表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2832/2932

第二千八百三十二話

 



 共有できない、できそうにない絶望を前にどうするか。選択肢は様々だけどさ? みんないっぱい抱えている点では共通してる。

 そこで「ふわっと」生きていけてたら? 去年の私くらい、ぼんやりでも過ごせていたら、そりゃあもう! 言うことない! いますぐにだって戻りたいくらいだ。実際、そんな風に過ごしている人もいっぱいいる。ただ、それが楽かっていったらたぶん、楽でもなんでもない。

 比較するといまは明らかに「ふわっと」よりもしんどい。しんどいと忘れてしまう。

 「ふわっと」だろうが、そうじゃなかろうが、それぞれに絶望を抱えて生きてる。それでついつい絶望のぶつけあいや、すこしでも絶望を刺激しないような支配に向かうようにしがちになる。ここで強いのはマジョリティであり、権力勾配の優位性をもつ立場だ。

 そこから排斥される絶望を感じたことがある人でも、優位性を獲得するなり支配や排斥に向かうことが、まあああ! よくある。人生から引っこ抜いて、永遠に無縁! なんて風には生きられないものだ。やる側としても、やられる側としてもね。それはそれで、絶望だ。

 絶望したぁ!

 や。前にお母さんが見てたんだよね。アニメで。マンガも全巻あったっけ。さよなら絶望先生。アニメラジオがすごい人気だったんだってさ。略してアニラジの話題になると、お父さんが「うたわれるもの」の話をする。私もトウヤも、それぞれにこれだというものを見つけておらず、親の独壇場だった。ちなみにお姉ちゃんが加わってからも、状況は変わらず。やっぱりあれなのかな。声優さんから入っていく流れなのかな? お父さんはよく聞いてるんだよね。面白い作家さんがついてるとなおいいって言ってた。

 話が盛大に逸れたね!

 自分の絶望をぶつけるな、という絶望をぶつける人もいるわけでさ? そうせずにはいられないことだってある。私に八尾を注いだあいつに対する私。めちゃくちゃきつかったシュウさんに対するカナタ。まだまだこんなものじゃないけどさ。やんなるくらい、いろんなバリエーションがある。

 でもって絶望は痛みで、痛みは基本的にいやで回避したいものだからさ? 私たちは痛みを手掛かりに生きるし、あまりにも優先しすぎる。そりゃあ、だって痛いんだから。当然だ。

 痛みを真に受けて生きる?

 痛みについて真に受けてく?

 せずに済むなら、そっちのほうが何倍もいい。だって痛くないほうがいいじゃん? ね! たださ。それができる時点でずいぶんマシ。だれもがそうできるとはかぎらない。やりたくないのに。やめられなくて。ほかになにもできないくらいに痛くてたまらないから。いろんな理由で、それをせずにはいられない状態が現実にあり得る。これも、人間であるかぎりは避けられないお話だ。

 やだね! ああ、いやだ!

 いやだけど、それこそが自分中心の世界に生きられない現実を端的に表しているとも言える。

 絶望を意識せず、ふわっと集まれる仲間を見つけたり、居場所があったり、推しを見つけたりして、私たちは安全な基地や関係を持とうとする。できるかぎり安定しているほどいい。そういう依存を求める。

 だけど、その依存場所や関係が厄介なことがある。安全基地になるのに、差別やヘイトの温床だったりすることもざらにあるし? 道徳なき経済の象徴みたいなカルトやマルチ、宗教まがいの団体のように実際は暴利を貪るための団体だったりすることもある。溶け込むために、そこにある流儀にならうことが気づけば、だれかに対する異様な支配に向かう、みたいなこともある。

 トランプの支援活動も、そういう側面があったそうな。っていうかたぶんだけど、どの国の選挙も、それが穏当に行われるかぎり、そして積極的に参加するかぎりにおいては、そんなものなんじゃないかな。

 銃で脅されず、監視員がつかず、投票先を見られず、書いているところを見られない。どこに投票しようと差別をされないのは当たり前として、あらゆる投票にまつわる個人の権利が保護され、尊重・配慮される。そのかぎりにおいて、と言わずに、選挙期間の前でも、あとでも、自由に語れて批判もできるのが望ましい。

 当たり前にしたいけど、当たり前にするのも、それを維持するのもむずかしいこと。女性の参政権さえ当たり前じゃなかったっていうんだから、ぞっとするよね?

