第二百八十話
朝方、目を開ける。
コマチは寝る前と同じように私の腕を抱き枕がわりにして寝ていた。ユニスも結局コマチのように寝ていた。おかげで腕が痺れてしょうがない。
そっと引きはがして、布団を抜け出す。寒さを覚えた二人がもぞもぞ動いて、やがてひっついた。安心したように寝息を立てている。
……かわいすぎか。
眠ってしまえばユニスはたんなる美少女だ。もちろんコマチもそう。男子もよからぬ思いを捨てて、ただただ愛でる素敵な絵面だろう。よしよし。
まだ完全に日が出ていない時間帯だが、都合がいい。
バッグから水着を出して、コートと一緒に持ってお風呂場へ移動する。恐る恐る覗いてみたけど誰もいない。よしよし。いいぞいいぞ。
水着に着替えてコートを羽織る。さすがに十二月ともなると尋常じゃなく寒い。それでもいかねば。
一年に一度、新品の水着で海に浸かれなかったら死んでも死にきれない!
スニーカーを履いて扉をそっと開いて外に出た。
「う……思わずへこたれる寒さ」
刺すような冷気に顔が強ばる。遠くに波音が聞こえる。誘われるように足を進めた。砂浜あったかな。昨日のうちに探しておけばよかった。
船がとまっている港へ足を運ぶ。
なだらかな坂になっている場所から海に入れそうだ。
近づいて、スニーカーを脱いでつまさきを海水にひたす。
「ふわ……」
全身の毛穴が開くんじゃないかっていうくらいの刺激だった。寒いからそう感じているだけなのか、わからない。
コートの下は水着だけ。
とはいえ、さすがに港で飛び込む度胸はないや。
でもこれだけでも目的は達した。願わくば刺すような日差しを浴びながら、日焼け対策をした上で海と戯れたいところだが……我慢。
今年はしょうがなかった。
努力目標を下げて達成としよう。
私の足はいま、海と共にある……なんてね。
誰かに見られたら恥ずかしすぎるし不審すぎるから、さっさと戻ろう。寒いし。そう思ってふり返って固まった。
「あれ? ……キラリ、なに、してるの?」
ランニングウェアを着たリョータがこっちを見て惚けた顔をしていた。
顔が瞬時に熱くなった。
「な、なんでもないし」
「と、飛び込もうとしてる? 世を儚んで?」
「違うから! こ、これは!」
「これは?」
「う、海があったら……入りたくなるのが人情じゃない?」
ごまかされろ……! なんて無茶な要求に神さまは応えてくれなかった。
「いや、よくわからないんだけど」
「だから! 今年は水着きて海に入れなかったから、つま先だけでいい、気分だけでもひたりたかったの! これ以上きくな!」
「わ、わかった」
海風が吹いて思わず身体を強ばらせる。それでも耐えきれない冷気に思わず足をあげて弾んでしまった。
「ああもう! 無理! 寒すぎる!」
「ちょ、え? ……な、生足?」
「え?」
リョータが耳まで赤くなって、私を凝視していた。
「ま、待って。キラリ、その下……裸なの?」
「は、はあ!? 水着きてるし!」
「キラリの水着……!」
「何を想像してるんだ! やめろ!」
あわてて駆け寄りスニーカーを拾う。
急いで逃げようとしたんだけど、リョータはしっかりついてきた。
いつだってこいつは見られたくないところに現われて、私のそばを離れない。
「ついてくんな!」
「い、いやでも……待って。寒いなら、俺のジャケット貸すよ」
赤面して私から顔を背けている。それでもリョータはジャケットをすぐに脱いで差し出してきた。
「いや……コートあるし」
「な、ならその下に着てよ! 風邪ひいちゃうだろ」
「……いやに強気。まあ、じゃあ……そういうなら」
ジャケットを受け取り、コートを脱いだ。
十二月の冷気に麻痺してきた肌に毒づかずにはいられなかった。
「はやくコマチとユニスの体温補給しないと死ぬ……さむすぎる!」
「だ、だいじょ……」
「ん?」
刺すような視線を感じる。
「あ、あ、あ」
く
リョータが私を見ていた。白のビキニ姿を見て、すぐに鼻から血が出る。
なんなんだ、もう。
「……こっちみんな」
「ご、ごめん!」
急いで背中を向けるリョータにため息が出た。
ジャケットを貸してコートを脱がす高等な作戦を使ってまで見たいか、水着。
