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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百十四話

 



 こどもが夏休みの宿題をしないとき、問題はこども”だけ”にあるのか。

 そして、こどもの問題”だけ”を解決すればいいのか。

 どうかな。

 ”だけ”として対応する。

 これで百万人、一億人のこどもが漏れなく解決できるかな?

 できないとしたら、できないこどもたちをどうする?

 できないこどもたちのせいにしておしまい?

 まあ、実際、そうやって運用されている”かのように見えるし感じられる”ことが多い。

 だけど、それって本当かな?

 私の認識は世界中の”だけ”や”できない”を確実に見抜いている? まさか。

 それなら、じゃあ、実際はどんなもの? わからない。

 ただ実際に、勉強につまずいている人が大勢いる。学校で。宿題で。

 一生涯を勉強嫌いで過ごしている人がいるし、強烈な苦手意識を抱いて過ごす人もいる。

 これを「人の問題」に帰結する向きはもう、めいっぱいある。

 だけど、そのとき批判の矛先は「できない人」にしか向けられない。

 だとしたら、その批判は身勝手かつ一方的なもので勝手な物言いと大差ない。批判未満だ。

 宿題をしないこどもに問題は?

 あるだろう。

 でも、それだけだろうか。

 ちがう、かもしれない。

 では、どれだけちがう実例を並べられる? 想定できるケースを提示できる?

 多ければ多く、それが実に即しているほどよい。

 どんなケースであれ、あらゆる確認が欠かせない。

 はい、もうこの時点で? 手間だ。

 面倒なんだよね。

 だから”だけ”にしたい。そういう実例も大いにあり得るのが”だけ”の重大な問題点。

 あらゆるケースを想定して確認、事情や情報を展開していくと、実際には対処すべきことがやまほど見つかる、なんてことがある。

 それはさながら、古びたおうちの点検をしたら「シロアリにやられてる」「水道管がだいぶ参ってる」「下水菅がぎりぎり」「屋内の配電設備が旧式で、いまの基準に合わず、空調だなんだを新設するときにはまるごと手を入れなきゃいけない」「耐震基準が昔のものでいまと合致してないので、対策が欠かせない」などなど、あらゆる問題が明らかになるような感じだ。

 ちなみにどれも、いまのおうちに引っ越す前にお母さんが片づけた問題だそう。

 安さに支配されている人は一定数いて、彼らは新築よりも築数十年みたいな家を買う。だけど新築よりもいっそお金がかかるような、そんな悲惨な状態になっていることが古い家には珍しくない。もちろん新築ならオッケーっていう、そういう単純な話でもないんだよね。夏は暑くて冬は寒い家の作りになっていることが新築でも結構多いというから。

 よく言うじゃん。ね?

 氷山の一角って。

 起きた問題は、一角だ。

 私たちはいろんな理由で、その一角だけを処理したがる。

 水が流れなくなった、トイレが詰まった、柱を食べる蟻を見つけた。それひとつを解決して、はいおしまいだ。古い家につきもののあらゆる問題を、いっそこの際チェックしよう! なんてことはしない。

 自分自身に対してもそうだ。

 宿題をしなかった。

 問題だ。自分がそう思わなくても、先生やクラスメイトに問題と見なされる。

 そこで私たちは一角を捉える。一角だけに集中する。

 ちなみに解決できるなら? 宿題をするようになる。かもね?

 じゃあ、解決できなかったら? 繰り返し、宿題ができないままかもね。

 はいおしまい。

 これでいい?

 よくはないじゃん。

 だって、解決できなかったら、宿題ができないままなんだから。

 ここまで繰り返し、述べてきた。依存の大切さなどを。

 だけど教授に捕まって拷問されているときの私に、外に出かけていって助けを求めることはできなかった。あの瞬間、あの場所、あの状況で、ないものは、ないんだ。

 それはもう、ただただ、それだけの話になるし? それだけのことで、私は逃げ場がなく、あいつのしたいように合わせるほかになかった。それが実際だ。

 氷山の一角がやまほど出ていた。

 どれにも対処できなかった。

 あの瞬間に私の世界はたしかになにかが切りかわった。

 教授にあった、明確な悪意や敵意や憎悪。それだけじゃない。怯えや恐怖のようなもの。それはアダムやシュウさんに、ユリア先輩に、中学時代の私にさえあった。重なるものだった。

 それはたしかに存在している。

 ビルがやまほど爆破されて、社長たちが起こす事件に遭遇してから実感した。

 それは明らかに存在している。

 だけど、じゃあ、それはいったい、なに?