 いろんな絶望があるもんだなあ。

 絶望に対する、いろんなスタンスがあるしさ。

 なんだか、こんなにぜつぼうゼツボウ繰り返していると、ダンガンロンパというゲームが浮かんでくる。お母さんが持ってて、トウヤが遊んでるのを横で見てたなあ。希望対絶望。マンガのキャラくらい濃くてすごい高校生たちのバトル。

 連呼してると具体性に欠けるところも気になってくるよね。

 たとえばシュウさんの場合、サクラさんがいなくなったこと、カナタが自分の思うとおりじゃないこと、ソウイチさんの後を継ぐプレッシャー、侍隊の警察内での扱いの悪さ、そのわりに妙に期待されることなどなど。それらを通じて現実の思いどおりにいかなさ具合がとことん刺激になる。痛みになるよ。

 だからって、それをカナタにぶつけるのはあり? なしだ。

 答えは明白。正当化・責任転嫁・免罪いずれもなし。それは明確すぎる結論だけど、本人がそれを消化できない、したくないときには、どうしたものか。カナタにはどうすることもできなかった。ソウイチさんもなにかしら気に掛けていたんだろうけど、カナタから話を聞くかぎりはあまり意味がなかったみたいだ。実に厄介。

 それはだめ! としてやめてもらいたいことがあっても、それじゃ通用しない。そういう他者がやまほどいて、どうにもならない自然や現象、生き物や化学などなどやまほどあり、ままならない世界に生きている。これもわかりやすい絶望。

 だからこそ私たちは声をあげるし、多くを学ぶのだし、だれもが望めば学べるような社会を望む。学ばなくても生きられるよう、休めるような社会を。差別がなく、排除しないしされない社会を目指す。

 だけども?

 あいつはそれを望んでない。支配の傷を、支配で癒やそうとしている。そのためにはあらゆるものが道具になる。私もあいつの道具にされたし? 八尾たちだってそうだ。

 支配された傷を、支配して傷つけることで癒やそうとする。それ以外に、彼の絶望を発散する欲望の具体的言動が、表現がない。そもそも彼に、それ以外の選択肢がないし、選びたくもないんだろう。だけど私たちはそれじゃ困る。だからできるかぎりの手を尽くす。

 依存がないほど、足りないときほど、支配に向かいやすくなる。考えないっていうよりも、まずそもそも考える体力や気力がなくなっている。成長・発達が支配に偏りすぎているのなら、そうでない成長・発達をするために必要な依存も、時間も必要になるし? 本人がそう思えるだけのものが必要になる。そして、それをどうすればいいか、まだ、見通しが立たないのが実状なんじゃないかな。

 支配は儲けに利用できるし、だからこそ陰謀論としての信憑性さえ持つ。アメリカ軍が宇宙開発を目指す、おとぼけコメディドラマじゃ基地の兵士が「イギリスの女王が麻薬取引をしきっていて、指の爪が異様に伸びていて毒が塗ってあり、政敵をやっつけた」なんて言ってた。コメディだし、そりゃないだろっていう内容だけど「あいつのせい」と思えるだけで、私たちは意外とあっさり信じてしまう。

 アニメばかり見てると、アニメみたいにしか考えなくなる。

 ゲームでも、小説でも、ドラマでも、映画でも当てはまるし? 男集団、いわゆるボーイズクラブも該当する。自分が付き合いやすい集団だけ、とかね。自分が理解しやすいミームだけ、とかさ? 案外、私たちは簡単に視野狭窄に陥ってしまう。

 ミームもそうだし?

 日ごろの言葉遣いもそう。

 私たちはだれもが思想を持って生きている。強弱なんてない。それぞれがそれぞれの表現をしているだけ。でも「思想が強い」と冷笑していたり、そうできる自分は思想を隠せるとか、弱いとか、問題ないとか考えて生きていると? そういう「思想の強さ」を強烈に表現する自分を生きながら、実際の思想とはなにかについて無思考、無批判に生きるようになる。冷笑する対象に、まず自分自身が染まっていくのである。

 こわいね?

 政治も差別もそう。

 生きたいように、自分中心の世界ばかり見ていると、自分中心の世界を軸にしか考えなくなる。おまけに考えられなくなっていく。

 そんな風に生きる以外を知らなかったり、それしかないくらい余裕がない。そんな人生もあるのが、この世の中。それも絶望のひとつ。ままならない人生を私たちはそれぞれに生きている。母数が多いほど、当然、支配に向かう人の絶対数も増えていく。当然、加害や被害の絶対数も。

 ピケティ、サンデルが語る未来像。格差は拡大しすぎることも、それが維持されることも問題がある。ありすぎる。ある家庭のこどもに生まれたら、不労所得でとんでもない金額が当たり前に収入として入ってきて、税金対策も常に最良を求めて更新されつづける。一方、ある地域に生まれたら、その日のご飯のために肺水腫にかかったり生き埋めにされてもおかしくない鉱山に潜り、働けなくなるまで肉体労働をしつづけるほかにない。これは顕著な格差だ。だけど、これ以外の格差が山盛りで存在しているのも実際のところで、いずれも手に負えないものばかりである。

 これも、こわい。

 自分中心の世界から捉えたかぎりの実像は、ぜんぜん情報量が足りてないから、これよりもっと深刻だ。そんな風に考える私は、まさにあいつのように、そこにある支配を暴いてどうにかしたくなるし? そのために都合のいい敵さえ求めるだろう。アニメやマンガ、ドラマや映画のように。

 これも、こわい。

 あいつをしばきたい。そんな自分が、恐ろしい。

 あらゆる暴力・虐待・放棄は、とどのつまり、依存の不足によって生じやすくなる。その危険性がある。転じて、しばかずに済むようにするなら、そうしなくていいほどの依存が必要になる。

