第二千八百六十五話
大量の櫛たちは私の質問に答えてくれる。言語ではないけれど、十分だ。
人数の当て推量に対して多ければいまよりすこし高く、少なければ低くなってもらう形で問いかけを続けてみたら、いずれの問いにも的確に反応してくれた。
合計で133もの櫛があった。十本でひと組になってもらうようお願いして、分かれてもらう。五本二列でひと組十本。それがぜんぶで十三組、あまりは三本。間違いない。
ちょっと奇妙に感じる数。みんな、同い年だっていう。あるいは、同じ年度かな?
人数の要領で年齢を確認していく。結果、十五歳未満、十三歳以上あとわかる。
全員が日本人かと尋ねると、反応がない。ああでも、いまどき地域によっては海外からやってきた人が親というケースもないでもない。だから質問を変えてみた。みんな日本に暮らしているのかと問いかけたら、この答えはYES。修学旅行かと尋ねてみたら、やっぱりYES。
就学旅行中に、みんな亡くなってしまったのか。そう問いかけたら、櫛たちが部屋中を飛び回りながら反応を激しく見せた。これも、Y ES。
年代を確認してみる。平成か、という問いかけに櫛たちは集まって、すんと動かなくなってしまった。平成じゃない、だと!?
「昭和?」
櫛が緩やかに動き回りながら肯定を示す。
参ったぞ? 平成の二倍もある昭和が相手となると。
でも、待て。
昭和に修学旅行で全員死亡って、あんまりにも露骨すぎやしないか。そんなの、それこそニュースになるような出来事なのでは?
まず紫雲丸事故があがる。ちょっと前には韓国でセウォル号が沈没して甚大な被害を出していた。だけど、他に聞かない。どうにも聞かない。個人レベルでは、事故などで亡くなる生徒が出ている。そこから転じて責任の所在にまつわる話題は多い。学校か、教師か、あるいは船舶などか。
セウォル号においては、企業の都合で船に過積載の貨物が積み込まれていたことをはじめ、運用にかなり杜撰な点があったという。韓国の事故だと、それこそ「私は生き延びた」っていうドキュメントシリーズで取り上げていた三豊百貨店も、おんなじ構造。企業や資本家の都合で、本来とるべき対応策などが取られず、無茶なことばかりして、起きるべくして惨憺たる人災が発生する。船の沈没や衝突、建物の崩落などだ。
その観点でいくと、運輸の大動脈といえるトラック運転手や、高速バスの運転手の過酷な労働も似たような構造になっているし? こちらは日本でもたびたび悲惨な事故に繋がっている。これも十分、人災と言うべきもので、おまけにいえば労働問題でもある。
人だけじゃない。乗り物の整備がちゃんとできているかっていう話もある。飛行機はもちろん、宇宙船にもなるとネジひとつで空中で大爆発を起こすこともあるから、断じて手を抜いてはいけないものだ。
だからこそ深刻な事故などが起きたら、それは海外のものでさえ報道される。ぜんぶじゃないだろうけど、でも、セウォル号は私でも、最近じゃなく、事故が起きた当時に見て知っている事故だ。
それくらいの規模感だよ? 百名以上が同時に亡くなるなんてさ。
「ううん」
奇妙なこともある。
みんな、同い年。同じ世代。大人がいない。ひとりもいない。教師がいないだけじゃない。バスなら運転手がいないし、飛行機なら乗務員などがいない。
それってかなり妙だ。
「ばふっ」
「わっ」
後ろから鳴き声が聞こえて振り返ると、マドカ・ザ・ウルフが座っていた。天国修行時、私はぷちサイズに、マドカは大きなわんちゃんになるのである。白くてふわふわの毛並みだ。あれ、毛が変わった?
