第二千七百八十八話
校舎内を歩き回っていたときだ。
化学の高橋先生に見つかったのだ。折しも化学室の前である。
中に入ると、授業中ではないようで閑散としている。ただ生物部の朝倉先輩と何人かの三年生らしき生徒がいた。
「青澄、戻ってきてくれてなによりだが早速確認したい」
「はあ」
あまりにも単刀直入じゃない? なんだろう。
ここで先生たちはなにをしてたんだろう。
「先日の現象を我々で検証しているんだ」
「青澄、きみはたしかに事態を収拾した。だがそもそもの話、あの日に起きた現象がなにかわかるか?」
「いろんな変化が現世に生じた。まるで隔離世のように」
朝倉先輩や他の生徒が先生と一緒に語る内容に思考する。
現世がまるで隔離世のようになった。
そんな変化が起きた。
そうだ。現世に隔離世のような現象が起きたのだ。
それも一意の変化が。術者により恣意的に構築された仕組みによる変化が。
「現世と隔離世の違いを私たちはだれも説明できない。なぜ分かたれているのか。そもそも分かたれているのか? みな知らない」
「現世の霊子の密度が増した。それはわかる。最悪、その謎が解けないとしても構わない。問題は、隔離世のようなことが起こせるのなら、現世に邪は出るのか。出ないとしても、どういう変化が起こりえるのか。だれも把握していない」
先生たちは現世の変化をより切迫感を持って調べているのだ。
そこまではおぼろげながら理解した。
「よく、わからない、けど。少なくとも術を発動できるわけですよね? 敵も、私たちも。だから、この間の異変を起こせたし、止められた」
おかげで私はおばあちゃんになった。
その変化でさえ、現世に霊子が満ちたことと関係があると言える。
黒いのがいなくなる前のうっすいうっすい霊子密度の現世なら、そこまで顕著な変化は起きなかったかもしれない。わかんないけどね。
「それならなぜ、敵はいま、なにもしていないんだ?」
朝倉先輩の問いに私は固まった。
「既になにかしているのかもしれない」
「侍隊は既に調査に入っているが、めぼしい報告はないそうだ」
「今回の術の傾向からなにをするのか考えているけど、なにせ情報がなくてわかりませんね」
先生と先輩たちの話についていけない。
私が寝ている間、少なくない日にちが経過しているにも関わらず次の動きがない。
あるいは発見できていない。
関東中を巻き込む術には、それだけの準備とエネルギーがいるはず。
だから次の行動には相当な時間がかかるのでは? なんていう甘い見立ては通らない。
根拠がない。
問いはある。
それだけの準備とエネルギーに、敵はどれだけの時間をかけたのか。
いまの敵にどれだけの余力があるのか。
私たちは知らない。
先生や先輩たちから細々とした質問を受ける。そのどれも私の想定していないものばかり。たとえば敵の術を打ち消したときの感触はないか、相手の霊子からなにか具体的な感触はなかったか、反発は? などなど。よくわからないとしか答えようがなかった。
ひとしきり質問がなされたあと、先生がまとめに入って私を見送ってくれる。
「呼び止めてすまなかった」
ゆっくり休みなさいと言われて、私は今度こそ素直に寮を目指した。
寮部屋に戻り、ぷちたちのお迎え時間にアラームがセットされていることを確認して、ベッドに横になる。ずいぶん久しぶりの寝場所。なのに妙に懐かしくて馴染む匂いと感触にほっとしたときにはもう、たぶん寝ていたのだろう。アラームが鳴って飛び起きる。
「まだ寝てろ」
「おぅ」
頭をなにかで押されて枕に戻された。
私の頭を押さえているのはお姉ちゃんだ。
いつの間に部屋に来たのだろう。
「トウヤとコバトが迎えに行っている。我が行かせた。宝島で遊んでから帰ってくるゆえ、お前はもうすこし休め」
「なに、どういうこと? あ、心配してくれてるってこと?」
「それもあるが、すべてではない」
「やな話の振りだ」
「残念ながらな」
ベッドに腰掛けて、お姉ちゃんは私のおでこに手を当てている。
もう起きないって。抵抗もしていないんだけど、離さない。
地獄に生まれ直した閻魔さまの娘。罪人を焼く炎を操る人。私のお姉ちゃん。
もともと双子。けっこう似てる。だけど手のぬくもりはどうなんだろう。
とても冷たくて気持ちがいい。
「お姉ちゃんは現世の問題に積極的に関わらないようにしてるんじゃなかった?」
「学生として、現世のひとりの高校生としての範疇でなら別だ」
「お。ルール緩和?」
「これまでも学校での行動なら参加してきただろう? それに」
お姉ちゃんがリモコンをテレビに向けた。いつの間に手にしたんだ。ずっと持っていたのか。
画面が明るくなって明るく朗らかな歌が流れてくる。フェルトで作られた動物たちの人形がひょこひょこ動いてかわいらしい。ちょうどこども向けの番組が始まったようだ。
「これじゃないぞ? 待てよ?」
お姉ちゃんがあわててチャンネルを変えていく。
「おい! ネットのニュースは早めに報じてたぞ! なんで地上波でやってないんだ!」
ネットをこじらせた人みたいなこと言ってる。
心配。姉が心配だよ。
「軽めの情報ならテキストベースで配信できるけど、テレビは映像を押さえるべく現場または現場付近に取材班を送って中継を繋がなきゃいけないから、時間がかかるんじゃないかなあ」
「早くしろよお! 一大事なんだぞ!」
すぐに怒る。
姉がめちゃくちゃ心配!
