第二千八百五十九話
殴りつけた相手がリノリウムの床を転げ回る。声も出せずに両手で顔を押さえて、足をばたつかせていた。それを見ていると無性に腹が立つ。距離を詰めるように前に飛んで、勢いよくつま先で腹部を蹴りつけた。
ふたたび苦悶の声をあげる。
「ちょっと、無駄に痛めつけるのもさあ」
四十平方メートルほどの広さのオフィスは、真夜中なのに明かりが入り口の扉を照らすものしか点灯していない。窓際、それも奥まったところから聞こえた低くて割れた男の声を動機に、もう一度つよく蹴り上げる。それから何度も踏みつけた。気に入っていた革靴が台無しになるだろうが、そうせずにはいられなかった。
「おいおい。もったいないだろ?」
「うるせえなあ。無敵の人きどって、包丁片手に突っ込んでくる借金野郎は、ちゃんとわからせてやらなきゃだめでしょ」
両手で汗ばむ顔を顎から撫でつけるようにして拭い、すくい取った汗で散らばる髪をオールバックにまとめる。今日は下手人のせいで余計な汗を掻いた。三十五を過ぎて、汗が乾くとひどく臭くなることを自覚して以来、汗を掻くのがいやでいやで仕方がないというのに。
両腕で頭を庇って「殺さないで」と連呼する、震える下手人のそばで屈む。
「きみさあ。なにか勘違いしてるようだけど。借金一千万で、こんなことしちゃだめだよ。失うものがないなんて啖呵きっちゃってさあ。馬鹿なの? 死んじゃうよ?」
「いやいや。お前が殺しそうだったよ?」
「うるせえなあ」
暗がりから入る茶々に一瞥もくれずに、震える男の頬を平手の裏で叩く。
「まだまだあるよ? 痛みを感じない体があるだろう? 健康だろう? 臓器もあるし、常飲している薬もないから血もあるよねえ」
「ひ、ひ、ひいっ」
「働ける元気もあるしさあ。治験のバイトもできそうだね? 身体は資本っていうけど、本当だよねえ。きみにはまだ、身体があるの。無敵なんかじゃないんだよ?」
「いやいや、その理屈で言ったら死なないかぎり無敵じゃないでしょ」
「黙ってろって」
暗がりからの茶々がいちいちやかましい。強く睨みつけてから、もう一度、震える下手人を睨む。
「きみ、人間は生き物だろう? 生き物ってことは、生んだ奴がいるの。親がね。それに義務教育ちゃんと受けてきたきみには、知り合いもいるよね? ともだちも。恋人は、ああ、それについちゃ触れないであげておくよ」
頭を庇う腕が顔にずれたので、露出した頬を叩くことにする。
「名簿。リスト。作れるね? 覚えてるかぎりでいいよ。あとはきみが足で住所だなんだを探してくれればいいさ。そんなことしたら関係性を失うかもしれない。ん? おっと、そうだ。きみにはまだ関係性が残っているね?」
「や、やめて」
「女の子みたいな声を出さないでよ。そっち系の風俗に売っちゃうよ? ああ、そうか。貞操もあったねえ! まだまだあるね? きみが失えるもの!」
「ひっ」
水音がして、ぷんと匂う。
「おいおい、脅しすぎるから漏らしちゃったじゃん」
「いいのいいの。こいつに舐めさせて掃除させるから。こんなばかなことする阿呆には、てめえのしょんべんの味くらい覚えさせておかないと」
足元でしゃくりあげるように泣き始める。頭が冷えていくが、汗は引かない。
「きみにはね。失えるものがいっぱいあるの。でもね? 勘違いしちゃいけないよ? 失えるものがあるってことは、言い換えれば、大事にできるものがあるってことだ。大事にできるものがあるほど、だれかに大事にしてもらえるほど、きみは無敵に近づくんだよ。だってのにさあ」
立ち上がり、右の踵を後方に振り上げて、一気に下ろす。泣く男の腹部めがけて。何度も。何度も。
「勘違いしちゃった!? 痛いでしょう!? 痛いよねえ! 痛まない身体に戻りたくなるだろ!? やめてほしいって思うんだろぉ!? だったらさぁ! 包丁もってカチコミになんか来ちゃいけないよねえ! 借りた金はぁ! 返さないとねぇ!」
蹴りつけるたびに呻く男がとうとう痙攣し始めたので、もう一度、片手で顔を拭う。
