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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千七百九十四話

 



 昼休みののち、先生から「ニュースが騒ぎになっているが各自、わかっているな」と念押しがあった。

 だれも動くべからず。触れるべからず。近づくべからず。

 静観せよという。東京湾のだいだらぼっち騒動のように協力要請がこないかぎりはね。

 午後の授業は内容が半分も入ってこなかった。

 隙間時間にスマホの画面を見つめる。赤い紙をばらまいて飛ぶ真っ白な飛行船。長細い円筒をボディにして先端をとがらせる流線型の形。いまでは警察のヘリが警戒と呼びかけに近づいているそうで、ここでの対応次第によっては自衛隊が出てくるなんてことにもなりかねない。

 そんな状況よりも目を奪われるのは、赤。途切れることなく大量にあふれでる紙は空から散布される血の雨のようだ。アクセスが集中しているはずのサイトは落ちる気配がない。

 テレビはこれを取り扱っていないようで、SNSではざわついている。大手新聞のWebサイト上では速報を出して報じているものの、映像メディアには一切展開されていないようなのである。

 それゆえに、だろうか。

 SNSでの発信が現状を捉えて動画や画像を熱心に取り上げている。

 放課後になる頃にはついに映像メディアが現状を取り扱い始めた。だれが飛ばしたのかもわからない身元不明の飛行船が数えて七機、東京上空、二十三区内を漂っている。ほかに六機、関東の別の県の主要地域に集まっているそうだ。

 ばらまかれている紙の内容は同じ。

 告発とリスト。

 騒ぎは拡大する。

 リストの名前にある人たちが次から次へと倒れては、救急に搬送される事態に発展した。気になった当人がリストを見たからか。それとも周囲にリストを見た人がいて、確認してきたからか。どういうきっかけによるものか、いろんなバリエーションがあるだろうけど、結果は同じ。

 リストに名前のある人は漏れなく倒れて、病院に運ばれていく。

 学校の周辺からも、狐耳が捉えられるかぎりにおいても、救急のサイレンがひっきりなしに聞こえてきた。放課後になってもうるさくなるばかりである。

 部活に行った生徒たちが抜けて閑散とした教室で、私をはじめ「今日は部活もなあ」勢は持てあましていた。事件が気になって仕方がない。だけど、いま下手に関わるべきじゃないのはよくわかる。だから動かない。でも気になる。


「なんで赤い紙なんだろうな」

「赤紙。徴兵指示、いや、命令書?」

「告発に命令は繋がりがなくね?」

「アカっていったら、昔の共産主義者を示す蔑称だよね」


 カゲくんたちが気のない声で語りあっている。

 私の知ってるうっすい知識だと?

 アメリカにおいて反共は人種差別のようにアレルギー的に取り入れられた。優生思想を取り込んで称揚し、連合軍となってドイツを攻めることになる頃には強烈なものだった。

 彼らは反共を占領した日本にも持ち込み、これに喜んで乗っかったのが岸信介たち。戦犯であったけど使える人物だった岸たちは釈放されて、アメリカにおける日本の反共支部ともいうべき組織の立ち上げに向かっていく。そこには朝鮮半島で息づく統一教会、いわばカルトの教祖との繋がりもある。

 以来、自民党はカルト、反共と強く結びついて解けないひとつの糸になっていく。この集いには神道連盟など、戦前回帰を希望する団体も強く関わっていて根深い話になるようだ。国際勝共連合や、政治のフィクサーみたいな人との関与も根深いもの。そんなのが長らく日本の第一党にいて、おかげさまで経済も少子高齢化も悪化するばかり。一億総中流は破壊されて、貧富の格差が拡大している。

 企業が株主配当に舵を切るような経済政策さえ取り入れている一方で、お父さんとお母さん世代あたりからは「年金、払ってみせてもまともにもらえない」という声がまことしやかにささやかれ、おまけに現実になりかねないところにもう両足が乗っかっている。

 すると彼らは保守なのか。

 それともトランプみたいな破綻の集い? ナチやクメールルージュみたいな「俺たちさえよければそれでいい。そのために俺たち以外を何人殺そうと気にしない」って集い?

