第二千七百六十八話
入院がしばらく長引きそうだと春灯ちゃんから全体に向けてメッセージがあった。
無意識に老化する術の発動を止めることに成功した。しかし本来の状態になったぶん、病院からすると「老いた人が若返った」という、無茶苦茶おそろしい現象が起きているので、精密検査だなんだが再び行われるのだという。
これに対するキラリちゃんのフォローが「映画で初めて捕まった宇宙人よりはマシじゃん」。
意味はわからなかったけど勢いがすごくて、ちょっとだけ吹いた。
瑠衣や美華いわく、生体解剖とか、細胞分析とか、やまほどされるのが定番なのだそう。
それよりあとに続いた春灯ちゃんのメッセージに興味を惹かれた。
敵にはみっつのグループがいて、狐押し込み男たち、彼らを作り育てた製造開発者、彼らを利用して儲けようとする経済界のやべえやつら。で、春灯ちゃんいわく狐押し込み男についての調査が必要不可欠。なぜなら、狐押し込み男こそが春灯ちゃんに八尾の狐を押し込んだ張本人だからだ。それも大勢のこどもたちの魂で作られた狐を。そのせいで彼女は不調を来したり、膨大な霊力を宿したり、勝手に老化する術が発動するくらい困った状態になっている。
なので狐押し込み男の確保と、彼の握る情報を獲得することが、春灯ちゃんには欠かせない目的だ。
しかし男の情報は曖昧で、よくわかっていないことばかりだ。収監されたはずなのに。この矛盾を解決する情報さえ、いまはろくに見つかっていない。
そこで狐押し込み男を作り出した、あるいは育て上げた製造開発者たちを見つけ出すほうがよいのではないかと提案していた。もしかすると狐押し込み男以外にも、大勢の人材を育成・開発しているかもしれない。的を絞ってもたどれないなら、もう少し広範囲にわたって異常を探ってみてはどうかという提案なのである。
クラスのみんなと授業を受ける傍ら、ノートをシャープペンの先で叩く。
立沢理華は悩んでいる。春灯ちゃんにお母さまのことを尋ねるかどうか。それとも直で訪ねていってみるか。しかし身重だと聞いている。そろそろ出産予定日が近づいているとも。そんなときに聞いていいのだろうか。
『産後は深刻なダメージを負う。体力も落ちるし、安定するまでに時間がかかるぞ? そもそも産後に亡くなることを可能なかぎり防げる比率が増している時点で素晴らしいのだから』
指輪の指摘に気が滅入る。
もうすでに、どのタイミングを選んでも「よくはない」のだ。
それなら早いほうがいい。お伺いを立てていくか、それとも春灯ちゃんのお見舞いか、帰宅の手伝いがてらについていくか。考えることが多いと予定だなんだを外しにくい。
いまもなお指輪の「そもそも命がけの出産で母子共に無事ということがどれほどすばらしいか」という語りを聞き流して、横目で聖歌を見る。
授業中なのに口を半開きにして、とろんとして目で宙を見ている。明らかに眠たそうだ。せめて黒板か先生でも見ておけばいいだろうに。猫がなにもないところを見ているような状態で一点を見つめているものだから「な、夏海? 夏海さん? なにかいるのか? 見えちゃってる? ねえ、見えちゃってるの!? あり得るんだよぉ!」と先生が恐れおののいている。
春灯ちゃんのことが心配でならないのだろうし、自分の力で彼女を癒やせないか悩んでいた。最近はワトソンくんとユニス先輩に手伝ってもらって、術の開発に勤しんでいるという。
聖歌に頼るか。春灯ちゃんをみてあげてって。術の開発も相談してみたらって。で、春灯ちゃんが家に帰るとなったら、連絡してもらうようにしよう。
よし、決定。
製造開発者たちについて思考を切りかえる。
侍隊や、四校の生徒たちとは異なる全般的な発達の形。想定した霊力に意図的に目覚めさせるべく育成・開発されるこどもたち。通常の侍や刀鍛冶とは異なるありよう。
ここで佐藤さんと柊さんが保養施設で会ったという男が気に掛かる。人の身体でありながら、怪力を誇る。映画のヒーローやコミックキャラのように、パンチで人を何メートルも吹き飛ばす膂力。刀ではなくて、たしか槍を出していたという。
安易に紐づけるのもどうかとは思うけれど、追ってみるだけの価値はあるだろう。現状、他に有力な手掛かりはないのだから。
「みんな気もそぞろか。じゃあ先生の雑談にちょっと付き合ってよ」
いいのか教師。そんなことで。
内心でつっこみながらも彼女を見る。社会科目の教師である彼女は「田舎と都心のちがいはなにか」について、具体例を挙げながら解説を始めた。アメリカでいえば西と東の海岸沿いの発展した都会、その間に挟まれた田舎の各州。