「当たり前にあるものを大事にしなきゃさ。だめじゃん。借金一千万、殺してチャラにしようとしてるお前をボコして、一千万稼がせてケリつけてやろうとしてる俺らのほうが、まだお前よりまともよ?」
「そうはならないでしょ」
「なるんだよぉ。殺すより痛めつけるくらいでよしとしてるんだよ? まだ優しいでしょ」
「優しい人は暴力振らないんじゃね?」
「ああもう! 黙ってろ!」
暗闇に向けて吠えると、足元の男がまた震え始めた。か細い声で「ごめんなさい」と繰り返す。咳払いをして、部屋の廊下側隅にあるロッカーから雑巾の入ったバケツを取り、男に投げつけた。
「とにかく床ぁ洗っとけ。舐めなくていいから。下も脱いで洗っとけ。しょんべんまみれなんだから。あ、逃げてもいいけど、どこにいるか大体わかってんだから、無駄な手間かけさせんなよ? わかってんでしょ」
震えたまま動かない。舌打ちをして、窓際に向かう。ひとつひとつ開けていき、風の通りをよくする。すぐ下を見れば人でごった返す道が見える。渋谷の街並みがよく見える。零時が近づいてもなお人通りがある。
先日、奇妙な怪物騒ぎで大勢が負傷して、渋谷だけでも十を超える死者が出た。抜かない刀を持つ警察官たちが初めて刀を抜く場面を見た。怪物相手に戦う姿に感じるものもある。
「いいのぉ? ほっといて。自殺したり、自己破産したりするかもよ? 借金取りなんてのは、逃げられるのを一番嫌うでしょ」
「いいんだよぉ。こんなのは趣味みたいなものなんだから。ジジイが寄越す汚え金を使って、投資してやってんの」
「ああいうおばかさんたち相手にでしょお? ろくに返ってきた試しがないじゃない」
「おかげで、ジジイがしてくる無茶な要求に応えられるんでしょうが。やれ目がほしいだの、舌がほしいだの、食べられる内臓がいるだの。カニバリズムですかぁ? かと思えば、無傷の奴をさらってこいだの。どうかしてるよ」
「それにちゃんと応えてるきみだってどうかしてるよ」
いい加減、堪忍袋の緒が切れる寸前だった。あんまり頭にきたので、声のするほうを睨みつける。腰から天井に届く寸前までの巨大な窓の高さに、人は見えない。窓から下にでもいるのかと見ても、いない。ただ、六人のデスクを見渡せる自分用のデスクの脇に、黒い毛むくじゃらの固まりが見える。そこから声がするのである。
「俺はお前に言いたいね」
「長い付きあいじゃないか」
「せいぜい長く見積もっても二年くらいだ」
「十分じゃないかな?」
毛むくじゃらのなかからくぐもった笑い声がした。
「きみの仕事を思うと、監視役として、これほどの適任はいないだろう?」
「バケモノが」
「そう嫌うなよ。何度だって手助けしてきた。逃げるやつを食べてあげたこともある」
「当時の事務所近くの監視カメラに、借金した奴がばっちり映ってて、警察ごまかすのにえらい苦労させられたけどなぁ!」
「そんなことさえもみ消せるんだ。仲間がたくさんいるんだから」
笑い声がますますひどくなり、舌打ちをした。
とても聞いていられない。
所有する金がなくなるくらいで無敵になれるんなら、いくらでもなってやる。警察から、あの抜けない刀を奪ってみせたら、この怪物を斬り殺せるのだろうか。
自分のような立場に置かれた人間がひとりだけとは到底思えなかった。ヤクザにもなれないハンパモノだった頃に「仕事が欲しくないか」と、妙に仕立てのいいスーツの男の誘いに乗って、届け物だなんだと雑用をこなしては、見合わない大金をもらっているうちに、ここまで来ていた。
手近な部下の椅子をつま先に引っかけて引きよせて腰掛ける。タバコを出してくわえて、ライターで火をつけた。思いきり煙を吸いこんでヤニで頭をくらっとさせてから、ジャケットの内ポケットにある手帳を取り出す。
開いて中身を確認すると、毛むくじゃらが「債権者の確認かい?」と問いかけてきた。そうだよとぞんざいに答えながら、ページを見る。毛むくじゃらは明かりに弱い。ビルや街灯の明かりを背にしながら、内容を睨む。
これまで依頼してきた連中の人相や声、会話の内容をできるかぎり詳細にメモしてきた。これだけは肌身離さず持ち歩くし、保管するときにしても明かりの中に置いている。