そう思ったが、さすがにそこまで腹黒じゃないな。リョータはそこまで策士じゃない。
それにしても、そうか。鼻血だすほど刺激的か。
喜んでいいやら、恥ずかしいやら。複雑な気持ちにさせて、こいつめ! おかげで顔だけは妙に熱いぞ、このやろー。
急いでジャケットを羽織る。リョータの体温を吸って、ジャケットはかなりあたたかかった。少しだけ、汗と男の子の匂いがする。すごく……落ち着かない。
「さっさと帰ろ。っていうか、リョータはなにしてたの?」
「ら、ランニング。日課でさ」
「歩いたり走ったりたいへんだな」
おかげで私は水着姿を見られてしまった。
「……キラリって変だよね」
「は?」
思わず怒り気味のトーンで聞き返してしまった。
けどリョータはおかしそうに笑っていた。私の視線に気づいてこっちを見るなり、照れくさそうに顔を背けるけど。
「だって、冬の海に水着で入らないよ。っていうか、水着とコートで海に来るとか、かなりぶっとんでる」
「……は、入りたかったんだもん、しょうがないだろ。水着姿というところが重要なんだ」
「コートは?」
「……妥協して悪いか。寒いんだぞ」
「あはは。そういうとこ、おかしくて……可愛いなあと、思うんです」
思わず隣を見た。
な、なんて恥ずかしい台詞を吐くんだ……こいつは!
「ば、ば、ばかじゃないの? だったらそんな女相手に頬を染めてるアンタも十分変だから!」
「そうかも」
笑うリョータに何も言い返せなかった。
素足でコンクリートの上を歩く。大事なスニーカーを海水に濡れた足で履きたくない。だけど、正直かなり痛い。
「あーもー……ほんと、最悪。砂利おおいし」
「靴、履かないの?」
「……大事なスニーカーだから、濡れた足で汚したくない」
ゆっくり歩く私を見かねたリョータが、背中に回ったかと思ったら。
「――わっ、ちょ、ちょっと」
ひょいっと、軽々しく抱き上げた。何を勝手に、と思った。
けど、
「ちょっとだけ我慢して」
びっくりするだけじゃなくて……かなりきた。きゅんと。
走りだすリョータの力は強くて、頼もしくて。
結局抗えずにトラジの家まで連れ帰ってもらっちゃった。
ゆっくりと下ろしてくれたリョータにお礼を言って、正直泣きそうでへこたれそうなほど寒かったけど、外の水道で足を洗う。
その間にリョータがタオルを持って戻ってきてくれた。
足を拭いて家にあがる。はやくぬくもりたい気持ちでいっぱいだった。
物音に気づいてか、トラジが二階から下りてきて私たちを見た。
「……朝っぱらから何してんだ?」
「う、え、と」
どう答えればいいんだ。本当の理由は話したくないぞ。恥ずかしすぎて。そう思っていたら、
「ジョギングいってた。キラリは散歩だって。ところでトラジ、汗かいちゃってさ。風呂かりてもいいかな?」
「ん? ……ああ、勝手に使ってくれ」
「わかった。キラリ、先にどうぞ」
爽やかな笑顔を向けられる。鳥の巣頭なくせに。
……悔しいけど、かっこいい。
「あ、ありがと……」
逃げるように居間へ行って着替えとポーチを片手に抱いて、風呂場へ急いだ。
いま自分がどんな顔をしているのか、さっぱりわからないから。
◆
「――それで、その後はどうなったの?」
寮の部屋で春灯が前のめりになって聞いてきたから、アタシは笑った。
「ミナトのボードゲームで昼まで遊んで、そばにある海鮮料理屋さんで海を見ながら昼ご飯。ミツルさんたちに挨拶をして帰ってきたよ。頑張り屋のコマチはトラジのお母さんに気に入ってもらってて、またおいでって言われてたな」
「おお……やっぱりキラリは光属性。きらきらの休日を過ごしている……!」
「意味わかんない。アンタも休みを楽しく過ごしていたんじゃないの?」
アタシの問い掛けに、春灯はクマさんをぎゅっと抱き締めて項垂れた。
「それがですね。そうもいかないんですよー」
「……どういうこと?」
「カナタは私の霊力鍛錬メニューを考えるのに忙しくて相手してくれないの。誰かに構ってもらおうと思っても、みんな外出できるの嬉しすぎて寮にいないんですよね」
「じゃあ、アンタも外出すれば?」
「したい! したいんですけど!」
ちょ、こら。クマさんの両腕を持ってぶんぶん振り回すな! もげるだろ!
