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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百十六話

 



 荒涼とした砂地、波の少ない穏やかな水面、また砂地。徐々に草が増えていき、それが不意に稲穂に切りかわった。途中途中に狐の石像が建っている。笠をつけて、赤い布を首元に巻いた石像は小さな木造の小屋のなかに鎮座していて、その前にお備え用の台座があった。台座のそばにはお線香を立てる場所があるし? お供えの油揚げが漏れなくちゃんとある。

 バスが稲穂に挟まれた頃には道路が舗装されるようになったのか、すこしも揺れなくなった。

 たまに耕作機械が停車している倉庫や農作業用の大きな建物、あるいは家屋が見える。それらの建物に繋がる道も現世で馴染み深いアスファルト。

 時折切れる田んぼと田んぼの切れ間から、地平線まで見えそうなくらい見晴らしがいい。見通せる道の途中に橋が架かっていて、水路が整備されているのが予測できた。

 日本のそれよりもよっぽどリッチに土地を使っている。広々としているんだもの。

 でも土地の栄養とか、そのあたりはどうなっているんだろう。わからない。

 よく食べているものがどうやってできているのかも、よくわかっていない。

 学校で習った気がするのにな。

 聞き流していたら、ろくに身につかないんだなあ。

 当たり前か。

 当たり前ね。

 わからないから、これが当たり前なのか、すごいことなのか、歪なことなのかがわからない。

 米農家さんなら、よくわからない存在ではなく、具体的な営みとして見れるんだろう。

 いいなあ。

 すごいなあ。

 これが童心なのかな。

 もっと知りたいし、わかりたい。覚えたいし、挑戦したい。

 世界を広げたい? ううん。私の知らない世界を冒険したい。

 「手に入れるもの」じゃなくて「手に入れようとする」ことが鍵。

 そしてそれは別に完全でも完璧でもなんでもない道。

 うんちにまみれていることに気づいたり、実は夢や希望、その場所やすべてがうんちまみれだったと気づいたりする道。

 でも、そうか。うんちと稲ね。

 肥やしになり、それは命の栄養に繋がっていく。

 自分のうんちも。世界のうんちも。転じて肥料になっていく。

 よりマシにしていくために。そのために活用していく。

 なんて、人によって、解釈に幅が出ちゃう曖昧さなんだろう。

 稲穂の絨毯を抜けていくとしたかったけど、途中で様相が変わる。稲刈りが済んで、収穫した稲を乾かすために稲架に稲を掛けている。天日に干す大事な工程だ。それくらいは覚えている。

 稲を乾かす区域をしばらく過ぎると、今度は稲架がなくなった区域に。

 しばらくして、水が張られた田んぼになり、やがて発芽した稲のみずみずしい青に満ちていく。

 アマテラスさまのお屋敷のお庭。狸街を囲む大樹の森、龍のようなヘビや、そんなヘビの腹を満たせそうな巨大昆虫などなど。なにもかもが理解の外にある。

 この世界の、あらゆるものがわからない。

 そんなのは、現世でも同じだ。わかったつもりでいるだけのことが、ここより少し、多いだけ。

 息苦しさと共に圧倒されていたら、バスのアナウンスが狐街への到着を告げた。ボタンを押して降車する。稲穂に囲まれた木造による近代都市。石もコンクリートも使っているし? 狸街に負けじと巨大な樹木もそこかしこに生えている。だけど狸街が自然の中に住まいを構えているのなら、狐街は狐たちが作り出した稲穂の中の庭園。

 入り口へと続く長く白く美しい階段を進む。振り返れば稲穂の絨毯だけ、というわけではなかった。田んぼの向こうに様々な彩りの畑が見える。階段の左右には、石垣を積んで作られた道ができている。段々になった土の上に、ベンチや傘が設置されていた。樹木も生やしてある。階段を形作る白い石段には埃も葉っぱも、なにもない。

 よく掃除されているんだろう。

 前に来たときは、こんな風にじっくりと見なかったな。そんなことを思い出しながら、先へ進む。

 地獄で村正おじいちゃんたちが暮らす人の集まる集落では門扉だなんだがあったっけ。天国で人が暮らす小さな町でもそうだった。だけど狐街には扉がない。町の入り口から中に入り、頭の中の地図を頼りに幼稚園を目指す。

 屋根と屋根との間を駆けて飛び越えていき、大いにはしゃぐ若者たちがいた。通りの端で火を人型にして、競わせているこどもたちがいた。家の中から「宿題はぁ!?」とか「ちょっとあんた、稲刈りサボったでしょ!」とか、それに対する「あとで」だの「しらね! 逃げろ!」だの、いろんな声がする。

