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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百二十話

 



 天気の子だったかな。

 主人公の少年と、かつて少年だったおじさんが交流していくなかで、おじさんは大人の理屈を飲みこんで生きてるんだけどさ? その理屈が自分にさえろくでもないことを理解していて、うんざりもしてる。なのに気づけば、嫌いだったはずのこどもに押しつける大人に自分がなってる。それにたまらなくなって、少年を助けるシーンがある。

 でもさ?

 生きてると飲みこむことを迫られずとも厳然として存在する世の中うんち、私うんち、あいつうんち、みたいなものに出くわしつづけることになる。目を背けないかぎりはね。だからこそ、うんちとも付き合う術がいるのだし? ろくでなしのうんこたれは、人にうんちをいかにうまく押しつけるかばかりを考える。

 天気の子だと、警察がまさにそれをやろうとする。

 うんちの押し付け合いの世の中で「きみが生きられないなら、一緒にいられないなら、うんちがあるくらいなんだ、うんちがあるほうを選ぶ」として、女の子の命を助ける代わりに東京の雨が永遠に降り注ぐ状態になった。

 ほんとはもっといろいろある話だけどね。

 いけないなあ。わかりやすさのしもべになりがちで。

 説明をつけたがるし? わかりたがりすぎる。

 それに、そもそも一度に頭のなかに「いったん置いとくデータ」の総量って、あんまり多くない。なるべく整理してまとめてほしい。じゃないと「区切りの付け方」がわからない。どうすればいいのかわからない情報が増えつづけてしまうから、手に負えなくなってしまう。

 岩淵悦太郎編著「悪文 伝わる文章の作法」角川ソフィア文庫2016年、81ページより。


『おばちゃんは、天気がいいときには、朝から畑をほったり、こやしをやったり、朝早く起きて、ごはんとおかずをたいたり、寮の人のふとんや、よごれていたらはずしてやって、洗ってやったり、また、ほかに男子や女子の洋服などの洗濯したものや、ほころびたり、やぶれたりしていたら、おばちゃんの所に持って行くと、ひまのときに縋ってやったりして下さいますから、私はいつもありがたいと思います』


 区切りのつけかたにおける悪文の一例だ。

 よく言うことだけど「長すぎる一文はくぎる」。文脈が通らない文がだらだらっと繋がっていると読みにくい。だって「どこで区切ればいいかわからない」。「どれがどれにどう関係しているのか整理をつけるのがたいへん」だ。どれがなにをどう指し示していて、どう語りたいのかもわからない。

 ただただ羅列されても私たちは、それをどう処理すればいいのかに困ってしまう。結局なにが言いたいんだろうといらいらしてしまったり、だらだらしゃべらないでほしいと荒ぶったりする。

 でもね?

 雑談では非常によくある形式だし、実際に私たちは「別にぜんぶをきちんと聞かなくてもいいや」と聞き流したり、気になったところがあったら尋ねてみたりする。

 他方でこうした話法が蔓延している現状には教育の余地があると見なす人がいるし? 内容の整理が常につけられるよう技術を習得すればよいと見なす人もいる。そもそも、こういう語りで新聞やメディアがまとめられてしまったら、私たちはいまよりもっと困ってしまうだろう。

 主語を省略しない。一文を短くまとめる。だれがなにをどうしたかで。他にもいろいろあるけどね? 消化しやすく整理した文章は、実は網羅的に情報を押さえているとは限らない。当然だ。読みやすくするため、わかりやすくするための整理は、情報の保証をしない。それはまた別の話だ。そのうえで、やっぱり読みやすいほうがいい気がするんだけど、私たちはわかりやすいものを読んだら、もうそれで済ませたくなっちゃうからね? そこからさらに「提示された情報の真偽を確認・分析する」「その情報をだれがどうして扱うのか」など、様々なことが欠かせない。

 なんであれ私にとって思考は言語であり、文章だ。

 言語であり文章だと捉えたとき、思考は悪文であるほど自分が困ってしまう。

 先の一例を私なりに編集するなら、どうなるか。


『おばちゃんは天気がいいとき、朝から畑を掘ります。こやしをやります』

『朝早く起きて、ごはんとおかずをたきます。そのあと寮の人のふとんを見て、よごれていたらはずしてやって、洗ってやったりします』

『寮の男子や女子は、自分の洋服を洗濯してもらっています。ほころびたり、やぶれたりしていたら、おばちゃんの所に持って行くと、ひまのときに縋ってやったりして下さいます』

『だから、私はいつもありがたいと思っています』


 こんな風に直しちゃうし? これが内容とずれている可能性はあるよね。私の勘違い、間違いの可能性が。だから二度、三度と往復して、内容のずれがないかを確認して、修正する。

