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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百八話

 



 私たちは基本的に話したいし、聞いてほしい生き物なのだと思う。

 お悩み相談と称して持論を延々と語ったり、相談者をこき下ろす人さえいるのもね?

 結局のところ、話したいし、聞いてほしいんだろうと思うのだ。

 私なんてどうよ。

 頭のなかで話しまくりだぞ?

 泣けてきた。

 お父さんもお母さんもトウヤも、なんとお姉ちゃんもそうだ。

 ぷちたちもそうだし、おばあちゃんちの集いで会う親戚一同のみなみなさまもそう。

 あなたの話を聞かせて? いーっぱい聞きたいなっていう人は、もう、滅多にいない。

 なんだろうな。ボケしかいない、とか。ツッコミだらけ、とか。それくらいの比率で、話したい人だらけである。だからこそ「話を聞く」のが仕事として成立しちゃうんじゃないかと思うくらい、話したい人であふれている。

 だけど残念ながら思うように話せる体験に恵まれる人ばかりじゃない。

 それにただ話せばいいってものじゃない。

 ちゃんと聞いてほしい。

 安心して話したい。

 なんの憂いもなくね。

 そこがもう、むずかしい。

 それこそ「こき下ろされる」こともあるし? 話の腰を折られることもある。話してるのに中座されることもあるし、早く結論を言えと急かされることもある。ひどいことを言われるだけでもつらいけど、なんのリアクションもないこともわりとある。

 それでもまあまあ、私は話を聞いてくれる相手に恵まれているほうだ。いつもじゃないけど聞いてくれる人もいる。小学生の頃からね! 中学生になって増えたけど、今度は私が怖がって話さなくなった。

 話したくても話さない、話せないっていうケースがいっぱいあるから、ややこしいっ!

 カナタはちがう。

 おうちじゃシュウさんがまず無理。聞いてくれない。ソウイチさんも、話すって感じじゃない。さりとて妹のコバトちゃんに一方的に話すっていうのも、ねえ? というわけで家庭は絶望的。

 じゃあ学校はどう? 士道誠心に幼稚園の頃から通っていたカナタさんの仲間たちはどう?

 超弩級のマイペース、ラビ先輩とユリア先輩。カズマ先輩やクリス先輩もそう。

 話を聞いてくれているようで、わりと早めに腰を折ってきたり助言をしてくるユウリ先輩。

 そもそも聞いてくれないか、抉ってくるエマ先輩。

 聞いているのかいないのかよくわからない小楠ちゃん先輩。

 まあまあ聞いてくれるんだけど、聞き流されることも多いシオリ先輩。

 なかなかの状態である!

 だからなのかな。

 付き合うようになって、私がしげしげと話を聞いていると、すごくうれしそうにする。目に涙を浮かべることさえある。

 聞いてもらえるし、安心して話せるって、それだけで得がたいものだし?

 それを同世代の友人たちに希望するのも、けっこう無茶だ。

 成長・発達過程のなかでも青年期に向けた重要な時期に、自分の望む聞き役なんて、まず、無理だ。

 いまここで話を聞いている私だって、やっぱり聞き役が必要だしさ?

 そのあたりのバランスが取れるのかっていうと、まず、むずかしい。

 それは大人になってからでも一緒だ。結婚してるふたりにしたって、むずかしいものはむずかしいままだ。親戚のみなさんを見ていると、つくづくそう思う。

 相手がなにを思い、どう感じているのか。

 それをまったくもってわからない、考えられない、感じられないっていう状態もあるしさ?

 とってもむずかしい。

 ただ、思いのままにしゃべれて、私がそれを聞いているっていう時間がカナタにとっては間違いなく必要だったようだ。それこそ下手にセックスを消費するよりも、よっぽど満足してる。顔がどんどん生き生きとしてきている。瞳に潤いが戻ってきているし? いろいろと露骨なくらい、わかりやすい。

 話を聞いてもらう。

 その時間と関係性のなかで、自分を捉えていく。

 話して発して、相手の聞く行為を通じて反響を体感して、さらに発していく。

 循環しているだなんだと語る前に、まず、吐き出せることが大事なんだと思う。

 それって、なんの予備練習も知識もなしに当たり前にできるってものじゃない。

 未来ちゃんが教えてくれた書籍で、研究で明らかになっている成長・発達過程においては、養育者をはじめ、周囲の人々との安定していて安心できる関わりのなかで育まれるとある。そして、それは転じて養育者をはじめ、周囲の人々に依存することでもある。

 残念ながら、養育者が十分に対応していても、こどもたちの要求の隅々まで察知して応じるのは無理がある。そしてすべての養育者が対応できるよう、あらゆる依存に接続できているかというと? それもやはり、無理がある。

 なんであれ、こどもに近づく性加害者や加害者は、まさに「話を聞く」ことで懐柔し、加害しやすい状況へと誘導していく。

 それくらい、こどもの頃から私たちは「話を聞いてほしい」。

 残念ながら、いくつになっても「話を聞いてもらいたい」し「だれかの話を聞くのはむずかしい」。大人になっても、おじいちゃんおばあちゃんになっても変わらない。

 運よく満たされて、恵まれて「話を聞いてもらえている」状態が続いているのならいいけれど、地球の人類全体で、何パーセントいるんだ? っていうくらい稀なことだ。

 稀じゃないから聞いてもらえなくてもしょうがない?