「そんな、演出が決まらなかったからって怒らなくてもいいじゃん」
「べべべべつに、そんなんじゃないしぃ!? テレビがやってくれないのが悪いんだしぃ!?」
そんな無茶で理不尽なこと、ここで言ってもテレビ局には届かないよ?
画面越しに文句を言っても響かないよ。
だからといって苦情を言われても困るけど。
ちゃんと報道するかぎりにおいてはね。ネットと同じ速度でやれよっていうのが無茶なんだから。
ネットで文句や中傷を発信するようになったらいよいよアウト。だいじょうぶだよね? ネットのバケモノみたいなことしてないよね? 姉が心配!
「あ! あったあった! やっと出たぞ、春灯!」
「はいはい」
どれどれ?
『――……いま、渋谷道玄坂の建物内から重傷者が二名発見されました。警察の発表によれば二名は赤いツタのようなものを吐きだして硬直していたということで』
「これだよこれ!」
ううん?
いつになくニュースが不明瞭だ。
アナウンサーが立っている位置のすぐ先に規制テープが貼られていた。ブルーシートで建物の入り口が完全に塞がれている。警察官が少なくない人数あつまっていて、警察車両だって何台も停まっていた。
「重傷者って言ってるけど、生きてるんだ。シオリが情報を引っ張ってきた」
リモコンをテーブルに放って、もどかしそうにあわてながらスマホを出す。
指紋認証がうまくいかずに苛立たしげにパスワードを解除して、画面を操作。メッセージアプリを私に向けた。画面に映っているのは、ブルーシートに囲まれたひとりの女性だ。
どこかの会社員だろうか。思いきり開脚してストッキングが伝線している。悲鳴をあげるように裾がめくれたタイトなスカートよりも、喉を掻きむしるような両手が印象に強い。
それよりなにより目にするべきは、顔だ。
目、鼻、口、耳。そこから赤黒い固まりが生えて顔中を覆い、そのまま地面から垂直に伸びている。まるで樹の幹のようだ。
赤黒い幹は伸びるにつれて先端が分かれていき、細い枝葉を生やしている。
楓のような赤い葉っぱが何枚も生えていた。
「これが、こうなるそうだ」
お姉ちゃんが画面をスライドすると、同じ女性に変化が起きていた。
スカートの内側、そしてブラウスのお腹の部分から赤黒い根が生えていた。太股から地面に伸びて、食い込んでいる。
身体の穴から生える、まるで血を増殖させてできた植物。
秋には遅い、血の紅葉。
彼女を安置、あるいは保管しているのがブルーシートに包まれた屋内だからだろうか。青に赤黒がおぞましく映える。
「いま、この状態になっている人間が三名、見つかっている。緋迎の部下の佐藤たちから、いまのニュースが伝えている二名も、この女性と同じ状態だと連絡があったそうだ」
「あの野郎の仕業?」
「それはまだわからん。だが、なにかしらの術によるものだということはわかる。通常、人から赤黒い植物は生えない」
それはそう。お姉ちゃんの言うとおりだ。
「調査となれば緋迎は絶対にお前に泣きつく。便利な術を作ったからだ」
責められても困る。
「明日から忙しくなる。だから休めるときに休んでおけ」
「心配してくれてありがとうって言うべきか、戻ってきた途端にこれかよって嘆くべきか」
「日常におかえり」
ぺちぺちとおでこを叩かれた。
絶対に寝てろよ。飯は食えよ。歯は磨けよ。
お父さんのビデオライブラリにあるドリフの文句のように言って、お姉ちゃんは部屋を出ていった。
あとに残された私は両手をおでこにのせて、浅くなりそうな呼吸を意識して深く繰り返す。
私が小さい頃、生活のため、今後のため、うちの親は忙しくしていた。私とすこししか年齢のちがわない頃に、私よりも収入が不安定で頼りなかった頃に、ひとりのこどもを抱えて生きるのはとんでもない重圧だったろう。おまけにトウヤも産まれてからは、もっと大変だったろう。
でも幼い私は仕事よりもずっとそばにいてほしかったし、私を大事にしてほしかった。こどもにはわからないもの。そしてこどもを産む責任って結局、こうのとりのゆりかごとか、養子に出すとかして委ねたりなんだりしないかぎりは親が背負うほかにないものだ。
この苦しさはこどもには見えないし、見えなくていいもの。
だけど親の苦しさは放っておいてはいけないし、どうにかするべきもの。
それを知らないこどもは求めるし、また、そうあるべきだ。
ぷちたちは私に求めているはずで、諦めさせちゃいけないとさえ思う。
それなのに、私はなにやってんだろうと思うしさ?