メディアで関東事変と呼ばれる、あの事件以来、依頼人からの接触が消えた。けれど、その後の予定だった報酬の入金は適切に行われていた。怪物をよこすような連中だ。関係があるのかと思ったのだが、早計だったのだろうか。
「鷲頭に殺されそうだったきみだって、助けてあげたろう?」
毛むくじゃらはどうも、今日は機嫌がいいらしい。最近にしては珍しいことだった。こいつもまた関東事変以来、いやに言葉少なく、口を開けば文句ばかりだったのだから。
「さすがにいまどき、児童ポルノや少女のイメージビデオで稼ごうなんて、ばかな奴らの金稼ぎについていったのがいけないんだよ。たしかに、ちょっと見かけないくらいかわいい子だったけど。なんて言ったっけ、あの子」
「立沢だ。立沢理華。忘れねえなあ、あの名前だけは」
放っとけばメディアでてっぺん狙えそうだと思わせるくらいには、容姿だけじゃなく、なにか惹きつけられるものを持っていた。あの少女が中学生の頃のことだ。
金を貸したくそみたいな男どもが未成年の少女たちで稼いでいた。連中の犯行に気づいた中学生の少女探偵が首を突っ込んできて、まんまと犯行のすべてを暴いてみせたのだ。もっとも単身で男たちに挑んで、あっさり返り討ちにされるんだから、思慮が足りない。足りないが、成長と学習で補える範囲だろう。
二度と会いたくもない。ただ、たまに見たくなるくらいには、見惚れるなにかがあった。
予想どおりというべきか。彼女はテレビやメディアに露出しはじめている。アイドルの研究生として。しかし、画面越しに見る彼女は常に退屈そうで、自分が目にした輝きが見られなかった。
向いてないんじゃないか?
そんな物思いを邪魔するように毛むくじゃらは饒舌だ。
「あのときは苦労したよ。ばかな連中はそれこそ半殺しになったり、漁船に乗せられたり、たっぷりわからされたあとに警察に突きだされたりしてたんだからさあ。そんななか、きみを連れ出すのはたいへんだった。覚えているかい? きみがいる場所を見つけて、きみを飲みこんで、外まで逃げたのを」
「最悪な気分だったよ」
いろんな思いを込めて語るが、皮肉は効かない。いちいち気にしてもいられない。
「身体中を押し潰されるような感覚で。二度とやるなよ」
「わかったわかった。でも、おかげで夜の闇にまぎれて、鷲頭の連中から逃げられただろ? 感謝してもらいたいよね」
「ありがとありがとぉ」
「適当だなあ!」
興が乗ってきたのか、毛むくじゃらが昔話を始める。会話だけを聞いていると、人同士によるものにしか思えない。だが実際はちがう。未だに床で震えている男も”見た”。だから怯えて動かない。
関東事変が脳裏によぎるからだろう。
だが、それは自分も同じだった。他に術もなく、うっとうしくて面倒なことも多いが話せば気が合うことだってあり、適当に流していた。流していないと気が気でなかったからでもある。しかし、いよいよ無視できなくなってきた。
あの夜、渋谷の至るところに肉の色をした奇妙な卵の集合体がでてきて、そこから不気味な小男がやまほど飛び出した。頭から角を生やしたそいつらは、手当たり次第に手近な人間に飛びついては、見上げるような大男に変貌させていく。マンガやアニメの、たちの悪い冗談のような光景だった。
この毛むくじゃらもあの奇怪な現象の一部なのではないかと思うと、穏やかではいられない。だが監視役をいたずらに排除することもできない。
言うなれば、首輪であり、罰なのだ。
灰が近づいている。手帳をしまい、部下のデスクの灰皿でタバコの灰を落とした。それからもう一度、たっぷりと吸いこむ。
依頼は不定期。だが一ヵ月まるまる期間が空いたことはない。依頼料はどんなに低くても一度で数百万がベース。金の出所なんて気にせず大金が得られることに歓喜していた昔の自分に会えるなら、半殺しじゃ済まない。どれだけ殴りつけても気が済まない。与えられたスマホに一方的にかかってくる通話か、さもなければメッセージが基本。顔を合わせることはあまりない。数少ない機会はいずれも街中を歩いているときに、道路脇に車が駐車して呼びかけられて、中に入って移動しながらになる。