「芸能人がよく、私オーラないんで変装なしで見破られないんですぅとか言ってるでしょ?」
「……そうなの?」
「そうなの!」
真顔で頷くのか。そうか。
「だけどどういうわけか、かならず見つけられちゃうの! どこにいても誰かがスマホで撮ってくるの。なんで?」
「それは……」
尻尾があるからじゃない?
「なんていうか」
尻尾以外に考えられないというか。
「……難しいな」
やっぱり尻尾だよね。
普通、人に尻尾は生えてないもん。アンタの尻尾は目立つし、つい写真に撮りたくなる輝きを放っているよ。いろんな意味で。
だけどそれを言うべきかどうしようか本気で悩んだ。
まさか本気で気づいていないのか?
だとしたら……残念ぶりが相変わらず過ぎるぞ、春灯。
「……変装するしかないのかな」
「尻尾消したら?」
だめだ。堪えきれなかった。だって的外れなこと言うから……!
「あっ」
それだ、という顔をされて本気で困った。
けど気が抜けて笑ってしまう。
「わかってなかったのか」
「え、えへへ……もう尻尾があるの当たり前になってるから、ついつい忘れちゃうんですよね」
「そのわりには、彼氏に尻尾ばかり構われるって愚痴をたくさん聞いてる気がする」
「おう……」
「なんだそれ。その悲鳴は」
「つ、つい癖で」
「変な悲鳴だな」
見つめ合っていたら、たまらなくなって二人して吹き出してた。
二人で笑って和んでいたら、春灯がふと気づいたように呟いた。
「それにしても……渋谷の通り魔事件といい、キラリのクラスメイトさんのお父さん事件といい。なんかおっかないこと立て続けに起きてるね」
「だね……でも。何が起きても、アンタの力になりたいから逃げる気ないけど」
「んー。でもでもそんなに危険じゃなくていいなあって思います。平和が一番。それに……」
「それに、なに?」
クマさんの頭に顎を乗せて、なんともいえない顔をされた。
「キラリの目的は、もっと純粋な願いでいいのかも」
「……たまにアンタに置いてかれるな。それって、どういう意味なの?」
「喧嘩両成敗っていうか。中学時代の最初の無視の一件はもう片付いてるし、私のことも同じだし? それならキラリはもっと純粋に、士道誠心で追い掛ける夢と付き合っていいと思うよ」
ほんと、こいつは。
……とんでもないことをいうな。
そんな、途方もない許しを与えられるのは……。
「まだ早すぎる。アンタに何も返せてないのに」
「もう、たくさんもらってるよ。あの頃と向き合えた。キラリが来てくれた。これからもっと楽しい時間が待ってる。だから……たくさん返してくれてる」
「そんなことない。アタシはアンタに、あの子に……何も」
「ううん。キラリは……自分を許せないだけ」
その断言に頭が真っ白になった。
「私は思うなあ。仲間とか、仲間のお父さんを助けちゃうキラリの輝きをもっと大事にしてもいいのになって。キラリが思う罪より先に……きっと未来があると思うの」
「未来って……」
「それが私を助けたいっていうなら、いいけど。でも……キラリは怒ってる。昔の自分に、たくさん」
「そんなの……」
当たり前だろって言いたかった。
何かを言い返そうともした。
けど、言葉はなにも出てきてくれなかった。
図星でしかなかったから。
意識させられてしまうんだ。昔の自分をどれだけ許せずにいるのか。
罪。罪に違いない。自分に罰を与えたいとすら思う。何をしたって許されないし、許されるべきじゃないと……どうしても思ってしまう。
ママの言葉を思い出した。
『罪を償いたいというのね』
『それはもうキラリちゃんの中での大前提』
そうだった。だけど、大前提はひょっとしたら、どこまでも自分の中の気持ちでしかないのかもしれない。
春灯はどんな目でアタシを見ている?
