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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百二十一話

 



 真夜中の爆睡から天国修行に呼ばれる。

 未だに書類は届かず。現世でもまあまあ時間がかかるもの。

 ただ庭先に見覚えのない人がいた。しかも庭には大岩や石が敷き詰められて、そこに湯が張られていた。ぷんと濃い蜜のような香りが漂う湯船に、その人は全裸で浸かっていた。おイヌさまたち、みんなして居心地が悪そうな顔で控えている。


「かの神が不在とは退屈だわあ。だれか歌や舞いはできないの? 弁天さまが退屈してるのよ?」

「「「 そう仰られましても 」」」

「どうか布を羽織り、お引き取りいただけませんか? 本日はこちらにお戻りになりませぬゆえ」

「そもそもわたくしどもは庭師ですから、無茶を申されても困ります」

「なによお。けちい」


 心底だるそうにその人は立ち上がり、みんなを睨みつける。

 名乗りのとおりなら、弁天さま。もっと正確に言うと弁財天、あるいは弁才天。仏教が取り入れる前にはサラスヴァティー。古代インドの女神さまである。よく音楽や芸能の神さまみたいに捉えられるけれど、香りが大好きな神さまでもあるし? 戦いとなれば荒ぶる強烈な存在に早変わりという。

 私はよく丸顔だと言われるけれど、彼女もそうだ。満月みたいにまんまるい。大きな瞳はいま細められているけれど、見開いたらかなりの迫力。もし漫画なら彼女のバックに目力! と書きたいくらいだ。惜しげもなく見せつける裸身も詳細は伏せるけどタマちゃんばりに艶めかしくて生々しい。できれば隠してもらいたい。気まずいなんてものじゃない。現世と羞恥心の勘所がちがうのかな? あり得る。

 あとさ? 湯船から彼女が立ち上がっただけで、より一層の香りが立ち上る。まるで香りの化身であるかのようだ。彼女がすこしでも動くだけで、頭の奥底に熱を灯して彼女に誘われずにはいられないような、そんな妙な気持ちにさせられる。

 匂いに敏感なおイヌさまたちときたら、その匂いに骨抜きにされないためにか、みんなしてマスクをつけていた。それはそれで失礼じゃない? だいじょうぶそう?


「あ! ら!? あらあら! 神使がいるじゃない!?」


 屋敷の中からぼーっと見ていたのがいけなかったのか、退屈を持てあました女神に見つけられてしまった。


「来なさい」


 彼女がそう命じただけで、ふらふらと足が勝手に近づいていく。

 鼻腔から入り込んでくる香りがなにかもわからない。ただ鼻筋から頭の奥底にかけて、じりじりと熱を帯びる。甘痒くて、心地よい。頭に響いてからすぐに全身へとむず痒い感覚が浸透していく。もっと、くすぐられたい。欲しくてたまらない。


「そうよ。そうそう。そこで止まって」


 近づけば近づくほどに香りが強くなる。全身を満たす陶酔感が増していく。香りが強くなるだけで愛撫に溺れるようなのに、彼女が呼びかけるとさらに刺激が増す。こんなに官能的である必要性などないはずなのに。


「ちょ、ちょっと! たぶらかされは困ります!」

「おたまさま、お気を確かに」


 屋敷のおイヌさまたちが私にマスクをつけさせて、おまけに緑のぐちゃぐちゃした固まりを鼻先に近づけられた。雑草を刻んで潰して混ぜたような固まりの強烈な青臭さに、全身のむずがゆさがすっと引いていく。


「ちょっとぉ。きっちゃんと人の神使をものにする競争してるんだから、邪魔しないでよ!」

「またはた迷惑なことを!」

「感心しませんよ! あまりお戯れが過ぎるようですと、我らが主に忠言を願わなくてはなりませんぞ?」

「今日はお帰りを!」


 唇を尖らせたアヒル口をしたうえで、女神さまはぶるぶると音を立てて不満を表す。

 だけどおイヌさまたちも引かない。それで諦めたのか、彼女は湯船からあがった。両手をぱんぱんと二度合わせると、湯船が蒸発して消える。マスクなんてたやすく貫通する芳香に気が遠くなりそうで、あわてておイヌさまが近づけたままにしてくれていた緑の固まりの匂いを嗅いだ。

 掘られて作られた簡易お風呂場が消え去り、元の庭の土に早変わり。湯船の蒸気が集まって透けた羽織りになり、女神さまの身体を覆う。あんまり透けていて、かえってとってもえっち!


