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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千八百三話

 



 よく眠り、みんなの「ぜったいだめ」という話を受けて宝島で療養を継続する。

 こうもしょっちゅう気絶するだのなんだのしてれば、そりゃあだれだって心配する。

 お姉ちゃんやカナタは何度も「病院に戻れ」と言ってきた。

 いいから。だいじょぶだから。

 みんなを見送る。強制的に送り出す。トウヤやコバトちゃんさえ、私についていようとするけど、それじゃあ学校を休ませてしまう。それはつらい。

 ひとりでぼんやりと、金色本を開く。

 暇つぶしにデイッヴィッド・ベイカー「SEX20億年史 生殖と快楽の追求、そして未来へ」集英社、2025年を読む。えっちな同人誌やBL本など、快楽にまつわる書籍は多い。言い換えると、ポルノだ。

 進化の歴史がある。生物史だけに留まらない。

 感覚器官においても、歴史がある。

 ここで再確認。

 進化の定義だ。

 有斐閣の現代心理学辞典で触れているのは「生物が、'世代'を経て形質を変化させていくこと。教義には、”遺伝”を介した形質の変化をさすが、広義には、”社会的学習”を介した文化的形質の変化も含めることがある(文化進化)」。偶然(突然変異)か必然(適者生存)かというけれど、それは膨大な時間の流れの後に、あとで、当時を研究するなかで見分けるものであって、まさにいま、私たちの選択だの、市場だなんだの結果だのをもって進化だ、適者生存だっていうのは的外れ。

 いや、そこはダーウィンを軸にしろよって声が聞こえてくるような。

 まあ、とにかくさ!

 もっともっと長い時間をかけてみないとわからない。

 もしも蜘蛛や百足が足を這うのと、腕を這うの、お腹を這うのや背中を這うの、それとも唇や性器を這うのとだと、私たちは本能的にどれをどれくらい比較して忌避するのだろうか。

 ポルノの文脈なら性感帯はえっちなもの。だけど現実には、虫に触れられたり、嫌悪する相手に触れられたりすることだってある。ポルノならそれでもあひんあひんうふんうふん、おっおぅおっおぅってなもんだけど、現実はもちろんちがう。

 要するに感覚器官が密集していて敏感な場所、というわけでさ?

 触れたり掻いたり圧迫したら気持ちがいい場所、というわけではない。

 サザンオールスターズが歌ってる「マンピーのg★spot」なんかド直球だけど、女性にあるという箇所と、男性の前立腺では同じくらい刺激を感じられる部位だという。個人差があるけれど。女性のそこは意識して触れなきゃそうそう刺激される機会がないものの、男性のそこは、うんちのたびに刺激される可能性がある。

 でも、男性陣がトイレでうんちをするたびに、あひんあひんうふんうふんのおっおぅおっおぅってなってる? なってない。なってたら、お父さんやトウヤがトイレに入るたびに地獄絵図!

