第二千八百五十一話
ぐだぐだしていたら珍しく、本当に珍しく、結ちゃんとレンちゃんが遊びに来てくれた。ゲームの進捗はどうかね、なんて話をするつもりだったみたいだけど、本を集めて冴えない顔をした私を見るなり、ふたりとも相談に乗ってくれた。
座布団をふたりに出して、テーブルを囲む。おばちゃんおイヌさまがふたりの分の蜜柑まんじゅうとお茶を持ってきてくれたのだ。なので、おまんじゅうをつつきながら、私の金色本や、金色フィギュアなどによる状況再現をして、今日なにがあったのかを伝えた。再現を見終わると、レンちゃんが口を開いた。
「待った」
「ふぐ」
すかさず結ちゃんが手のひらを押しつけて黙らせた。むごい。
「レンはたまに言葉が強いから、私が言うけど」
「ふ、んんっ」
隙間なくみっちり閉じた手のひらがレンちゃんの鼻からアゴまでを的確に覆う。息ができないレベルの密封具合にたまらずレンちゃんが結ちゃんの手を三回叩いた。タップだ。タップしている!
「いやほんと。きつすぎるんだよ、レンは」
「あ、あのう」
「春灯は黙ってて。いい? こないだなんて、病院に来た狸のおじいちゃんがあんまり口が悪いからってレンがこてんぱんに言い負かしてさ」
こてんぱんて。
「あんまりきつく言うもんだから、おじいちゃん、しまいには目に涙を浮かべてたよ?」
「んーっ! んーっ!」
ばしばしばし、と容赦なくレンちゃんが結ちゃんを叩く。けれど結ちゃんは取り合わない。
「すっかり落ち込んじゃって。そりゃあ口が悪くて困ったおじいちゃんだけど、だからってなんでもしていいわけじゃないでしょ?」
「結ちゃん、レンちゃんが死んじゃう! 手っ、手を離してあげて! 息できないよ!」
「え? ああ!」
やっとレンちゃんがなにを訴えていたのか気づいて、結ちゃんがあわてて手を離した。
「ぶはっ! 殺す気か!」
血相を変えて呼吸するレンちゃんに「ごめん」と急いで謝っている。そう。結ちゃんには、こういう危なっかしいところが常にある! 中学時代の私は、いまのレンちゃんのようにいろんな目にあったものだった。思い出すと身震いするよ。しかも当時の私は結ちゃんにあれこれ言う勇気がなかった。当時の私はいろいろとこじらせていたので、芝居がかったしゃべりをしては「それってどういう意味なの?」「どういう感じ?」「いつ使うのがいいの?」「じゃあ今度から私も言うね!」という、当時の私をビビらせるコンボを立て続けにお見舞いしてきたのだ。苦手だったぁ!
あ。私の対応ベタももちろん問題である。レンちゃんくらい素直に言えたらなあと思う。口を塞がれたら無理だけど!
「病院の大勢を困らせてたでしょ、あのおじいちゃんは。暴言もセクハラも多かったし」
「泣かせなくてもよくない? ああいうのたまにいるし」
「結も看護師さんたちもみんな、悪い意味で慣れちゃってるって。よくないよ。ああいうのは一度、バシッと言うべき」
「でもなあ。そうとうひどかったよ? レンの言いよう」
「そ、そこはちょっと反省してるけど。じゃなくて。そういう言い方、こいつ相手にしないし! ともだちだけに!」
「あ、そうなの? じゃあどうぞ」
「んんっ」
あっけらかんと流されたのがカチンときたのか、レンちゃんが結ちゃんにメンチを切る。
じゃあどうぞって、そんな簡単に済むなら口を手で塞ぐことなくない? っていうか、そういうことするなら息ができるようにしてもらえない? コントかよ! という呟きを恨みがましく聞こえるようにしてから、レンちゃんは盛大に咳払いをした。
なんだかたいへんそうだ。これで仲が良いっていうんだから、すごい。世の中のことをろくに知らないなあと実感する。
「霊子の記録に人を重ねて見てるでしょ」
「う、うん」
「それはいいと思う。だとしたら、膨大な霊子の渦は、大勢の人ってことになる。だよね?」
「うん」
レンちゃんは結ちゃんにファイティングポーズを取りながら、私に確認を重ねる。いつまた口を塞がれるのかを警戒している。対する結ちゃんはというと、レンちゃんのおまんじゅうのお皿をちらちら見ていた。ひとりにふたつのおまんじゅうを運んできてくれたし、結ちゃんはすでにふたつとも平らげている。だけどレンちゃんはまだ、ひとつしか食べていないのだ。
結ちゃんの視線の先に気づいて、レンちゃんはお皿を取り、お尻の後ろに置いて隠してしまった。
取るんだ。結ちゃん。一度や二度じゃ、そんな対応しないでしょ。
「しかも大勢の人たちは深刻な痛みを抱えて苦しんでいる可能性が高いんでしょう?」
