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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百四十一話

 



 木火土金水に当てはめられた感情。

 怒り、喜び、悩み、悲しみ、恐れ。ネガティブよりだ。喜び以外はつらいもの。当時は感情の勘定として、喜び以外は生きるうえで警戒や反応を要するものを並べていた。

 国によって、時代によって。いや、言語によって、文化によって、具体化される感情は変化する。一定じゃない。欧米で練りあげられた哲学が東洋の哲学をカバーしていなかったり、場合によっては見下すことがあるという。逆もまたしかり。お互いのなかに、相手をうっすら馬鹿にする人がいるというのも、そうそう不思議なことじゃない。国という規模の人の集まりとなれば、それだけで馬鹿にせずにはいられない人もいるだろう。同じように、怒らずにはいられない、悲しまずにはいられない人も。尽きぬ悩みに苦しむ人も。

 その前提を忘れずにおいたうえで、五行はひとまず怒り、喜び、悩み、悲しみ、恐れを数えた。世界中の言語を集めて、感情を表現する単語を集め、それがどのような歴史と経緯を経てきたのかを調べるだけでも世界はぐっと広がるだろう。それって言語学になるのかな? 指輪物語のトールキンも言語の研究を生涯を通じて行っていたという。私たちの認識上における解像度は言語”にも”依存している。

 だけど五行はもちろん、あらゆる言語が具体化した感情は、いずれも刺激に対して脳が処理して生じる情緒的・身体的反応を捉えたものだ。

 情緒だけじゃない。身体にも反応が生じる。

 恋い焦がれるとき、胸が痛くなる。物理的にぎゅっとなる。怖いときには身体が強ばり、緊張して力むので、筋肉を使う。だから疲れる。とてもね。

 喜びの疲労は心地いい。だけど、しんどい感情の疲労はつらい。いやだ。

 心が痛むとき、現に身体も痛んでいる。ストレスはそれだけの力があり、影響を及ぼす。

 そう。

 痛いのだ。

 痛いから、耐えられない。痛むから、遠ざけたくなる。対処しようとする。

 刺激に対して負荷だと処理したとき、私たちの防衛機制が対処を探る。それは闘争かもしれないし、逃走かもしれない。ストレスに対して自己を防衛するために、どうするか、という話だ。

 痛みが私たちに対応を迫る。

 生きろ。生きるためになんとかしろ、と。

 改めて確認するまでもなく、私たちは生きている。状態だなんだを確認するまでもなく、まず、ただ、生きている。その是非も価値も、人がそれをどのように物語るのかなんて一切関係なく、人は、生きている。あらゆる命がそうであるように。

 でも私たちはどんなに心身から生きろと求められても、それに対応できるとは限らない。古代の石器時代、それよりも以前から、文明が発達した現代においてもなお、変わらずに。

 生きるかぎり心身は訴える。それは実際に痛いのだ。痛いから、耐えられない。心身が傷つくほど、そうした体験が積み重なるほど、もちろん悪化していく。痛みも。耐えることも。おまけに疲れていく。休息の質が悪化するし? それだけもたなくなっていくんだ。それでも、ますます心身は訴える。痛みを。改善を。戦うにせよ、逃げるにせよ、対処を。そうしないと、生きていけないから。

 まるでバグ。

 フランクルの「夜と霧」だけじゃない。ベッセルの著書だけでもない。ナチの絶滅収容所だけでもないし、アメリカ退役軍人のような軍人だけでもない。レイプの被害者や、児童の頃に虐待された人だけでもない。解雇された人だけでもない。

 あらゆる人が経験する。

 負荷の訴え。改善要求。現実に、改善のしようもない現状を。そうなると戦っても逃げてもどうにもならないから、防衛機制はより深刻な状態になっていく。痛みと共に。

 だけど私たちは自分の痛みを、そこまで厳密に読み取れるわけじゃない。おまけに他者の痛みとなると、もっとわからない。共感する、分析する能力が十分にあるだなんて、そんなの幻想だ。読み取り、想像する。それが現実に近似しているかどうかでしかない。

