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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百二十七話

 



 思いつくと気になるのが人の性というもの。

 相手を帯刀男子さまにする。

 なんだかおばあちゃんがこっそり好きだと教えてくれたメタルバンドの台詞みたい。聖飢魔IIの「お前を蝋人形にしてやろうか!」だったかな。陰陽座から入ったメタルの感覚から「うわ、やばい」「閣下ってこんなにすごかったんだ!」「ていうかバンドやば!」となる、すごい音。私の閣下の印象は「お相撲大好きなおじさん」なんだけど、歌を聞くとびっくりする。

 じゃなくて。

 お前を帯刀男子さまにしてやろうか!

 ううん。


「火に油?」


 桐生ちゃんが「ぐだぐだ言うな。拳でかかってきやがれ」って言うような、そんなノリ。如くで桐生ちゃんに挑む人ほど「そういうの、結局、たまらなく好きなんだよなあ!」ってタイプだからいい。だけど、私はそうもいかないのである!

 あくまで「私はこうする。あなたはあなたの思うとおりにどうぞ。ただし、あなたがやばいことをするっていうなら、あなたの前から絶対にどかない」っていう、そういうスタンスでいきたい。

 でもって、そのうえで桐生ちゃんの絶対ケンカでケリつけるフィールドみたいなノリで、私なりのケリつけるフィールドを構築したい。

 待って? だけど、それは手段であって、目的じゃない。

 目的として考えるとしたって、帯刀男子さまにするっていうのもよくわからない。それでなにをしたいのか、そっちが目的じゃないのかって話だ。

 なんだろ。


「仲良くなる?」


 そんなあほな。

 私はあいつと仲良くなりたくない。あいつも同じじゃないかな。

 これまで対峙してきた人たちにしたって、そうだ。ウィザードは未だに無理まである。教授に関しては言わずもがな。私はそこまで清らかな聖人じゃあない。なにせ、まず、自分の反応と付き合うのに困難を抱えているし? そいつをどうにかしてぶつけたくなるんだ。

 おのれ! このやろう! って。なる。

 そういうの、出ちゃうんだよね。身体から刀が生える形で。

 困る。

 みんなに心配をかけるし、学校には行けなくなるし、お仕事も遠ざかるばかり。

 やりたいことができなくなっちゃうのである!

 そんな風に余裕なくなるような緊張の理由が増えていくから、生きにくいんだよね。批判がやまほど浮かぶけど、それはひとまず置いといて!

 まず単純に「春灯、あんただいじょうぶじゃないよ?」とみんなが心配するような状態になってるし、事実いろいろ問題を抱えている。厄介なことに答えも解決もなく、このだいじょうぶじゃなさと私は付き合うしかない。

 そして「だいじょうぶじゃなさ」を抱えるだけで、できなくなることがやまほどある。「だいじょうぶじゃなさ」は様々な要因によって生じるものだ。だれかに傷つけられるだけで、深刻な「だいじょうぶじゃなさ」を抱える羽目になることも。

 私の場合は、あいつに八尾を注がれたこと。教授にされたこと。特大の体験はそのふたつだけど、まだまだいろいろある。それだけで一生にわたる影響に苛まれて、もうむりってなる人もまあまあいる。

 あいつもそのひとりなんだ。


「認めたくないけど、認めるほかにないことっていっぱいあるよなあ」


 ほんとに、いろいろとさ。

 それって目を背けたくなることや、否定したくなったり、表向きにすると加害者を寄せつけそうなことだったり、あるいは告白すると排除されるような加害だったり、もういろいろとてんこ盛り。

 人の弱さ、醜さ、傷や痛み。暗い部分や過失、罪。社会的な烙印。支配の刻印。そのほか、いろいろと。

 親戚のおばちゃんに昔「みんなに好かれるのは無理だし、私は私って開き直って生きれるようになったら、ずいぶん楽になるもんよ。まだ小学生には早いかな」って、お鼻を指でむぎゅっと潰されながら言われたことがあるけどさ。

 でも、傷口が痛むように、まさに身体で感じるんだよ。認めたくないこと。認めるほかにないと思うこと。それだけで、ずきずきとくる。おまけに痛みは反響しあうんだ。身体のなかで。脳の処理において。刺激を感じたとき、あるいは予期したとき、たちどころに身体中で音が鳴って、波がぶつかり、痛みに繋がるいやな音を立てるんだよ。いくつも、いくつも。止まらないんだ。


「そっちだよね。どうにかするとしたら」


 だけど傷む音の波のような反応の発生を止めたり、反響しあうのを止めたりするのだって、言ってしまえば手段なんだよね。もちろん! 取り入れるけどね!

 それっていったい、なんのためだろう?

 痛みをなくすため?

 それもちょっとずれてる。まだ問えるもの。

 でも、別にこった理由じゃなきゃいけないわけじゃない。目的だってそう。


「痛いの、やだもんね」


 それはどうにかしなきゃいけないじゃん。ね?