 基本的には「一発で済ませる」んじゃなくて「何往復かして直していく」ものだ。

 雑談ではゆるい会話のなかでお互いに「ん?」となったり、気になったりするたびに問いかけて、往復をして確かめていく。別に厳密さなんかみんな気にしていないときはほったらかし。そして実際、ほったらかしでもいいといえば、いいし? 食事のマナーのように気にするみんなといるときには、気にしたほうがよい。割とTPOによる。

 TPOによるけれど、私たちはわかりやすいものを求めがちだし、それで済ませたがるからさ? なかには「往復」をとことん、徹底的に嫌う人がいる。憎悪していると言ってもいい。彼らは往復を求められるだけで、こどもが駄々をこねるレベルの情緒的・身体的反応を示す。

 身も蓋もない話だけど「往復」を嫌悪・憎悪する、その態度を隠さない人は、周囲の「話す」ことそのものに確実に威圧的かつ支配的に振る舞うので、ヒヤリハットに重要な報告や、なにげない違和感を話すための労力をむやみやたらに増大させる。なので、危機管理が求められる立場には圧倒的に向かない。

 それに苦手意識を持っていると、そもそも自分の思考に必要な往復に対してさえむやみやたらに抵抗してしまう。それでは自分に批判的になれないし、批判に対する柔軟性以前に対応力を持てないし、自説に対するゆとりや余白を持てず、反証への対応力を失う。反証に対応できないということは、自説のみに縋ることになるからさ? 自分の世界にのみ縋るようになる。あるいは自分の世界にとって都合のいい情報にしか依存しなくなる。危ないぞぉ? これは。

 本当は天気の子のおじさんがうんざりするような世界や大人のうんち部分、自分のうんちって、往復しながら肥やしにできるところを利用するし、どうにもできないことは保留にするし、答えがないことや解決できないことはそう理解していくものだ。自分の世界だけにがんじがらめにならず、さりとて自分の世界を必死に否定するのでもなくね。他者や世界と折り合いをつけるだけじゃなくて、これはおかしいと思うこと、そこから生じる思考を練りあげて、行動に移していくんだ。

 反証と行動がなければ、世界はいまも火、水、風、土で万物ができているなんてことを信じていた。原子も分子も知らずにいた。細菌についても、ワクチンについても、なにも知らず、作れずにいたろうし? 人体の中がどうなっているのかもわからず、漢方を信じすぎたり疑いすぎたりしていただろう。人種差別は一歩も進まず、ナチや大日本帝国の深刻な戦争犯罪は省みられることなく、あらゆる国の軍隊が他国をどれほど殺して破壊してまわるかだけじゃなく自国の兵士たちをどこまでも深刻に傷つけ狂わせるのかさえ認められることはなかった。

 個人レベルでは? 正直、どれくらい反証の余地を保てているか、自信がない。それに反証する前に、まず自分が感じた情緒的・身体的反応をまるっとまるごと真に受けて、信じてみなけりゃ始まらない。

 頭ごなしになんでも否定しろって話じゃないんだ。もちろん、なんでもかんでも肯定しろって話でもない。でもこの複雑さが、実際の運用において私たちを大いに悩ませる。


「はてな」


 本の記述を頼りに霊子を四つの属性を示すものとして、手のひらのうえに放出してみる。

 火は狐火の要領でいい。水は悲しい気持ちを燃料にすると、すぐに出た。風は急ぎたい気持ちが燃料だと微風が起こせた。泥のように寝たい、ライブ前のしんどい眠気を思い出せば土の塊が出てくる。

 ならばと金はどうかと試す。金属を出せるだろうか。いろいろ試してみたけど、お父さんが一度だけなっていた尿道結石や、中学の体育祭で結ちゃんにやまほど入れられて死にそうなくらい走った日にできた鼻くそを思いだしたら、鈍色の小さな鉄の塊ができた。ふくざつぅ!

 このままの勢いで木はどうかとあれこれ試行錯誤。ツバキちゃんが見せてくれた笑顔とか、寝起きにぷちたちが私にへばりつきながらも妙に憎めない寝顔してたときとか。みんなの記憶に残っている顔を思い出すたびに、手のひらに小さな種が出た。

 それぞれを組み合わせたら、いろいろと発展させられそうだ。前にタマちゃんに教えてもらったときよりも自然に行えるように上達しているのは、私が自分の影響について自覚的になれたからか。こどもたちの魂たちとすこしずつ過ごせるようになったから? あるいは、自分の不安を自覚できたからかな。


「ふむ」


 身体を動かす術に関しては、跳躍はひととおりできるはず。家の外に出て思いきり飛んでみると、中学時代のジャンプ力と大して変わらない。つまり、かなりしょぼい。

 重たい物を持ち上げる、とか。素早く動く、たとえば反復横跳びがめちゃくちゃ早くなる、とか。いろいろと試してみるが、身体能力に関しては明らかに結果が出ない。


「まだ怖がってる?」


 身体から刀が生えたり、手だ顔だなんだが出てきたりするのだ。身体の変化を私は無意識に恐れているのかもしれない。

 霊子を活用するものは心の状態に影響を受けすぎる。恐れを抱いていたら、術も神通力もままならない。おかげで私はこのところ、ながぁいながぁいスランプである。あるいはイップスか。


「私でこれなら、あいつも実は地味に困難を抱えているのでは?」


 関東中を混沌に貶めるほどの大量の怪物を生み出す術。そんなの使える精神状態って、ちょっと想像できない。とてもじゃないけど安定なんかほど遠い状態にあるのではないか。それって、いつでも満足に術が行える状態じゃないのでは?

