第二千八百七十一話
お母さんかかりつけの産科に連絡。お父さんにも連絡。タオルの用意だなんだをして、佐藤さんとあねらぎさんの車に荷物を運び込んで移動する。保険証、よし。入院用のあれこれ、よし。お母さんがお父さんと既に準備していたものがある。三度目にして、この手際。すごいと思ったけど、お母さんはすんごい顔して「おおおお」と、呼吸を繰り返している。どんとこいって感じじゃない。なのに隣にいる私は痛いのかどうかもわからず、うろたえるばかり。
わたわたしている間に病院について、お母さんが入院に。頭が真っ白でおたおたしている間に仕事に区切りをつけたお父さんがやってきて「あとは任せて」と言う。佐藤さんとあねらぎさんによくよくお礼を伝えて見送ると、私にも「あとはお父さんがついているから、春灯は帰ってだいじょうぶだよ」なんて言うのだ。よくなくない!? お母さん、赤ちゃん生むんだよ!?
「おおおおお、おおお、落ち着けないよ!」
「春灯が生むんじゃないんだから」
「そりゃそうだけど!」
お父さんは本当に落ち着いている。え、そんなものなの?
待合室でおろおろしていると、名字で呼ばれた。お父さんが向かっていくのでついていく。検査を受けたお母さんがいて、お父さんと一緒に入って結果を伺う。お母さんがお医者さんにお願いして、さっと流れを聞かせてくれた。
破水してから陣痛が始まるまでには時間がかかる。どれくらいかは、わからない。陣痛が始まったら、分娩の準備。さあいけ、いくぞって流れ。
陣痛が始まらないとか、分娩に困難が生じるとか、様々なケースがあって、それぞれに対応する。
自然分娩の場合か、それとも無痛分娩をするのか。今回、お母さんは無痛分娩を選択した。そうなると、どの手段で無痛分娩をするのかという話になる。なんであれ麻酔を使用するやり方だ。
あらゆる麻酔による施術がそうであるように、施術中の痛みを感じなくなるものの、麻酔が切れたら施術患部の痛みが出てくるものなので、完全に無痛というわけにはいかない。産後にずきずき痛むようになる。ただ、それでも自然分娩よりは消耗が少ないという。
既に取り決めてあるけど、じゃあいつ始めるのかっていったら陣痛が来てからなんだって。
「赤ちゃんが子宮内部で動くと、周辺の臓器や脊髄を刺激するでしょ? 子宮口がお産に備えて徐々に広がっていくし、通り道になる膣道を無理やりにでも押し開いていく。そりゃあもう。感覚的にあれよ。ペットボトルに大きなスイカを通すみたいなもん」
「あ、青澄さん。説明は私がするんで」
三十代くらいの産科医のお姉さんが引いてる。あと、お母さん。身も蓋もない説明すぎる。
そんなに広がらないのにスイカを通すとなれば、そりゃあもう。裂けるわなんだですごいことになるよね。
「会陰の切開の必要性が生じたり、まあ、とにかく生傷が絶えないわけよ」
「青澄さん?」
「そりゃもう、麻酔なしなんて考えてみ? 死ぬぞ! おばあちゃんは自然分娩派だけどね! 母はお前に言っておく! 痛くないにこしたことはないと!」
お母さん、ド直球の訴えである。
おばあちゃんと揉めたのかな。生むのは私だがって、さらりと流してそうだけど。それでもこういう場で思わず激するくらいには、かちんときてたのかな。
「あ。お義母さんに連絡してなかったな」
「あとでいい、あとで。それより生まれるまで時間かかるし、いつになるのかなんてわからないんだからさ。春灯。あんたはぷちちゃんたちと過ごしてあげなさいよ?」
付き添うことはないと注意されてしまった。
困るぅ。え。そういうもの?
「今日は久しぶりにひとりを堪能するわ。陣痛が始まって、いよいよってときはお父さんに来てもらうから。出産が済んだら、トウヤと冬音を連れてきて。明後日以降でいい」
「ええええ」
「どうせばたばたしてんだから。ね?」
お母さんがそう呼びかけると、お父さんだけじゃなく産科医の先生も、看護師さんたちもそうだそうだとうなずく。そうだそうだと言われちゃうと、そうかそうかとうなずく他にない。
腑に落ちないながらに、改めてお母さんを見た。病衣に着替えていて、ぽっこりお腹も目立つ。そこに新しい命が宿っているのだと思うと、何度見ても実感が湧かない。お腹に手を当てさせてもらったり、耳をつけたりしてみたけど、ちっちゃい頃に抱きついたときと、なにも変わってない気がしてさ?
