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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百八十八話

 



 翌日、平塚さんたちと一緒に渋谷の駐車場に集まる。

 ジロウ先輩のバンで乗りつけて、四階の空きスペースに駐車してもらう。前向き駐車で後部ドアを通路に向けてもらい、そこに座った愛生先輩とみんなで円を作る。

 私に愛生先輩、平塚さんにホノカさん。リエちゃん先生、運転手のジロウ先輩とマドカ。なかなかの人数だ。みんなで顔を合わせて、うなずきあう。

 それから私が上の階に続く坂に近づく。あいつが出てくることを期待して。

 すこし待って、三分が経過して耐えきれなくなる。


「おーい。あのぉー。いるんでしょ? 知ってるんだぞ、こっちは! 出てきて!」


 呼びかけても反応がない。


「私たちがついてきたから来ないんじゃない?」

「案外、照れ屋さん?」

「顔が見たかったのだがなあ」


 マドカたちが口々に疑問や不満を口にする。ちなみに今日も平塚さんはブーメランパンツ一丁である。どういうポリシーがあるのかわからないけど、お願いだから服は着てほしい。日本には彼に合う服のサイズがあまりなさそうだけどね。

 服のサイズ展開の幅が少なすぎるよね。ファッションから体型に関する縛りを設けられて、強要されているまである。おまけに女性服は男性服のそれより物足りなかったり、問題を感じたりする点が多い。布地の厚みもだし、ポケットの数もだし、言いだしたらきりがない。


「恥ずかしがってるのー? 照れちゃったのかなー? おーい!」

「妙な言いがかりをつけるな」


 お、と驚く。バンのそばで待機しているみんなもざわつくなか、あいつは通路の先から出てきた。前に見たときとはちがう。今度は工事現場で働いていそうな作業服姿だ。社名の刺繍もなにもない。日雇い?

 平塚さんたち同級生三人組が顔を寄せて、ひそひそと囁きあう。

 知ってる? 見た顔? いやあ。

 期待した反応はなかった。三人の知り合いではないか。平塚さんのように、士道誠心と実験場を行き来していた犠牲者なのではないか。三人に近しい年齢ではないか? そう期待して来てもらったのに。

 からぶりーっ!

 まあでも、私の小学生時代の先生の身体に擬態している。ミコさんにうり二つの姿でさえ、たぶん、彼本来の姿じゃないから、現状ではまだ、三人の記憶に頼る段階じゃない。


「なんだ」

「なぞなぞよりも、もっとちゃんと話が聞きたくて」

「お前の求める役割を演じるつもりはない」


 役割ですってよ! 聞きました? 奥さん!

 だれなの、奥さん。


「あなたは私に八尾を注いで生死を危うくした。その借りがあるんじゃない?」

「結果、お前は力を得た。その力で乗り越えたことが数多くあったはずだ。たいして貸してない」

「あなたの決めた評価はあなたのものであって、私のものじゃない」

「たしかに」


 いや。そこは認めちゃうんかい。否定するんじゃないのかい。


「そもそも、あなたの名前は? 何年生まれ? 血液型は? 出身はどこ?」

「占いでもするのかな」


 答える気がないのか。シャイなのか。やっぱり言えないのか。


「吾輩は猫である。名前はまだない」

「夏目漱石? そういうジョーク?」

「ジョークとはすこしちがう。本当に、名前がない。呼ばれた名前はいくつかあるが、定着したものはひとつとしてなくてね。生年月日も、その記録がない。血液型はA型。出身も不明」


 意外。答えてくれるんだ。

 だけど答えの内容が冗談みたいだった。本気、なんだろうか。


「信じる信じないはそちらでやってくれ」


 振り返ってマドカたちを見た。頭を振られたり、肩を竦められたりする。

 もっと質問してみよう。せっかく出てきて話に付き合ってくれているんだから。

 あとね?