 私はぷちたちそれぞれになれないし、あの子たちの痛みがわからない。あの子たちもそうだ。私とカナタの間でもそう。うちの親と私とだって変わらない。うちの親も。長く過ごすなかで、お互いを理解しようと努め、コミュニケーションを密にして、ケアも交換しあうほどに、やっと私たちは想像と予測の精度を増すことができる。だけど、いつだって十分ではないし? それは先入観に過ぎないのだ。

 私たちのだれも、他者にはなれない。転じて、他者とは思いどおりにならないもの、そのものなのである。もちろん自分自身だって、大概においてはままならないものだ。世界に生まれて生きるということは、ままならないこと、思いどおりにならないことと付き合うということなのだ。

 痛みは「思いどおりにならない」ことを知らせるものなのかもしれない。

 だけど痛みは人によっては「思いどおりにしたがる」状態に向かっていく動機になる。そりゃあ人間のなかから権威主義や全体主義を渇望する人が生じるのも自然なことかもしれない。

 権力を保有または権力的な単語や物語をもって、それで支配を試みる権威主義。そして全体を完全に支配して、法や規範をもとに縛りつける全体主義。

 選挙で対立候補を許さないか、出来レースにする。国民を完全に監視する。メディアは統制。集会は禁じる。批判は断じて許さず、逮捕・拷問する。昨今なら北朝鮮を連想する人が多いかもしれないけれど、日本もかつての帝国時代はそんな状態だったし、いまでも帝国時代に回帰したがる人が政治家や自衛隊員のなかに、あるいはOBや、彼らに関わる人たちのなかにいる。世界を見渡しても、似たようなことをしたがる人は大勢いる。国家から、家庭に規模を移したらどう? 学校や企業に、ない? 全体主義を教養したがる独裁者志望者がいない? 親や教師、上司や取引先の言うことが絶対。売れてればなにをしてもいい。借りがあることにしてなんでも押しつける。そんな人はいない? また、そんな仕組みを好んでいる集団や環境を目にしたことはない?

 政治は種々様々、あらゆる形で身近に存在している。

 たとえば電車が満員なのはいや、というのは政治的な願望だ。バスの本数を増やして。もっと飛行機の運賃やすくならないかな? 銀行でもっと気軽にお金を借りれたら起業もしやすいのになあ、ファンタビのコワルスキーさんのパン屋みたいに。東京の家賃たかすぎる! オールドメディアっていうけど、メディアの独立性を担保できれば改善しやすくなる! とか。ぜんぶ、政治の話だ。

 仕事は週四で、いまの労働スピードだと一日四時間くらいでよくね? なんていうのも政治だし、お父さんが悩んでいた「歯科医のインプラントたかすぎぃ!」も政治の悩み。スーパーのビニール袋はどうあるべきかーとか。学校で学べることはもっとこうしたほうがよくない? とか。みんな、政治の話。

 給料あげて、税金もっとなんとかならん? 社保とりすぎじゃね? もちろん政治の話だ。全体的に日本が国内だ海外だ、旅行に行けなくなってきてるぞーとか、大人たちがみんな仕事にやられてるけど、そんな未来はいやだぞーとか、それだって政治の話。

 ご家庭なら? どうじゃろ。

 おばあちゃんちの集いで親戚中が集まるとき、ぎょっとするような各ご家庭の有り様に触れたり、お話のなかで教えてもらうことがある。一番風呂は家父長が。最初に家父長が食べ出すまでみんな食事できない。そういう時代錯誤な規範を軸に「お父さん」または「おじいちゃん」が独裁者になっているご家庭の例がある。酒に酔ったとしても、どんな暴君ぶりを示しても、だれも逆らってはいけない、みたいなの。「カセイデイルカラエラインダゾ」という王冠をかぶって、独裁者になる男たちの話は枚挙に暇がない。