 あいつは水面下で動いているんじゃない。水面下に潜っていないといけない状態なのでは?

 あり得る。

 もっとも、あいつの術の仕組みがもっと正確に解明されなきゃ確かなことは言えないし? それには仮説、実験、検証。それらへの反証を踏まえてまた仮説、という具合に「往復」が求められる。むしろ「往復」が欠かせないんだよね。それは私たちの一度で済ませたい、わかって終わらせたい態度と相容れないものだ。

 そのあたりは学校の先生やみんなが担ってくれている。ひとまず任せるべし。


「私は私のことをやらないと」


 金色で出すよりも、ゲームで見かけるような特定の属性として出すのは骨が折れる。慣れていないのもあるし、一定の感情を想起しないとうまくいかない。なにも意識せずに出せるようになって久しい金色を出してから、それぞれの属性に化かすんじゃあ二度手間だ。楽な気がするけど、霊子の状態が異なるかもしれないと思うと、積極的に採用できない。比較するにも、そのやり方が思いつかない。カナタやノノカがいてくれたら、調べてもらうんだけどな。いまは私ひとりだから、無理だ。

 そうなると、属性を出す練習を続けるのがよさそう。組み合わせたり、より様々な現象を様々な規模で出す練習をしよう。

 本当ならぷちたちが無茶をしたときに安全を確保できるよう、だれかの術や神通力に干渉する方法を練習したかったんだけどね。私ひとりじゃできない。干渉する術がうまくいったのか、それとも私が術をやめただけなのか、判別できる気がしないんだよね。正直。

 属性として出す練習に専念するけれども、今度はいろいろと脳裏によぎってしまって困る。感情を想起すると、当たり前のように過去の体験を思い出すことになるからさ? 当然、体験に紐づく情緒的・身体的反応が蘇る。いろいろと思いこんでしまうので、水を出すつもりが火になってしまったり、種を出すつもりが水になってしまったりする。思いどおりにいかない。

 どうも私は私の手をすり抜けるように考えすぎる。波打ち際の海水を手のひらで拾いあげたいのに、いっそう強めに押し寄せた波に打たれて「うぶっ」となってずぶ濡れになっちゃうくらい、勢いと量がすごい。


『身体を動かせ』


 十兵衛?


『うるさいときには、動くのがいい。集中しやすくなる』


 たしかに!


「ん、と」


 明坂のライブにゲストで出してもらったときに教えてもらったアイドルステップを刻んでみる。脇を締めて、両手は肘の高さに。左右にステップを踏みながら、わん、とぅ、すりぃ。


「ちがうんだよなあ!」


 すぐにやめた。なんかこう、うきうきしてきちゃうんだけど。おばあちゃんが私にあれを歌って、これを歌ってといってくれたことを思いだすんだよね。ちなみに、おばあちゃんが注文したのは「春灯は若いから」と調整してくれた結果、選ばれる昭和のアイドル。お母さんが「いや古いから」とツッコミを入れたのは言うまでもない。

 でも、けっこう楽しかったんだよね。私が歌うとふたりの顔がすこしだけ穏やかになるから。


「あらためて、歌?」


 歌うのも運動だ。動けば集中できるなら、私には歌がある。

 いろいろと結実していく。それでも十分ということではない。

 行うほかに充実へと近づく道はなく、よく行うにはよく感じ、よく考えないとね。

 なにより、よく歌わないとなあ。


「ふう」


 息を吐いて、思いきり吸いこむ。

 発声練習。柔軟運動。これまでしてきたことを丹念にひとつずつ反復してから、曲を考える。

 それぞれの属性に合いそうな曲を選ぶ? それとも気持ちに任せて歌う?

 歌ありきなのか、術ありきなのか、感情ありきなのか、過去ありきなのか。

 ほらまた、むずかしくなった。

 私たちは困ったことに複雑さに対応しなきゃいけないことがたくさんありすぎるのに、しばしば、その複雑さに怯んでしまう。困っちゃうね?

 だからこそ技術などの指針を活用するのだろう。

 まず歌ってみようよ。基本から始めるんだ。夢中になれなきゃ、どんな歌を歌ったってしょうがないんだから。

 そうだよ。だいじょうぶ。怯えなくても。焦らなくても。

 私には歌があるよ。みんなと繋がってきたものがあるよ。

 あいつは、どうなんだろう。

 あいつには、あるんだろうか。

 自分はだいじょうぶだと、そう思えるものが。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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