第二千七百九十話
渦を巻く。
行き場がない。
だけど燃料はある。燃料を消費した運動も存在している。
二年生になってから、あるいは教授に捕まったあの日から一気に時間の流れが遅くなったような囚われのなかでも、お姉ちゃんに会って聞いた話の影響においても、そう。
私はひたすらに考えた。
個人的に「前に進むための考え方」はしてないと考えている。
渦巻く燃料と運動に攪拌される心と身体を、なんとかなだめるために「考える」ことで「消費」しようとしている。自傷したり加害に及んだり危うい嗜癖にのめりこまずに依存する術として。刺激に反応して生じる情緒的・身体的反応をなだめる術として頼っている。
歌も。運動も。思考さえも。
足りない。
だからたぶん、気を抜けばすぐに壁なんか殴れる。机を蹴り飛ばせる。虚空に向かって吠えたり、扉を思いきり閉めたりできる。
なぜって、燃料も運動も渦巻ながら留まっているから。
燃料と運動は反応しあい、ますます作用を強めている。
厄介な化学反応は放っておいても増幅するし、外部刺激に反応するたびに強化される。
いずれにしても手に負えない。
逆に疾患になるほどでなかろうが、あるいはなっているとしても、嗜癖に頼るとき、化学反応、燃料と運動、その作用の全体あるいは一部を低減・緩和を企図しているのだろうなと考えた。
心身を破滅させかねないほどの化学反応、運動、燃料。だけど実際には直ちに死に絶えるなんてことはまずないわけ。そこが実に厄介。
そこで思いつく。
格闘漫画やアニメで気を放つみたいに、ぶわーって出せたら楽じゃない?
運動や労働がなぜ低減や緩和の嗜癖、依存症の項目のひとつになるのかって単純に「疲れる」からだし「集中できる」からだし「現実逃避できる」からだ。飲酒に喫煙、薬物はもっと直接的。摂取するものの作用で刺激をごまかす。脳内物質の放出を狙う意味で買い物や賭博もそうかも。
でも、どれもちょっとね。
なにせ渦巻くものってさ?
だれかに閉じ込められた古い古い潜水服で、勝手に深海に投下されてるようなもの。身動きなんてろくに取れない。酸素は送られてくるし、不思議とお腹は空かない。だけど恐怖感ばかり増していく。なんとか逃げ場を求める。あるいは潜水服をどうにか脱ごうとするかもしれない。それくらいのパニックが持続する。おまけに増していく。
そういう状態に似てる。
別に宇宙空間と宇宙服でもいいし? アメリカドラマで見かける「拉致されて気絶させられた後、棺に入れられて地中に埋められる」シチュエーションでもいい。
それくらい渦巻く者は解放を求めている。
なだめる術なんてある?
これがニキビだったらさ? いっそ、ぷちって潰すか、皮膚科に行って針でも刺してもらうところだ。圧力がたまっているのだから、出るのに任せられる穴があればいい。でしょ?
疾患になっている事例では「そもそも出せない」「出せる状態にない」「出し方を知らない」「いまの出し方では十分でない」、あるいは「そもそも出す出さないの段階でない」「出す出さないで解決する状態でない」、そのほか様々な実態に分岐する。
わからないものなんだよね。
人体って基本的に不便!