……すごく優しい顔をしている。そこに罪を責める感情は見当たらない。
『キラリちゃんには、友達がいる?』
すぐそばにいる。一緒に通っている。だからその夢はもう叶った。
じゃあもう、星はいらない? 刀はいらない?
……いや。掴み取った力を手放す気はない。
それはなんで?
コマチを助けた。カズオさんを助けた。
アタシ一人じゃできなかったけど。みんなのおかげで……誰かを救えた。
そのための力なんだ。
春灯たちはもちろん、困っている誰かをいつか助けられる力だと信じているから。
放す気なんてない。絶対に。
「……キラリは、なんで刀を握る手をあげるの? 下ろさない理由は、なあに?」
マスターや先輩に何度だって思うずるいという気持ちを、春灯に抱いていた。
まるで春灯に恋い焦がれるほどに。
「……誰かを傷つけるんじゃなくて、助けられる自分でありたいから」
「子供が憧れる強くて綺麗なヒロインみたいだね」
優しい声に震えてしまった。
「だったら……キラリがいつか自分を許せる日がくるといいな」
クマさんを置いてひっついてくる。
抱き締められてはじめて、自分が泣いているんだと気づいた。
「世界のみんながキラリを許さなくても」
染み込んでくる。優しさが。
「私はキラリをもうとっくに許してるよ」
痛いくらい。
「……まだ、はやいよ」
「でもキラリは意地を張った私を許してくれたでしょ?」
「とうぜん、でしょ」
「それと同じなの。私がキラリを許すのも当然なの。キラリが大好きだから……当然なの」
だから……やっぱり、天使キラリにとって大前提は覆らない。
いつか青澄春灯を助けられるように、強くなろう。
過去とか未来とか、そういうのすべて越えて、決意する。
私の軸になって、消えない存在になっているのに、さらに……心に優しく形を与えてくれるこいつの力になりたい。純粋にそう思う。
「ほんと、アンタは……」
どうしようもないくらい、お人好しなんだから。
どこか抜けてて放っておけないし、いろんなところが残念だから目を離せない。
そんなアンタが、
「……ばか」
大好きだよ。
だから、ごめん。
まだアタシは自分を許せない。
大好きなアンタをひとりぼっちにした自分を許せる日が来るとしたらさ。
ねえ、春灯。
それはいったい、どんな瞬間なんだろうね?
答えなら本当はわかりきっているのかもしれない。
星が願いの象徴なら、アタシの星は訴えてる。
『……誰かを傷つけるんじゃなくて、助けられる自分でありたいから』
だから春灯。アンタをひとりぼっちにして傷つけたりせずに、助けられる自分になりたい。傷つき困っている人の味方になって、力になりたいんだよ。きっとね。
その時が来るまで、アタシは自分を許せないのかもしれない。春灯がどんなに許してくれても。あの子が許してくれても。
だから強くなるよ。なんでも片っ端からやって、力になる。たとえばコマチの問題だって、コマチが望むなら全力で支える。
アタシの分までアタシを許せるアンタの隣に立つために。
手を必死に伸ばして、たくさんの星を掴む。
いつかアンタを助けられる自分になるために。
「もう少しだけ、待っててね」
「急がないで。キラリの速度でいいからね」
「……ん」
願いは一つ。星はもう、見えている。
助けられる自分になれたら、きっと星の輝きの意味がもっとくっきり見えてくる。そう信じるアタシを春灯は柔らかく抱き締めてくれた。
いつまでも。いつまでも。
つづく。