日本でいえば? スーパーや大型ショッピングセンターができる一方で、街の個人商店や商店街が壊滅していくという流れ。一次産業の「儲からない・買いたたかれる」現状。そうなると、彼らはなにでどう働くか、という話になる。
日本では中途採用は経験者優遇。逆に初心者でもありという企業は、壊滅的な案件ばかりを抱えているか、とにかく人の出入りが激しい不安定で悲惨な企業が目立つ。
それよりなにより強烈な縛りが「年齢」。
三十代を超えると、もうそれだけで採用率がぐっと下がる。四十代、五十代はもっとだ。
すると個人商店や商店街、あるいは一次産業で働いていたけどやめるとなれば? アルバイトなどしかない。スーパーや大型ショッピングセンターで働く人もいるだろう。店を潰した場所で働くという認識を持つと、こんなに苦しい話もない。
政治はリスキリングを推奨するし、偉そうな経済インフルエンサーはプログラムを学べと笑う。あるいは生活保護を受ければいいだろうと流す。
だけど、そうした話の先は、だれも考えない。
自己責任で済ませて「お前らがなんとかしろ」で、はいおしまいだ。
こうなると田舎で噴き上がる。都心、経済、政治への嫌悪感や憎悪、忌避感が。それらを受けとめてくれる物語への需要が増す。
アメリカでは民主党、リベラル層、富裕層への言い尽くせないような物語が構築されているという。こうした人々の機運を大統領らは積極的に活用している見込みが高い、とも。それはやがて悲惨な事件を起こしかねない、なんて話まで。
そこまでくると、隔世の感があるが、教師は「日本も決して馬鹿にできない。他人事じゃない」と言う。なぜか。日本中の各地に地方議会などがあり、人々の機運を利用したい人もいる。結果として異様な人が当選することがあるし? それは地方議会の運営がどんどんおかしくなっていく可能性があるってことでもある。
「問題なのはね? 地域の具体的な問題の数々を、だれかのせいにして責めても、残念ながら具体的な対応策にはならないということ。数字の話も踏まえていうとね? たとえばスーパーが出店しました。近所のお店よりも値段を下げて人を集めます。周囲の店舗が撤退したら? その街で買えるのがスーパーだけになったあとで、値段を上げていきます」
生鮮食品から生活必需品などまで列挙して、どれくらい値段を変えていくのかを記載していく。
そこでのアルバイト料や待遇も。その悪さ、低さも。
それゆえに訴訟がどう起きて、どうなっているのかについても。
個人店や農業などの一次産業で食べていけた人たちの生活がどのように破綻していくのかも。
政治に訴えたり、社会運動やデモやストライキを起こしたり、問題だと訴えたりしても、冷淡な返答しかない。「学べ」「働け」だけ。当然、そんなんじゃ具体的な問題の数々は対処されない。
あまりにも冷淡な応答に、責めずにいられない状況が、体験が増やされていく。
現職の大統領はあまりにも明らかに問題が多いけれど、民主党全体においても、共和党の他の者たちに比べても、彼に比べたら下回る。それってもう、かなり致命的な状況だ。
恐るべきは彼がまだ一期目ということ。アメリカの大統領といえば、二期目もある。最長で十年までいけるんだったか。彼がそれを狙ったとしたら、いったいどれほどの混沌が引き起こされるのだろう。
「現職の大統領は貧困層の支持を集めていながら、実際には富裕層に資することを推進している。だけどだれかのせいにして、責めて、なんとかなってほしいと願う人たちにとっては、そこまで見えない。わからない。彼の言い分を鵜呑みにする」
前職の大統領が始めた医療保険制度の停止などはわかりやすい事例だと先生は述べる。
貧困層ほどアメリカでは医療に繋がるのがあまりにも恐ろしい。なによりも高すぎる。医療保険には入れない。高すぎるから。風邪の治療で家が傾く。重病になったら? ガンになったら。なにもせずに死を受け入れるほかにない。痛みに耐える薬も飲めない。高すぎるから。
それでは困るからこそ医療保険制度は必要不可欠なのだが、これを否定する大統領の言葉を鵜呑みにする。ただただ「制度は金食い虫だ」「いらない」「みんなの金を奪ってる!」ということだけを信じて攻撃に加わる。だが、実態はちがう。彼らを救うものを、彼らが攻撃している。煽動に乗って。
物語、責めたい気持ち、苦境などが噛みあうと?