 賑やかさでいったら、狸街と大して違いがない。

 たまに私の九尾に気づいて「あれ?」という顔をする狐がいるけれど、あえて声をかけてはこない。狸街の狸たちは人なつこくて積極的な子が多いし、おっとりしてる子も多い。それに比べると、ここでは興味や好奇心をもつ子もいるけど、距離を取る子も多い。結局、だれにも話しかけられることがなかった。まあでも、そこに関しちゃ狸街も大して変わらないか。それに狸街と狐街とじゃ、私の浮き具合もまたちがうからね。

 ぷんと甘くて豊かなお米の香りが漂ってきた。どこかでご飯を炊いているんだ。どうやってかな。釜で茹でているのかな? それとも薪を燃やしているんだろうか。その割には炭の匂いがない。だけど、私はそもそもかまどでご飯を炊くときの匂いをろくに知らない。

 飯ごう炊さんともまたちがうのでは?

 ろくに覚えてないな。もう。やだなあ。

 それなりの時間をかけてたどりついた幼稚園を見上げる。

 いろいろと資料を集めて、保育園と幼稚園とで最終的にそれぞれひとつ選んだ。そのうちのひとつ。そして最終的にここだと選んだ場所は、木々がしめじのように生えている。その木々の幹をくりぬいたり、周囲にたてつけたりした小屋の数々が集まった、無茶苦茶な学び舎。

 神通力を一から学べるし、いろんなことを生徒の希望に応じて学べる場所。のんびり屋さんでも、勉強がぜんぜん気乗りしなくても楽しく過ごせる場所。どんな子でも、その子なりに過ごせるという、そういう居場所。強くするんでも、賢くするんでもない。ただ、その子がその子でいられるよう手を尽くしてくれる場所。

 きっといろんな問題があるだろう。だけど、自らの問題を認めて対処してくれる場所。

 それは保証にはならないけどね。

 それでも信じる理由にした。私は。

 小屋へと伸びる通路はしめじのような木の根、いや、大樹の口の前に知った顔を見つけた。私のぷちたちの多くを受けもってくださっている先生だ。


「どうもぉ! こっちこっち!」


 右手を掲げて、引いちゃうくらい左右にぶんぶんと振っている。冗談抜きに百八十度の振り幅だ。

 現世の私よりもちょっとだけ年上っぽい見た目のお姉さん。焦げ茶と黒の毛をした一尾の、メメ先生だ。タマちゃんやあきさんのような例があるから、見た目どおりの年齢とは限らないけどね。


「いやぁ! こっちで会うと、ちっちゃいですね! 相変わらず! 神使になった現世の人はいろんな変化に見舞われると言いますが、小さくなる例は久方ぶりです。ま、それを言ったら、天国に神使としてやってくる方なんて、そう滅多にあるものじゃないんですけどね!」

「はあ」


 わりと、めちゃくちゃしゃべるタイプだ。

 ぷちたちひとりひとりの連絡ノートの内容も分厚い。

 おかげでかなり助かっているんだけど、直に話すと毎回、圧倒されてしまう。


「ご案内しますね?」

「お、お願いします」


 緩急の付き方も独特で、対応に毎回こまってしまう。

 踵を返して歩きだす彼女の後をついていく。円くくりぬかれた穴の道。天井から垂れ下がる様々な形のランタンが木目にたまる経年の変色ぶりさえきちんと照らしている。気持ち的には小じわや目のクマ、見せたくない汚れを暴かれているようであまり気持ちのいいものじゃない。

 壁の至るところに写真や絵画が飾ってある。これまで、ここに通ってきた生徒たちによるものか。彼らを捉えたもの。ただし、写真に関してはカメラが開発されてからのものだ。それまで記録は絵画や文字に頼っていた。絵筆なくして画像を残すことはできなかったし? それは絵筆を握る人にかなり依存する。その時代の美術のありようにも。もちろん、注文にもね。


「やっぱり入り口は着飾ったものになっちゃうんですよね」


 メメさんの言葉に惑う。

 どう反応していいやら。


「あなたのような神使も、あるいは神使のこどももいますよ?」

「あ」


 迷った。

 式神は? と。そう問いかけるべきかどうかで。

 分けてなにがどうなるものでもない。

 分けたいのは、式神にしたらどうして、こどもにしたらどうなるかを探りたいからで。

 具体化したらどうなるって? 自分のうんちを知ることにしかならない。

 そのうんちはなんでできているのか。

 いったいなにを生み出したいというのか。そんなものを肥料にして。

 私たちはあまりに楽をしたがるから、それをいいことにしたがるから、正当化・責任転嫁・免罪したくてたまらないから、傷つけようとする。刀を握りたがる。振るいたがる。支配を求めずにはいられない。

