第二千八百九十六話
千葉に行った先輩たちからの連絡を受けながら、仏頂面で通路を歩く。誘われて「楽しそうかも」「なにか役立てるかも」と思い承諾した仕事だった。立沢理華にとって、明坂ミコのいるアイドルグループの活動に参加するのは。だが腐っても仕事。手を抜いて”流して”できるほどの立場になるのはむずかしい。
呼ばれたら? 断るのはあり得ない。加わったら加わったで、まともな扱いを受けることは稀。新人なんて、あってないような存在だ。だけど求められたら最大限の仕事をすることを求められる。しかし、その最大限にはやまほどの注釈がつく。邪魔しない。出しゃばらない。空気を読む。周囲が”使える”振る舞いを見せる。この枠組みから外れるのは、容易なことではない。
応援という名目で呼ばれた握手会の手伝い、ライブのちょこっとだけの出演などでは現代の格差を目の当たりにすることも多かった。長蛇の列ができる人と、ひとりも並ばない人。メンバー楽曲で、ひとりひとりが呼びかけるときの返事の露骨な声量の差。
そう。差だ。
差と付き合うことになる。かなりの向き不向きが出る。
大名や将軍、王さまや快調みたいな扱いを受ける人がいるいっぽうで奴隷や下っ端、使いぱしりのような扱いしか受けることがない人がいる。自分よりも弱い立場の人を探せば、必ず見つかる。そういう場所だ。
下積みに何十年もかけました、みたいな人もいる。背後に問題のある団体と明らかに繋がっているだろう人もけっこういる。会社そのものがだいぶ怪しいところで働いている人もまあまあいる。全部が全部、そういうわけではないけれど、明らかに、いる。
誘惑も多い。ロリコンも多い。下半身でものを考えてるヤツも多い。
明坂の冠番組の収録、そのちょい役をこなしたのちに挨拶回りを済ませてエレベーター前に。いますぐ帰りたい。不愉快な場所だ。そう心から思うけど、仕事先だけに愛想笑いは続ける。
待っていたら隣に人が来た。ストライプ柄のワイシャツ姿で、前髪がくねりと波打っている。おでこを出した二十代後半くらいの男性だ。局の社員証をぶら下げている。軽薄そうな笑顔でエレベーターの階層表示を見ているが、ふと視線をこちらに向けた。すると大げさに目を見開き、丸くして、片手で口を押さえる。
「やっだ、うっそ、明坂の超新星ちゃんじゃない? 立沢理華ちゃん!」
低くて渋い声で愛想を売る。売って得するほど見込みがあるとは思えない、私を相手にさえ。恐れ入る。
「どこかでお会いしましたか?」
「いやいや! 画面越しに、一方的にね? 実物はもっと輝いているね!」
たぶん褒めるのも仕事のうちなんだろうけど、そのわりに語彙が貧弱に感じられてならない。
「はじめまして、立沢理華と申します」
明坂入りして叩き込まれた礼儀作法を意識して会釈してみせる。すると、それだけで男は口笛を吹いてから両手で大げさに手を叩いた。嬉しそうに喜ぶのだ。
顔に指を突きつけてきて、上下に揺らす。
「それそれ。それだよ。明坂はいつもどこでもだれにでも礼儀正しい。ガードが堅いのだけが困りものだけどね。現代の鉄の処女そのものだ」
ん? とは思う。頭の中で警報が鳴る。
でも、残念ながら、これくらいの男性がごまんといるのも世の事実。
「アイアンメイデンですか。拷問器具の」
「それよりも、あんまり使わなすぎて蜘蛛の巣はってるような女性器ってとこだね」
ん? どころではない。
あれ? ケンカ売られてる?
「ちょっと話したいんだけど、いいかな」
「すみません。タクシーを呼んであるので」
秒で返すと彼は心底から意外そうな顔をされた。
驚いている。いや。驚くのは私のほうだが? 怒らないとわからないのかもしれない。でも、怒るには場所が悪い。あまりにも悪すぎる。
「ええ? 受けたほうがいいよ。僕、プロデューサーだよ?」
わあ。わあお。
いまさらながらに帰り際、メンバーのお姉さんたちから「ひとりで帰っちゃダメだよ」「待ってて。マネージャーさん呼ぶからさ。時間? まあ、それなりにかかるけど」「あ、ちょっと」と呼びかけられたのに、無視して出てきたことを後悔している。
バケモノみたいなのがいるんだ。すごい。世の中には私の知らないことがあるのだと痛感する。
「いまマネージャーがいないので」
「きみの指輪にマネージャーがいるとしたら、それはきみのことじゃない?」
変わらぬ調子でさらりと言うものだから、ついうっかり聞き逃してしまいそうになった。内心の動揺を顔に出しながら、眉間に皺を寄せる。
「指輪にマネージャーって?」
「きみのソウルは指輪に宿っているんだろう? 左手の薬指につけ慣れた痕がある。別に彼氏がいようがリークしたりしないよ。士道誠心? 男女同室もあり。夜はお盛んなんでしょう? 青澄春灯ちゃんが会見やってたよね」
聞き流せないことしか言わないな、こいつは。
「処女売りしないんなら、もっと肌を見せて股を開かないと売れないよ? みんな、自分だけに股を開く女が見たいんだよ。綺麗で、かわいくて、隙がある。そのうえで、てめえの好みの子が欲しいんだよ。リアルがうんぬん言ってるオタクたちだって、結局はアニメや漫画の女をグラビアモデルやセクシー女優よろしく脱がせて、ポルノを作って楽しんでんでしょ? 男はそんなもんなの。わかる? だけどソウルはちがう。覗き見し放題だ。でもこれ、考えてみれば、実にいやらしい話だよね。きみは私生活のすべてを見せている。ファーストキスからセックス、オナニーの一部始終も、すべて。なのに、いまさら気にするんだね?」
