第二千八百一話
私たちはだれかのシステムでもサービスでもない。
だれも私のシステムでもサービスでもないように。
どんな立場、どんな契約、どこに生まれ、どんな関係性を持とうと、そこは変わらない。
無駄になることがあると認めるのが、時として惨たらしいほどつらくて深刻なように、システムでもサービスでもないと認めるのもつらい。
親はこうあらねばならない、とか。家族は、とか。そういうのを一切、否定する。
学校は、教師は、とか。国は、政治は、とか。そういうのも一切合切を否定する。
すべからく人の営みであり、いずれも自分の思うとおりにはいかず、不断の努力が欠かせないことを明らかにする。
だれの行いも常に失敗や問題を抱える可能性を明らかにするしさ?
まあ、しんどい。
でもそっちのほうが実際のところ、現実だ。
それじゃあ困ることがいろいろあるものだから、様々な発明をしては失敗したり、問題を起こしたり、深刻な加害や犯罪を生み出したりしてきた。
ただただいいこと、都合がいいことっていうのは、まずない。
だれかにとって都合がいいことは、だれかにとって都合が悪い、なんていうこともざらにある。
それらは正当化・責任転嫁・免罪されることはない。
だれもだれかのシステムでもサービスでもないのだから。
それを正当化・責任転嫁・免罪できるものはない。
そこんところを、腹の底から実感するのが、大人の階段の一段。
システムでもサービスでもあり得ないけれど、私たちは権利を有し、責任を負う。
そこも踏まえていくのも、大人の階段の一段。
これが旧石器時代なら? 十世紀の英国だったら。安土桃山時代だったら?
様々に事情や価値観が変わる。だけど、その仮定に意味はない。
私たちは現代を生きている。
過去になにがあったのかを、歴史という形で私たちは認識している。
それに私たちは後天的な成長・発達要素に大きく左右されるし? それらはとことん、徹底的に、社会的支援・社会的資源・関係性・環境の影響を受ける。おまけにそれって文化水準や学識、技術力などの影響を受けるから、まあ、かなり、複雑。
なんであれ、人は思うようにはならないし、また、なるべきでもないことの証左に繋がる。
だけど私たちは逐一、自分や他者の、集団や組織といった共同体の、社会の膨大な情報に接続しないし、できない。また、それらを感知する能力がない。だれにもね。
だからこそ手続きや規範を好む。
基準を求め、それによって具体的行動を決めようとする。
その枠の内側に留まれるか、あるいは余裕を失うと? 傲慢であったり無知であったりすると?
私たちは求める。
他者に、自分の思うシステムやサービスであることを。
癇癪を起こしたこどもが思いどおりにならないものに八つ当たりをするように、人に当たり散らす。
それくらいの圧力で、他者を思いどおりにしようとする。
「どんなもんじゃろ」
お風呂に浸かって汗を流す。
乳白色になる入浴剤はケチらずにたっぷり使用した。
尻尾を洗う元気はないので、人に戻って、人として入浴を満喫する。
いつもこれでよくないか? と思いたいけど、無理だ。尻尾は定期的に洗わないと、汚れすぎてしまうから。
「だめだよなあ」
思いどおりにはならない。
ならないので、手に負えない。
親が俗に言う毒親だったとき。父や兄弟、母の交際相手や親戚などが強姦や性虐待をしてくるとき。あるいはこどもが自分を毒親だとなじったり、学校に行けなくなったり、事件や事故に遭ったり、それを相談してくれなかったり、なんらかの疾患になったとき。
こんなものじゃないよね。実際は。もっとやまほど、数えきれない事例があるよね?
どうすればいいのかは、いつだってわからないものだ。
だから基準を求める。仕組みや術を。
答えや解決を。
どうにかなることを。
断じて「耐える」ことでも、「どうにもできないことを受け入れる」ことでもない。
なにか致命的なレベルで無駄だったと受け入れることでもない。
なぜって。
困るから。
困るのはいやだから。
どうにかしたいから。
思いどおりになってもらいたいから。
だから、やめたくないし、やめられない。
そこで他者に求める。
仕事についてるならこれをやれ、とか。病院なのに待たせるな、とか。
もうほんと、やまほどの例がある。
親なら、教師なら、政治家なら、とか。医者なら、学者なら、とか。
仕事が欲しいなら、とかね。
でも、生憎と、どうやら、それじゃうまくいかないようだ。
そんなものでどうにかなるなら、歴史と貧困の切っても切れない関係性のなかで統治者はもっと民衆に真っ当な付き合いをしてきただろう。だが、現実はそうはならなかった。どれほどの飢餓、暴力、虐待、支配が行われてきたのか。数えあげるときりがないだろう。
そんなものでどうにかなるなら、家庭という閉鎖的な環境下で苦しむこどもの願いで直ちに親は自らを正し、こどもは親の願うとおりに従うだろうが、そうはならない。もちろんそうだとも。
この至極あたりまえすぎる、なのにしばしば蹂躙される事実をどうするか。
まあ。ね。
蹂躙する側に回る、あるいは回りたがる人はいなくならないよね。
みんながいつでもそうかっていうと、もちろんそんなことはないんだけどさ?
