第二百七十九話
突然の事態にすぐに動けたのは真実、プロの二人だけだった。
ユニスが本を手に私たちの前に出て叫ぶ。
「侍、邪を引きはがせますか!」
「現世に固着した時点で難しい! 毎日討伐していたのに、ここまで急速に膨れ上がるとなると勢いがありすぎて無理!」
「ちっ」
大男が雄叫びをあげて拳を振り上げた。
素早くユニスが本を開き、あるページに至ってすぐに手のひらを叩きつける。
「限定解除、レベルすっとばしてトリプルスリー! 拘束せよ!」
ユニスの全身から噴き出る何かに弾かれる。
英国淑女の金色の髪が一瞬で白に染まった。
部屋中のあちこちから、いつかコマチを拘束したあの鎖が出てきて大男をがんじがらめにする。
「あなた……!」
「父さんを助け出すため!」
悲鳴をあげるお母さんをなだめ、立ち上がらせてミツルさんは私たちの方へ急いで避難してきた。そして私たちに母親を預けるなり、迅速に窓を開ける。
「魔女!」
「了解!」
ユニスが鎖を操り大男を庭へと放り出した。
真っ先に駆けていくのはミツルさんだ。手にした刀で大男を一刀両断にする。
その瞬間、黒いもやが噴き出て真っ二つに分かれて、一瞬だけカズオさんの姿が見えた。
けれど。
「――ッ!」
黒いモヤはすぐに一つに合わさって大男へと姿を戻してしまう。
咆吼をあげる大男に変化はない。後ずさりをするミツルさん。ユニスも歯がみして、断ち切られた鎖を急いで元通りにして大男を捕まえる。
「く……邪の侵食率が思った以上に早い! 魔女、手はない!?」
「焼き切るしか……けれど中にいる人の命の保証はできない!」
「打つ手なし……くっ!」
たった一人で邪に飲まれた父親と対峙するミツルさんの背中は、頼もしいけど……それ以上に悲壮だった。
たまらず叫ぶ。
「ユニス、隔離世へ行って退治できないの!?」
「だめよ……悔しいけど!」
本に片手を当てたまま、どんどん汗が浮き出てくる状態でユニスは頭を振った。
「現世の人を飲み込んでしまっている。隔離世で退治する間に大男が暴れ回ったりしたら、現世の私たちの身体の安全を保証できない!」
すかさずトラジが叫ぶ。
「なら半々に分かれて!」
「それもだめ!」
「どうしてだよ!」
「ああなったら……普通の人間の力では止められないの。どうにかして人からモンスターを引きはがせたらいいんだけど!」
その術がないのだろう。ユニスが全力で拘束しているけど、長くはもちそうにない。そして、その時が来たらミツルさんが全力で私たちを守るのだろうが……ひどいことになりそうだ。
春灯。ねえ、アンタならどうする?
『助ける! それしかないよ!』
きっと、アイツならそう言うはず。
刀はない。絶望的な状況だ。むしろ刀を持っているのがミツルさんだけで……実の父親相手に向けさせることの方が絶望的。
下ろさせたい。親に刀を向けるなんて、あっちゃいけない。
刀はなくても、どうにかしなきゃ。
求めて……掴み取る。
とっくに覚悟は決まっている!
そのために私は叫んだ。
「ユニス、引きはがせればいいんだな!」
「そ、そうだけど!」
「なら……やる!」
右手を大男へと構えた。
「ミツルさん、どいて!」
咄嗟にミツルさんが横へと飛んだ。
「トラジ、呼びかけて!」
「は、はあ!?」
「いいからやれ! 親父さんとどうなりたいの! アンタは!」
「お、俺は……」
戸惑うトラジの手を、お袋さんがぎゅっと握る。すぐにトラジは叫んだ。
「親父! 俺はアンタに胸を張ってもらいたい! 心配なんかさせねえ! 俺は強くなるから!」
思いの熱を感じて、それをそのまま大きな星へと変える。
そいつを掴んで、
「――ッ!」
全力で投げた。大男の胸に突き刺さって、吸いこまれていく。
「だめなの!?」
悲鳴をあげるユニスに、けれど私は笑ってみせた。
「――……いいや。もう、星は見えている」
大男の肌……ある一点、心臓に星が見える。
伝わってくるんだ。
『……それでも、心配せずにはいられねえんだ。トラジ……ミツル……俺はお前の父親なんだぞ。リュウやレイタのように……幸せになってほしいんだ』
思いの熱が。さあ……刀がなくても、やるよ。
私が星の侍だというのなら。
刀がなかろうと、やってみせる!