ろくな死に方をしないのはもう、二十台半ばで実感した。そう思うくらいにはろくでもないことばかりしてきたし、関わってきた。それならいっそ、あの卵の小男に捕まってしまおうかとさえ思ったが、あの晩、毛むくじゃらが事務所の扉前に居座り、出ていけなかった。
振り返って窓の外を見る。四階の高さから飛び降りたら、死ぬ。死んで終わりにしてもらえるような身分じゃない。依頼者に渡してきた人の一部、あるいは人そのものが、どうなったか。
「そろそろ次の仕事の依頼がくるよ」
笑う毛むくじゃらの声を聞くと、実感する。
根元まで燃えてしまったタバコを灰皿に擦りつけて火を消してから、すっと立ち上がった。
「タバコ買ってくる」
そう言って席を立つ。まだ震えている男のスネをつま先で蹴って「いい加減、しゃんとしろ」とどやしつけておく。
エレベーターに乗り、事務所のあるビルを出て、近場のコンビニへ。トイレを借りて、便器に腰掛ける。それからスマホを出した。依頼者から渡されたものではなく、自分用のスマホだ。ロックを外して、留守番電話の画面へ。父親の名前をタップして、耳にあてる。
『コウちゃん。やあ。お父さん、ちょっと困ったことになって。すこし長い旅行に行ってくるけど、心配しないで待っていてくれ。来年、また連絡するから』
そう言って、録音の再生が終わる。
あの毛むくじゃらとまったく同じ声だ。
何度も何度も確かめた。何度も何度も実感した。
辞めたい仕事を辞められない。どう退治すればいいのかもわからない。いつだってふとした拍子に、影から出てくる。ただし、一定範囲の色濃い影を必要とする。同じ空間である必要があり、たとえばいまいるコンビニのトイレにある汚物入れの中の影や、小物入れの棚の中の影からは出てこない。壁など一枚隔てるだけで、奴が出てくる判定にならないらしい。
だから例えばいまいるトイレなら、ひとりになりたいときは背筋を正して影がないように気をつける。
命を投げ出してなんでもすればいい、なんていうのは無敵とはほど遠い。むしろ、あの毛のほうが、よほど無敵である。
長年の経験から弱さを見せると、どこまでもいいように利用されると体感している。それゆえに、あの毛むくじゃらの前では猫をかぶる。徹底的に。
だが期待が生じた。あの夜、関東中に怪物が現れたとき、刀を抜いて挑む奴らを目にして。ひょっとしたら、もしかしたら、オヤジの声を出すバケモノをどうにかできるのではないか、と。期待するほど、意識する。意識するほど、自分がいかに無理をして我慢していたのかを実感する。そして無理していた自分を実感してしまうと、負荷を強く自覚してしまう。
「くそ」
毒づいたちょうどそのとき、ノックの音がした。鍵は閉めている。せいぜい「早くしろ」くらいの意味だろう。無視して、もうすこし脱力していようとするのだが、再びのノック。
なんだよ、と顔をしかめる。
渋々立ち上がろうとするのだが、音が重なる。二重、三重に。連打される。ひとりふたりが叩いているんじゃない。四つの手でノックしても足りないくらい、激しい連打に動揺して、かかとを便器にぶつけた。思わずへたり込み、再び腰掛ける。
声を出さなくてよかった。最初にそう思った。扉が左右に揺れる。無理やり開けようとしている。なのに叩く音が止まらない。なんだ。こないだの怪物騒ぎの続きか。そう思ったとき、扉と壁や床、天井の隙間から黒い毛が大量に入り込んできて、一瞬で照明ごと覆い隠してしまった。真っ暗闇になる。いっそ声を出せたらよかった。
「やあ、遅いから会いに来たよ」
「お、お、おおお、お」
「ええ。なに? 喘いでる? ごめん、オナってた? だったらタイミングが最悪だったね。でも依頼がきたからさ。待っていられなかったんだ」
おかしい。暗闇にしか現れなかった。光を嫌っていた。どうしてこいつがここにくることができるんだ。混乱する。それでも生存本能なんて概念に縋るように、習慣をなぞる。猫をかぶり、難を逃れてきた習慣に頼る。それ以外になかった。
