第二千七百六十四話
大阪を震源地に生活保護のバッシングが始まったとき、だれもその捕捉率の低さについて話題にしなかった。メディアはスクラムを組んで「パチスロに使っている」「競馬で使いきる」という、生活保護者が「遊びで無駄遣いをしている」という捉え方を物語にして、四六時中、提示していたそうだ。
実際の不正受給はなんと「0.28%」。
めちゃくちゃ低い。
なのにこれをさも「8割以上の生活保護者が不正受給をして、賭け事で遊んで使い果たしている」かのように報道していたそうだ。
やばいですよ!
重版出来のドラマの感想をお母さんがSNSでちょこちょこ発信していて見たんだけど、漫画原作のドラマのなかで、生活保護を受給している元売れっ子漫画家のおじいちゃんが出てくる。お子さんだかお孫さんだかは学校でステレオタイプの差別を受けていた。
生活保護をバッシングの対象にしていい、みたいな捉え方が一般化して久しいことに、お母さんはかなり憤っていた。社会的に問題のある烙印のような扱い方は厳に慎まなきゃ、と。
もちろん実態はちがうし? 賭博に使用する人たちが全体のわずか数パーセントいたとき、彼らの賭博への依存症についての文脈も必要不可欠だ。そのうえ、依存症の最中にあるとき、治療に繋がれるとはかぎらない。理屈は「治せばいい」んだけど、そのとおりにいかない、できない。
こういう答えのない、解決できないものが現実にはやまほどある。なのに「あいつら問題だ」と済ませる態度が私たちの中にはやまほどある。それくらい私たちは答えや解決に強烈に依存している。そのわりに、雑に済ませる。現状を調べることもしない。
深く反省!
日本弁護士連合会が提供している「知っていますか? 生活保護のこと ~生活保護制度の正しい理解と活用のために~」では、驚くべきことがしれっと書いてある。
『生活保護を必要とする人のうち、利用できていない人はどれくらいいるのですか?』という問いの答えに『日本は貧困調査をしていないので正確にはわかりません』とある。
嘘じゃん。
調べるのが国の仕事じゃん。
してないの!? 目からうろこだよ!
『利用する権利がある人のうち現に利用できている人が占める割合を「捕捉率」といいますが、研究者の試算では、日本の生活保護制度の捕捉率は15~20%だといわれています。高めにみて20%だとしても、2006年度の保護利用世帯が約107万世帯、約150万人いることからすると、400万世帯、600万人もの利用資格のある人が、権利の網からこぼれ落ちていることになります』
『諸外国でみると、ドイツでも働ける年齢層に対する生活保護に対応する失業手当IIという制度の捕捉率は85~90%、イギリスの所得補助の捕捉率は87%といわれ、日本の捕捉率がいかに低いかがよく分かります』
これってさ?
私たちが病院を利用するとき、ほぼ間違いなく「健康保険」を利用するじゃない?
じゃないと自由診療と同じで全額負担になる。風邪の治療でも一万円を超える。これじゃ困る。
小中学校などの義務教育だって、もちろん活用するよね。
権利を利用する。それは社会的に不利になるからっていうのが第一じゃない。利用できるものは利用する。そのほうがずっとお得だからだし? それはお金だけに留まらない。生活の保証にだって繋がる。
だから、普通、使う。利用する。
なのに、生活保護の捕捉率の低さよ!
異様だよね。
健康保険で考えたら、一割から二割の人しか保険証を使わないの。
学校でいったら、一割から二割の家庭しか、こどもを学校に通わせないんだ。
おかしくない? そんなのさ。
だから普通に利用すればいい。なによりもまず、国が捕捉率をあげていく取り組みがいる。具体的かつ確実にね。問題は国民側に置くんじゃなくて、国であり、各自治体のお仕事に据える。それが政治と自治体のお仕事なんだから、当然だ。
さて、ここで別の問題が出てくる。
働いているのに、生活保護よりも低い賃金だったらどうすればいいの?