不思議。
お父さんはまだついているっていうけど、私だけはお母さんに追い出されるように帰らされてしまった。不服。実に不服!
でも、心配ないってことなのかな。
そういうことにしとこっかな。
「ううん」
ハロウィン迫るなか、突然の母の産気。
お札は燃えるし、そうでなくてもいろんな厄介事まみれ。
ただ、お母さんのお腹には、なにも異変は見えず。動揺してばかりだったけど、いま振り返ると、妙なものが見えなかった点については、ひとまず落ち着いてもいいかもしれない。
上野の件を調べたいし、渋谷の件も気になる。パーティーだって控えているし、親のこどもが生まれる! 兄弟姉妹がさらに増える! 忙しすぎるなあ!
それでもいまは、ひとまず帰る。
渋谷や上野で調べごとをするにしても、私ひとりじゃ限界がある。マドカたちに相談しないと。
おうちに帰り、和室の鳥居から宝島へ。そして宝島の自宅に帰る。買い込んだものをぷちたちに見つからないよう、しっかり隠していたら、すごく珍しくカナタが先んじて帰ってきた。ふたりでぷちたちを迎えにいく。話すことが多すぎて、幼稚園から帰ってきたぷちたちにお母さんのことが伝わってしまった。
赤ちゃんが生まれる。この知らせにぷちたちがぷちたちなりの理解で大いに沸き立つ。パーティーのゲネプロをして、明日は本番。みんなを盛り上げるようにして話を逸らしておく。
夜は先生たちに許可を得て、体育館の壇上を借りて、ぷちたちのお芝居を事前お披露目。通し稽古代わりだし? キラリたち、手伝ってもらってるみんなと眺める大事な機会だった。
最初、特殊効果を私が術でするつもりだったのに、ぷちたちはそれぞれに幼稚園で学んだ術を試すって聞かないし、実際に小さな火花を起こしたり、半径五十センチくらいの雨を降らす雲を出したりするくらいはできるようになっていた。
私よりもうまいし、私の知らない術をどんどん学んで帰ってくるんだから。ただただ誇らしい。それでも万が一に備えて金色は散らしておく。大道具や小道具の形にして。緊張したり、ハイテンションになったり、怖くなったりした子たちがなにかやらかしちゃってもだいじょうぶなように。
見ている私たちは「やらかしても、どんとこい」なんだけど、ぷちたちはすごく緊張していた。
理華ちゃんとの繋がりで生まれたユメは、ぷちたちのなかでも一番リラックスしていて、一番得意げで、一番自慢げだったのだけど、最初のセリフを噛んでしまう。言うなればユメは私たちからみても、ぷちたちにとっても「いちばんすごい」。あるいは「いちばんおねえちゃん」。
血の気が引いた私たちと、練習でも失敗してこなかったのにというショックに固まるユメを救ったのは、聖歌ちゃんとのつながりから生まれたヒナタだった。東京03さんのコントで、普通にセリフを噛んじゃった回をきゃっきゃとはしゃいで見ていたヒナタが、プロの芸人さんがしてみせたように、当たり前にいつもの調子で、劇の役柄の枠内でユメのフォローをするのだ。ユメのやる気をくすぐるように。
思わず言い返すユメが調子を取り戻して、アドリブ混じりにセリフに戻っていく。耳まで真っ赤になっていたけどね。そこから順調に流れていくから、見ている私たちはどっと気が抜けそうだった。ほっとした!