 そんな論法じゃあ現に満たされないことによる、あらゆる負荷や影響に対処できない。

 うっかり失言したら大炎上するみたいに、思わぬことで当たり前に孤立する。破滅が身近にある。

 すると、ますます「話を聞いてもらう」なんてむずかしい。「話す」こと自体が恐ろしいのだから。

 でさ?

 「話す」こと自体が恐ろしくなり、ますます「聞いてもらう」のが遠ざかるほど、私たちはお互いの感情の実際に鈍くなる。そして表面的に自分が感じる脅威にばかり鋭くなる。

 恐怖が和らがないかぎり、相手の感情に共感するどころではない。想像した相手の感情に対して行動することはできたとしても、実際の相手の感情に共感する段階となるとむずかしい。

 もちろん、わからないんだよ? 相手の思考、感情なんて。

 だからこそ想像するし、感じようとするんだけどさ。

 いっそ人間以外の哺乳類の行動を眺めて、どういう感情で過ごしているのかを必死に探るほうが「自分にはわからないことがあるんだ」と痛感する鍛錬になるかもしれない。そして「こう感じているのかな?」と共感しようとする鍛錬にも繋がるかもしれない。

 先入観が役に立たないからね。人を相手にするよりも。

 あ。メジャーな哺乳類は除く。犬は特に先入観と、犬が示してくれて、与えてくれるものとのギャップが少なくなりやすい。それもやっぱり、犬によるけども。

 安定した「話す」「聞く」が成り立たないと、私たちは混乱をきたすし? 必要とする成長・発達に困難を抱えてしまう。その点で、少なくない人が問題と負荷、影響に苛まれているとも言えるかもしれない。

 自分で手いっぱいなんだもの。

 相手どころじゃないよね。

 ケーキも食べ終えて、お茶も何杯も飲んで、とうとう我慢できなくなったトイレに出かけるカナタを見送ってから、私はグラスを唇に当てた。ガラスの滑らかで冷たい表面で、何度か圧迫する。


「ちゃむ、ちゃむ」


 カナタは友人たちと過ごしていて、グループを形成して活動している。

 それは私にはないものだ。私の自覚的には。だけど自分への批判的視点から捉え直すなら、中学生時代に結ちゃんが私をグループに巻き込んでくれていた。常に。だからまったく未経験というわけではない。

 ただカナタの能動的なグループ形成と活動とは異なるだけ。

 そのうえで、だけど。

 グループでの活動がカナタにとって共感能力や配慮、他者の心理への想像力などを培う土壌になったとして。私はどうだろうか。

 八尾に注がれたこどもたちの魂は、どうなのだろうか。


「しっぷ、しっぷ」


 孤立は恐ろしい。

 仲間とは、敵を作り団結を強める傾向がある。

 家庭内でさえ、その暴力性が牙を剥く実例が存在する。

 学校では言わずもがな。いじめと呼ばれる多種多様な犯罪に発展する。それは残念ながら会社や企業同士の仕事現場においても、いくらでも生じるものだ。

 いつでもどこでも、次の自分を求められる。

 通用しないなら、適応できる自分になるよう、どこでもかしこでも。

 それはあまりにも深刻な排他性を持つ。

 私のように金色雲や尻尾コプターなどを使って、自分で空を飛べないなら? あなたはもう通用しないと言って回るような「そんな無茶な」縛りが、形を変えて、あらゆる角度から私たちに常に襲いかかるのだ。

 カナタにしてみれば?

 これまでのようにいられなくなった私との関係性が、まさにそれだ。

 私にしたって同じだよ。

 未来から来たという双子をきっかけに、このままでいていいのかという猛烈な不安が押し寄せてきた。

 タイミングは重なるもので、教授に誘拐されたり、アダム戦で手に負えないことを山盛りで体験したり、江戸時代にタイムスリップしたり! もうね。このままでいたら、どうなるんだかわかったものじゃない。でしょ?