「ばーかばーか! あほー! いけずー! せっかく遊びに来てあげたのに! ふんだ! ふんふん! 新作できるまで来てあげないんだからね!」


 舌をべっと出して、ゆるく握った両手を頭の左右でくるくる回してから、飛んだ。ちっちゃな調薬と共に蒸気になって、そのまま消えてしまった。

 その途端におイヌさまたちはため息をついて、それぞれにうちわを出して仰いでいく。


「まったく」

「いつもいつも困ったお方だ」

「相変わらず強烈な匂いですねえ」

「お寂しいのでしょう」


 おイヌさまたちの評価はとても厳しい。

 私についてくれていたおイヌさまたちが「まだしばらくこのままで」「お体に障りますので」と、緑の固まりを渡してくれた。強烈な青臭さは正直、あまり嗅いでいたくない類いのものだ。パクチーの凝縮体、あるいはクサムシのすりつぶしみたいな匂い。なのに、この臭さに頼らないと、私は正気じゃいられない。

 猛烈だ。香りの力。こんな術もありなのかと驚いていた。

 香りを払って、お屋敷に戻って落ち着いた頃に、お台所番のおイヌさまが教えてくれた。

 彼女は名乗りのとおり、弁天さま。人の神使を狙っていたという彼女の遊び、競っていた相手は吉祥天女。日本霊異記や古本説話集などにも記述のある天女で、毘沙門天の奥さんだという。ちなみにふたつの本では、男の妻になっていいことしてあげてた存在だ。たとえば、いまでいうフィギュア、当時でいう仏像のような彫像にふんすふんすと懸想していた男の世話をしてやる。浮気しないかぎりは。だけど男はやっぱり浮気をするので、天女は立ち去る。あるものを残して。それは? 夫婦でいた頃に男が発射した体液である。天女は天の存在だから、男がどんなに欲を注ごうが天女の領域にまで持ち帰られることはなく、天女に及ぶものじゃない、というわけ。もうひとつは、僧があんまり「辛抱たまらないっす!」と天女を思っていたら会いに来て一発お相手してくれた。起きたら「うわ。天女の服に俺の体液かかってるぅ」となり、賢者になった僧は大後悔。悔い改めるっていう話だそう。

 まるで「落ち着け! 世の男たちよ! お前たちの欲望! 私に向けるかぎり、世話してやろう!」と言わんばかりである。すごい。あらゆる二次元のえっちな作品で男たちが願った存在の化身みたいな天女だ。

 釈迦は過酷な修行なんてしょうがねえと切りかえたそうだけど、でもさ? 修行っていうと、やっぱり僧なら女人禁制な印象が猛烈に強いしさ? そんなのでどうにかなるようなものじゃないよね。欲望。

 なので「吉祥天女さまがいる!」というような、抜け穴が必要だったのかもしれない。あるいは、いま日本でせっせとえっちな二次創作とか、えっちな小説とか書いている人たちみたいに「うおおおおおお! リビドぉおおおお!」っていう人たちの思いが作りあげた存在、あるいは化身なのかもしれない。

 ちょっと、やだな。

 でも、あり得そうだし、わかっちゃう気がするんだよなあ。

 煩悩のやばさときたら、尋常じゃない。

 だけど規範を強めがちなのが私たち人間だから、煩悩と規範のせめぎ合いときたら、どんどんおかしな方向に向かっていくんじゃないか。

 自慰も禁止となると、まず、ね? 無理じゃないかなあ。だからいちおうオッケーというけれど、それも時代や集団によって、まちまちだったんだろうしさ?

 そう考えると吉祥天女のような「私がいる! どんとこい!」みたいな存在を作り出して頼りにした人たちがいたとしても、なんの不思議もないような。

 話を戻して。


「最近はすっかり香の求道者みたいでねえ」


 おばちゃんおイヌさまは「現世の風潮も変化しているのだし、あっぷでえとして、すこしは落ち着いてくださればいいのに」と困ったようにため息を吐いている。

 たしかにね。男あさるぜ! 女の子もいっちゃうぜ! って、ご時世的には合わない。それは弁天さまがきっちゃんと呼んでいた天女も同じだ。ぜったいそれ、えろが好きなおじさんたちの創作では? と思ってしまう。

 でもって、それとは別に、えっちなものがまるごときらいかって?