「ユニス、ミツルさん! どっちでもいい! 引きはがすから隔離世へ! すぐに討伐できる準備を!」
「「 了解! 」」
思い切り息を吸いこんだ。
「願いの熱よ、星へと転じて変われ! 開け、勝利への道!」
全力で変える。トラジの思い、カズオさんの思い。その熱を星へと変えて、吹き出させる!
星の道が現世にできた。
疾走して大男の胸、星の一点に手をかざす。
「希望よ、あるべき輝きを取り戻せ!」
全力で思いの熱を注いだ。大男の内側、カズオさんの胸にある熱が星へと変わって、身体を覆い尽くす邪を一気に引きはがした。
モヤがすべて影へと逃れようとする。けれど。
「転移の門よ、開け!」
ユニスが叫び、私たちの魂を邪ごと隔離世へ吹き飛ばした。
数え切れないほどいる海蛇がカズオさんのいた場所でのたうち回っている。
「な、なんだこりゃあ!?」
尻餅をついているのは、カズオさんだ。
咄嗟に駆けつけたのはミツルさんであり、トラジだった。
「父さんから、」
「離れろぉおお!」
刀もないのにトラジは海蛇の群れに突っ込んでいったのだ。
そして海蛇の群れをミツルさんが瞬く間に切り裂いていく。
言葉が出てこなかった。ミツルさんの強さに、ではない。ミツルさんの姿に、だ。
隔離世のミツルさんの身体は継ぎ接ぎだらけになっていた。私が目にした傷の位置がそのまま、縫い目になっている。まるで寸断されたのをなんとかつなぎ合わせているような……本当に痛ましい姿だった。
なのに。ああ、それなのに。
ミツルさんは現世のおっちょこちょいぶりが嘘みたいに、洗練された動きで海蛇を切り裂いていく。いつか見た九組やニナ先生よりすごかった。
たぶん初めて、本職の侍に見惚れていた。
逃れようとする海蛇を端から掴んでミツルさんへと投げるトラジ。ユニスが補佐するように光線を放って端から消していく。
それでも。
「ど、どうすんだよ! 次から次へと出てきやがるぞ!」
急いでカズオさんの元へと駆けつけたミナトが悲鳴をあげる。しょうがない。
カズオさんの影から海蛇が次々と湧いてくるのだ。リョータと二人で掴んで必死にミツルさんへと投げる。
刀の軌跡さえ見えないほど鬼のように切りさばいていくミツルさんは真実、剣豪そのものだった。
それでも足りないんだ。
「どれだけ隠れているの!」
たまらずユニスが悲鳴を上げた。
「くそ! 刀さえあれば!」
リョータが歯がみしている。
「……っ!」
コマチもすっかり怯えていた。
けれど……私は必死に考えていた。
邪は欲望。人の願い。
人を害するものしか……欲望になりえないのだろうか。
違う。もしそうなら、カズオさんからあんなに吐き出されるはずがない。
欲望ってなんだ。何かを欲しいと望む気持ちだ。
「こ、こいつはいったい……と、トラ、ミツル! 逃げろ! あぶねえ!」
ならカズオさんは何を求めている? すぐに子供を心配する、この人は何を?
さっき、私はどんな思いを星に変えた?
『……それでも、心配せずにはいられねえんだ。トラジ……ミツル……俺はお前の父親なんだぞ。リュウやレイタのように……幸せになってほしいんだ』
いったい何を意味している?
