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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千七百六十二話

 



 カラオケから戻ると妙な人が女性とふたりで私を待っていた。

 私の座る車椅子を押していたマドカが「げ」と呻く。


「妹の悲鳴が最初の挨拶って、悲しくない?」

「日ごろの行いのせいでしょう」

「言えてるぅ!」


 ウィザードがアカリさんとふたりでやってきたのだ。

 おいでおいでと手招きをして私たちを招き入れる。

 病室に入ったのは四人。みんなとはお別れ済み。カラオケで部屋の入れ替えをしてみんなと楽しんだし、ラーメンも満喫した。私はひとくちちょっとしか食べれなかったけどね。ポテトを食べすぎたのが敗因で! お店でお別れでよかったのに、病院の前まで来てくれたんだ。そこでお別れした。

 いまはマドカとキラリ、トモの三人がついてきてくれている。

 ギンとノンちゃんは警備のバイトだし、みんな中間試験だなんだでてんやわんや。時間を作ってきてくれたの、本当に感謝だ。

 四人が部屋に入るなり、魔術師は人差し指で四角を描いて枠の中心を押した。真っ赤に発光してから、ぼんやりと絵が浮かんでくる。


「シオリに伝えると、どうするか戸惑いそうだからね。私がきみたちに新情報を伝えに来た」

「うさんくさい犯罪者の言うことだからいやかもしれないけど、もう悪さはさせないから」


 アカリさんのフォローに彼の口元が引きつる。

 いい気味だと思いそうなクラスメイトの顔がちらほら浮かぶけど、壁に飾られていく絵に意識を向けた。魔術師は次から次へと写真を再現した霊子を並べていく。

 どれもこれも色褪せたものばかり。右下に年月日が刻印されているが、見渡すかぎり、最新のものでも九十年。いまから二十七年も前になる。遠くから人を写したものばかり目立つ。


「なにこれ。兄さん、説明」

「妹にアゴで使われてるぅ!」

「「「 うわあ 」」」


 彼が上擦った声をあげて気持ちの悪いことを言うので、思わずみんなで引いちゃった。

 自分以外の全員に嫌悪感を向けられていたたまれなくなったのか、それとも正気に戻ったのか、山吹リンタロウは咳払いをして説明に移る。


「まず今回見せた写真はいずれも”宗教二世”のものだ。そして、ここで言う宗教は新興宗教、カルト団体に限らない」

「キリスト教、イスラム教、仏教を含める。日本だと神道もね」

「特定の信仰や信念、宗教的集団を含めるのなら、例えば反共思想の政治団体も該当するし、陰謀論者やネット掲示板に常駐する人たちも含められるだろう」


 その定義でいくと、日本のかなりの割合の人が該当しそうだ。

 SNSだって含めたら? 推し活さえ含めたなら? ねえ。


「ただし具体的に信仰心をもって日々活動しているとなると、様々な統計からみて一千万人いるかどうかといったところになる」

「ここで問題。日本の総人口は、いま何人でしょうか」


 アカリさんの抑揚のない問いに私の鼓動は大いに乱れた。

 え、と。何人だっけ。ふり返るとトモが目を横に逸らしていた。おお仲間よ!

 キラリが目を天井に向けて思案しているなか、マドカが答える。


「ざっくり言うと去年の段階で一億二千七百万人くらい」

「一割くらいは信じているなにかがあって、そのうち半数くらいは礼拝だなんだの活動を行っているわけ」


 アカリさんの説明に唸る。

 おお。なるほど。


「人口密度を思えば東京を中心にした関東はなかなかの密集度じゃないかな」

「いろんな宗教団体の本部があるね。きみたち、知らないだろうけど」


 ウィザードの煽りにむっとするが知らない。

 頭の中でいろいろと思い返す。

 二冊の本が思い浮かぶ。

 「宗教2世」太田出版、2022年。

 あと「だから知ってほしい「宗教2世」問題」筑摩書房、2023年。

 他にも宗教一世、二世にまつわる書籍があるんだけど、ひとまず、この二冊。


「新興宗教団体に限ることなく、たとえば敬虔なキリスト教徒のこどもであるだけで人生の価値観、ありよう、展望、恋愛や交流などに制限を加えられることがあるし? 仏教、神道でも似たような問題は抱えている」