「そう、なるね」
「彼らから見たら、春灯は拡声器で、はいどうぞー、なにか表現してくださーいって言ってる人なわけだ」
「まあ、そうかも?」
「拡声器の部分は余計じゃない?」
そっと膝立ちになって、レンちゃんの後ろを覗きこむ結ちゃん。そんなにおまんじゅうがおいしかったのか。おばちゃんにお願いしたらどうなんだ。
「おかわりありますかって聞いてきたら?」
「うん、でもレンがまだ残してるから。いらないのかなって」
「食べますからぁ! レンがぁ! 自分でぇ! 口が小さいんですぅ! ゆっくり楽しむ派なんですぅ!」
「ちっ」
けちと呟いて、結ちゃんが立ち上がる。そのまま台所へと歩いていった。
「あんなに食いしん坊だったっけ?」
「結は御霊たちが大食漢だから、それに引きずられてよく食べるの。だけど仕事柄、体型維持は絶対だから我慢しなきゃいけない。そのぶん、天国修行のときは、現世の体重に影響しないっていって、食欲を解放してるの」
「ああ」
食い意地がすごいことになっちゃってるのは、ダイエットの反動でもあるのか。つらいなあ。だけど結ちゃんがレンちゃんにどうなのって言ったように、ダイエットしなきゃいけないからって人の食べ物を取っていいことにはならないと思うの。
なんて、野暮か。
「結もレンもたいして人気のないとこでふわふわしてるだけだから、そうそういじられないけど。結はこないだ出たテレビで顔が丸くなった? とか、腰回り増えた? とか、なんか書き込まれたみたいで」
「おおぅ」
よりにもよって。うっとうしいコメントのなかでも体型に触れてくるやつとは。
「イライラして食欲が増してるのと、メンバーのほとんどがガリッガリなのとで、もう落ち着かないわけ」
「あああ」
そりゃあ、もう、いらいらしたり、心穏やかでいられなくなったりするよなあ。
見なきゃいいじゃあ、見たことを消せないし? それによる痛みもなくならないからね。
でもって実際、明坂の人たちみんな、キラリも含めてだけどウエストが異様に細い。胸骨まわりが浮いて見えそうな人さえいる。もっと食べて! ほんとに! って思う人さえ、普通にいるなかに混じると? 普通体型さえ目立って見える。
ルッキズムと批判するのはたやすいけど、業界全体が不健康な身体を是とするなかでは、それに合わせる合わせないさておき、不健康な細さが基準になる。されちゃう。
「おまけに結はお腹いっぱいにならないと不機嫌になるから」
「そ、そうなんだ」
そこまで結ちゃんのことを把握しているレンちゃん、なかなかすごい。私はそこまで知らなかったよ! 知ろうとすることさえ、まともに知らなかったくらいだもの。
「話を戻すけど、あなたが思い描けるかぎりのパターンの痛みに苦しんでいる人って、どうすると思う?」
「え? ううん」
レンちゃんの問いに、ふたりが来る前に考えていたことを振り返りながら答える。病院に行ける人もいれば、行けない人もいる。福祉や支援に繋がろうとする人もいれば、まったく行動できない人もいる。でもって繋がれるかどうかは、窓口などにもかなり依存するし? 医者、専門家に繋がったら、みんなが続けていけるかっていったら、そんなこともない。
お父さんは歯医者通いを何度か挫折している。水虫治療にも。トウヤは小学校時代にサッカーやバスケに熱中していた時期もあるけど、手ひどく捻挫をしたとき、病院をしばしば嫌がっていた。
NHKの性加害に遭った生存者を取材した番組で、クリニックや病院のそばに行くことができても、中に入れないで帰ってきてしまう人がいた。そばに男性がいたり、通りすぎた男性があんまり恐ろしくて身が竦んでしまったりしていたのだ。
氷河期、引きこもり、五十八十問題などで出てくる社会生活が困難な人たちも、生活保護を申請に行ったのに窓口の対応があり得なくて中傷されてしまった人たちも、みんなそう。
行けるとはかぎらないし、繋がれるとはかぎらないし、維持できるとはかぎらない。
「じゃあ、逆に聞くけどさ。春灯は、病院や役所、いろんなNPOとかがあることについてはどう思うの?」
「え?」
思わぬ問いに固まる。
「たしかにうまくいかない、続かない、繋がれない人がいる。でも、まず、うまくいく人、続く人、繋がれる人もいるわけじゃない?」
「ま、まあ、うん」
「そういう人たちがいるかぎり、必要だって思わない?」
「そりゃあ、思う、よ?」
いろんな仕組みがあればあるほどいい。窓口の対応をはじめ、もろもろ、充実していればいるほどいい。よね?