 わからない。

 わからないけど党員は多くて、地方議会などでも存在感があり、支配者として振る舞っている。裏金の噂は絶えない。いまの与党の国会答弁を見ていると、明らかになってもうやむやにして終わりにしかねない。

 するともう、それは政権ではなく、政権の振りをしたなにかということになる。

 真っ先に連想したのは、レンちゃんと遊んだゲームで言うところの「東城会」や「近江連合」。とっくのとうに政治はヤクザの居場所としのぎになっているのでは。

 ぷち自民党みたいな野党もちょこちょこ出始めている。西では維新が存在感を放っている。彼らはメディア露出を利用して知名度を稼いでいる。維新ほどではないにせよ出てきている党にしたって、発言内容をよくよく見ると日本版ナチとか、日本版トランプとか、そういう人が多い。むしろ自民よりも過激な存在になって、比較して自民がまともに見えてくるくらいタガが外れている。

 間違えてはいけないのは、どこもやばいのであって、比較すればいいって話じゃないこと。

 民主党は二分して、一方が親自民。もう一方にかつて首相経験者がいるものの、基本的には親自民の立場。なので党員と議席の数は野党の中では多いけれど、批判の展開と論陣の張り方としては、いまいち心許ない。

 それらの党に比べると共産党は議会で鋭い批判をして真っ当な議論を展開する議員がいるが、如何せん、選挙で勝ちきれない。

 ここまで考えると共産党、あと社民党あたりを除いた野党と与党はさながら龍が如くでいう「異人三」って感じだ。

 三角関係になって自公、維新、国民民主と一部の立憲民主、そして一部の過激な野党が対立しあう三角形。だけど実態は裏で手を組んで、均衡を保っている。目指すのは利権の確保と拡大。そんな印象さえある。

 空気を読むかのように。むしろ読めてない、いや読んでちゃまずいので批判をするのが共産党や社民党という印象。

 ただね?

 どの党も「理想通り」なんてことはあり得ない。

 企業献金を受けている党は共産党以外すべてといっていいそうだ。自民党はもう目を疑うような悪辣ぶりの献金事情でいる。極道のドンは、あがりを要求するのだ。自分たちないし身内の企業の優遇だってなんのその。お構いなしだ。

 そういう与党を悪と見なすのはもう数十年前に過ぎた、いまさらすぎる話。そして野党それぞれに期待を託すにしたって「人の集まり」で「出世欲だなんだ」も絡むくらいには「議員って、なりたい職業じゃない」ので、なにかと問題のある人を「すべての党が抱えている」し?

 どの党にもそれぞれの深刻な問題を抱えている。

 残念ながらクリーンで潔癖な党はそうそうない。

 人の集まりである以上はね。避けられない。

 自民党は献金している企業などが社員に「自民に投票しましょうね」と音頭を取ったりしているそうだ。違法だとしてもね。公明党は創価学会の話が有名だ。

 それぞれの党で党員になった人たちの、熱心に活動する人たちが集まって選挙対策だなんだをする。自民党は政党交付金を違法で水増ししている疑惑があるけど、それはかなり正鵠を得たもののようだ。さらに宗教団体にボランティアを依拠しているという。対して、お金をかけない・かけられない野党は党員などの持ち出しに頼るほかにない、というか、それが本筋。でも、そうなると家庭にかかる負荷が生じる実態もあるという。与党の歪さに対抗するために歪になってしまう面もあるのかもしれない。

 ただ、少なくとも議会において誠実に答弁に臨んでいるように見える議員は野党にちゃんといる。彼らがまともであるほど、与党政府のろくでもなさが克明に浮き出る。メディアはこれを取り上げないが。

 まるで政治に関わる人たち、報道の人たちだけの問題かのよう。

 でも、もちろんちがう。

 そもそも私たち自身、国会がどうなっているかに興味を持たない。報道されていないから持つきっかけもなければ、触れるきっかけもない。

 それはアカだなんだと迫害が始まったアメリカにおいても言えることだった。

 ハリウッドからさえ少なくない人が疑惑を向けられた。それは敵性人物を示すものであり、日本の福田村事件や関東大震災における朝鮮人虐殺のように「なにをしても正当化・責任転嫁・免罪される”もの”探し」であった。その影響でチャップリンさえアメリカから追放されている。