 なにも知らない相手よりは、教徒と結婚しなさいとか、ありそう。

 家によっては継ぐことを踏まえて相手を選びなさい、までは全然ありそう。

 食事の作法からなにから、いろいろあるだろうし?

 礼拝、読経など、それぞれの宗教の営みを強要されるかもしれない。勉強しなさい、宿題やってというのと同じくらいのテンション感で。

 そもそも食事の内容もあるよね。あれは食べちゃだめ、これはこう食べなきゃだめみたいなの。

 教義的タブーはものによっては多いそうだ。創価学会、天照皇大神宮教、エホバの証人、統一教会、オウム真理教などは禁忌とされることの設定がいっぱいあるのだそう。戒律は世界三大宗教にも、その他の宗教にもあるけれど、いま挙げた新興宗教団体は、こども・おとなの自由な成長や選択を阻害するようなものが多い。信者同士の結婚を強要したり、教団系の学校進学を推奨されすぎたり、進学を断念させられたり、交友関係を制限されたりする。布教が優先される、などなど。

 エホバの証人にいたっては輸血拒否が有名だ。医療拒否である。なにせ「手かざし」が鍵だから。手をかざせば病が治る。悪いものが取り除かれる。そういう宗教団体がいっぱいあるのだ。信奉者は少なくとも数十万人はいると見られているのだとか。多いよね。十分。

 ビートたけし原作小説「教祖誕生」でも取り扱っていたけれど「手かざし」により人の病が治る、という。ちなみに小説は映画化されていて、それはちらっと見たけど腕に仕込んだ電気装置でびびっと電流を当てるのだ。相手は身内。適当な人に教祖の役をあてがい、振る舞わせる。必ずサクラを立てて「奇跡! 手かざしショー」を見せ、でっちあげ本を売ったり、中身のないトークショーをしたりして、お金を集めているのである。

 こうした団体の中には激烈にワクチンを忌避する人たちがいて、こどもに必要なワクチン接種を殊更に嫌悪・憎悪する。その結果としてこどもが重篤な病にかかり亡くなることさえある。

 たとえば女性の扱いなんかも教義に取り込んだものだと、たとえば「LGBTQ+」に対する激烈な拒絶反応を示すものがある。

 なのでSNSでワクチンや「LGBTQ+」などへの差別や攻撃を行っている人がいたら、もしかすると、教義や知識、教えや体験と反していて反応しているなんていうこと”も”あるのかもしれない。全部ではないにせよ。

 教育にしたって、エホバの証人ではむち打ちを行う家庭があるようだ。一世はむしろ振るう側だろうし、それが正しいと信じているだろうから、自殺者や被害者を大勢だした戸塚ヨットスクールのようなところをむしろ信じているだろう。部活、とりわけ体育会系で、強豪校ほど根深い問題となっている体罰にしたって同様だ。

 恋愛や交流関係においては創価学会に関しては制限や強要について言われたと答えた人は比較的に少ない。対して統一教会、エホバの証人では大勢がなんらかの形で制限や強要について身内などに言われているという。女性には初体験は絶対にしてはならない、みたいなことさえ言うそうだ。

 いまふり返るとアメリカ映画でも、昔の作品だと多い。婚前交渉の禁止についての発言、場面がね。一方でデートさえ禁じる家庭が多いのは、それだけ性犯罪が多いからなんだろう。