簡単だ。
わかりやすいにも程があるじゃないか。
トラジとミツルさんにも幸せになって欲しい。表に出せず面と向かって言えないその親心が尽きない欲望なのだとしたら、倒してもきりがないのは当然だ。
「くっ、お……」
噴き出る海蛇に再びカズオさんが飲み込まれそうになる。
急いで駆けつけたトラジがカズオさんの手を掴んだ。
「やめろ、はなせ! おまえまで危ない目にあっちまう!」
「離せるかよ! 親父の手を離せるわけねえだろ! 姉さん!」
「待って! くそ、くそ! 私の父さんから離れろ!」
「おまえら……よせ!」
さあ、求めろ。決めただろ。
私はハッピーエンドを掴み取るって。
「トラジ、アンタ学校に入って幸せ!?」
「いま聞くことか、それ!」
「大事なことなの! カズオさんは心配でたまらないんだよ! その気持ちが邪になっちゃってんの! だから今すぐアンタの星を私によこせ!」
「~~ッ! くそ! ああ、親父! アンタが入学を認めてくれて、幸せにやってるよ! だから認めてほしいだけなんだ! うまく言えなかったけどな!」
やけくそになってトラジが叫ぶ。
海蛇にどんどん飲み込まれていくけれど、カズオさんはびっくりした顔でトラジを見た。
「確かにハンパばかりやってきて……心配かけちまったけど! 俺は! 幸せにやってるよ!」
「と、トラジ……」
海蛇が一斉に叫んだ。苦しそうな悲鳴だった。
「ミツルさん!」
海蛇の悲鳴の意味に気づいたんだろう。ミツルさんも続く。
「父さん! 私こんなになっちゃったけど……父さんを、この町を守れて幸せなの! そりゃあ結婚できてないけど……彼氏いるし! ヤマさんだし! そんなにこじらせる前に、娘の薬指くらい、ちゃんと見ろ!」
差し出されたミツルさんの左手の薬指。私も気づかなかったけど、確かに指輪がはまっていた。
カズオさんの目が見開かれる。
「こんなに心配かけてたってわかってたら、もっと早く会わせてた! 私だって、リュウちゃんやレイタ兄ほどじゃないけど、幸せにちゃんとやってるよ!」
「なんで、いわねえんだ」
「警察も侍もろくでもないってことばかり頭ごなしに言って、娘の話をまともに聞かないからだよ! 私は! もう! 幸せにやってんの!」
「――そう、だったのか」
海蛇の群れが一瞬で弾けた。方々へと散るそれらを、
「光よ、拡散しろ!」
ユニスの光線が一斉に焼き払う。
カズオさんの影から、それでも海蛇が出てきた。けれどもう、それらはカズオさんを飲み込んだりせず蠢くだけ。
「おまえたち……」
「親父……だから、安心させるにはまだ時間がかかるかもしれないけど。見守っててくれよ……ちゃんとやるから。成果も見せに来るからさ」
「そうだよ。じゃなきゃ……私たちまで悲しくなっちゃうよ。そっちの方がよっぽど……不幸になっちゃうよ。でも、心配かけてごめんなさい……」
ミツルさんの涙の混じった最後の謝罪に、トラジも項垂れて呟いた。
「親父……ごめん。勝手ばかりして。そんな……俺の転入、許してくれてありがとうって……ずっと言いたかったんだ」
「……ああ、そうか。だめだな……俺は。けっ……顔を見るんじゃねえよ」
トラジとミツルさんが涙ぐむカズオさんを抱き締める。
私はそっと歩み寄った。
そして背中に触れる。
男親の不器用な気持ち、きっと言葉より背中で語ってしまうような……そういう人の星に届くように。
「瞬いて」
もう、邪なんかじゃない。
わかりあえた素直な願いは……ぜったいに、邪なんかじゃない。
「親父の星、ちゃんと見えたよ」
きっと素直に話し合えない親子だからこそ、いつかきっと輝きが見えるようにと願わずにいられない星が。
「余計な星を流して願いに変える時がきた」
指を鳴らす。
「暗闇を越えて輝け。あなたの星はもう、見えている」
瞬間、カズオさんを捕らえようとする暗闇すべてが星へと転じて消え去った。
あとに残るのは、ただ一つ。
子供の幸せを純粋に願い心配せずにはいられない、カズオさんの星だけだ。
きっと……わかりあうために戻ってきたトラジが見たかった願いだ。
相馬トラジ、憂いは晴れた?