 意外と付き合いがいい。


「あなたは孤児なの?」

「捨てられたのか。買い取られたのか。引き取られたのか。知らない」


 親がだれか。どんな経緯で生まれたのか。一切わからないという。


「そんな素性だから、うってつけだったのだろう」


 実験材料として。

 彼、あるいは彼女はまさに、役割を強要された。選択と行動のすべてを強いられて生きてきた。

 惨い仕打ちだ。その言葉がすべて真実であるならば。だけど役割の強要、それゆえの選択・行動の強要は実にありふれたものだ。

 「**だろ、やれよ」とか。「世の中は**なんだ、だからやれよ」とかね。

 店員に横柄な客の態度、お父さんのビデオライブラリで見るドラマや映画じゃ当たり前に見かける。けど、いまとなっては嫌悪の対象。ハラスメントする人の特徴、シンボルとして扱われている。

 巷にあふれかえっている。男なら、女なら。学生だろ、バイトなんだろ? うちから仕事もらってんだろ、まだ新人だろ? 成果も出せてないやつが。あれや、これや。こどもがなにを、とか。年寄りがいい加減、とか。外人が、とかね。

 他者に自分の決めた象徴と、象徴に紐づけて自分が定めた選択・行動を押しつけて強要する。

 自分の規範やルールを強要するっていうのは、ほんとによく、ありふれている。

 車の移動時には頻繁に見かける。道路交通法とはちがう、野生の様々な実態が路上にはあふれかえっている。ユリア先輩が文句を言ったり、カナタがひやひやしたりするような、様々な実態。

 その実態の先には個々人の論理があって、自分の論理に外れた運転に過剰に反応して「車間を詰めすぎる」とか、無理で無謀で乱暴すぎる追い抜きをしたりとかする。ひどい事件もいくつか起きている。

 男女間だと、もっと普遍的。

 「ママとちがう!」「お母さんと同じにして!」系の文句を言う男は多いという。メイクさんや衣装さんたちの愚痴を聞いているかぎり、ドン引きするくらい出てくる出てくる。いろんなエピソードが。

 私自身がそうだったように「付き合うってこう!」「こういうことがしたいの!」系のプランにおける役割、それから行動と選択の強要もざらにある。好きな人と過ごすっていうのが完全にすっぽ抜けて、ただただ自分のしたい「恋愛」と、そのための役割、選択・行動だけを相手に求めるようになる。

 とてもやばい。

 医療ドラマや弁護士ドラマなどなら? 「お前は**だろ! **だけやってろよ!」系のセリフがワンシーズンのどこかで必ずといっていい頻度で出てくる。

 日本のおじさんお仕事ドラマなら? 取引先や顧客、上司、先輩などが絶対に主人公に浴びせるまである。そしておじさんたちはそれに逆らえないのである。ついでに言うと、そんなおじさんたちさえ「女ってこう」を自然に押しつける場面が多い。半沢直樹なんかもう、だって「あなたがなにをしても私ついていくわ」「あなたになにがあっても私あなたの味方だわ」「おうちのことも、こどものことも、ぜんぶ私に任せて? あなたはお仕事だけしていていいのよ」。実におじさんに都合のいい女性しか出てこない。

 どんびきぃ!

 でも、おじさんを立てて、おじさんが活躍する日本のドラマの女性は基本、そういうタイプが多い。

 そんなの言ったらフィクションのジェンダーロールほどわかりやすいものはない。別に男性向けにかぎらないけどね。男性向けなら女性を役割として当てはめたものがストレートに表現されていて、おまけに凝縮されて見えるところが露骨できついっていうのは、ある。

 こんな具合にさ?

 役割の強要、それゆえの選択・行動の強要は実にありふれたものだ。

 役割そのものは手段として必要な場面も多々あるけれど、それがいつやめてもいいし取り消してもいい合意・同意もないままに強要されたものであったり、そうするほかにない状況に追いやられたうえでのものだったなら? 話は別だ。

 実に厄介なストレス・ダメージを継続的に負わされてしまう。強要現場ではケアも治療も望めない。それどころか、まともに休息できないだろう。安全も安心も、安定さえもない。あるのは継続的にストレス・ダメージを負わされる環境、関係性、時間ばかり。押しつけられるのは適応。つまりがんばり、無茶を強いられて、耐えて、我慢させられることだけ。

 火に手を当てての適応の例え、したでしょ? あれがずーっと続くわけ。

 無理なんだよね。

 人はそんなのに耐えられるようにできてない。

 延々と傷つきつづけて、とうとう閥値を超えて深刻な疾患にかかり、倒れていく。

 当然だ。

 人は役割じゃない。

 だれかの都合に合わせて選択・行動するものじゃない。

 文句を言わない労働者なんて役割じゃないし? 親の都合に合わせて動くこどもなんて役割じゃない。相手の都合に合わせて従う役割でもない。

 そういう適応をつづけていたら?