 対してエホバの証人ではデートを禁じているという。

 女性に対する介入が多く見られるそうで、家父長制の影響が根強いものと見られている。

 この家父長制、手かざしくらい「あやふやな創作物」である。男が狩りに、女はそれを待つみたいな物語は広く一般化している”ようだけど”、そんなこともない。

 ただし女性を”商品””もの”として捉え、結婚、妊娠、出産を教義に盛り込みたいと狙うとき、これほど都合のいい物語もない。それに信者家庭、そのこどもまで信徒として抱えこむのに利用しない手もない。

 教団内のマッチングアプリ、活動のなかでしか恋愛・結婚は許さないみたいなところもあるそうだ。それでなくても「入信させる」ことを求められたりしてさ。

 そういう抑圧のなかだと、そもそも信者でない人と恋愛や交流をするハードルが異様に高くなりすぎるし? 実際に差別の対象になることさえあるだろう。一緒に暮らすとなれば、絶対にどこかでバレるわけだし。結婚を視野に入れるなら、自分の親に会わせることも視野に入れなきゃならない。

 活動優先。

 だけど、それを望むくらいの状況も世の中にはたくさんある。

 福祉が不十分だったり、医療や福祉の窓口がそもそも激烈に辛辣だったり。家庭があんまりにも過酷だったり、その救いが一切なかったり。なにもなかった頃はよかったけど、事件・事故にあってすべてがおかしくなってしまったり、家族が亡くなって残されたみんながまともでいられなくなってしまったり。

 そんなとき、話を聞いてくれたのが、どこかの信者だけだった、という。

 これはあまりにも空しいくらい、お決まりのコース。

 社会が辛辣であればあるほど、弱くなることに「自己責任」を押しつけるほど、信仰は支えになるし? 信仰の提供で儲ける団体の稼ぎ口が増していく。

 だからこそ福祉の充実も、医療の充実も、教育や支援の充実も必要不可欠。

 長く続いている団体ほど巧妙だし、小さな団体だろうと甘く見てはならない。

 創価学会では壮年部、婦人部、男子部、女子部があるそうだ。あと未来部。信心に打ち込めるようになることを成長として捉え、仏法に対する信仰を自ら選び取る発心とやらの経験を目指す。これらに重要なのは「疑い」を否定せず、外部の医療組織などとの関係を持つことを必ずしも否定しないところ。家庭やだれかに問題が生じたとして、いろいろ学ぶも「結局、ふるさとである学会のありようがいいんだ」というところに戻るのが、重要なプロセスとして見なされているらしい。なので、地域の責任者などがよく訪問してあれこれ関与してきたり、日々の営みとして、部の活動のために学会員が集まってきたりするそうだ。親孝行はいいことだと教えれば、親の学会活動はいいことなので、これに逆らってはいけないという感覚に二世の子は陥る。七方をふさぎ、一方に外部を据えて頼るも結局もどってくればよし。同年代や近い世代の二世の子たちとの繋がりもある。これを断ち切るのは容易ではなく、善悪の価値観においても「非常に素朴」じゃない? 親を裏切っちゃいけないのではって。だから、抗いにくい。

 家庭内で暴力や性虐待が起きる事例もある。

 しかし家庭という共同体に、教義という縛りを課すほど加害は透明化されやすくなる。そればかりか、教義のもとに団体のうちに回収するような仕組みを取っているところも多い。そうすれば、信者を手放さずに済むからだ。

 あらゆる団体は、それこそ三大宗教さえ含めて「信者を増やす」こと、そして「信者を手放さない」ことが重要になる。

 これは各種サブスクでも、いやさ商業に携わる企業なら至上の命題だ。小さな飲食店さえ、悩まされることだし? ミュージシャンでもアーティストでも、漫画家や小説家でも、ファンを相手にする商売ならみんな同じじゃないかな。ホストクラブのホストだってそうじゃない?