「そう。充実していればいるほどいい。依存がたっぷりあるほどいいって、そこまではいいの。問題は次だよ」
「次って?」
「霊力の強い春灯が術を通じて、大勢の人たちに働きかける。それはさながら、拡声器を手に誘導するようなもの。お願いするような感じ」
結ちゃんの指摘を受けての捕捉なのか、改めてレンちゃんは私の働きかけを言い換えて繰り返した。
「だけど本来、病院や福祉、支援の窓口、その活動や団体、環境や組織なんかがあればあるほどいい。足りないなら、足りないものを足すのが、ひとつの手段でしょ?」
「う、うん」
「春灯が拡声器で呼びかけるよりも、大勢の人たちが行きたくなるような、助けてもらえると思えるような、そういう依存が必要なんだよ」
それが具体的にどういう術かはわからないけど、とレンちゃんは付け足した。
「でも仮に人で例えたら、どう? 人がひとりで呼びかけてくるよりも、行ったらどうにかなりそうな病院があるっていうのが大事じゃない?」
「たしかに」
うん? 待って?
「なんだかすごく当たり前のことを話してくれてる?」
「気づいてないんだから、そりゃあ、話すでしょ」
「おぅ」
そりゃそうか。
「術で干渉して、反応を得られることがわかった。そして対象は傷ついた人たちと、彼らの抱える痛みを表現してもらえることもわかった。だったら、次は?」
「病院とかに該当するような、痛みを安心して治療できるような、そういう術を用意して、お迎えする、とか?」
「それがいいんじゃない? たぶん、時間がかかるよ。全員を相手にしようとするのもわかる。大事な目的だと思うけど、レンなら、まず、必要な依存を作って提供するところから考える」
「おおおお!」
霊子の渦が穏当に反応してくれて、表現してもらえるような、そういう術に組み立てる。そのために必要な、病院とか、福祉とか、そういうものに該当する術がいる。
お腹が空いたときに、ただ拡声器で訴えるよりも、お食事そのもの、それを食べられる場所、それらが安心できるとわかるほうがいい。チェーン店があるだけでも助かるしさ? 逆にチェーンの店舗のどこか一店舗でだけでも、店員やアルバイトが問題を起こしたり、そもそも掃除がまるで行き届いていなかったりしたら? そんな知らせがあるだけでも、私たちのなかには行くのをやめる人が出てくる。安心できないからね。
生活保護の申請だってそう。窓口で拒まれるっていう、それだけの知らせがどれほど致命的か。
病院でもそう。
それは利用者側からの一方的な見方。でも、まさにその一方的な見方をする個人をどうこうできるものでもない。だからこそ、風評には良くも悪くも敏感になるし、ならざるを得なくなる。
う、ううん。
「いきなりぜんぶをどうにかしようとしない。王道から行くのがいい。いきなり初手で、イレギュラーケースをどうにかする万能で、完璧な手を打とうとするんじゃなくて、必要なものを用意して、作り、行うとこから始めたほうがいいよ」
「う、うん」
初手でだれもが安心できるような施設を作ろうとすると、ごちゃごちゃしてくるし? 施設だけで、すべての依存をまかなおうとしてしまう。すると、施設そのものの立て付けから考え違いを起こしてしまう。
それは、たとえば「病院に必要なもの?」みたいな問いを見過ごしてしまう。そして、施設にあれもこれもと付け足してしまおうとするし? どんどん、その施設でなにが必要なのかを見落としていく。
これが「術作り」のような工程に移っていたら、迷走したものができつづけるし? そもそもなにもしなかったら「しない理由」ばかりが増えていく。
「自分を責めてたみたいだけど、レンから言わせれば気が早いよ。それに挑戦するかぎり、傷ついたり、痛みが生じたりすると思う。それにしたって必要なのは、春灯の依存になるものでしょ。お腹がすいたら? ご飯を食べるんだよ」
「おまんじゅうもらってきたよ!」
どや顔で結ちゃんが戻ってきた。トレイに乗せた大皿に、おまんじゅうが山盛りになってのっかっている。蜜柑まんじゅうだけじゃない。薄緑、葡萄色、白や黒のものも。
「ね?」
レンちゃんが同意を求めてきて反応に困る。
笑っていいのか、いや、いけないのか。
答えは明白だけど、でも、それが解決にならないこともあるし? そうそう単純には生きられない。