あるいはダムができてるような感じかな。心のビーバー隊がせっせとダムを作る。我慢したり、耐えたり、言えなかったり言わなかったりするたびに、堰きとめられていく。燃料も運動も。それらが起こす化学反応もほったらかしのまま。ダムの内側はどんどん燃料の水かさが増して、燃料が増えるから、それによって起きる運動量も増して、そのぶん生じる化学反応も活発になっていく。
心のビーバー隊はそれでもダムを作る。私たちが我慢したり、耐えたり、言えなかったり言わなかったりするたびに。内側の水を出さないように頑丈になっていく。無茶苦茶な構造にもなっていく。生半可に壊せる状態じゃなくなるし? そもそもダムを壊したら、どうなると思う? 決壊する。
実際のところ現実にビーバーの作るビーバーダムは期待されることもある反面、人が利用しようと持ち込んだビーバーが繁殖しすぎて「森が食い荒らされた」「思わぬダム、決壊が悲惨な水害に繋がった」こともある。結局は「人がやらかしてる」っぽい。あとは「そこはだれだれの土地なのに、勝手にダムを作らないで? 湖を作らないで!」というトラブルもあるようだ。
ビーバーは環境を作り変える。そしてダムで堰きとめられた湖によって生態系が変わり、ビーバーにとって過ごしやすい状況になっていくという。
それと同じように渦巻くものも、ビーバーとダムと湖のように私たちを作り変える。意識的にか、無意識的にかは別にして、私たちの選んだとおりになっていく。我慢も忍耐も。それしか術がなかったとしても。選んだとおりに作り変えていく。
大暴れ状態に変わりはないので、ダムの決壊を望む。
必要なのは、インフラへの干渉。
心のビーバー隊を例に取るのならね。
それはたとえば社会的支援・社会的資源・関係性・環境の改善、接続、そして望ましいものの維持。
私でいえば「ひとりで抱えこんでいないで相談!」なんかが、いま必要な手段。
逆にいうと、この衝動も、ダムの内側にあるものも手に負えないもので、付き合いつづけるはめになるものでもある。いやだね! 困るね! それだけで人生どこまでも歪んじゃうものなんだよね! いろんな作品がそれを描いているし? 描くまでもなく現実にありふれているよね。
はあ!
やだやだ!
マドカたちはいないものかと校舎内を歩き回りながら思いつく。
「インフラ構築ね」
それ自体は手だ。
敵を見つけられないとしても、今回の敵のやり方は関東中に陣を敷いて一定の効果を出すものとみている。なので既に敵にとって都合のいいインフラが構築されていると言える。
逆にさ? そのインフラを調べること、破壊することでなにかできないか。
それくらいは既に先生や先輩たち、シュウさんたちが対処している気がする。
これは、あとで念のため確認するとして。
私たちはなにができるだろう。
関東事変は言い換えれば「陣地の取り合い」だった。安全圏の確保と拡大、維持が重要なのであって、そういう状況を強いられていた。術を発動させたのが、あの野郎であろうとなかろうと、彼らの動きは発動に閉じていた。その先もあともない。陽動にしては大がかりだけど、それもまあ、あり得るといえばあり得る。でも現状ではわからない。悲しいくらい手詰まり。
なのでシュウさんたちは総出で調べつづけている。
これだけの規模感の犯行なら声明のひとつも出してくれって思うけどね。
おかげで不気味なことこのうえない。
どこのだれをどうすればいいか、なんていうわかりやすい物語もないものだから、私たちはストレスを抱えるほかにない。本当に厄介だ。
言うなれば解決できないこと。いまの私にはね。
悩みも、心のビーバー隊も、渦巻くものもそう。
だからたぶん「できること」が嗜癖となって依存症になるし? 仕事や運動さえ含まれるんだろう。
でも手を動かすと気が紛れるのは事実なのでは。
そんなわけで考えてみようか。インフラ構築。
敵に陣が敷けるなら、私にだって敷けるのでは?
で、それはどういう目的で、どういう作用をもたらすもの? なにを燃料にして、どんな運動をするものなの?
むしろ、どういうものがあるといいだろう。
「黒いのがいたときの霊子密度に戻せないかな」
少なくとも現世においては。
それができたら、現世で厄介な事件を起こされる可能性が減る。
結局、霊子頼りの事件は霊子がないと起こせないんだから。燃料不足でね。
黒いのがいなくなって起きるようになった事件群は、いずれも一定の霊子量を必要としているものばかりだと見ている。だから、ひとまず「元に戻しちゃえ」と発想するのは、自然な流れでは。
これまでにも何度か考えてきたことだけど、本腰を入れるべきではないか。
他にはない?
