第二百七十八話
晩ご飯はまるで当たり前のように酒宴へと切り替わっていった。
大声をあげて笑い合う大人たち。イチリュウさんは特に上機嫌だ。
「ミツルが侍として町に名をあげて、今やニュースで話題の候補生のいる学校にトラジの奴が入った! 言うことねえなあ!」
「俺は認めんからな!」
対してご機嫌斜めなのがカズオさん。グラスを強めにテーブルに置くなり立ち上がって出て行っちゃった。トラジが凄く複雑そうな顔で見送るのを見て、イチリュウさんがぼやく。
「……俺やレイタの兄貴みてえになれの一点張りだからな。親父もいい加減わかってくれていいだろうに」
「そうはいかないわ。ツルちゃんはほら。前に大けがしたもの。心配でたまらないのよ」
お母さんの言葉にミツルさんが笑い声をあげた。
「あはは、やだなあ母さん。お客さんの前でそんな。昔の話だよ」
「そうはいかないわよ。トラジがアンタに憧れる理由になった大事な話じゃない。トラ、話してあげなさい」
お母さんの言葉にトラジが居住まいを正した。
食べ過ぎて目を回して脱力するユニスに水の入ったコップを渡してから、トラジに視線を向ける。
「そうだな……うちの家の出世頭はレイタの兄貴だ」
「褒めるな褒めるな。今をときめく建築デザイナーで年収はありあまっているが、褒めるな」
トラジが言うと、ビールを飲んでいた色白のおじさんがどや顔をする。そばにいるお姉さん――奥さんだと思う――がやんわりと「あなた」と言ってたしなめた。「けっ」とイチリュウさんが毒づく。ちょっと揉めてそうだな……まあいいけど。
「で、家業を継いだのがイチリュウの兄貴だ。親父のたっての願いもあったんだよな」
「ああ。後継者がいないのは寂しいって言うからよ。レイタの兄貴ほど学もねえから、素直に引き受けたってぇわけだ」
笑い声をあげるイチリュウさんはとにかく陽気だ。
寄り添っている奥さんと二人で楽しそうに笑い合う姿は、いかにも幸せそうでいい。
「ミツルの姉貴は当初、ここいらの漁師仲間の誰かに嫁ぐみたいな話があったんだけど……士道誠心に単身入学、卒業するなり警察官になった。そこまでは親父の受けもよかった」
トラジの言葉に集まった親戚やトラジの一家のみなさんがうなずき合う。
「けど……盗みに入った泥棒がな。化け物じみた大男になって包丁片手に暴れ回った。警察官が何人も負傷するなか、そいつをミツルの姉貴がとっ捕まえた!」
「お腹やら胸やら、とにかく身体中を刺されて、瀕死だったんだけどね……あはは」
「それでも姉貴がやり遂げた。だから町の自慢だし、うちの自慢……そのはずなんだ。憧れたもんさ……てめえの身体を張って、命を張ってみんなを守る姉貴にな」
「……でも、父さんはそれからは侍なんてろくでもねえからやめちまえ、って言うようになって」
ミツルさんが苦笑いを浮かべる。しんみりする空気の中で、お母さんが手を合わせた。
「心配なのよ。次は命を落とすかもしれないって……入院したミツルは生死の境をさ迷ったんだから」
「大げさだよ……夜勤だったから眠たくてしょうがなかっただけだって」
笑い声をあげるミツルさん、けどイチリュウさんもレイタと呼ばれたおじさんも何も言わない。居合わせた大人たちみんな、なんとも言えない顔をしている。
「ごめんね、変な話して」
ミツルさんが「ジュース持ってくるね」と言って立ち上がるから、いてもたってもいられなくなって後を追いかける。
台所で冷蔵庫の下の扉を開けようと屈むミツルさんの腰を見て、思わず言葉を失った。
うっすら白く歪な痕が見えたんだ。
「……ミツルさん、腰の、それは」
「え? ああ……トラちゃんのお友達」
「天使です。天使キラリ」
「キラリちゃんね……これは、なんていうか。武士の勲章?」
「勲章って……」
ミツルさんは困ったように笑うと「引かないでね?」と断ってからトップスを捲りあげた。
素肌が見える。けれど白い素肌に醜い傷跡が幾つも残っていた。それらはすべて塞がっているけれど、でも痛ましいことは間違いない。
「これ……さっきの話の事件で?」