 批判は「国の逆賊」扱いとなり、殺されかねない態度にさえなったのだ。

 小説「一九八四年」につらなることなんて、いまでも小学校には既に起きている。不和となる規範を乱せば、待ち受けているのは容赦のない攻撃と排除。ずっと私たちはディストピアに生きている。そうと気づかずに生きられているのなら、社会的障壁が自動ドアになっていた運のいい人だ。

 厄介なおじいちゃんたちはお金とゴルフと女が好きだ。

 バイアグラの承認はすごい早さだった。こどもを産ませるのも好きなのかもしれない。だからか、避妊薬の承認はバイアグラ以前から議論になっていてなお、まだ下りない。孕ませて産ませて支配したいのだろう。愛人を囲いたいのかもしれない。だけど子育てはしたくない。そんなものよりゴルフをしていたい。金額がいくらか知らない料亭で贅沢三昧当たり前。それが一番いい。

 そう考えるとヤクザそのものに思えてくるね。おじいちゃんたちが。

 ドラマ「エルピス」じゃあ彼らがもみ消した政治家の息子の事件の報道差し止めに男が脅しにくるくらいだったけど、実際に「報道するな」「あの報道はなんだ」と政治が言ってくるんだからたまらない。

 そうさせるくらい、金と権力と女に目が無いんでしょ? 逆にそれ以外に興味がないんでしょ?

 そんな穿った見方をせずにはいられなくらい、うんざりする人たちの集まりという印象だ。民主党政権時代に決まったことなら「民主党が悪い。俺ら悪くない」といって、よりひどいことをする。問題があると認識していても、それを行う自分たちはなんの責任もないでーすって態度で「その問題について自分たちはなにもしませーん。とおしまーす。やりまーす」っていうだけ。ここまで無茶な正当化・責任転嫁・免罪は見たことがないっていうのを、何度も何度もやっているんだから驚いちゃう。

 選挙が迫ると「みんなこれがほしいんだろ?」と、ちょっとだけ、それまで野党が何度も主張してきたことの一割か二割くらいのことをやって「俺たちすごいっしょ? 投票よろしくぅ!」と言い回るし、もちろん「俺らが考えた!」って顔をする。野党のバッシングもセットなことがある。

 すごい。

 ここまで清々しい悪党を私は見たことがない。

 たとえば海外には麻薬カルテルとみっちり蜜月な政権とか、軍事政権とか、いろんなパターンのろくでもない政権があるけれど、日本の場合には利権蜜月政権って感じだ。どれもちがって、みんなひどい。

 戦争で日本がどれほど加害をしたか、その実態を調査しようとする総理は与党にもこれまでにいたそうだけど、そのたんびに「待った」をかける与党議員の集まりが出てくるという。

 総理になっても、その立場をもってなにかができるわけじゃない。花開く立場になっても花の付け根から先ぜんぶがろくでもないか、ほとんどがろくでもなかったら、思いどおりにはならないのだ。

 トランプみたいな人たちの集まりとも例えられる。

 そんな彼らを告発する紙の色が”あかい”。

 私には血に重なった。

 紅の豚のポルコはファシストを嫌悪する。そんなもんになるなら豚のほうがマシだって言ってた。

 国全体がファシズムに傾倒していくなかでジーナはこっそり仲間を守るためにポルコと共通の友人で軍人の男と通信して、空賊たちの馬鹿騒ぎに乗りこんでいってポルコに呼びかけた。クライマックスシーンで。

 私たちは政治に生きているんじゃない。

 私たちの言動は常に政治的な要素を併せ持っているのだ。

 そのため結果的に私たちは常に政治的である。

 語らないことも。話題に加わらないことも。主張することや批判することと同じくらいにね。

 なのに私たちは知っていることしかわからない。

 そしてしばしば、知っていることが実は真偽が曖昧で、それを確認していないことから目を背ける。知っていることが本当かどうかなんて意図的に気にしないことさえある。私のうっすーい知識の問題点でもあるし? だからこそジャーナリズムが必要だという話でもある。

 お父さんが見て憂うつになったと聞いた機動戦士Vガンダム。中学時代にちょこちょこ眺めたけど、本当に陰惨なことばかり起きてうんざりになった。戦争なんか最悪だって。そんな気持ちにしかならなかった。あとでネットで調べてみて、主人公が憧れていたお姉さんが悪女だなんだと「ミームで消費されるネタ」にされていたのを見て、心底ぞっとしたものだった。