でもやっぱり、お腹がすいたら、ご飯を食べるんだよ。それをむずかしくしてちゃいけない。自分においても、だれかにおいても。
ご飯、かあ。
ぷちたちのことを思い返す。
なにが浮かぶ? 好き嫌いがみんなちがう。食べたいかどうかも。いわゆるお行儀の度合いも。どう食べたいのかも。もう、なにもかもがちがいすぎる。
そんなとき、どうするかって? 正直にいえば手に負えないことだらけだ。あの手この手を尽くすし? それがぷちたちのだれかにとって、かちんとくることもある。すんごい文句を言われることもあるし。
前はクレヨンしんちゃんとかで、しんちゃんに感情移入してた。こどもが文句を言うのは当たり前! 親がちゃんとしてよ! みたいに普通に思ってたし? たぶん、実際、世の中的に大事な一線だとさえ思ってた。
ちょっとずれてる。
こどもがなんでも言える。これはとても大事なことだと思う。
でもって、それとはほかに大事なこととして、差別はだめだ。自分が傷つけられちゃいけないし、だれかを傷つけちゃいけない。
お互いの関わりのなかで、こういうのって学んでいくほかにないことじゃない? 言っちゃいけないこともあって、気持ちをどう伝えていけばいいのか考えていくってこと。
それってとっても地道なことでさ? みさえさんやヒロシがしんちゃんにひいひいなってるところを見ていると、もう、とてもたまらない気持ちになるんだよね。
どうにかわからせようなんて思おうものなら、危なくなるばかり。攻撃的になるばかり。かといって、たとえばねぼすけで朝はまともに動かないしんちゃんを、自転車に乗せて幼稚園まで送り届けるなんて! やばすぎる。それを毎日やっているなかで、きつくなっちゃう瞬間が、避けられない。しんちゃんはもちろん敏感に察知する。それにしんちゃんの振る舞いは朝だけじゃない。おもちゃは片づけないし、隙あらばチョコビは食べちゃうし! いやなこと言うしさ? 元々がおじさん向け雑誌の漫画だけに、おじさん顔負けのすごいこと言うときもある。放映されて年を重ねて、なるべく一般向けになるようマイルドになってはいるのかもしれないけど。やっぱり、たいへん。昔はげんこつがいっぱい飛んでたんだって。頭ぐりぐりーっとかさ。
でも、その、ままならないし空気読むとかないし、気を遣わせる時点でどうなの? っていう存在が大事に育ち、成長・発達していくよう手を尽くすのって、そもそもすっごいことだし? 自分たちも、そのすっごいことの実態に触れて生きてきてる。しかも百才になっても続いてく。発達って、そういうものだからさ。
レンちゃんの言うとおり、必要なものを増やしていったり、地道に対応していったりするほかにないのでは。その繰り返しじゃないかな。依存の増大、拡張、維持だ。
どんなにピーマンやニンジンがきらいでも、どうにか食べられるように出し続けるしさ? いつか食べたくなる日を待つしさ。あれこれ言われ続けるんだろうなあ。
味覚や嗅覚からして、自分とはちがうからさ? そこを踏まえて工夫できるといいんだけど。だれもがそんなに余裕をもって、調理に挑めるわけじゃない。みんなちがうモチベ、状況、いまに生きているから。私にできることを、こつこつと。そのためには? 私を大事にしてかないと。
「なんでおいしいものって食べると太るの?」
「結はよく運動してるし、不摂生してるわけでもないし、気にすることないよ。かわいいかわいい」
「レンしかそう言ってくれないじゃん」
「そんなことないよ。ねえ?」
レンちゃんに乗っかるように、結ちゃんを見てから褒めにかかる。
まんじゅうを食べる手を止められない結ちゃんが全部を食べきらないよう、私もちゃっかりもらいながら実感する。
必要なものはいっぱいあって、どれがいいのかもわかりにくいことがあって、もうわけがわからないくらいだ。だけど、地道に増やしていこう。次に必要なものの目星も立った。霊子の渦に記録した人たちが、痛みが、あるいは願いや欲が向かいたくなるものだ。
拡声器を持った私だけじゃ足りない。
術はひとつで成り立つものじゃない。渦の需要を満たす、あらゆるものがいる。
つづく!
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