簡単にこうしたことが起きる。
何度だって再現される。
それを愚かだと笑えるのは、自分に同じ気質があることを知らない者だけだ。
「それとは別に煽動は儲けになる。地方に出店するスーパーやモールのようにね」
彼らの関心事は儲けであって、地方の人々の生活ではない。彼らの未来でもない。
もちろんそうだ。企業にも、扇動家にも、そんな関心なんてあるはずがない。
だから行為による他者への影響も、責任も、関心の外にある。
それによって人生や営みが破壊される人がたしかにいたとしてもね。
「じゃあ彼らを責める? そのための物語を見つけて、正当性を訴える? それで具体的な問題の数々が対処できるでしょうか」
チョークで記述されていく。
地方の生活の具体的な問題の数々。
たとえば農業の町に、近代工業や産業を持ち込めば、それが町の「若者が外に出ていく」「産業での収入が少ない」ことを真に解決するのか。そうではなくて「農業で十分な収入が得られる」ことこそが重要なのではないか? そのための解決策は「農政や補助金のありようの改善」であり「商取引上、農作物の費用をきちんと得ること」であって、近代工業や産業を持ち込むことではないはずだ。
扇動家や商業施設を仮想敵に責めること? 彼らが訴える敵をこそ責めること?
ちがうはずだ。
「んな自明の理、だれでもわかるんじゃないっすか?」
「やべえ奴らが集まって、文句いってるだけじゃね」
スバルと瑠衣が言わなきゃいいことを言うし、だからこそ教師は待ってましたと胸を張る。
「そう思えるのは、きみたちが衣食住に困らず、学校に通える余裕があり、頭のまわらない借金に悩まされず、方々からお前が悪いと責められる日々を何十年も過ごしていないからだね」
先生。それはあまりにも身も蓋もない。反論しようのない言い方だ。
案の定、ふたりの男子が「そんなこと言われても」と面倒がっている。
「自分の親が、祖父母が大事にしていた土地や建物が呆気なく壊されたり、夜逃げ同然に家を出なきゃならなかったり。思い出が壊されていく体験がないから、私たちには実感が湧かないの」
そう言って先生は家や職を失い、牧場や動物を手放した人の数を記述していく。
生活を破壊される。そのショックがどれほどのものか、たしかに未経験の人には想像さえできない。
それだけのことが起きているのだと気づくと、太平洋の向こうにある国の分断がどれほど深刻なのか、その一端でもわかる気がするし?
それは恐らくあらゆる国で起きている現実なのだろう。
しみじみしてる私の後ろで詩保が欠伸をかみ殺す。けっこう目立つ音量で。
「さすがに興味ない?」
「あ。や。自主鍛錬で疲れてるだけで、退屈ってわけじゃ」
肩を落とす先生に詩保が取り繕うし、嘘じゃない。
入学して以来、やまほどいろんな事件が起きているのに長らく一年は戦力外。別にそれならそれでいいだろうに、詩保は関わりたいらしい。だからなのか、美華やワトソンくんに稽古をつけてもらっている。
もっとも詩保の興味のある話じゃないのは確実。
一方でアメリカ暮らしをしていた姫ちゃんはというと「でも実際、勉強したほうがよくないですか?」と、なかなかにきついことを言いだした。
「結局、勉強して、いま売れ線の技術を身につけて働くほかにないなら、そうするしかないんじゃないですか?」
「おお。時任さんが、そうくるか」
これぞ、ザ・自己責任。
日本だけの話じゃないよね。この手の価値観があるのは。
先生はとても嬉しそうに腕まくりを始める。
まさに真骨頂。ここからが楽しいが長い話になるのだろう。
私も触れたことがあるからわかる。
先生が饒舌に語り出していくなかで、ぼんやりと思案する。
『興味がないのか?』
聞いてはいます。知っていることがたくさんあるという自覚があってもね。
それよりも考えたいことがあるだけ。
先輩たちが訪れた軽井沢あたりの施設にいた、姿が人から外れた変化をした人々。
私はてっきり、彼らは社長たちに重なるものだと思っていた。でもいまとなっては社長たちさえ副産物だと見なしている。それこそ狐押し込み男たちを育成、開発するため。あるいは製造するための、副産物で、要するにものだ。そういう扱いをしている。
「社会における教育、技術というものは――……」
先生が歴史や実状に触れながら解説していく。
技術の習得、学びと教育の関連性。そして、それがいったい「どこのだれのためのもの」かという話。
加えて社会のありようの話にも触れていく。
例え話をしよう。
春灯ちゃんだけが御珠を獲得した。これを「生きるための必須条件」と設定したとき、彼女以外の四校の生徒たちはみな「失敗」になる。「未熟」であり「能なし」になる。無能であるならば、苦境は当然。生活するのに困ったとしても必然。