それは会社や業界、業態などに問題がある。でもって、生活保護を申請して、よし! なのである。
そもそも買い叩きやひどい取引などが横行していたりして、社会問題は山積している。なので、選んだ職業がそもそも十分な報酬のないこともある。経営者に問題がある、で済んだらいいけど、そうもいかない業界もやまほどあるんじゃなかろうか。
そういうとき、生活保護の利用は大事。
でも、ここで注意。
『お近くの福祉事務所に行って「生活保護を申請します」と言ってください。福祉事務所は、市役所や区役所の中の「保護課」「福祉課」などの名称でおかれています。お住まいが町村の場合は、「振興局」「環境福祉事務所」などの名前のついた県の事務所におかれています。現在お住まいがない場合は、今いるところの福祉事務所に行ってください』
ドキュメンタリーかなにかで見たけど派遣切りにあったり、出社したら倒産したりしていて、住居から出なきゃならなくなった人から、長く家のない生活をしていた場合なんかには、最寄りの福祉事務所がいい。ん、だけ、ど。
『福祉事務所は、生活保護など、さまざまな福祉サービスの利用について助言や援助を行うところです。しかし、残念ながら、生活保護利用の抑制を目的に申請をさせない、いわゆる「水際作戦」が行われることがあります。これに対しては、はっきりと「保護を申請しますので申請書をください」と言ってください。定型の申請書でなくてもよいので、紙に「生活保護申請書」「ご本人の住所、氏名、生年月日」「困っている理由」「申請日」を書いて出してもかまいません』
『もし、一人では対応できない場合には、次のところに相談してみてください』
として、各地の弁護士会や日本司法支援センター地方事務所、その他、生活保護利用支援をするネットワークの電話番号やURLが記載されているんだけどさ。
いや。
水際作戦て。
小学校や中学校でいったら、教師たちが校門前にいて「あの。お宅のお子さんはだめです」って拒否したりさ? 病院でいったら「あの。あなたの健康保険は使わないでもらいます」って拒否したりするようなものじゃん。
あり得ないよね。
やばいんですよ。
それくらいおかしなことしてる福祉事務所があるの、怖くない?
罪じゃん。それはもう。
で、続く内容がすごくてさ。
『生活保護は、生活保護を受けている人や生活できない人だけの問題で、私には関係ないのでは?』
すごい問いを立てるよね!
だけど、続く答えがすごくよくてさ。
『そんなことはありません。実は、生活保護基準は社会の仕組みの中で、さまざまな基準として使われています。最低賃金、課税最低額、就学援助、高校授業料の減額基準などは、生活保護基準をもとに定められているのです』
めちゃくちゃ重要じゃん!
『近年、生活保護基準の引き下げがいわれることがありますが、生活保護基準が引き下げられれば、生活保護を利用している人だけでなく、生活保護以外の施策を利用しようとする人にとっても大きな影響が出てきます。生活保護基準は多くの人々にかかわる問題なのです』
つまり生活保護が必要だったら使ったほうがいいし、使っている人が多いほど「あ、いまこんなに困窮している人が多いのか」って政治にとって重要なトピックスになっていくし? 逆に利用者が減れば「ああ。給料が低いとか言ってる人がいるけど、別に生活保護は利用者が増えてないし、まだまだぜんぜんいけるんだな」と理解されたり「特に問題ないんだな」って理解される。
なので、使える人は使ってなんぼの仕組みなんだ。
経済施策だ、税制だなんだに重要な制度でもあるわけだね?
「ううん」
こんな具合に、バッシングだけで済ませていると知らないことがいっぱいある。
問題がある。抱えている。そう見るやいなや、バッシングで済ませる、ないし、済ませたいことっていっぱいある。
「だから知ってほしい「宗教2世」問題」筑摩書房、2023年で信田さよ子さんが書いているけど、精神科医や心理士に相談しに行ったら「信教の自由が」「うちでは扱ってない」みたいに対応されて、そもそも話も満足にきいてもらえなかった人がかなりいたようだ。
精神科医や心理士のなかにも、少なからず「あなたが宗教に傾倒しているからでしょ」とか「辞めたら?」とか思っている人がいたり、「この手の問題は言っても無駄だ。なぜなら家族がやめろといってやめていたら、ここには来ていない。なのに他人の自分が関わっても無駄だ。なにより疲れる。やーめた」と思っている人もいたりしたんじゃないかな。そして漏れなく「宗教のせいでしょ」って思ってて、それで済ませている。
そうだとしても不思議ではないし、そりゃひどい対応する人も出てくるよ。
でも、それじゃ困る。もちろん、大いに困る。
「努力、未来、びゅーてぃふぉーすたー」
チェンソーマンのオープニングで繰り返されていた文句を呟きながら思案する。
竹端寛「能力主義をケアでほぐす」晶文社、2025年では大学教授の著者さえ「能力の個人化」を内面化していたと述べている。彼は「良い大学に行けば、良い会社(仕事、年収、地位……)が得られるはずだ」というお題目を鵜呑みにして、信じていたと記述しているんだ。だけどね?