 主語がない。あるいは、ありすぎる。もしくは、あるものがどこに存在するのかわからない。


「イリヤ」


 眠りについた私は天国修行に来ることができた。

 なので狐街をひとり、目指していた。

 狸街に向かう途中にあるバス邸からバスに乗って移動する。その窓際で金色本を開き、窓の外を眺める。

 どこまでいっても私たちは自己の解釈で構築した世界の外を観測することができない。

 だけど私の世界の外に、常に他者がいて、世界がある。歴史があり、文化がある。

 これはすべての人に共通している。

 他者の存在を認識することはできても、私の解釈として他者を取り込むことはできない。

 なにせ他者は私の解釈なんかお構いなしに存在している。私の解釈なんかどうだっていい。思考するにしても行動するにしても、いちいち私の解釈なんか参照しない。逆もまた然り。

 むしろ、これが当たり前。

 この大前提の元に、私たちは自らを律する。

 だけど私たちはしばしば他者を御することを望む。

 支配したがる。

 そうすれば自分の解釈の世界でいられる。

 他者に強要する。攻撃するし、怯えさせる。言いなりにさせればいい。

 いきなり無理なら、誘導する。敵を作り、恐怖を煽り、不安を生み出しては刺激する。

 そうやって徐々に支配を強めていけばいい。

 わかりやすければわかりやすいほどいい。なんでも引きうけられて主語を大きくできる雑なものがいい。みんなが消費しやすいほどいい。フルコースよりも流動食。複雑よりも単純。勉強も批判もなにもせず、なんなら思考の必要さえないのがいい。そのうえで、与えたものに受動的にエネルギーを消費できるような物語だと、なおいい。

 責めるにしても理不尽なほどいい。規範など持たせず、狂わせ、破壊するのがいい。考えるのが無駄で意味がなく、がんばっても徒労に終わるのだと痛感させればさせるほど有効だ。

 だからこそ支配は暴力であり、虐待だ。

 対象の生きるためのあらゆる力を根こそぎ破壊する。

 その影響は数年で癒えればまだマシで、数十年かかることもざらだし? 死ぬまで癒えないことも多い。

 だけど、元を辿ると?

 私ではない人たちが大勢いて、私ではどうにもできない世界や歴史があることに耐えられない。

 それに尽きる。

 じゃあ、そう痛感する体験って、いったいなんだろう?

 どんなものかな。

 耐えられないのはなぜ? 求めるものがあるから? 否定したいことがあるから?

 なんであれ、自分には、現状を受け入れることができない点では共通している。

 たとえば? 過去に大日本帝国が国民を見棄てたり、見殺しにしたり、餓死させたりと、もうとんでもない国だったこと。侵略先でしたことのひどさも悲惨すぎるもの。そんな現実にあった過去を必死に否定したい人たちがいる。

 利益や目的があるから、なんて理由もつくけどね。

 自分の世界を揺るがすものや、損を、決して認めたくない。認められない。

 自分の主張のためなら、いくらでも無視する。毀損する。嘘を本当だと言いつのる。

 そういうことをする人たちもいる。


「レヴィナス」


 エマニュエル・レヴィナス。第二次大戦でドイツ軍に捕まるが、かろうじてホロコーストを生き延びることができた人。だけど家族をはじめ、身内は死に絶えた。だけど世界は変わらず存在し続けた。

 ナチはいた。ナチに協力した人たちも。ドイツがどれほど戦後に批判、非難、中傷の的になったか。戦後に毛髪を剃られた女性たちがいた。世界の憎悪はナチやナチに協力したドイツへの復讐を求めていた。

 それはそれで明確な敵意であり、悪意であったろう。ともすれば喜んで復讐をする人々の中にも、ナチに重なるなにかを見たかもしれない。

 おまけに世界は変わらず存在した。

 自分の世界はことごとく破壊されたにもかかわらず。

 人を破壊する悪意はいまも存在する。戦争が終わっても長く。

 どこまでいっても自分の世界は限りがあり、未知を解明しきれない。

 そもそも他者や世界を内になんて閉じ込められない。引き入れられない。

 そのために支配を選んだことが、どれほどの歴史的悲劇を起こしたのか。戦争が終わっても直ちに消えるわけではなく、むしろ反動のように支配の波が押し寄せてきては、正当化・責任転嫁・免罪された悲劇が繰り返されていく。

 終わりのないドミノ倒し?