 感覚が鋭い箇所があるとして、それがなんだって話なんだよね。

 感覚ひとつとっても、特別なんてない。

 いろんなお膳立てがいる。

 気持ちひとつでどうにかなったら、それはけっこうラッキーだ。

 だけど、そうもいかないこともよくあるよねーって話。

 この本では魚類から哺乳類まで、SEXにまつわる内容を取り上げている。それはつまり妊娠、出産、育児の話であり、歴史でもある。じゃあ、それらは特別たり得るのか。

 もちろんそうはいかない。

 それらは行為であり、営みであり、手段であり、結果である。

 私たちがそれを特別に感じて、特別だと語り、特別にしていくことはあってもね? まず特別であり、私たちがそれを感じるなどという順番ではない。

 だから特別だと感じず、語らず、求めず、そのようにしなければ、妊娠も出産も育児も、あらゆる快楽も、愉悦も、なんのことはない。

 特別、取り上げられることはない。

 こどもがただ邪魔な親がいる。まともに風呂にも入ってこない男たちが押し寄せる店で肌を重ねるしかない仕事があるとき、どれほど不快でも耐えるほかにない仕事もある。

 そんなとき、彼らはなにに刺激の緩和と低減を求めるのか。

 酒だろうか。煙草だろうか。薬物だろうか。仕事や運動? 他にもある。暴力かもしれない。

 わからないよねえ。実際。その人、そのとき、その場所、その体験、その流れによる。

 世の中にはいろんな物語が溢れかえっていて、圧倒されることこのうえない。お父さんの本棚で見つけた漫画のなかには、私の理解や想像力がどんなに発達しても思いつかないものがあった。ただし憧れも尊敬もそれどころじゃなくなるくらい、ひたすらに圧倒される形でね。なるたるでしょ? きりひと讃歌、漂流教室。

 私のオタク度合いなんて、結局はうちの親のお下がりで、私自身が見つけた特別じゃない。

 それでも、その作品のなかで描かれたえぐくてどうしようもない人の性とか、流されたくなる性分とか、そういうの、ぜんぶ、生々しいから大好きだ。愛しいとさえ感じる。

 金色本を閉じて、家中の棚を確認した。

 うちの親がしれっと完全に再現しているから、こどもの頃からお世話になってる書架やビデオライブラリがそっくりそのままある。馴染み深いものがあれやこれや。

 ひとまず庭に出て、金色雲を出す。

 そのうえに乗っかって、胡座を掻いた。

 すこしだけ浮かぶ。一メートルほどの高さで留まる。


「もしも御霊を宿した子がいるなら、あなたの刀を見せて」


 そこまで願ってから、急ぎ付け足した。

 左手で右腕の袖に触れて、ぜんぶを金色に化かす。


「上限、二十本! 右腕から限定!」


 そう呼びかけた瞬間に、生えた。

 これまでの帯刀男子さまがそうであったように、切っ先から刀身へ。

 だが、そこで止まらない。つばが出て、柄が出て、地面に落ちる。

 けたたましい音を立てながら、刀が生えて落ちていく。二十本なんて、あっという間に終わる。なのに生える動きが止まらない。


「きみたち? 一度に生える数が二十本って話じゃないんだよ?」


 そう訴えても終わらない。

 あんまり刀が生えてきて、地面にたまっていくものだから金色雲をもっと上昇させる。

 いったいどれだけの本数が生えるのか。興味はあったけど制止を呼びかける。


「わかった。わかったから。止めて!」


 そう訴えても止まらない。

 怒っているのか。はしゃいでいるのか。なんなのか。


「お!? なんだぁ!? ケンカかぁ!?」


 そう訴えたとき、左腕の袖がもぞもぞと蠢いた。

 手の甲や手のひらに当たり前のように口が生えてくる。

 それらがそれぞれに開いて吠えるのだ。


「こっちは待った」

「十年待った」

「いや十年じゃないよ」

「だいたい十年だよ」

「体感だともっとだよ」

「こいつに入る前を数えろよ」

「なんだぁ? ケンカかぁ?」

「長いと百年くらいあるよ」

「盛りすぎだろ」

「みんなそれぞれに長い、それでよくね」

「よくねえ」


 わあわあ、わあわあ。

 大盛りあがりだ。みんなこどもの声だけど、男女入り交じる。酒焼けしたみたいなかすれた声の子もいる。喉が潰れてしまっているかのような声も、口蓋や咽頭でなにかがかすれて甲高い音を混じらせた声も、ちらほらと。

 これがゲストを迎えて大はしゃぎする幼稚園のこどもたちみたいな勢いで、一気に話し始めるんだよ?

 他にも別のテーマで語りあう口たちがいる。いろんなグループに分かれていくんだ。

 実に厄介!

 意思統一なんて、まず無理。

 幼稚園の先生は、どうやっていたっけ?