「そう。父さんが反対する理由はこれなの。トラジは……勲章だって言ってくれたけど。父さんは嫁のもらい手がなくなる原因だってさ」
私もそう思う、と言って明るく笑えるこの人は強いなあって思った。
「あなたも士道誠心に通うなら……侍になることは、文字通り身体を張ることになるって覚えておいてね」
「……はい」
素直に頷く私に満足したのか、ミツルさんはトップスの裾を下ろした。
「学校に通っている間なら、ここまで危ない目にあうようなことはないと思うから。あくまで……その先の話ね? ――さて、うわ!?」
ジュースの瓶をいくつも持てるだけ出そうとして転びそうになる。あわてて抱きつくようにして支えた。
「ご、ごめんね。ありがとう……じゃあ戻ろうか」
「はい」
私にその内の何本かを渡すと、ミツルさんは居間へと歩き出す。
トラジにとって、身体を張って町を助けたミツルさんは英雄なのかもしれない。
だけど二人の父親からしてみたら、心配する理由にしかならないのだろう。
どちらだけが必ず正しいんだ! ……なんて思わない。
町を救った真実は覆られないし、同じくらい……ミツルさんの身体に傷が残った真実も変わらないから。
それでもトラジは入学した。親の同意がなければどうにもならなかったはずだ。二人は和解できるはずだと……無邪気に信じたくなるのは、私が子供だからだろうか。
◆
入れ替わりでお風呂に入ることになった。
だらけた空気の中で親戚やトラジのお兄さんご家族たちが去って行く。
私は私で台所でコマチとお母さん、それからイチリュウさんとレイタさんの奥さんの五人で洗い物をしていた。
コマチはお皿を何度も落としそうになっていたから、拭いてもらう役目をお願いする。
そうしてひと息ついてから居間に戻ると、イチリュウさんとレイタさんが酒を飲みながらテレビを見ていた。
ユニスは横になって居眠りしていたし、リョータとミナトはトラジと三人でミツルさんの話を聞くのに夢中になっている。
ちなみにミツルさんも洗い物の手伝いを買って出たけど、お母さんたちがそろって「お皿を割るだけだからやめて」と拒否しました。て、適材適所だな。あるよ、そういうの。例えばユニスが居眠りしているのも……きっと、たぶん適材適所だ。
みんなお風呂は済んだのだろうか。見ればみんなパジャマ姿だ。なら済んだのだろうが……だとしたら烏の行水すぎないか? それとも男達で入ったのかな。さぞむさ苦しい絵面だったんでしょうよ。
「――だから御霊の名前もいざという時になったら自然とわかるものなの」
「「「 なるほど 」」」
「しっかし話題の学校になったな。兄貴の目から見てどうよ、士道誠心は」
「あそこの高等部にある特別体育館はよく話題になるよ」
話すのに夢中っぽいな。やれやれ。
「あなた、帰るわよ」
「ほらほら。だべってないで」
奥さん二人がそれぞれの旦那の肘を掴んで立ち上がらせて、そっと出て行く。
となると……。
「コマチ、先にお風呂はいっちゃおっか」
「ん……」
「ユニス。アンタもまだなら行くよ」
「……お寿司ぜんぶください」
「起きろ、ばか」
ユニスを揺さぶって起こして立ち上がる。ふと視線を感じて見ると、男子三人がこちらを見ていた。
「……え、なに」
「「「 いえ、別に 」」」
なんでハモってんのか。きもい……何かよからぬ空気を感じる。
これはあれだ。修学旅行のお風呂前の男子の空気にとてもよく似ている何かだ……。
「覗くなよ」
「「 ま、まさかそんな 」」
リョータ、ミナト。二人そろってどもるな。
「天使。窓を開けると、海と星が見える。すげえ綺麗でオススメだが、外から丸見えだから気をつけろよ」
「「 丸見え!? 」」
トラジの注釈に二人とも露骨に反応して。まったく……。
「じゃあお先に失礼します」
お母さんにご挨拶してから、三人で二階からリビングへ荷物を下ろした後にお風呂に向かう。
なんだかんだいって動き回ったからな。そろそろ羽根を伸ばしてもいい頃だ。
◆
ゆっくり湯船に浸かる。
四人くらいならまとめて入れるヒノキ風呂だ。