 どんな団体であれ、内に閉じるほど、そう企むほどに危うさを増す。

 それに団体が巨大であれば、ふたをされる問題の質と量も増える。単純に関わる人が増えるだけでもね。小さいからって、深刻な問題が起こらないわけじゃないけどさ? 世界中で神父が性暴力に及んでいた問題が、ちょこちょこ明らかにされている。ひとりひとりが大勢の相手に性加害に及んでいることが多く、非常に問題視されている。

 生きること、居場所、容易には手放せない関係性などを人質に取られると?

 私たちは抵抗しにくくなる。そればかりか、被害を訴えることさえ十分にできなくなってしまう。

 それくらい残酷な攻撃なんだ。

 三大宗教で問題が起きるくらいだから、もちろん新興宗教団体でも同様だし?

 宗教でなきゃ問題ないかって言われたらもちろんそんなことはなくて、いろんな企業で加害が起きている。

 どれも「だからしょうがない」んじゃない。

 どれも「ないのが当たり前」で「なくしていくのが当たり前」。

 理不尽は「我慢するのが当たり前」じゃなくて「ないのが当然」で、なくすためにあらゆる対処をしていくのが真っ当だ。

 だけど価値観だ世界観だ、教義だ自己責任だで、そこを切り崩せれば?

 便利な奴隷のできあがり。思考しない金づるのできあがりとなる。

 ほかにも人件費を削ればいいじゃないムーブメントに、似た匂いを感じるね。簿記だと費用の中に給料、仕入れ、広告宣伝費、水道光熱費、通信費などを勘定する。これらは「収益を得るために払った対価」。なので毎月、あるいは事業に向けて収益を得るために必要な対価と言える。給料を含めた人件費は企業が負担する経費だ。これを削ることがなにを意味するかといえば「収益を得るために払う対価を減らす」ことになるから、もちろん、企業の体力も能力も落ちていく。

 だけどこれじゃ企業が損をするし? ぶっちゃけ給与は削減したい。施設だなんだの投資もしぶって、シラスでクジラを釣りたい。毎日、毎月、ずっとね。

 でも、そんなの健全でも真っ当でもなんでもない。ただの搾取だし、従業員らにしてみれば「しったこっちゃねえ」。そんな従業員に五円玉をくくりつけたヒモを左右に揺らして「あなたは給料がいらなくなある」なんてやっても、ねえ? あほかって話だし。経営者が収益を得たいように、従業員だって給与を得たい。そこに立場の上下もなにもない。経営者が思いついたことに従業員が付き従うから儲けをもらえている、なんてこともこどもの妄想に過ぎない。

 ただ、カルト教祖になりたい経営者は多い。そんな経営者を転がすコンサルタントも多いみたい。

 払わなきゃならないものを、どうにかして安くして、おまけに相手のせいにしようとする。

 そういう仕組みは加害を続ける団体の教義とたいしたちがいがない。

 でもって、まあ、実際、ちらほらと見かける。


「たとえば信者で、企業の会長さんだ社長さんだの写真もあるっちゃあるけど、それより重要なのは」


 さらりと怖いことを言うウィザードにトモはなんのこっちゃという顔だし、キラリはピンときていない。ふたりともたぶん、前提となる知識がまるでない。私もほとんどないに等しい。

 日本は宗教なんてないに等しいみたいなこと言う人がいるけど、私はそんなこと全然ないと思う。

 統計や調査が厳密性のあるものじゃないらしく、各団体の申告も活用しているそうだから実態は明らかじゃない。魔術師とアカリさんの話も、その数を元にしているみたいだし? いろんな団体を渡り歩いている人もいれば、脱退した人もいるだろう。

 ふわっと意識せずに生きているけど両親の葬式はどこそこのお寺さんに頼むことになっている、みたいな人まで裾野を広げたら、もっと増えそうだし?