 病んじゃうのだ。

 私たちは役割じゃないし、だれかの都合に合わせて選択・行動するものじゃないからね。

 そんな適応をつづけていたら?

 病んじゃうのだ。

 なんにも不思議な話じゃない。昔っから、ずーっとそう。

 目に見えるかどうか。見えたものをちゃんと認識してるかどうか。黙らせていないか。さらに従わせようとしていないかどうか。従わないものを排除して、排斥して、視界から追い出しているだけじゃないか。

 言いだしたらきりがないけどさ。

 昔から、ずーっと、そう。


「とうとう逃げたのが、私の小学生時代のとき?」

「正確には逃げて、いろいろあって、盟主に頼る術を思いついたあとにいろいろやって。それからようやくお前に行き着いたと言うべきだろう」


 思いのほか、いっぱいしゃべってくれるな。


「黒輪廻の盟主に頼むためのいろいろっていうのが、八尾作り。私の利用だったんだよね。具体的にはどうしたかったの?」

「春灯を強くすることで、取り入る気だったの?」


 マドカがバンのそばから問いかけてくる。

 名無しの吾輩は腕を組んで、そばの壁に背中を預けた。


「それもある。それにお前に注目が集まれば、目標が私から逸れることを期待した」


 おぅ。

 これまたえぐいことをさらっと言うな。

 小学一年生にターゲットをずらそうとしたわけでしょ?

 人でなしでしょ。


「お前の両親には既に鬼との関わりがあった。盟主と連なりのある魂だと調べもついた。だれもがお前を放っておかない。連中がお前を気にしたところで、だれもお前に手出しができないくらいに、お前はお前が知らないところで守られていた」


 自分とちがって。そんな言外のニュアンスを感じてしまう。

 ミコさんたちが守ってくれていた。それだけじゃない。おばあちゃんちで受けたお祈りとかだけでもない。美希さんたち、うちの親の仲間たちだけでもない。地獄のお姉ちゃんだけでも、きっとない。

 私は守られていた。吾輩さんは、ちがう。

 私たちの人生は、運によって、あまりにちがいすぎる。


「でも、ミコさんに見つかったあなたはまさに殺されるところだったじゃない?」

「あの鬼が手を汚してまで己を消滅させるとは考えにくい。お前をはじめ、青澄家を脅かす存在だ。調べてみれば、鬼にまつわる無視できない実験を知ることにも繋がる。それに似姿を容赦なく殺せるような人柄でもない。なんらかの形で留め置くと読んだ」


 賭けは成功したと吾輩さんは明言した。


「もっとも願わくば連中をどうにかしてもらいたかったし、狙われる状況を潰してもらいたかったんだが。そこまでは無理だったようだ」


 吾輩さんが求め、押しつけたい役割をミコさんも、黒澄さんも拒んだ。

 押しつけられてできることでもないよね。

 それにやろうとしたって、簡単な相手じゃない。実際、ミコさんでも連中の全容を掴みきれていない。


「だれも自分の救済を他者に強要することはできない」


 そう呟くと、彼はとても意外そうな顔をした。


「なに?」

「お前の内部に留めおいた意識が知るかぎり、お前はそういうときこそヒーローの出番だと考える。そう思っていた」


 偏見だ、なんて言い返せない。

 たぶん私は素直に当たり前に信じていた。

 救済が得られる。与えられる。がんばったら、努力したら、そういうもので報われるべきだ。

 苦しんでいる人や、痛くてたまらない人には絶対に救済が与えられるべきだって。

 だけど冷静に考えてみたら、それってどこまでいっても人の営みによって作られるものでしかない。だとしたら、それってすっごく地道な活動によって成り立つものになる。人の営みとしたら、失敗したり、やらかしたり、加害が生じたり、もうとんでもないことをしでかしたりする可能性さえ含める。

 依存労働などを学び、その実態に様々な役割の強制や押しつけがあったり、だけど実際にだれかがになってくれる役割に救われる実態もあり、必要とする人がいるのも事実でさ?