 血。あかいもの。

 悠々自適の生活をしているように見えるポルコもけっこうきわどい立場。だけど逆にいえば、それだけの生活ができているからこそ「ファシストになるより豚のほうがマシさ」と言える。

 国全体が戦争に向かって盛りあがる日本で「これっておかしくないか」と思っていた人がいたように、ナチが第一党になって壊れていく国で「まちがってる」と思っていたドイツの人もいた。

 飛ぶ教室を書いたエーリッヒ・ケストナーだ。彼は書くことで訴え、批判し、そしてドイツに留まりナチに従うほかにない、従うことで生きている人たちに伝え続けていたという。

 小説はときにドキュメンタリーのように広まる。人々に強く語りかける。

 けれどもちろん消費されてしまうことさえある。

 この告発もそうだ。

 消費されて終わりかねない。

 それでいいのだろうか?

 それとも次なる手があるのだろうか?

 いまもSNSをはじめ、続々とあがってくる。「リストの人が倒れている」という発信が。

 誤りも含めるだろう、私のうっすい知識は、この状況を読み切れるものではない。

 仮にリストの人を探すなら、それはどこがやるのか。警察か。市区町村の役所の者か。だれかがなにかをした、という証拠も出ていないのに。リストに挙げられた人数は、報道じゃ数万人単位に及ぶ。とてもじゃないが、一日で、いきなり安否の確認ができる人数ではない。


「警察の人、しばらく眠れないんだろうね」


 日下部さんが呟いて、柊さんが項垂れる。

 お姉さんが佐藤さんとシュウさんと一緒に働いている。この事態に無関係ではいられないはずだ。隔離世対策室は。あの男が関わっているのなら、特に。だからこそ心配なんだろう。

 警察は今ごろ所轄と組んで総動員態勢で連絡を取り始めている頃かもしれない。

 告発が事実なら、あの男は一定の正義をもって挑んでいる。

 であろうと治安を乱す、違法行為をしているとなれば警察は彼を追う。

 私たちは? 世の中の大概がそうであるように、易々と二項対立に持ち込めない現実を前になにをするんだろう。

 あの男にどんな正義があろうと私にしたことは許されることじゃない。

 被害者の私が許してないからね!

 でも、この感情は厄介だ。

 私のうっすーい知識の話がいかに私の知ったかで構成されているか!

 おまけにうっすーい知識に漂う感情をもって、その憂さを晴らすスジに整えてしまう。

 人は責める対象を定めて、より刺激的な単語で責めたてる物語に仕上げることを好む。語ることでも、語られることでもね。

 なぜうっすーいを連呼するのか。

 人が多いということは、それだけ多種多様かつ膨大な情報がそこにあるということになる。なのに私はそれに触れていない。派閥政治なんて批判されて久しいし、世襲議員の問題も同じくらい批判されているけれど、その歴史や関係性について踏み込めていない。おまけに批判するなら、その文脈はもちろん、社会的・環境的・心理的要因にも踏み込みたい。

 これらはむしろジャーナリストになって、ながーく取材して、そのためにめいっぱい勉強してかないと語れない内容だ。残念ながらね?

 その精度に比べると私の精度は赤ちゃんレベルと言わざるを得ない。

 まあ、逆にいうと赤ちゃんレベルの精度でさえ自民党やべえになるんだけども。

 野党が育ってないっていうなら、育てるほかにないのが実状で、なのにその話さえ出ないくらい、一定の年齢層は政治についてだんまりを決めこむし? だからこそ「あなたたちがほったらかした結果、モンスターがより厄介になってるんですけど」って思えてしまう。

 もっとも一定の年齢層の人たちにしたって、大人でさえ私と大差ない認識で「よくわからない」し「どうしたらいいのかわからない」のかもしれない。

 その問題の果てに、あの男が生み出されるような研究だなんだがあるというのだから。

 もしもこの一件があの男の復讐の一手であったなら、私たちにそれを止める権利があるのだろうか。

 そんなことさえ考えてしまうけど、迷ってはいけない。

 先日の関東事変もあの男の一手なら、大勢の被害者が出てしまう。

 目的は手段を正当化・責任転嫁・免罪しない。

 私のうっすーい知識が、なにかを正当化・責任転嫁・免罪しないように。

 私のうっすーい知識が、すべてを明らかにして真実に目覚める力なんてないし、そもそもそんな力なんて、あらゆるすべてのものごとに存在しないしさ?