 魔術師の語る宗教の定義を考えると、ね。

 日本はむしろ、とても親和性の高い状態にあるんじゃないかとさえ思うよ。そして、それって国でくくることなく、人であれば一定の親和性をもって生きているものじゃないのか、ともね。

 そんな印象を裏づけるように、色褪せた写真には別に立派な服装をした人なんて、そうそういない。

 むしろ当時のありきたりな服装をした人たちばかりが写っている。いまじゃ見ない、チェックのだぼだぼシャツの裾インぴっちりジーンズのお兄さんとか。ふわふわパーマのお姉さんとか。


「彼らの共通点でね」

「黒輪廻が去る以前、世界中の霊子は減少し、枯渇するんじゃないかと危惧されていた」

「それでも人は霊子を放つ。邪も生まれるし、ひどくすれば黒い御珠になる。さらにひどくすれば、尋常じゃない言動を取ったり、ときには怪物に変わることもある。対して、侍隊は予算の削減が盛んに言われるくらい、とにかく人手だ予算だと叩かれてきているから、対応が遅れることもある。すると、なにが起こる?」


 考えるまでもない。

 侍隊は警察の警備隊の一員として隔離世の邪退治を主として活動し、結果的に現世の治安維持活動に従事している。彼らの活動が不十分になっていくなら? いまウィザードが説明してくれた変化が起きるし、対応が遅れていく。ことによっては、手出しできないくらいの事態にまで手が出せなかったり、気づけなかったりする。


「当然、悲劇が起きる。それをまるで神の御技だ、あるいは悪魔の仕業だなんて言う言説も当然できてくるし? こいつを理由に団体入りしたり、出ていって新たな団体を立ち上げたりする連中も出てくる」

「決して多くはない」


 アカリさんの付け足しに彼は何度もうなずく。

 それから壁に飾った写真を指し示した。


「でも、少なくもない。彼らはほんの、氷山の一角に過ぎない」


 ようやくわかった。

 持って回った言い回しで語っていたけれど、要するに写真の人たちは隔離世の異変をきっかけに行動しはじめた人たちだ。傷ついた人とも、救いを求めた人とも言えるだろう。

 仮に彼らを一世とするのなら、二世は?


「星蘭が侍隊と仕留めた永霊英雄会に入ったヤツもいるし? 似たような組織を立ち上げた連中もいる。俺の師匠のように一定の能力を持ちながら、こうした団体に関係していないなんてのは非常に稀な事例でね」


 八雲さんのことだ。

 彼女もミコさんほどじゃないにせよ長命で、ひっそりと生きてる魔女。あんまり人と関わるのが得意でも好きでもないタイプ。いまはミコさんにあれこれ頼まれて、いやと言えずに手助けしているそうだ。


「でも、考えてみれば当然だろう? 霊力なんて、現世の人からしたら魔法や奇跡と大差ない。そしてそれは長らく、霊子の枯渇に伴い存在しないはずのものだった」


 それこそ手かざしのように演出と物語が伴えば?

 あるいは特定の人物の偉大さや物語、そして相互補助と戒律によるダブルバインドに活用したら?

 一種の求心力として作用する。


「そういう組織が嘘っぱち、でっちあげの儀式じゃなく、人為的に邪を生み出して育てて、黒い御珠にしようとしはじめたら? 当然、事故が起きる」

「本題まで長かったね」

「順序は大事だろう? で、件の育成だけど。こういう組織で育てられた二世も、リクルートされてるんだ。警察が捕捉しても待ったをかけて、なんのかんの悪化するまで放置。いよいよっていうときに、見込みのありそうな結果と人材を盗んでいく」


 例の警察内部にいた、霊力開発を企てた男の話だ。

 彼の犠牲になった人たちの話題に、さらに余罪が追加された。


「それって、人死にが出たり、取り返しのつかない怪物になるような事態に発展するのを、わかっていながら見逃してたってこと?」

「悪党が怪物ほしさに人体実験を見逃してた、みたいな?」


 マドカの問いよりも、キラリの問いのほうがよりえぐみを感じるのはなんでだろう。


「そういうことだね」

「これが私たちの調べてきたこと。きみたちにも共有しておくね」


 マドカがスマホで撮影して画像に残していく。


「ひとりひとりの情報は?」

「リンタロウ経由でメッセージで送っておく」


 そういうなり、アカリさんはウィザードの首根っこを掴んで部屋を出ていこうとした。マドカは止めない。私たちも止めない。ただ一人、マドカのお兄ちゃんとして寂しがる男だけが「え。本題も済んだし雑談は?」なんて言うけど、アカリさんは問答無用だった。「病人の部屋に押しかけて粘るんじゃない。自分のしたことをふり返ってみるべき」とお叱りさえ添えていた。