髪が湯船につかろうがユニスは気にせずくつろいでいた。乾かすの大変だろうに。
コマチを引き寄せて抱き締める。
「ふう……」
湯船に浸かる前に身体をシャワーで流した。二台あるシャワーもこの浴槽もかなり豪華だ。
おかげで十組女子は三人揃って骨抜きになっている。
そばにある磨りガラスは開けると海がよく見えるんだ。ユニスが開けて三人でのんびり星を眺める。波音が遠くから聞こえて、風情があって実にいい。
ちらりとユニスを横目で見た。
ミツルさんのような傷跡はない。綺麗な白い肌が実に憎らしい。
「……なによ」
「別に。ただ……プロで働いたら、いつかは生傷が増えるのかなって思っただけ」
「日本のように……隔離世の治安維持以外の業務があるならね。そりゃあ怪我をする機会もあると思うわ」
「……実感わかないな」
「士道誠心は警察の訓練がカリキュラムに入っているのでしょう? なら、教えてもらえる瞬間がそのうちくる」
「怖いな……この力だけで乗り切れなくなるとか、想像したくない」
率直に言えば気乗りしない。人差し指を出して、星を出してみせる。
コマチが「わ……」と小さな歓声をあげた。ユニスがすぐに手で覆い隠すようにして星を消す。
「あんまり力を振りかざすな。いいこと? ……どこまでいっても、人は人なの。どんなに素晴らしい御霊と出会ったとしても、その人の持つポテンシャルを越えられるわけじゃない」
ユニスの言葉に頷こうとして、やめた。
「ってことは……春灯のポテンシャル自体は認めてんの?」
「時間差で揚げ足を取らないで……好きに解釈したら?」
「はいはい」
素直じゃないな、と笑う。
外から風が吹いた。
十二月の風は風呂に浸かっていない顔に当たるだけでもかなりきつい。
「ねえ。窓、しめる? 風つめたいけど」
「……もちょっと、みて、たい」
「じゃあ……もう少しだけね」
コマチの言葉に肩を竦めた。
「リョータはどうかしらないけど、ミナトは覗きそうだな」
「ミナトもそこまで露骨に変態じゃないでしょ。今後の信頼を失ってまでする?」
「どうかな……思春期男子の瞬発力を舐めてはいけない……」
「天使。たまにあなたの男性遍歴が気になってしょうがないわ」
「ユニスこそどうなの? 初恋の男の子がイギリスにいたりしないわけ? コマチは気にならない?」
「……な、る」
コマチの返事にほら、とユニスを見たら、ユニスはお風呂で上気した顔で星を眺めていた。
「そんなの探す余裕もなかった……なんでかしらないけど、ランチの後はいつだって色物扱いされたから」
……だろうな。ユニス、食いしん坊だもんな。
「天使、だけ……彼氏、いた、の」
「キラリでいいよ、コマチ。それだってろくでもない思い出だからな」
開いた窓の向こう側、風が吹いて木々の葉っぱが揺れる音がした。
「別に……異性に興味があるのまでは否定しないけど。相手を傷つける欲の持ち方はよくない」
しみじみ言っちゃうな。
先輩とかマスターみたいな……相手を思いやれる人と恋愛できればいいなと思う。
「そうだな……じゃあ質問を変えるけど。どんな相手と恋愛したいとかはある?」
「今は環境に慣れるのに手一杯。コマチはどうかしら」
「……恋、よく、わからない」
コマチの言葉にちょっと笑っちゃった。
「正直、アタシも全然だ。そのうち……わかる日が来るといいな」
「あら。恋愛至上主義ってどうかと思うけど」
「別にそれだけが人生の華とか言ってないし。ユニスだって興味ゼロってわけじゃないだろ」
「……それは、まあ」
お。意外な反応。噛み付いてくるかスルーされるかと思ったんだが。
「でも……そうね。たとえば、覗き見を試みるような輩は絶対に無理ね」
「ユニス?」
「いえ、なんでもない……風が気持ちいいわね」
ユニスが縁に身を乗り出した時だった。
ちょうどよく風が吹いて木々が揺れる。湯船の温度が高めだからちょうどいいと考えられなくもない……かな。
耳に聞こえる波音が心地いい。リラクゼーション用の音楽に選ばれたりすることもあるみたいだけど、納得だ。腕の中にいるコマチが目を伏せて、ずっと波音に意識を傾けていた。