あるある。もちろんある。
敵の干渉を防げるようにする。私たちに霊子を供給できるようにする。みんなが術に活用できるなにかを生成する。
これらができると便利だ。
とてもね。
『いまのお前にできるとは思えんがな』
噂をすれば! って、初手できついこと言ってくるじゃん。
むずかしいの? それとも私が初心者だから?
『どちらもだ』
じゃあ初心者だからできることはない?
『ある。だが、お前が思案していたように、渦巻く心理状態ではむずかしい。教授か、中国の娘に頼るのがいい。あるいは御霊などにな』
う。
『それでも鍛錬から始めたいならだれかに頼るか、せめて心穏やかにする術を会得しろ。話はそれからだ』
荒ぶる渦巻状態じゃだめ?
『インフラストラクチャー構築だろう? お前は道路建設で手を抜く、設計は雑、見通しも立てない、材料をごまかす、老朽化した設備で挑む、おまけに健康も不十分で意欲も定まらない者たちが作ったインフラに頼りたいか?』
無理です……。
『ヨガでもいいし、仲間と遊んでくるのでもいい。少なくとも御霊や私が安心して語りかけられる状態になってからにしろ』
はあい。
ふて腐れた私に対して、黒いのはそれきり語りかけてこない。
「以上、通信終了ですか」
立ち止まって肩を落とす。
渦巻状態をなんとかしたいから、やりたいことを探しているのに。
嗜癖にするためならだめだという。
反論できない。
彼女の言うとおりだ。
一意専心。ちゃんと挑める状態になってこそ。
それに陣地構築に心理状態が影響をもたらすというのなら? その可能性があるのなら、霊子量を吸収して制限するにしても、みんなの霊子供給に役立てるにしても、渦巻く心理の影響が及ぶ可能性もあるのでは。
実に泥臭い話だけどね。
適当でよくね? とはいかないし、そんな風にされちゃ困る。
トイレから出たのに手を洗わずにおにぎりつくって「はいどうぞ」って言われたら、食べる? 無理じゃん。それは。生理的に。
だけど私たちは料理をする人が衛生観念できっちりしているかどうか、本当のところはわからない。
お店ならまだ、罰則があるしさ? 食あたり騒ぎなんか起こしたら店が傾く。潰れてしまう。なので必然的に気をつけなきゃならなくなる。
それでも衛生面で問題を起こす店舗がしばしば出てくる。
バイトだったらどう? 買いたたかれて、まともに教わってない人だったら? 店員にやる気や学ぶ気があっても店側や店長などが雑に済ませたり責めるばかりだったり、ろくに教えなかったら?
怖いよねえ。怖いよ。
家族でもどうかなあ。
私たちは無条件に家族の料理を当たり前に思うけど、本当は雑だったら?
そうやって「他人」の話にしていられるとは限らないよね。
自分が雑だったら。それでだれかの健康被害に繋がっていたら?