『でもそれは裏を返すと、「生活や仕事を安定させたければ、良い大学に行かなければならない」ということだし、もっと言えば、「良い大学に行けないなら、生活や仕事が安定しなくても仕方ない・自己責任だ」という倒錯的な論理を内包している。しかも、その論理がねじ曲がっている(=倒錯している)ということに、恥ずかしながら大学教員になった後も、しばらくの間気づけなかった』
と書いている。ここまでもいいんだけど、この続きがよくてさ?
『それが、「雇用や深刻な不平等の改善という争点は周縁化され、脱政治化されてきた」という内実なのだ。将来の不安に備えるために努力するのが当たり前だ、努力しなければどうなっても自己責任だ、という価値観を内面化することで、雇用や社会保障という本来は「政治的」な課題を「脱政治化」することに、消極的に加担してきた。そのことに大人になるまで全く気づけなかった』
たぶん、真面目な人や、適応できちゃう人ほど、こうなる。
努力すれば成果が出てきた、そう思って生きてきた人ほどなる。
彼らはなかなか気づけない。あるいはずっと、いつまでも気づかない。
『そして今の学生たちは、教師や親の言うことに自発的に隷従し、他人に迷惑をかけないように、必死になっている。「努力すれば報われる」の論理を、ある人は何の疑いもなく、別の人は違和感があってもそれ以外のアイデアを教わらなかったから、いずれにせよ内面化している。そんな彼女ら彼らは、「雇用や深刻な不平等の改善という争点」を「政治」の問題だとわかっていても、そんな大きな問題は自分一人ではどうしようもないと思っている。それゆえ、結局自己責任の話だし、努力しないと雇用は得られない、不平等から脱出したければ努力しなければならない、と思い込まされている。だからこそ、そういう自発的隷従や努力が前提となっている日本社会のあり方自体に絶望し、「生きづらさ」がこの10年20年と累積的に子どもたちに広がっている。不登校やリストカット、自殺などが増えていく。それはあまりにディストピア的社会である』
もちろん、どうすればよいかは続きに書いてあるんだけど、それは2025年に本を買ってもらうとして。
思索の旅路に迷っているとき、私は一九八七年のディストピアに日本を重ねたけど、実際そうだよね。
なにがってさ?
「努力すれば報われる」、転じて「報われてない人は努力していない・足りていない」という論理で生きる。そんななかで発達する価値観や能力は「報われていない人の努力不足を攻撃する」、ともすれば一足飛びで「うまくいっていない人を攻撃する」ことさえ内包する。
安易に結論を出して答えを導き出して解決を迫るし? それはあんまりにも雑で倒錯した論理だから、的外れにもほどがある。おまけに現状把握もできていない。だから、ただ叩くだけになる。
そういう監視・攻撃社会に発達・適応していく。
地獄だよ、そんなの。
ビッグブラザーは努力と結果を重んじる。
でもそんなの、空。ありもしないもの。人が造った妄想に過ぎない。
やめちゃえば?
なんて一言でやめちゃう人、そうそういないよね。
長年の蓄積があるもの。
でもさー。
たとえば生活保護を利用することだって十分、政治的な営みだし? 制度的に無視できない数値に影響を与える行為になる。おまけに全体に波及する力をもった数値だ。
いろいろあるじゃん? ねえ。
先人はじゅうぶん、力になるものを残してくれてるし? ろくでもないのしかいないってほど、どうしようもなくはないぞ。政治も、官僚も。たぶん。知らんけど! 決めつけちゃうのはもったいないぞ?
別の言い方すると「いろんな手がある」し「答えや解決に繋げずに付き合っていく能力」の発揮しどころがいっぱいあるし? あらゆる手を尽くしていいってことだ。私たちを縛る解決法や答えそのものを手放して、もっといろいろ模索していいってこと。
あの野郎を会社員にして、犯罪させずに生活させる、なんて答えや解決を目指すとなると、まあああああああああ! 私には思いつかないね! あの野郎も望まないだろうし。
いろいろぶちまけたいこといっぱいあるんだろうし?
