がなにかにぶつかる。そのまま背中に倒れて、尻尾を巻き込んでしまった。痛みに声をあげるよりも先に頭になにかがぶつかって、次は横っ腹。転がっていると気づく。けどもう、勢いをどうすることもできず、勢いが弱まるのを祈ることしかできない。
何回転かして、ようやく止まった。身体中が痛い。めまぐるしく変わる視界になにが見えたかなんて、まるで意識できず、状況がさっぱりわからない。
痛みを堪えながら、手をついて、身体を起こした。
薄暗がりにいる。ぼんやりとした明かりが照らしているのは、狭苦しい穴のなか。線路が通っている。そして近づく轟音。
「ひっ!」
くそ、なんてド定番!
壁に金色を注いで穴に化かして飛び込んだ。一も二もなく。確認はあと! 身体を起こすのに手間取り、痛みに喘ぐのを堪えるので身悶えしたので、まばゆい明かりと警笛に煽られながら退避する羽目になった。
「はっ、はっ、はぁ、はああ」
エジプトの壁画みたいに、ぴんと直立不動で急造穴の壁にびたっと張りつく。尻尾を内股にびったりくっつけて。汗が遅れて噴き出てきた。止まらない。震えも止まらない。呼吸を落ち着かせたいけど、無理だ。頭の中が真っ白で。
金色化け術で穴を拡張して、へたり込む。しばらく息をして、空気がめちゃくちゃ臭くてたまらないことに気づく。埃っぽくてたまらない。
スマホを出してみると、電波が届いている。圏外ではない。なんとまあ。戻ってきたらしい。
「どうせなら、地上とか、駅構内とかさあ」
思ったよりも耳に聞こえる自分の声でさえ弱々しく震えている。
もしかして走行中の電車で移動している状態から、現世にそのまま送り返されたのか。私は電車の速度で地面に叩きつけられた?
いやいや。さすがにそこまで丈夫じゃないぞ、私の身体は。だとしたら、あの車両はそこまで速度が出ていなかった、ということだろうか。地蔵が盛りだくさんだったもの。ゆっくり発進のゆっくり運行、ゆっくり減速で運用しているのかもしれない。
なにひとつとして意味がわからないけどね!
「けほっ」
埃っぽくてせきが出た。あんまり長居したくないぞ。普段、こういうところで作業している人たち真面目にリスペクト。あとできれば肺をやられない装備などの待遇と、十分な給与のもとに働いていてほしい。
口を片手で覆いながら、化け術で穴ごと線路沿いを進んで最寄り駅を目指す。獣耳が捉えた減速音は、けっこう遠くから聞こえた。それなりの距離を歩かなきゃならない。
渋々と覚悟を決めて進む。
進みながら思案する。
なんだったんだろう。あれは。
理華ちゃんが教えてくれた男と関係があるんだろうか。私に後悔って、なに。人並みの後悔ならしてきたつもりだけど、それなら私以外にも迷い込む人がいたはずだ。御霊を宿して、御霊分を足すのだとしても、やっぱり解せない。侍隊の人たちだって地下鉄くらい使うはずで、彼らが巻き込まれてないなら? 私が巻き込まれる道理もなくない?
あえて言えば、住宅街で使った術のぶんだけ、あの街の人たちの後悔をいくらか術の霊子越しに取り入れたのかもしれない。それくらいじゃないかな。百人以上はできた人形たち。つまり百人以上の後悔が、私をあの場所に導いたのだろうか。
後悔。普通、しないほうがよっぽどまし。そういう認識じゃない? 後悔イコールいやなこと。悔いたくない。
だけど、それは不可能なことだ。当たり前だけど。なぜって? 思いどおりになんてならないから。自分も、他者も、その集まりも、世界も、なにもかも。どんなに裕福になっても、どんないんちきじみた力を手に入れても、この当たり前は揺るがない。残念ながら。
思いどおりになるから、そのために生きるのではないし? 後悔しないために生きるのでもない。
まず生まれて、生きている。それが前提。
悔いることは、必要なことだ。間違いや誤りに気づいて、分析するために。よく考えるために。必要なことだ。とてもね。
だからこそ私たちは悔いる。だけど、悔いるだけじゃ足りない。悔いることをどうするかが鍵になる。転じて悔いることをいたずらに利用・消費するだけになる、なんてこともざらにある。だれも悔いることのチュートリアルなんてしてくれないし? チュートリアルがあっても、それが自分に使えるやり方か、考え方かがわからない。自分用にチューニングする必要性がだれにもあって、それがいつでもだれにでもできるとはかぎらない。
工夫しなきゃならない。不便なことに。
だから悔いることが本当にうまく扱える手段になるかっていったら? 人と、時と場合とによる。そうなると、当然、いやなままな人だってたくさん出てくる。
おまけに悔いることなんてないと言い張る人を首長に仰ぎたがる風潮さえ出てくる。でも、ちがうよね。悪いこと、間違っていたこと、失敗、問題。それを見てとって、どうするか。感じて、考えていく。
悔いることがないという人は、自分の非を認めたことがないと言っているに等しいし? 自分に改善点などないと主張して生きているに等しい。なにかをするべきなのも、なにかを改めるべきなのも、すべて、他者であり、私ではないと主張しているに等しい。
いやいや。それは嘘でしょ。ないない。
ひとつの事態を前に、だれもがどう生きるのかを表現する余地がある。なのに、その一切を他者がするべきだと論じるのに等しい。