 そんなことは! ない!

 一切ないのである!


「あの香を嗅いだら、すごく、こう、むらむらっとしましたけど」

「本来は不老長寿のためだったり、もっと広範に健康のためだったりしたのよ? 現世でも広く漢方薬に使われるものとか、かれえ? に使うすぱいす? を利用しているとかしてね」

「はあ」

「だけどいまは天女さまたちとの遊びに合わせて、人間をはじめ、周囲を虜にする香作りに夢中なのかしらねえ。術と合わせて用いられると、うっかり無防備に吸いこんでみなさい。あっという間に心を蝕まれてしまう」


 耳が痛い。

 なにも言えない。

 実際に私は無防備に吸いこんで、弁天さまの香りの威力を味わった。


『古来より香りは様々な形で利用されてきた。ぬしも幼い頃に親の匂いに落ち着いた覚えがあるじゃろ?』


 タマちゃんの指摘に同意する。

 たしかにそうだ。お母さんの匂い。大好きな毛布の香り。うちのお布団の安らぎの内訳には、嗅覚を通じて「もうだいじょうぶだよ」と思わせてくれる刺激がつまっていた。

 食事においても。場所においても。匂いは私たちの印象を左右する。そればかりか、快不快に作用しすぎるときがある。嗅覚は私たちの重要な判断材料だからだ。

 人もそうだ。

 握手会をしたとき、たまに「おぅ!」となる匂いの人がいた。それは私の印象を決定づけるには十分だったものの、相手について理解するにはあまりにも不十分すぎた。

 自分の匂いには鈍感になるというけれど、自分の匂いにふと気づかされることはなくしがたい。たとえば体育やトレーニングのあとに「おぅ!」となることがあるからね。でも、そのきつい匂いがずっとわかるかって言ったら? 意外とわからない。

 一方で自分の匂いは、自分の健康状態をはじめ、さまざまなものを示す重要な手掛かりになる。

 お風呂に当たり前に入れるかっていったら、割と人による。それだけでもう、当たり前にお風呂に入っている人たちからしたら「まじかよ」案件だけどね。でも、おばあちゃんちの集いで教えてもらった。意外と、お風呂に入るのって心と体の元気を必要とする。そして、その元気がなくなることがある。

 たとえば、加齢によって。あるいは社会生活によって。

 たしかに仕事終わりに帰ってきて、ぷちたちのわーっという元気にやられてへとへとになると? もうお風呂なんかどうなってもいいやって思う。心の底から。

 介護で働いている親戚のおばさんたちいわく! 「加齢によってうつになる人もいてね」「ああ、若い子なんかでもなるよね」「疾患にかかると、ままならなくなるんだよね」とのこと。

 だとしたら無理をしてでも来てくれたっていう見方だってできるのにさ? 私は匂いだけで判断していたことになる。

 過去の過ちに気づきながら、間違えていたと認めながら生きていくのだねえ。

 匂いは、だから、膨大な情報の集合体でもあるんだね? 氷山の一角なんだ。


『それだけではなく、うまく扱えば術にもなる』


 たしかに。

 どうしようもなく安らぐ匂いがあったり、興奮せずにはいられない匂いがあったりする。

 ところでタマちゃんは遊びに参加してないの?


『数を競うのは幼稚な戯れゆえな』


 おぅ!

 言うねぇ!


「香りの術って、なにか文献があったりします?」

「おすすめしないけど」

「え」

「匂い。敏感でしょう?」


 おばさんにお鼻を肉球でふにっと押された。

 たしかにそうだった。


「それでも探したいなら、本棚を探してごらんなさいな。たしか浴室手前の通路沿いにある棚にあったと思うから」

「はあい」


 お礼を伝えて、さっそく探しに行ってみる。

 それからふと「ああ。やっぱり術にまつわる本もあるのか」と気づく。

 言うなればドクターストレンジの気分。カマータージと呼ばれるチベットのどこかの秘境で魔術について学ぶことになったストレンジ元医師は、様々な魔術書を読み漁って脅威的な速度で技術を高めていったし知識を深めていった。