きょとんとする私の元に、マドカが歩いてくる。そしてふんすふんすと鼻を鳴らしながら、空中を浮かぶ133本もの櫛を眺めた。
今日の私の行動はちゃんと説明してあるから、マドカにはいま調べていることを要点をまとめて伝える。するとマドカは本棚のそばへと離れていって、ごろんと寝そべった。それから私の霊力をコピーして、白いもふもふお腹のまわりに金色を出して黒板に化かす。
マドカの金色が黒板の表面をなぞると、まるでチョークで書かれたように文字が記された。
『5W1Hの確認は?』
「あっ」
いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように。
その確認はまだできていない。
「みんなは渋谷に暮らしていましたか?」
櫛は反応しない。
「渋谷の学校に通っていましたか?」
YES。櫛が周囲の櫛とぶつかりながらも渦巻くように飛び回る。
「渋谷で亡くなったの?」
これもまた、YES。櫛の移動がより早く激しくなる。
そもそもがイワシの群れのようなのに、今度は捕食者たちから逃げ延びるように散っていく。渦が乱れていく。
「マドカ、そんな事件が昔あったって、知ってる? 昭和に」
お鼻をすぴすぴさせながら、マドカはアゴをぺたんと畳につけた。知らないっぽい。いちいち黒板に書く気もないくらい、さっぱりわからないみたいだ。なんだかんだわんちゃん姿もとい、マドカ曰く狼姿に慣れてきている。
「みんな同じ学校の生徒で、修学旅行中。で、渋谷の学校の生徒が渋谷で亡くなったっていうことは、出発か、あるいは帰宅か、だよね?」
「ばふっ」
マドカが軽く吠えて肯定してくれる。
でも、ツッコミどころがないわけじゃない。
「彼らの自認では渋谷でってことだけど、実際は意識を失ったときと誤認してる可能性もあるよ?」
「きゅううん」
そんなこと言われてもとばかりに鳴かれてしまった。
調べる術がない。彼らにそれを尋ねてみても、わからない。
それからいろいろ尋ねてみる。昭和が範囲ということは、1926年12月25日から1989年1月17日まで。昭和は全部で64年。
第一次世界大戦が1914年から18年にかけて、関東大震災が起きたのが大正12年、1923年のこと。第二次世界大戦が1939年から1945年。昭和は最初の世界大戦、関東大震災、そして震災時の大虐殺があったのちに突入したことになる。
満州にまつわる様々な事柄は、私たちの世代からすると、ちっともピンとこない。一方で、親戚のおじさんおばさんや、おじいさんおばあさんくらいになると、人によっては「知っている」、「親が行ってた」、あるいは「祖父母が暮らしていた」まであり得るくらいの距離感だ。
というわけで、南京での大虐殺も昭和に起きたことだ。1937年の出来事。岩波新書から出ている笠原十九司「南京事件」が入門にいいらしくて、ちびちび読んでいる。なんと、まだ百年経過していないことなんだね。これって。ちなみに同じく岩波新書から出ている吉見義明「日本軍慰安婦」も、まだ百年が経過していないこと。
ベッセルがボストンの退役軍人向けのクリニックで診察に当たった患者のなかに、ベトナム戦争で味方が一瞬のうちに殺された人の話がある。彼は復讐心に燃えて近隣の村を新たなチームで襲撃。住民を皆殺しにするのみならず、婦女は強姦した。略奪もした。赤子も殺したという。その体験をずっとずっと、ぜんぶ、漏れなく引きずっているという。
転じてこれは、日本の元軍人たちの中にも、ベッセルの患者のように痛みを抱えている人がいるかもしれない。被害だけじゃない。加害の痛みを。
戦争は人をどこまでも破壊する。紛争も同じだ。
イスラム国と呼ばれる組織が多くの人たちを虐待、拷問、殺害していた。赤子でさえ、女と見るや膣に性器を挿入したのだろう、無残にちぎれて殺されていた場面を目撃した医師や報道員がいるという。
こうしたことが、あらゆる軍、あらゆる武装組織によって行われる。
人間の残虐さに国境はない。規律のみで縛れるものでもない。ホモソーシャルや同調圧力など、あらゆる力学のもとに、そうした行為は正当化・責任転嫁・免罪され、むしろ与しないことこそが悪となり、現場で裁かれる。殺される。となれば、加わるほうが安全でさえある。