「なにをするにしたって、まず、そこからじゃんね?」


 その痛みをどうにかするための方法が「お前を帯刀男子さまにしてやろうか!」。そして「反響する痛みを止める」。そのためには「なににどう反響するか」を探る必要があるだろうし、それにはそもそも「どれくらいの音が発生しているのか」を探るべきだろう。

 音。そして、刀。痛み。反響するとたまらないもの。これらが身体の中にある状態として仮定するとして、私のように刀を生やせば終わり? それを引っこ抜けばいい?

 そうはいかない。

 私がそれでどうにもなってない!


「引っこ抜くだけじゃ、なあ」


 鞘に収めるとか?

 いや、それ、無刀取りよりもハードル高くない? ねえ。


『相手の刀を見るや、刀に見合う鞘を出し、戦いの最中に収める。たしかに離れ業だな』


 十兵衛が愉快そうに笑う。


『だが鞘に心を向ければ、襲いくる刀に応じることさえままならんだろう』


 だよねえ。

 宗矩さんが書いていた。刀や技に気を取られると、その場その場で選べる選択肢を限定してしまう。依存を限定するから、極めて危うい状態になる。選べる手は限らず、その場に応じて選べたほうがいい。発想が豊かだと、それだけ機転が利く。なおよし!


『愉快で見てみたくもあるがな』


 それまでにいくつもの段階を経たほうがいい、よね。


『特に最初のうちは、相手も気力に満ちあふれている』


 抵抗も激しい。これは完全に初めての試みだから、どうしたらどうなるのかがまったく読めない。

 どうしたもんかなあ。


『大いに悩め』


 十兵衛からの助言はなし?


『お前がどうするのかを見たい』


 つまり、なしか。わかった、もうちょっと練ってみる。


「さて?」


 私の場合はどうか。

 身体から刀が生えちゃう。それは無意識の表現。だから私の制御下にないし、私にはなにをどうしたらいいのかわからない。それって刺激に対して、脳が膨大な蓄積と情報処理を行うときの内訳とか、相互になにがどう作用しあうのかとかでも一緒。わからない! おまけにしんどい! 生活にも困難をきたすので実に厄介!

 これまで会ってきた人たちもそうだった。別に敵対してなくてもそう。シュウさんに対するカナタにせよ、中学時代の私に対するキラリにせよ。お姉ちゃんの位牌を前にしたお母さんにせよ、さ。まだまだいるよ? 学校に入ってからずっと、そういう人たちと出会い続けてきた。

 仲良くなればわかるのかって、そうはいかない。お母さんの例なんか顕著だ。トモだって、あんなに私と気持ち良く接してくれていたけど、私はトモの苦難の具体的な意味や熱を、痛みを、まるで理解できなかった。

 他者の痛みはわからない。そもそも自分の痛みさえ、満足にわからない。

 それをどう表現すればいいのかだって、もちろんよくわからない!

 実際、そんなもんなのである!


「ううん」


 おまけにさ? たとえば足首をひねったときの痛みに対して、電車のなかで「うおおおおお!」って叫ぶみたいなとんちんかんなことを私たちはよくする。それじゃだめだってなって、対処できるならいいよ? だけど、できないで我慢してると、やっぱりとんちんかんなことをし始める。

 しちゃいけないことをし始めることだってある。あいつや社長たちのように。去年のシュウさんみたいに。教授やアダムのように。

 私だってさ? カナタとの将来に不安や悩み、怯えたり怖くなったりしたら「言わない。話さない。聞かない。尋ねない。考えない」で、ずーっとほったらかしにしてた。目を背けてた。

 そうそう目的なんてわからないし、目的のためにどうするかだってわからないし、わかったと思ったものがてんで的外れなこともあるし?

 私たちはそもそも、認めたくないものをやまほど抱えて生きている。

 ということは、私たちの被害がどれだけ深刻で、私たちのせいでなかったときでも、それを相手やなにかが認めるかっていったら、そうもいかないのである。

 大昔からたぶん、そのへんはずーっと変わってない。だからってミームにあるように「人間は愚か」なんて言っても、なんにもなんない。どうにもなんない。なんなら言うだけ無駄まである。だって「じゃあどうするか」なんだから。次のステップは。

 いまは無理、なら休む! だっていいけど、世の中は不公平で不平等で、おまけに生きるために必要なことが多すぎて、休んでいられない。なのに働き口がないとか、働く場所がどこもあまりに過酷すぎて「だいじょうぶじゃなさ」を抱えている人にはあまりに不向きなんてことも、やまほどある。

 長い歴史と蓄積、いろんな人の営みによって、やっと、福祉や支援、その充実化などがはかられてきているけど、そんなの認めないし許さないっていう人たちもいる。当然のように湧いてくるから、まあむずかしい。

 そんな世の中にみんなで生きてるからさ?