 ううん。

 波だ。

 海の波。

 際限なく起きつづける。なくならない。

 みんなして、自分の世界のとおりになるよう、そればかりに囚われていく。

 だれもかれもが波で破壊されて否定され、傷ついた自分の世界のとおりになるように支配を求める。

 みんな受動的だ。支配による傷の刺激から起きた反応に、とことん受動的。

 あるいは支配を内面化している。支配に囚われてもいる。

 そうそう能動的にはなれない。

 反応を受けてなお、能動的には振る舞えない。

 傷をどうにかしよう、その衝動にひたすら受動的になり、否定したくてたまらなくなったり、責めずにはいられなくなったりする。

 暴力や虐待の矛先が他者に向かうばかりじゃない。自分に向かうこともある。

 わかりやすい象徴を求めることも多い。

 排外主義に向かうケースはわかりやすい。ナチがいい例だ。日本でも「ガイジン」という捉え方が、いつ排外主義や差別に繋がるか知れたものじゃない。ナチとやっていることはなにも変わらないのに。

 ナチも大日本帝国も、明快な悪だ。これを否定できる論拠はない。厳然たる事実だ。たとえばそれはテッド・バンディやジェフリー・ダーマーのような連続殺人鬼や、未成年の少女をやまほど犯したジェフリー・エプスタインのような悪と同じくらい、揺るがないものだ。擁護できる余地がない。

 だけど、こうした「確かさ」をもってこそ、わかりやすい象徴として掲げる人たちも少なからずいる。捕まって刑が確定した連続殺人犯に熱烈な手紙を送る人が出てくるように。

 自分の世界を強固にするために、なにかを担ぎ上げるのだ。

 メディアにあふれる「日本すごい」の波のように。

 実際にすごいところがあるとしたら、経済成長のしなさぶりや格差の拡大、税制の不均衡ぶりなどなど、挙げるときりがない。そのすごいは「すごく問題」であっても、「素晴らしさがすごい」なんて意味ではあり得ない。

 だが鼻息荒く日本は素晴らしい、ナチは世界一なんて言ってる人に、そんな言葉は響かない。

 彼らは自分の世界を強固に保ちたい。

 ミームを消費しているだけっていう”つもり”の人にだって、届かない。

 自分の振るまいという規定を保ちたい。いちいち付き合わないし、付き合いたくない。

 だから、事実なんて知ったこっちゃあないのだ。受け入れる余地もない。

 批判なんかいらない。

 考える気もない。

 ただ自分の世界が保てればいい。

 人権がどれほどの犠牲をもってたどりついたものだろうと、知ったこっちゃない。

 スマホゲーの強いキャラを指して言っていたい。人権、人権って。

 そういう人たちの集まりがなにをしたかって?

 それはもうナチの話を出して済む気がするのに、きっと歴史は何度でも同じ過ちを繰り返す。

 学ぼうとしないなら。批判しないなら。自分の世界が脅かされるとき、それを強固に保てばいいということしか知らないなら。それ以外を知る気がないなら。

 みんな喜んで繰り返す。


「パラダイム。シフト」


 それじゃいけないから、私たちは自分の世界はもちろんだけど、自分の思考の枠組みを捉える。

 そして転換する。

 そのためにも反証を丁寧に検討するしさ? コミュニケーションありきの理性だし。

 野生の思考も欠かせない。ありき・あるべき文明の思考に囚われてはいけない。

 ロールズのリベラリズムはわかりやすい。基本的自由、機会平等、格差それぞれの原理は、私たちの心、思想、言論の自由を保障して、社会が阻む障害に苦しむ人たちの生活を改善できるよう機会平等のために調整し、競争によって生じた格差は不遇な人々の生活を改善するために活用されるべき。

 この点はピケティの映画「21世紀の資本」の内容とも重なる。

 残念ながらアメリカの「リベラル」な人たちのなかには、機会平等や格差を「維持・拡大」し、かつ、「あなたたちが貧しいのはあなたたちの自由・自己責任だ」「勉強しないのがいけない」「いい企業に就職していないせいだ」「富める親の子に生まれなかったのが悪い」というような論調にハマっていた人が少なからずいたようだ。ロールズのリベラリズムからすると、そうした態度は大きな過ちだ。

 みんながみんなそうじゃないにしたって、トランプが勝つだけの不満感が醸成されたのは事実。

 過ぎる格差は明らかに問題があるとピケティは批判していた。

 サンデルとの対談本では非常に緩やかにではあるが、数字で見るかぎりにおいては社会全体の貧困などは改善の傾向にあるとしているものの、相対的貧困の問題が解決されることはない。そして、過ぎる相対的貧困は私たちを傷つけ、支配を求めさせる。受ける意味でも、狙う意味でも。