「う」
いけない。
渦巻いてる。
「なにかせずにはいられない。渦巻いてないと壊れてしまう」
そんなのとてもじゃないけど、落ち着いてるとは言えない。
「溺れているときは、力を抜く」
それがいちばんむずかしい。
なにかをしようとするのをやめる。
どんなに力を抜いても、どんなに動かないようにしても身体は勝手に生きてるんだから。
生きるに任せてみる。
それでも止まらないことがあるなら? 渦巻くのなら、それは自分では変えようのないことだ。
おまけに生きてることに絡みついていることでもある。
それを自分の一部として生きるのはむずかしいけど、でもきっと、そこからじゃないと始められない。
良くも悪くも頼まれて、絡まれて、事件に勤しんできた。そのたびに私は逃避できたから良くも悪くもなんだ。でも絡まれず、頼まれなかったら? 逃避先がない。だから無理にでもなにかしたくなる。この嗜癖に。仕事のように正当化・責任転嫁・免罪しやすいものだ。世の平和のため、なんてさ。正義の味方、なんてさ? ヒーロー、なんてさ。いかにもじゃないか。
謎があるだろう。
八尾を押し込まれたままだ。
なにかしら情報が潜んでいるだろう。
それでも、ひとまず「問題は置いといて、そのままの状態でどれくらいだいじょうぶか」を構築しなけりゃ始まらない。なにかを作るっていうなら、それができる自分でいやすい必要がある。当然だ。
真壁さんやマロさんが職場を移すときの経験談として、問題あるなって感じたことを話してくれたことがある。簿給、教えない、世話も見ない、だけど高い成果を求め、従順な態度を望む。人じゃなくて、都合のいいものしか求めてない。だけど人間、そう都合良くできちゃいないからさ? 続かない。もたない。もたないと不満を抱えるし、そうなればイライラする。イライラする人間がいる職場も現場もろくなものじゃない。なにより仕事に集中できないし、気持ちがよくない。
もうちょっと大人な言い回しの語りはないものかって思ったものだけど、でも、そんなもんなんだろうなあ。
気持ち良く、集中して仕事をする状態を整えるには、いろんなものが必要になる。
相手を嗜癖に依存せずにはいられない状態に追い込んでやる、なんていうのはおよそ健全じゃない。加害的だ。でもって、そんな加害的な現場で働くなんて、ろくなもんじゃない。
「ぐるぐるぅ、ぐるぐるぅ」
呟きながら、歩を進める。
行き先変更。いったん寮に戻ることにした。
忘れていた。ぷちたちが戻ってくるんじゃないか。トウヤたちに連れられて。
およそ不健全な私は、まず自分を責めて、傷つけておいてほったらかす。
なのに頼りを欲していて、のめり込める事件を望んでいる。
何ヶ月か前に気づいたことを再び思いだして、へこたれる。
「治らないんだから治したいのに」
治らないから治せない。
なんのこっちゃ。
私の抱える問題や悩みや傷のすべてを一緒くたになくしてしまいたい。
そんなことは不可能だ。わかっているのに、諦められない。
鼻を啜る。
そうとも。
私はいま病んでいる。
これまでに負った傷が膿んで、ほったらかしてたぶんだけひどいことになっている。
痕が残っていて、治せない。治らない。
こんな自分で残りの一生を過ごしていかなきゃならない。
いやだ。
受け入れられない。受け入れたくない。
だから渦巻いてるんだ。
いまだけじゃない。ずっとかもしれない。
認めたくないし、認められない。すぐには無理だ。
消してしまいたいのに、不可能なんだ。
それがいやでいやでたまらなくて、渦巻いている。何か月も。
ひょっとしたら、中学の頃さえも、ずっと。
認めてしまえば、否定するのに必死な渦は止まるかもしれないのにね。
私は変。ああでも、ひとつすっきりした。
認めたくなくて溺れてたんだ。
前に悩まなかった? これ。
ほんと、私というやつは。これだから困る。
産まれたことに責任なんて持ちようがないように、あの野郎がしたこととか、これまで巻き込まれた事件とか、もろもろぜんぶ、責任の持ちようがない。
すべてを私の責任にはできやしない。
ぜんぶ私のせいなんていう万能な自傷かつ全方位責め論理を手放して整理しなおす。
こうなりたくてなったわけでなし。そこまで背負えない。
だけど、こうなった自分と生きていくことにはなるから、そこはうまくやりたいじゃん? ね。
だからすっきりできたことからひとつずつ、渦から外していこう。
燃料の源も。運動も。反応も。見つけて手放したぶんだけ減っていくんだからさ。
「待つより迎えにいくかあ」
宝島のおうちでご飯でも作るか。
それともいっそ、それさえ頼っちゃおうか。
おいしい料理のお店がやまほどあるんだから外食も手。
そんな風に生きちゃおう。
渦巻くくらい否定するのを、ひとまずやめちゃおう。休んじゃっていいんだ。いくらでも。
だけど生きることは無理だ。
だってやめるやめないの次元にないでしょ。生きることは。
勝手に続いて、勝手に終わるんだ。大概は。
死にたくなって息を止めたって、結局は我慢できずに吸いこむようにできてんだからさ? 湯船に顔を突っ込んで我慢したって、生きたい欲にはそうそう抗えるものじゃない。そりゃそうだ。不自然なんだもの。生きようとする身体に反したことなんて。
眠たいときに寝て、安らげるときに安らぐ。おいしくて好きなものを食べればうれしい。それが結局、気持ちいいようにできてる。
だから生きるのに任せて、それが快適になるように努めるのだし?