 赤ちゃんの頃から、なにも変わらない。

 自分の不快さを訴え、それをどうにかしたい。

 とにかくまず、なんとかして。

 加齢と成長・発達の過程で私たちはどんどんこじらせていき、口だけ達者になっていく。

 より正当化・責任転嫁・免罪する物言いに、価値観に、定義にのめりこんでいく。

 だけど根っこは、赤ちゃんの頃からなにも変わっちゃいない。

 身体は闘争をうんぬん、まあよく聞くけれど、人間の防衛機制のひとつを殊更に神格化してるに過ぎなくて、そんなことを探り知るまでに何千年もかかった。それくらい歩みが鈍いのが、私たち人間だ。

 うんちだらけだと、正当化・責任転嫁・免罪の物語に酔ってばかりだと抜け出せない。たどりつけなかったものが、知識であり、反証を必要とすることが多すぎる。

 やだなあ。


「神使も、ということは、私も通えるんですか?」

「万が一お子さんと一緒にとなると気まずいどころじゃなかったり、ご家庭で苦労なさる実例もありますから、神使向けの教室もないではないんです。あんまり少なくて珍しいので、お伝えが盛れちゃいました。それに、現世での年齢が一定を過ぎると、いまさら幼稚園はちょっと、という方もいますけど」

「ううん」


 たしかにいそうだ。

 こっちで神使になれる人でも、まあ、人格の保証にはなんないよね。

 でも、あれ? 待って?


「いないわけじゃないんですか?」

「何人かいらっしゃいますよ。せいらん、でしたっけ。狐憑きになったり、狐の御霊を宿す者はけっこういらっしゃいますから」

「なん、です、と」


 聞いたことない!

 真っ先にユウジンくんの顔が浮かぶ。脳内イメージで手を振りながら、そんなことも知らないんだねって笑ってる。

 くっ! おのれ! 知ってて黙っていたまである! ユウジンくんなら、それくらいやる!

 今度会って文句を言ったら喜ぶにちがいない。

 あーあ。


「もっともいまは生徒がいないんですよね。神使として顔を出した方は何人かいらっしゃいましたけど」

「なんと」


 いないのぉ!?

 神使はいるのに!? だれもいないの!?

 またしても脳内イメージでユウジンくんが笑う。自分たちは幼稚園に通う必要もない。十分な心得があるから。そう笑っている。

 そうでしょうねえ!

 私には? ないっ!


「せっかくですし、ご見学なさってみては?」


 私の相談を受けたときから既にそのつもりなんだろうとわかっていながら、ここは素直に甘えさせてもらう。見たいもの、聞きたいこと、その他もろもろ、いろいろあるのだから。

 いまは日中のはずなのに、園内は静まりかえっている。こういうの、本当に仕組みがよくわからない。


「今日は静かなんですね?」

「お休みですからね」

「あっ」


 恥ずかしい!

 勝手に先読みして、おばかな勘違いしてた!

 そうだよ。街中でいろんな世代のこどもたちがわいわいしてたじゃんか。


「こどもたちがいるときは大変ですよぉ? 天井や壁を駆け回ったり、覚えたての術を試して大騒ぎを起こしたり。なにせたくさんのこどもが集まりますからね」

「そう、でしょうねえ」


 ぷちたちだけで十人を超えている私にしてみれば、想像するまでもない。

 忙しいなんてものじゃないでしょ。もはや。

 改めて壁や天井を見ると、たまに足跡が見える。どんなに掃除をしても、瞬時に汚すんだよね。みんなだって、それどころじゃないんだ。あふれんばかりの「たのしいいいい」とか「うおおおお!」っていうライブ感で生きているから。

 すごい勢いなんだよなあ。チューニングするだけで心身が途端にくたびれちゃうくらい、元気と活力と意欲と好奇心のエンジンがちがう。

 急勾配の坂道をひい、ふう、はあああ、もおおおってよたよたのぼっているとき、空を最新鋭の戦闘機が音速を超えて飛行しているくらいのちがいがある。

 え。私たち歩いてるのに、空とんじゃってるんですけど、みたいな。

 地上からあんまり高い空を行く飛行機を追いかけて走っても、もうなにがなんだかわからないし、まず置いてかれるじゃん。果てしないし。いつまで? ってなるじゃん。絶対、最低限でも隣の地方以上は先じゃん? この終わりの見えなさも含めて、無理。