世界はほんとに、親を親でいさせるようにはできちゃいないし、足りないだらけだなって痛感する。
助けがいるよ。あらゆる人に。委ねたり託したり、そうやって自分を守らないと生きられない人にも、なによりももちろん、必要な助けがある。
きつくてやんなるね。
「血の紅葉、か」
東京、いや関東中を真っ赤に染めたいんだろうか。
そんな四季の変化なんて、だれも望んじゃいない。
けど術を使った者は望んだ。
あるいは結果を想定して行った。
なぜ?
身体が重たく感じる。
肉と肺の間に風船でも入れて膨らませたのかっていうくらい、圧迫感がある。
頭から全身に向けて「叫べ。怒鳴れ。暴れろ」と、そうせずにはいられない衝動が満ちていく。
枕でもぶん投げてやろうか。拳でなにかを殴りつけようか。
冷静にそう考える。身体は爆発する先を求めている。
それらに挨拶をして、なだめていく。
暴徒と化した自分のあらゆる一部に「だいじょうぶ。あとは私がなんとかする」「気持ちはわかる。私がかましてやるから、任せて」と言って回るような感じ。
衝動は消えない。冷静に「破壊してやろう」と、ただただ思う自分に「それはことを収める形で対処するね」と約束する。わかった、わかってる、もちろん”私”の思うとおり、言うとおりさ。だいじょうぶ、もちろんだ。だから私に任せて。そう挨拶を繰り返しながら、具体的な行動を定めていく。
今回の問題だって解決してみせる。
そう自分に伝えつづける。
もう一度ねむれそうにはなかったから、身体を起こした。
ベランダに出て金色雲を出す。飛び乗って、学校の音楽室へ。外から覗くと? 残念! 吹奏楽部が選挙していた。ノノカたちが気づいて手を振ってきたけど、手を振り返すのに留めて空き教室を探す。ようやく見つけた場所で化け術を使い、鍵をなくす。窓を開けて侵入したら? 扉と窓を閉めてから、思いきり歌う。音楽を鳴らして。
先生が飛んでくるかも。怒られるかも。
でも無理だった。
なんとかして全力で歌ってないと、気が狂いそうだった。
机を蹴り飛ばして、壁を殴りつけて、喉が潰れる勢いで怒鳴ってないと耐えきれないものをせめて歌に頼ってごまかした。
アメリカのヒーローを私はよく例にする。銃社会のアメリカで。州によって文化や暮らしのちがうアメリカで。いろんな人が暮らす、いろんな宗教が根づくアメリカで。初手で殺せばいい、というアプローチをするヒーローを私は知らない。
こどもが見るからか。それとも結局やっぱり、理想も現実もそこを目指すのがいいと思う人がいるからか。それが作り手の意図によるものだからか。
理由は知らない。
だけど日本でも、きっとアメリカでも「悪党は殺せばいい」なんて、漫画やアニメやゲーム、下手をするとリアリティたっぷりなドラマや映画でさえ平気で言う人が多いなかで、それを選ばないヒーローたちを私は例にする。
もっともコミックのヒーローは日本じゃびっくりするくらいリブートを重ねながら長寿にやってる例がけっこうあるそうで、そこまでいったら失敗したり、恨みや憎しみから手を下したり、それを後悔したり、復讐されたり、むしろ人を率先して殺してまわるような状態になったりする事例もやっぷりありそうだけどね。
それでもなお、選ばないヒーローたちを例にする。
アメリカのゴジラ映画で「核も、核に連なるゴジラも味方」にしちゃうところはほんと無理。
どの国の、どんな作品も潔癖ではいられないんだろう。
完璧はない。万能も十全もない。
そういう前提のもとでなお、選ばないヒーローたちを例にする。
私はまだ彼らみたいに選べない。選ばないことを選べない。自信がない。
この激情を、なにかものに当たり散らしたい気持ちさえ抑えられない。
ちっぽけだ。
弱くて、惨めで、情けない。
そんな私が歌でどれほど食っていけるんだって思うしさ?
そんなこと考えると、ほら。もっと衝動が強くなる。
ともだちやだれかと会って遊べばいいなんて、そういう生き方してこなかったし、いまは選べそうにない。
がんがんに音を鳴らして歌ってないと壊れて染み出るものの痛みに耐えられそうにない。
どうして。なんで。
答えはない。
相手から聞いたことばが私の答えに?
なるわけない。
ギャップは常にあって、付き合うほかに道はない。
ああそれでも、フランクル。
私は何を望みたいかわからないの。
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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