あまりにもあり得ない選択が、暴力の坩堝と化した場所では必要とされる。
かくして蛮行に歯止めはかからず、あらゆる人は、奪い、犯し、殺す。侵して、破壊していく。
激烈な暴力ばかりに依存が接続されていくから、暴力以外に安全と安心に向かうためのあらゆる術、あらゆる依存は放棄されたり、通用しないとして無視されたりするし、実際にそれ以外ないくらい混沌とした状況に陥る。
そうした大戦を、二発の原子爆弾の投下、あらゆる空襲を受けたのちに敗戦する形で終えた。そこから、シニア層が重要視していそうな「あの頃はよかった」「日本はすごい」の結晶みたいな経済成長がある。
いまでは旧がつく優生保護法は1948年に制定された。「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的」にしている。これが第一条なのだから、ぞっとする。ナチとやってることが大差ない。人間に「不良」かどうかの判断基準を設けて、「不良」なら本人の意志に関わらず優生手術と冠した不妊手術を強行した。これは人が人に「良・不良」の判定を行い、極めて差別的な目的のもとに正当性を欠いた蛮行だ。被害者のひとりが憲法違反であると訴え出て、東京高裁が訴えをどうするか、いまはまだ、結論が出ていない。ただ、未来では、「損害賠償請求は既に消滅している」としながらも、「正当化の余地のない違法な行為」であるとした。一方で、そのときは障害者差別にあたらないとした。もちろん原告は控訴。これに対して東京高裁は「立法目的自体が差別的思想に基づくもの」で、その手段は「極めて非人道的」なものとして認め、国に賠償するよう原告の訴えを認めているという。アマテラスさまのお屋敷にある書籍によればね。放送大学のテキスト「障害者の自立と制度」より。
パターナリズムによる観点で障害者などは捉えられてきた。共依存的である。つまり、支援者と被支援者がいて、支援者次第で被支援者の生活があまりにも変わりすぎてしまう点だ。
こうした実状を変えるためには、いろんなものが必要。障害者権利条約が国連で議論されて採択、成立したのが2006年12月13日のこと。でもって、日本は2007年9月に署名。2014年1月20日に批准した。ということは、昭和はカバーされてないってことだ。もっといえば批准したら、たちどころに当事者支援が十分になったかって? なってない。課題は多い。
労働者の状況も、いまとは雇用の状態がまるでちがう。中流層を増やした景気動向、経済政策は十全ではなかったにせよ、いまよりもはるかに豊かに思える。一方でハラスメントは多かったし、女性に至っては出世なんてまずない。結婚するまでの繋ぎ、お茶くみだけしていればいいっていう時代だったという。
そもそも女性に参政権が認められていなかったよね。昭和の途中から、やっとだ。政治が男だけのものじゃなくなったのは、1945年のこと。政治家になったのは、1946年4月10日のことだ。
残念ながら世界におけるジェンダーギャップ指数において、日本は下から数えたほうがよっぽど早い。先進国のなかでも最低を維持するくらい、未だに男性優位社会にある。でも、かつての時代から社会運動をしたりしている人たちの積み重ねがあって、なんとかいまという見方もできる。
フェミニズムの興りについても外せない。清水晶子「フェミニズムってなんですか?」文春新書だと、誕生前夜を十八世紀の「プレフェミニズム」、十九世紀末から現代に至るまでに特徴的な四つの波があるとしている。特別おおきな扱いをするのは「#MeToo」運動だ。だけど、それまでにもちゃんと存在していて、日本でも強く意識して活動していた人たちもいる。
女性とはなにか。「フェミニストとはこうあるべき」という縛りに注力するのではなく、決めつけるのではなく、個人の自由を尊重しようという向きだ。「私がやりたいからやっている」。可愛いも、セクシーも「私が選んだ。私の自由!」というもの。男に媚びるだなんだじゃなくね。対して、そうしたムーブメントをビジネスが利用して、商業に取り込んでいた時代もある。それが結局、男性による消費と、偏った見方を加速させているという批判もあったろう。