あれこれおみまいしたいこともいっぱいあるんだろうし。
ぷちたちに例えるのなら?
大暴れするし、止まらないし、話は聞いてもらいたいし、言うとおりにしてもらいたがるし、こっちの話は聞かないし、言うこともなんにも聞きゃしないし、やっぱり暴れるし、手に負えない!
まだぷちなら、ちっちゃいし、なんとか「答えも解決もないけど付き合う」ことができる。でも、あの野郎となるともう、なにするかわかったものじゃない。
でもなあ。
たぶん、それでも付き合うのが大事なんだろうなあ。
疲れ果てるまで暴れてさ?
ようやく話すなり聞くなりできるまで、とことん付き合うのが。
MCUのドクター・ストレンジがラストでボスを相手にやったみたいにね。
みんなに迷惑かけちゃうくらい、大暴れしちゃうんでしょ?
だれかなんとかしてくれーってなってるわけでしょお?
出てこいっつったって、出てこないわけでしょお?
もおおお。
面倒!
いろんな事情を抱えているんだろうし、いろんな体験をしたんだろうし、いろんな経緯があったんだろうけど、それをもって私たちは済ませられないし? 済ませようとしたら、古今東西、あらゆる作品で、あるいは現実で利用された文句が出るはずだ。
いでよ! 伝家の宝刀!
俺のこと、なにもしらないくせに!
知らないから話してね、きくよって言っても、まあ言えないよね。
きっとそれどころじゃないんだろうなあ。
ステイサムやロックさまが主演の映画で、ふたりみたいに「仕上がってる手強い人」なら? そういうお話なんかしないし、する気もなきゃ、自分である程度折り合いをつけてる。だれかの介入なんか望まないし、実際にどうでもいい。
ジョン・ウィックのキアヌ・リーブスみたいに傷は抱えているんだけど「触れるな。そっとしておいてくれ」ってタイプにも通用しないし? まさにヤる気まんまんのジョン・ウィックが相手でも、やっぱり通用しない。
ボッシュみたいに「お前みたいなヤツに話す気はない」っていう、げきしぶオヤジが相手でも、やっぱり無理だ。色気のあるお姉さんになっても、それこそ一発ヤっても足りない。それならいっそ、ボッシュにとっての娘みたいな立場になって関わったほうが早いまであるし? その手のからめ手は漏れなく外して大けがする。
アベンジャーズのシビルウォーで頭に血がのぼって大げんかになるトニーとキャップも? やっぱり無理。ケンカが終わらないと話にならない。
逆に言えば、区切りがつくなり、ひと息ついちゃえば?
狙い目になるかもしれない。
なので?
もう、あとは、辛抱強く関わるほかにない。
そういう意味で腹をくくれるか。
しょうがない。くくるよ。
だってそうしなきゃ、あの野郎はまだまだいろんなことをしでかすし? そいつが私やみんなにとっては都合がわるいんだもの。
よりマシなほうを選び、精いっぱいやるよ。
それにはさ?
相手にとっても、よりマシなものをめいっぱい用意して、お出しするのも一手。
答えにも解決にもならないだろうけど。押しつけるんじゃしくじるばかりだけど。
まあ、いっぱい用意したら、なにか気に入るものがあるかもしんないし?
満点じゃなくてもいいや。
積み重ねてなんぼのもんだと思っとこ。
一手でぜんぶが解決するようなもんじゃないんだし!
そんな一手はねえ!
「ふう」
みんなと撮った画像、そのたんびに作っておいた粒を出して楽しい気持ちを思い出す。
それだけでずいぶんと身体が楽になる。
スマホのカメラアプリで自分を確認したら、あっさりと実年齢の見た目に戻っていた。
悩みは晴れて、苦悩と付き合えるくらいの元気の源を見つけた。
なんてことはない。
みんなと過ごした時間に、ちょろくきゅんと元気が出ちゃったのだ。
あれしなきゃ、これやんなきゃってもののなかに囚われると、参っちゃう!
あの野郎もきっと、そういう物語の中で必死になっている。
答えや解決は「外に出てみたら?」なんだけど、必死なとき、夢中なときにはできないんだよね。それがさ。
だから、付き合ってみるかな!
あの野郎の止められない、やめられない運動に。あの野郎がくたびれきるまで。
ありったけの予測と対応策を備えて。
とことん!
腹を割ってぇ!
やってやろうじゃんか!
つづく!
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