 みんな、わからないよね。ほんとのところは。

 答えが明確にあったら楽だけど、そんなの稀だ。解決できない、すくなくともいまは無理ってこともたくさんある。私は小説「火星の人」、映画「オデッセイ」が好きで、人生で一度は火星にだって行ってみたいけど、そもそも月面に人が当たり前に行ける時代さえ私の生きているうちには訪れないだろうなって思ってる。

 この手の話なら、まだ、例えにしやすく語りやすい。だけど社会問題や政治課題になってくると、無理だ。そしてまさに、そっちのほうが私たちの生活に強い影響を及ぼすし? まさに今日を生きるのが苦しい人たちにとっては切実だ。

 だけど、わからない。ほんと、どうしたらいいんだろってことばかりだ。


「せめて、相手の思うとおりに表現ができたら?」


 それが無意識とずれがあったり、お悩み人生アーモンドチョコレートのお悩み核心アーモンドじゃなくて特定の層のチョコに延々と執着しちゃってずれてたりしたとしても、表現ができたら?

 対峙する私は、いまよりはちょっと、やりやすくなる。

 そうなるためにはどうしたらいいんだろう?

 相手の御霊になって、金色を使えるようになったらどうかな?

 そしたらあいつだって表現しやすくなるんじゃないかな?


「そんな無茶な」


 いやいやいや。

 ないないない。

 ないけど、でも、いっそそれくらいのほうがわかりやすくない?

 「お前を帯刀男子さまにしてやろうか!」、「私がお前の御霊になって、ずっと一緒にいてやるからな!」みたいな。

 生き霊かな?

 狐憑きがそれをやるって、割と洒落にならないのでは?

 ただ、でも。


「一周まわって、ありなのでは?」


 勝つために戦うんじゃない。

 相手を負かすために挑むのでもない。

 狙いはなによりもまず、痛みの低減と緩和。

 だったら「御霊になる」ことほど、わかりやすく覚悟を示して、寄り添う手段もないのでは。

 条件は対等とはいかない。絶対的には一致しない。

 でもまあ、そんなのはよくあることだからなあ。それに私はひとりじゃないし、ひとりでやるつもりもない。まず、相手に力を借りるつもりだし、依存の繋がりにお互いが加わらなきゃあ成立しないものをやろうとしてる。

 それならさ? これくらいの酔狂が必要じゃない?


「もっともおばかな選択肢が、案外わるくないってこと、あるもんね」


 だとしたら、もっとおばかになれないかな?

 ありそうな気がするんだ。

 音。刀。

 それだけじゃ足りない。

 未来ちゃんから教えてもらった書籍で見てきた。教えてももらった。患者やクライエントが話しやすいような場所を作るって。臨床心理士、公認心理士どちらにおいても。場所の力を借りるだけじゃない。あらゆる依存の力を借りる。

 実は、だから「聞く」をまともにやる以外の手段も依存に組みこむ。遊べる場所や休める場所、のんびり過ごせる居場所や相手、仲間などができるようにしたりしてさ?

 そういう具合に八方手を尽くすんだ。

 そこまで含めて、おばかをとことんやれないか。

 徹底的なあほうを作れないか。

 いや、待て。落ち着け。問題がずれてる。あほうが目的じゃない。手段をよりよくするための手を考えているに過ぎないんだから。落ち着いて。

 戦うためっていうより、相手がとことん表現できるように手を尽くすんだ。責める、戦うだけじゃない。したくない、応じない、無視するっていう表現さえ含めて。あらゆる表現を、相手ができるようになんでもするんだ。だけど実際には「なんでも」じゃなくて「具体的になにを」と決めなきゃ、なんにもしようがない。でしょ?


「ううん」


 相手がなにを望んでも応じられるくらいの手段がいる。

 そうだ。あらゆる依存がいる。

 対峙するからこそ、膨大な依存が必要になる。

 少なきゃ無理なんだ。そこを踏まえておかなきゃ見失う。


「あほうはどうやら、楽じゃないぞ?」


 だけど拡散した領域をふらふらとさまようような思考から、どんどん的が絞れてきた。

 おかげでずいぶん気持ちが楽になってきた。

 なんでもできる私になろうとしなくていい。なれなくたっていい。なれやしないし。それでいい。

 だいじょうぶ。

 だいじょぶじゃないことをいっぱい抱えていても、そう言い切るには必要なものがやまほどある。

 そうだ。この術は私ひとりじゃ成り立たない。だけどね? それでも私が構築するべき枠組みがある。あほうを思いきりやれるし、いくらでもあほうになれて、おばかをいくらでもさらけだせる、そういう枠組みがいるんだ。

 どんなに認めたくないことでも、そのつらさにめげてしまう弱さも。

 私に置き換えて考えるなら、醜さや、愚かさも。被害だけじゃなくて、加害も。目を背けたい体験も。

 そのものだけじゃなくて、そこから生じる痛みや苦しみを、恨みや憎悪、憤怒さえ表現できる、そういう枠組みがいるんだ。


「あんたがどんなにうんちでも、あんたを、私は」


 あいつは他人でも、あいつの痛みは他人事じゃないから。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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