答えは聞くまでもないね。心底嬉しそうに緩んだ笑顔の涙が答えに違いない。
◆
現世に戻るなり、カズオさんは謝ってきた。次いでミツルさんにも謝罪された。
「地区担当の侍でありながら……今日は私の警備が足りずにご迷惑をお掛けしました」
けど気にしない。
「いえ。たぶん……これは誰にも見抜けなかったと思います。だって、ほら。お父さんって、そういうものなんでしょ?」
「……お、おほん!」
気まずそうに咳払いをするカズオさんにみんなで笑う。
「うちのお父さんもそうでした。素直に言えないのが男親なのかも。だから……気にしないでください」
「ありがとう……天使さん。あなたは素敵な侍になる。一緒に働ける日を待っている! ……って、あれ? 私と一緒だと僻地に飛ばされてる?」
「姉貴……自分の地元を僻地とかいうなよ、悲しくなるだろ」
トラジのツッコミにみんなでさらに笑っちゃったよ。
◆
やっとひと息ついて、今度こそ寝ることになった。
横になって……ふと思ったの。
「ねえ、ユニス……ミツルさんを見て、痛々しい顔をしてたのは……隔離世のミツルさんの姿が原因?」
「ご明察」
寝転ぶ気になれないのか、上半身を起こして本を抱き締めながらユニスは頷いた。
その髪はもう、元通りの見事な金髪に戻っている。
「恐らく過去の事件が原因ね。強い邪に飲まれた男の刃で霊体がずたずたにされたの。あれで生きているのはほとんど奇跡ね」
「……そっか」
「よほど……現世に心残りがあるか、あるいは強い思いが彼女を死していく霊界から引き寄せたのかもね。その思いの主が誰かはいうまでもないでしょうけど」
カズオさんが心配するのも納得だ。
そして生死の淵から帰ってきた理由がもし、とても深い家族の絆なら……今回の立役者は、家族そのものに違いない。
「彼女、恐らく現世でも隔離世でも身体がそうとう動かしにくいと思う」
「隔離世ではあんなに動いていたよ?」
「心が強いから……心の世界でもある隔離世で、彼女は強いんでしょうね」
「……そっか」
「でも、現世ではそうもいかない。だから……すごく苦労していると思う」
じゃあ、もしかしてミツルさんがおっちょこちょいなのは、あの傷のせいなのか。
過去の事件が原因。
トラジはカズオさんが大男になった瞬間、言っていた。あの時と同じ化け物だって。
ミツルさんはたった一人で立ち向かったんだ。そしてみんなを守った。
トラジはそれを誇りにした。きっと傷ついたミツルさんを見て、涙だって流したはずなのに。
もしかしたら、案外……トラジが侍になろうとしているのは、ミツルさんを守るためなのかもしれない。
なんて……春灯じゃあるまいし、妄想が過ぎるだろうか。
でもなんだかしっくりくる考えだった。
強くなって今度は自分が守ってみせるんだ、なんて。そんな男の子の夢を、私はステキだと思わずにはいられない。
だから気がかりなのはただただ、ミツルさんのことだ。
「もう……治らないの?」
「本人次第ね……でも心配することないわ。現世に戻ってきて、生きている。だから……ゆっくりとだけど、ちゃんと治っていく。明るく前向きであり続ける限り」
「……そう」
「生きたいという願いが大事なの。そう願い続ける限り、だいじょうぶ。本人もきっと承知の上で、一生懸命いきているのよ」
そっか。じゃあ……本当に、ミツルさんは強い人なんだな。
トラジが憧れる理由が少しわかった気がする。
あれだけの傷でへこたれず、彼氏まで作って侍として頑張れる人だ。
すごいと素直に思う。
一人で納得していたら、熱を感じた。コマチが肩に触れてきていたのだ。
「どした?」
「……おちつか、ない……ん」
もじもじしてる。なんだ。怖くなっちゃったのか。まあ小旅行のつもりが、いきなりの戦いだったからな。嫌なサプライズもあったものだ。
「一緒に寝る?」
「……いい、の?」
「いいよ。おいで」
布団を開いたら、コマチが近づいてきてそのまま抱きついてきた。
あったかい。冬にはありがたい熱だ。一人で納得していたら、ユニスの視線を感じた。
「……あったかそうね」
「アンタもくる?」
「……今日だけね」
なんだか落ち着かないのはユニスも一緒だったようだ。
本を枕元に置いて、私の布団に入ってきた。一人用の布団に三人だとぎゅうぎゅうだ。まあユニスとコマチの布団とくっつくように並べられているからな。心配するのは、むしろ私と二人の寝相と、掛け布団からはみ出ないかくらいなんだが。
きっとなんとかなるだろう。
「おやすみ、二人とも」
「おやすみなさい」「……す、み」
深呼吸をした。
ユニスが腕に抱きついて、それじゃ落ち着かないでずっともじもじしていたから手を繋ぐ。少しだけびくっとしてから、私の肩口に頭を預けてきた。距離の取り方がよくわかってないんだろう。近いんだか遠いんだか、よくわからない奴だ。
そこへいくとコマチは私の腕を抱き枕にするかのような姿勢ですぐに寝た。
訂正するよ、春灯。
ずいぶん愉快な小旅行になったよ。
明日帰るから……また話そうね。
……おやすみ。
つづく。