ないない。あり得ない。
なによりもあり得ないのは、自分のストレス・ダメージは、すべて、他者がどうにかするべきだと、そう言っているのに等しい点だ。
だけど、残念ながら世界や他者はいずれも自分の思うとおりにはならない。
あらゆる福祉や支援に接続して、社会的障壁が多い人が補助や介護のもとに生活していることをあれこれ言うものではない。意思疎通の困難の度合いも種々様々あって、それを補助、支援、介助して生活していることをあれこれ言うものでもない。
そうじゃない。
非常にセンシティブな話題だけどさ。むしろマジョリティほど、社会的障壁が少ない人ほど、問われている。苦境や困難に対応できる幅を拡大し、共有して、共同体に資することを増やしていく。なによりもまずは、底上げする形で。困難に苛まれている人や状況にこそ、まず、アプローチしていく。
なぜかって、だれもがいつでも、困難に苛まれることになりかねないからだ。持つことに注力するのではなく、持たざる状態の改善にこそ注力するのは、だれもが必ず弱り、病になり、怪我をして、貧するし、死ぬからだ。極めてシンプルな理由である。
どんなに富みや力を得ても逃れることのできないものだ。そして、どんなに富や力を得ても、そうでない人が膨大にいる世界で生きざるをえないのだ。いま持たない人をいかに虐待しようとも、免れ得ない事実である。
そうしたことに目を背ける態度に繋がる。
だけど、否定できない。他者がいる。それも膨大にいる。そんな世界を、現実を、だれも否定することができない。意味がないもの。否定したって思いどおりにならない他者が、多種多様な人生が存在することは、まず生まれて生きている命を否定するくらい、無意味なものだ。
「なにを、どう悔いて、どうするのか」
そういう問いを、あのねずみの人はしたかったんだろうか。
相談がしたかったとか?
わからない。
みんなの悔いを感じろ、みたいな話?
謎。
なにかしてほしいことがあるなら、そう言ってもらわないと困る。
「表現なのか、表現を受けるってことなのか」
翻訳してほしい。あのヒゲおじさんなら、ねずみのおじさんのことがわかるんだろうか。謎だ。
表現といえば「なにかしてほしい」という気持ちの表現と、気持ちを伝える表現とがある。同じじゃないかって思われそうだけど、対象がちがう。気持ちの表現はまず、自分に行うもの。そして気持ちを伝えるのは、相手に行うものだ。
そして、その表現がうまくできないってことがある。
私たちは私たちが思うほどには自分に十分な表現ができていなかったり、相手に伝える表現がうまくできていなかったりする。それにね? 自分に行った表現を自分がちゃんと受けとれているかっていったら別だ。相手が受けとってくれるかどうかも、別。
なので自分との、そして他者とのコミュニケーションは常に修正と改善が必要になる。
転じて、ちゃんと悔いて、ちゃんと意欲をもって行わないかぎり、私たちはコミュニケーションを修正、改善していくことができない。
すると、どう?
悔いない人と、悔いて行う人と、どっちがマシかっていったらさ。どっちになる?
まあ、具体性を述べれば述べるほど意見が細分化していく形で分かれていくんだろうけども。
「後悔をどうするか、じゃんね」
するものはするんだから。あとは、じゃあ、どういう風にするのかじゃない?
めそめそするのも、うつうつするのも同じじゃないかな。
「あ」
あのお地蔵さんたちの霊子を収集しておけばよかった!
やらかしたー!
「次はちゃんとやろ」
こんな具合に学びに変えちゃうのも、手!
事前に舗装して準備完璧って思えるくらいの状態で生きれるわけじゃなし。その状態でも、やらかすときはやらかすしなあ。切っても切り離せないよね、後悔。
だから、あとはもう、後悔から自分を知り、他者を思い描き、学びにしていくほかにないしさ? そこを精いっぱいやれていたら、私たちは案外、なんとかどっこい、表現したい生き方を見つけられるんじゃないかな?
「ねずみのおじさん、ひげのおじさん」
彼らはなにをしたがっているんだろう。
あの思案地下鉄? あれは、いったいなんのための場所なのかな。
お地蔵列車は? あのお地蔵さんたちは。写真は?
疑問ばかりが浮かぶなか、それよりもいま気になっていることがある。
駅で騒ぎになれずに、しれっとホームに戻る方法ってあるんだろうか。じろじろ見られたくないなあ! 恥ずかしいし!
こんなこと悩むくらいには悟れない。そんなもんだぜ、まいうぇーい。うぇいうぇい。
いまから憂うつだ。キラリたちに連絡したら、すごく怒られそうで。あと高城さんが「いまどこ!? だいじょうぶ!?」って心配していそうで。
はあ! ままならないねえ! 人生! しょっちゅう後悔してんぜ! でも生きてんぜ? 生きるんだぜぇ。そんなもんだぜぇ?
そんな風に伝えたら、ねずみのおじさんはどうするんだろう。やっぱり巨大ねずみになって襲いかかってくるんだろうか。
それなら今度は言ってみようかな。さあ、あなたの後悔を教えろ! って。
やな声かけだな!
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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