問題は「そうなっちゃう」ことを防げないってことだ。
憲法が国民の不断の努力を求める記述をしているように、政治も、経済も、権力勾配においても、私たちは強く監視して、批判していかなければ? なにが起きるかわかったものじゃない。
それゆえに報道が必要だし、選挙だけじゃ足りないことが多すぎるし? 選挙結果の頑丈さがときには深刻な現状を誘うこともある。いまのアメリカみたいに。
警察がいれば十分? そんなこともない。検察があればいい? そういうものでもない。
なんでもそうだ。
とことん手間がかかるし? それをなす人が、資源や支援が、環境が、関係性が必要だ。いま並べたものがどれほど抽象的かはいまさら言うまでもない。具体的に、それらがなにか。それらのためになにが必要か。どんどん増えていく。
巨大な規模のシステムのように機能していると言えるけれど、それを成す私たちはシステムの一部でもサービスでもなんでもない。生物だ。人間である。機械のなにが便利って、それだけのためにできているからだ。だけど人はちがう。
移動で馬に頼っていた頃だって、馬の世話が欠かせなかったし? 生き物の世話ってことは、うんちの世話ってことでもある。手間だよねえ。
車なら手間がない? まさかあ。整備が欠かせない。どんなに丁寧に部品を作っても、それが五十年、百年ももちますなんてことはない。自動車の車検は新車なら三年後、それ以降は二年ごとに必要だ。巨大な車両になると、そのかぎりではない。それに環境への被害を与えるから、手間だけ考えればいいってものでもない。これは飛行機も一緒というか、むしろ飛行機のほうが環境への加害は深刻。
なんでもそうだ。
自分の都合のいいシステムやサービスだけ、なんてことはない。
ないのだ。
市場を原理主義的に捉えるのだって、無理むり。ないない。
それとおんなじで、私の論理も結局は穴がある。常にね。
「ううん」
マリさんの言うことは信じきれるか。
どうかな。あの男と実は仲間でした、なんて展開があっても不思議じゃない。
もたらされた情報は裏が取れないかぎりは信じきれない。
それは、まあ、お互いさまだけどさ。
「論理じゃない」
鍵は感情だ。
結局のところはね。そこに行き着く。
あの男にせよ、製造開発者たちにせよ、そうだ。
2011年の3月11日。東日本大震災が起きたとき、すさまじい震動の中で、それが投資の大もうけのチャンスになって大稼ぎした人がいるという。
無茶苦茶な世の中だ。ずっとそうだった。
儲けて創り上げる幸せの実態は、実のところ猥雑で卑小な私たちの営みの延長線上にあって、良いも悪いも混然一体となったぐちゃぐちゃでどろどろの生臭い営みによって成り立っている。
ボッシュがS1で新人警官になった元弁護士の女性の暴走に何度も苦言を呈していたけど、警察は、そんないいものじゃない。それを彼はよく心得ていた。母親が娼婦であるというだけでろくに捜査されなかったし? 劇中で取り上げないだけで、警官が黒人を撃ち殺して深刻な状況に発展したことは何度もあるわけで。歴史において警官が権威をかさに問題を起こしたことだってあるのだし? そもそも彼自身、悪党をどうにかするために、意図して際どいラインに何度も足を踏みいれている。彼は一線を越えている人だからこそ、警察は、そんなにいいものじゃないことをよく知っていた。
日本の警察も、っていうか世界の警察も例外じゃないよ。
ヒーロー活動に重ねてみせたって、その生臭くて泥臭い営みも、欲と意欲と願望の腐臭も隠せない。
だから、あとは、意地だ。
意欲と意地のぶつかりあいになる。
なにを狙い、なにを望み、なにをするのか。
「ころしたい」
「うおぅっ!?」
思わず本気でびびった。
私ひとりしかいない浴室のなかで、明らかに別人の声がしたから。
遅れてきんと鳴る。目の粗いサンドペーパーをこすり合わせるような音が続く。頭の中で、だれかが銅鑼を叩いている。震動と疼痛にまばたきしながら、浴槽の縁に手をついた。
こんなところで気絶したら、溺れて死ぬかもしれない。まぬけすぎる! まぬけって! 言ってる場合か! 金色を出して身体を浮かべて浴槽の外に抜け出そうとするなか、
「そうだ、ころしちゃおう」
「けしてしまえ」
「いらない、なにも」
けたけたと、だれかが笑っている。
背中から聞こえた気がして、金色を金色雲に変えて脱出。