 おばちゃんたちも容赦がなくて、そういう男に限って会社じゃたかが知れてたり、陰口たたかれてたり、叱られてたり、思うようにいかない鬱憤を持ち帰ってぶちまけているなんて言っていた。ううん。すごい。先入観。当たっていたとしても救いがない話だ。

 なんにしたって「痛み」から生じる「救いを求める」、その表現なのだとしたら、全体主義や権威主義はろくなもんじゃない。だけどどんな時代でも消えることがない。いまだと学校や仕事の過ごし方も「かくあるべき」という規範で支配を強めているなかで、推し活だって、ゲームやアニメやドラマや映画だって、他のあらゆる趣味だって入り込んできている。

 マーベルは全作品を追うべき、とか。スターウォーズとかでもそう。順序を正しく守り、すべてを把握するべきだ、みたいなの。日本だとガンダムあたり、そういうこと言いだす人がとても多いよね。ファンコミュニティが厄介になり、ご新規さんをひたすら攻撃するようになる。これはIP側には困った問題として付きまとう。

 人付き合いにしても「こういうのはこうするべき」っていうトレンドが、どんな世代にも様々にあって、それらは常に変遷していく。

 社会に全体主義が蔓延している。独裁的ななにかが存在していて、それに従うべき規範や規則を暗黙に、あるいは表面的に提示し、私たちはそれに支配されるし、他者に支配されることを求める。いや、押しつける。なので結果的に常に押しつけあうし、支配される状態でいつづける。

 痛いよ。そんなのは。

 資本主義と全体主義の合わせ技はもう絶望的なほど加虐的で、それって共産主義と全体主義の合わせ技で大勢を死に導いた国と大差ない。大佐ないのに、その仕組みがいい人ほど話をすり替えて、全体主義の問題を透明化することにまい進する。社会主義や共産主義を代理の生け贄に捧げて。資本主義の全体主義を浸透させて、自分たちが利益を得られて、王冠をかぶっていられるように生きている。

 そういう仕組みを通せてしまえるところに資本主義の限界と問題が色濃く出ている。共産主義の是非よりも、その実現に全体主義を用いた様々な国の加虐も深刻な問題だけど、負けじと問題なんだ。資本主義と全体主義の組み合わせは。全体主義だけが問題なのでもないし? ここまで影の薄かった社会主義を含め、あらゆる主義に重大な批判点が種々様々あるだろう。いいところを抽出してやっていくにしたって、問題が消えてなくなるものでもない。不十分なりに手を尽くしていくほかにないんだ。

 いかなる理由があろうと、どんな痛みがあろうと、他者の権利を踏みにじっていいことにはならない。

 人類は様々な事例と実態、その反省と改善のために人権の概念を生み出した。

 人権とは私たちが生まれながらにして、だれもが持っている当然の権利だ。人がどのように扱われるべきかを示すものである。1948年、国連が世界人権宣言を採択。その保護により、私たちは「死刑や拷問、不当な逮捕、奴隷にされない、差別されない」権利を持つ。国籍を持ち、プライバシーを守り、なにを信じてもよく、安全な環境や職場に行ける権利を保有する。無料の初等教育を受けられるし、適切な水準の生活ができるよう保証される。政治に参加できるし、好きにどこへでも行ける。公正な裁判を受けられるし? 幸福を追求できる。その他もろもろ、やまほどてんこ盛り。当たり前すぎる、だけど大事すぎることだ。

 それらは逆にいえば、独裁下において、全体主義や権威主義においては、真っ先に狙われるものだ。最初に「狙われてもいい」と多くの人が見棄てそうな、弱い、よそ者、社会的弱者が狙われる。一度でも正当化できればいい。学校や職場のいじめがそうであるように、深刻化、拡大化していく。実際に歴史は何度もその実例を記録している。