 まさに自分の世界の外にいる他者なんだよなあ。

 思いどおりにならないものの象徴だ。

 自分より幼く若く、元気で、意欲にあふれていて、可能性を信じているし、なんにでもなれて当たり前って感じの存在。いや。十代でこんなこと感じたくないがぁ!? ないけどもぉ! ぷちたちはまさに、そんな感じだ。

 毎日せっせとお掃除することで、おうちを綺麗にして、保てる。そういう綺麗さしか知らずに、それが当たり前みたいに感じられちゃう年齢でもあるし? 自分たちでお掃除をしてみると、毎日のこつこつが大事かわかるかーっていったら? まああああ、なかなか、ねえ?

 むずかしいじゃん。

 自分を振り返ってみても!

 実際、心理学において乳幼児の発達の過程で”思いどおりにならないもの”に触れて、世界が広がっていく時期があると述べている。その時期の成長・発達が欠かせない。

 だけども、だれもが心理学の整理した成長・発達を満足に行えるのかって?

 無理だ。

 大人がどれほど「俺のようにうまくやればそれでいっしょ。できないやつがばかなんだよ。どんな人生になってもそいつのせいっしょ」と言いながら、ろくでもないことしてる実例がどんだけあるんだよって話だし? 「法になきゃなにしてもいっしょ」と詐欺だなんだをする大人もまあまあいるわけだし。

 たとえば思いどおりにならないものの象徴みたいな賭けに、親の財産まで食い潰すくらいの借金を重ねて「一発逆転っしょ」とするような大人もまあまあいるわけで。イカゲームの主人公もなかなかだったし? 映像化に耐えうるダメさ加減だった。そんなものじゃないよね、実際は。

 それは氷山の一角でしかなくて。

 そもそもじゃあ、十分な成長・発達ができるだけの依存がみんなにあるの?

 ない。

 あるわきゃない。

 依存があれば、みんなそれだけで十分な成長・発達ができるの?

 そんな簡単で単純なものじゃあない。

 人間だれもがうんちな部分や付き合いやすい部分、いろいろあって、それは相手によっても変わるしなあ。それって赤ちゃんの頃から、きっと、同じなんだろうなあ。

 でさ? それはそれとして、うんちなこと、部分はちゃんと「分けたうえで、問題なら問題として対応する」よね。いいところがあるから正当化・責任転嫁・免罪されるなんて、そうはいかない。いいことをしてるなら? 「それはそれ!」だ。うんちなことは、うんちなこととして粛々と対応する。じゃなきゃ、意図的うんちをいいことで正当化・責任転嫁・免罪できることになってしまう。

 それはナチだ大日本帝国だなんだがやってきたことだけじゃない。

 ひとりひとりのレベルでも、ぜんぜんやってることだからね。

 行動が願いを、答えを示す。

 ただし人の行動はひとつじゃないし、人が示す答えもひとつじゃない。

 そもそも問いがひとつなわけがない。


「いろんな子が、いるんですよね」

「狐も様々ですからねえ。くくるものじゃないですね。みんなちがうので」


 みんなちがう。

 そりゃそうだ。ひとりにおいても、いろんなちがいがあるもんだ。

 メメさんが「青澄さんのこどもたちですとね?」という前振りからの饒舌な語りを聞きながら、巨大しめじ樹の幼稚園を歩きつづける。

 ひとりひとりについて丁寧に、どこでなにをしたか、どんなだったか教えてくれるメメさんの話を聞いているだけで、圧倒されてしまう。

 私の知らない一面を、もちろんぷちたちもやまほど持っている。

 私はそれをどうしたらいいのかさえわからない。

 なにせ十人以上いるのだ。なにをどうしたら? パニックになってしまう。

 生きているとそういうことが多い。最近は特に。


「思いどおりにいかないことだらけで、やになっちゃうことって、ないですか?」


 親が厄介だったりとか、お給料がどうとか、いろいろと。

 そんな下世話な例をそのまま言えずに、ぼかしながらも振ってる時点でだめなのに、尋ねちゃう。

 ちょうど分かれ道にたどり着いたところで、彼女は振り返った。片耳をぴくぴくと前後に揺らしてから、肩をすくめる。


「思いどおりにいかないことが生きるということであり、生きる他者に関わるということですからね」


 やになったら自分が疲れてるか参ってるかしてるときなので、と彼女は笑った。そして手を振り私を招く。さあほら、早く行こうと案内してくれる。

 大樹の中をくりぬいて作られた通路の至るところに窓やランタン、生徒の作ったなにかが飾ってあるし? 生徒たちが暴れるように駆け巡れる道や障害物が設置されていたりもする。明らかにこどもだけが入るためだろう小さな扉もあった。秘密の通路への入り口が、他にも至るところにある。