 「そんな無茶な」縛りが幾重にも押し寄せてきた。

 そして私たちはなにをどうしたらいいのか、まるでわからずに途方に暮れるのだ。

 「話す」にしたって、それがいつ、どんな形で「破壊してしまう」のかがわからない。「痛めつけてしまう」のか、「自分で台無しにしてしまうのか」がわからないから「話せない」。

 それに相手がつらそうなら? 緊張関係にあるのなら「聞いてもらえる」かどうかがわからない。

 突きつめると、そういう袋小路だ。

 厄介なことに、いろんな形で袋小路は私たちを待っている。いつでも、どこでもね。


「mutuality」


 私たちは関係性に生きる社会性動物だ。

 だけど自分に追いつめられていっぱいいっぱいだと、相手を慮るどころではない。

 共感が大事だというけれど、自分の恐怖でめちゃくちゃになっているときに共感どころではない。


「care」


 世話。介護。手入れ。注意。心配。心配事。関心、気にかける。

 私が欲しているときほど、私はだれかが欲していることに気づけない。

 自分で強く意識しないと、いくらでも見落としつづける。意識しないままになる。

 だからケアは自覚して行う継続的な運動だ。意識でさえ自覚的に抱き、それを継続しなければ消える。

 そして意識しないと、いくらでも見落としつづけるのは「だれかが私にしてくれるケア」も一緒。

 おまけにさ?

 なんとなんと、自分の感情も、相手の感情も同じだ。

 このような荒波の中で、私たちはなにかに反抗せずにはいられなくなったり、あるいは「これだ」と思うものにのめりこんだり、なにかモデルケースを見つけて模倣に夢中になったりする。

 かと思えば都市伝説だの、危ない話題だの、逸脱したなにかだの、妄想だのに夢中になったりもする。

 だけど結局、いつかのタイミングで、いよいよ「この現実、この自分、この社会、この周囲や環境で生きるほかにない」と受け入れ、あるいは開き直ることになる。

 そこからずっとそのままでいられるか。

 無理だ。

 何度だってぐるぐるするんだよね。

 またしても反抗せずにはいられなくなったり、なにかに夢中になったりしてさ。

 あるいは開き直った自分や、開き直ったことを理屈にしたなにかに夢中になる。

 そしてもちろん、人によっては、いつかどこかで破綻する。

 なので? またしても「それでも生きるほかにない」というタイミングがくるまで、右往左往する。

 ずっと、そのタイミングがこない人もいる。

 そして自死する人さえ世の中にはたくさんいる。

 聞いてもらえないことが、致命的になる人も。

 話せなかったことが致命的になる人も。

 自分か、だれかか、その両方の気持ちがわからなくて致命的になる人も。


「communion」


 「話す」「聞く」は表現のひとつ。

 動作のひとつ。

 私たちの交流は、音にのみ依存するのではない。

 そもそも私たちは膨大な依存のもとに生きている。健常者ほど、より多く依存している。社会的障壁に阻まれる障害者はむしろ、健常者よりも少ない依存で生活せざるを得ない。

 自分は依存しているという自覚がないほど豊富な依存に支えられているとき、私たちはたしかにマジョリティである。

 障害の社会モデルを軸にするまでもなく、真面目に、真剣に学び、世の中を観察すれば自明の理だとさえ言える。

 歩ける人は、歩けば済むようになっている社会のあらゆるデザインの恩恵と、その依存の膨大な資源や支援に気づかない。自覚しない。逆に車椅子のための仕組みにだけ着目して、不届き者や性根の腐った者は「甘えている」「恵まれている」などと言いだす。

 だが、ちがう。勘違いも甚だしい。

 でもね? その勘違いをしてしまう。

 意識してよく学び、継続しないと、私たちは自分の豊富な依存を見落とす。

 ポルノ的なものに走ったカナタさんの、本当はしっかりじっくり話をして、私がそれをしっかりじっくり聞くだけで満たされた背景にいったいなにがあるのか。

 答えはひとつじゃないだろうし、セックスで興奮したかったのもあるんだろうし?

 触れて、私が触れられることで満たされたかったなにかもあったのかもしれない。

 手段はひとつじゃない。

 表現だって、ひとつじゃない。

 本来、豊かにあるほどいいものだ。

 かといって、それが、じゃあ「話す」「聞く」は疎かにしてもいいよねっていうことにはならない。

 私たちは基本的に話したいし、聞いてほしい生き物なのだと思う。

 じゃあ、それはいったいなぜ?

 私はひとりじゃないのだと、そう実感できるからじゃないかな。

 あなたは私を大事に思ってくれているのだと、そう思えるからじゃないかな。

 愛したいし、愛されたいからじゃないかな?

 それはひとりでは実感できないものなんだよね。

 だれかとじゃないと、無理なんだ。


「難問」


 カナタと。私と。

 それさえむずかしい。

 ぷちたちとだって。

 なのに、魂たちと?

 どうやればいいんじゃろね?

 なぞなぞ。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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