この書籍で性教育がまず第一に伝えるべきこととして「自分の、そして自分と性的に関わる他者の「性と生殖に関する健康と権利」を尊重することの重要性に他なりません」としている。性にしばられたり、こうあらねばならないとか、「経験すべき」「いつまでにこれくらいはしなきゃだめ」みたいなのは? なし。不安に思うことはない。自分と相手の性別がなんであろうと、不特定多数を相手にしようと、それはあくまで自分の選択の範囲。
付き合っても、結婚しても「セックスしたくないならしなくていいし、断っていい」と同時に「相手の判断を尊重して、相手がいやならやめる」。もしも「いや」という言葉が出たなら、それはプレイの一環なんかじゃなくて「断る」「直ちに中止せよ」「触れるな」「脅かすな」である。
だれもがそれを決める権利を有するし、結論を尊重するべき。それにちゃんと配慮して、お互いがいやだを伝えられるよう努める必要がある。それらができないなら? するべきじゃない。
するならするで、健康や安全に、十二分に配慮しなければならない。痛みについても同様だ。殴るなっていうのと同じで、痛みを与えるなって話。軽く扱うべきことじゃない。自分の痛みじゃないから知らないなんていうのも許されない。
こうした性教育の土台に資したのもフェミニズムだと著者は述べている。
転じて昭和にこうした考えは脆弱だった。性教育のせの字もろくにない学校がいっぱい。
ジェンダーにまつわる教育が不十分ってことは、結婚における問題も山積みってことだ。好ましい夫婦生活を過ごしている人たちの比率って、たぶん、あまり高くない。お父さんの本棚にあるおじさん向けマンガじゃあ、出世しまくるおじさんがもう、ジェームズ・ボンドばりにいろんな女性とよろしくやる。愛人、浮気などの不貞行為はわんさか盛りだくさんである。全員が、じゃない。そりゃあね? だけど、する人はいて、それをどうこうできるような教育などの依存があったかっていったら? ない、あるいは十分でない時代だった。
教育現場も十分とは言いがたくて、体罰を肯定的に捉える向きさえあった。指導のためなら正当化・責任転嫁・免罪されるというメンタリティの持ち主は、生徒をいくらでも攻撃できる。そのため、異様な事件・事故もいくつも起きている。運動部、とりわけ野球部は黒い噂が耐えない。吹奏楽部も文化部にありながら運動部のような厳しさが持ち込まれやすいとノノカに教えてもらったことがある。
日本国憲法、第十三条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」を踏まえたら、あり得ない実態だ。憲法を上回る現場規則など存在しないのにね。
平成に入りたてでも、学校現場で悲惨な事件がいくつか起きている。昭和もひどければ、平成にもかなりひどいことがやまほど起きている。人が呼び分けているだけで、実態が突然ぱっと変わるわけがないのだから当然だ。
憲法がみんなの理解に染み渡るには、百年じゃあ、まだ足りないらしい。
そうなれば、昭和はより過酷な場所もやまほどあったのではないかと想像せずにはいられない。
いられないが、さすがに、ねえ?
133人が一度になんて、ちょっとどうかしてる。
年代の特定を試みるけれど、時間がかかる。それにどうも、年代になると、みんなの反応が鈍くなる。櫛の群れはもっと他に訴えたいことがあるかのようだ。だけど、それがどうにもわからない。
マドカも「なにに乗ったか」とか「どこへ行くのか」とか、いろんな提案をしてくれて尋ねてみたけど、それもだめ。疲れてしまったんだろうか。櫛が? よくわかんないけど。
ひとまず中断して、両手で膝をさする。
「ううん!」
細かく知るのはどうも気が進まない、なんて言ってる場合じゃないから質問してみたのに、突きつけられたのは「生半可な解像度じゃだめ」「ちゃんとよく知らなきゃ見えてこない」という事実だ。
人数がわかっているのなら、現世でネットで検索すれば、なにかが見えるんじゃないかと期待することにした!
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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