セリフを忘れて「あれ? なんだっけ」と言っちゃったり、立ち位置を忘れてうろうろ歩いちゃったり。花火をあげるはずが、ねずみ花火になっちゃったり。見守る私たちははらはらどきどきが止まらなかったけど、ヒナタのようなやり方がありなんだって気づいた子たちから率先して元の流れに戻していく。
私たちが思うより、よっぽど自由だ。
要所ようしょで私の出番があって、最後はみんなと歌って踊って大団円。
なんとか最後までたどり着いて、会釈をしておしまい。台本からずれまくり、演出もちぐはぐになって、いろいろととっちらかってしまったのに、私も見守る勢も涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになるくらいぷちたちはめいっぱいやった。
前祝いにごちそうを用意して大いに盛りあがり、今夜は宝島の温泉に入浴。みんなで手分けしてぷちたちの髪の毛と尻尾を洗うし、今日だけは温泉で泳ぐのも解禁。こっそりね!
一番風呂だからいいけれど、実際に大衆浴場で泳ぐののなにがだめって、日ごろどんな入浴習慣があって、身体も服も清潔にしているかわからず、皮膚疾患などを治療中かどうかもわからないからね。どんな病気をもらうのかしれない。その対策もあるから「入浴前に身体を洗う」のだし、施設の人は定期的にお掃除をするのである。おうちよりも丁寧に、そして念入りにね。そこが信用できないお店には私たちもそうそう通えないしさ。かといって、銭湯や温泉浴場だけじゃないよね、という話でもある。
ひとしきり過ごして、ぷちたちを寝かしつけて真夜中になる頃にはもう、疲れと眠気で限界だった。
お父さんからの連絡を受けたトウヤが「今日はなにもなさそうだってさ」と教えてくれた。欠伸をかみ殺して二階にあがっていく弟とすれ違って、リビングに。お姉ちゃんもコバトちゃんもとっくに私の部屋で寝ている。
カナタはソファで、こないだ見ていた映画をもう一度見直していた。先輩たちの映画をだらだら観ていたことに反省する思いがあったのか。白湯を入れて、隣に座ろうと近づいたところで、固まる。
「お? どうした。まだ寝ないのか?」
「ああぁ、ううんぅ」
視線が釘付けになる。
カナタさんの股間が、真っ赤に燃えているぅ!
「な、なんだよ。どこ見てるんだ? えっち」
「んんんんぅ」
黒いジャージのズボンを履いた股間が、明らかに、燃えている。
だけどカナタは気づいている素振りがない。気づいていたらいやまである。そういうキャラじゃないじゃん! カナタって!
だからこそ面白いまである。
え。なに。どういうドッキリなの? だれか撮影してる感じ?
いやしないだろ。股間を燃やしてみせるドッキリってなに。意味がわからないでしょ。
「カナタ、あの。燃えてない?」
「なにが? キッチン?」
「じゃなくてぇ」
「なに」
「あの。言いにくいんだけど」
「なになに。え。愛の告白? それか、今夜はありみたいな?」
「どっちかっていうと、なしかな」
だって燃えてるし。
「なんだよ」
「その。あのさ。燃えてない? カナタの身体」
「はい?」
さすがに訝しみ、カナタがソファから立ち上がって全身を見渡す。自分の九尾も身体をよじって確認してみるけど、なんにもないかのように困惑した顔を向けてくる。
だけど私の目には、明らかに、カナタの股間が燃えて見えている。
こういうのもなんだけど、たぶん先端から根元にかけて、めらめらと揺れ動いているよ? 炎が。
あれか。
上野で見たお札と同じ現象が起きているのか。
ここは宝島なのに? なんで?
私の目に理由があるのだろうか。
その結果として、カナタさんの股間が燃えて見えるように?
なにそれ! なにがしたいん? それぇ!
「燃えてないけど?」
「私の目には明らかに、カナタさんが燃えて見えてるんだよなあ」
「ええ? 闘志的なこと? あ! わかった、役者魂に? いや俺、気づいたんだよ。ぷちたちの芝居を観て、なにが大事かってことに!」
目を輝かせながら熱弁を振るうものだから、言いづらくなっちゃった!
あなたの股間が燃えて見えているんですって。
なんだよそれ! 私が欲求不満みたいじゃないか? ちがうよ! わりと満たされてるよ! なんの話だよ!
ああもう。なんて日だ?
さめざめと心で泣きながら「うん、うん、そうだねえ」と相づちを打つことに徹した。
カナタの話が落ち着くのを待ってから言おう。
すくなくとも、いますぐじゃない。
あなたの股間が燃えて見えてるんだよって言うのは、いまじゃない。
つづく!
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