いつまでだって入っていられる豪勢な風呂。
ほんと、トラジは贅沢者だな。
◆
髪を乾かしてパジャマに着替えて居間に戻ると、既に三組の布団が敷かれていた。
そして居心地の悪そうな顔をしたミナトがいる。ユニスが笑いながら声を掛けた。
「ねえ、ミナト……何か楽しいことはあった?」
「別にねえです」
「そうね。何かを見る前に戻っちゃったんですものね」
「やめてくれませんか!? 反省してるんで! いえ、むしろ許してください!」
「喉かわいちゃったなー」
「ジュース持ってきます!」
「富士山の水がいい」
「お前、鬼か! せめてコンビニで買えるのでお願いします!」
「じゃあコンビニのお寿司ぜんぶ買ってきて」
「やっぱり鬼だな!」
「天使たちにばらしちゃおうかなー」
「ダッシュで行ってきます!」
二人が何を話しているのかわからないのは私とコマチだけのようだった。
まあいいや。わからなくて。
脱いだ服とかまとめて男子に見られても困らないように袋に入れてある。それをリュックにしまった。
ふと見ると、ミナトたちの様子を見てリョータが苦笑いを浮かべている。
トラジは物思いに耽った顔でテレビを見ていた。
夜のニュース番組で住良木の技術開発について触れている。
『隔離世という、世界に重なるもう一つの世界との双方向の通信と、映像化する技術について――』
春灯のライブ映像なんかも出てくる。
あれこれと難しい単語が並ぶテレビをトラジは真剣に見ていた。
「テレビなんか面白い?」
パパとママはよく見ているけど、私はそこまで馴染みがない。部屋にはないし、スマホで動画を見れば済むし。ニュースなら記事サイトが山ほどあるわけで。
だけどトラジはテレビから視線を離さずに言うのだ。
「金がかかってる。ってことはつまり、無責任じゃいられないってことだ。かかる経費はコスト、コストに見合ったお金が投資。リスクを回避するために行われる仕事。循環して始めてクオリティが確保される……ってのは、レイタ兄貴の言葉だ」
「……つまり、どういうこと?」
「俺にもさっぱりだ」
「なにそれ。意味わかんない」
「だよな」
笑いながら、けれどトラジは顎でテレビを示した。
「けど、まあ。文字をあれこれ読むより、よっぽどわかりやすいよ」
「……わかったような、わからないような」
「お前の友達が出てるぞ」
ううん。確かにそうなのだ。
確かに春灯の映像が結構出ている。
渋谷でのゲリラライブだけじゃない。春灯から聞いたことがあるけど、警察の特別訓練で隔離世の代々木体育館で歌ったこともあるようだ。その時の映像も出ている。
晩ご飯前にユニスは言っていた。春灯は世界が変わる中心にいるって。それも……あまり大げさだとは思えなかった。
考え込んでいたら、パジャマのポケットに突っ込んでおいたスマホが振動した。取り出してみるとメッセージの通知だった。
春灯からだ。
『うー。カナタとデートしようとしたら、たくさんの人にカメラ向けられました。しんどい』
……本人はいたってのんきだな。春灯らしいと言えば春灯らしくてほっとするけどな。
『有名人になったからじゃない?』
『一時的でしかないと思います』
『どうかな。まあ……ほら。寮部屋でいちゃついたら?』
『そうするー。キラリはどう? 小旅行』
深呼吸をしてみんなを見渡した。
ミナトは財布を持って外出するようだ。楽しそうな笑顔のユニスが後を追いかける。
「ちょ、ついてくんの?」
「もうしばらく弄り倒したい」
「この鬼! 悪魔!」
「ねえ天使、ミナトが――ふがふが」
「行きましょうかね、夜の散歩! じゃあいってきます!」
仲良さそうだな。二人して行ってしまった。
「ふ、あ……」
「コマチ、寝るなら横になれ。布団それだけで足りるか? 毛布もってくるか?」
「……ん。さ、む」
「待ってろ、持ってくる」
トラジがコマチの世話を焼いている。
リョータはそわそわしながらテレビを見ていた。なにしてんだか。
『まあ、ぼちぼちかな。仲間のことがちょっとわかったような、わからなかったような』
