第二千八百四十三話
刀鍛冶部隊のドローンで液体の採取を試みる。
三十分は阿鼻叫喚のまま試行錯誤が行われて、一時間が過ぎる頃には落ち着いてきた。それでも、さらに一時間近くが必要だった。採取に成功した次は、保存はどうするんだと大盛りあがり。
マドカたちの見立てのとおり、コールタールにほど近い性質の液体のようだ。そして実際にコールタールは危険物取扱者免状の対象範囲内。ちなみに免許は甲乙丙の三種があるそうだ。でもって暇な待機時間に調べたかぎりじゃあ、一般財団法人消防試験研究センターのHPいわく、甲がすべての種類の危険物の取扱作業および作業の立ち会いが可能。乙は第一類から第六類にかけての危険物の取扱作業および作業の立ち会いが可能。最後の丙が第四類である引火性液体にかぎり取扱作業のみ可能。甲が全部を網羅する、と覚えておけばよさそうだ。
コールタールは引火性液体に該当する。のみならず職業ガンとされる、特定の職業で罹患しやすいガンを誘発する成分がある。発がん性が高いものなんだ。だから、いまでは大概において使用が禁じられているという。一方で、いまでも金属の防蝕剤や木材の防腐剤、研究開発の試薬製品として扱われているそうな。
そんな危険物なので、密封容器をどうするとか、密封できているかどうかの確認はどうするとか、もうとにかく議論が絶えなかった。先生を連れてくればよかったーとか、いっそもう白旗ふって先生に通話を繋げちゃえば? とかの意見が出てくるまで結構かかったし、通話を繋いだら繋いだで、まあまあの剣幕で怒られたよね。お前たちはいつも勝手なことをして! みたいにさ。
それがコールタールかどうかは明らかでないにせよ、刀鍛冶部隊がなんとか液体の一定量の採取に成功して保存を済ませると、ようやく私にお鉢が回ってきた。人生で一度でもお鉢が回るなんて使う日がこようとは。たまには使っていきたい。いろんなことば。
外では吸いこんじゃいけない空気が充満しているので、キューブスーツの着用を促される。素直に従って全身ぴっちりスーツとヘルメットを装着した。これで終わりかって? そうはいかなかった。
「いいですか? キューブスーツの気密性をチェックしますからね」
ノンちゃんとノノカだけじゃなく、十人くらいの刀鍛冶の女の子たちにくまなくチェックされる。尻尾の毛の一本だって露出しちゃだめだという徹底ぶりだ。あんまり面倒そうだから、獣憑きから人に戻ったくらいである。これならお尻まわりを気にしなくていい。とっさに獣憑きの身体能力で動けなくなるけども。なんとかなるでしょ! と思ったら?
「ダメだよ、春灯。なにが起きるかわからないんだから、尻尾は消さないで出しといて」
「はあい」
ノノカに怒られてしまった。仕方がないので獣憑きに戻って、九尾をきゅっと包みこむようにスーツを展開し直す。豊かな毛も、まるで布団の圧縮保存袋みたいに窄まってしまっている。かなり窮屈。でも、仕方ない。
私はこれまでに術を使おうと使うまいと、しばしば気絶してるのだし? 火の属性で表現してもらったら危険物が出てきたんだ。なにが起きても不思議じゃない体で挑むべきだろう。
「土、土かあ」
土は様々な国の神話や宗教で、しばしば象徴的に扱われる。
大地はそもそも命の宿る場所とか、命が育まれる場所とか、私たち生物が生きる根幹的な土台として扱われる。なので神話や宗教でも、土、大地に連なるものは、それなりにいい扱いを受けていることがあるよ。
土が命の源みたいに扱うこともあるし、神は土から人を作ったと扱う神話もたくさんある。
そう。土は命を生む。人を作るものだ。死人や死んだ命が腐敗して、肉が垂れ落ちて、それもやがてあらゆる生物に食われて、土に還っていく。だから命が還る場所でもある、という見方もある。どれほど壮大な樹木だって切り倒して燃やせば灰になるし? あらゆる生物も同様だ。
そう捉えた過去の人々にとって、土は特別なものだった。と同時に、あるのが当たり前で、特別すぎるがゆえにあまり意識しないことでもあったろう。その点は、私たちと大差ない。
五行における土は悩み。そして土とくれば? いや、どこまでいっても土は土だろう。
待て。わからないぞ?
いろいろと想定してきたけど、ぜんぶ外してきた私だからね!
土。土でしょ?
ヘルメットのバイザー部分に金色を散らして、金色本に収録した大辞林の「土」を調べる。
いわく。「地球の陸地の表面をおおう物質。風化した岩石の細かい破片、生物の遺骸およびその腐敗物、微生物などよりなる。土壌」「地球の表面。地上。大地。地面。古くは天に対して地上界をさす」「鳥の子紙の一種。泥土を混ぜたあまり品質のよくないもの」「値打ちのないもの、顔形の劣ったもののたとえ」「地下のこと」「あかぬけしていないこと。また、いなか者」「陰陽道で、土公神のいる方角の土木工事を忌むこと。また、その期間。機関は暦の庚午から丙子に至る七日間を大土、戊寅から甲申に至る七日間を小土、中間の丁丑の日を間日として、一五日間続く。つちび」「書名」。
ちなみに書名は「長塚節作。一九一○年(明治四三)」に連載したものみたいだ。
海辺の土は「土」という、それだけのものではない。最初の説明のとおり、いろんなものが集まったものだ。砂浜の砂もそう。砕けた貝殻や粉々になった魚の骨なんかも混じってる。それだけじゃあ、ないかもね?