 だからこそ国をまたいだ資産のタグ付けと、全体の資産を軸にしたうえでの富める税の強化が必要だとしている。

 そりゃあ、そう。

 貧しいほどすべてが高くつく。

 依存の貧困さも同様だ。

 そうなれば生きるのがもう、ひたすらにつらくなる。大変になる。

 そんなとき、必要なのは敵じゃない。

 まずなによりも十分な生活と、安心だ。支配じゃない。

 生きるのが楽になることなんだ。

 なにかに縋らなきゃ保てない自分の世界じゃない。

 あらゆる他者、世界と付き合っても、自分の世界が揺らいでも、それでもだいじょうぶな状態だ。

 それらをもたらすのは膨大な依存だ。

 社会的支援・社会的資源・関係性・環境の具体的なもの。

 依存の内訳を満たすのは支配なんかじゃない。もちろん、敵なんかでもない。

 だれかを傷つけないと、殺さないと、支配しないと成り立たないなんてものじゃあ断じてない。


「だけどそれじゃあ、支配できない」


 たったそれだけの理由で支配したがる人々は憎悪して叫ぶ。

 自己責任! と。

 実にくそったれだ。

 あと、しょうもない。

 なぜって? その手の支配をしたがる人は氷山の一角さえ、まともに対応できないから。

 自分の利益のため、自分の世界の構築のために生きるから、他者や世界に対応できない。支配して自分の思いどおりにすることにしか興味がないし、能力も育ててない。なので、独裁はひたすら底なしに悲惨に向かう。仲間を熱狂させて大勢を道連れにしていく。

 彼らは闘争を求める。自分たちの支配権が必要だと信じ込ませたら、選挙だなんだがいらなくなるから。軍事政権などは露骨だ。内で、外で、ひたすらに戦いを起こして、これを継続しようと試みる。だけど戦いには人がいるから、意志なんてお構いなし、人権を蹂躙して連行していく。拒否権なんかない。

 そういう人が、いつの時代にもいる。

 日本にも、いる。

 なので私たちは大きな問題の渦中に生きている。その点においては、どんな時代に産まれても変わらなかったろうけどね。

 結局、産まれた時代を生きる以外にないからね。無視はできない。だれも。残念ながら。

 そういう意味では、お父さんとお母さんの世代、よりもおばあちゃんあたりの世代からかな? 政治が語らないものになった理由が推し量れる気がする。

 自分の世界を壊しかねない。そう怯えるなにかがあったんだろう。学生運動とかかな?

 もっと上の世代、なんなら戦争を体験した世代なら、またちがう理由がある気がするね。

 でも、そういう態度がいまの状態に繋がってるって考えると、怖い。

 その受動的無関心さが、恐ろしい。

 支配の傷の生々しい名残を見るから。


「なんて」


 そういう話題は、別に政治だけじゃない。

 フェミニズムにて語られる女性の権利の歴史。戦ってきた人たちがいて変わってきたものの数々。

 それは転じて長いこと踏みにじられてきたもの、蹂躙され、支配されてきた歴史とも言える。

 親になることよりも激烈に物語られてきたもの、なーんだ?

 母親になることだ。

 問いは尽きない。不安の種がやまほどある。

 それは支配の傷を露わにするもの。

 私たちがひとりひとり、自分の世界が勝手に規定される。そういう類いの支配の傷がある。

 傷が痛むので、私は不安になる。

 実感がないのはいけないのでは。本当はちゃんと産まれた経緯が理解できているべきだし、それはもっとちゃんと、出産の過程であったほうが。あれや、これや。

 不安が過ぎてどうかしてることをいっぱい抱えているんだろうけど、痛みと不安でなにがなにやらさっぱりわからない。

 まさにこういうときにはね?

 氷山の一角だけでも、なんとかしなきゃってなりがちだ。

 いまの私は自分を責めている。その手を下ろすのに必死だ。

 だけど風向きが変われば? 波が調子を変えたら、いつぷちたちを責めるのかわかったものではない。

 支配せずにいられる保証なんて、この世のどこにもありはしないのだ。

 だから私たちは思考する。批判する。反証もする。

 生活の安定も欠かせず、あらゆる依存が欠かせない。

 なので常に脆弱性を持つ。支配する余地も、される余地も、常にある。

 支配はとことんエスカレートしやすいものだから、私たちはあらゆる手を尽くして防ぐ。

 そのための重要な発明が人権だし?

 それがお飾りのお題目にならないように、常に活動しなければならない。

 そんなの、あらゆる依存が欠かせないじゃない?


「ふう」


 ぷちたちのお迎えのときに、送り迎えをしてくださってるお狐さんに話してお願いしておいた。

 相談に伺わせてくださいって。

 いつでもどうぞと笑顔で受け入れてもらえたことを頼りに、バスに揺られている。

 景色もなにも、頭に入ってこない。

 浮かんでくるのは不安に刺激される傷の痛みばかり。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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