 思い出せない。

 小学校の先生はぜんぶだめ! 私の場合はね。未来ちゃんたちにとってもそう。

 中学はよかったけど、さすがにこの子たちに中学の先生たちを模倣するのはずれている。

 こういうとき、私の対人経験の薄さを噛みしめる。


「はいわかった! みんな! ちゃんと聞くから! 刀だすの待って! 停止! 中断! いったんおしまい!」

「「「 ええええ! 」」」

「「「 やだやだやだ! 」」」


 駄々っ子か。

 最初に見たときは見た目のえげつなさにショックが勝った。

 だけど、だいぶ慣れてきた。

 それに頭の痛みもない。

 荒ぶる状態でいる子がいないか、あるいは少ないからか。

 希う声は無邪気で、千と千尋の神隠しの坊みたいだ。

 だからこそ感じるおぞましさというものもある。あるけど、放っとけないな。人として。付き合う道しかないひとりとして。


「ちゃんと約束するから。みんなのこと、ちゃんと知らなきゃ困るのは私もおんなじなんだからね? だからお願い、もうちょっと待って」


 それじゃもちろん足りないので、何往復もラリーをした。

 彼らには要求があり、それぞれにちがっていて、気軽に引きうけるなんて言おうものならリストだけで大辞林や広辞苑くらい分厚いものが何冊も積み上がってしまいかねない。

 参っちゃうね!

 最終的にはぷちたちにするように、強めに押し切ったし?

 ぷちたちで思い知らされているように、ひどい反発を生む。

 完璧にはいけないものだ。

 かなり消耗したけど、刀は出たまま。

 金色雲で降下して、地面に降り立つ。そして乱雑に重なった刀を一本だけ持ち上げる。

 重さも重心もちがう。ツバも、目貫にしても、みなちがう。刀身だって。鮫皮の具合や色合いさえ。

 一本たりとも鞘がない。

 持ち上げた刀の柄頭を左手の甲に当てて押してみたけど、体内に入っていくこともなく。金色に散らすほかにないのかもしれない。それじゃせっかく出したのにもったいない。


「ああ、もう、散らかしちゃった」


 金色をやまほど出して、刀に触れた端から宙に浮かべる。小さな金色雲にして。

 なるべく横一列に、刀身を下にして並べていく。


「私たちが御霊を宿して得る刀だって、鞘は自前だったっけ」


 それは私たちが自分たちで用意するもの。

 本来の刀なら、まず刀身。いっしょに鞘が不思議な形でできあがる、なんてこともない。

 赤ちゃんだって、私たちの心身の発達だって、実際は「勝手に自然にそうなる」ものじゃない。

 手間がかかる。それが大前提。


「ううん?」


 なんとか刀を並び終えてから、後ろに下がって見渡してみる。

 刀剣の鑑定士にでもならないと細かく解説ができそうにないくらい、あまりちがいがない。

 こうやって見ると、タマちゃんの刀がいかに目立つもので、異なる有り様を目指した一振りかがよくわかる。刀身の色合いも、ツバからなにから装飾も、派手で華美。彫りも繊細で、美しい。振るうよりは眺めるのがよく、いかにも儀式用。

 長さや反りなど細かな違いはあっても、タマちゃんの刀ほど露骨なちがいはない。

 あるいは平塚さんの薙刀のような、そもそも刀としての定義からズレるようなこともない。


「影打ちだから、かな」


 近づいて一本ずつ眺めてみるものの、よくよく見ると刃先が欠けていたり、そもそも鋭くなっていなかったりする。刃文も鈍かったり、そもそもろくに研がれていなかったりする。

 錆びた刀はないけれど、そもそも御霊の刀だとしても、きちんと完成している一振りがろくにない。


「んん?」


 いや。ろくにないんじゃない。一本もないんだ。


「参ったぞ?」


 影打ち、真打ちと変化することで、より御霊と、宿した人のありようが露わになる。

 逆にいえば、そもそも影打ちとしてさえ成立していないような制作途中じみた一振りだと?

 個人情報を読み取りにくくてかなわない。

 それはそれで特定の情報を保持していると言えなくもないんだけど、困った。

 これ以上はカナタたち刀鍛冶の助けがないと、探りようがない。

 ただ、前向きにいうこともできる。


「ひとまず、情報を探れる術はあるっぽい」


 私、でかした!




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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