「眩しいのが嫌いなお前さんが、わざわざトイレに押しかけてくるほどの依頼なんて、おっかなくてやだなあ」
「安心してよ。たぶん、簡単な仕事になる」
「詐欺の常套句かな?」
「とにかく出て。依頼者が待っているよ」
いちいちトイレにまで押しかけてくるなんて、どうかしている。
毒づいてみせながら、いつもの自分を演じて調子を取り戻そうと試みる。が、鍵を開けられて、扉が勝手に開いた。開けられてしまった。
「ほらほら。出て出て。ズボンをあげるの忘れないで?」
「脱いでねえから、そもそも」
悪態をつきながら立ち上がる。真っ暗闇でなにも見えない。扉が開いたのに、暗い。
すぐに事情を飲み込めず、まばたきをする。動揺を隠せない。呼吸を意識しろ。拍数、リズム。運動。強く意識して、ただそれだけを考えながら、足を踏み出す。記憶に残る、よく使うコンビニのトイレからフロアまでの間取りを思い出しながら歩く。
暗い。あるけどあるけど、もさもさとした、妙な感触を踏む。草むらを歩かされるのと同じだ。あの毛むくじゃらで覆われているのか。床も、天井も、壁も。店内に戻っても、状況は変わらない。変わらないのに、だれも声をあげない。まるで最初から、だれもいなかったかのように。
たまに見かける女子高生のアルバイトも、最初はつたなかったのに気づけば流暢にしゃべるようになっていた浅黒いアジア系おっさんのアルバイトもいない。自分以外の客も。窓さえ完全に覆われていて、入り口の扉から差し込む渋谷の明かりだけが異質に映る。
夜遅くとはいえ眠らない街のコンビニに、だれも入ってこない。そんなことがあり得るのか。なのに入ってこないなら、いったいなにが起きている?
暗がりから明かりの差す方へ。
暇つぶしに見るドラマじゃ希望への道だ。本来なら。
けれど、もし、自分のような社会のクズにとって光があるのなら、それはなんだ? 設け話か? それとも、本来なら光のもとに生きていた連中のお迎えだろうか。なんであれ、近づきたくない。近づいたら終わる。そんな予感ばかりが膨らむ。なのに逃げる先がない。
カチコミに来たバカ野郎に教えてやりたい。何度でも。
敵がいて、命がどうにかなる時点でそいつは無敵でもなんでもない。
あいつは借金野郎で、金を貸した自分という敵がいて、社会は借金の踏み倒しを基本的には許容せず、法は借金の仕組みに対して完全に完璧に負債を抱えた者を助けきるわけではない。一定のデメリットも存在する。それのいったいなにが無敵? ばかじゃないの。ばかだからカチコミに来るのか。納得。
だめだ。この程度の遊びじゃ落ち着かない。一歩、また一歩、進むごとに扉が近づく。
開いたままの入り口に立って、光の先を見た。
◆
立沢、お疲れさまと生徒会長に労いの言葉をかけてもらって、ひとまず安堵する。
大講堂での説明は思いのほか消耗した。明坂ミコをはじめ、各校の先生や有力な生徒たち、のみならず関係者を巻き込み、気づけば侍隊だの忍びだのなんだのと全国各所の組織の有識者まで出てきて、説明と分析、議論をやまほどしたうえでの、今日の説明は、登山でいえば、まだ一合目。心を折るのに十分な負荷だった。
いまは質疑応答も済んで片づけと解散の段階。それでも壇上に来て細かく話を聞いてくる人がいる。マドカちゃんをはじめ、卒業生の真中先輩などなどだ。全員に生徒会長たちが対応していく。彼女たちは本当にタフだ。自分よりも調査や調整を試みていたのに、いまもすこしも疲れた素振りを見せることなく、明朗に語り、対応してみせている。
羨ましいけど、私には無理だ。頭痛がする。
久しぶりに進展があって、呼吸を忘れることが増えた。気づかず息が浅くなっていたのだろう。よくない悪癖だ。睡眠不足だし、頭を使ったのにカロリー摂取不足。
身体が休みを求めている。
聖歌たちが集まっている席を話の最中に見つけていた。いま見ると、クラスメイト全員が待ってくれている。手を振ってから、歩みよる、その途中だった。
「おい、渋谷で爆発騒ぎだって」
「は? 爆発? なんで」