『いいないいな! 旅行! 私も行ってみたい!』
『じゃあ今度ね。夢の国にでも行くか』
『行きたい!!!!! 待ってる!!!!!』
『はいはい。おやすみ』
打ち込んですぐ、間延びした狸の「おやすみ」スタンプが送られてきた。
アイツ狐じゃなかったか。なぜに狸。今度突っ込むか。
「さて、と……」
「お、おほん!」
私も寝ようかな、と呟こうとしたら、リョータが咳払いした。
「なに」
「……み、ミナトたちみたいに、散歩しない?」
「やだよ。湯冷めするもの」
「で、ですよね! ……初手でフラグばっきばき」
妙に凹んでいるな。まあいいや。
「リョータ。眠るまで一緒にいてよ」
「え……」
「なんか眠たくなる話して」
「えええ」
無茶ぶりをして少し困らせる。
てんぱって桃太郎の話をし始めるから、こいつ正気かと思い始めていた頃にトラジが毛布を持って下りてきた。
寝そべるコマチの布団に毛布を広げて掛けてあげている。
「トラジって……面倒見いいよね」
「あ、俺もそれ思った」
私たち二人にトラジは人差し指を立てる。その指でコマチを指し示した。
「……すう……すう」
すごいな。熟睡か。早いな。
トラジがテレビを消して、照明の電源を切った。
「リョータ、上に行くぞ」
「う、うん」
「天使、おやすみ」
名残惜しそうなリョータを連れて、トラジが二階に上がろうとする。
「待って」
思わず呼び止めた。
「トラジ」
「……なんだ?」
「……お父さんと、仲直りできるといいね」
私の言葉にトラジは驚いた顔をして、それから笑ったのだ。
「俺も仲直りできたらいいと思う。ちょっと……話してくるわ。じゃあな」
「お、おやすみ」
二人に手を振って見送った。
ゲームをたくさん持ってきたミナトは悔しがるだろうが、いろいろあって今や十組の中心とも言うべきコマチが熟睡しているとなるとしょうがない。
あとで文句を言ってきたら、寮でやろうと説得しよう。
布団をかぶって深呼吸したら、遅れてあくびが出てきた。
さすがに家の中にいると波音がうるさいとまではいかない。けどすぐそこに海があるんだと思うと、不思議な高揚感がある。
気持ちよさそうに寝ているコマチに「おやすみ」と囁いて、私は瞼を下ろした。
◆
不意に物音が聞こえた気がして目を開けた。
身体を起こす。どたどたと聞こえる物音は一階から……和室の方から聞こえてきた。
「な、に……」
コマチも起きたようだ。身体を起こして音のする方へ歩み寄る。
「――さん、落ち着いて!」
「いいや、こいつは俺の気持ちが一つもわからねえ!」
「わからねえのは親父の方だろ!」
怒鳴り声だった。ミツルさん、カズオさん、そしてトラジの声か。
和室へ向かうと、ミナトとリョータ、ユニスもおろおろしていて和室の入り口そばにいる。
中を覗き込むと、トラジが親子ゲンカの真っ最中だった。
「どうして認めてくれねえんだよ! 姉貴みたいになる、それは誰かを守ることになるだろ!」
「てめえは親に心配をかけてなんとも思わねえのか――どうして、どうしてわからねえんだ!」
二人の怒りは頂点に達していて、まともな話し合いなんてできそうになかった。
トラジたちをミツルさんとお母さんが止めているけど、それだけじゃなかった。
「――う、ううう!」
カズオさんが頭を押さえて、お母さんを片手で突き飛ばす。
それだけじゃない。影から黒いモヤが噴き出て身体を覆い尽くしていく。
そして瞬く間にカズオさんを不気味な大男へと変えてしまうのだ。
「現世へ影響を及ぼすほどのモンスター!? 地脈の影響? それとも水神の荒ぶりとでもいうの!?」
ユニスが悲鳴をあげるなか、ミツルさんがトラジを廊下へほうり投げた。
そして腰に帯びた刀を抜いて、お母さんを庇うように構える。
「――あれは」
リョータと二人で受け止めたトラジが、青ざめた顔で呟いた。
「あの時と同じ、化け物だ」
大男が咆吼をあげる。
刀を持つのはミツルさん、ただ一人。
私たちの刀は学院に置きざりのままだ。
さあ、どうする……!
つづく。