 自分の妄想で形作られた救済なんてない。

 それを押しつけていいものもない。

 私たちには、善意がいる。あらゆる依存、つまり社会的支援・社会的資源・関係性・環境が必要だ。

 福祉で働く人たちがお世話してくれることでようやく安心して生きられる状態もあるし? 福祉の部分が医療に変わると、もっと多くの人が実感できるだろう。あらゆる一次産業や運輸業、下請けとして存在する労働なども含めると、もっと広範にわたる。でもって、人の営みだけで完結するものじゃない。

 私たち人間はあらゆる資源を必要とする生きものだ。自然にも地球にも猛烈に依存している。

 結論。

 絵に描いた救済はない。私たちはそれを地道に、営みとして行う他にない。

 ロボットができようが、人工知能がどれだけ発達しようが、その点において変わりはない。依存するものが増えるだけだ。依存の度合いが増すだけだ。人間の本質はなにも変わらない。

 答えのない救済を他者から求められても、それに応じることのできる人間はいない。

 私たちは個別に、自分の、そして他者のストレス・ダメージから多くを学び、対応していく。共有して、共感して、具体的に調べて、なにか策はないかを探り、対処していく。対処は答えや解決を意味しない。低減や緩和が精いっぱいなことなんて、やまほどある。それさえできないことだって存在する。

 それでも生まれて、生きているからには望み、求めずにはいられない。

 ストレス・ダメージが和らぐことを。安心を。安全を。安定を。癒やしを。

 なので求めても得られない救済を横に置いて、助けを求めあうし? 助けあう。できることからやっていくし、残念ながらできることからしかやっていくことができない。だからこそ、協力して、協働する。できることがすこしでも増えるから。すこしでもマシになるから。だけど、そんな状態でさえ他者に役割を強要することはできないし、また、するべきでもない。

 そんな理想のとおりに生きられるとはかぎらないし? 私たちはついつい役割を他者に求めて、もの扱いしては強要して、怒り、責める生きものでもあるからさ?

 救済を求める。すべての答え、解決を。いままでのストレス・ダメージの帳消しを。過去の削除を。失敗をすべて成功に変える奇跡を。戻ってきてほしいすべてが戻ることを。欲と求めるもののすべてが手に入ることを。憂いがすべて消え去ることを。あらゆる快楽を。すべての苦痛の除去を。そのための救済を求める。

 でも、そんな力を持つものは、いない。

 救済は存在しない。あり得ない。

 すごーく小さな規模のことから対応していくほかにないし? それらに答えや解決があるとはかぎらない。対応していくほかに道がない。その対応は能動的でなきゃいけないとか、受動的なのは許されないとか、そういう話じゃない。

 みんな、ストレス・ダメージを通じて、その事実を痛感しては、問われる。

 さあ、どう生きる? なにを願い、求める? それをどう表現する?

 私たちにできるのは、その表現。

 学問の研究によって真理を探求したり、臨床現場で患者やクライエントと接したり、福祉現場で人と関わり依存労働を担ったり。コンビニの店員としてお客さんの対応や品物の管理をしたり。荷物を運んで物流を支えたり。そういう「なにかをなす」表現だけが、すべてじゃない。

 苦しみと共にあること。悩み考え抜くこと。今日をひとまず生きること。なにもできない一日をちゃんと過ごすこと。私たちにはできないことがあるのだと、そう示すような一日をやり遂げること。そういう「なにもしない」や「なにもできない」表現だって含まれるけど、それさえすべてじゃない。

 病に伏せったり。疾患に苛まれて一日まともに動けなかったり。社会的障壁に苛まれていたり。そういう「自分ではどうすることもできない」、そんな人生を生きることさえ含まれる。

 あらゆる苦しみ、痛み、死ぬことさえ含めた、ありとあらゆる生きることの意味を、私たちは問われている。

 救済はない。解決できない。答えもない。だけど、助けあうことはできる。話を聞くことができる。

 それはすこしも十分に思えない。苦しみ、痛みに苛まれて強い刺激に悶えて暴れずにいられないときほど、とてもじゃないけど許せなくなる。

 なのに、問われている。

 どう生きる? どんな世界を望む? それを、どう表現する?