 私のうっすーい知識が、多層的多面的な事実をどれほど一部の視点のみで捉えているかしれないように。

 わからない、答えのない、解決しようのない膨大な情報と要因に付き合いながら、対処していくほかにない。地道に。こつこつと。

 ジャーナリズムが淡々と情報を横流しすることにないように。自分たちが気持ち良くなれる物語を提供することにないように。報道するだけではない。解説して、評論と批評を展開する。十の原則がビル・コヴァッチとトム・ローゼンスティールにより提唱されている。「真実を求める」「市民に対して忠実である」「検証を実行できる能力」「取材対象から独立を維持する」「権力を監視する機能を果たす」「公共問題に関する批判や歩み寄りを行う討論の場を提供する」「重大な出来事を興味深く、社会的に意味のあるものにするよう務める」「ニュースをわかりやすく偏らないものとして示す」「携わる者は自らの良心を実践する義務がある」「市民もニュースをよりよいものにしていくことについて権利と義務がある」。もっと正確な内容が武蔵大学社会学部の奥村信幸さんの暫定訳がニュースサイトヤフーに掲載されているよ? 元々はザ・エレメンツオブジャーナリズムの第四版から。実に気になる本だね! 記事は暫定訳をした奥村信幸さんが書いているものなんだけど、この記事がまた実によくて、中立が原則にないのはなぜかについてをはじめ、いろいろと痒いところまで丁寧に解説している。必読まである。アマテラスさまのお屋敷でぷらぷらしていたときに、ファイリングされていたネット記事だから、いまは見れないのが悩み。日付はたしか、2022年の5月3日のものだ。「「ジャーナリズム」とは何かを再考する(1)『ジャーナリズム10の原則』をかみしめる」という題だよ。

 だけど、ジャーナリズムから外れた物語や情報、雑な語りは限界がある。そして世に氾濫しているのは、こちらの内容だ。驚くべきことに政治家がチャンネルを解説して、こんなことをやっている事例もあるのだから恐ろしい。

 そもそも現実は生きるのが本当に大変だ。

 思わぬことがやまほど起きる。

 そのわりに私たちはお互いを責めることに夢中になってしまうことがある。

 事態の対処ができるともかぎらない。

 社会的支援・社会的資源・関係性・環境は偏り、損なわれるばかり。

 十分であった試しのない人も少なからずいるだろう。

 だから「こんな手段しかない?」「なんでこんな選択肢しかないんだ」と、なにかを憎悪せずにはいられない状況さえ引き起こす。

 華麗なるギャツビーではどうか。謎めいた富豪ギャツビーは、実はかつて付き合っていた恋人とふたりで生きたくてたまらなかった。富豪になる前に付き合っていた彼女は、戦争で離れて戻った頃には「大富豪と結婚」していた。現代のお絵かき投稿サイトで見かけるタグでいうと、寝取りの発生? ちがう。彼女はギャツビーじゃなくて大富豪を選んだのだ。

 ギャツビーは彼女と結ばれるために密造酒だなんだで儲けたし、結婚して娘まで産んだ彼女をなんとか振り向かせたくて向こう岸にめちゃくちゃすごい豪邸を建てたし、毎晩のようにパーティーを開催した。

 かつて付き合っていた男で、いまは夫にならび超がつく富豪で、ハンサムで、立ち振る舞いも洗練されていて、なによりずっと「私のことが好き!」「私しか見てない!」のだから、彼女も満更じゃなくなるけれどね。彼じゃない男を夫に選んで結婚してこどもを産んで過ごしているのに、ギャツビーを選べないよね。

 ただ夫は浮気をしていて彼女から思いが離れていて、そもそも彼女に対して支配的でろくなヤツじゃない。ギャツビーはそこに光明を見いだしたようだけど、彼女はむしろ夫が浮気をやめて落ち着けば、愛が戻らなくても生活はしていけるからいい。