 術者が離れたからか、壁に漂っていた写真たちが塵になって消えていく。


「なんだか、底の深い話になりそうだね」


 トモの困った声にキラリが呻きながらも同意を示す。

 マドカが私の座る車椅子をベッドに近づけてくれるから、椅子との隙間と足元に金色雲を浮かべて、身体をすくいあげた。ふわふわ漂いながら、ベッドに移る。

 私が寝そべるのを見届けると、マドカがため息を吐く。


「信教の自由があるし、実際に自分は救われたという人もいるだろうけど、一方で家族に加害的に作用したり、人間関係をはじめ人生が壊れた人も大勢いるだろうし。詐欺からテロまで、犯罪に及んでる事例もある。虐待だなんだもね」


 私の読んだ本でも、たとえば施設で活動中とか、家に教団員や教会員が集まって礼拝だなんだをしているときに性加害が起きたとか、決まって親が暴力を振るったとか、そんな話があった。

 だれもかれもがそうじゃないから、余計に話はややこしくなる。

 そりゃあ、だってさ。

 他者の信心、宗教という枠を「だれが」「なぜ」「なんのために」「どうやって」「いつ」「どのようにして」利用するかは、人によるし?

 たとえば私たちが当たり前に行けるお寺や神社、そこで働く人たちは普通でも、彼らをまとめる本部だ組織だになると、途端におかしなことになるみたいなこともある。

 これは企業だって同じだろう。

 立場と関係性が増えたり、ちがう環境にいる立場と関係性の相関図が増えるほど、ますますおかしくなるなんてことも、ざらにあるんじゃないかなあ。

 そういうのを意識せずに生きていたらさ?

 あるいは、そういうのを「異端」「おかしい」「変」「どうかしてる」で済ませていたらさ?

 いままさに、そこで苦しんでたり、救いがあると信じてる身内がいるからこそつらくなってたりする人さえ、私たちは気軽に差別して、排除するのだろう。

 そうした問題についても、私の挙げた二冊では触れていた。

 「なぜ人は自分を責めてしまうのか」という本の著者である信田さよ子さんも、「だから知ってほしい」のほうに原稿を寄せていて、エホバの証人や創価学会の宗教二世の人たちの相談について記述していた。