 いろんな答えがある。いろんな正しさがあって、いろんなルールを作り、いろんな基準を設けていく。

 おかげで私たち多種多様な人の集まりは、人間だけでも無秩序で、無茶苦茶で、混乱ばかり。なにかに合わせようとすると、今度はそのなにかのなかで分かれていく。棲み分けが大事なんて言ったところで棲み分けたところで問題が起きる。そのうえで、自分か、はたまた自分たちでは引き受けたくない役割を押しつけられるものを探し始めることさえ、ざらにある。

 それが人々にとっての勇者やヒーローだった、なんて物語もけっこうあるよね。七人の侍なんか、まさにそれだったっけ。


「私たちは営みを手放せない。切り離せない。問われているし、求められている」


 そんなときに物語の嘘が薬になることもあれば、毒になることもある。

 人によって作用がちがう、なんてこともざらでさ?

 たとえば物語の嘘に救済を求め始めることだって、まあ、あるよね。中学の歴史の授業のときだったかな。曽根崎心中の話題が出て「心中がはやって死ぬカップルがいた」なんて先生が言ってた気がする。嘘でしょマジかよって印象に残ってる。調べてみないと真偽はわからない。どれくらいの影響力だったのかも、実数を見てみないとなんともいえないし? 影響の有無を調べるには日記や手紙などの文書を頼りにするほかになさそう。で、その記述が残された意味とは? なんていうのを調べなきゃだよね。

 すぐにはわからないけど。

 でも、そうだな。死は救済なんていうのも、物語の嘘だし? 非誕生優良に則った妄想なのだと私は思うんだ。

 絵に描いた救済という嘘を支えにしないと潰れてしまう人生もあったろう。それはだれにも否定できないことじゃないかな。それで足りないだらけをいまをかろうじて生きることができた、あるいはできている人生もあるんじゃないかな。それだって、やっぱりだれにも否定できないことだろう。

 ただ、でも、絵に描いた救済は実際にはない。

 私たちはプレイヤーという立場を降りることができない。舞台を下りることができない。

 たとえば右も左もわからないくらいの状態に心身がおかれて、だれかに二十四時間、毎日お世話してもらわないと生きられない状態になったときでさえ、その人はプレイヤーで、舞台の上に生きている。たしかにしっかり、生きている。

 いつかそうなりかねない私は、そう思うよ。

 だれかを責めるばかりでなにもしないプレイヤーもいるし、観客席から野次を飛ばしてゲスト気取りのプレイヤーもいる。みんな、人として生まれて、生きているかぎり、プレイヤー。

 親が虐待をしてたり、養育放棄をしてたりするなか、必死に親や家族に適応する、あるいはそうするしかなかったこどもたちも。そんなこどもに接する養育者たちも。だれもかれも、プレイヤー。

 解決できずに苦しんでて助けを求められない人も、なにかというとすぐに助けを求めることしかしないで元気なのにのんびりしてる人も、だれもかれも、みんながプレイヤー。

 だれにも自分が考える役割を、そして役割に付随する選択・行動を強要できない。みんなそれぞれ、自分を生きているからね。プレイヤーならああしろこうしろなんて、的外れ。

 だからこそ「こどもが殺されてるんだぞ!」って怒って戦争を止めに行くスーパーマンの存在に私たちは勝手に救われるし? 彼のためにできることがあるなら、やってみようって気にもなる。

 勝手だけど。

 そんなもんじゃん。私たち。

 そんなもんの私たちは身に染みてわかっている。だれにもスーパーマンを押しつけることはできない。また、するべきでもないことを。

 じゃあ自分にできるかって、できないからまごまごする。黙っちゃう。

 ほんと、足りないだらけでいやになる。

 いやになったから、表現することにしたのだ。

 私にできることを探して、求めて、やってみることにした! その選択と行動をもって、表現するのだと。


「なんでもはできないけど、私にできることで助けになるならしたいよ。私が頼れるかぎり、声をかけてもみる。ヒーローには遠く及ばないけど。救済することも私には不可能だけど。それでもよければさ」


 手を彼に差し伸べる。


「ここはひとつ、助けを求めてみませんか?」


 あなたの求める役割にはなれないし? ならない。

 私が求めるかぎり、願うかぎり、やれることをやってみようと思ってるだけ。

 それでよければ、どうぞ手を取って。

 今日はそんな提案をしにきたのだ。そのために、ひとりぼっちに会いに来た。

 果たして吾輩さんは、呼びかけたら結局でてきた。

 そして私の手を見て、立ちつくすのだ。視線をずっと外さないまま、たっぷりと時間をかけたあと、彼は私の手を取った。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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