両手で背中を探る。と、手がずきんと疼いた。なにかに挟まれている。噛まれているんだ。
もう一方の手がざらりとした生暖かいものでこすり上げられた。舐められたのだ。
「っ」
ぞっとしながらも金色を散らして、壁にまぶして鏡に化かした。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふぅっ」
呼吸が細くなる。ならばと意識してリズムを取りながら、振り向いた。
私の背中に口がいくつも生えていた。口角をつりあげて、歯を見せて笑う。とても楽しそうに。
「ふぅう」
意識が遠のく。
なんてやってる場合じゃない。
「く、ぬぬぬ!」
歯を食いしばって、頭を振った。
両手で頬を強めに叩く。
「ちょっと! なに勝手に生えてんの! あんたたちだれ!」
気持ちは最大ボリューム。
実際は最小ボリュームかつ、いらないビブラートつき。
「ころせ」
「あんなやつら」
「みなごろし」
私の問いかけなんて無視して、口たちは愉快そうにさんざん笑ったのち、口を閉じた。
すると唇の色が薄れて消えていく。あっという間に、いつもの私の背中に元通り。
比例するようにノイズが収まっていく。頭の中で疼く痛みも、音も、消えていく。
いや。本当か? 戻ってるのか? これ。だいじょうぶそう?
わからない。ただ頭はとても疲れている。
「おおい」
呼びかけてみる。
応じられたら、それはそれで困るぅ!
「だっ、だれかいますかぁ?」
粘りを見せる。
本当はいますぐ根をあげたい。
「へ、へんじがない。ただの背中のようだ」
浴室に空しく響く私の声。
なんだかどっと疲れた。身体が震えている。寒くてたまらない。
金色雲をゆっくりと降下させて、浴室用の座椅子に腰掛ける。化け術は一切合切を解除して、金色も散らす。とにかく熱いシャワーを浴びて、身体を抱いた。
「う、うおぅ」
めちゃくちゃこええ!
マリさんを出してからのノイズ、そして背中に生えた口。
連想せずにはいられない。するなっていうほうが無理がある。
私の中に注がれた魂たちは穏やかじゃない。荒ぶるものも多い。
帯刀男子さまが私の無意識による私の意欲の顕現なら、これは八尾に注がれた魂たちの顕現?
それともやっぱりまだまだ私の無意識に留まるもの?
限定しきれない。
やばい。私、漏らしてない? 自信ない。
腰が抜けてないのはすごい。私ちょうえらい。めちゃくちゃ褒めるべき。
「基礎どころの話じゃねえ」
ぶるぶる震える身体をあたためながら、唸る。
身体が追いつかないのに走りすぎて足が壊れる寸前になったのがトモなら?
私の場合、成長と発達につれて、徐々に八尾の有り様を実感していっている。だけど、八尾を受け入れられる状態にないから、いつどうなってもおかしくないのが私だ。
ジャンプのすごい人たちの名前をずらっと出してみせたけど、彼らの大半は、特別なんてなかろうが旅をしたり、人助けをしたりしてた。スーツがなくても挑むピーターのように。
だけど私はいま、心がぼきぼきに折れそうだ。
身体から朽ちたゾンビのようなこどもたちがわらわらと生えたらどうしよう。
頭がどうにかなっちゃうよ! その頃には身体がやばいことになってるよ!
「くぅっ!」
普通がよかったよぉ!
平々凡々なくらいがよかったよぉ!
おのれ!
こわい!
「どうどう。落ち着け、私。あほか、落ち着けるか。おしっこも辞さない構えだぞ!」
ただしトイレでな!
意味もなく見得を切る。
ほんとにばかみたい。
だけど、ばかになってないと耐えられそうにない。
マリさんみたいに出たがっているのが他にもいるのかもしれないが、ごめん。無理。
怖くて勇気が出ない。
ああ、そうだ。
私の中にはいろんな魂がいる。
彼らは私のためのシステムでもサービスでもなんでもない。
人並み外れた莫大な霊力の源ってだけで済むような代物じゃあないのだ。彼らは。
だっていうのに、なにせ膨大すぎて、とてもじゃないけど向き合えそうにない。
どうしよっか!
わっかんね!
とりあえずさっさとお風呂を出て、トイレに行こう!
できればカナタさんを起こして、そばの話を無意味にしてもらいたいまである! リビングで、ふたりで。私が寝るまで! ひどい。人を起こして頼むことか!
貧して鈍してるぅ!
つづく!
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