 資本主義でさえ、全体主義を伴い弱者を攻撃しはじめる人が出てくる。やまほどね。その攻撃は加速して深刻さを増すことはあっても、和らぐことはない。

 家庭でも学校でも会社でも、趣味の場でも、なんでもない日常の営みでさえも全体主義の独裁者になりたがる人が出てくる。自分がルール、これが至上のルール、そして生じるランク付けなどなど。それに見合った生き方をしろ、と支配しようとしてくる。強要のオンパレードだ。それは加害であり、膨大な人たちに痛みを与えるものだ。

 あいつも、平塚さんも、彼らの仲間たちも、まさにその「狙われてもいい」立場だった。

 保護のためには明記がいる。契約書にないからっていうだけで、無茶苦茶なことをする企業や相手がいなくならないのだから、憲法レベルになったら? 絶対に明記がいる。なんなら大事すぎることなので重複して書いたほうがいいまである。

 そこまでしても、侵害されることがある。

 ブラック企業に勤める人いわく「うちの会社に労働法はない」と無茶なことを強要された、なんて話がネットミームになっているけれど、労働法があれば違法な残業が起きないなんてことはない。刑法があっても窃盗から殺人まで、あらゆる犯罪が起きるのだ。民法があれば防げるってことじゃない。

 法があるからよし、ではなくて、私たちが日々、それを守れるようにしないと? 決まりなんてあっという間に空洞化して無力なものになってしまう。

 区別や優先は差別ド直球の入り口であり、中央通り。基準を設けて人を仕分ける、そのありようがもう全体主義に染まったものだ。ナチやクメール・ルージュ、大日本帝国もだし、優生学が疑似科学だと広まる前はアメリカやヨーロッパさえ席巻した捉え方である。

 自分の痛みのために「あいつが弱者、あいつが悪い」と名指しして、そう物語り、他者を踏みにじり、奪い、攻撃して、なんとか痛みをまぎらわせようとする振る舞いだ。

 どうかしてるでしょ。

 そんなの。

 痛いから、痛めつけるんだもの。

 おかしいでしょ。

 どう考えても。

 どんなに物語っても、どんなに理由をつけても、正当化・責任転嫁・免罪できるものじゃない。

 ただの加害なんだよ。それは。

 そういう痛みにまみれた状態でいることを想起すると、あいつにせよ、平塚さんにせよ、命を落としてしまった平塚さんの仲間たちにせよ、あまりにも悲しい。

 資本主義の全体主義者は共産主義を蛇蝎の如く嫌う。なぜって共産主義は、カゲくんの御霊である石川五右衞門がしたような義賊行為を、もっとより過激に行った。資産家たちから家財などの資本をことごとく没収して、中流層から下のすべての人たちに分配した。資産家たちからすれば、それはもはや富める者たちを狙ったナチズムくらい恐ろしいものだ。かつての共産主義は、これを全体主義と共に行った。独裁し、そのための仕組みを用いて、あらゆる支配を駆使して実践した。いまの資本主義の全体主義者が収奪を貧困など意に介さないように、徹底的に。ナチがユダヤ人を絶滅収容所に集めて、徹底的に拷問し、虐殺したように。あるいは関東大震災の折、福田村事件で起きたときのように「朝鮮人や中国人を殺せ」と血眼になった日本人たちのように。

 経済学者マイケル・サンデルは貧困の蔓延や、貧富の格差が拡大しすぎることは全体主義へと近づくことになると危惧していなかった? あらゆる極端な主義思想に偏っていき、世界の秩序や、あらゆる国々、地域の状況が混沌としていき、戦争や紛争が起きやすくなると見てはいなかった? 実際に貧困の蔓延や格差の拡大、その維持の強化は犯罪率の上昇や健康状態の悪化、国の運営の困難さや歪さを招くなど、あまりにも問題となる作用がありすぎる。