「知るか。コンビニでガス爆発? 通りから、コンビニの入ってるビルの上まで、かなりの被害が出たってさ」
「それ、いつかのテロの続き?」
「だから知るかって」
残ってる生徒たちの噂が聞こえてきて、思わず立ち止まり、スマホで検索すると、すぐさま出てくる。各メディアのネットページはもちろん、SNS、動画配信サービスの各メディアの公式チャンネル。ショート動画SNSサービスなどなど、いろいろ探ってみるけど、どれも同じ。ネットになるとノイズが増える。だけどメディアになると未確認の情報は絞るから情報量が限定されすぎる。
「店内、店の前を歩いていた人が死傷。爆発前に店内が真っ暗に?」
ガス爆発かとメディアが横並びに報じている。火の手が上がっており、消防車が出動。警察も集まっていて、現場は騒然としているという。当然、救急も出動しているようだけど、公式チャンネルのニュース動画ではとっくにブルーシートで覆われていて、状況がよく見えない。見えても困る。爆発による人体の損壊は、想像を絶するものだ。
「おい、理華。なにしてんだよ」
「どうしたんすか?」
「ガス爆発の件が気になるのでは」
聖歌たちが歩みよってくるなか、スバルも瑠衣もぴんときていない。ワトソンくんだけだ。精度の高い推測をするのは。
「なんでもかんでも怪物騒ぎに結びつけてたら、パンクするだろ。現段階じゃあ早計じゃないか?」
私たちのなかでは比較的にひらめきが冴えることのあるスバルがこれじゃあ、他のみんながぴんとこないのも無理はないのかもしれない。だけど、気になるのだ。気にするべきだと感じる。
「納得してないって顔してるよ」
「だとしても、現場はとてもじゃないけど近づけないでしょうし、今日は寝たほうがいいっすよ。クマができてます」
「美華と私が布団に連れ込む」
「言い方いかがわしくない?」
仲間たちが賑わいながら、私の腕をがっつり組んで寮に連行し始める。こうなると抗えない。早々に白旗を振って言うとおりにすると誓ってみせるが、思考は走りだす。本当にただのガス爆発なら、店内が一定時間暗くなっていた、その理由はなんだ。店舗だけ停電? 停電したなかで、どうガス爆発に? 施設の老朽化? 電気とガスが同時に?
『疲れているな』
指輪の指摘に唸る。自分でもそう思う。
「じゃあ理華の代わりに瑠衣とスバルで調べておいてくださいよ」
「明日な」
「もう寝る時間っすよ? ないない。いまからはない」
即座に流そうとする男子ふたりを睨みつけておく。だけどだめそうだ。他に頼めそうな人といったら、もう、ひとりだけ。
「ワトソンくん、頼めますか?」
「伝手を頼ってみましょう」
「そうこなくちゃ」
何度もうなずきながら、男子ふたりを改めて睨む。ただし、今度は笑顔を添えて。
スバルがただちに舌打ちをしたし、瑠衣が不服そうな顔をした。
「お、俺だって、時雨たちに頼るくらい、しますしぃ!?」
ヤキモチかな? それなら申し訳ないけど、いまは動いてほしい。
呆れながらスバルが「お前、そういうちょろさは問題だぞ」と瑠衣を肘でつつく。詩保や姫ちゃんが「頼み方」「使おうとするなって」と私に苦言を呈する。
今回は私が悪い。悪いんだけど、申し訳ない。意図的だ。
今夜はもう限界だけど、それでも情報がいる。なんとなく、気にしておいたほうがいい気がする。
あえて理由を述べるなら、どんな術が関東中の霊子に潜んでいるのか、いまはまったくわからないのだ。実態を探るためにも、あらゆる情報が必要なのである。
それに得意な情報ないし霊子に当たりをつけることができたなら、春灯ちゃんの挑戦に役立てることができるかもしれない。彼女の調査の術がうまく構築できるほど、調査能力も、その精度もあがるかもしれない。いまは期待するほかにないのがつらいところだが、情報や環境を整えておいて損はないはずだ。
「ごめん。ありがと。みんなが頼りなんです」
頭を下げて、ただただ願う。
今夜の私はもう、休むこと以外に、なにもできそうにない。
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。