 シンプル? いや。具体性に乏しいかぎり、わかりやすくなってない。シンプルかどうか判断できない。

 そして、その具体性を追求するところがいつでもむずかしい。痛みが襲いくる状況、状態のなかでやるほかにないから、むずかしい。お腹が空いたら食べたくなるし、喉が渇いたら飲みたくなる。その極限のような刺激と反応のなかで、探して、行い、検証して、必要に応じて改めたり維持したりしながら手を尽くさなきゃならない。そんなの基本、できない。

 自分中心の世界には常に限界がある。なのについつい、自分中心の世界だけで終わらせてしまう。考え方も、論理も、価値観も、なにもかも。実に厄介。

 おお、こわい。

 そういう枠組みを私たちだれもが内面化して生きているとして、あいつの痛みは。反応は。物語は。語りは。定義は。論理は。


「ううん」


 温泉から帰ってきて、部屋で横になる。ぷちたちとお姉ちゃんの寝息を聞きながら、眠れそうにない意識でぼんやりと思案する。

 表現は一時的なものじゃない。表現したいというとき、そこにある気持ちはすぐさまわかるものじゃない。その全貌も。周囲からは露骨なほどでわかりやすいときでさえ、本人には、そのごくわずかな部分しか見えていないっていうこともざらにある。

 目的は推移して、表現の過程でより具体化されていくこともあれば、私のこの、ぐだぐだ思考モードのときみたいに、むしろ迷宮がこしらえられていたり、自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回るわんちゃんのようになっていたりすることも。

 ジブリの映画「耳をすませば」で出てくる原石みたいだ。取りだして磨き上げると、辞典にあるような宝石になる。だけど、取り出さなければ、なかになにがあるのかわからない、複雑な輝きと形を持った原石のままだ。原石はときに宝石そのものよりも、よほど魅力的だ。

 あの映画だと、主人公の雫に原石を見せてくれたおじいちゃんが保管するような、雫が見惚れたような、そんな素敵な原石なんだけど。実際は土や砂や石の固まりでしかない。

 最初の表現は、そういうものだ。

 素敵な原石になっていくこともあれば、なんにも見つからないこともある。集めたものを分けて、カットしていく過程で、どうしようもないものになってしまうことだってしょっちゅうだ。

 トシさんたちとスタジオで練習したり、リハしたりして過ごしていると、曲は思いのほか、ぱっとできちゃうことがある。けど、じゃあ、それが市場に出せるものになるか、会社がGOを出すかどうかとなれば、話は別。

 さらに砕くのか。磨くかどうか。

 やらなきゃどうなるかわからないし、どの段階のどれがどうなのかも、やってみないとわからない。

 延々と、その繰り返し。

 手を止めずにできるのか。

 問われている。生きることから、問われている。

 だけど、あいつはやり返すことを選んだ。支配された傷の仕返しに支配を選んだ。その原石はどんなに崩したって、分けたって、磨いたって、ろくなものになりやしないのだ。差別も、排斥も同じ。当然、あいつを支配で傷つけた連中も同じだ。

 勘違いしちゃいけないのは、それさえ連中のごく一部でしかなくて、それぞれを明確に捉えられるものではないっていうこと。私にも、連中が選んだ原石がやまほど眠っている。安易に済ませて、支配したくなる。そんな原石が、やまほどある。

 奴らは砕いてる。だけどそれは、私が原石を選び砕く動機になり得ない。

 もっと他にあるはずだ。少なくとも、私はまず、あいつの原石が気になる。やり返しの支配以外の原石が。あるいは、支配を選び砕いている原石をどうこうせずにはいられない、あいつの中にある原石が。唱道や意欲の原石が。

 それは、あいつの選択からは明らかにならない。いまのあいつの表現からは見えてこない。

 だけど、そうそうわかるものでもない。私自身が私について、見えてこないことだらけでいるように。


「痛みって、表現できないよね」


 表現しきれないし、表現したらいいかどうかもわからないしさ。

 たいへんなんだよな。

 それもあって、他人事じゃないんだ。

 だれの痛みも放っておけるものじゃない。

 やり返すことを選び、執着しているあいつの痛みはずっとほったらかされたままでいる。だれも自分の医者になれるわけじゃない。むしろ、医師でさえ無理なことなのかもしれないよ?

 痛いのつらくてたまらないのに、そのための手段に支配を選んで夢中になってる。そうしないと、耐えられないのかもしれない。つらくてどうしようもないのかもしれない。

 私たちにとって困ることを、あいつは続けるだろう。つらくてどうしようもないし、痛くてたまらないから。なのにあいつ自身、痛みをどうしたらいいのかわかってない。わかったことにして済ませているのかもしれない。

 ほっとけないでしょ。そんなの。

 だから、あいつについての情報がいる。なのに続報がまだない。

 だったらもう、自分で地道に調べるほかにないんじゃない?

 どうせ私、学校は休むよう言われてるし? そのわりには元気だし! 調べに行くかな。明日あたり。




 つづく!




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