 その処方箋はなにか。

 そもそも富は不公平で不平等で不完全で不十分なものだ。富める者ほど、より富みやすい。富める職に就くにも富めるほど良く、学習体験などにおいても富めるほど都合がいい。不均衡さがそもそもあるうえに、あまりにも運に影響を受けすぎる。

 であるがゆえに富める者への課税が重要であり、そのために富める者の資産の把握が肝要だとしている。タックスヘイブンのように資産をあらゆる国々に散らして、税金から逃れる資産家がいすぎるから。

 これはでも、資本主義の全体主義者には都合がよろしくない。彼らは王冠を手放したくないし、いまの仕組みをより強化したい。そりゃあ、彼らの立場ならそう考えても不思議じゃない。いまが当然であって、痛みなんていらないのだ。

 そんな彼らからしたら、ヒトラーをはじめとするナチがユダヤ人を狙い人権をことごとく攻撃しぬいたように、資本主義下における彼ら”じゃない膨大な人々”をことごとく攻撃しぬくようなことになろうと、そっちのほうがずっといいのである。

 そういう構造が、製造開発者たちと平塚さんたちや、あいつにあって。

 私とあいつにも、存在している。

 私とぷちたちとの間でも、私とカナタとの関係性においても、うちの家族にしたって、うちのクラスや事務所にしたって、なんだってそう。

 いつでも「痛みを押しつける先を探している」。

 だけど、それじゃ痛みは癒えない。消えないし、和らぐことがない。

 当然だ。

 痛みが訴えているのは「あいつを痛めつけろ」じゃない。

 なんとかしてくれ、だ。

 じゃなきゃ困るでしょ。

 痛くて病院に行った人がもれなく「痛めつけさせてくれ!」って拳を振りかぶっていたら、病院なんかとっとと潰れちゃうよ。やりたくないもの。「そういうのはよそでやって!?」ってなるよ。歯が痛くなったら歯医者さんに行って「お前を一発なぐらせろ」って? おかしいでしょ。どう考えても。

 痛みが生じたら、どうするの? 痛みの程度を探る。なぜか、どうしてかなどを調べる。それと共に痛みの低減、緩和を試みる。根本的に治療できる術はないかを模索するし? それより先に、痛みによってめげる人をケア・フォローする。治せない、癒やせないときには、せめて他の面でいまを過ごしていけるよう手を尽くすよ。そうでしょ?

 なによりもまず、そこでしょ。

 痛みは求めている。

 この痛みをどうにかして。助けて。つらい。苦しい。だいじょうぶにしてってさ。

 そのための行動は、断じて、他者に痛みを与えることではない。


「もうちょっと時間ください」


 生物部を呼んできて協議に移るノンちゃんの一声からずっと思案する。

 次は火。

 喜びが訴えるもの。

 もしかすると、これまでとはまるで異なる反応かもしれないし、とても小さくてささやかな反応かもしれない。そう予期することが、つらい。

 あるいは独裁者になる、そのための権利を得たと、痛みと共に暗い喜びを抱いた霊子もあるのだろうか。復讐する。仕返しをする。そんな目的を得たと、あらゆる痛みに飲まれた喜びを支えにした、そんな霊子もあるのだろうか。

 つらい段階になる。そう予期して、覚悟しようとするのだが、うまくいかない。

 痛いよ。私はいま、とても。

 怒りは、ある。悩む。悲しいし、恐れてもいるのだろう。だけど、具体的にわかるほど明確に色が分かれてなんかいやしないんだ。

 ただただ、痛くてたまらないんだよ。渦から湧き出たものが痛みの表現なのだと理解したら、もう止まらないんだ。

 つらかったよね。ずっと。

 あなたたちの声を、私は満足に聞くこともできないんだ。精いっぱい、やってみてるけど。足りないよね。そんなの、痛いよね。ごめんね。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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