それがいやなら御珠を獲得すればよい。
これが能力主義や成果主義、資本主義のわかりやすい問題点だ。
万人にできることではないし、求めることでもないが、これらの主義は彼らに強要し、達成できない者からの搾取も、苦境も、支援を絞り勝者の総取りにすることも、すべて正当化する。
しかし社会は勝者だけで構築されているのではないし? たとえば「御珠を獲得する」という条件を達成する必要性を、勝者は知らなくていい。押しつければよい。そして成果を出せない者たちに、あらゆる不便を押しつけてよい。彼らをアゴで使っていいし、罵倒しても、殴っても、なにをしてもいい。彼らが報われないのは、彼らのせいなのだから。
いまの話のなにがおかしいのか、いちいち説明できなきゃしょうがない。
だれがどうであれ、なにをしてもいいなんてことにはならない、みたいなことをね。ひとつずつ丁寧に話せるようでなきゃ。
私たちはまず産まれて、まず生きている。
優れた者だけがいればいい、のではないし? 規格化された優位性ほど脆弱なものはない。
それはなぜか。具体的にどういうことなのか。先生は明らかに今日の授業指導内容よりも熱弁を振るう。好きなんだろうし、楽しいんだろう。なんなら先生が大学で研究しはじめた主たるテーマなのかもしれない。それが私たち全員に響くかっていたら、それは話が別だ。
ただ、こうした刺激を得られるのは学校ならではだと感じる。
『仮に施設にいた者たちが捨てられた失敗例だとしたら、理華はどうする』
人を連れ出して変容させて捨てる。
あらゆる手段のなかに、これを含めるような相手なら、他にどれだけのことをしているのかわかったものではない。
太平洋底で見つかった彫像の経緯も結局、なんにもわかっていないのだ。
社長たちによるものじゃなく、CSKDさえ一部であるとしたとき、連中はこれほど大規模な犯罪をいつ、どこで、どのようにして行っているのか。
恐らくは社長が壊滅させたであろう千葉の私塾の謎だって、別に完全に解けたわけじゃない。
教育施設があるのか。
教育施設だけで済むのだろうか。
私塾のそばにある住宅街がまるごと「クラック」されたように、人がクローンに入れ替えられていたし、巨大蜂騒動の後に遺体がやまほど見つかった。クローンだったはずの人たちの本体が突如として現れたように。
国会で議員たちが大勢「入れ替えられていた」。すり替えは事実、既に行われている。
だとしたら、どこかに「一見すると普通に見える」けれど関わってみたら異様な場所がある、という仮説だって当然、成り立つ。
CSKDは都内。私塾は千葉。山梨や埼玉にも怪しい施設があったし? 私たちが見つけた場所は爆破されてしまった。保養施設さえ、連中の技術が使われていたし? 佐藤さんと柊さんが見つけた異質な男性が囚われていた。
CSKD関連施設を総当たりにするか。創業者や出資者、取締役会の人たちを細かく調査するか。いくつかは保養施設を探す前から着手しているものの、残念ながら成果は出ていない。それでも、引き続きがんばるか。がんばるしかないよな。実際。
春灯ちゃん、当たり前のように調べたいと思うって書いていたけれど困る。
警察でもなんでもない。人手を集めて一週間、一ヵ月とかけて、法律の後押しを受けて地道に調べて、ようやくっていう調査なんだ。これは。それを「調べればいいと思う」みたいに。そんな気軽に言ってくれちゃって。
佐藤さんたちを頼るにしても、あそこ全員で三人だもの。人手が少なすぎる。
魔術師が持ってきた写真っていうのも気になるし? 裏を取らなきゃいけない情報ばかり増やさないでほしい。いや、ちがうな。情報を持ってくるなら、裏までぜんぶ調べて、わかりやすく共有してほしい。
そんな私のわがままに付き合う義理は彼らにはない。
問題は地道にひとつずつ対応していくほかにないのだ。
責めさえ利用する。責めるとき、明らかになにかがそこにあるから。責めを塞がず、止めず、やめさせずによく見て、よく聞いて、よく調べる。
春灯ちゃんが狐押し込み男を。狐押し込み男はクローンたちを、あるいはクローンたちを通じて何者かを。社長たちも狐押し込み男と重なる。彼らが責める何者かは、私たちの見立てでは製造開発者たち。じゃあ彼らはなにを責めるのか。彼らがすげ替えたものに、なんらかの情報があると見て取る。
語るには不十分。もっと情報がいる。
そしていつだって、情報を集めるのが面倒で、大変なんだ。
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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