結局そこを無視して生きていくことも、自分やだれかと関わることもできやしない。
どんなに気が楽になっても、いつだってそんなのは一時的に過ぎなくて、いくらでも渦巻くんだ。
生きるとこに立ち返るのが、結局いつだって、シンプルだ。
フランクル。
なんでどう生きたいのかわからないか、いまやっとわかったよ。
私は自分を否定するのに必死だったからだ。どう生きたいかなんて先が見えてなかったし? 見ようともしてなかった。そりゃあ、わかるわけないよね。
受容するしないとか、そういう大仰な話はあと。いまはそんな話は一切してない。ただただ、いまの自分のすべてを否定するのに夢中だっただけ。
病んでたのだ。ずっと。
そこから始められなかったし、始めたくなかったんだ。ずっと。
だからなに? 私はだいじょうぶ。
そう言えるのに。
これまで学んできたり、教えてもらってきたりしたことが伝えてくれるのに。
それでも私はだいじょうぶって。
心のビーバー隊は否定したい私だった。
ダムは否定の樹木で作られていた。渦巻くものは否定するほど荒ぶる恐怖が源泉。
でも気づいてしまうと、なんてことはない。
キラリの顔を見ては、鏡で見る自分の顔がまんまるいのがいやだって、どんなに渦巻いたって?
私の顔は、まんまるい。
別にそれでいいじゃない?
そう力を抜くのがあんなにむずかしかったのに、自転車に乗れたときみたいに、できてしまうとあんまりあっけなくて拍子抜け。
否定したいことが山盛りなのに、認めてしまうと不思議とけっこう「できちゃえる」。
あの野郎のこと。八尾のこと。教授のこととか、アダムやシュウさんのこととか。いろいろと。だってね? 彼らに私は壊せないし、だめにできない。どんなに傷つけられたって私そのものを歪めることまではできない。私にしかできないんだよ。
でもね? そう思えるのは結果や経緯、いまの私の頼れる社会的支援・社会的資源・関係性・環境のおかげで、それらは九割が運、一割が意思と決断と行動によるもの。私にできるのはせいぜい、一割くらい。
渦巻くものが流されていき、あとに残された荒涼とした心身を自覚しながら思える。
なんだ。こんなことでよかったのかって。
病んだからなんだ。いろんなことがあったさ。なきゃよかったけど、いいよ。もうあったことになってるから。それはもういい。
そんなのより、見つけたものがいっぱいある。大事なものがいっぱいある。
ばかまるだしでいうけど、それを大事にしたいしさ?
胸はって生きれる私でいたいや。
そんなの病んでるくらいじゃびくともしないんだ。
それがわかりきっているから、私はだいじょうぶって思えるんだ。
気づいてしまえば、なんてことはないよね。
渦巻く必要もないし、どれだけ渦巻こうと消えちゃうものじゃない。
価値は人が物語るものに過ぎない。
だからこそ私は物語っていくんだ。生きることで。具体的に行うことで。
だいじょうぶだってこと。大事だってこと。
それは揺るぎやしないんだ。これっぽっちのことじゃあさ!
「はんっ」
笑い飛ばすんじゃなくて、侮るなよって伝えるために笑っておく。
何度でも忘れるだろう自分に、何度でも伝えられるように。
それがなに? 私は生きてる。だから、やれるかぎり、やりたいように、精いっぱいやるの。
だいじょうぶ! それができるって、私は信じて行動するよって。
鏡に映る満月みたいにまんまるい私に言うよ。何度でも、何度でも。
つづく!
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