鉱物の破片さえ混じっているかもね。だとしたら土としながらも、実際は金も混じってる。そもそも金だけかな。水分も含めてるかもだし、朽ちた植物の欠片もあるかもよ? そうなると、五行の限界を感じるかな。
アリストテレス以来、二千年近くも信じられた誤りさえあるのだし、そりゃそうだ。
逆にいうと、神話や伝承の世界に生きたい人にとっては、科学は自分を揺るがすものに思えるのかもしれない。私たちは事実に生きるのではなく、まず、主観に生きるのだから。もちろん主観に生きようと、あらゆる科学や他者、世界を切り離せるものじゃないから? 私たちはまず、主観に依存しきろうとする。危ない。
土。私たちに必要不可欠なものであり、大概においては命が還る場所だ。あと、土の下にはマントルがあって、プレートテクニクスも欠かせないもの。地球に欠かせないもの。もちろん土だけじゃ足りないんだけど。土も、欠かせない。
「いいですよ」
「ん」
うなずいて歩きだそうと思った途端に違和感を抱く。
「なんか背中が重たいんだけど」
「軽量酸素ボンベふたつのリュック、マシンロボに繋がる空気循環ホースを接続しました」
「私ってば宇宙飛行士?」
「いま思い浮かぶかぎり万全の体勢です」
振り向くとランドセルみたいなカバンを取りつけられていた。金属製の二リットルペットボトルサイズのボンベがふたつついている。そして、いつの間にやらカバンのすぐ下あたりになにか引っ張られる感覚があった。それこそ五百ミリリットルペットボトルくらい太いホースがくっついている。ホースはぐるぐると渦巻いて、ノンちゃんたちの足元にある大きな本棚くらいはありそうな箱に繋がっていた。エアコンかなにかかな?
参った。
「やっぱり船外活動みたいな気分」
「実際そうでしょ」
ホースの長さはいいかな、よれてない? なんて慌ただしく確認するノノカの一言が怖い。
え。まじ? ああでもそっか。有害物質、息をするのも危ない外に出るのだから。まじか。
「なんか急に緊張してきた」
「脱げませんよ、もう」
「おしっこ行きたいかも」
「そのままもらすか、スーツと股間の間にオムツを出してもらうか、あるいは股間部分だけを外してトイレして、また一からやり直しです」
「引っ込んだかも」
なんてこった。
備えがなかった。ああでも、考えてみれば当然だ。着るのがたいへんなら? 脱ぐのもたいへん!
宇宙飛行士がどうかは知らないし、深海に潜水して活動する作業員がどうかも知らないけれど、映画の特殊メイクなら? 数時間から十時間ちかくまでかかる特殊メイクや、つけてるとたまらなく痛むようなスーツを着ていたら? 脱ぐのもたいへん。脱げずになんとか無理してでもトイレをする羽目にだってなるそうだ。
そんな目に、いま、遭っている。
「どうぞ、いつでも行けますよ」
「トイレは?」
「ダメです」
「おぅ」
まじか。
「胸部ハッチ、加工完了!」
「よく見る宇宙船のあれです。ドアの外に気密室。で、その先が外」
「わお」
刀鍛冶たちはいつの間にそんな改造を?
誘導されるままに歩いて扉に向かう。ぐるぐる回すハンドル式の扉は、いかにも仰々しい。やっとの思いで外に出たところで気づく。
「この扉を閉めたら、ホースが挟まっちゃうのでは?」
「だから閉める前に、箱ごとそっちに出します。で、箱と機内の空調を接続します」
「たいへんじゃん」
「ええ。箱と、こちら側とを接続して空気が無事に循環することを確認しますからね。あ、それからいまはヘルメットを開けておいてください」
ノンちゃんにきびきび早口で言われると、押しに流されちゃう。
基本的に押される側だ。こういうときほど痛感する。
つまりなにが起きるのかって、立ったまま待機する時間がまだまだあるってことだ。
いつでも行ける。ただし、次の部屋まで。
背中が重たいし、ホースが伸びているから歩くのに苦労する。そうして移動したらしたで、今度は待ち時間が発生する。
ほんと、もう、とことん地味。
「なんかもう、ぱっと行って、ぱっと試すみたいにしたいんだけど」
「ダメです。ドローンで採取した液体や氷までハルさんの術で変えられたら困るんです」
「そりゃそうだ」
せっかく二時間、三時間もかけて保存したのにも関わらず、私の術によって変化してしまったら台無しもいいところである。言われてみたらノンちゃんの言うとおりだ。
私の術の対象が外に限定されなきゃ困るのだ。
「私次第ってことには?」
「できないでしょ? そこまで厳密な調整」
「おぅ」
見抜かれてるぅ!
ノンちゃんもノノカたちも忙しなく私の周囲であれこれ触っては、霊子を練って構造を変えて、空調設備を整えつづけている。
「ただ、あの根っこを出したときに氷は無事でしたし、あのどろどろを出したときに根っこは無事でした。だから、ハルさんが外に出て術を使うかぎりはだいじょうぶだろうと見ています」
「まあ、念のためだよ。念のため」
なにが起きてもだいじょうぶなように、手は打っておくということか。
ほんと、つくづく思う。私だけじゃ対処できないことだらけだ。
仮にキューブスーツまでは思いつけても、酸素補給まで思いつけるかどうかはわからないし? それぞれの現象の保存や、具体的な調査も無理だったろう。
「みんなの速度は、ひとりよりもゆったりめになりますからね」
「いままさに、それを実感してるとこ」
身動きが取れない状況のまま、GOサインが出るまで思索を練る。
それをするのが、いまのせいいっぱい。
土を願うとき、いったいなにになるだろう。なにが起きるのだろうか。
わからないまま、やるしかない。せめて、最大限の準備をして。
つづく!
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