真に受けないように切りかえてもなお止まらない暴言の数々に引く。
たぶん、ここでぶん殴っても通る。今後は録音機を常にオンにして歩こう。じゃないと損をする。
ここまでのバケモノは、なかなかお目にかかれないのではないか。そう思う一方で、気になることをずっとしゃべっている。
「士道誠心について、お勉強なさったようですね」
嫌味と毒を込めて返すが、男は乗ってこない。調子を一切、変えない。
「注目しているんだ。駐車場での仕掛けを、あの狐の淫乱女は楽しんでくれたかな。初手はやっぱり、彼女で始めたくてさ」
いくらでも手札を切ってくる。
なにを言っているのか。こいつは「青澄春灯がテレビ局の地下駐車場で、関東事変の始まりとなる卵出現を目にした」ことを前提に語っているのだ。そうとわかっていても、疑問に思う。
こいつはいったい、なにを言っているのか。こんな場所で。なぜ。どうして。
「いったいなにをお話したいんですか?」
「あれ? 意外と察しが悪いね。みんなからは、きみに一番注意を払うべきだと言われたのに。じゃあ、わかりやすく言うけどさ」
いちいち手札を見せないと気が済まないのか。
「悪党って、やっぱり必要だろう? 名乗りが。組織として、大々的にお披露目するなにかが。それなのに関東事変なんて、どこぞのバンドのもじりみたいな名前が僕たちの仕事につけられちゃって困ってるんだ。だから、なにかやらかそうと思って」
止まらないぞ。こいつ。正気か?
「予告、しておきたくてさ。きみに。だって、どうやらきみが一番、あの学校で知恵がまわるようだから」
顔を近づけてこようとするから後退る。そんな私を彼はうれしそうに笑って見てくる。
「パーソナルスペースってご存じですか? 知らなそうですね」
「お盛んな女子高生がメスガキぶるんだ」
「名乗ることもできないし、口を開けば失礼なことしか言えない人を大人として見なすことはできませんので。失礼します」
踵を返すと、彼の笑顔が初めて怪訝そうに歪んだ。
「普通、ここまでしたら根掘り葉掘り聞きたがるものじゃないかな。礼儀として」
答えずに先輩たちのいる部屋を目指す。
「おい。こら。ガキが! 戻れ! 礼儀がなってないぞ!」
支離滅裂な男の妄言に付き合うつもりはないし、そばにいるつもりもない。
情報として気になることをやまほど言われたとしても、真に受けて信じるような内容じゃない。気になることをこれでもかと提示してきたけれど、餌をちらつかされて涎を垂らす犬のように振る舞うつもりもない。
男は追いかけてこなかった。舌打ちをしてから「三日だ!」と叫んだ。通りすぎる人たちは、特に気にした素振りがない。何人か「うわ」という顔をするが、それっきり。大の男が叫ぶことをいやがりながらも、とりたてて関わろうとはしない。というより、普通は関わりたくないよな。
去り際に社員証をよく見ようとしたけれど、残念。ずっと裏返しで名前が見れなかった。
でも、本音をいえば「どうでもいい」。
部屋に戻ると「ちょっと、だいじょうぶ?」と先輩たちが血相を変えて歩みよってきた。ぴんとこない私を、ふたりの先輩が鏡の前に連れていく。ゆでだこみたいに顔が真っ赤になっていた。
効いてないというべきだろうか。無理だ。怒り心頭である。やはりぶん殴っておくべきだったか。しかし、どこかで「殴る価値もない小物だ」と感じていた。
『正しい見立てだ』
あなたに言われてもね。
『下らん男に心を裂くのは無駄なことだ』
けれど、どんなにくだらない相手からであろうと、言われたことに傷つくのも人ですよ。
あんなこと言わせちゃいけないし、許しちゃあいけないのだ。いつかどこかでぶっ飛ばそう。そう決意するに足りる、ふざけたヤツだった。
さっそく”お姉さま”がたに告げ口して、ちやほやされつつ、しっかりケアしてもらいながらも思案する。
あの男が何者であろうと、三日以内にろくでもないことをする仲間がいるかもしれない。そいつらは事件に関与しているかもしれない。あの関東事変に。なぜか。クローンの製造開発者たちなのか? あんなにぺらぺらと口が回る男が? 平塚さんたちが見つけられなかった、厄介者の集団の一員? まさか!
悪党を自認するところにも、どうしようもない臭さがある。
方向性がちがう愚かさと、強烈な自己顕示欲を感じた。あの男にはまだほかにもいろいろとありそうだが、どれにも興味をもちたくない。できれば二度と関わりたくない。ぶっ飛ばしたいけど、私の手を汚したくもない。あんな男のためには。
血を与える鬼の眷属たるメンバーたちが一部とはいえ、ここにいて、できるかぎりの手を尽くして調べてくれるというから、いまは任せる。任せたうえで、春灯ちゃんたちにメッセージを送る。
なんか、変なの出てきたんですけどって。一応、警告。
つづく!
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