 もちろん親や組織を信じている人もたくさんいるのだろう。

 そこまでじゃないにせよ協力的に過ごしている人も。

 あるいはつらくてたまらなかったり、脱退や脱会に苦心している人、加害されてしまった人も。


「春灯。例の男とか、見覚えのある人はいない?」


 マドカがスマホの画面を向けてくれる。

 さっき撮影した画像を見せてくれるんだ。最初に見たとき、九十年より新しい写真は見当たらなかったけど、もしかしたら私の見た範囲よりも新しい画像もあるかもしれない。

 意識して探しながらも、考える。

 私の見てる世界は、なんて狭くて限定的なんだろう。

 みんないるのに。いろんな人がいて、いろんな組織があるのに。

 まるで、いないかのようじゃないか。

 ちがう。

 そんなことないんだ。

 いまからでも。遅くても、よく見よう。

 ひとりひとりの顔をじっくり見ていく。記憶していく。

 残念ながら例の男はいなかった。よく似ていると思う人さえ、ひとりも。

 もしかしたら、あいつの親がいないのかなと期待したのだけど、見つけられなかった。

 ただ気づいてしまった。

 何年も前に写ったこの人たちも、いまでは親になっているのだろうか。おじいちゃんやおばあちゃんになっていたりするんだろうか。

 じゃあ、そのこどもや孫は? いまどこで、どんな人生を過ごしているんだろう。

 製造開発Cグループの連中に見つけられていやしないだろうか。無事に過ごしているだろうか。

 その無事も、ふたを開けたら危険な団体に関わることや、利用されることだったりしないか。


『――……』


 いつだったか、事務所に張り込んで私を見つけて怒鳴り込んできたおじさんを思い出した。

 侍隊の息子さを失って、いてもたってもいられない気持ちのやり場のなかった人だ。

 強いんなら。侍隊のトップであるシュウさんさえ持てはやすような存在なら。

 どうして息子を助けてくれなかったんだ、って。

 写真の人たちが、あるいは彼らの家族が私を責めているような気がした。

 心が弱ってる。背負うな。勝手に。

 そう防波堤を築くも、一手遅くて削られてしまうことを防げない。

 刑事ドラマで印象に残っている場面がある。陰惨な事件の痕跡を目の当たりにしたり、幼い子たちが見るも無残な遺体になっていたりするとき、刑事たちの心のヒビが根っこにまで走り、壊れそうになる。若手は躍起になって、なんとかしようとするし? 疲れ果てた者たちは「真に受けていたら続かない。自分が壊れるだけだ」と、ただただ教訓を述べる。疲れてなお足を止められない僅かな狼たちは「それでもやめられない」とよく見て、よく嗅ぎ、よく覚えてしまう。

 仕事に頼りながら壊れていくんだ。だけど、そうしないと仕事ができない。

 惨い話だ。

 だから彼らは酒や煙草、甘味に頼る。仲間内での騒ぎを楽しんだりする。

 頼らないと明日に行けないんだ。背負うもの、抱える傷や世の残酷さは増えるばかりで減らないから。

 そのつらさにとうとう折れて、私刑に走る者さえ出てくる。

 ボッシュさえそうだった。

 まともで続けられるような、そういうことじゃないんだ。

 世直しなんていうのも、おんなじ類いかな。

 なので、立ち返るんだろう。

 どんな世界がいいか。望むのか。

 それは、たとえば仕事つらい、学校むり、だから推しがいるみたいなのさえ含めるし?

 人であるかぎり、信じたいものを見つけるみたいな活動にさえ走るんだろうし。

 そういうものを使って、いくらでも他者をだまして言いなりにしようとさえする。

 人生の答えのない、解決できない、あんまり複雑なありようをそのまま受けとめられはしないし、したくなくて、欲してしまう。

 そういう支えをいったん手放して、深呼吸して問いかける。

 自分の答えを問いかける。

 役立つとか価値とか、そんなのぜんぶほうり投げて、なによりも「まず生きている」、そのうえで「どう生きたいのか」「どんな世界で生きたいか」を考える。

 それをどう行動にするかを思案して、行っていく。

 ボッシュならシーズンを通して警察官であり刑事として、できうるかぎりの手を尽くして「くそったれを豚箱へ」を目指していた。もっと複雑で、慎重で、おまけに相手をとことん調べあげたうえでね。いまの法制度をもとに、裁判がうまくいくように。そのためにも、基本的に検挙できる確信が持てるかぎり不正はなし。実際、ボッシュのいる地域では凄腕弁護士がいて、捜査にわずかたりとも問題がないときさえ、ミスを見抜いて問題にするくらいだし? また、世の中はそうあるべきだとも思っているから。警察が手を抜いたり、好き放題したら、いったいどれだけの人が巻き込まれて傷つき、手に負えないことになるのかを彼はよく理解しているから。だから不正はなし。

 そういうイメージを、希望を抱いて彼は働いていた。陰惨な事件に何度も挑みながらも、ずっと。

 そのありように私はぐっときてる。

 忘れずにやろう。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

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