 術の習得度や、獲得する神通力の傾向によって、行ける場所、やれることが変わるそうだ。

 それらが不得手な子向けの術ややり方なんかもあるようで、なんであれ「学び獲得する」ことの経路を確保している一方で、「できなくても、興味がなくても大丈夫」な時間の用意も豊富だという。

 術より運動や学問が好きな子。寝るのが好きな子、遊ぶのが好きな子。ちっちゃい頃はもっとずっと単純だった気がする。そういう時期のこどもたちが安心して過ごせるカリキュラムがてんこ盛り。

 狸街には、こういう施設があると聞いた試しがない。施設で行うことの多くを、あの街の地域でなんとか負担しあっているっていう感じ。そのぶん狸街はそれぞれの負担が大きいと言える。別に狸街はあそこだけじゃないし、金長ちゃんはむしろ、あの街はああいう仕組みでやるのだと決めて営んでいるみたいだった。そもそもあの街にしたって病院は明確に福祉・支援のための施設として存在していたしなあ。

 そうそうわかりやすくはないものだなあ。

 正しさだけで動いているとか、純粋だからいいってわけじゃない。

 打算や流れで結婚するふたりもいるし、誓いを立てても離婚する人はあとを絶たず。

 そりゃそうだ。恋愛がよかろうと、それで自分・相手のうんちに気づける、気づかれるってわけじゃない。趣味も、仕事も、学校も会社もそう。なんなら家族なんか最たるものだ。

 いつどういう形でうんちに気づくか、それがどういううんちかは人によるし? うんち部分が致命的かどうかも場合による。

 思いどおりにならない、その度合いもね。

 私たちが思いどおりにならないことにどれほど耐えられるのかもだ。

 そもそも、成長・発達だってみんなめちゃくちゃまばらで、不十分さも、それがなぜかもみんなちがうのにさ?

 よくもまあ、世界はなんとか動いちゃってるもんだよね。

 だからなのかなあ。高城さんも、真壁さんやマロさんも、しばしば「そんな真面目に仕事しちゃいけないよ」って言う。それがいままでずっと、ピンときてなかった。

 でも、すこしだけわかった気がする。

 それぞれに「真面目にやる」と表現しながら、諭してくれていたんじゃないかな。

 思いどおりにいかないことを、思いどおりにするべきだって捉えるほど、私たちはどんどん歪んでしまう。だから無理をしようとしないでって。

 アナ雪はよくも歌ったもんだ。ありのままに、それがどうにもむずかしい。ズートピアで署長にいじられてたけど。思いどおりにいかない現実をありのままにっていうのも、ほんと、むずかしい。

 でも、なあ。

 だからこそ、なのかなあ。

 うちのお母さんも、美希さんも言ってた。なんならサクラさんとか、タマちゃんからさえ言われた気がする。どうにかしよう、どうにかしなきゃってがんじがらめになるほど子育てはつらくなり、自分でいるどころじゃない時間のすべてが苦痛になる。だけど、なるようにしかならんし、そのうえでやれることをやろうって腹を決めると、すこしずつ楽になってく、みたいなの。

 そりゃあ抽象的だし、なんとでも解釈できちゃいそうだけどね。

 すこしだけ、わかった気がする。

 思いどおりにならなさと生きるのだ。

 それは「なんでも受け入れろ」って話じゃないよ? もちろんね。

 うんちは押し寄せてくる。対処しなけりゃならない時代だよ、まだまだ。

 でも、それがなにかを見誤ると、うんちの波に飲みこまれるばかりか、自分もすさまじいうんちになる。これはやばい。

 思いどおりにならなさに対して、私たちは常に問われており、答えを示していく。

 どう生きたいのか。どんな人生を望み、どんな社会を望むのか。

 能動的に。

 決して、思いどおりにならないことに刺激されて反応したすべてに受動的に従うのではなく。

 自分の希望に向けて、能動的に。

 ふわっとだけど、すこしだけわかった気がする。

 私よりも素直に生きてるだけ、単純で簡単で、またそうあるべき膨大な依存のなかで生きるこどもたちは、ぷちたちは、私よりもちゃんとわかってるんじゃないか。

 なんて、卑下しても始まらないな。

 うっし。出せるなら元気は出してこ!

 それから私の入園、前向きに考えるべく質問を考えとこう。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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