 その一切合切をギャツビーは認められない。受け入れられない。

 ただ彼女と結ばれることだけを夢見て、財を成して立ち振る舞いを覚え、謎めいた魅力的な富豪になってみせるだけでなく、彼女の家から見える場所で彼女をずっと待っている。

 主人公は人妻となった元恋人を一身に思うも、彼女に多くを求めすぎていて、おまけに家庭を破壊することになる目標を据えている彼を軽蔑しているけれど、同時に彼を純粋な存在だとみているからこそ華麗なるギャツビーとした。

 考えてみると悲惨だ。

 どう足掻いてももう、ギャツビーには元恋人と結ばれる目がない。

 ギャツビーからしたら、そりゃないぜって感じだ。

 なのに、それでもいまできる最大限の手を尽くして実行していった。彼女が自分を見てくれる可能性に賭けて。振り向いてくれるはずだ。自分を選んでくれるはずだ。そのためならなんでもするぞ、と。

 たぶん同じ立場になったとき、九割九分の人は心が折れるかショックで人間不信になるのでは。なかには自殺する人までいるかもしれない。それがたとえ少数だとしてもね。なのでギャツビーのようにがんばれなんて、とてもじゃないけど言えないし、不適切だ。とことん人による。

 そんななかで社交界まで引き入れるほどの場を整えて、見事に輝いてみせた。彼女を一心に思う彼は、ひとりでいてこそ完璧だった。だからこそ彼は華麗なる存在と言えるのではないか。

 ギャツビーからしたら、やっぱりそりゃないぜって感じだと思うけどね。

 彼の望みは彼女とふたりで生きることなんだからさ。

 あなたしか愛さないと決めた人が別の人としれっと結婚してたら、もうだって、他に何をどう選べと?

 この場合、残された選択肢は人生であり関係性であり、愛情であり執着によるけれど。

 これが復讐劇なら、どう?

 自分がほしくてほしくてたまらないものを、目の前でだれかにかっさらわれたら?

 実在の競走馬を擬人化&女の子にしたウマ娘では、アニメで「私はここまで?」とか「勝てないんだ、どうやっても」とか、「なんでこんなに遅いんだろう」とか、あんまり辛辣な現実に直面しているけれど、それだって同じだよね。

 それでも、どうするかを選べるといえるけれど。

 逆にいえば、それでもどうするかを選ばなきゃならない。

 現状維持を選ぶ人もいる。

 目を背ける人もいる。蓋をする人だっている。

 ドラマ「ボッシュ」では過去のいろんなことに挨拶をして、箱にしまってそっとしておくと娘に語っていた。母が売春で稼いでいたけど殺されて、警察にまともに捜査されなかったこと。父が捨てて母が苦しんでいたこと。父が一度も自分を探さなかったこと。入った施設で職員による暴行を受けていたこと。その他、あれや、これや。

 日々の体験によって、社会的・環境的・心理的要因によって、社会的支援・社会的資源・関係性・環境の現状によって、選べる選択肢が変化する。

 望ましいとはかぎらない。

 目を背けたい現実と共に生きるしかない、という選択肢しかないことも。

 フランクルやベッセルが記していたようにナチの絶滅収容所から生存しても、もはやなにも選べず、日々をなんとかやりすごしていた人がいた。帰還兵にも多くいたし? こどもの頃に虐待や性虐待を受けていた人にもいたし。解雇されたり手ひどい離婚だったりして、そうなった人もいた。事件や事故にあったり、それを目撃しただけでなる人も。

 現実はあまりに理不尽だ。

 そんなの許せない。

 だから、あの男は暴れているのではないか。そんなの不当だ、俺のせいじゃないと憤り、暴れているのでは。ギャツビーとはちがって、私や大勢のこどもたちを犠牲にして、関東事変を起こして、なにかを成し遂げようとしているのでは。

 なら、これは怒りの表明?

 私のうっすーい知識のように、自分の知識と認識に頼った体験の語りによるもの?

 それともジャーナリズムのように、良心に従って真実と誓えることを軸に、相対的な「中立」や「両論併記」などを捨て、その追求を暴力で実現するためのもの?

 わからない。

 スマホの画面を見た。

 白い飛行船はいまも血をばらまくように訴えていた。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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