 ここには膨大な本がある。彼ほど早くは読めないけれど、私には金色本収録の術があるから、いつでも読めるのが強味。使わないなんて、もったいない。

 いっそ興味のある文言はないか、背表紙をよくよく確認することにした。


「あ。日本霊異記」


 そこでふと目に留まる。小学館の分厚い本の背表紙を。他にも宇治拾遺物語とか、今昔物語集とか、いろいろと。それこそ吉祥天女にまつわる内容だって入っている。

 宗教キャンペーンの集まりくらいに思っていたけど、見方を変えるとポルノにまつわる内容さえ含めた記録にだってなるわけでさ。けっこう興味深いよね。

 実際に天女とされる存在がいるとなれば、彼女はどういう存在なのか。

 弁天さまはかなりぶっ飛んでたけど、他のみなさんはどんなもんなんじゃろか。

 あと、毘沙門天は奥さんの「現世の男ども! どんとこい! ばっちこい! 呼ぶか? 行ったるわい! さあ! じゃんじゃん抱け!」な感じをどう思っているんじゃろか。

 地味に気になる。

 いわゆるびろうな話だ。これは。

 でもね? 切っても切れない話でもある。

 しばしば支配が関わる。絡みつく。支配とは暴力であり、虐待なのだから、加害と被害についても切り離せない。

 ポルノはとことん、加害と被害、暴力と虐待、支配を切り離せない。

 あらゆる欲から、これらの要素を切り離すことができないように。

 こうした事実は私たちの単純にしたい、済ませたい欲と噛みあわない。

 そう。欲は私たちを単純さに導くことが多い。

 さっきの香にのまれた私がそうだったように、気持ち良くなりたいときにはもう、それだけになる。お腹が空いているときには満たしたくてたまらないし、おいしいものが欲しいときには美味ばかりになる。欲と心身が単純にいられるときほど、私たちは楽でいられる気がするし? もちろん、満たされる、ないし心地よく刺激されつづけていたい。ある程度の満たされない余白があって、夢中になれる、求めれば得られて、もっと欲しくなるくらいがちょうどいい。

 ビッグバンセオリーで生物学者のエイミーが「脳に電極を取りつけて快楽中枢を直接刺激できるボタンがあったなら、私たちはボタンを延々と押し続ける」という、なかなか過激な台詞がある。

 実際、それを選ぶ人は多いんじゃないかなあ。

 まさに行為の最中で、夢中なときには? それだけになるよね。人間。

 お腹が空いて空いてたまらないとき、おいしくてたまらないものを食べているとき、口に運ぶ手を止められず、ばくばく食べることを止められないみたいに。私たちは単純さのなかで、心地よくなることを求めすぎる。

 心から安らぐときにはどうか。満たされる気持ちに溺れるように、とことん癒やされて脱力しつづけたくなる。ぽかぽかのお布団。極楽なお風呂や温泉への入浴。美容師さんの極上洗髪。このときがずっと続けばいいのにと夢中になるくらい、なにもしないでいたくなる。これもやっぱり、欲だ。

 能動としての欲の夢中。受動としての欲の夢中。

 自分の世界における悦楽や快楽の虜になって、自分の世界の外のあらゆる存在、あるいはイリヤたちや社会、世界のあらゆるものと無縁になれる。自分の世界に閉じこもれる。そういう安心感も、解放感もあるのかもしれない。

 願望を満たす毛布になる。それも肉の毛布に、なんて。


「うわ」


 官能小説か。

 やば。


『絆がないが他者に触れて受け入れて欲しいという欲なら、大勢が持っている。ゆえに妾の営む店のいくつかは繁盛しつづけておる』


 男は通い、買うのだ。自分を満たす肉の毛布が欲しくて。それこそ愛や加護さえ授けてくれる吉祥天女なんか、理想の存在すぎるんじゃないかな。自分の思い描く最適な伴侶。性に開放的で、よく応じてくれるし、とことん肯定して、愛してくれる。どんなプレイもお望みのままに。いくらでも吐きださせてくれるし、哺乳類がお互いに毛づくろいをするように「いたるところ」を舐めてくれる。世話もしてくれる。

 母なるものが欲しくて買う。母なるものを掌握したくて、思いどおりに支配したくて、買う。


「はあ」


 やっぱりびろうな話だな。

 なのに私たちは人生からびろうな話を切り離すことなどできやしないのだ。永遠に。

 私にもあるし? あの男にもあるにちがいないのだ。いったいどんなものを抱えているのかはわからないけどね。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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